青空の下で雷鳴が遠くに鳴り響くのを見た俺達は、地獄のサイクロン三連撃を乗り越えた事を漸く認識できた。つまり、交代ではあるが、この後休む事が出来るという事だ。
「乗り越えたぞー!!」
誰が叫んだのか、その後に谺響する男達の雄叫び。それを微笑ましそうに見詰め、当然のように次の仕事に取り掛かろうとする馬鹿の肩を掴んでナースに投げ渡した。
それを難なくキャッチしたナース達とは、視線で会話をする。彼女達も、単なる民間人では無いし、俺との付き合いも長いのだからこの位の意思疎通は視線だけでできて当然だ。
「マルコ!?何するのよ!」
「ナース達と風呂入って来いよぃ。冷え過ぎだ」
そう言って送り出した俺に、ナース達も大喜びで消えて行く。唇を紫にしておきながら、平然と動き回るのを辞めてもらいたい所だねぃ。
そうして親父と共にモビーの状況把握と指示出しを行っていれば、備品倉庫の中にあった物が随分倒れたり割れたりして居るのを見付ける。つまり……酒、香水、インク、薬品等の瓶に入っている物は全てが使い物にならない。
「こいつは……困ったねぃ」
「……こりゃァ、酷いな」
背後から聞こえた聞き慣れた声。言ってる事に大きな違いはない。
俺は振り向く事もなく、問い掛ける。それは、けれども断られない事をわかってのもの。
「サッチ……親父に報告頼めるか?」
「ん?良いけど、マルコはどうすんだ?」
「無事なインク集めて、待ったの効かない書類片付けるよぃ」
こうなるとナミにも相談しなければならないだろう。ナミのそれは、頭に入っているから急ぐものでは無いのも多い。
だからこそ言えば協力してくれる事だろう。だが……だからこそ、可能なら、頼りたくはないねぃ。
誤解から始まった関係を何とか修正して妻にしたが、何処か遠慮がちなナミに負担はかけたくなかった。それも、ナミの使うインクは基本的に船の備品ではなくナミの私物だと言うのも大きい。
「いくら言っても、聞きやしないからねぃ」
経費として計上して貰えないのだから、本来頼むのは筋違いだ。だがこれは緊急事態。
そう思いつつも、ナミが風呂から出るのを待って話を持ちかければ迷い無く提供されたインク壺に恐縮する。そんな俺にナミは笑うが……早目に島に行って、返さないとなぃ。
さり気なく最高級品のインクを使ってるナミのそれは、確かに経費として計上するには些か問題のある金額でもあるが、こんな時の為にも1部だけでも計上して欲しい。
実際ナミの使うインクが最高級品なのは!不可抗力だとも理解している。インクは安物だと穴が空いたり、変色したり、悪臭を放ったりするのだ。
それが何も無い物で、滑りが良い物……と考えれば自ずと最高級品になる。俺達が日常的に使うのは、確認を取る為の物が殆どで、保管期間も数年単位まで。
だからこそ変色したり、臭いがあってもなんとかなると2級品を使っている。ただ、作家であるナミは何十年も原作としてその原本を遺す必要があるのと、海図や地図は何十年と使うのだからこれは不可抗力だ。
元々測量士は最高級品のインク使って貰っていたから、ナミに使われても問題は無いんだがねぃ。ナミは親父の意向を知っているから、自分が高い物を使うのを良しとしないのだ。
話を戻すが、その後食料問題もあり、船を人のいる島へ向ける事に決まる。そうなれば、ナミはまるで当然のように休む間もなく働き出す。
そんな姿を見ていながら、俺は俺でやる事が多過ぎて何も手助けもできない。それでも、互いにこんな時助けは要らない事も知っている。
背中を預けられる信頼出来る仲間でもあるから。そうして時は瞬く間に過ぎて、到着した島は俺達だけの縄張り範囲では無かった。
それでも、俺達の縄張り内でもあるからと買い出し組を選抜していたら猫に惹かれたナミが飛び出して行く。その素早さは圧巻だ。
「モビーにはナミって名前の猫がいるから、他はいらねぇよぃ!」
そう言って止めた俺を無視して、猫に突撃しに行ったナミは止まらなかった。それからそう経たない内にナミの名義で届く荷物に頭を抱えるのは当然で、帰ったらお説教だと思っていたが……。
……帰って来ないとは、どういう事だろうねぃ?
