日菜は私のショーツを掴むと、そのまま一気にずり下げた。スカートは縛られる過程で捲れ上がっている。抵抗できない私はお尻とヴァギナが光の下に晒されても、されるがままでいるしかなかった。
唯一できる抵抗として、私は半ば反射的に足を閉じる。身を守るために内ももへ力を込めて、貝のようにぴっちりと足を閉ざそうとした。けれど私の股下まで日菜が膝を突き入れていたせいで、なけなしの抵抗はなんの意味も成さなかった。
「おねーちゃん。暴れると首が絞まっちゃうよ」
瞬間、ぶよぶよと柔らかく、湿り気を帯びた生暖かいものが私の足裏をくすぐった。「ひっ!」と、怖気にも似た震えが走り、私の意思とは関係なく足が跳ね上がる。するとじゃらりと拘束具が音を鳴らし、足枷と連動した首輪が私の首をきゅうと絞めた。
「……ぁ……がっ……!」
すぐさま私は足に力を入れる。踵を裏ももを合わせるように。背筋を反らして、少しでも首と足首の距離を縮めてゆとりを作る。
落ち着いて少しずつ力を抜く。この体勢のまま、身体に負荷をかけすぎない楽な姿勢を懸命に探す。その最中、私は足の親指をちゅぱちゅぱと日菜にしゃぶられた。もう過敏な反応は見せなかった。同時に、先ほどは足裏を日菜に舐められたのだと理解した。
意識がほかに向いた途端、ギャグボールに空いた穴からたらたらとよだれが流れ出た。よだれは顎先の輪郭をなぞりながら、日菜のベッドに染み入っていく。よだれが垂れる不快感と屈辱感。すぐに拭ってしまいたい。けれど今の私は、そんな子供でもできる行為と自由を日菜に取り上げられている。
あらゆる権利を剥奪された私は、日菜という使用者がいなければ存在価値を見い出せない人形になった気分だった。もう日菜は人格を持った氷川紗夜という一人の人間のことなどどうでもよくなってしまったのだろうか。
日菜はすべてを壊すと言っていた。ならば、そうなのだろう。私の尊厳さえも踏み躙って、私たちの関係を終わらせるつもりなのだろう。未練を断ち切るように、姉妹としての関係さえ続けられないように。徹底的に私を壊そうとしている。
それでも。
こんな仕打ちを受けてなお、私に日菜を手放すという選択肢は無かった。
私と日菜の未来へ思いを馳せると、どうしても目頭の奥が熱くなる。泣き叫んでいたのは日菜の方なのに。どうしていつもいつも、私はこんなに不甲斐ないのよ。
「んあっ!」
腟内に得体の知れないひんやりした何かが注入されている。正体不明の不快感から咄嗟に逃げ出そうとするが、急に身体を動かすと苦しい思いをするという経験が、私に反射運動さえも堪えさせた。まるで何かの実験動物。パブロフの犬にでもなったようだ。氷川日菜の犬には、もう成り下がっているのかもしれない。
「安心して。ただの潤滑油だから」
その言葉の一体どこに安心材料があるというのだろう。初めて味わう身の毛がよだつ抵抗感に震えていると、つぷ、と膣口にまた何かがあてがわれた。恐ろしいことに。驚くべきことに。私の膣は容易くその異物を呑み込んだ。
「~~~~ッ!」
悲鳴にすらならない声ではあるが、苦悶の色は十二分に滲んでいた。
きっと指よりも太い。けれど長さはない。ピンポン玉を押し込まれている感覚が近いだろうか。無理矢理膣壁を押し広げられている痛みが、背骨を通って脳髄に伝わる。いつもならこんなものは絶対に入らない。なのに私が分泌する蜜液よりも多く注入された潤滑油が、その不可能を可能にする。潤滑油の働きは、突っかかりなど存在しないかのように、ぬるぬると異物を私の最奥にまで誘った。
これ以上奥まで挿入できないことを悟ったのか、奥の奥まで挿し込まれた日菜の指が引き抜かれる。日菜に指を入れられたことは何度かあるが、今までで最も抵抗が無い。だからこそ、身体の内側をまさぐられている忌避感がいつもよりも際立っていた。
時間をおかず、再び日菜は私の膣へ異物を入れる。次は先ほどよりも細く長い。一回りは大きな物を先に入れられたせいか、今度は痛みらしい痛みは感じなかった。
けれど、見たことも触れたこともない得体の知れない物が私の中で犇めいているのかと思うと、生理的な嫌悪感で総毛立つ。
「ふーっ。ふーっ」
