いつもと同じ朝だった筈だ。少しばかりナミが我儘を口にしたが、咎める程でもないと判断した俺は念の為ヴァイオレットを部屋に派遣しておいただけに止めていた。
昼過ぎにどうせ2人で茶でも飲んでいるだろうと思いながら部屋に入れば、案の定と言える状況だった。ティータイムの途中で眠ったらしいヴァイオレットと何かを執筆しているらしいナミの姿が見える。
眠ってしまったヴァイオレットに、自分のショールをかけてから自分は何かを描き始めたのだろうかと思えば、納得も出来る。そういう意味では何も不思議に思える事は無い。
しかし妙な感じがして声をかけるか迷ったその時、ピーカの声が聞こえてきた。それは、あまりにも予想外な言葉。
「ドフィ……ナミが出掛けたが、許可は与えたのか?」
「……なら、ここに居るのは、なんだ?」
触れた瞬間に消えるそれに、まさか全てを思い出して逃げ出したのかと内心で焦る。実際今の所、名目上は単なる契約だ。
それも初めは強姦、その後の関係性も契約では、過去の事を思い出していなくても、いつ逃げ出しても正直な話おかしくはねェ。心臓が嫌な音をたてる。
「ナミは何処へ向かった?」
「港へ。捕まえるか?」
「……難しいだろう。俺が行く」
そう、ナミを捕まえるのはなかなかに難しい。逃げる事に関しては、ナミは筋金入りだ。
即座に追い掛けて探したが見付からず、あの猫には首輪が必要だと痛感させられる。逃げるとは思わなかったから付けなかったが……いや、無駄か。
覇気を使えるナミならば、簡単に取り外して逃げ出すだろう。戦いなんて知りませんという顔で、ナミは本気になれば強い事を知っている。
それにより……幼い頃は守られてきたのだから当然だが……。いや、感傷に浸ってる場合じゃねェな。
行先の予想は出来るからとその島に向かえば、本当に国を1人で脱走していたと知る。厳重な警戒態勢の中から逃げ出せるそれに、少し背筋が冷えるような心持ちになる。
もしもナミが本気で逃げ出したのであれば、クリマタクトを持って行くだろう。置いて行ったのならば、帰るつもりはあるのだろうが、不安は消えねェ。
もしも本気での脱走となれば、見つけるのは難しい。厄介な相手に惚れたものだな、俺も。
覇気を全力で使いやっと見つけ出したナミは、誰だお前という姿をしていて、既に香り以外にナミである確証はほぼないと言える状態だった。連れ帰りながら叱ってみてもナミはどこ吹く風で、俺の言葉を完全に無視している。
部屋の中に投げ入れてやれば漸く俺を見たが、それでも何故怒られているのかわかっていない様子だ。コイツは……。
「契約を破棄するつもりか?」
「あら?契約に〝買物に行く事を禁止〟するなんて無かったと思うけど?」
「ナミ!」
「なぁに?私、忙しいのよ。用事はそれだけ?」
「なら〝命令〟だ。部屋から出るな」
「……承知致しました、ドンキホーテ国王陛下」
お手本のようにニッコリと笑ったナミは、そのままお手本通りにお辞儀をしてみせる。そんな様子に、俺は舌打ちを落として部屋を出る。
これ迄こんな対応をされる度に苛立ち犯したが、そんな時ナミは冷めた視線を向けて声を最後まで押し殺しやがる。意識を失う直前まで、場合によっては俺を見ない事さえある。
だから今回は傍を離れたが……何度抱いても、その心が伴わなければ俺の心が冷えるばかりだ。体だけで満足なんか出来るか……ナミの全てが、俺のモノだってのに。
俺だけが想い、俺だけが恋う。この俺が何度、縋るようにドフィと呼べと言ったか既に分からねェ。
それにもかかわらず、ナミは俺の名を呼ぼうとはしない。それが……つらいと言ったら、ナミはどんな反応をするのか。
そもそも何度も〝俺の女〟だ〝俺の花嫁だ〟と言っているのにも関わらず通じねェところがおかしい!先日漸くナミが〝宝玉〟だと分かったばかりだが……クソ、この俺が振り回されるとはな。
その日の夜も含めての数日間、俺は抱き締めて寝るだけで手は出さなかった。手を出せば、逃げた事を許せずにやり殺しそうだと判断したからだ。
その日々の中で、部屋の中は蜜柑ではない甘い香り強くなって行く。俺がいない間に部屋で1人、何をしているんだかな。
それでも浮気を疑う必要が無いくらい、異性に近付かないナミだから、俺は平静を保てている。これで相手は女だとか言われたら、この国ごと消し去る自信があるぞ、俺は。
そうして特に予定もないその日の朝、ナミが料理を作っている姿を見た。人の作った物を食えねェナミの為にキッチンを室内に作ったからだが、本当に懐かしい気持ちにさせられる。
今にも〝ドフィ、ご飯出来たからロシーを起こして来て〟とでも言われそうな気持ちになる。だが……そんな事は有り得ねェ事も、よく分かっているんだ。
「ドフラミンゴ、起きたの?」
「あァ、美味そうな匂いがしたからな」
「ロブスター尽くしにしてるもの。……今日はここにいるんでしょ」
「……誰に聞いた?」
「教えたくないわ。とりあえず顔と手を洗って来て。食事にしましょう」
当然のように2人分用意されているそれを見て、今日は何かの日だったかと考えるが思い出せねェ。何だこれは?
