息子達は今日も騒がしい。それを呑気に楽しんで居られたのは、サッチが刺される前迄だった。
長い事手紙で、細々とした注意喚起を行っていた謎の人物がいた。それは半年から1年に1度送られ、まるでラブレターのような書き出しではじまり、その先に重要な案件を書いてくれていた。
確かにその書き方ならば、手紙を勝手に見てしまった者がいても、マルコへのラブレターの1つとして受け流されて終わるのは容易に想像がつく。賢い方法だと、ずっと思ってはいた。
サッチが刺された時、手紙のおかげで身に付けていた物が役立ち、更に治療もすぐに行えた為後遺症も無く助かった訳だ。そうなれば当然、荒ぶるエースの他は恩人に礼をとの話にもなる。
その時、恩人からのその手紙を見たエースが、その送り主を知っていると口にした。それが現在東の海へ向かってる理由な訳だが……俄には信じ難いな。
エースを〝弟〟として可愛がるエースより〝歳下〟の少女。それの文字と合致するだなんぞと言われても、普通ならば信用出来る筈もねェ。
だが、有り得ねェ事が何も無い海。それがこの世界の海の共通項だ。
エースは手紙を見て、泣き出しそうな顔をしていた。手紙には、何度も繰り返して『エースをよろしくお願いします』と書かれていたのも大きいだろう。
そうなればそれがエースの勘違いである可能性はあっても、嘘偽りじゃ無ェ事くらい分かる。つらそうに海に視線を向けるエースが飛び出さなかったのは、その手紙が存在したからに他ならねェからこそ、余計に感謝の気持ちを抱かずにはいられねェ。
「ナミ……今頃どうしてるんだろうな」
「なんだ、最近まで1緒に居たとかじゃねェのかよぃ?」
「もう、10年は会ってねェ。あの頃は1度も勝てなかったし、守られ続けて来た。……悪魔の実食って無かったのに、雷落とすんだぜ?勝てるかよ」
「比喩じゃ無くてかよぃ?」
マルコのもっともな問い掛けに、エースは頷く。それに他の隊長達も驚きを示して、脳裏にはゴリラのような雷を扱う女が思い描かれていた。
その後息子達が総力を上げて調べた結果、その幼馴染が居るのはコノミ諸島だとわかりそこへ向かえば、海賊の根城がある島が中央付近にあると言われる。それによりその島へ向かえば、確かにその近海には船が見当たらないらしい。
マルコの報告を受けて、とりあえず話を聞きに行くかと船を進めていれば、船が視界に飛び込んで来た。小舟と呼ぶほど小さくは無いが、決して大きくもないその船は安定した操縦で島へと到着し繋がれる。
その船をよく見てみれば、動いているのは1人でそれも今にも死にそうな気配だ。その船に居るのが女のようだとわかりそれをエースに伝えると、エースはその船を見て即座にナミ!と叫んだ。
それを受けて即座にその船の横にモビーを止めさせれば、女が此方に視線を向けて来た。それまでの死にそうな雰囲気を隠して、ただ驚きだけを示して来る女。
想像していたゴリラが崩れさり、1般より随分と可愛らしい姿の少女である事に驚きを隠せないのは俺の方だ。その少女が俺を見て、1瞬瞳を輝かせた。
だが、その宿る色がこの船に乗りたいと言ってくる白髭海賊団に憧れていると言う若造共と同じモノ。それを少しばかり、残念に思う自分が居る事に気付いちまう。
色恋的なものでは決して無く、けれどもどこか羨望さえ滲ませたその瞳に魅入られそうになる。……待て、相手はエースが想ってるエースの幼馴染だぞと、必死の思いでそれを押し殺そうと努力する。
「しろ、ひげ……」
少女はそう呟いて、大切そうに大きな鞄を抱いたままその場に崩れ落ちた。それをいち早く動いたエースが、迷い無く抱きとめる。
少女がそれに驚いて振り向くのと、その抱きとめた相手がエースであるかを確認するのはほぼ同時だった。エースはそれを受けて嬉しそうに幼馴染かを確認し、少女はそれを受けて不思議そうにエースを見詰める。
先程迄その瞳にあった羨望や憧れの煌めきは既に無い。あれは、白髭海賊団にでは無く……俺に向けられたものかと理解すると、何ともむず痒くなる。
エースを見る少女の瞳は慈愛に満ちていて、成程エースが焦がれ続ける訳だと思わされる。エースは……愛に飢えているからな。
それでも随分と落ち着いた息子を見詰めていれば、少女の体調の悪さに漸く気付いたらしく何やら聞き出そうとしている。にも関わらず、少女は平然と大丈夫だと言い張り続ける。
その時少女の体にエースが触れて、ビクリと反応した少女がそのまま力無く崩れ落ちた。その様子から少女の状態が、だいたい見えて来る。
