風が髪を揺らす。バルコニーから見える景色には変わり映えなんて無くて、なのに私はこの場所から見える景色が結構好きだったりする。
憎しみさえ抱いた時期も確かにあるのに、やはり愛しい海という存在が見えるからかな。絶望と苦痛の中で、生きる為だけに向かっていたその場所は、今では懐かしくさえある。
どれ程苦しくても海は逃げ場所にさえならなくて、それでも海に飛び出せば無心になる事が出来たのは有難い事だったと思ってる。海は、逃げ場所にはならなかったけど、包んでもくれなかったけど、突き放しもしなかった。
ただそこにあって、気分次第で表情を変えながら、私に多くの事を教えてくれた。感謝、してるのかな……?
いつかもしも叶うならば……そう思ってしまう諦めきれない夢に思いを馳せながら、私はそっとカップに手を伸ばした。そんな時、肩にバサリと掛けられた大きな布に視線を上げると、心配そうな視線を見付ける。
「そろそろ冷える。……海に出たいか?」
「ありがとう。そうね……カタクリが船に乗る時は、連れて行って欲しいわ」
「それは当然連れて行く。……残しては、誘拐でもされかねないからな」
間髪入れずに返された言葉は少し硬い。でも、私を誘拐するとメリットはないし、デメリットが多い気がするんだけど……?
「誘拐なんてされる理由……そっか、カタクリと仲良しだものね!」
「……あァ、そう、だな。人質にされては困る」
私の言葉に何故か少しつらそうな顔をしてから、カタクリはそんな事を言う。その表情が気になって、つい手を伸ばす。
それを受けてそっと近くに腰を降ろしてくれるカタクリに感謝しつつ、立ち上がって頬に触れるとその瞳がどうした?と聞いているのが分かった。
「なんかね、つらそうに見えて。嫌な事でもあった?」
「……恋愛に関しない所は鋭いな」
「どういう意味よ」
「そのままだ。……特に嫌な事は無いが、そうだな。明日は何処か出掛けるか」
「カタクリが出るなら、着いてくけど……?」
首を傾げれば、スムージーの所に行くかと呟いたカタクリが、そっと私を抱き上げた。急に視界が変わって、でもそれもまた楽しい。
いつまでもただ甘えてる訳には行かないのも、本当は分かってるんだけどね。それでも私は、カタクリとこうして過ごしていたい。
カタクリとは色々な事を話した。会話を繰り返せば、カタクリの海賊とは思えない真面目さが何だか心地好くて、惹かれていく事を抑えられずにいる。
「カタクリは……何か理由があって結婚しないの?」
不意に問い掛けた私の言葉に、カタクリは足を止めると私を凝視してから深い溜息を吐き出した。どうしたのかなとじっと見詰めていたら、ベッドに降ろされて困ったように笑われてしまう。
「何度か話はあったが……ママが求める能力や条件を有した女で、俺の体格に見合う女が居なかった」
言われてみれば確かに、カタクリの体格と合いそうな女性って少ないなと気付く。この体も充分大柄だと思ってたけど、世界を見てみれば小柄以外のなにものでもない。
身長170cm近くある上にヒールはいてるのに、小人にしか思えないってどういう事よと少し思ってしまうくらいに。ただ、そんなどうでもいい事を考えてしまうのは、私もまたカタクリの言う条件に見合う存在では無いと気付いてしまったから。
「……それじゃ、仕方無い……わよ「ナミは、恋愛的な事に興味はあるのか?それとも結婚は条件派か?」」
言葉を遮るようにして問われたそれに、少し考える。これ迄考える余裕も無かったから。
「……考えた事も無かったわ」
「…………ナミ、俺と付き合ってみないか?」
「何処に?」
「そう来たか……。なら、言い方を変えよう」
そう言ってカタクリはベッドに座る私と視線を合わせる為に床に膝を着いて、その口布をそっと外した。食事でも無いのに珍しいとそれを見ていたら、聞き取れないくらい小さな声で何かを言ったので、首を傾げる。
直後に大声で名を呼ばれて、私は背筋を伸ばして返事をした。上官に呼ばれた海兵さんみたいな様子で。
「……ナミ!」
「はいっ!」
「俺の恋人になれ。問題があれば、聞いてやる」
「……へ?」
続いた真剣な様子で紡がれた言葉に、思考が停止した。まず、現実なのかを認識出来ない。
それに、それじゃ、先に言われた付き合ってみないかって、そういう事!?
