空を見上げ月の位置を確認すると、そろそろ宿に向かわねば時間になるかと思い立ち上がる。そのままナミを呼ぶ為にドアを開ければ、その瞬間珍しく俺の胸に自ら飛び込んで来たナミを無意識で抱き止めていた。
甘えるように擦り寄ってきたナミに、珍しい事もあるものだとその頭を撫でながら、出掛けるぞと声を掛ける。するとナミは、突然正気に返ったような顔で俺から離れて中に駆け戻って行った。
腕から消えた温もりに少し寂しいと思った等と口にできず、早く帰れと僅かな距離が憎くなる程だ。だと言うのに、何故ナミの香りだけが残るのか。
身支度を整え戻ったナミは、寒さ故かいつもより厚着だ。そのナミの首からは、俺の渡したナイフが下げられておりそれに満足する。
そんな俺にナミは僅かに顔を赤らめて、良かったと呟く。それの真意が分からずに見詰めれば、嬉しそうにはにかまれる。
「何がだ?」
「サイズ、合ってたみたいで」
ベストと呼ぶかチョッキと呼ぶか微妙な所に位置する毛糸の衣服を、マントの下に着ているのを気付かれていたらしい。だがナミが俺の為にと作ってくれた物を、着ない筈もあるまい。
「いつも俺の体に触れている主の感覚が、間違う筈もなかろう」
「その言い方、なんか嫌だわ」
「俺自身よりも、主の方が俺に触れているだろう。即ち、世界の誰よりも俺の体に近しい存在であるという事だ」
「だから!その言い方辞めて!」
怒りと羞恥で顔を赤く染めたナミをこれ以上揶揄うのは良くないかと判断して、片腕で抱き上げると宿に向かい歩き出す。それに対してナミは何処へ向かっているのかと不安そうに聞いてくるから、今宵は宿を取ってあるとだけ伝える。
「1応言っとくけど、1日はそういう事しちゃダメなのよ」
「ナミは温泉が好きだろう。良い宿があっただけだ。心配するな」
「温泉!?ありがとう!ミホーク大好き!」
現金な物だと抱き着いてくる温もりに思うが、これだけ喜ばれるのならばそれもまた良いかと思わされる。宿に向かう途中で、駄菓子や小物を売っている店を見付けると、ナミが懐かしそうにその瞳を細めた。
「何か、買うか?」
「おはじきとビー玉が欲しいわ。見てもいい?」
「構わぬ」
言葉と共に降ろしてやれば、店に入り色とりどりのガラス玉を手にしている。時折ナミは死者を見るような眼差しで、世界を見る事がある。
郷愁と呼ぶには強過ぎるように感じさせるそれに、何を抱えているのかと思わなくも無いが……ナミが喜ぶならば細かい事はどうでも良い。選んで購入したらしいナミに、小さく笑うと再び腕に抱き上げる。
自分で歩けるのにと言うナミだが、そんな事は分かっている。寧ろ逃げ足の速さを思えば、歩かせたところで問題は無いだろう事も。
だが……。
「俺がナミを抱いていたいのだ。気にするな」
「……えっと、あの、はい」
真っ赤に染まり切ったナミはそう言ってから黙ったので、宿までの道を歩く間は特に変わった事も無い。これが冬でさえ無ければ、もう少し会話もあっただろうかと思う。
紅葉や花、新緑の時期であったならば……。その時不意に赤い物にナミが反応した。
「椿ね。綺麗」
「……確かに、美しいな」
喜ぶ主の顔がとは、言えなかったが伝わったようでナミは顔をそっと背けた。そして、思い出したように呟く。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花って、美しい人をあらわす言葉があるのよ」
「……どの花もナミに比べれば見劣りする。何故にそんな適当な花を選ぶのか」
俺の素直な言葉にナミは黙り、それから暫しの間を置いて天然タラシがァ!と怒り出した。なんだと言うのか。
その言葉の途中、勘違いさせられたら、どうしてくれるのよと呟いていたが、その真意が理解出来ぬ。勘違いとは、なんの事か。
