カチコチ、チクタク、と、音が聞こえる。ナミから貰った懐中時計が奏でるそれを聞きながら取り出せば、再会してから現在までの事を鮮明に思い出せた。
苦しい期間は長かったが、それでも今は幸福だと胸を張れる。なのに溜息が落ちるのは、ナミが俺を見てくれないからだろう。
「ナミー……」
呼び掛けても反応は無い。別に喧嘩したとか、怒らせたとかではない所が逆に問題だろう。
今は俺ではなく、机がナミの恋人だ。その証拠に顔も少し赤い。
「お頭、船がカビそうだからジメジメすんなよな」
「気落ちしてるからってカビてたまるかっ!」
ナミと二人の部屋なのに、当然のように入って来たルーにそう言われて怒鳴ればケラケラ笑ってトレイを差し出された。それを受け取れば、続けて入って来たベックが俺の手にある物を見て無言で立ち去ろうとする。
「待て待て、何だよ?」
「ナミにルーが用意したなら、これは俺が消費するから気にしなくていい」
「それなら、そっちは俺が貰うから置いといてくれよ。俺もそういや腹減ったし」
俺の言葉に困ったような顔をするベックだが、見慣れない奴はこれを不機嫌だと思うらしい。そういう意味ではベックも難儀だよな。
「……蜂蜜入りの牛乳だぞ?」
「今はなんでも構わねェ」
俺の言葉にベックとルーは笑い、良いから置いて来いと言われちまう。その言葉に従い、机の端に置いてみればそっとナミの手が伸びてホットミルクを口にした。
それに胸を撫で下ろしてそのままナミを見ていたら、背後から首に腕を回されそのまま部屋を連れ出されちまう。何事かと犯人たるベックに視線を向ければ、ルーから言葉が向けられた。
「腹減ったなら、普通に食いに来いよ。ナミに合わせて部屋に引きこもるなって」
「だが……」
「お頭からキノコが生えても困る。自給自足できるのは理解したから、大人しく飯食ってくれ」
言葉を紡ごうとした俺のそれに対して、ベックの酷い言いざまにより相当心配させてるのだなと気付く。そんな俺を食堂まで連行して椅子に座らせたベックを確認してか、ヤソップがトレイを運んで来た。
「本当に、ナミを世界の中心に置くのやめとけよ。ナミは机に向かってる時と、海相手にしてる時は、通常とは別人と思って諦めとけっていつも言ってんだろ」
「諦められるか!全て引っ括めて、俺の愛しくも可愛い女神であるナミなんだよ!」
そう言って反抗しつつも、用意して貰った食事は有難く食わせてもらう。そんな俺に皆が笑って、そんなに離れ難いなら戻れなんて冷やかされちまった。
笑い声に背を押されつつ部屋に戻れば、机に潰れるようにして寝ているナミがいた。しっかりと寝ているように見えるが、このまま俺が傍を離れれば数分で目覚める事を知っている。
それも、悪夢に苛まれて飛び起きるのだ。ならば傍に居て、ゆっくり休ませたいと考える事は何もおかしくはないだろう。
ベッドに運ぼうと抱き上げれば、大変に良い香りが俺を誘うが、ここで襲ったら冗談抜きで縛り上げられる未来が見える。仕方ないからとそっと寝かせれば、俺のコートを掴んだまま離さなくなるナミに、俺の選択肢は狭められちまう。
このまま大人しく隣で寝るか、マント代わりに着けているコートを残して離れるかの二択だ。この二択なら、寝るのを選ぶよな。
そう思ってベッドに入り込めば、甘えるように擦り寄り絡まるナミの四肢。軽くその足を撫でれば、小さく震えるのに絡み付いたままでいるその様子に悪戯は辞めとくかと、誰にも取られないように抱き締めると、気付かぬうちに俺まで深く眠っちまっていた。