呼吸を深くして、気味の悪い異物感を慣らしていると、日菜がベッドから立ち上がった。日菜が私の股の間から退くと、すぐさま、けれど慎重に、私は内ももを合わせて足を閉じた。たったそれだけの動作でも、足の筋肉の動きと連動して膣の筋肉が収縮しているのがわかる。異物が膣壁に触れる角度が変わり、情けない悲鳴が私の喉を震わせた。
「そろそろ仕上げだよ」
そう言って、日菜は私が注文した荷物を目の前で開封し始める。中からは当然オーソドックスなピンクローターが現れる。
「おねーちゃん、可愛いの買ったね」
そんな感想を述べられると、体内の異物感を忘れてしまうほどに、羞恥心がこみ上げてくる。肝を冷やすような緊張では得られない、身体の奥に火が灯る感覚が膨れ上がった。特に顔や耳に血が溜まり、喋れるものなら、見ないでと懇願したかった。
羞恥に悶える私を見て、日菜は笑い声を上げた。
「ローターを入れて、最後にこれで蓋をしたら完成だから」
言って、日菜は私が見たことの無い器具を、私の目前に置いた。それはピンク色をしていて、三日月のように弧を描き、曲線の内側にはシリコンでできたブラシのような毛先があり、その少し下には小さな突起が付いている。
これは一体何なの? という目で日菜を見るが、彼女は私の疑問に構うことなく言葉を続けた。
「ほら。はやく股開きなよ。あたしに何されてもいいんでしょ? それとも勢いで言っただけで本心じゃなかったとか? まあ、別に抵抗したって痛い思いをしながら無理矢理開かされるかどうかの違いだから、あたしはどっちでもいいけど」
嘘なんかじゃない。
この行為が日菜の回答と言うのなら、私は甘んじて受け入れる。条件反射のような本能的な防御行動も封じられて、私はそろそろと足から力を抜いた。そして自ら、私をひどい目に遭わすと宣告した日菜の指を受け入れるために、足を開く。
すぐに日菜は私の膣にピンクローターを入れ込んだ。その感触で、先に入れられた二つの異物も、形の違うローターなのだと気がついた。
そして、日菜の言う『蓋』がされる。
緩く弧を描いていたのは、私の恥丘にフィットするため。謎だったブラシ状の部分はクリトリスにあてがわれ、小さな突起は膣の入り口を塞ぐように固定される。『蓋』が剥がれ落ちないよう、両太ももの付け根で紐が固く結ばれた。さながら貞操帯のように、私の陰部が覆われる。
「うーん。やっぱりこれも着けよっか」
日菜がそう言い終えると、私は目を塞がれた。日菜は私にアイマスクを装着したのだ。両手両足を縛られた上で視界まで閉ざされれば、途端に心細さが増した。そして両耳を覆うためにイヤーマフも着けてくる。日菜が何かを喋っている気配がするが、何を言っているのかはもう明瞭には聞き取れない。それらを固定するために、頭にぐるぐるとテープのようなものを巻きつけられた。多少首を振ろうが、アイマスクとイヤーマフがずれ落ちることはなさそうだった。
何も見えない。何も聞こえない。身動きすら取れない。
開けることのない無明の夜に、ただ独り取り残されてしまったかのよう。
これは。これはダメだ。
日菜が溜飲を下げてくれるのなら。これで少しでも私の言葉に聞く耳を持ってくれるのなら。そう思えば、どんな仕打ちにも耐えられると思っていた。けれど、これはまるで、日菜が居なくなる世界に無理矢理慣らされているようで。どうしようもない孤独感を刻みつけられているようだった。
これとまったく同じ感情を、かつての私は日菜に与え続けたというのに。
「ひ、ひあ? ひあ!」
気づけば私は、舌足らずな調子で唾液が口端からこぼれ落ちることも厭わず、必死に日菜の名前を呼びかけていた。
あなたはまだそこに居てくれていますか? 返事は、きっと無いだろう。それでも私は問い続けずにはいられない。
私の予想に反して、日菜の手が私の頭を撫でた。もう首が絞まることなんてどうでもよかった。唯一のつながりに縋るように私は必死に頭を突き出して、日菜との触れ合いを求めている。
けれど、すぐに日菜の手は離れていった。これで完全に、私は暗闇の中に取り残された。
直後、奥から順番にローターのスイッチが入れられる。
「あふっ……くっ……っ!」
三つの異なる振動が、渾然一体となって私の膣を震わせる。悪寒によって、ぞくぞくと背筋が震える。気持ちよさなどなかった。私の身体の中を虫が這い回っているかのようなおぞましさだけがあった。
最後に、貞操帯のような『蓋』自体も振動をはじめる。『蓋』についたシリコン毛が陰核を小刻みにくすぐって、こちらは本当に言い知れぬ快楽を与えてくる。
