頭を撫でて来る大きな手に甘えるようにしていれば、ドアをノックする音が聞こえて来た。何事かと視線を向ければ、返事を待たずして開け放たれたドアの前に立っていたシャンクスが、私とベックを見て嫌そうにその顔を歪める。
「いつまでイチャついてんだよ。ベック、仕事だぞ」
「恋人を甘やかして何が悪い。毎朝僻むなよ、お頭」
「……おっ……!」
呆れを隠さないベックに、何かを言いかけて辞めたシャンクス。何だかなぁと思いつつも、微笑ましくそれを眺めてからそっと部屋のシャワーに向かったのは寝起きの後にまだ浴びていなかったからだ。
シャワーを終えて出れば、着替えのところに当然のように鈴が置かれていて、ベックは本気で私を猫だと思ってんじゃないかと不安になる。でも、まぁ、確かに、色々な意味で、私はベックの猫……では、ある、かな?
自分で思った事なのに勝手に赤くなる頬を抑えて、慌てて身支度を整える。そうして部屋に入ると聞こえて来たのは、悲しくなるような会話。
「元々俺の女神だって!何度言えば理解するんだ馬鹿ベック!」
「元々俺の可愛い妹であり、愛弟子であり、友だった。今は……可愛い子猫だ」
「待てコラ!そりゃ、どういう意味だ!」
その会話とも喧嘩ともつかない物を聞きながら、顔が熱を持つのを自覚する。それにしても……この人達、本当はただの阿呆なんじゃないかしら?
最強の呼び声高い、四皇の大頭とその右腕たる副船長がこれって大丈夫なのかと心配になる。……私は単なる囲われ者なので、幹部枠ではないから無能でも問題無い。
「お頭が想像した通りだろ。俺の可愛いペットの子猫であり、最愛の恋人だ」
「……ちっクショー!ベックのモノなんざモゲちまえ!」
「シャンクス、ベック、朝から変な喧嘩しないで。ご飯、食べるんでしょ?」
「……ナミ、どうして?」
喧嘩を辞めさせようとしたのに、何故か泣きそうな顔で私を見てくる。それに私が首を傾げたのは、当然だと思う。
その時涼やかな音が聞こえて、動くと鳴るのねとどこか客観的に思う。ちなみに今日の鈴は、赤い紐に着いていて、昨日は白でした。
「え?」
「どうして首に鈴つけてんだ!?」
「ベックがくれたから」
素直に答えた私に、何故か頭を抱えるシャンクス。1体何が問題なのか。
シャンクスって本当によく分からないわ。……はっ!
やっぱり似合ってないのかな!?
焦ってベックを見上げて、音もなく問い掛ける。ベックの欲目で可愛く感じてるだけなのよ、きっと!
そう〝似合ってない!?〟と。それにベックは優しく微笑んで、音もないままに〝かわいい〟と返すから、頬が熱を持つ。
「馬鹿だろ!ナミは、馬鹿なんだな!?」
「私、頭は、悪くない筈よ?航海士って、馬鹿にはできない職業だもの」
「ベック~!どういう育て方したんだ!」
「こればかりは、勝手に育ったとしか……」
「全く……二人とも、失礼ね」
騒ぐ二人を無視して先に食堂へと向かえば、喧嘩というか因縁を付け続けるシャンクスを適当にあしらう形でベックは対応しつつついてくる。そんな二人を従える形で到着した食堂には、料理が大量に用意されていてバイキング形式らしいと気付けばホッと息を吐き出してしまう。
これなら、食べられそうな物を食べられるだけ選べばいいわね。そう思って迷わず足を前に出した瞬間、腰に回る太い腕。
「ひゃっ!?」
「……果物だけで、朝食を終えようとするな」
耳元に直接囁くように言われるそれに、私の頭はパンクしそうになる。その美声で、この近距離で、囁かないで……!
そう願ってついベックを見上げる。泣きそうになってる自覚はあるけど、これはベックが悪い。
「ベック……」
「上目遣いに、潤んだ瞳で誘惑しようとするとは……悪い子だな、ナミは」
「そんなつもりないけど!?」
身長差を考えて欲しい。この身長差だと、上目遣いはどうにもならないからね!?
この世界の人達って、主要人物達の身長高すぎると思う。普通に考えたら、ナミちゃんの肉体は相当な高身長よ!!