長い事海賊なんて生き方を長くしてるからか、どうしても眠りは浅い上に夢見も悪い。だが、ナミが腕の中にいる時だけはそれから開放されるのだから不思議なもの。
朝になり目覚めると、まだ腕の中で眠り続けるナミがいる。その姿があまりにもあどけなくて、早く自分のモノだと公表したいと心底思わされた。
そっと髪にキスを落としてからベッドを降りて、いつもの姿に着替えていれば突然聞こえたナミの声。振り向けば窓の外を凝視しているから、本気なのは理解した。
「うそ!?もう夕方!?」
「朝焼けだ。……眠れたみたいで安心した」
俺の言葉で慌てて視線を動かす様子が、本当に愛しくて、つい笑っちまう。そのまま挨拶を交わしたら、何かを考える様子を見せた後で身震いするナミに、どうしたのかと心配になる。
そんな時に言われた言葉には呆れちまったが、まァ……ナミらしいっちゃらしいかもな。それでも、認めてやるつもりはねェが。
「そう言えば、朝ごはんって……」
「食わないって選択肢は無いからな」
「えへへ」
笑顔は可愛いがここで見逃せば俺も同罪扱いで、ベック達に締めあげられる。それは是非とも回避したい所だ。
「四日何も食ってねェんだぞ。認められるか」
「蜜柑食べたじゃない」
「……それだけ元気なら、俺も蜜柑食うか。よし、まずは皮を剥かせてもらおう」
そう言ってナミへと手を伸ばした瞬間に、慌ててご飯食べたい!なんて言い出すナミに笑ってからシャワー浴びるんだろうと見逃してやった。風呂場へと逃げ込む姿を確認しつつ、さてどんなお仕置が良いかと考える。
だが今程度の冗談やじゃれ合いは兎も角として、飯を食ってないナミに対して性的な事をしようものならば、
「シャンクス?どうかした?」
「ん?……嫌な夢を見てな。それについて考えていた」
「え?」
「海軍と余所の海賊船が同時に攻めて来て、四苦八苦するんだよ。ナミが俺を構ってくれなくて、ストレス溜まってたのかもなぁ?」
ニンマリと笑って口にすれば、ナミは困ったような顔で俺に手を伸ばす。慰めるべきか、謝るべきかと考えているのが分かりやすくてつい笑った時、見張りの劈くような声が船内に響き渡った。
それによりナミは舞うようにその身を翻すと、颯爽と駆け抜けて行く。いっそ清々しささえ感じさせる程に、俺の存在を無視して飛び出したナミは、俺の愛しくも愛らしい恋人である筈だ。
その証拠に、ピアスもネックレスも、そして髪飾りさえも、俺からの贈物であり基本的にそれしか身に付けていない。だと言うのに、ナミの心を支配するのはいつも天気や海。
「自然現象が恋敵とか、ねェよな、普通」
思わずボヤいた俺に突っ込む声はなく、仕方なく恐らくは今回いつもの相手では無い要因を相手にする為に向かったのだろう事はわかるので、俺も遅れて動き出す。……敵は二隻、か。
ドアを開けなくとも、その程度はわかる。俺の選んだ最高のクルー達が負ける事は無いだろうと分かってもいるが、最近クルーになった奴らの士気にも関わるからとドアを開けた。
俺の顔には、恐らく笑みが浮かんでいる事だろう。戦う俺の自慢の幹部達は、全員が優秀だ。
「ナミ!後方にある船は任せるぞ」
「ヤソップは?」
「俺は目の前にある方を対応する。先に終わった方が援軍になるようにしよう」
「わかったわ。……お互い後方支援だもの、別行動が良いのは分かるわ。でも……無理は駄目よ」
「俺は接近戦も可能だ。ナミとは年季が違ェんだよ」
ヤソップの言葉にむくれた様子を見せるナミは、父親に懐く娘のようでなんとも微笑ましい。それでも戦闘となれば、どちらもそれなり以上に戦うのだから恐ろしいものはある。