あの容姿じゃ、無理もねェか。寧ろ良くこれ迄五体満足で、生きてきたと褒めてやるべきだろう。
荷物を落としてつらそうに呼吸だけを繰り返す少女を抱えて戻ったエースは、心配そうに少女を見つめるばかりでどうしたらいいのかわからない様子だ。そんな状態にあって尚、少女は俺達に気遣われるのを嫌い震える体を自力で支え、視線を合わせようとしてくる。
気位の高い小娘だ。呼吸だけで全てを無いものとしようとする小娘に、思わず声を掛ける。
「小娘、そんな状態で強がるんじゃねェ。少し休んでから話でも……「そんな時間は、無いんです」」
俺の言葉を遮り、凛とした表情で真っ直ぐに俺を見据えて言葉を返して来る。それ迄の干された布団のような状態が嘘であるかのように、強い意志を感じさせるそれに内心舌打ちした。
「エース、お願いだから、用事がないなら出て行って。ここは他の海賊の縄張りよ」
そんな事は知っていると、口にしそうになる。それを止めたのは、エースが共に行こうと誘う声があったからだ。
これを放置して帰る訳には行かねェだろう。例え恩人では無かったとしても、見捨てられるか。
けれども気高くも美しい女豹のように小娘は女の顔になると、エースを振り払い悠然と立ってみせる。……これは、海賊好きする女だなと冷静な自分が言う。
「帰りなさい。ここはウチの縄張り。他所の海賊団に立ち入られるのは不愉快だわ」
その言葉で左肩にある刺青の意味を知る。だが……あの刺青は……。
成程な、何を抱えているかは知らねェが、恩返しが出来そうだ。気の強い、心優しいエースの幼馴染、名は……ナミだったか。
彼岸を見詰めるようなその瞳を、これ以上させたくはねェな。恐らくは戦いも何も好まない、善良なお嬢ちゃんであるべき人種だろうに。
「彼岸を見ているような眼をしているな。小娘……生き急ぐこたァねェだろう」
俺の言葉にナミは切なげにその瞳を揺らす。苦しいのだと、その瞳だけが雄弁に語り、他は男を手玉にとる事に慣れた悪女のような様相を崩さねェ。
エースもそれに気付いたようではある。だが同時に、その演技であろう態度の方もエースには衝撃だったのか、言葉も無くナミを悲しげに見詰めるばかりだ。
大切だって言うなら、抱き締めるくらいしてやれと、内心でエースに思う。だが、エースは動かねェでただ戸惑いを見せるばかり。
そんなんだから、弟の枠から出られねェんだろうよとは声に出せねェが……。押し殺した筈の感情が、想いが切なそうに揺れる瞳により戻って来る。
「……もう、時間が無いんです。だから、どうかお帰り下さい。今ならば船長にも上手く言い含めて、この船を襲わないように言えますから」
自らの言葉で自らを傷付けているような雰囲気を醸し出すナミに、いつもそうして無理して微笑んできたのかと、その肩を掴んで揺さぶりたい心持ちにさせられる。穏やかに、優しく、諦めたように微笑むそれは……恐らくは誰も幸せになれねェ選択だろう。
ただ生きる為だけの選択で、誰もが傷付くだけの選択。それでも、生きていればチャンスは確かに転がって来る事もある。
そのチャンスが今だぞ、ナミ。内心で言ってみた所で、誰かを頼る事を出来なくなっているであろう相手に、それが伝わる筈もねェか。
そう思った時、間違いなく恩人だと判断できる言葉をナミが口にした。それは息子達も同じように感じたらしく、臨戦態勢を整えるには充分すぎる言葉。
「……エースを、弟を、宜しくお願いします。貴方にならば、任せられる。どうか……よしなに」
その言葉に戸惑い声も掛けられずにいるエースに、諭すようにナミは言葉を紡ぐ。それは永の別れを予感させる言葉の羅列で、覚悟を決めた者だけがもつ雰囲気に息子達が息を飲む。
そう迄して抱えているのは、1体なんだ。エースじゃねェのは分かるが、違う筈のエースでさえこの扱いだ。
その時ジンベエ親分から聞いていた風貌の魚人を見付ければ、諸悪の根源はコイツかと分かろうというもの。視線をナミに向ければ、恐ろしく冷淡な顔をしているのが見える。
俺達の存在に動揺する魚人に、ナミが此方に攻撃をさせまいとしているのが伝わる。その状態で尚、俺達を庇うのかと小さく笑う。
それは隊長格の息子達全員同じ様子で、甘過ぎるそれが麻薬のように俺の中に広がる。手元に置いておきたいと、心が渇望する。
「……小娘、俺とその小僧のどちらの傍にいたい?」
強気に問い掛けた俺に振り向いたナミは、言葉を口にする事は無かった。だが、その代わりに静かに涙を流しながら縋るように俺を見て来て……。
そんな泣き方するんじゃねェよ。年甲斐も無く、誰にも見せたくねェと思わされちまうだろうが……!