宿に着く頃にはナミの怒りも落ち着いていた。ナミは離れへと案内される前にと本館に用意されていた和服に着替えさせられている様子で、俺は窓の外を眺めつつ出て来るのを待っている。
雪は恐ろしく積もりそうだな。何日か連泊するか。
そんな時、俺にも着替えろと宣う阿呆が現れた。……何故着替えねばならぬ。
「断る」
「え?あの?」
「アレに貰った服を脱ぐつもりは無い」
「……畏まりました」
だがナミが着替えて来た姿を見れば、揃えてもよかったかと多少思った。それにしても、装い1つで随分と華やぐな。
「似合うな」
「そう?髪の色を考えたら、ミホークの方が似合うと思うけど……ありがとう。こんな可愛い浴衣着るの久し振りだわ」
「ゆかた?」
「和服の種類よ。館内着だから振袖とかじゃないのね」
説明が長くなると感じて、俺はただそうかとだけ呟くとナミの姿が愛らしいと素直に伝えるに留める。そんな俺にナミは恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに微笑むから間違っては居ないのだろうと判断した。
離れに到着すると崖の上に反り出すように建てられているそれにより、見晴らしは恐ろしく良い。とは言え反り出している部分はバルコニーでしか無く、足湯が有るだけなのだが。
離れの中に到着するとナミは嬉しそうに、懐かしそうに歩き回り、温泉に入ってくるわと言って去って行った。アレは疲れ果てた老婆なのかと時折思うが、基本的な反応は可愛らしい無垢な生き物である為に悩まされる。
マントを脱いで座椅子に腰掛ける為に夜を近くに立て掛けてから茶を入れれば、机の上に饅頭が置かれているのに気づいた。よく見ればナミの文字で夕飯迄の繋にどうぞと書かれており、ガラス玉と共に購入していたのかと思い至る。
茶と共に座椅子の方へ運んで食べていれば、ナミが風呂から出て来た。そして、饅頭を食べている俺を見て、楽しそうに笑う。
「私はミホークが甘党だなんて、1緒に過ごすようになるまで知らなかったのよ。公式で、そんな情報あったのかしらね?」
「よく分からぬが、ナミが俺に甘い事だけは間違い無かろう」
「そりゃそうよ。私は、ミホークの事を愛してるもの」
そのような事を恥ずかしげも無く口にして笑ってから、ナミは俺が机だと思っていた物に何やら布団の様な物をかけて、嬉しそうにその中に足を入れる。俺への愛を語りながら、その行動は伴わない。
俺を愛しているならば、傍に来いと言いたくなり、何とか飲み込む。代わりに布団を机にかけているそれが何かを問う事にした。
「それは、なんだ?」
「炬燵よ。押入れに炬燵布団があったから、持ってきたの」
「……そうか」
説明になっておらぬとでも言おうものならば、コタツとやらの仕組みと成り立ちと歴史を語られるだろうと思い、とりあえず黙る。そしてナミの言葉を揶揄するように口を開く。
「俺も主と過ごすようになるまで、主が学者肌とは知らなかった」
「……私を以前から知っていたの?」
「犯したあの時の出逢い以前は知らぬが、その後離れてから少し調べた時にも、それ以前も特にそのような情報は無かった」
「……嗚呼、そういう事。て言うか、犯した発言そろそろ辞めて欲しいんだけど」
呆れを隠さぬ瞳が俺を映す。その瞳に時折影が落ちるのは何故なのか。
「事実だろう。あの時の俺がやった行為を他の男がしたら、斬り殺すぞ」
「……出来るなら、そうなる前に助けに来て、穏便に済ませて貰えると助かるわ。私……無駄に血を見たくないもの」
何故かナミはホッとした様子で言うから、俺はそれに少し笑う。何を隠しているのだとしても、主が俺のそばに居るのならばそれだけで構わぬ。
お人好し発言を辞めないナミに多少の呆れはあるものの、それがナミだと分かっているからそれ以上の事は特に思わぬ。今後は、俺が傍にいるのだから、そもそも襲える者等皆無に等しかろうがな。
