助けられていたら
やっと……帰ってきた。そう思った。
まだ、身体中が痛いけれど、怠くて重いけれど、そんな事も言っていられない。契約の金額は揃ったのだから、大丈夫。
私は最後の大1番だと気を引き締めて立ち上がると、前を見据える。メリーから海賊旗を外して、そっと抱き締めてから先程稼いだばかりのお金を持って帰宅する。
全額揃ったのを確認して、念の為に埋めておく。それから心配そうにしている最愛の2人に、ただいまと笑いかけて、旗を預けた。
もしも私がこの賭けに負けても、ルフィ達の邪魔はしたくない。だから2人にルフィ達の名前と特徴を話して、もしも来たら渡して欲しいと頼む。
海図と航海術に関する資料を纏めてメリーに戻ると、それを船内に遺して船首にそっと触れる。
「メリー……これが最期かも知れない。そうなったとしたら、ルフィ達の事、お願いね。アイツら馬鹿だから大変だと思うけど、メリーにしか……頼めないから」
手を離して、深呼吸して気持ちを切り替える。メリーを降りてアーロンパークへと歩き出した時、巨大で見知った船がその姿を見せた。
……どうして、ここに!
懐かしさと、恐怖が同時に襲い掛かる。ただ、胸を張って頑張ってるのよと言う事も出来ない。
何処でアーロン達に見られているかわからない以上、迂闊な事は出来ないから。そんな言い訳を脳内でしながら、私は急いでアーロンパークへ向かう。
アーロンパークの門の近くで、呼吸を整えてから唇をキュッと噛み締める。もう、心を揺さぶられていい時は終わったのよ。
「……帰ったわ」
「おォ!仲間が帰ったか!ナミ、今回の旅はどうだった?」
「ふふ、いいカモが居たのよ。お陰で稼ぎやすかったわ。もう少し1緒に居ても、楽しめたかも知れないわね」
そう言って笑う私をアーロンはいつものように見て、それから宴だと叫び……私をその腕に捕らえると、部屋に行くぞと腰を抱いて言う。それがパフォーマンスだけではなくなりつつある事を、私だって気付いてる。
「アーロン、私……忘れる前に海図を描きたいの。私の価値はそれでしょ?」
邪魔するなと視線で言えば、アーロンは私の胸元を見て忌々しいと言わんばかりに舌打ちすると解放した。それに内心ホッとしつつ測量室に向かえば、鍵を閉めてドアの前に座り込む。
「もう、少し……。もう少しよ。奪われない為に、いつも通りに……」
おまじないのように心の中で思っていた事が、言葉となって零れ落ちるくらいには、弱っているらしい。自嘲して立ち上がった直後、見聞色の覇気が発動したのを感じる。
懐かしい気配が、怒りを漲らせて近付いてくるのが分かった。どうしたらいいのかと、嵌め殺しの窓に近付いて様子を見ていれば、何が起きているのかさえ分からないような速度で魚人達が倒れて行く。
覇王色の覇気で倒しているのではない事は、飛び散る鮮血で理解している。でも、シャンクスなら覇王色の覇気で充分倒せるのに……何故?
そう思っていたら、下にいる筈のシャンクスと視線が絡まった。その時何故かゾクリとしたものが全身を駆け巡り、私はその場にへたり込んでしまう。
どうして……?
