机に向かうナミの背中を見詰めて、溜息が落ちるのを自覚した。この状態になって、もう、かれこれ四日になるだろうか。
こうなっちまったナミは、天候に問題が起きるまで何もできやしない。強制的に背後からその瞳を掌で塞ぐと言う方法が、辞めさせる方法として残っては居るが……それをやると、体調によってはそのまま気を失っちまうからやりたくは無いのだ。
サッチから託されたトレイの意味をここに来て漸く悟った俺は、そっと机に置いてから部屋を後にする。何故かナミは、俺が置いた物は摂取してくれるのだ。
……他の誰かが置いたものは、手を出さないんだから可愛いが、困る。年齢を考えれば、俺がこうして守ってやれる期間はそれ程長くは無い筈だ。
机にそれを残して甲板に出れば、潮風は心地よい。ステファンも気分が良いのか、ハルタの背後を狙って構えているのが見える。
「サッチやマルコが置いたんじゃ、駄目な理由はあるんだろうか?」
甲板から見える海を眺めつつ、思わず呟いた俺の言葉に応える静かな声が聞こえて来た。どうやらイゾウに聞かれていたらしい。
「ナミは、初めて俺達と会ったその日から……親父しか見えてなかったからな。……俺とは真逆だね」
「俺も、見た瞬間に俺の女だと決めていたが……それと、俺の置いた物しか飲食しないのはイコールにならねェだろう」
「ナミは、俺達を家族として信頼はしてるけど……親父になら、何をされても受け入れるって決めてるから、親父が差し出した物なら例えそれが猛毒でも微笑みながら口にする。それを身体が理解しちまってんのさ」
その言葉を聞けば、確かにと思わなくもない。感情の起伏を抑える為に息を吐き出して、そっとイゾウの頭を撫でてから部屋へと戻るように踵を返す。
部屋に戻ればナミが机に潰れるようにして眠っていて、漸く寝てくれたかと思いつつその小さな身体を抱き上げる。少し軽くなった気がするのは、気のせいだろうか。
四日、飯を食ってねェんだから、軽くなっててもおかしくは無いかと思えばこそ、起きたら何か食わせようと心に誓う。ベッドに寝かせてやれば、俺の寝られるサイズだからというのもあり、小人にしか見えない。
その事実に苦笑しつつ、ナミのこれ迄に出した本を手に取りナミが目覚めるまでと決めてそれを読み進めて行く。文字を読むのにかかる時間の数倍の時間がなければ、執筆はできない。
それを考えれば、どれ程机に向かっていても時間など足りるわけもない事はよく分かる。窓から聞こえて来る波の音と、時折ナミがモニョモニョ言う寝言、そして……俺がページを捲る音だけが響く。
そんな穏やかな時間が、俺には妙に有難く思える。会話等なくとも、共にいられるなら幸せだと思える程度には……心を許し合えていると思う。
こんな穏やかな余生を送れるとは、考えもしなかった。若い頃に共に暴れていた奴は大半が死んだか、生死不明だ。
そんな状況下で有りながらも今も健在だとわかる奴らがいるから、海賊を辞める事は出来ねェ。その上無事がわかる奴の方が、海賊らしい海賊である為に静観も出来ねェ。
……息子達には、ここの他はどこにも行き場がねェ。何よりも、俺の名前があるからこそ守れている島や村を思えば、レイリーのように雲隠れしちまう事も困難だ。
「うそ!?もう夕方!?」
飛び起きてそんな言葉を口にしたナミを見て、俺は窓に視線を向けつつ朝日が登り始めていると気付く。どうやら、1晩中読書をしちまってたらしい。
これではナミを叱るのは難しいな。……まァ、ナミが書いた作品だからこそそうなっちまったんだろうが。
これで目を通すのを後回しにしていた事で、俺への想いを綴ったエッセイが出版された事に気付けなかったのは、既にアレだ。そう、黒歴史ってやつになってる。
「朝焼けだ。……眠れたみたいで安心した」
俺の言葉に驚きを隠さずに、確認するようにカレンダーへと視線を向ける。それから何を考えたのか、少し困ったような顔で笑ってから挨拶をして来るのだから生真面目と言うか、飽きない奴だと思わされた。
「おはよ」
「……ああ、おはよう」
微笑ましくて、愛しくて、つい笑った俺に安心したように息を吐き出すから、色々と考えすぎているのだと気付く。それから何やら考え出したが、差程時間はかからずに言葉にして質問して来た。
「そう言えば、朝ごはんって……」
「食わないって選択肢は無いからな」
何か考えていると思ったら、まさかの食いたくない宣言だろうか。サッチが知ったら嘆くぞ。
食べている時は幸せそうに食べるのに、何故食べ始めをいつも拒むのか。食事するより文字や海図を描きたいと言い出すのは分かっているからこそ、あえて訪ねはしないが。
……実際、それが真実ならばそれ程気にしもしないが、ナミの場合無意識下で食い物には毒があるとしちまってるのが不味い。だから、俺が食ったりした後なら安全だからと食い始めるのだ。
つまりは、初動が悪いのはそれが理由。……俺が、助けてやりたかったな。
「四日、まともに食事してねェんだ。ちゃんと食え」
俺の言葉に笑って誤魔化そうとするナミは、俺がナミに弱い事を本当は分かってるんじゃないのかと思わされる。それでもこれは譲らねェぞ。
変えられない過去はどうにも出来ねェが、現在は変えられる。今は飯を食うべき時だ。
