助けられていたら
なんとか魚人をメリーから追い払った後、私は甲板に崩れ落ちた。膝が笑って、力が入らない。
もう少し、なのよ。手に入れたんだから、最後のお金を、手に入れたんだから……!
立て、歩け、進めと自分に言い聞かせる。それでも体は限界を超えていると主張して、私の言う事を聞いてくれない。
その時甲板を突然影が覆い、私は息を飲んだ。雨雲じゃない、だとするならアーロン!?
アーロンだと気付かなかった事にして切り刻んでくれるわと短剣に手を伸ばして、確認もせずに斬りかかれば難無く躱されて同時にその手首を掴まれて甲板に押さえ付けられてしまう。そんな状態で私の脳は活動を停止した。
「……俺を、今認識したのか。驚かせて悪かった」
「あな、た、は……」
「見ての通りだ。誰なのかは、わかっている様子だが、自己紹介が必要か」
確信に充ちた問い掛けに私は首を横に振る事で答えたけれど、どうしてビッグマム海賊団の人がこんな所に。私はこんな時……どうしたら良いのか……。
同じ四皇でも、白髭とは違いビッグマムの場合は、縄張りになった地域の人は寿命を差し出す事になる。ならば、助けを求める事も出来はしない。
この島が……村が……提供できるのは、蜜柑だけだもの。それも、私には世界一の蜜柑でも、彼らには単なる蜜柑だと言う事は分かってる。
「……何のご用でウチの縄張りに?四皇が求めるような物は扱っておりませんが」
「船の修理をする為に少しの期間、停泊させてもらいたいだけだ」
「……船長に聞いてきます。お待ちください」
そう言って動こうとしたのに、大男……最強の男カタクリは何故か私を押さえる手を離そうとはしない。どうしてと睨み付けた私に、カタクリは不思議そうに言葉を向けて来る。
「……随分と、弱っている様子だな」
「余計なお世話!離して!」
「……少し、黙っていろ」
そう言ったと思ったらカタクリは睨むようにアーロンパークや村の方を見て、それから息を吐き出して私に視線を戻した。成程と言ったと思ったら私から手を離すから、私は漸く体を動かせるようになったけど……動こうとしたら目が回って、体を起こせない。
私が、動かなきゃ。皆を、解放しなきゃいけないのに……!
アーロンに会って、話をして、隠してあるお金と私の今回の稼ぎで……皆は、助かる。もう少しなんだから、動け、私の体!
深呼吸を繰り返して、呼吸法で何とか身体を安定させてから、私は立ち上がると荷物を纏めて船縁まで歩く。そんな私の背後で溜息が落とされた直後、腰を掴まれて足が宙に浮いてしまう。
その浮遊感に微かな恐怖を感じつつも、私が何するのよとばかりにカタクリを睨むと、静かな瞳が私を見ている事に気付く。凪いだ海のようなそれに、私は言葉を失いただ瞳を見詰めるしか出来なくなる。
「……助けてやろうか」
助けるって、なに?
そう思った直後に私は、皆の寿命を差し出せないと判断して首を横に振る。皆の事は、後少しで解放できるのに、そんなのってない!
これがもし、後数年早ければきっと迷った。もしかしたら、縋ったかも知れない。
でももう今更……!どうして、この段階になってからなのよ!?
「結構よ!もう少しで、皆は助かるんだから!」
「金で、解決出来ると本気で考えているのか。海賊相手に?」
どうしてその事を知ってるのかと問いかけそうになり、そう言えばさっき何かしていたと思い出す。そうだ、この人は見聞色の覇気については恐ろしい程の精度を持つ使い手……。
体が、震える。確かに、私の知る話では開放される事は無かったから。
知っている〝お話〟の中で……約束は反故にされて、泣いていたナミちゃんを覚えている。でも、私はナミちゃんじゃないもの。
見た目はほぼ同じでも、中身が違い過ぎる。アーロンは、私を求めて無い。
……たまに、欲情を孕んだ視線を感じてたけど、それだってきっと溜まってたとかで、私を求めてる訳じゃない。大丈夫、大丈夫よ……。
「アーロンは、話のわかる奴よ」
「確かに……その身を捧げれば、村は開放されるかも知れないな。ならばお前は、永続的に飼われる覚悟はあるのか」
「何、言って……」
声が震える。そんな、馬鹿な事がある訳……。
本当に、有り得ない?
