蜜柑の香りが薄まった事で、俺は自然と目が覚めた。……どこに行こうって言うのか。
それにしてもなんで、香りの元になるピアスを風呂の後外してるのに蜜柑の香りがナミからし続けるのかは理解に苦しむ。見ればベッドのサイドテーブルに置かれているピアスは、しっかりとその香りを主張しているのでこれは最早ナミから蜜柑の香りがしている証明に他ならないだろう。
……やはりナミは俺に食われたくて、蜜柑の妖精として香りを放っているのだろうか。そう考えれば納得できるんだがな。
そんな事を考えながらも俺はナミを追う形で部屋を出て、ゆっくりと足を進める。程なくして見付けた後ろ姿は妙に頼りない。
甲板に出て風を受けながら、小さく何かを呟くその姿が妙に儚い。このまま風に攫われちまうような、そんな不安感が否めないのだ。
「ナミ」
思わず名を呼べばナミは驚いた様子で振り向く。そして小さく、寒かった……なんて言いながら抱き着いて来るから、俺は消えないでくれと祈るようにその儚い身体を受け止めた。
細く小さなその身体を支えるようにして、壊さないように抱き締めれば恐ろしく冷たい事に気付く。それに怯えにも似たものを感じたのは、ある意味当然かも知れない。
「短時間で冷え過ぎだろ。部屋に戻るぞ」
「うん、ありがとう」
そう言って笑うナミに、けれどもその身体は明らかに震えている。せめてこの震えが落ち着くまではと、抱き締めたままにしていればナミが儚く微笑むから……待つのを辞めてナミを抱き上げてしまう。
部屋までは、もう歩かせるつもりもない。だが、大人しくしているナミを部屋に連れ戻した瞬間に微笑まれては、首を傾げたのは当然の反応だったと思う。
そんな俺にナミは唇の動きだけで〝ナイショ〟と言うから、俺もまた唇の動きだけで〝おしおき〟と伝えてやる。今日はもう元日だからそれ以上はしないでやるが……お前は俺のモノだとそろそろ自覚しておけよ。
そんな想いを込めて抱き締める俺に、ナミは抵抗する気配すら見せない。俺に何かされる可能性なんて、欠片も考えちゃ居ないんだと分かる。
「もう、寒くないか」
「うん、ありがとう」
先程とは違う心からの笑みに、心臓が鷲掴みにされたような衝撃を受ける。それにより抱き締めていた腕に勝手に力が入っちまうが、これは不可抗力だ。
可愛くて気高い、そして何より愛しい俺の女。無自覚で無防備な、俺の参謀。
「今日は何か予定はあったか?」
「ローが挨拶した後は、特に無いわ。三賀日はのんびり過ごしましょうね」
「三日も大人しくできる訳ねェだろ」
思わず呆れた声を出せば、押し黙ったナミが直後クスクスと笑い出す。どうやら、怯えたとかではないらしい。
俺は特に何かした訳でもなくとも、怯えられる事が常だからかこういう反応に少し弱い。……家族と仲間だけが、俺に対して怯えないでいてくれる。
「正月料理の代表って何だろうな」
「……お餅、かな?」
「餅!?」
てっきりお節料理の中から何かが選ばれると思っていた俺は、つい大きな声を出しちまう。なのにナミには、動揺する気配すら無い。
「うん。鏡餅とかもあるし、元日はお雑煮食べるし、お年玉も元々はお持ちの事だったのよ。それを考えたら、まずはお餅かなって」
人間、少し上を見ながら言う言葉には、基本的に嘘はない。記憶をたどる時、人は無意識で視線を上にあげるので、眼球の動きで嘘をついているかは案外わかるものだ。
脳を働かせるから、無意識で脳を見ようとするのだと言われているが、真実は不明だ。それにしても餅か……。
「好きでも嫌いでもねェな」
「色々な味があるから、餅つき大会でもして、皆で色々試してみる?」
人数を考えると全員でやるには難しいのではないかと考えたが、それは顔に出ていたらしい。そこに口を挟んできたのはベポだった。
いつから居たんだろうか。それを問掛ける余裕さえ、この時は無かった。
「なら、遊んだり食べたりする人達と、作ったり片付けたりする人達で分けたらどうかな。交代する感じで」
その言葉に俺とナミは驚いて視線を向けたが、どうやら俺を呼びに来たら話してたので会話に加わったと言う事らしい。その結果少しナミやベポと話し合い、料理の手伝いをして前半に働いた者は後に遊んだり食べたりして、先に遊んだり食べたりした者は片付けや配膳を担当する事で話が纏まる。
そうして話を纏めてから皆の待つ所へと足を進めれば、腹減ったと嘆く野郎共が待っていた。これは仕方ないなと笑いつつ、新年の挨拶をしてから正式には四部隊に振り分けての餅つき大会兼正月遊びを行う事を宣言する。
