イメージとしては、魔法学校の先生です。
今までにも色々な仕事を請け負った、金持ちの女から亭主が浮気しているのではないか、その相手を突き止めて欲しいというものがあれば、事業相手の弱みを握っているのだが、その確たる証拠が欲しいとか、つまるところ、簡単そうにみえるものから、法律に違反しているものまでと色々だ、下手をすれば自分にも危険が及ぶのではというものもあったが、仕事のえり好みをしなかったのは自分が完全に正義人間ではないという自負があったせいだろう。
エリックとの長い付き合いから、正義が時としていかに残酷なものであるか知っているせいかもしれない。
しかし、今回の彼からの依頼は最初は理由がわからなかった、仕事に夢中で世間の事を知らなかったというのもある。
エリック・ルイーズという男は自分と同じくらい顔が醜いと言われて、ただ、その事だけに興味があるのかと思ったのだが、調べていく途中、様々な事がわかってきた。
半年ほど前に彼の芝居が上演されたが、それほど噂になることはなかった、気になるのはその舞台でヒロインが歌うのだが、エリックが気になっていたのは歌だという事がわかった。
「私が作ったといったら」
調べて欲しいと言われてから一ヶ月が過ぎた、その日、アパートを訪れたナーディルは、調べた事を報告した後、そろそろ本当の事を話してくれてもいいのではと真面目な顔で尋ねた。
最初のうち、エリックはただの好奇心だと言っていたが、鵜呑みにしていたわけでも素直に信じていたわけでもなかった、多分、聞かれると分かっていたのだろう。
「紅茶、いや、珈琲がいいかな」
「珈琲だ、それで、エリック、彼の何が気になるんだ、顔の事ではないんだろう」
「まあね、彼の作った舞台の中で歌われる曲だよ」
「歌、舞台、待ってくれ、彼は音楽家なのか」
ナーディルが驚いたのも無理はない、この一ヶ月あまり、色々と調べていたが、そんな仕事をしていたなどという話は出てこなかったからだ。
「一、いや、二年前になるかな、舞台の人気は、それほどではなかったようだ、ただ、その舞台で使われる曲だ」
「君は音楽家だし、気になるのかい、素晴らしい曲なのかな」
話が予期しない方向に向かっていると感じてナーディルはカップに口をつけたが、相手の言葉を聞いた次の瞬間、吹き出しそうになった。
「私の歌だ」
正直、理解できなかった、いや、意味がわからなかったといってもいいだろう、つまりエリックが作ったということだろうか。
二人が知り合いで接点があるなら可能性があるなら可能性はなくもない。
「君は彼を、エリック・ルイーズを知って、知り合いなのか」
まさかと思いながら尋ねたが、いいやと即答され、わからなくなった。
「よくあるじゃないか、小説でも似たような内容のものがあるだろう、いや、これは例えばだが、その男が君の書いた楽譜を手に入れ、それを発表したとかいうなら」
「地下は廃墟といってもいい、全ては灰だ」
「だったら、偶然だろう」
「歌詞もか、納得できない」
それがどういう意味なのか、正直、わからない。
「では、これ以上、何を調べればいいんだ、本人に直接、聞けとでもいうのかい、君は」
勿論、口にしただけで、そんなつもりはなかった、だが、この言葉にエリックは、しばし無言になった、自分はもしかしてまずい事を言っただろうかと思った、その時、思いもがけない言葉が相手の口から聞こえた。
私が直接、聞けばいいんだ、と。
探していた人物が見つかったという報告を受けた時、半ば諦めかけていたエリック・ルイーズは喜んだ。
誰も居場所を知らないと言われ、もしかしてパリには居ないのではないかと思ったのだ。
だが、諦めきれずに金を出して人を雇った、探偵だけでは限界があると思い、裏社会の人間にも金を惜しまずに出した。
そして十日ほど前、それらしい人物がノートルダム寺院にいると分かったのだ。
父親が世間を騒がせたという罪で絞首刑になったことなど知らなかった、そして彼女は事故でずっと目を覚ますこともなく寝たきりだったこと。
報告をしてきた男は、まっとうな人間ではなかった、だから探し出せたのかもしれない。
寺院の外で会う事を伝えて貰ったが、もしかして自分の事は忘れているのではないかとエリック・ルイーズは考えた。
ノートルダム寺院にいるということだけで、詳しい報告はなかった、寺院や教会というのは秘密主義だ、国や警察では介入できない部分もある。
時計を見る、約束の時間まであと少しというとき、雨が降り始めた、すぐ側の木の下に移動して雨をしのごうとしたときだ、ムッシュウと呼ばれた。
被っていたフードを取った瞬間相手の顔を見てエリック・ルイーズは困惑した。
「あなたが」
まるで、確かめる様な口調で声をかけたのも無理はない、初めて彼女と出会ったとき彼女は黒髪だった、だが、目の前にいる女性は真っ白で肩口までしかない短さで肌も白い、自分の記憶の中にある彼女とは別人だ。
女は不思議そうな顔で、じっと見ている、そしてわずかに目を細めて近寄って来た。
「あなた、エリック」
名前を呼ばれた瞬間、ほっとした、近寄ると女の両手を取ると握りしめた。
舞台公演が決まり、切符を送ろうとしたが、何故か住所不定で届かず、引っ越した先を探そうとしたが分からなかったこと、矢継ぎ早に話しかける男の顔を女は、ただじっと、いや、呆然と見ている。