「ナミ、果物ならいつも副船長のバナナ食ってんだか「黙れ」グホォ!」
何かを言いかけて殴られ、横で蹲るその額にはスペードのマークが入っている。そう言えば、この人、名前なんだっけ?
いつも1緒に過ごしてるのに、名前をド忘れしてしまった。……今聞くのはわるいわよね。
それより、なんか……ベック、怒ってる?
どうしようかな。と言うか、色々食べるの面倒だし、そっちも解決したいなぁ……。
そこで思い付いた事を実行してみる事にした。まずは少し嬉しそうに、はにかんで……っと。
「ベック、私……大切な人ができたの」
「は?」
「だから、水蒸気で気持ち悪くなるのよ……」
信じる訳もないと分かっていての言葉。でも、ベックは少し考える仕草をした後、ふっと笑って私をやうやうしく抱き上げてソファに運んでしまう。
何事かと見詰めると、フワリと毛布やらタオルケットやらをかけてくる。そして傍から離れたと思ったら、果物と常温の焙じ茶を持って戻って来た。
「食べられるだけ食べたら、部屋に帰るぞ」
「ベック?」
「どっちに似るだろうな」
「ベック?」
「……ナミに似た娘なら、嫁には生涯行けないだろう。そこは許してく「ベック!」」
強く名を呼べばベックはピタリと動きを止めて、肩を僅かに震わせる。その様子から私の嘘を分かっていて、乗ったのだと分かってしまう。
確かに嘘をついたのは私だけど……!だからって、そんな揶揄い方する事ないじゃない……!
「ベックのばぁか!ベックなんか、ベックなんか……頑張って嫌いになっちゃうんだからー!」
「頑張れないと、嫌えないのか」
「そりゃ、当然でしょ?」
「ナミ……本当にお前って奴は……」
困ったように笑うベックに、何か変な事言ったかなと思う。そこで今日がエイプリルフールだから、今の言葉を嘘と思われたのかな?と思って首を傾げれば、首元で鈴がリンッと鳴った。
そんな私の横に腰掛けて、壊れ物に触れるようにそっと私の肩を抱いたベックは、耳元で囁くように言葉を紡ぐ。この、耳元で囁くようにするのは、この人の癖なのだろうか?
「どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだから」
「それっ……て……」
「ナミが望むなら、毎日励んでやるぞ?」
「ごめんなさい、天に委ねさせてください。私の体力持ちません。本当にご容赦ください」
無理です!体力も気力も持ちません!
私は消耗品です。貴重品なので、無理な稼働は控えたください!
慌ててベックの服を掴んで涙目で訴えれば、仕方ないなと音もなく唇を動かしてから優しく笑ってくれる。それから、頷いて真っ直ぐに私と視線を合わせて来た。
「ナミが倒れたりしない程度に、励んでやろうか?」
「ベック……!」
「クッ……!冗談だ。……俺はナミが傍に居てくれるなら、それ以上は本気で望んでねェからな。自然に任せたいなら、それに反対する気はねェよ」
その言葉にホッと息を吐き出したら、何故かニッコリと恐ろしくなるほどに優しく微笑まれて、背筋に冷たいものが走った。それは、何故なのかよく分からない。
「だからこそ、ナミが嘘でも〝大切な人ができた〟なんて……言ったのは、お仕置案件だがな」
「へ……?」
「次に嘘をつく時は、完全に騙し切るか……お仕置を覚悟しとけ」
「じ、じょうだ、ん……よね?」
ベックのお仕置怖い。本気で怖い。
そう思って縋るように視線を向けたら、ベックは答えないままに笑みを深めて、そっと頭を撫でて来る。でも、残念ながらそれで安心できない位には私はベックと言う人を知ってしまってる。
「今日は、エイプリルフールだ。……嘘か本当かは、自分で考えてみろ」
「エイプリルフールは当日に嘘は嘘だって教えないといけないのよ!?」
「なら、今日中に聞き出してみろ」
「どうやって!?」
「……色仕掛けでも、してみるか?」
明らかに小娘でしかない私へ向けて、同性さえ落としそうな色香を撒き散らしながら発言する恋人を睨み付ける。その様子を滂沱の如き涙を流しながら見詰めるシャンクスや、色々な反応をしながらも見守っているクルーの存在を思い出したのは、それから数時間後の事だった。