頭を撫でてくれる手が突然止まる。どうしたのかなと思ったら、なんと私の尻尾がベックの腕に絡み付いていた。
慌てて解こうとするけど、離れない。グルグルと巻き付いてるそれは、何を主張しているのか。
自分の身体に生えてるのに、どうしてこうも上手くいかないのかな。解きたいのに上手くいかないからと、力任せに尻尾を思いっきり掴んだら、なんか痛かったのでちゃんと私の身体とリンクはしてるらしい。
「ごめんねベック!悪気は無いのよ!?」
「……ナミ」
痛みもあって涙目になって混乱する私の手を握り、ベックが優しく笑う。それから尻尾の絡んだ腕に私を座らせる形で抱き上げるから、慌てて首に抱き着いた。
落とされる事は無いとわかっていて、でもやっぱり少し不安になる。それは、ベックに愛されている事はわかってるけど、その愛情の種類が分からない不安に近いのかも知れない。
「ナミ、帰るぞ」
「ベック?」
「ナミの尻尾は、俺から離れようとしないからな。……それとも、何処か行きたかったか?」
私が落ち込んだのに気付いたのか、ベックは優しく問い掛けてくれる。ここで誤魔化したところで、ベックにはバレバレなのだから素直に伝えた方が良いのも分かってるのだ。
でも、尻尾がこれだと迷惑よね。だけど……と、悶々としながらベックを見上げて、清水の舞台から飛び降りるような心持ちで言葉を伝える。
「……測量、したいなぁって思って……。だめ?」
「構わねェが、それなら町外れの丘にでも行くか。ナミならそこで測量できるだろ」
「いいの!?ありがとう!」
嬉しくて抱き着けば、ベックの顔は見えないけど笑ったのは分かる。でも、こうして抱き着いてると寝ちゃいそう。
そんな事を思いながらスリスリと甘えていれば、ベックに小さく問い掛けられる。それは、少し予想外の言葉。
「離れてる間に何かあったか?」
「え?」
「知らない臭いがするからな」
「あのね……」
そうして猫になった経緯と、その後雄猫に追い回された事を伝えるとベックは黙って聞いていて……その後そっと頭を撫でてくれる。怖かったな、とか、頑張ったなって優しく言われるから、私もつい素直に頷いてしまう。
武器が一切使えないのは、本当に怖かった。海軍で頑張って来て、随分強くなったつもりだったのに。
「ベックにも、強がって見せて来たのに……最近、甘えてばっかりになっちゃったわね」
「いくら強がって見せても、俺には可愛いだけだ」
「私、結構上位役職だったのよ?」
本気で可愛いだけって思ってるのが伝わるから、ついむくれてしまう。私も結構上位役職だったんだから、そんな子供扱いしないで欲しいわ。
ベルメールさんにも褒められたんだから。優秀な出世株って!
「そうだろうな。覇気を使えるんだから、当然だ」
「それはね、理由から除外して貰ってたのよ。それよりも、ねぇ、ベック」
「ん?」
歩きながら……とは言え、歩いてたのはベックだけだけど、会話を続けていた私が名を呼び声を詰まらせればベックは不思議そうに首を傾げる。その様子が、妙に愛しい。
……そっか、私、ベックの事が好きなんだわ。ずっと兄とか、師匠だからって思ってたけど、本当はきっと、幼い頃から……。
でも、ベックから見た私は、可愛い妹とか弟子でしか無いのだろうとも知ってる。最初に俺にしとけとか言われたけど、あれは無茶をしようとする私への牽制だったとわかってるもの。
だから誤魔化す為に、視線を丘に向ける。測量が楽しみで、他には何も考えられないとでも言わんばかりに。
「丘って、あれ?」
「ああ、あれだ。ついでにな……」
そう言ってからベックが語ってくれたのは、この島に伝わる小さな伝説。それは、化け猫の話と鶴の恩返しを混ぜ合わせたような物だった。
それは心優しい青年が、怪我をしていた子猫を拾って育てる所から始まる。けれども後ろ足を片方ろくに使えない子猫は、看病の甲斐なく日々弱って行く。
そんなある日、子猫は忽然と姿を消してしまった。それから半年程たった時……青年が良く行く丘の上で美しい女性に出逢う。
ただ、嬉しそうに微笑む女性は、初対面なのにどこか懐かしく、青年が声をかけようとすると、ありがとうとだけ告げてその姿を消した。女性が去った後残されていたのは、子猫に青年がつけていた筈の小さな鈴がひとつ。
……その物語の丘が、この場所だと言う。それを聞いてついベックを凝視した私は、それからふっと笑ってしまった。
「大丈夫よ、ベック」
「ナミ?」
「私は、消えたりしないわ」
私の言葉にベックは細く息を吐き出して、そっと髪飾りをつけてくれる。それは、風が吹く度に小さく鈴の音を響かせる花を模した物。
寂しそうな顔をしていたから、私が消えるとでも思ったんじゃないかと感じてたのに、違ったのかな。この髪飾りは、何を意味しているの?