気持ちよさと気持ち悪さが頭の中でぶつかり合い、弾け、混ざり合う。もう何がなんだかわからなかった。自分が何をどう感じているのかすらはっきりしない。処理しきれなかった感情は、そのまま涙となってアイマスクを濡らす。
日菜の手の感触を名残惜しむ暇すらない。私は体内から響いてくる異なる振動の四重奏に、嫌でも意識を向けざるを得なかった。
◇
真っ先に時間感覚が狂った。
引き延ばされた時間の中で、私は藁を掴むことすらできず溺れている。過ぎ去る時間は早いのか、遅いのか。
もう一時間は経っているかもしれない。まだ五分しか経っていないのかもしれない。終わりなんて設けられていないのだから、時間を気にすることが無駄な行いなのかもしれない。
けれど、何でもいいから思考を巡らせておかなければ、本当に狂ってしまいそうだった。
無音と闇。
音の無い世界と光のない世界。
何もないことを示すそれらが、明確な重圧を伴って私を押し潰そうとしてくる。
見えない。聞こえない。感じられて然るべきものが感じられない。そのことが、どうしようもなく私の不安を掻き立てる。
「ふーっ! ふーっ!」
わざと荒く深く息をする。外界からの刺激が無い以上、自分の内側に音を作り出すしかなかった。静止した世界に取り残されているわけではないのだと常に証明し続けなければ、私の正気は非現実的な逆境を前にして簡単に膝を折ってしまう。人間が如何に心の平穏を視覚と聴覚に頼っていたかを実感する。何一つ感じられない今となっては、精神の安寧を求めて他の感覚が鋭くなったような気さえする。
何も感じられない世界を揺蕩う内に、自我すらも溶けて消えないよう、私は残された感覚器官から得られる情報を必死に精査した。
私は日菜のベッドにうつ伏せで横たわっている。幸い、すぐ近くには日菜が愛用している枕があった。もぞもぞと苦労して少しずつ身体を動かし、少しでも楽な姿勢を取るために私は頭を日菜の枕に載せた。
その瞬間、一層強烈な日菜の残り香が私の鼻腔をくすぐった。自我を保つために行っていた荒い鼻息は、そのまま日菜のにおいを深々と脳髄に刻み込んだ。頭を載せて一日の三分の一を過ごす寝具には、日菜のにおいがむせ返るほどに染み付いている。
汗、シャンプーやリンス、香水の香り。日菜の残響に、私の肺腑は犯される。日菜を吸い込む度に、私の中で日菜の影響は大きくなった。
無明無音の闇にぽっかりと浮かぶ泡沫のような我が身。一度弾けてしまえば狂気に呑まれる恐怖心があるせいで、私は思考を止めるわけにはいかない。何かを考えていないと、どうにかなってしまいそうになる。
自然と、私の思考は氷川日菜へと限定された。縋るように日菜のことばかりを考える。
そして日菜のことを考えれば考えるほど、私の中心で震えるローターたちが自己主張を激しくする。ヴヴヴヴヴヴと振動するそれらの強さは一定なのに、日菜を想う間だけより強く振動している気がする。
きっとこれが今の私が感じ取れる、数少ない日菜とのつながりだから。日菜に奪われた自由と、日菜から与えられる刺激。私と彼女をつなぐたった二つの事柄に、私は必死にしがみついている。
もうすでに、体内でローターが揺れ動く異物感と不快感は消えていた。端的に言うならば慣れた。未知の刺激に簡単に慣れるはずがない。そう思っていたが、刺激に向き合わざるを得ない体勢のまま、莫大な時間の檻に閉じ込められれば、未知の刺激だろうといつしか身体に馴染んでいた。この時点で、私がローターの刺激に慣れてしまうほどの時間が経過している。
異物感と不快感が取り払われると、あとにはむず痒さだけが残った。膣全体が弱々しく揺動されるもどかしさ。ローターと接触している膣壁が徐々に痒みを帯びて、指で掻きむしってしまいたくなる焦れったさ。
クリトリスがシリコンの細い毛先でくすぐられることだけが、明確な快楽として脳に届く。同じ材質の柔らかなブラシで膣の襞を一本一本丁寧にこすってほしい。そうすれば。そうすれば私は───
「んっ……あっ……」
気がつけば、私は内ももを擦り合わせて、小刻みに腰を揺すっている。膣とローターの接し方が変化し、微妙に異なる刺激となって私の神経を駆け巡る。羽毛で背筋を撫でられるようななめらかな愛撫に、私の身体は追い詰められていた。
