最近、ナミの様子がおかしい。思い当たる事は少ない。
精神的な理由だとするなら、俺がプロポーズした事が何故かクルーには筒抜けであった事だろう。だからといって、それを揶揄うような命知らずはこの船に誰一人存在しない筈だ。
だからこそ、体調不良を疑っている訳だが……。1度机に向かっちまったナミを、そこから引き剥がすのは至難の業だ。
イッカクに声を掛けて、ナミが食べられそうな物を用意させれば出されたのは蜜柑とホットミルク。……愛されてるな、本当に。
「ありがとう」
「今は、何を?」
「この前行った島の地図と、その海域の海図だ」
誰についての質問なのか、それを言葉にしなくとも分かる。それくらい俺とイッカクが案じるのは、ナミの事だけだ。
それでも、基礎の情報量に違いがあり過ぎる。その証拠にイッカクは気遣うように、困ったように眉を寄せた。
「ベポに任せられないのかしら?」
「いや……ベポの手本にしてもらう為と、自分の夢を叶える為に描いてるだけで、ベポに航海士としての役割は任せたままになっている」
「優しいんだか、残酷なんだか……」
天才と努力型の凡人。その差を痛感しているのは、凡人の方だけだ。
それでもそれを恨む理由にしちまうような歪みを持たない奴だから、俺は長く付き合ってこられたのだと言いきれる。ベポのその努力は目を見張るものがあるし、ナミはそれを素直に褒め称えてこの先困らないようにと指導しているが、それは自分の方が航海士や測量士としての経歴が長いからと言うだけの理由だ。
だからこそイッカクの言葉に小さく笑いつつ、用意された物を手にナミの元へと戻る。部屋に戻ると同時に、念の為に声をかけては見たものの案の定ナミは気付かない。
そんな所も含めて、可愛くて仕方ないのだから困りものだ。その上、敵船相手にどれ程非情に振舞おうとしてみても、ナミの悲しげな表情が浮かんで手を緩めちまうのだから毒されているとしか言いようがないだろう。
そっと机に持って来た物を置いて、ひと風呂浴びて来るかとその場を後にした。風呂から戻ってみれば、机にうつ伏せとなり眠るナミの姿がある。
頭を拭いていたタオルを首にかけ直して、そっとナミに触れてみるが起きる気配はない。寝ているナミを抱き上げてみても起きる気配がない所から、俺への信頼が見て取れる。
たまにはゆっくり寝かせてやろうと決めて、俺は近くにある椅子へと腰を降ろした。そのまま読みかけだった本へと手を伸ばして時を潰した後に、ナミが寝ていてもできる検査をしておく。
「〝room〟」
精密な検査を行い、何事も無いならばそれで良いが何かが見付かれば過保護に休ませる自分が見える気がするのだから困っちまう。ナミは、本当に俺の世界の中心なのだとこんな時に幾度目かも分からないが痛感させられる。
「特に内臓系に異変はねェな。……ウイルス系か、疲労って所か……」
この能力があって良かった。あの日、コラさんと二人でナミが俺に与えてくれた能力であり、生命をかけて俺とコラさんを守ってくれた、ここにいるのとは違う次元のナミに感謝している。
だが結局、今目の前にいるナミでも、あの時空に行けるチャンスを得てしまえば、同じ事をするのだろう。だからこそ、どうしてあの過去に別次元のナミが飛ぶ事になったのかは、知っておきたい所だ。
そうしなければ、俺はこの愚かな程に自己犠牲精神の強い婚約者を……失っちまう。そう、今のナミでは、有り得ないんだよ。
あの時俺達を助けたナミは〝ルフィ〟を愛していた。今俺を愛してくれているナミが、助けてくれた訳ではない。
「……惚れた相手の過去だから助けたってんだったら、まだ分かるってのに」
俺を愛しているナミであっても、どの時空を生きるナミであったとしても、誰を愛している時空のナミであっても、きっと根本は同じなのだ。だからこそ……目を離せば喪っちまうのだと痛感させられてしまう。
その苦しさを誤魔化すように、そっと額にキスを落としてから、ナミのカルテにそっとペンを走らせておいた。それから読書を開始して、どれ程の時が流れたのか、机には読み終えた本がいつの間にか積み重なっている。
「うそ!?もう夕方!?」
「朝焼けだ。……眠れたみたいで安心した」
声により手を止めて窓を見れば、太陽が見えた。どうやら徹夜しちまってたらしい。