変な声を出した自覚はしてるけど、そんな事よりも言葉の意味を漸く理解して、私の顔が顔が赤くなってるのが見なくても分かる。だって、顔が燃えてるみたいに、熱い……。
「……何も今すぐ取って食おうとは考えてねェよ。だから、そんな顔しないでくれ」
そんな顔ってどんなよ!?とは、声に出せなくて……。俯くしか出来ない自分がいる。
それにしても、どうして付き合うなんて話になったんだろう。私が片想いしてるのに気付いて、諦めさせる為とか……かな?
カタクリの隣にいる条件は、体格と、ビッグマムの条件を満たす事。その条件は、海賊団の役に立つ能力または後ろ盾を持っている事。
もしくは物凄く珍しい種族である事。私は、どれにも該当しないわ。
「カタクリ、気遣ってくれてありがとう。でも、無理に私と「気遣う?無理に?……どんな強大な敵よりも、俺にはナミが怖い」」
「私、弱いわよ?」
何を言ってるのか。今の私では、私の知る人の誰にも勝てはしない位に弱いと言うのに。
そう思ってじっとカタクリを見たら、これみよがしな溜息を落とされる。なんだと言うのか。
「今日はもう休め。明日は、共に出掛けるぞ」
「カタクリは?」
「……侵入者だ。片付けてから寝る。不安なら誰か呼ぶか?」
問われたそれに首を横に振る事で答えて、私はお風呂に入って寝るわと言葉にする。それにカタクリは笑うと、口布を巻き直して部屋を出て行った。
あんなに心優しい武人みたいな海賊がいるなんて、誰が思うだろうか。海賊はアーロンみたいなのが主流で、他に知ってる変わり種はある意味同じタイプだったから、動揺してる。
シャンクス達も、ルフィも、明るくて、考え無しで、宴好きで……規律とかそういった物を極端に嫌ってた。大切なのは楽しいかどうかという事と、仲間だけ。
それにしても、付き合うって……。子供のままごとじゃあるまいし、カタクリはどうするつもりなのかな?
シャワーを浴びながらそんな事を真剣に考える。でも、それに対して明確な答えなんて出る筈もなくて、シャワーを終えた私は寝間着に着替えて、ベッドの端に身体を寝かせてから気付く。
……そう言えばこれ迄、何の関係性も無いのに、同じベッドで寝続けてたわ。これ迄何も、されてないけど……でも……。
あれ?でも、この世界って、体格差的に問題のある夫婦が比較的普通に受け入れられてるから、問題なくそれを解決出来る何かがあるのかしら?
定まらない思考の中で眠る事も出来ずにいたら、ドアが開かれた。そして、唸っていたらしい私に歩み寄ってきたカタクリが言う。
「……少し、話をするか」
「カタクリ?」
「恋愛に関してのみ言えば、ナミに合わせていては何年かかるかと思って、俺も焦り過ぎたようだ」
「……え?もしかして、私鈍いとか言われてる!?」
驚く私に通じたかと言って笑うカタクリは少し幼い笑顔をしていて、それに少し癒されたような気持ちになる。けど、そんなに鈍いのかな?