いま氷川紗夜は、間違いなく自ら貪欲に快楽を求めている。より強い刺激を欲している。
腰の振り方が次第に大きく、大胆になっていく。少しでも体勢を変えたい。長時間うつ伏せで居続けることもつらくなり、私は寝返りを打つように身体を横に傾けた。
瞬間、ガチッと異音が体内に響き、膣肉を抉るようにローターが弾けた。
「んんんんんんっ!!」
求めていた強烈な刺激は、完全な不意打ちで私を襲う。大きく身体を動かした拍子に、振動するローターとローターがぶつかり合って不規則に反発したのだ。突然の刺激に私の身体は素直な反応を示した。驚いた身体はきゅううう、と膣を締める。首が絞まることも厭わず、私は身体を小さく丸めて不意の刺激に耐えようとした。
結果、窄まった膣に圧迫され、ガチガチガチガチと三つのローターが暴れ狂う。子宮近くの奥から膣口近くまで、騒ぎ立てるローターが縦横無尽に私を嬲る。すくすくと伸びた淫芽が指揮を取り、好き勝手にがなり立てるアンサンブルをひとつの快楽としてまとめ上げた。まとまった快楽の重唱は、私の残り少ない理性を散り散りになるまで打ちのめす。
「やっ! やあっ! ぅああああっ! イッんんんんっ!」
身体の制御が利かず、私の意思に反して腰が跳ねる。腰が浮く。足がピンと伸びて、ブリッジを描くと、下半身の筋肉がガクガクと震えだす。目の奥では火花が散り、脳は押し寄せる快楽の波を御しきれない。頭の中が真っ白になる。生まれて初めて、私は本気の中イキをした。
「──────」
強張っていた身体からフッと力が抜けて、私はぐったりとベッドに伏した。断続的に横隔膜が伸縮する。まだ快楽の渦が私の下腹部に留まっているようで、集中しなければ呼吸すらもままならない。私は酸欠に喘いでいるのか、絶頂に喘いでいるのか。きっと後者だ。
充足した虚脱感に身を任せる。けれど、すぐに、私に休む暇など無いと悟った。
ヴヴヴヴヴヴ。
ローターは、止まらない。ずっと私を揺さぶり続ける。クリトリスは柔らかく刺激され続け、引いたと思った快楽の波がすぐそこにまで打ち寄せている。
「知あない! こんあの、知あない! ひあ! ひあ! 止えて!」
かろうじて聞き取れる言葉になっていたのはここまでだった。
達した直後のヴァギナがこんなにも敏感になるなんて知らなかった。そしてその敏感なヴァギナを刺激され続けることが、こんなに狂おしいほど気持ちいいだなんて、想像すらしたことがなかった。
獣のような声が私の喉から迸る。エンドルフィンとノルアドレナリンがバチバチと脳内で弾け飛び、私の思考を圧倒的な悦楽が薙ぎ払っていく。身体の制御権は私から離れ、私の意思とは無関係により強い快楽を貪ろうとする。
火の点いた身体は本能に乗っ取られ、昂りのままに腰を振る。足の指がグーを形作るように丸まって、呼吸が数瞬止まった。私は二度目のオーガズムを迎えていた。
興奮は冷めやらない。法悦という炎にじっくりと炙られて、私が私でなくなっていく。快感が血潮に乗って、全身を駆け巡っていた。
死ぬ。死んでしまう。
性の歓びに目覚めさせられ、常に性的興奮を強要される。身体がもたなくなるなんて、想像に難くない。
自分の裡を見つめてはいけない。いま私の内側にあるのは芽吹きを待つ忘我の種だけ。それらを見つめてはいけない。意識しては、意識すればするほど───
「イ゛ぅううう゛う……っ!」
チカチカと目の奥が明滅する。引き絞られた弓のように身体が反り返り、拘束具が戒めの音を鳴らした。
終わりのない興奮の極致。脳髄を蕩けさせる猛毒は、私から反抗の芽を摘み取って、容易く快楽の海に沈めこむ。それでもどうにか、意識を私の外側へ向ける。
けれど私の外側にあるのは、一筋の光すら差さないすべての音が休んだ世界。
私の持つ選択の自由はすべて日菜に奪われていた。
甘い痺れが全身を包む。私の魂はこの世あらざる美酒の海を漂っている。うつらうつらと現と幻の間を行き来し、間断なく襲ってくる蜜のような陶酔に震えている。きっと酩酊とは、こういう状態を指すのだろう。
気持ちいいのか悪いのか。あらゆる感情はすべて微細な振動の前に崩れ去る。朦朧とした意識の中では、自分が起きているのか眠っているのかもわからない。時折膣周りの筋肉が痙攣を起こし、ハッと意識が浮上する瞬間もある。けれど我が身を襲った快楽の一指しが妄想のものなのか、本当に現実で起こり得たことなのか、疲弊しきった脳には判断できない。