また、変な男達に追いかけ回されてんじゃねェだろうな。そう思えばこれ迄の出来事が走馬灯のように蘇り……俺は隊員達を勝手にナミの捜索に向かわせる。
そんな俺の様子に親父が笑い出して、それでもイゾウとエースは迷い無く隊員達を派遣してくれた。そのまま俺も捜索に加われば、イゾウが念の為行違いを防ぐ為にと言って残ってくれたのは正直有難い。
親父もいるが、親父は忙しくてナミにばかり構ってもいられねェからなぃ。エースは何かに気を取られたらそっちに集中しちまうから、イゾウだけが頼りだ。
「ナミ!返事しろい!!何処だっ!!ナミっ!!」
何をこんなに焦っているのか、自分でも分からない。だが、見つけなければならないという焦燥感は時と共に増すばかり。
やっと手に入れたばかりだと言うのに、失ってたまるか。妻になっても何も安心材料にならない恐怖な事態に、叫びたいような気持ちになる。
「にゃー……」
聞こえて来たのは求めるナミからの返事では無く、この港に大量にいる猫の鳴き声。それにより正気にさせられた。
近くに見える酒場でとりあえず1息入れるかと足を数歩進めると、ふわりとナミの香りが漂って来た。ドクリ……と心臓が鳴る。
「どこだ?……近くにいるのはわかるんだが……」
姿を隠しているのか。そうなると、何かに追われて居るのだろうか。
クリマタクトを使えば、ナミにはその程度容易い。だが、俺が居ても出て来ないとなると……衣服を剥ぎ取られてでも居るのだろうか。
不吉な予感に寒気がする。無事でいてくれ、ナミ。
「にゃー……」
「猫……?」
さっきもこの猫、鳴いてたなぃ。そう思って見れば、ナミと同じ色合いの子猫が1匹。
長い尻尾が、その長い髪を思い起こさせる。美しい毛並みが、飼われている事を示していると言うのに、俺はその猫があまりにも……。
「似てるな。……おいで」
似すぎていて、声をかけずにはいられなかった。けれども近付いて来る筈もないと思っていた猫は、俺の方へ駆け出してくる。
迷子の子供が親を見つけた時に駆け寄るように、今にも涙をこぼすんじゃないかとって勢いで。それが愛しくて、つい抱き上げるけど抵抗しない猫。
そうして顔を見れば、そんな訳も無いとわかっているのに、そうとしか思えなくなる。それ程までに纏う空気と香りがナミそのものだった。
「あれ?ナミ?」
「にゃ!」
猫らしく、にゃんにゃんにゃんと鳴くばかりの猫だったが、俺の問い掛けに頷いたと思った瞬間光に包まれた。そして、人の形を形成したそれは、耳と尻尾の面影を残していて……。
呆然と見つめちまうのは、その耳と尻尾に違和感が無さすぎるからだろうか。部屋に閉じ込めたいと願ったのは、乱暴だろうかと脳内で自問自答してしまう。
「わかってくれてありがとう。気付いて名前呼んで貰わないと戻れなかったみたいなのよ」
「……そうか」
ネコネコの実でも食ったのだろうか。だがそれならば、名前を呼ばれるのが戻る理由にはならないだろう。
半獣の姿とは、本来その能力の良いとこどりをするものだ。耳と尻尾だけあるのはおかしい。
「この耳とかも暫くあるみたいだから、その間この島に停泊して貰える?安全の為に」
「……わかった」
元々狙われやすいナミだ。親父に言えば治るまで出航を待つくらいしてくれる筈だよぃ。
ただ、この更に狙われやすくなってるだろう姿はどうしたものか。俺の知性は何処か遠くへ旅立ったらしく、ナミの尻尾と耳が動くのに釘付けだ。
「ありがとう!」
耳がピクピクと動いて、嬉しいと示す。ちゃんと感情に合わせて動くなら、触覚等もあるだろうねぃ。
そんな事を思った時、ナミが手を握り顔を覗き込んで笑いかけて来た。……凶悪に可愛い。
その想いと共に頭を撫でれば、静かに瞑られる瞳。気持ちが良いらしいと分かれば、本気で猫っぽいなと思う。
「首輪……いや、ネックレスでも、見に行くかよぃ?」
「この耳とかは二日で消えるから、これに合わせてもいい事ないわよ?」
キョトンとした顔をするナミに、首輪をつけて部屋に閉じ込めたいと切に願う。この、無防備な猫をどうしてやろうかねぃ?
