バレンタインと呼ばれる日に貰った腰の布には、小さくイニシャルが入れられていたと後から気付いた。前からある物の中で1番弱っていたそれと交換する形で使っているが、ダメになったその布も捨てるには惜しくて困っている。
「捨てるのも惜しいが、雑巾にするのも悪い気がするねぃ……」
「どうしたの?」
「ん?この布にも世話になったから、何か捨てずに使ってやりたいが……雑巾にするには忍びなくてなぃ」
俺の言葉にナミは少し考える素振りを見せてから、小首を傾げた。その仕草が妙に可愛い。
「……雑巾じゃなければ、文句言わない?」
「まぁ、な」
「ブックカバーで良ければ、作るわよ。残る部分は捨てるけど……我慢してね」
そう言ってくれたナミに感謝しつつ布を差し出せば、大きさを確認してまた少し考える素振りを見せる。それから、気長に待っててと言って笑った。
今日は特に問題が無ければ休んでいても良い日、即ち非番だ。問題があれば働けという〝待機〟を命じられてる日でもあるが。
この非番は休みと勘違いされやすいが、休みではないので何処かへ遊びに行くとか、連絡のつかない状態になるのは原則許されない。だからこそ、ナミとベッドに入る訳にはいかねェと言う訳だ。
「マルコは少し寝てていいわよ。何かあれば起こすわ。私、非番の日はペン没収されるから何かやりたかったの。ありがとう、やれる事をくれて」
そう言って糸と針を取り出したナミは、優しげな顔で縫い物を始める。初めの内は眺めていたが、次第に眠くなり俺だけ眠ってしまう。
どれくらい寝たのか、頭を撫でる手の感触で意識が浮上すると、ナミの声が耳に届いた。甘やかなその声は、俺が長い事求めていた言葉を紡ぐ。
「愛しているわ」
俺が体を先に手にしたから、ナミは俺に対して想いを告げる事が出来なくなった。俺もまた、勝手に勘違いして……体だけでもと回数重ねてたんだから本当に救えねェ。
そっとナミが俺の額に触れる程度のキスをして、そのまま抱き着いてきた。まさか、起こしてるつもりかよぃ?
「お休み」
そう言ってナミは、半分寝てる俺の上で眠ってしまう。ナミを落とさないように抱きしめながら体を起こせば、机の上にはブックカバーの完成品の他に何かが置かれている。
見れば筆箱ならぬ筆布のようで、インクとペンを差し込んで包んだ後別な物に装着しておけるようになっている。持ち運べるように考えられているそれに、どうやら少しでも多くの部分を使えるようにと考えてくれたらしいと分かれば、愛しくならない筈もない。
しかもよくよく見てみれば、内側になる部分に、開くとわかる程度のその位置に、白髭のマークと俺のイニシャルを刺繍してくれている。それも簡易的なマークでは無く、ちゃんとした方のマークだ。
寝てるナミを襲いたい衝動を抑えて、小さく伸びをすると、ナミを抱いたまま親父の元へ行きナミのお袋さんの結婚式へ行く為に、休みを申請しておく。その間も、俺がナミを抱いて離さないのを見た親父が、楽しそうに笑い出す。
「甘えてばっかりいねェで、たまには甘やかしてやれ。マルコが甘えられる相手なのはいい事だが、その分大切にしてやらねェと……壊れちまうぞ」
「……肝に銘じとくよぃ」
身長差も30cmはある。ヒールで誤魔化されてはいるが、それでもその差は歴然だ。
小柄な恋人を抱き締める腕に自然と力が入る。体型は最高級で、顔は可愛く、頭は良過ぎる程だからこそ、常に俺は不安を抱えているんだ。
性格も天然な所と、鈍い所を除けば完璧過ぎる程。まァ、優しいを超えてお人好しだから、騙されて連れ去られたりしそうな所が心配だが。
だからこそ、寝ているナミを部屋に残すのも嫌なのだとは……。親父にはバレてるよなぃ。
休みの許可を貰えた後、部屋に戻る途中で目覚めたナミは、なんで抱いて移動してるの?なんて聞いて来るから……素直に離したくなかったと伝えた。それに真っ赤になって黙るナミに、あんなに何度も体を重ねておいてこの初心さはねェだろぃと少し思う。
それから数日後、何を着て行くかと迷っているナミに、オレンジ色のワンピースと白のカーディガンを差し出して、揃いの靴を置いてやる。それに驚くナミに、着替えが終わったら呼べよぃとだけ言って甲板に向かう。
……ナミに似合う気がして衝動買いしたものの、これ迄渡せずにいた物だが、まァ……今日着るのにも悪くはねェだろう。結婚式に出るからと、俺もまた甲板でフォーマルなそれに着替えておく。