指先といった末端に至るまで、私の身体から力が抜けている。縛られた四肢に力を入れられない。頭も身体も心も疲れ切っているのに、眠ることすら許されない。最も身体に負担をかけない楽な姿勢でベッドに横たわった私は、ただぼんやりとローターの振動音に耳を傾け続けた。
やがて、身体を誰かに抱き起こされる。私はベッドとは違った温かな柔らかさにもたれかかっている。いよいよ私の意識は夢に囚われたのかもしれない。
それでも。そのぬくもりが夢幻が生み出した虚像だとしても。久方振りに味わう外界からの刺激に私は心底安堵していた。
仰向けになるよう姿勢を調整され、上を向いたまま顔が固定される。後ろから抱きすくめられているようだった。
そして、私の口の中に冷たい液体が流し込まれる。ギャグボールに空いた穴から滴り落ちる液体に、私の気管は正常な反応を示した。思い切り咳き込んで、口の中に入っていた液体をすべて吐き出す。胸元にひんやりとした感触が広がって、液体が服に染み入ったのだと理解した。
途端、私の感覚が現実を補足する。この感触は夢ではない。実際に我が身に起こっている出来事だ。
ぐっと顔を固定されて、今度はそろりそろりと慎重に液体を流し込まれた。
「んくっ……んっ……んっ……」
喉を鳴らせば、爽やかな甘味が口の中に広がっていく。その味がスポーツ飲料のものであることを思い出すのに、幾分か時間がかかった。もうこれ以上は一息に飲めないと首を小さく横に振れば、スポーツ飲料を流し込まれることはなくなった。
「ひあ? ひああお?」
後味がまだ口に残っている内から私は言葉を発した。ぬくもりが消える。私は再びベッドに沈み込む。ただただ咄嗟に、私は日菜に追い縋った。
「ひあ!」
芋虫のように醜く無様に身体を蠕動させて、彼女のあとを追おうとした。上半身が空を切る。一瞬の浮遊感。ベッドの縁から身を乗り出しすぎて、私はベッドから滑り落ちようとしていた。がちゃがちゃと手枷が音を鳴らす。これは顔から落ちるな。不思議と、冷静に自分を見つめている私がいた。まともな理性なんてすべて蕩けきってしまったとばかり思っていたので、客観的な視点が残っていることが少し意外だった。
「──────」
しかしいくら待っても硬い床との衝突はなく。代わりに両肩を掴まれて、私はベッドの上へと引き上げられた。再び、私は日菜の身体に寄りかかる。温かかった。心が自然と安らいでいく。頭の後ろへ日菜の手が伸びている。ベルト部分が緩んで、私は口枷を外された。
「日菜?」
舌足らずな半端な発音ではなく、ちゃんと喋れる。言いたいこと、伝えたいことがたくさんあったはずなのに、覚醒したばかりの脳髄は適切な言葉を見つけられない。
だから考えをまとめる前に口をついて出た言葉は、ここ最近で最もプライオリティが高いものだった。
「聞いて日菜。私ね、やっと中イキができるようになったの。たぶんきっと、普通の女の子みたいに感じられるようになったんだと思う。だからあなたを不安にさせてしまう心配事をひとつ無くせたのよ」
私と日菜を隔てるわだかまりをひとつ潰せた。憂いがなくなったことを純粋に喜んで、私の口元は綻んでいる。
日菜の手が私の顔に巻きつけられたテープを剥がしにかかる。べりべりという音が私の頭を周回する。そのテープは私の肌や髪には一切くっついておらず、同じ繊維同士でしか粘着力を発揮しないようであった。イヤーマフとアイマスクが外される。たちまち、私は部屋の明るさに目が眩んだ。部屋の窓からは眩しいくらいの朝日が差し込んでいる。その眩しさは痛みすら伴っていて、チクチクと私の眼球を刺し穿った。私はぎゅっと固く目を瞑った。
薄目を開けてどうにか目を光に慣らしていると、背後からカチンカチンと音がする。手と足が動くようになった。手首と足首はまだ革ベルトに覆われている。どうやらチェーンの部分が着脱式になっていたようだ。
私は再び、日菜に自由を与えられた。
もう私を縛るものは何もない。光に慣れた両目からはじわじわと涙が浮かんでくる。自由になった両手で、私は日菜を抱きすくめた。彼女の胸に顔をうずめる。
「日菜。日菜。放したくないの。離れないでほしいの。私は弱くて、愚かだから、これからもいっぱい正しくあろうとしてしまうけど、絶対直すから。日菜を不安にさせないよう努力するから。だから、私と一緒に間違えてください。私の傍に、居てください」