シャンクスは信頼してるし、師匠なのに、なんで、こんなにも怖いのだろう。アーロンにさえ感じた事のない恐怖感に、1瞬呼吸を忘れてさえいた。
何故か隠れなくてはいけない気がして、拷問される時と睡眠を取る為の部屋に入り、そちらの鍵も閉めてベッドの下に隠れる。人の気配が登ってくるのを感じて、自らの気配を殺す。
その直後、隣室のドアが開いたのがわかった。
「確かに目が合った。ナミはこの部屋にいる」
シャンクスの声だと思った。それにホッとするのに、何故か全身の血液が凍り付いたような感覚が拭えなくて、ベッドの下でクリマタクトを強く握る。
シャンクスに怯えながら、シャンクスに貰った武器を強く握り締める矛盾に小さく笑うと、隣室から感嘆の声が聞こえて来た。どうやら海図を見ているらしい。
「……ナミは、腕を上げたな。だからこそ、なんだろうが」
ベックの声が聞こえて、間違いなく赤髪海賊団だと分かるのに、動けない自分がいる。そして、拷問部屋のドアも切り裂かれて開かれた事が音で分かる。
その瞬間息を呑む音が聞こえた。使い込まれた拷問器具を見れば、確かに驚くだろうと思う。
「……ここで、ナミは生活を強いられていた訳か。……探せ。近くにいる筈だ」
「シャンクス、逃げられた理由に心当たりはあるか」
「……1つ、ある」
シャンクスの声が間近で聞こえる。ベックの足が見える。
「……怒りを容赦なくぶつけた」
「は……?」
珍しくベックの気の抜けた声が聞こえて、幻聴かと耳を欹てる。けれどもどうやら幻聴では無かったらしく、シャンクスがいじけて文句を言っているのが聞こえて、殺気でも覇気でも無いから、耐性がなかったのかと少し納得出来た。
「ナミが手紙で俺に嘘ついてた事がな」
「……まァ、巧妙に隠されてたな。真実混ぜてくる辺りが狡猾だ」
「だろう!?なんで、手紙出せるのに助けを求め無かったんだ。俺が信用出来ないのかと考えたら……な」
「なら、本人に聞いてみろ」
「その為に今探させて……」
その時、ベッドが持ち上がり吹き飛ばされた。先に持ち上げられたから、私には掠りもしなかったのだけれど。
「……気配は無かったが、呼吸で埃が動いていた。完璧に近い程気配が無いからこそ、不自然でな」
ベックはそう言って、煙草の煙を吐き出しつつ笑った。床に這いつくばっていた私は、それを見てノロノロと体を起こす。
「参考にするわ。今後は、気を付ける」
「……ベック、お前、気付いてて聞いたのか!?」
「逃げられるような事をしたお頭が悪い」
その時ふと、気付く。さっきベックは〝シャンクス〟と名で呼んでたなと。
「……2人の時は、昔からの癖で名前で呼ぶんでな。変えると他に居ると知らせる事になるから、いつも通りを装っただけだ」
「まだ何も聞いてないのに」
「ナミは細かい所に気付くからな。疑問はそんな所だろうと判断したが……違っていたか?」
「違ってないです」
私はきっと、永遠にベックにだけは勝てないだろうと思った。それからシャンクスに視線を向けて、小さく謝罪する。
「嘘ついて、ごめんなさい。……巻き込みたく無かったのよ。四皇と呼ばれる程になったのに、こんな小さな事で、煩わせたくなかったの。私1人で、どうにか出来そうだったし……」
「……八年、奴隷になっているのが、どうにかなりそうな範囲か?」
シャンクスの声が恐ろしい程に低い。肩が、体が、勝手に震える。
「10億ベリーは、この東の海で……子供が簡単に稼げる額なのか!!」
シャンクスの怒気で、声で、空気が揺れる。私の体が勝手に萎縮して際限なく縮こまる。
「……どうやって、稼ぐつもりだった!後いくらだった?」
「今日、全額貯まったのよ……。アーロンが約束を反故にしなければ、村だけは助けられる予定だったの」
「……10億ベリーだぞ?」
「えぇ、貯めたの。海賊専門の泥棒として、財宝を盗んだりした。カジノにも出入りしたし、スリもしたわ。危ない事は多かったけど……それでも、貯められたの」
私はこれ以上怒られないように素直に話したのに、何故かシャンクスでは無く、ベックの視線が鋭く光ったのを感じた。そして……。
「……体も、売ったか」
低く囁くような声が聞こえた。それにギョッとして顔を上げれば、ベックが胸を示す。
視線を向ければ、刺青を見せる為に露出の多い姿をしていた事を思い出す。
「……恋人だと言うなら、それは構わなかった。もしも魚にやられたと言うならば、もう少し切り刻むつもりだったが……その反応は、どちらも違うな」
どうしてそこまで分かるのか。そして、ベックの言葉が紡がれる度に、シャンクスの気配が禍々しいものに変わって行く。
思わず床をずって逃げようとするのは、明らかなる恐怖から。けれどもその直後にシャンクスに掴まれた腕。
反抗を許さないと言うように引き上げられ、シャンクスの胸に抱きとめられる。膝が、体が恐怖で小刻みに震えるのが自分でわかる。
私の肩に顔を埋めたシャンクスが、腰を強く抱いて髪に触れる。そして……耳元で低く囁いた。
「鷹の目に、抱かれたな」
体がビクリと反応したのが自分でわかった。どうして相手まで分かるのよ!!