グループ分けをこれから行うので、実際に行われるのは午後からとなる事を伝えれば、それでも上がる歓声。ナミは横で事始めは明日からなのにー……とか言ってるが、ンなもん知るか。
俺達は海賊だ。自由に楽しんで何が悪い。
誰かの定めたルールに従わない為に、理不尽に大切なものを理不尽に失わない為に、俺達は海賊となったのだ。だからそのままナミとペンギン、イッカクを共にして話し合いを行った俺達は指示出しをしたりするのでその組には何処にも属さない事で決まる。
そうしてグループ分けが完了した所で、それを書出して発表してやれば解決だろう。力自慢が餅つきをして、力に自信の無い者が味付けを行う。
餅をつける状態にするのも、力に自信の無い者達の役割。残りのメンバーは、随時出る洗い物を片付けて行く。
働かないグループの者達は福笑いやら双六やらを楽しみ、俺はそんな光景を眺めながら完成した餅を受け取った。どうやらきな粉餅らしい。
「これは、甘いのか」
「甘いのと甘くないの用意してあるけど……そっちは甘いわね。甘くないの食べる?」
「どうやって見分けてんだよ」
まさか砂糖の匂いでも感じてんのかと思うが、どうやらそうでは無いらしい。クスクスと笑いながら、きな粉の色が白っぽいのが甘いと笑うナミに、そうなのかと言いながらどちらでも構わないかと思いそれを口にする。
その他にも味付けは色々とあり、基本的には食べたい味の餅を勝手に貰って食うのが決まりだ。大根おろしで食べるのも少しピリ辛で、酒に合う。
夜までこの些細な宴を行ったら、また明日もこのシステムで楽しませれば良いかと考えた俺に、明日は書き初めとお風呂もやらせなきゃねと笑うナミ。そんなナミが食ってるのは納豆餅だったので、横から奪い取り食べてみればそれも美味い。
「人の物取らないでよ!」
「あんこ餅をやるから、騒ぐな」
箸で口元まで運んでやれば、少しだけ戸惑った様子を見せながらも、ナミはゆっくりと口を開いた。その口にあんこ餅を入れてやれば少し赤い顔で、咀嚼し始めるからなんとも可愛いなと思わされる。
その時近くを通ったコラさんにお茶をと頼もうとしたら、ナミが素早く酒を頼み……結果餅を酒で楽しむ事になる。だがそれが、嫌という事には繋がらないのだから不思議なものだ。
「二人とも磯辺巻きは食わないのか?」
「あ、砂糖醤油の食べたい!!」
「俺は醤油だけで二度付け焼きのを頼む」
「俺が持ってくんのかよ!?」
そんな事を言いながらもちゃんと取りに行ってくれるから、優しいなと思う。まァ、そんなんだから弟とかいたらこんな感じかなと思っちまうんだよな。
コラさんの方が歳上なのに、謎だ。いや、あの、もはや何かの能力を疑わせるレベルのドジがそう思わせるのかも知れないが。
「ロー、はい、あーん」
突然向けられた言葉に、何も考えず言われるままに口を開ければ、きな粉餅のようなものを食わされる。きな粉餅を串につけて、なんかとろみのある物で包まれてるそれは、妙に美味しい。
「なんだ、これ」
「あぶり餅って名前の物よ。疫病退散の縁起物」
「ふーん。美味いな、これ」
串に刺さってるから、手も汚れない。それにしても、ナミって本当に何でも知ってるよな。
そんな事を考えていたら、妙な事を言われた。あぶり餅についてこれ以上聞けば多分説明が相当長くなるから、ここで止まって良かったけどな。
「ローってお兄ちゃん気質だから、年齢は逆なのにローの方がロシーよりも普段は兄っぽいのよね」
「……へ?」
「でも、元々弟だった人って、基本的に小さい子好きだから今度〝兄上〟って呼んであげて」
「断る」
俺の言葉にナミはクスクスと笑うが、少し残念そうにする。案外ナミは、コラさんに甘い。
多分ナミも姉気質でって、あれ?
ナミも妹だよな。なのになんで、こんなにも姉とか母親の気質が強いんだ?
そう内心で首を傾げながらも、伝えるべきは伝えなければならない。別に俺は、ナミやコラさんを虐めたい訳でも無いからな。
「……俺が呼ぶなら〝兄様〟だ」
「ロー……もう1度、呼んでくれ!!」
そう言って飛び付いてきた巨体に押しつぶされそうになりながら、いつから聞いてたんだよ!?と叫んだのは自己防衛の1種だろう。嬉しそうにクスクスと笑うナミに畜生と呟いて、咄嗟に逃がすものかと腕を伸ばす。
すると俺を抱き締めてくれと言うクルーが寄ってきて、ナミの代わりに俺に抱きしめられようと画策するから、辞めろと無言で圧力をかけつつ強くナミを抱き締める。すると今度はコラさんがナミごと俺を抱き締めようと腕を伸ばすから、いい加減にしろと怒鳴っちまう。
そうして俺は、大切な人達に囲まれながら、Happy new year!!と言葉を紡ぐ。愛しい女を他の誰にも触れさせない為に強く抱き締めている。