疲労で擦り切れた思考では、言葉を繕う余裕なんてなかった。ただ心に浮かんだことを、そのまま口に出すだけで精一杯だった。
「おねーちゃん……」
茫洋と日菜が呟く。どこか期待するような喜色が滲んだ声。
「居たいよ。一緒に、居たい。いつだって、おねーちゃんだけだった……。いつも真正面からあたしを見据えて、あたしに挑んでくるひとなんて、おねーちゃんしかいなかった。それがおねーちゃんを追い詰めちゃったこともあるけど、それでも、あたしはおねーちゃんの目が好き。真っ直ぐで、力強い瞳が好き。ずっと、あたしだけを見ててほしい……」
けれどすぐに日菜はかぶりを振って、硬質な声音で問い直す。
「いいの? あたしを選べば後悔するよ? おねーちゃんの生真面目さは簡単には直らない。事あるごとに、悩んで、苦しんで、悔いて、つらくなって、罰を求めるようになる。そういう人だよ、おねーちゃんは。───絶対に、あたしを選ばなければよかったって思う瞬間が来るよ?」
「後悔する。だって私だもの。どっちを選んだって、私は死ぬほど後悔する。だったら、日菜を選ばなかったことで安心したくない。心の叫びを押し殺してまで、平穏なんてほしくない。───日菜がいいの。日菜じゃなきゃ、いやなの」
顔を上げる。雪解け水が流れるように、日菜の眦からはらはらと温かな雫がこぼれていた。
その涙は、春の到来を告げている。長かった冬がようやく終わる。
「好きです。ずっと、ずっと、おねーちゃんのことが、好き」
顔を寄せ合い、瞼を下ろす。また一からやり直すことを誓うように、私たちは口づけを交わした。
柔らかな感触が唇に触れる。その途端、とめどなく熱い想いが胸の奥底から吹き上がった。幸せが満ち溢れる。溢れ落ちた幸せが子宮に届くと、私の蜜壺がこれまでになかった動きをする。日菜を求めるように、激しく膣肉が蠕動した。肉壷全体が中に入れっ放しになっているローターに絡みつき、今までで最も甘美な、快楽神経が焼き付いてしまうほどの興奮を私に与える。
「ん゛んっ……!」
驚愕から出た呻き声が日菜とのキスを中断する。あまりに大きすぎる多幸感に恐くなって、私は日菜に縋り付いた。
日菜はすぐに私の異変を察したようだった。「あっ! ごめん!」と詫びるや否や、すべてのローターのスイッチをオフにする。半ば私と一体になっていた振動がようやく収まる。一晩、いや、半日ぶりに、私の中に静寂が訪れた。
「さっきまで存在忘れるくらい普通に話してたのに。……ひょっとしておねーちゃん、キスがトリガーになってイッちゃった?」
一度だけ、こくんと頷く。すぐに私は「はやく取って」と日菜に懇願した。
「───るんってする」
小さく噛み締めるように呟くと、日菜は「今から取るから、おねーちゃんはスカートたくし上げてて」と言った。
言われるがまま、私は膝立ちになってスカートをたくし上げる。そして私は自分が制服姿であったことを思い出した。一晩中転げ回っていたせいか、制服には至るところにシワが刻まれていた。汗を吸いに吸った制服は心なしか重く感じ、私がこぼした唾液やスポーツ飲料が染みになって乾こうとしている。特にスカートなんて汗以外の体液が染み入って、クリーニングへ出せないほどに惨憺たる有り様になっている。
それに今は朝だ。しかも平日だ。日菜も私も本来なら学校へ向かうべきで───
「んちゅ……くちゅ……れろっ……あふっ……っ!」
口内に差し込まれた日菜の舌が、混ざり合った互いの唾液の味が、私のまっとうな理性を蕩けさせ、溶かしてしまった。
「もー! おねーちゃんはホントもーだよ! 絶対いまあたしよりもどうでもいいこと優先しようとしたでしょ! 今さっき自分が一緒に間違えようって言ったばっかじゃん! あたし以外のくだらないことに気を散らせるの禁止ね」
「ご、ごめんなさい。けど、あれだけ人を追い詰めておいて、さっさと触ってくれない日菜が悪いのよ。私が正気を保つために何を考えていたかわかる? 枕に残ってる日菜の残り香で、ずっと日菜に抱きしめられてる妄想をして、日菜のことばかり考えてた。それがいま現実になってるのに、あなたがいつまでも手をこまねいているから、私の思考だって脇道に逸れるんじゃない」