「誤魔化されてやらん。可愛く笑っても、逃がしてはやらねェから、まずは飯だ。……それとも、俺を喰いたいか?」
「……ニューゲートを、食べる?」
キョトンとした顔で俺を見上げて、それからボンッと音が聞こえそうな勢いで赤くなったナミに笑っちまう。こういう事だけいつまでも幼いナミは、俺を楽しませてくれている。
「シャワー浴びて来る!」
「出て来るまでに、どっちを食いたいか、考えておけよ?」
「もうっ!ニューゲートの馬鹿っ!」
真っ赤な顔で駆け出していくナミを見送りつつも、これで時々は俺を襲って来るのだから分からないもんだと強く思う。そうして読み終えていた本を片付けつつ、ナミの帰りを待ち共に食堂へ向かえばサッチがホッとした様子で食事を作り始めた。
それができるまでの間に集まって来る息子達。エースは当然のようにナミに甘え始め、ハルタは何故かナミの髪を弄り始める。
マルコは心配そうにナミの診察を始めて、イゾウはそれを面白そうに眺めている。そんな状況下でビスタとフォッサが顔を見合せて、必要ならば助けに入るかなんて呑気な事を話しているのだから、俺もまだ動く訳にはいかないだろう。
「ナミちゃん、ご飯できたよー!」
軽い足取りでナミの元へとサッチが食事を運んで来れば、マルコ以外がスっと避けてナミの目の前に食事が用意される。それは明らかに他の誰とも違っていて、エースはそれに不満そうな顔をするが、他は当然と言わんばかりの顔をしているのが見て取れた。
「そんなんじゃ、足りねェだろ。肉食え、肉!」
「四日ぶりの食事なのに、そんなん食ったら胃腸がビックリしてひっくり返るわ!阿呆だろエース!」
用意されたのが白粥とキャベツのスープなのがエースには気に入らないらしい。だが、こればかりは仕方ないだろう。
どうしても肉をと言うならば、とりあえずハンバーグや肉団子辺りからだろう。つまりは、挽肉だな。
「……ナミ?」
俺はエースを無視して自分用に用意された物に箸をつけたが、その時心配そうなマルコの声が聞こえて動きを止める。何があったのかとじっと見詰めていれば、まだ手を付けてないのに顔色を悪くしているナミがいてどうしたのかと思う。
サッチが作った物ならば、俺が手を出してやらなくてもちゃんと食えた筈だ。何があった?
「まさか……!?ナミ、吐き気の他に気になる症状があるだろい?」
「な、にも……な「嘘を、つけると思うなよぃ?」」
マルコが言葉を遮った事で、ナミは観念した様子で言葉を口にした。それは、その場の空気を硬直させるには十分過ぎる。
「確かに最近、微熱が続いてるわ……でも、それだけだか「ナミ!マルコに、みて貰え」」
思わず言葉を遮った俺に皆の視線が集まるが……気にしていられるか。今はナミの事だ。
マルコの反応と、ナミの症状と、寝室を共にしている現実を考えたら……。答えは、そう多くないだろう。
「ニューゲート……ごめんなさい」
「ナミに、責任はねェよ」
もしそうだとしたら、ナミは大切にしてくれるだろう。そう思ってナミを抱き寄せれば、マルコが呆れを隠さない顔で俺を見た。
「だから、無理させんなと何度も言ってたろぃ?……親父、ナミは間違いなく、疲労性の胃潰瘍だよぃ!」
「……胃潰瘍?」
「点滴と飲み薬で治せるとは思うけどなぃ、この先も無理させるならいい加減俺も「なんだ、そうか、少し……残念だ」」
思わず溢れた本音。病気であった事は残念だし悪い事しちまったと思う。
それでも、期待していた自分に気付かされちまったから。小首を傾げるナミの頭を、軽く撫でる。
「ニューゲート?」
「マルコ、今回の診断はエイプリルフールの嘘で、実は違う理由だとか言わねェよな?」
「親父の想定した物が何かはわかったが、違うよぃ」
マルコは半眼で俺を見るが、仕方ないだろう。俺が初めて手を出してから現在まで、10日以上何も無い事はなかったのだから。
それに、ナミはまだまだ若い。可能性は十分過ぎる。
「ナミに似たら可愛かったろうにな」
「ニューゲート!?」
焦った顔をするナミは、けれども直後に小さく笑う。それから困ったような顔で俺を見つめた。
「……エイプリルフールだから、何か嘘つこうと思ったのに……勘違いだけで大騒ぎなんだもん。嘘なんてつけないわね」
「そもそも、ナミの嘘はわかりやすいからなぁ……」
「……にゅーげーととは、もう、同じ部屋使いたくないわ」
必死で考えた精一杯の嘘を受けて、笑う。もし本気なら叶えてやっても良いんだぜ?
「なんだ、甲板で可愛がられたいのか」
「ニューゲートッ!!」
怒鳴るのと同時に口元を押さえて蹲るナミに、無理すんなと声をかけたが悪いのは俺だと周り中から叱られちまう。それでも口元がにやけちまうのは、愛する存在に囲まれているからだろうか。
「ニューゲート」
「ん?」
「もし、私が世界が欲しいって言ったら、どうする?」
「覇者になってやるよ」
家族との平穏な日常しか求めちゃ居ないが、それを〝家族〟が望むなら、話は別だ。勿論、望んでねェのも分かるから、そんなもん軽い口約束だがな。
どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだから。