ミホークさんについて歩く。船に乗り込むその後姿に迷いは無い。
それは当然の事で、寧ろ迷いがあるのは私の方で……。その時、背後から何かを感じ取ったらしいノジコの、悲鳴に近い声が聞こえて来て、足が止まりそうになる。
それに続いてベルメールさんの悲痛な声まで……。辞めてよ、決心が鈍るから……。
私は、泣かせたくなくて、苦しめたくなくて……この道を選んだのに。泣かないで、苦しまないで、2人が幸せならば私はそれだけで充分なのだから。
振り向く事は出来ない。その姿を見れば、演技なんか出来なくなる。
駆け戻ってしまいたくなるのは分かってる。離れたくないと、泣き叫ぶ自分が、見えるような気がするから.......だからどうか、呼ばないで.......。
船は遠く遠く島から静かに離れて行く。声が聞こえなくなって漸く振り向いたのに、愛しい人の姿は確認出来てしまう。
勝手に溢れる涙に自分で驚いてしまうけど、考えてみれば当然なのかも知れない。だって、私の存在理由が、家族なのだから。
港にはベルメールさんやノジコもいるけど、村の人達もいて、何故だろうと1瞬考えて気付く。どうしたって二度と会えない人達も居るけど、幼い子供達の姿まで見えてしまえば、混乱しない方が無理な話。
そうだ、ミホークさんはゲンさんから聞いたと言っていたわ。ならば、皆私を心配して……?
優しいその心に、私は打ちのめされたような気持ちになる。どうして、みんなこんなにも優しいのか。
私なんか、どうなったって良いのに……。皆が無事なら、それだけで……。
ルフィ達には、手紙と航海術等について私が残せる物は残して来た。他はともかく、ウソップはメリーを追って来ると思うから。
……まぁ、色々足りないところもあるだろうけど、私に出来る事はすべてやった筈だから、もう.......思い残す事は無い。そう思うのに、視界がぼやけてしまう。
「後悔しているのか」
ミホークさんからの問い掛けに私は慌てて答える。情けない、甘えていい相手じゃないでしょうに。
「いいえ、すみません。すぐに、止めますから……」
涙は意識すれば簡単に止まってくれた。それに内心でホッとしつつ、インペルダウンへ向かうのは海軍の船でだと思っていたのに、ミホークさんの船でとは随分厳重だと思った後で、魚人と人間の差をつける為かなと思い至る。
その時突然ミホークさんに抱き寄せられて、私は簡単にミホークさんの胸に飛び込む形になった。その状態からミホークさんが甘やかすように背中を撫でてくるから、落ち着いた筈の涙が勝手に零れ落ちた。
声を出して泣く方法なんて忘れてしまって、体が勝手に震える。どれだけ時間が過ぎたのか、泣き止む方法も分からなくて涙が流れるに任せていた私をどう思ったのか、ミホークさんが顎を掴んで来る。
何が起きたのかと思うよりも早く、唇が合わさっていた。歯列を割って滑り込んで来た舌に口内を蹂躙されていて、驚きで1瞬止まった涙の代わりに生理的な涙が零れる。
絡んで来た舌に、じわりと溢れてきた蜜まで舐め取られる。視界が涙で滲み、それによりどうしても、己が情けなく感じてしまう。
「……んんっ……!」
反射的に目の前の胸を押し返そうとした私の抵抗は、戒めを深めたミホークさんの腕で易々と封じられてしまう。ついでに力強い掌に後頭部を押さえられ、顔を背ける事も許されず、更にきつく唇を吸われる。
「……ふっ……ぅ……あ……」
体がぶるっと悪寒のように身震いして、海風のせいで体が冷えてるのだと思い込もうとしてみても、噛み合うように重なった唇から甘ったるい痺れが広がっていく。強引で容赦の無いミホークさんの舌に執拗に口内を嘗め回されて、いつ果てるとも知れない濃厚な刺激に、次第に身体が引きずられていく。
なんで突然とか、色々考えるべきなのだろうと思う。なのに、そんな思考の波に沈む事さえ逃げであり、その逃げも許さないと言うように容赦無く官能の中に飲み込まれてしまう。
これが……キス?