そのとき、人が豹変する瞬間をはじめて目にした。わかりやすく、あたし怒ってますアピールをしていた日菜の瞳が鋭さを帯びて、両手を私の足の付け根に伸ばした。そこで結ばれていた紐がするすると解かれて、前貼りのように私の女性器を覆っていたアダルトグッズが取り払われる。「抜くよ」と一声かけられたときには、日菜はすでにローターのコードを手に取っており、一番手前のローターが私の膣から引き抜かれた。
「ぁん……っ!」
ローターを吐き出す瞬間、秘口がぱっくりと開く。膣を揺さぶられるのとは違った感覚に、私の腰が震える。ローターとともに、私の愛液までもがぽたぽたと滴り落ちた。スカートをたくし上げているため、そのすべての様子が日菜からは丸見えだったに違いない。食い入るような日菜の視線を感じる。心なしか、彼女の鼻息も荒くなっているようだった。
「次、抜くよ」
日菜は二本目のコードを引っ張る。つぷ、と膣口を割って、中からローターが顔を出す。蜜液塗れのローターを引き抜くのは、一つ目よりも時間がかかった。このローターが細く長い形状をしていたせいだろう。ぬぷぬぷとゆっくり引き抜かれる感覚が長く続いて、骨盤と背骨のつなぎ目に微弱な電流を流されているようだった。びりびりと痺れるような感覚に酔い痴れる。なのに、日菜は急に力を込めて、ずるっとローターを力強く引き抜いた。
「あひっ!」
腰回りに帯電していた快楽信号が一気に脊髄へ流れ出す。スカートの裾を掴む手にぎゅっと力が入り、腰が引けて、身体が前のめりに傾いた。軽くイッてしまった。快楽が弾けた余韻が、まだ身体に残っている。不随意運動として軽く痙攣する筋肉が、日菜の目にも映っているはずなのに、彼女はすでに三本目のコードに手をかけていた。
「ひ、日菜……ちょっと、待って……」
「だーめ。待たない」
ぐいっと日菜がローターを引っ張ると、反射的に私の膣壁がきゅうと締まった。けれど日菜は力を緩めない。私のお腹の一番奥で、一番大きなサイズのローターが力任せに膣を広げて出て行こうとしている。その無理矢理出て行こうとする動きが、視界が明滅してしまうほどに気持ちいい。先の余韻と合わさって、私は「待って……少しでいいから、待って……」と喘ぐことしかできなかった。
「おねーちゃんが本当にほしいのはこっちでしょ」
そう言うと、日菜は私の口に人差し指と中指を差し込んだ。ぐにぐにと日菜のしなやかな指で舌が嬲られる。下腹部で今にも爆発しそうな快楽の集まりから目を逸らすように、私は日菜の指に吸い付いた。唾液をまぶしながら舌を絡め、口をすぼめながら日菜の指をくわえ込む。私の意識がそちらに集中したせいか、一瞬だけ膣の締りが緩んだ隙をついて、日菜が最後のローターを抜き取った。
「んんん゛んっ!」
「あはっ! すごい。一番太かったからかな? おねーちゃんのあそこ、魚の口みたいにぱくぱくしてる」
そして日菜は私の口から指を引き抜くと、弛みっ放しの秘口へとあてがった。唾液に濡れた指を、さらに愛液と混ぜ合わせるように、私の秘裂に擦り付ける。
「おねーちゃん……挿れるからね」
宣告通り、日菜の指が私の膣肉を掻き分けて奥へ奥へと入ってくる。
昨日までこの時間は苦痛だった。私にとって日菜が満足するまで耐え忍ぶ時間だった。なのにいまは快楽が白熱し、バチバチと頭の中で火花が散る。視界を灼くような閃光が弾ける度、私の身体は充足感に震えた。もっともっととねだるように、私の蜜壺は日菜の指を咥えこんで離さない。
「気持ちいい……日菜の指、すごく気持ちいいの……っ!」
感極まった想いが涙となって溢れ出る。日菜が指を動かすまでもなく、私は自ら腰を振っている。与えられる刺激を貪って、私は嬌声を上げ続けた。
「おねーちゃんのナカ、昨日と感触が全然違う。昨日もあたたかくて、柔らかかったけど、それは指で触れる表面的なところだけだったんだ。今日は粘膜の上辺だけじゃなくて、身体の芯から、もっと奥の深いところまでとろとろに蕩けてて、触ってるだけで気持ちいい……」
ぐちゅぐちゅと日菜の指が動き出す。肉壷の中を掻き回されて、私の嬌声はより一層人間味をなくしていく。獣のように叫んでは、私のすべてを日菜にゆだね、快楽の海を漂流する。
「あぁあああぁぁぁっ!! 日菜、日、菜ぁ……ああ゛ああぁッ!!」
「こっちだよ、おねーちゃん」