少しダメージを受けつつ溜息を1つ。それからカタクリを真っ直ぐに見て、言葉を音にする。
「カタクリ……あのね」
「ん?」
「私、カタクリの事好きよ」
「……うん?」
「ちゃんと、恋愛的な意味でよ。それでね、少し……聞いてくれる?」
私の問い掛けに無言のまま真剣な顔で頷くカタクリに、そっと笑う。そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
伝えたい想いは沢山あるのに、言葉にするのが難しくて……。海賊は嫌いだと思っていたし、海賊で大切だと思った人達とはあまりにもタイプが違っていた事が、私の中で躊躇いと戸惑いを産んでいた。
それでも、カタクリと話をする度に、その素顔に触れる度に惹かれていく。それが悪い事のように思えて、何度も泣きそうになり、やっと認めたら片想いのそれが苦しくて……切なかった。
そんな時に恋人になれと言われて、想いに気付いたカタクリが同情したのだと判断したのだと。それを必死になって伝える私は、きっと滑稽だろう。
「……俺こそ、俺の片想いだと思っていた」
「え?」
「俺は、船を直す為に海岸へ向かう途中で、安全確認の為に見聞色の覇気を使い、状況把握をしていた。そこで聞こえて来た内容は……不愉快なものでな」
そう言って眉間に皺を寄せたカタクリは、搾取している側もされている側も気に入らなかった上に、犠牲になってる愚か者に苛立っていたと言葉を続ける。けど、それ、想ってないよね?
今、片想いって話してなかった?
「だが、実際に見てみれば弱っていても戦おうとする気の強さと、弱さを見せる事も出来ない儚さを持った……可愛い少女が居ては、手助けの1つくらいと思わされてな」
「……顔?」
「顔も可愛いとは思ったが、強がりなその心が可愛く見えた」
そう言って笑ったカタクリの瞳に偽りの色は無くて、それにより私は声を失う。そんな訳で凝視していたら、見るなと低く呻くように言われたと思った直後に、強く抱き締められた。
そこで髪が濡れてるのに気付いたらしくて、そのまま髪を拭かれ始めたので大人しくしていたら、声が降って来る。理性を感じさせる瞳と、回転の速いその頭脳に惹かれて、囚われの身は似合わないと判断したのだと言われれば、あの時助けてくれた理由を理解出来た気がした。
カタクリには何の利も無いのに、どうして助けてくれたのかと疑問だったから。でも、それは武人のような性格が所以だなと思えば、何だか不思議な気分になる。
「……村を解放した後の、幼い様子が気になり、会話を繰り返して……惚れてるんだと自覚した。体格も、年齢も、育った環境も違い過ぎる。だから慎重に大切にと思って来たんだが……」
「私、未経験じゃないし、カタクリ程の体格じゃないけどそれなりに大きな人が相手だったわ」
「……ナミ?」
「ありがとう、大切に想ってくれて。でも、そんなに気遣わないで」
カタクリの手が止まった。そう気付いた直後、見上げた瞬間に重なる唇を私は歓喜を持って受け入れる。
そっと触れる程度だったそれが次第に激しくなり、私の呼吸が乱れた頃カタクリは口の端から零れた唾液を追うようにして、唇で拭いながら首筋に軽く噛み付いてきた。それにビクリと反応する身体を抱きとめて、カタクリは言う。
「あまり、煽ってくれるな。あの日、ナミが強姦された直後だったのは分かっているからこそ、大切に抱きたいと思っているんだ」
「え?」
「怖いだろう。色々な意味で」
優しいその声に、瞳に、魅せられて溺れて行く。もう、この腕から逃れるなんて選択肢は私には無い。
だから……そっと両腕を伸ばして、カタクリに抱き着くと、精一杯の想いを込めて、言葉を紡ぐ。優し過ぎるこの人に、貰って欲しい。
「カタクリにさせる事なら、何も怖くない……」
「ナミ?」
「カタクリに触れられるのは、嫌じゃない。ううん、嬉しいから……」
「…………明日の外出は、延期だな」
帰って来た言葉に首を傾げるのと、その手が器用に私の服を脱がせるのは同時だった。それに少し驚いたけど、拒む気には当然なれなくて……。
「残さず食べてね」
「……だから、煽るな」
クスクスと笑う私に、微かに赤くなっているカタクリが覆い被さって来たのはそのすぐ後の事。今夜は……眠れそうにない。