「マルコー……着替えたけど、その……」
「ん?」
見れば思った通り可愛いが、ナミは少し恥ずかしそうだ。可愛過ぎないかな……なんて不安そうに言ってるが、元が可愛いんだから何しても無駄だろぃ。
手招きしてみれば素直に近付くナミ。その髪にそっと指を這わせれば、大人しくしているから髪をセットさせてくれと頼み、簡単に髪を纏めて、白い花の飾りが着いたそれを使ってやる。
それにより、オレンジと白だけでコーディネートされたナミがいた。思わず見惚れる俺に、ナミもまた似たような顔をして俺を見ていて……。
互いに見つめ合い、動けなくなる。そんな俺達に、早く行けとフォッサから呆れたように言われちまう。
追い出されるようにして飛び出した先で、ナミは俺を気遣って時々休憩を挟むように言ってくる。それに苦笑しつつ先を急ぐ。
俺よりも寧ろナミの体力が心配だよぃと内心で呟くのは、どうしたって飛ぶ為の形に変じる俺と腕の力だけで俺にしがみつく形になる人間の違いがある。その上、普通の女よりは力があっても、やはりか弱い女でしかないのだという事を俺はよく分かっているからだろう。
レッドラインが見えて来た頃、その中腹で1旦降りてナミを休ませる。その間にナミの腕を確認して、疲労回復と筋肉痛や腱鞘炎予防にと炎を当ててやれば困ったような様子で、過保護が過ぎるわと言われたが仕方ねェだろ。
ナミの事は大切なんだからよぃ。少しだって、痛みも苦痛も感じないで、俺の傍で笑っていて欲しいと願うのは、当然だろうと思う。
そうして再び飛び立ち、少しして諸島が見えて来ると、ナミが懐かしそうにその表情を綻ばせた。村はお祭りの様相で、どれだけこの村でナミの両親が大切な存在なのかを思い知らされたような気がする。
降り立つと同時に村人に囲まれるナミは、こんな時だけ歳相応な顔をする。だからこそ、普段どれだけ無理させているのかと思わされて胸が微かに痛む。
そんな時村人を掻き分けてナミの愛してやまない姉が姿を見せれば、互いに無言で抱き合いそれから姉に手を引かれて歩き出す。それを見送ろうとした俺の方を振り返り、ナミは不思議そうに首を傾げると当然のように手を差し出して来た。
それはまるで、俺もその大切な家族の1人だとでも言うかのようだ。……俺も、ナミの中で、家族の枠なのかよぃ?
「マルコ、ほら……行こう?」
無意識で掴んだその手は、相変わらず小さい。それにも関わらず、その体に見合わねェ大き過ぎる愛情を俺に向けてナミは笑う。
……勝てねェなぃ。明るいその空間に、まるで当然のように誘うそれに、本来ならば近寄る事も出来ないような暖かなそれに、心が包まれる。
「ナミ」
思わずその指先に口付ければナミが真っ赤になって固まる。だが、これくらいはさせてくれ。
「……あんた達、今日は親の結婚式だって分かってる?っとに、あんた達馬鹿なんじゃないの?」
そんな声に現実に引き戻されて苦笑しつつ謝れば、ナミの姉は呆れを隠さずに早く来なさいと笑う。それからは恙無く執り行われる結婚式を眺めていたが、ナミは泣き笑いをしている。
主役に視線を向ければ、ナミの母親は血の繋がりが無いのが疑わしくなる程に、ナミと良く似た反応をしている。頬に触れられた時、手を取られた時、そんな些細な時に照れるその様子が、ナミと重なって微笑ましい。
娘と蜜柑しか頭に無さそうな母親のそれに、義理の父親を見て苦労したんだろうなぃと思う。そんな俺の目の前でブーケが投げられ、それは見事な放物線を描きナミの腕に落ちる。
ブーケを手にしたナミは顔を赤くして俺に視線を向けるが、何かあったか?
「マルコ……どうしよう」
「良かったなぃ。幸運のお裾分けだろぃ?」
「……つ、ぎの、花嫁って、意味も……」
ナミが赤くなっていた意味に気付いた俺は、それならちゃんとプロポーズについて考えないとなと思う。だがとりあえず今は、その可愛い顔を他に見られないように抱き寄せて隠してしまう事が、何より優先されるべきだろう。
Happy orange day……木の葉に隠れて実る蜜柑のように、男の想いも形を変えていたと気付かされる。葉が実を守るように生い茂るように、互いに互いを守るように抱き合う2人を、今日の主役である筈の両親が正反対の表情でそれを眺めていた。