足が何かについていないと言うだけで、人が恐怖を感じるのは当然である。つまり、咄嗟に目を強く瞑り身を硬くしたのは当然で……けれども、すぐ側に居たのはそれをそのままにしている人では無い。
腰に腕が回されたような気がした直後に、グイッと抱き寄せられて、縋るように目の前にあるものに掴まればそれはベックだった。でも、本当に怖かったのだから、縋るような眼差しを向けるのくらい許して欲しい。
「ナミ、大丈夫だ。俺からナミを奪うなんて事……誰にもできやしねェ」
「守って、くれる?」
「ああ、ナミが俺にそれを望むなら、な」
「私、何も返せないのに」
ベックの腕の中で風から守られながら、甘え切ってる私には本来守って欲しいなんて言える筈も無い。何より、死んだ事になっていたとしても、私は海賊を捕らえる正義の味方の海兵なのだから。
でも、ベックは私のそんな葛藤さえ分かっている様子で、私を優しく抱き締めているその腕を緩めたりはしない。そっと頬に添えられた手は、いつも私を守ってくれる苦労性な手で……それが愛しくない筈もないのよ。
「ナミは、分かってねェな」
「え?」
「甘えられるのが、俺にはご褒美だ」
「……何言ってんのかわかんない」
時々私とは違う言語使ってるんじゃないかって、シャンクスには思ったけど……まさか、ベック相手にそれを思う時が来るなんて。でも、本気なのは伝わってしまう。
だって、その眼差しが甘い。縋るようにしている私に、ベックの頬が分かりやすく緩んでるもの。
「ベックのアホー」
「ん?……ナミのショールに入ってるその刺繍は「ごめんなさい。ベックは賢いです!それに触れないでください!!」」
私の言葉を受けて肩を震わせるのは、本当に性格が悪いと思うの。大好きなのは間違いないけど、その、この年齢で付き合う……恋人になると選択した時、性行為無しってのは無理があるのは分かるのよ。
だから、躊躇う。だって、この身体を傷付けて許されるのかがそもそもわかんないし、性行為そのものが苦手だし……。
そりゃ確かに経験あるように見せかけようとしたりした事もあったけど、うろ覚えな前世の事なんて数に入る筈もない。その上で今は……この身体を傷付ける事に対する躊躇いは大き過ぎるのだ。
それでも、私はこの世界に生きている。どうしたらいいのか、自分ではもう判断できない。
「ベック……」
「ん?」
「大好き」
言いながらその背に腕を回して強く抱きつけば、ベックが固まった。このまま離れたくないと思うのは、私がベックに甘えてるからだわ。
叶うならばこのまま、何のしがらみも無い所へ行きたい。私は、自分が海兵である事を嫌だと思う事はないけど、海賊が嫌いとも思えないの。
世間一般的な海賊は大嫌いよ。滅べ!って心から思うわ。
でも、私はやっぱり、この赤髪海賊団のメンバーが好きなのだと思い知らされてしまう。でも、そうよね。
「シャンクスとベックが、私の原点だもの」
大切な師匠で、手のかかる子供みたいで、それなのに大人で、いつも甘やかしてくれる。優しい人達。
ちゃんと、残酷な海賊団だと分かってるけど、それはこの道を進んでる限り仕方ない部分でもあるわ。最低限しか人を傷付けない優しい人達は、既に盗賊を意味する〝賊〟ではなく、貴族を意味する〝族〟を使うべきじゃないかと思わされる程。
「私、シャンクスやベックが、この赤髪海賊団が、好きだわ」
「……この状況を鑑みて、俺だけを好きだと言って欲しかったな」
そう耳元で声を落とされて、身体がびくりと揺れる。だって、この美声でそんな事言われたらそうなるでしょ!?
咄嗟に身体を離してしまえば、その眼差しから逃れられなくなってしまう。私は、知っているのに。
……彼等が、優しいだけの人達では無い事を、知っているの。なのに、その激しくも素直に、そして何よりも苛烈に動く彼等の感情に包まれて、嫌うなんて選択肢を持ち合わせない。
その証拠に、ベックの眼差しから逃げる事さえ私にはできないのだ。でも同時に、その眼差しと愛情が痛くて、ツラい。
「ベック達は、この島に来た事があるの?」
話題をあからさまに変えた私に、ベックは気にした様子さえ見せずに頷く。彼等は既に行った事のない島を探す方が難しい程に、色々な所を回っている。
それを分かっていて、話題を変えたのは明らかなる逃避行動。だって、負けしか見えない戦いに自ら進んで飛び込む気にはなれないもの。
「ここは野菜が美味しい島で、野郎共にはつらい島だったらしくてな、前回は差程長くは留まらなかった。だが、今回は長くいるだろ」
「なんで?」
「多くの花が咲く島だからな。俺達の望む花が、綺麗に咲くだろうと予想できる」
皆が好きな花なんてのがあったのか。知らなかった。
今度この船で育てられないか検討して見ようかな。船の上で見られたら、喜んで貰えそう。
蜜柑の樹を育ててるんだから、その花が樹木だとしても育てられない事は無いと思うし、違うならプランターか植木鉢で育てたら良いだけだわ。シャンクスの髪と同じ色合いだとするなら、赤だよね。
赤で、春って言うと……薔薇とか、チューリップ辺りかな?