俺の言葉を受けて挙動不審になるナミが可愛くて、勝手にゆるもうとする表情を引き締める。そんな俺の苦労も知らずに、ナミは何かを誤魔化すように笑った。
「おはよ」
「……ああ、おはよう」
何を誤魔化そうとしたのかと思いつつ眺めていると、ナミは何やら考え込む様子を見せる。何がしたいのだろうかと考えて……やはり、分からない。
「そう言えば、朝ごはんって……」
「食わないって選択肢は無いからな」
突然向けられた不安そうな眼差しと声に、即座に返したのは呆れの感情。なんか考えてると思ったら……。
「四日飯を食ってねェと自覚しろ。シャワー浴びたら、飯に行くぞ。拒否権はねェ」
「でも、蜜柑食べたわ」
「蜜柑は食事じゃ「糖質を含む物を摂取した時、それは医学的に見れば食事に該当する……って、ローが教えてくれたのよ?」」
確かに教えたが……蜜柑とホットミルクだけで四日過ごした事は本来許されるものじゃねェ。んな事言ってると、泣かすぞ。
「果物を摂取してると、精液も甘くなるのは知ってたな?……他の物を取ってねェ今なら、ナミから蜜柑の味がするかもな。試してみ「ごめんなさい!わ、私!お、お腹すいたなぁ!!」」
アハハと笑って誤魔化すナミに、コレで誤魔化される奴がいてたまるかと思うが、許しちまうんだから俺も甘い。そんな事を思いつつ、ナミが風呂場へと逃げて行くのを見送れば変わらない日常が始まった事を認識する。
戻って来たナミの頭を拭いてやれば、少し照れたように笑うからそれだけで俺の心は満たされちまう。そうして食堂へと移動すれば、鯖の塩焼きとお握りが味噌汁や緑茶と共に用意された。
俺がそれを食う時、ナミにはそのお握りを雑炊に作り替えられた物が提供される。数日ぶりの食事だからと、配慮されているらしい。
まぁ、味噌汁の中にお握り入れて煮込んだ所に卵を落としてあるだけなのだが……消化吸収にはその方が優しい。発酵食品を使われている上に、バランス栄養食品の代表が含まれているから、体調に異変は出ないだろう。
「なるほど!なら、俺から言ってみるよ!」
飯に気を取られてる間に、目の前で何やらコソコソしていたベポとナミが頷き合う。それからベポが俺に向けて言った。
「キャプテン!お願いがあるんだ!」
「ん?」
「今夜から俺がナミと寝たい!」
「却下だ」
理由を聞くまでもない。何も考える必要性を感じねェ。
ナミは俺と寝るんだよ。ベポつきで寝られる程、俺のベッドは広くねェ。
「ロー……ベポが怖い夢見たって言うの。落ち着くまででも良いから、ね?」
「論外だ」
夢に怯えるなら、夢からも俺が守ってやる。それで問題ないだろう。
何を阿呆な事を言っているのか。俺以外と寝る事を許す筈がねェ事は、分かってるだろうに。
「ナミと寝たいよー、キャプテーン!お願い……」
「可愛こぶっても駄目だ」
「ロー……もふもふと寝たいの、分かるでしょ?」
「……ナミは俺と寝るんだ」
「「ケチー!」」
声を揃えた二人は、けれども直後に許可を貰ってもすぐに嘘だよんと言って終わらせる予定だったらしい事を告げる。エイプリルフールだから、別々に寝たいのだと嘘をついてみたと言う。
どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだから。
それでも、俺から離れると言うなら、それは看過できない。それにな……。
「ベポも雄だぞ」
「ミンク族だし、私、人族だか「ミンク族から見れば、人間は毛の薄い猿族に分類される。問題無く……交尾できるぞ」」
「ベポは、私にそんな事しないもん!」
「そうだよ!ナミにそんな事しないよ!キャプテンが、悲しむ事はしないって決めてるし、キャプテンのツガイになるんでしょ?」
その言葉に真っ赤になったナミが逃げ出して、俺はそれを隣の椅子と入れ替える事で連れ戻す。腕の中に閉じ込めて、半分本音の嘘をつく。
勿論、患部を撫でながら。ニッコリと笑いかけるのも忘れない。
「俺から逃げようとするなら、その足……切り落すぞ」
「……え、エイプリルフールの、嘘……よね?」
「さて、どうだかな?」
小首を傾げながらにんまりと笑う俺に、微かに震えるナミが、それでも俺に寄り添う。こんなささやかな幸せが、いつまでも続く事を俺達は願ってやまない。