もうこの感情を抑えて、エースに返す事は出来ねェだろうと自分で分かる。心が乱されて余裕を失ってるのは、俺の方だ。
船を降りれば、ナミを抱き込んでいる魚人以外は道を譲って来た。だが、抱き込んでいる魚人だけは、ナミを離すまいとするかのような意思の強さを感じさせる。
そっとナミに手を伸ばせば、泣いている自覚が無いのかボーッとした様子で俺を見上げるばかり。無防備に寄せられる信頼に、己の顔を見られたくないような心持ちにさせられるから、無言のままにナミを奪い取るようにして抱き上げる。
「貰っても、構わねェな?」
「構うに決まってんだろうが。ウチの幹部だぞ」
幹部だ?
それなら何故、他の魚人との間に1線以上のものがある。何故こんなにも悲しい泣き方をさせる。
「なら、こんな顔をさせんじゃねェよ。ハナッタレがァ!」
随分加減はしたが、魚人は簡単に吹き飛びそれにナミが反応する。その表情は絶望に満ちていて、おいこらと思う。
だがそれは魚人から紡がれた言葉で理由を含めた大体の事を理解する。人質でも取られているのだろうと、簡単にわかるやり取り。
頭を振って、逆らう筈ないと言葉を紡ぐナミは、この実力差がわからねェとも思えねェと言うのに、俺に1言助けを求める事さえしない。何があってそんなにも頑なになったんだ、お前ェは。
俺の腕の中で微かに震えながらも言葉を紬ぎ、そして……俺の隙をついて腕から抜け出してみせた。コイツは凄いなと、そのしなやかな動きに感嘆の息がもれる。
アーロンと呼ばれる魚人に、ナミはヒラリと1枚の紙を見せる。それだけでアーロンは顔色を変えて、ナミへとその腕を伸ばす。
それをヒラリと躱しつつ俺に迷う事無くその紙を投げ渡すから、即座に受け取ってやれば嬉しそうに微笑んだ。死を目前にした息子が、俺に看取られるのを嬉しそうにしていたのと同じ様子で。
それから珍しいなんて言葉では言い表せないような、希少な短剣を自らの首に押し当てる。そうしてから挑発的に笑うと、少しの会話の後で躊躇い無くそれを滑らそうとした。
……させるか!
咄嗟に覇気を撒き散らせば、俺の前方にいる奴が1人残らず崩れ落ちて、その意識を手放したのだと分かる。その中で唯一、本当に意識を奪いたかった相手だけが崩れ落ちはしたものの微かに意識を保ち、苦しそうな息の中で問い掛けて来た。
体は崩れ落ちているが心も折れる事なかったようで、意識を必死な様子であれ保っている辺りで、本来ならばそれなりに強いのだろうとわかる。それがここまで弱っているのかと、俺に気付く前の様子を思い出せば守りたいと思わされちまう。
「……死なせるつもりはねェよ。少し、休んで貰うつもりだったが……意識を保てるとは、思わなかった」
愛しく思えるこの小さな生き物を、俺はエースに悪いなと思いつつ、俺のモノにすると決める。手放せそうもねェんだ、息子よ、許せ。
それから息子達に声を掛ければ、盛大に盛り上がる。その隙にナミを抱き上げれば、ホッとした様子で力を抜いてしまう。
おいおい、今ある意味で1番危険なのは、俺の腕の中かもしれねェぞ?