冷静な私が、私に問い掛ける。そして、認めたくないと内心で叫んだ時カタクリは私の背後に向けて、言葉を発した。
「そうだろう。魚人の船長?」
えっ?と思って振り向くとそこには怒りを抑えられずにいるアーロンの姿があって、何をそんなに怒っているのかと内心で首を傾げつつ、表面的には無表情を貫く。そんな私にカタクリは突然その大きな手で腰を撫でたりし始めて、体がそれに反応する。
「やっ……ぁ!」
「飼われると言うのは、これより激しい事を日常的にされるという事だ。……それとも、俺に飼われるか?」
耳元で囁くように言われて、それによりミホークさんやドフラミンゴにやられた事を思い出せば、それをアーロンにされる事を想像した時、全身から血の気が引くような思いがした。恐らくは青ざめたであろう私を見て、カタクリは聞こえたのが奇跡のような小声で囁きを落とす。
「直ぐに片付ける。待ってろ」
それに慌てて反応してその腕を掴むと、カタクリの視線と私の視線が絡まった。それから、悪いようにはしないと言われては、何も言葉を紡げない。
優しい声と眼差しに、期待しそうになる。何もかもが上手くいくんじゃないかなんて……そんな、有り得もしない事を。
この人が負けるとは思えない。思えないからこそ、私は怖い。
やっとアーロンの支配が終わったと思ったら、今度はビッグマムだなんて……。私は、どうしたらいいの……?
皆を守りたいのに、どうしたら守れるか分からない。ビッグマムが喜ぶような貢物は、この村に……いいえ諸島には存在しないのよ。
アーロン達が1網打尽にされ、奇跡的に息のある魚人は後程ゲンさんが海軍に連絡する形で回収される予定らしいと知らされたのは、それから間もなくの事。でも、私はならば、どうしたら良いのかと、霞でもかかったかのようにまともに動かない頭で考える。
「ナミと、言うらしいな」
「はい」
「俺は、この島に関わるつもりは無い。……そう言ったら、どうする」
「え?」
全くと言っていい程に働かなかった脳は、遅れて反応を示す。カタクリの言葉を受けて思わず顔を上げると、カタクリは船縁に腰を下ろしてどうやら笑ったらしかった。
視線が近付いて、それでも見上げる形になる人にどういう事かと視線で問い掛けてしまう。私は今、明らかに混乱している。
「ナミを……戦利品として引き取って構わないと言うのならば、俺の管轄の縄張りとして扱い、島民は何も差し出さなくていい」
「え?」
「ナミを対価に、この諸島を俺の名前で支配して守ってやると言っている」
声が、出せない。そんな事が、本当に?
「ナミがここに残るなら、今後関わるつもりは無い。そう言ったら、どちらを選ぶ?」
いくら平和な地域とは言えども、これから先何も無いとは言いきれない。だから、何も見返り無しで守ってもらえるのならば、それに越した事はない。
でも……私は既にえ?以外の言葉を知らないかのように、それだけを繰り返していた。そんな私をカタクリは急かす事無く、ただ静かに答えを待ってくれる。
「私、は……」
皆と、ここでのんびりと蜜柑育てて生きられるなら……それ以上の幸福はない。でも、次に何かが来た時私は、皆を守れない……。
カタクリが何故私を対価にそこまでしてくれると言い出したのかは分からないけど、破格だと思う。何の価値も無い私1人で、皆の命と生活が守られる。
私はそっと眼を閉じて、息を吐き出す。今は〝私〟よりも〝皆〟の幸福と安全が優先だわ。
何をされるのか、させられるのかはわからないけど……それでも、ここで断れる理由を私は持たない。だから決意を持って、私はカタクリに答えを返す。
「私を〝戦利品〟として、お持ちください。以後、ご指示に従わせて頂きます」
言葉の直後に膝をつき頭を下げれば、カタクリが立ち上がったのが分かった。そして、呆れた様子で溜息を落とされた事も。
「お前は、恐ろしく素直だな。気高く、優しく、疑う事を知らない無垢な子供のようでもある。パッと見は……ただの小娘にしか見えないのに、何故こうも気になるのか」
「へ?」
「……ゆっくり話でもしよう。お前を傷付けるつもりは無い」
そう言って差し出された手を取れば、軽く引き寄せられて抱き上げられた。視界が変わり、見える景色が変わる。
諦めていた何もかもが、突然鮮明になった気がして私は体を微かに震わせるけど、それに対してカタクリは困ったように笑っただけだった。口元は見えなくても、それくらいはわかる。
「ナミ、船が直るまで少しゆっくり話をしよう。全てはその後だ」
優しいその声に頷くと、波の音が聞こえた。絶対にこの選択を後悔しないとは言えないけれど、私は見た事の無い未来へ自らの意思で進み始めた。
波間の向こうに何があるのかは分からないけれど、大切な人達が生きていてくれるとわかってさえいれば、何も怖くは無いから。この後にカタクリと語り合った私が、戦利品から恋人になるのにそう時間はかからなかった。