だったら、私の知るキスはキスじゃ無かった。口の中を犯されている。
前に犯されたあの時は、手加減されていたのだと思い知らされる。ミホークさんが満足したからじゃなくて、私が力尽きたから終わっただけだったんだと。
逞しくて巧みで、強引で支配欲に満ちた、傲慢な口付け。歯列をなぞられ、舌の裏から上顎の粘膜までねぶられ、更に喉の奥まで深々と突き刺さってきて脳髄にまで刺激が来る。
痛い程に舌を吸われ、抗う力まで抜けて行く。心拍数が跳ね上がり、自分の体内を駆け巡る血液の音が耳に響く気がした。
息継ぎさえままならないせいか、それとも強制的に与えられる官能のせいか.......。目眩にでも襲われたかのように、自分の足元が覚束無くなってくる。
「……ふっ……ん……」
咄嗟に目の前のシャツに取り縋ると、腰をすくわれるように抱き留められた。身長差のせいでミホークさんのそれが体にぶつかる筈で、だからこそ状態が分かってしまう。
こちらは足に力が入らないと言うのに、ミホークさんは平常通りであると分かる。煽られて、掻き立てられて、私だけが追い上げられる。
息苦しさと屈辱感から、生理的だけでない涙が浮かぶ。キスひとつでこんなにも淫らに感じさせられて、それが悔しくて堪らない。
漸く離れた唇の間を、どちらのものともわからない銀糸が細く2人を繋いだ。ミホークさんの舌がその名残を引きながら、いつの間にか零れていた涙の1滴を味わうように、頬から目尻へ、こめかみへと舐め上げていく。
その優しい仕草に、頑なだった気持ちが緩みかける。けれどもミホークさんを見れば、冷静さを失わない通り名の由来としか思えない瞳があった。
「離して!」
叫んだ瞬間、戒めのように私を捕らえていた腕が離れる。その途端に、かくんと膝が崩れ私はその場でヘナヘナと、しゃがみこむように座り込んでしまい、手からはミホークさんから借りていたマントが落ちた。
そこにクッと揶揄うような含み笑いが落ちて来て、羞恥と怒りで目の前が真っ赤に染まる。こんなにも怒りに震えた事は、過去に1度も無かった気がするわ。
アーロンに対しては、怒りさえ湧かなかったわ。それは単に、絶望が大き過ぎたのかも知れないけど……。
「他人の為に涙を流すのが不快だった。涙は落ち着いたな」
「……巫山戯ないで!私は確かにアーロン1味の幹部だったわ。だからこそ、インペルダウンに送られてそこで死ぬのだと、生涯開放されないのだと解ってますし、納得もしてます!でも、だからと言って貴方に弄ばれる謂れは無いわ!」
私の言葉にミホークさんは薄く笑んで手を差し伸べてくる。それを私は邪険に払い除け、船縁を手掛かりに漸く立ち上がった。
私に気安く触らないで!そう思って睨み付ければ、ミホークさんから言葉を向けられる。
「ナミは美しいな。気高く誇り高い。無駄な敬語など使う必要は無い。……特に、怒りに燃える瞳が、壊したくなる程に……美しい」
美しいのは、この男だ。野生の肉食獣でさえ、こんなに美しくはないだろうと思う。
そんな事を思っている間に私は簡単に組み敷かれていて、1瞬怒りを忘れる。けれども私の意見は変わらない。
先程の願うようなそれではなく、命じる勢いで、気安く触るな!という思いを込めて睨めば、ミホークさんはその表情を愉悦に歪めた。それにゾクリとしたものが走って、私は必死で抵抗する。
「この状態の俺の眼を見て、泣き出す女も怯える女もマシな方だった。大概気絶してしまう。その中で睨み付けて来るとは、随分貴重な存在だ」
よく分からないけど、何かやらかしたらしい事は理解出来た。私は瞳を閉ざして深呼吸をする。
その様子を訝しげにミホークさんが見ているのは分かってるし、敵を前にして瞳を閉ざす事が本来いけない行為なのも理解してる。でも気持ちを落ち着かせなければ、この肉食獣には対抗できない。
「……ミホークさん、私はインペルダウンに繋がれる事も、死ぬ事も覚悟しているけど、もう二度と.......貴方の好きにされるつもりは無いわ」
それくらいなら自ら命を断つ事も厭わないと言外に伝えれば、ミホークさんが不愉快だとその表情で伝えてくる。それでも、私にも譲れないものはある。
もう2度と、ただ弄ばれるだけの存在になるつもりは無い。今の私には、もう既に死ねない理由はもうないのだから。
「……俺を呼ぶ時に、敬称は不要だとあの晩に教えた筈だがな……?俺の名を呼べ、ナミ」
「私に手を出さないまま、インペルダウンへ連行すると約束するならば、ね」
私の言葉にミホークさんは、深い溜息で答えた。それから強引に衣服の中に手を入れてくる。
望んでいない官能を引き出そうとされているのは、嫌でも分かる。でも、遊ばれるつもりはもう、私には無い!
「嫌っ!ミホークさん!止めて!」
力でも能力でもかなわない事は分かっているし、能力者でも無いから海に落とすのも無意味。でもこの船なら転覆させるくらい容易いと、身を捩りながら船を転覆させようとすれば、それに気付いたらしいミホークさんに首を締められる。
目の前が白くなりつつある中でも、手を出されるよりはと思って睨めばミホークさんから呟きが落ちる。それを聞いても、何も感じないけれど。
「気丈な……だが、だからこそ堕したくなると言うもの」
意識が遠のきかけた時、ミホークさんの手が離れて突然の酸素に体が驚き咳込む。呼吸がままならない間に、私はミホークさんに船内へと連れ込まれていて、これでは転覆させるのも容易ではなくなってしまった。
「伝えるつもりは無かったが、何をされるか分からぬから仕方あるまい」
そう言って私をソファに投げるように落としたミホークさんが溜息と共に話してくれた。それは、私をインペルダウンに連れて行かずにミホークさんの家へと連れて行くと言うもので、私は首を傾げる。
どうして?だってインペルダウンには、女人禁制とかなかった筈よ。
「どうしてシッケアールに私を?」
呟くように言った私の言葉に、ミホークさんの表情が獰猛なものに変わる。それに嫌な予感がしたけど、ミホークさんはそれに触れずに次に敬称を付けて呼べば犯すと言い捨てて、船内から出て行ってしまった。
まさか私が初めて出逢った当初から、ミホークさんに気に入られてしまっていた事にも、執着されている事にも.......。それどころか.......愛情と呼ばれる類のものを抱かれているなんて事も……。
本当に生涯解放するつもりが無い事も、私は何も知らなかったのだ。これから先の長い人生という航海を、ミホークさんと歩む事になるなんて……少しも思い至らなかった。
波間の向こうを目指す旅は、1人でやる事だと思っていたのに、その隣には何故かミホークさんがいた。ミホークさんが私の夢について知ってしまうと、当然のように世界中を連れ回してくれるようになるなんて、私は本当に思いもしなかったの。
鷹は大きな翼を広げて、獲物である筈の小動物を守るように抱える。小動物は守られている自覚を持たずに、気高く鷹を従え行く。
これもまた……有り得たかも知れない1つの未来の形。不確定な未来へ続く話の1つ。