顔を洗うついでにシャワーを浴びてから戻れば、ナミは俺が戻ったと気付かないのか悲しげな微笑みを浮かべて窓の外を眺めている。
視線の先を辿れば街が見えていて、何も知らずに楽しそうな雰囲気で歩き回る玩具達を見付けた。それにより成程ナと思いはするが、それだけだ。
解決する事は有り得ねェ。ナミは優しいを超えて、甘い。
「ナミ」
「あ、お帰りなさい」
それから俺の誕生日でも何でもないのに何故か持て成してくれるナミに、先日逃げた事を気にしているのかと少しホッとする。それなら許してやろうかと思える程に、ナミはその緊張を隠しきれない様子で俺を饗す。
そして……箱を手渡して来た。受け取ると、顔を赤く染めて小さな声で言う。
「後で、1人の時に開けて」
「……あァ、浦島太郎か。俺にジジイになれって?」
「馬鹿ね、そんな訳無いじゃない。……いいから、1人の時に開けて!」
そう言って俺から離れようとするから、目の前で開けてやろうとリボンを解けば1瞬で戻って来てダメだと言う。本気で毒ガスでも入ってるのかと思うような勢いで止められ、俺は無言でナミを睨み付けた。
「中身はなんだ。ナミ」
「……っ!言いたくない」
「ナミ……。俺の花嫁、孕むまで犯し続けてやろうか?」
言葉を口にした瞬間、ナミがその瞳を揺らした。今にも泣きだしそうなその顔に、俺の方が衝撃を受ける。
これ迄も何度も抱いてきた。いや、犯してきたが……そんな悲しそうな顔は初めて見た。
「……私、本当に、趣味が悪いわ。要らないなら、それ、返して」
「貰ったのは俺だ。返す筈ねェだろ」
「なら、1人の時に開けて。……お願い」
震える声で願われて、俺は仕方なくそれに頷いた。正直な話、ナミに泣かれるのはツラいものがある。
廊下に出てからそれを開ければ、中にはハートの形をしたチョコとメッセージカードが入っていた。何の気なしにカードを開き、俺は1瞬呼吸を忘れた。
『貴方が戯れに紡ぐ言葉に私は翻弄され、期待してしまいます。私を本気で愛してくれているのではないかと、ありもしない幻想を抱くのです。貴方のやっている事を知っているのに、それを許してはいけないのに、私は貴方に恋焦がれてしまう。想いを止める事が出来ないのです。愚かでしょう。どうか、少しでも優しさを持ち合わせているのであれば、もう、悪戯に私の心を掻き乱さないでください。契約は守りますので、どうかお願いします』
即座に部屋に舞い戻り、俺に背を向けているその体を抱き寄せ、そのまま反転させると有無を言わさずに唇を奪う。莫迦な事を……。
俺が戯れにお前に愛を囁いている等と、本気で考えているのか。最近抵抗が弱まっているのは、契約したからだと、諦めたからだと思っていたが、違ったのならば……大切に、扱うくらいする。
「いじめて、悪かった。嫌われていると、思っていたもんでな……」
「どふ「ドフィだ。ナミ、そう……呼んでくれ。嘘でも戯れでもなく、ナミを愛している」」
俺の言葉を聞いて、ナミが静かに涙を零した。それは本当に美しく、儚い。
その涙を唇で拭えば、ナミは苦しそうに言う。体を震わせながら。
「辞めて……信じたくなる。そんなに、優しく言われたら、期待してしまうから……!」
「信じてくれ。期待してくれていい。俺は、ナミの心も欲しい」
「……っ、フィ……!」
涙で声が消えていた。それでも、ナミが俺をどう呼んでくれたのかは分かる。
ナミから腕を伸ばされ、首に抱き着かれて……ただそれだけで、心臓が早鐘を打つ。甘やかな香りを振り撒きながら、ナミはハラハラと涙を落とす。
震えるその細い体を折らないように、だが、離すものかと強く抱き締めてその衣服を剥ぎ取る。心だけで良いなんて、心にもねェこたァ言うつもりはねェよ。
その背を指先でなぞればそれだけで声を抑えられないナミに、そうなるように仕込んだのが自分だと思えば楽しくもなる。だが、これまでよりも良い反応を見せるナミに、抑えて居たのだと知る。
俺に想いを気付かれないように、迷惑をかけないようにと……莫迦な事を考えたもんだ。どうでもいい相手に、俺が愛を囁くなんぞできる筈があるか。
本気になられて迷惑な奴に、そんな言葉を使う訳があるかよ。弱いところを刺激してやれば、甘い声で俺を呼ぶ。
ずっと待ち望んでいた、俺を呼ぶ声。震えているのは、俺か、ナミか、それすらももう分からねェ。
大切に、甘やかしてやるから……チョコだけでなくお前の全てを俺に寄越せ。誰よりも優しく、誰よりも残酷な俺の天使。
Happy Valentine……同じ方向を向いていたにもかかわらず、擦れ違う2人の想いは今宵漸く結び合わさる。どれ程高貴な血を持つ男も、惚れた相手には弱いものか……。