そんな事を思っている俺に、ナミは震える手を伸ばす。その瞳は、意識を朦朧とさせているとは思えない程に、プライドの高さを隠そうともしない。
「……契約書、預かってくれて、ありがとうございました。返して、ください。それは、みんなの……」
意識なんぞほぼ無いだろうに、弱々しくもそんな言葉を紡ぐナミの唇を、唇で塞ぐ事で止めさせた。けれども抵抗する力が無いのか、それとも受け入れたのか分からない程に衰弱し、発熱するナミに苦笑がもれる。
「こりゃ不味いな。……もう少し回復してから、話をしよう。だから今は寝てろナミ」
名を呼べばそれが妙にしっくり来て、呼んでみたかったのだと気付く。それに対して安心したように、力を抜いて瞼を閉じるナミの額にそっと口付けを落とす。
……誰にこんな風にされたんだか。この様子じゃ、合意とは思えねェな。
マルコを含めた船医達にナミを任せて話を聞けば予想通りの事で、ただ少し予想と違ったのは家族の為だけでなく村全体を守ろうとしていた事だろうか。1人で抱えるには大き過ぎるそれに、膨大な金額請求に、微かな目眩を憶える。
それをあの時ナミは貯めたのだと言い切った。たかだか8年で、10歳の子供が……それでも新世界ならばまだ分かるがこの東の海で……。
泣きたいような気持ちにさせられながら、このままここに残せばまた狙われるだろうからとその家族と話をつけて、引き取らせて欲しいと話す。それに対して、家族は声を揃えて妙な言葉を口にした。
「ナミは戦えるけど戦えないから、戦わせないで」
何語だ、それは。そう思うのと同時に、理解できる気がした。
それを了承して大切に守ると誓いを立てれば、エースが顔を覗かせた。その効果は絶大で、幼い頃に可愛がっていた弟が居るのならば、大丈夫だろうと言って送り出して貰えたのだ。
用意されたナミの荷物の大半は紙で、成程これは目を離すと飲食忘れて死ぬタイプだなとよく似たタイプの息子を思い浮かべて笑っちまう。ナミの描いた海図は航海士達が嬉嬉として管理し、書物は〝宝玉〟が好きなのだろうかと思いながらも俺の部屋に運び込む。
その他の荷物は蜜柑の植木鉢が数個と、衣類等の入った箱が少しだ。荷物の比重が明らかに偏りすぎている。
書きかけの原稿用紙等も含めて運び込めば、ナミの為の空間では無く紙の山が出来上がった。……よくよく見張らないと、予想外の形で喪いそうだと溜息を落として眠るナミの様子を見に行く。
明らかに凌辱の跡があり、衰弱している。それにも関わらず、あの気丈さだったのかと思えば少しばかり哀れに思う。
それから暫くの後、エースがナミに助けを求めなかった理由を聞き出そうとしている声が聞こえて呆れる。どう考えても、自分の為に傷付いた人達の事がトラウマとなっているのだと分かろうと言うのに。
真っ直ぐなエースには、それが分からないらしい。それから目覚めたナミをエースから救いつつ、この先についてどうしたいのかを尋ねる。
それに不思議そうな顔をしてから死ぬ気はないと意志を示されて、ホッとしつつ膝に抱けばキョトンとした顔で見上げてくる。それに悪戯心が刺激され、同じ結果になる二択を示せば可笑しそうに笑うばかりで、否定されなかった。
そんな様子だと、調子に乗るぞ?
そんな想いを乗せて唇を合わせれば、逃げる事無く受け止めるナミに、このまま食っても良いだろうかと病人相手に思わされる。傍から片時も離すつもりは無いと思うのと同時に、俺はナミの唇を堪能しつつ、この歳で恋に落とされるとはなと自嘲した。
恩人である筈の相手を誘拐するように連れ出した事を責める者は、誰1人として居なかったのが唯一の救いだろうか。