座椅子から立ち上がりナミのいる炬燵へと夜を片手に移動すれば、ナミが楽しそうに笑う。そして、俺が夜を傍に寝かせるように置くと夜を愛しそうに見詰めるからどうしたのかと視線で問い掛ける。
「いつも、ミホークを護ってくれてるんだから、何かお礼しないとって思っただけよ」
「……剣に、お礼?」
「初心者の私じゃこんな大物研げないし、鞘なんて邪魔だろうし、どうしたら良いかしらね」
「……祝福でもしてみるか?」
俺の言葉にナミはクスクスと笑うと、ミホーク以外に口付けしても良いの?なんて挑発的に笑うのだから末恐ろしい。俺の半分程しか生きていないか弱き者でありながら、その心力の強さにはいつも魅せられる。
そんな俺の心を知らず、ナミはこの姿だと舞えないわなんぞと呟きながらそっと夜に形式ばった動きで触れて、その剣先に口付ける。それから、今年もお世話になりましたと囁くように言葉を口にした。
それから共に酒を楽しみ、蕎麦を食べ、鐘の音を楽しむ。初日の出が顔を覗かせる頃に起こしてやると言って寝かせようとしたが、俺の胸に頭を乗せた形で落ち着いたナミはそれを拒絶する。
「ミホークと、こうしていたい」
「……構わぬが……まァ、寝たくなれば眠ると良い。その時は起こしてやる」
言葉を返せば嬉しそうに微笑み、俺を見詰めるナミに、これだけ甘えておきながら触れるなとは悪魔かと少し思う。決まり事を守る海賊が、いてたまるかと思わなくもない。
だが、ナミを悲しませる事は本意でない為に、ただ甘えて来るナミの髪を梳くように手を動かす。それを気持ちよさそうに受け入れ、ナミは他愛ない言葉を紡ぐ。
それを聞きながら過ごす時間は、ナミと出逢う迄は経験した覚えの無い程に酷く優しいものだ。この時微かにナミが震えていた理由を問い質しておくべきだったと思う事になるのは、少し先になってからの話だ。
空をふと見れば白み始めており、ナミを促してバルコニーへと出るとナミと共に足湯につかる事にした。それにより悪魔の実の能力者でもないのに、力が抜けたらしく、ナミはふにゃんとした顔をしている。
「お風呂は1日には入らない地域が多いけど、足湯なら別よね。ありがとう、ミホーク」
「こうでもせねばナミは風邪をひくだろう。主が苦しむ姿は、いかな理由であろうとも見たくはない」
「……ありがとう……」
俺の言葉に顔を俯かせたナミは礼と共に顔を赤く染めるので、まさか熱でも出たかと焦る俺に嬉しかっただけよなんて言う。その表情が穏やかだからこそ、俺は漸く息を吐き出せた。
朝日が、初日の出が目の前に顔を覗かせる。陽光の温もりを感じられる程ではないが、横に居るナミがそれに照らされている姿はなんとも言えず尊く思えた。
「Happy new yearナミ。今年もよしなに頼む」
「えぇ、明けましておめでとうミホーク。迷惑かけてばかりだけど、見捨てないでね」
「主は自己評価を改めろ」
思わず溜息を落とせば、ナミは笑い、穏やかな声で言葉を口にする。ぬるま湯のような発言の多いナミを、そうと分かって望んでいるのだから、それを変えさせずに居られるだけの強さは保たねばと思わされる。
「今年がミホークにとって、素敵な年であればいいわ。私はその為なら、何でもするつもり」
「ナミが隣にいれば、それだけでその願いは叶う。傍を離れるな」
そっと隣にある温もりを抱き締める。守れる距離にいればと言うだけならば、そこそこの距離はあるのだが手の届く範囲から離したくはないのだ。
常に触れていられる距離にナミが存在している事、それが俺の幸福なのだから。愛しい温もりに、頬が自然と緩むのを感じる。
Happy new year……今年と言わず永き年月、共に過ごせたならばそれが何よりの幸福だと男は女に囁きかける。女はそれに頬を染め、瞳に涙を溜めて、何度も無言のまま頷き返した。