そう思って内心で呻きつつ悶える俺の隙をつくように、ナミは何かに気付いた様子で突然駆け出す。その姿でどこへ行くんだと思いながら追い掛けるが、いつもより素早くなっているナミを見失い……途方に暮れる。
仕方なくモビーに帰り親父に事と次第を説明すれば、おおらかに笑った親父が停泊してくれると言うが……。本当にナミは何処へ行ったんだろうねぃ?
「親父ィー!!」
「エース、どうした?」
突然飛び込んで来た末っ子に視線を向ければ、エースはその後、猫しか言わずに猫、猫と繰り返すからナミでも見つけたのかと思う。エースからの冷静な報告なんぞ、初めから期待してねェから苛立ちも無いがねぃ。
「猫がナミで、子猫!!」
「「何語だ」よぃ」
思わず親父とハモったのだけは許して欲しい。それからエースの案内で倉庫に迎えば、壁に張向かって座るナミの姿。尻尾は床にあるが、耳はピンとしていて気分が悪い訳じゃないとわかる。
エースは〝産まれた〟とか〝産んだ〟とか言っているが、ナミが子猫を産むのは流石にないだろう。その場合間違いなく俺の子だろうしねぃ。
「ナミ?」
「あ!マルコ!エースも?」
「何して……」
言葉は最後の〝るんだよぃ?〟を告げられないままに、途中で消える。真っ黒な子猫数匹を守るようにしている、真っ黒な成猫が居たから。
「……ステファンがいるから、飼えねェよぃ」
「うん、それは分かるんだけど……雄猫に追い回されてて、足も怪我してたし、だから保護したら産んじゃったの」
見れば確かに、ナミにより応急処置されただろう後ろ足が見える。雌の黒猫はナミを信頼しているのか、攻撃する気配を見せない。
子猫がナミに甘えても気にしない様子の母猫は、俺とエースに少しだけ怯えた様子を見せる。小さく震えるその姿に、これが当然だよなぃと内心で小さく笑った。
「里親、探すしかなさそうだねぃ。……それ迄、世話は任せるよぃ」
「え、良いの?」
「見捨てるなんて、ナミにはできねェだろぃ」
俺が笑えばナミも嬉しそうに笑って、親子の黒猫達を愛おしそうに見詰める。その姿にエースが何故か蹲り、とりあえず絵の得意な奴に黒猫の絵を描かせて里親募集して来いと追い出した。
子猫を動かせるようになるまでの数日、ナミは子猫と母猫の世話をしていて、その間何故かナミの耳が消えない。猫の近くに居ると、それが消えないのだろうか。
猫の親子を動かせるようになれば、ナミと共に里親を探して回る。だが、里親に名乗り出た男は猫ではなくナミに手を伸ばしたりするので要注意だ。
そうしてナミを守りながらの里親探しは精神的な疲労を産んだが、無事に里親も見付かりナミと二人顔を見合わせて笑う。その裏でハルタが何かしていたようだが、ナミが知らなければそれでいい。
「そう言えば……」
「ん?」
「私が猫の姿になった日、猫の日だったのよね」
「猫の日?なら、数日遅れたが、俺と祝うかよい?」
「お祝い?」
不思議そうに小首を傾げるナミを抱き締めて、頑張ったご褒美に食わせろとそっと告げる。それにより真っ赤になったナミの尻尾がピンと伸びて、ふっくらしているのを見れば笑っちまう。
無理ばっかして、休めと言っても休まないなら、強制的に休ませるしか無いだろぃ?
今日が俺達だけの猫の日だと言うのなら、俺は俺の猫を甘やかしたい。俺だけの猫を独占したいと願って、何が可笑しいだろう?