「ねえっ、知ってる、あの噂」
一人の修道女が周りを見ながら仲のよい女にひそひそと囁いた。
「司祭様の事でしょ、駄目よ、噂話なんて品がないわよ」
娘は少しまずいと思ったのだろう、だが、好奇心を押さえることに我慢ができなかったのだろう、話をやめようとはしなかった。
「愛人なんでしょう、司祭様はバスティーユの役人に金貨を払って」
「あんたね」
やめなさいと注意しようとした女の表情が固まった、いや、それだけではない、青ざめた顔色に忠告しようとしたが遅かった。
「どんな噂だね」
冷たい声に振り返った女はまずいという顔になったのも無理はない、そこには噂の人物が立っていたからだ。
昼間でも薄暗い寺院の中だが、司祭の表情と感情は、はっきりとわかる、不快と言わんばかりだ。
「嘆かわしい、救済した事を、そのように湾曲し、噂するとは」
「お、お許しください、フロロー様、悪気があって言ったわけでは」
「嘆かわしいことだ悪意がないなら、全てが許されると」
声の調子こそ普段と変わりない、だが、その目は冷たさに二人の女は絶望しか感じられなかった
「出て行きなさい」
その言葉、冷たい声に謝っても無理だ、懇願しても、二人の女は、その日のうちに寺院を追い出されることとなった。
寺院の人間は皆、驚いたが、おしゃべり好きな若い娘、それも貧民街からやってきた娘二人の所在など気にする者はいなかった。
「あんたのせいよ、なんで、あたしまで」
「もう、仕方がないじゃない、追い出されてしまったんだもの」
無一文で寺院から放り出されてしまっては一夜の宿を取ることもできない、その晩、二人の女はスクリブ通りに立つことにした。
正直、野宿は避けたかった、できるなら家持ちの、だがそれが無理なら宿を取ってくれる金のある男を掴まえれば暖かいベッドで眠る事ができる、体を売る事など寺院に来るまでは平気だったし、来てからも若い修道士と熱い夜を何度も過ごしたのだ。
「ねえっ、あたしたち二人で相手をしてあげるわよ、天国を見させてあげる」
一人の男が近づいてきた、笑みを浮かべて二人に差し出した手には三枚の金貨が握られていた。
それを見て二人の女は満面の笑みを浮かべた。
「ねえっ、旦那さん、お名前は」
すると男は二人に向かって笑いながら小声で答えた。
ジャック、自分の名前はジャックだと。
ナーディルに頼んだところで、その結果に満足するとは思えない、ならば自分で動くしかないだろう、幸い事にエリック・ルイーズの住居はわかっている、直接、会いに行こう、そして聞くまでだ、芝居のこと、歌のことを全て。
返答次第では報復も辞さないつもりだった。殺人は二度としないと誓ったが、それは時と場合による。
顔の醜さは問題ではないというが、それは普通の人間だからいえることだ。
その日は珍しく朝からの外出となった。
まずは自分の目で男を確かめておきたいと思ったからだ。
男の自宅近くまで来たとき、まさかと思えるような偶然が起こった。
エリック・ルイーズ、男の姿を見つけたのだ。
帽子を深く被っているが、焼けて変色したような赤黒い膚の色は隠せない、すれ違う人間は驚いた顔をするが、それも一瞬だ。
中には顔見知りなのか、ご機嫌ようと挨拶する者もいる。
服装や手にしたステッキから、普通の人間よりはいい暮らしをしているのだろう、だが、事前の調べから人を雇い自宅で仕事をしている為、外出はあまりしないのではなかったか。
そんなことを思っていると広場で男は立ち止まった、周りには人が集まっている、ジプシー達が踊っているのだ、歌も、そして暫くすると人形芝居が始まった。
まるで、化け物様な醜い顔をした男は恋をした、舞台の歌姫に。
詩人が楽器を鳴らし歌い始めた。
女の為に男は必死になった、だが、歌姫に恋人が現れると。
なんだ、誰が、こんな話を、芝居を作ったんだ、最期まで見続けるのはできない、立ち去ろうと思ったが、足が動かない、視線は釘付けだ、そして、最後まで。
人形芝居の最後、歌姫は戻ってきた、醜い男の元に、恋人と共に暮らす事を決意したのに、そのことに満足できなかったのか。
もしかして、夢と現実の違いに気づいたのか、自分の傲慢さに別れた男の愛情を改めて感じたのか、自分の元に戻ってきた彼女に男は決断を下そうとした。
人芝居は終わった、まんじりともしない気持ちで自宅に戻ると、迎えてくれたのは友人だ、そして予想もしない言葉を投げかけた、会う気があるかいと。
「エリック、彼女がパリに戻ってきた、君に会いたいそうだ」
まるで、芝居の続きを観ているようだと思ったのも無理はない。
「駄目ですよ、本当に、司祭様に怒られます」
その女は自分はただの下働きなんですと繰り返す、だが、その視線は男の手を期待に満ちた眼差しで見ていた。
「仕事が終わると夜は二人で遅くまでフランス語の勉強をして、外国人でしょう、だから司祭様は親身に、でも昼間なら外で洗濯や掃除、買い物にも出かける事もあるんですよ、週に何度か」
男は隠し持っていた袋を軽く揺らした、その音に女は目を見開いた。
「確かなのか、買い物には、いつ」
「週明けと末には、でもね、旦那さん、あの人、司祭様のお気に入りなんです」
女の表情を、その後に続く言葉をあえて男は聞こえないふりをした。
お気に入りなんですよ、それが、何を意味するのか、分からない自分ではない、聖職者といえど人間だ、だからといって。
その夜、男は夢を見た、二人の男女が抱き合っているのだ、白い聖職衣を纏った男の顔を見ようとして男は驚いた、聖職者の顔は自分だったのだ。