「ベック?」
「この丘で鈴を渡せれば……失わずに済む、と言うのがその話から生まれていてな。ナミを探している時、その話と共に販売していた物の中で、似合いそうな物を選んで来た」
優しく笑うベックに、私は首を傾げてしまう。だって、ここに来たのはある意味偶然なのよ。
そもそも、私が測量したいって言ったから来たのに。私が測量終えてたら、この丘に来る理由無くなるから、そうなったらこの髪飾りはどうするつもりだったのかしら?
「ベック、ここに来たの、偶然よね?」
「……っ」
「ベック?」
するりとベックの腕から降りて、丘に足をつける。そのままベックの顔を覗き込むように見上げれば、ベックの頬が赤く染ってるのが確認できてしまう。
あら、耳まで赤い。なんだろう、可愛い。
「……今日が無理なら、明日、理由を作って誘うつもりだった」
その言葉につい目を丸くすれば、ベックは誤魔化すように町並みに視線を向けてよく見えるぞなんて言ってくる。その様子がなんか珍しくて、策士策に溺れるってこんな感じかしらと笑ってしまう。
賢すぎる人の珍しい失敗に、でも、私は嬉しかったから失敗でもないのかなと気付く。そっとその腕に抱き着いて、頭を動かせば鈴が鳴った。
だからつい、その物語の猫になりきって言葉を向ける。大好きだよ、ありがとうって想いを乗せて。
「にゃんにゃんにゃん」
「ん?」
「きっとね、その猫はありがとうって言いたくても、大好きって言いたくても、それしか言えなかったから……最期に人の姿で伝えに来たのよ」
人の姿にならなければ、人に想いを伝えるのが難しいから。同じ形をしていたって、こんなにも難しいのに、猫の形ではきっと伝わらないと……そんなふうに考えたんじゃないかな。
伝わっていて欲しいけど、言葉にできるかできないかって、すごく大きな違いだから。言葉にしても伝わりにくいのに、鳴き声だけでなんて……本当に難しいと思う。
「ナミなら、そうしたか?」
「ううん。私なら、死ぬ瞬間まで傍にいて、死んでから夢枕に立つわ」
「……なら、安心だな」
「え?」
「俺はナミを、死なせない」
その言葉に本気の色を感じ取り、なら私はずっとベックの傍にいられるのねと思う。ベックが全力で私を守ると言うのならば、きっと私は海賊としては有り得ないほど長生きできる。
「そう言えば……ベックは、今日が猫の日だと知ってたの?」
「知らなかったな。知っていたら、もっと盛大に甘やかしてやったのに」
「これ以上甘やかされたら、溶けて無くなっちゃうわよ」
何言ってんの!と、言葉にしないまま伝えて、測量を開始すればそれをベックは邪魔する事無く傍に居てくれる。この場に突然敵が現れたとしても、きっとベックは私に傷一つ付けさせはしないだろうと信じられるの。
測量を終えると同時に抱き締められて、驚いて視線を向けるとそのまま抱き上げられてしまう。そのまま温泉でも行くかと問われるから、何も考えずについ頷いたけど……。
「温泉って、皆で?」
「ナミと二人で、な。……あっちに見えてる湯気、温泉街だからな」
「あ、やっぱりそうなんだ。あの山が火山だろうなって思って……って、ベックは私を甘やかし過ぎだっていつも言ってるのに!」
むうっと膨れてその髪に指を絡ませれば、ベックが艶やかに笑った。私は完全にじゃれついてる猫となっている。
愛しいのだと、その眼差しで伝えてくるから、私は呼吸さえ止まってしまいそうになる。指に絡めた髪の毛から、手を離す事も出来ないままに、私は真っ直ぐにその瞳を見詰めてしまう。
「今日が猫の日だと言うのなら、俺は俺の猫を甘やかしたい。俺だけの猫を独占したいと願って、何が可笑しいんだ?」
「わ、私は、ベックの猫じゃないわ!」
慌てて返した私の言葉に逆らうように、私の尻尾はベックの腕に絡み付く。私の言葉よりも雄弁に、ベックの事が大好きだと伝えてしまう。
「ナミが俺の猫じゃねェって言うなら、そろそろ俺の恋人になるか?」
揶揄われてるだけだと分かるのに、嬉しくて言葉を詰まらせればベックは静かに足を止める。それから、嬉しそうに笑うと私の頬にそっとキスを落とした。
ただそれだけで、自分でも分かるくらいに顔が熱を持つ。耳まで、熱い……。
「……もう少し、待ってやるから、焦らなくていい」
何も言い返せない私は、やっぱりまだまだ子供なのかな。少しだけ恨めしい気持ちになりながら、ベックを見上げてしまう。
結局その日は、ベックに甘やかされながらの温泉旅館でのお泊まりで、本当に手を出してこないベックに少しモヤモヤしてしまうのはワガママなのかな。それともやっぱり……枯れてるの?