桜だと赤は少ないから……あれ、でも、あるわよね。赤い桜。
「
「ナミ」
「なぁに?」
「花の名前だろ?ナミだ」
「そんな名前の花は知らないんだけ……ど……?」
え、あるの?
そう思って見たら、ベックが大爆笑するから、もしかしてと思い至る。まさか〝花〟って、私って意味!?
なら、咲くって言ってたのは……。笑顔とか、つまり、喜びそうって意味だったの……?
「ベック……?」
「ナミは、花や鳥が好きだろ。花が多いから小鳥も多い。喜んでるナミを見られるなら、野菜メインの生活でも誰も文句は言わねェよ」
「皆が、私を子供扱いするのはどうにもならないのかしらね」
「……大人扱い、してやろうか?」
その言葉と同時に腰に回された腕。そのままグイッと抱き寄せられてしまえば、つま先がかろうじて甲板に着いているだけとなってしまう。
そのまま目の前に迫る整った顔が、静かにその目蓋をおろすから、慌てて肩を押してみるけど力で叶う筈も無い。そのまま重なった唇が、不快でなく、寧ろ心地よく感じる自分がなんだか浅ましくて……泣きそうになってしまえば、そんな私に気付いたのか静かに唇が離れた。
「大人扱い、されたかったんだろ」
「……子供でいたい」
言葉にした瞬間に、頭に乗せられたら大きな掌。それが髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら撫で回してくるから、酷いと膨れてみせる。
そんな私にベックは優しく笑って、後で測量しつつ散策に行こうと笑いかけてくれた。だからそれに頷いて、でも、荷物を纏めるためにって言い訳で部屋に戻り1人になれば、今のキスの意味を考えて床に崩れ落ちたのは許して欲しい。
答えを出せずに、まごまごしてる私に対する含みがあるのか。それとも、本気で大人扱いしてみせただけなのかな。
どちらにしても、私も本当は分かってる。いつまでも答えを先延ばしにしはできないんだって。
それでも、もう少しだけ、子供のままで甘えていたい。立場が変わっても、変わらずに受け入れてくれた皆との関係性を壊す事が……私には怖かったのだ。
春が来る。強風により、運ばれて来る。
その春を告げる強風に煽られて、私自身が消えてしまうような……そんな気がしてしまうの。出掛ける準備を終えて甲板に出た私に、手を振り笑顔で迎えてくれる皆がいて、だからこそ……この場から離れる事が、今の形が壊れる事が怖いのよ。
「ナミ、行こう」
「狡ィ……俺も行きたかった。……ナミ!次は俺と行くぞ!な!?」
ベックが手を差し出せば、私がその手を取るより早くシャンクスがそれを掴んで騒ぐ。その様子に頷いて、そうよねと思う。
「そうね、それなら私船番してるから二人で行ってきても良いわよ?シャンクスもベックと離れたくないわよね。気付かなくてごめんね」
「……五歳の時から脳内成長してねェのか、ナミは。お頭と二人で、手を繋いで島を巡る趣味はねェぞ」
「そう言う意味か!?いや待てナミ、俺が行きたいのはナミとなんだよ!」
「……?測量は、今日だけで終わると思うの。だから、別な日に出かける必要性を感じないわ」
「……お頭、諦めろ。な?」
ヤソップがベックからシャンクスを引き離しつつそう言えば、ルーが行って来いと笑ってくれる。それに行ってきますと笑顔で答えたら、ベックに横抱きにされて船を降りる事になった。
「……自分で、降りられるのに」
「スカートだったからな。俺が、誰にも見せたくなかった」
「今度から、パンツスタイルにするわ」
「海兵さんの時の服装に近くなっちまうぞ」
その言葉で息を飲めば、ベックは笑う。そして、私を腕から解放しつつ囁くように言葉を落とした。
私が自由を求めればそれを叶えてくれるのに、私が離れる事は許さない。私が困れば助けてくれるのに、私が帰ろうとする事は許さない矛盾な人。
「俺が抱いて降りたいんだ。楽しみを奪うな」
「……ベックは、変な趣味してると思う」
可愛くない言葉を口にした私に、ベックは楽しそうに笑いながら歩き出す。島の外周を1周するのかと思ったら、何故か中央を目指して進むから慌てて追いかければ立ち止まってくれるその気遣い。
それが嬉しくて、そっとその腕に手を伸ばした時、吹き付けたのは恐ろしい程の強風。フワリと浮かび上がる私を、それまでのゆったりした動きとは明らかに異なるそれで動いて……逞しいその身体に抱き締められてしまえば、呼吸さえ止まってしまいそうになる。
「ベック、ありが「春一番が春を連れて来る風だと言うのなら、俺からナミを奪わないでくれよと思う。春の女神を思わせるナミだからって、風が俺の春を奪わないでくれ」」
お礼を告げようとしたのに、苦しそうにそんな事を言われては……それ以上、声は出せなかった。ただ、震えるその腕が……ベックが本気でそう思っているのだと伝えて来るから、だから私は、その背中に腕を回す。
これが、慰めなのか、愛しさなのか。今の私には、明確な答えを出せそうにはないけど……私はここに居るよと、伝えたかったの。