「貴方の顔、見たことがあるような」
ああ、こんな顔、一目見たら忘れられないだろう、化け物みたいだから、だが、今はそのことに感謝せずにいられなかった、女は自分を、じっと見ている、その顔に嫌悪や怖いものでも見るような畏怖の表情はない、男は初めて会ったときの事を思い出していた。
「今は寺院にいるんだね」
「ええ、司祭様の好意で」
時間はあっという間に過ぎてしまう、仕事の合間に出てきたので帰らなければという女の言葉にエリックは肩を落とした、聞きたい事が沢山あるのにと思いながら、今度、また会えるだろうかと尋ねると女は困った顔をした。
人は激しいショックなや病気や怪我で容貌が変わる事もあるらしい、彼女の髪が真っ白になったのも顔色も怪我をしたせいなのかもしれない。
数日が過ぎた。
寺院の人間に金を渡して呼び出しを頼んだが、何故か皆が断る、何故、彼女が会いたくないと思っているのだろうかと思ったが、あの時の別れ際の様子から、そんな素振りは窺えなかった、だが、調べているうちに司祭の命令だということがわかった、父親が絞首刑になった後、バスティーユに送られることになっていたらしい、罪人なの娘だという理由で。
しかし、それを理不尽だと言って救いの手を差し伸べたのが、司祭のフロローらしい
寺院の最高権力者だ、彼の機嫌を損ねれば自分の方が大変だとわかっているので、誰も口を出す者がいないらしい。
会いたいと思っても方法がないことにエリック・ルイーズは激しい苛立ちと怒りを感じていた。
目が覚めた瞬間、ああ、夢を見ていたんだと思い再び目を閉じた、二度寝しても大丈夫、今日は日曜日、休みだからと思いながら目を閉じた、そのとき、ゴオオーンッという、まるで寺の鐘の様な音が響いた、目覚ましでない事は確かだ、ベッドから起き上がろうとして体の節々が痛い事に気づいた。
「ああっ、よかった」
その声に視線を視線を向けて起き上がろうとすると支えるように肩に手が回された、同時に香水のような甘ったるい匂いがして驚いた。
「嬢や、大丈夫、貴方はバスティーユに、地獄になど行かせませんよ」
女性の声に驚いた、嬢やって誰、バスティーユって、もしかして、あのパリの監獄のことだろうか、いや、これはまだ夢から覚めていないということだろうか。
自分に話しかけてくるのは金髪の美女だ、アパートの一人暮らしの自分に外人の知り合いなんていない。
「あなたは、誰ですか」
その言葉に金髪の美女は驚いた顔をしたが、すっと立ち上がると先生をお呼びしてと、まるで芝居がかった女優の様に急いで部屋を飛び出していった。
「何も覚えていないんですか、まさか、そんなこと」
医者だという男性が部屋に入って来て質問をするが答えられない、それよりも家に帰りたいと言うと驚きと同時に哀れむ様な目を向けられた。
「あなたは眠り続けていたのです、三年もです」
「三年、嘘、いや、夢でしょう」
「いいえ、本当です、信じられないかもしれませんが」
現実なんです。
その言葉が信じられず彼女は目を閉じた、いや、もう一度寝て今度は、ちゃんと目を覚まそう、そうすれば自分の部屋、アパートに戻っている筈だと思ったのだが、目が覚めても、そこは自分の部屋でもなかった。
そして部屋に入って来たのは白い衣を着た黒髪の男性だった。
ノートルダム寺院で司祭を務める、ジャン・クロード・フロローと名乗る男性は体の具合でも悪いのか、顔色も悪く表情も暗い。
父上が絞首刑で死んだ今、娘の貴方は普通ならバスティーユに送られる事になると話し出すのを聞いて正直、冗談はよし子さん、なんて大昔のギャグを口にしそうになった。
洋画か好きで海外の事とか多少の知識はあったのでバスティーユがどんなところか分かっている、貴族達でも入ったら二度と出る事はないだろうといわれる監獄だ。
「そうですか」
教会の人間が言うなら、それはもう決定事項なんだろう、嫌だと言っても投獄されたら出てこれない、酷い目に遭わないうちに牢獄の中で首でも吊って死んだら、今度こそ本当に目が覚めて現実に戻れるかもしれない。
私は驚いた、絞首刑になった男、マルキ・サルヴァーナは破廉恥な文章を書く物書きだ、女だけでなく同棲とも淫らな関係を持って、それを赤裸々に本として出していたのだ。
悪い噂もあり、絞首刑が言い渡されても当然だ、だが、娘がいたとは。
父親と同じ、ふしだらで身持ちの悪い女なのだろうと思っていた、ところが彼女は怪我をして病院で長い間、三年も眠り続けていたという、それなら一度、いや、私自身の目で確かめなければと思ったのだ。
真っ白な髪、顔色も、病み上がりといった感じだ、それなのに何故か、不思議と目が離せず、それどころか、思ってしまったのだ、綺麗だと。
本来なら、娘の貴方はバスティーユに送られると伝えると彼女は私の顔を見て頷いた。
「そうですか」
返事は、あまりにもあっけなく、疑問を抱かずにはいられなかった、死を宣告されたのだ、分からない筈はない。
次の瞬間、貴方を、よければ寺院で引き取ろうと思う、自分の口から出た言葉に自分自身が驚いた、バスティーユの管理人には金を渡せば何も文句は言わない筈だ。
女は無言だが、驚いているのがはっきりとわかった。
そしてフロローはといえば、まるで、その視線から逃げる様に顔をそらすと迎えを寄越すと小声で呟き、逃げる様に部屋を後にした。