「……他にも居るだろうが、鷹の目は最近だな。ナミに麝香の移り香が残っている」
「この世は広いのよ。ミホークさんだなんて証拠は何処にも」
「しっかり反応して、何言ってる。それにな……鷹の目の麝香は特別製で、同じ香りは存在しない」
……やられた。まさか自分で合わせてるのかあの人。
香合わせとか、似合いそうだけれど!どうしてくれるのよ!!
明らかなる八つ当たりを脳内で行っていたら、シャンクスが私の顔を覗き込んだ。その瞳は切なく揺れている。
「……合意だったんだろうな。金で解決したんなら」
……ここで、無理矢理でした。後から金だけ残されてるのに気付きましたなんて言ったら、良くない事だけは分かるので、私は無言を貫く事にした。
けれどもそれを許してくれないのがベックと言う人で。
「……ナミの性格を考えれば、客達が無理矢理抑え込んだんだろ。初めて会った時、辱めを受けるくらいなら死ぬと言っていたんだ。守る者があって死ねなかった。結果金が残されたと考えるべきだ」
……辞めてください。どうして、全てお見通しなんですか。
寧ろ見てたんですかと問いたくなる。でも、見てたなら私を助けない筈が無いのだから、無駄な質問だわ。
「……シャンクス、あの、ね。……助けてくれて、ありがとう。多分、お金渡しても本当は無駄だっただろうって、分かってたのよ。だけど……信じたかったの」
笑って言ったそれは、間違いなく話題を変えたかったからなのに……シャンクスはそれに泣きそうな顔をするから、胸が痛む。私は言葉を選び間違えただろうか?
「どうしてナミはそう、お人好しの馬鹿なんだ。頭は悪くねェのに」
褒められたのか貶されたのか。そんな事を考えていた私は、シャンクスの動きに反応出来なくて気付いた時には、唇が重ねられていた。
それは、別れのキスの数倍官能的で、もしくは私の体がそれに反応しやすくなっているのかもしれないけど、体から力が抜けて行く。縋るようにシャンクスのシャツを握れば、シャンクスの口付けが深まる。
「……っ……ぁ……ゃ!」
唇を離された時には、既に力は入らなくて、クリマタクトが床に転がったのを視界に映すのみ。そんな私をシャンクスが強く抱き締める。
「もう、傍から離さねェ。こんな思いは、もう……沢山だ」
耳に直接届いた声は掠れていて、シャンクスの体は小さく震えているのに、私の体は力が入らなくて、抱き締める事が出来なかった。それから有無を言わさずに乗せられた船で、私の荷物として、アーロンパークにあった海図と私の家にあった書籍や資料が積み込まれるのを眺める。
同意する暇も、拒む隙も与えられない。王者の決定に逆らえる筈が無いのだ。
蜜柑洗剤等も積み込まれ、倉庫だった筈の1部が改良されて私の部屋へと造り直されただけでなく、私用のベッド等も用意されていた。でも海図は全て測量室に運び込まれたようで、私の生活を圧迫する事は無さそうだ。
「シャンクス、私……戦えないわよ。相変わらず、弱いもの」
「……手放して苦しむくらいなら、守る方が楽だ。馬鹿ナミ」
そう言ってシャンクスは、私をクルーの1人に据えてくれる。だから私は笑顔でお礼を言う。
波間の向こうへと、連れて行ってくれる大切な人達がいる。すぐに諦めるのも、周りに何も言わないのも、結局はただ、周りを傷付けるだけなのだと……優しく教えてくれる人達に囲まれて、私は前を向く。
これもまた、僅かなズレがあれば有り得たかもしれない、もう1つの可能性のお話。