戦えるのは間違いなく、強さも尋常ではないが、ナミは攻撃をする事を躊躇うから、どうしたってあまり戦力換算はできない。だがそれをナミ自身は違う形で認識しているから、始末に悪い。
同時に襲って来た敵という事は、同時に撃退されると言う事も意味している。海軍には、1応苦言を呈しておいた。
『俺達と戦争する覚悟があっての攻撃だったんだろうな?』
とまァ、直訳すればこんな事だ。それにより、暫くは静かな日々を過ごせそうだとニンマリ笑ったのも当然の事。
敵船を撃破はしても、船そのものは沈めなかった為に始まった点検は、思わぬ成果を出した。どちらも随分な量の宝が積まれていたらしい。
「お、お頭ァー!!」
「ある程度立場により変わるが、均等に振り分けるからネコババせずに全部持って来い!」
指示を出す俺の目の前に積まれていく宝の中には、明らかに悪魔の実だろう物もあり、それにナミは興味津々だ。まァ……やらねェけど。
俺の愛しい人魚姫が、泳げなくなるのはいただけねェ。そう思って笑う俺に、ナミは首を傾げてからニンマリと笑った。
「シャンクス……私、欲しい物があるの」
「ん?」
「あの、王冠」
言葉と共に示されたのは、積まれた宝にあるひとつの王冠。見覚えはあるが、特に価値があるような宝石も見当たらない。
何が理由なのかと思っていると、寂しそうな顔でそれを手に取り優しく指の腹で撫でる姿。それは、本当は欲しい訳では無いのだと、俺に伝えちまう程度の効果を持っている。
「それ、何かナミと関係あるのか?」
「私とは無いけど、前に読んでた本にあったのよ、滅びた国の最期の王妃様が身に付けてた物だって」
「王妃の、王冠?」
「うーん、王冠に直された……指輪なの」
「は?」
言われて見れば、確かに宝石の周りが少し特殊な加工をされているのに気付く。それでも、わざわざ指輪を王冠に直すのは理解に苦しむ行為だ。
意味が分からなくて首を傾げる俺に、ナミは寂しそうに微笑む。そして、ゆっくりと語り出した。
「貴族の娘として生まれた少女が、その国の王子に見初められ王太子妃となったけど、その美貌により王が息子を殺してその妃を娶ったの。その後隣国と戦争になり、負けた。結果その時に攻め入った将軍の妻とされ、その後に支配国の王に献上される。そうして四度の結婚をした王妃は、男を誑かす悪女として民に惨殺されたのよ」
「おおい!?」
「その王妃を慕い、傍に仕え続けたメイドが〝我が主こそが玉座に座られるべきだった〟として、不吉で忌々しい指輪を埋め込んだ王冠を作り、守って来た……って」
「不吉すぎるだろ!」
思わず叫ぶように言う俺に、ナミは苦しそうに瞳を揺らす。不吉に思えるのは、その王妃が脳内で何故かナミにその姿を変えていたからかも知れないが。
「……でも、なんか可哀想だなぁって思って。私が使っていい?」
「何に使うんだよ!?」
「……なんて、ね。さて、どこからどこまでが嘘でしょう?」
クスクスと笑うナミに、俺は敗北を宣言する。惚れた方の負けとはよく言ったもんだ。
どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだから。
「欲しいと言うなら、ナミにやるよ」
「え?」
「そのお姫さんの哀しみが癒えるまで、ナミが慰めてやればいい」
笑ってそっと許可を出せば、周りで聞いていたクルーもそれに苦笑して同意する。そんな曰く付きの王冠なんぞ、他の誰も貰いたくはないのだから。
それでもその王冠が、ナミの頭上で輝く事は、何があっても許しはしない。不幸の象徴など、身に付けさせてたまるか。
ナミは必ず、幸せにしてみせる。俺の、俺達の傍らで。