顔に手を添えられる。日菜の顔が近づいて、溢れ出た涙を吸われた。その次には唇と唇が重なり合い、私たちは互いの舌を絡めている。
私は両手を日菜の背中に回して、日菜の口腔を舌で嬲ることにすべての神経を集中させる。互いの唾液を交換する淫らな水音の中には、私の喘ぎ声がずっと入り混じっている。
やがて反響するように、日菜の嬌声も混ざり始める。
日菜のえっちな声を聞きたい。日菜にも気持ちよくなってほしい。そう思ったときには、すでに私の手は日菜の秘芽を押し潰していた。無意識の内に手が伸びて、ショーツの中をまさぐって、日菜からあふれる粘液を指に擦り付けている。
「んんっ! くっ……はぁ……はぁ……いいよ、おねーちゃん」
私は日菜の膣口へ自身の指を挿入した。
抱き合って、膣をこすり合って、舌を絡め合う。
私が日菜のGスポットを掻き出すように指を動かせば、日菜も私の最も弱いところを探るように指を動かす。不快な思いなんて欠片もなかった。もっと曝け出してほしい。もっと日菜に知ってほしい。気持ちのいいポイントを教え合うと、日菜はすぐに私の敏感な部分を網羅した。
昂りが触れられない温度に達するまで、そう時間はかからなかった。
日菜とともに生きてきた中で、最も心が充足している。
「日菜……私、また、イキそう、なの……ずっと身体が震えて、気持ちいいのが止まらなくて……っ! お願い! 膣内でイク感覚を、ちゃんと私に刻み込んで……っ!」
「あたしも、あたしもイッちゃう! もっと強くしていいから! もっとおねーちゃんを感じさせて!」
じゅぷじゅぷとお互いの秘部から愛液を泡立たせる水音が響く。とろんと理性が溶けた日菜の瞳には、同じように締まりのない笑みを浮かべた私の顔が映っている。
汗とともに淫猥な気持ちすらも蒸発しているようだった。日菜がすぐそばにいるというだけで、興奮が冷めやらない。彼女への想いがどんどん上り詰めて、示し合わしたように、私たちは再びディープキスを交わしていた。
「ちゅっ……ちゅう……れろっ……くちゅ……」
「じゅるる……ぬりゅ……ちゅるっ……」
そして互いを求めてやまないディープキスが最後の引き金となって、私と日菜はこことは違う楽園へと旅立っていた。
「日菜ぁああああッ!!」
「おね、ちゃ、んんん゛んんッ!!」
日菜の指を押し潰すように、私の膣肉がぎゅううと締まる。
私の指を奥へといざなうように、日菜の膣壁がうぞうぞと蠢く。
互いにもたれ合うようにして、私と日菜は強く抱き合っていた。しばらくは言葉もなかった。静かな部屋に、二人分の荒い呼吸がぶつかり合っている。やがてどちらともなく、私たちはベッドに倒れ込んだ。
ああ。きっと、あの俗説は本当だった。好きな人の手によって中イキを迎えること。ローターの機械的な振動でイクのとは全然違う。身体を満たす幸福感が、深く、深く、私の心に根を張った。エクスタシーの余韻で速いままの鼓動すら、祝福の鐘のように私の世界に響き渡る。
想いの深さが、そのまま幸せの深さにつながっている。
「一緒にイケたね。すーごく、るんって感じ」
「そうね。シンクロニシティだなんて、まるで双子みたいだわ」
泣いているのか、笑っているのかわからない顔で、くすくすと日菜は声を立てた。
私も同じ表情をしている。くしゃくしゃになった顔は決して見れたものではないだろう。けれど、私も日菜も顔に出ている感情は深い喜びだけなのだ。
───大丈夫。
根拠なんて何一つない。何に対してかもわからない。それでも、私と日菜は大丈夫だと掛け値なくそう思えた。
安堵感から私の意識を繋ぎ留めていた最後の糸がぷつりと切れ、私は泥のように眠りについた。
◇
髪を梳く優しい手付きで、私は覚醒へ続く階段をゆっくりと上り詰めた。
瞼を押し上げると、目と鼻の先に日菜の顔がある。彼女は慈愛に満ちた表情をして、穏やかに微笑んでいた。こちらへ伸ばされた手は私の頭を優しく撫でて、まるで子供をあやしているかのよう。
日菜のあたたかな愛情に触れていることが、無性に安心へとつながった。起きたばかりなのに、再び瞼が重くなってくる。
「おはよう。おねーちゃん」
「……うん。……おはよ、ひな」
寝ぼけ眼で返事をする。うつらうつらと舟を漕ぐ私の唇にとても柔らかなものが押し当てられた。その柔からなものは私の唇の隙間から口腔へと押し入ると、寝起きで乾ききった口内に潤いを分け与えてくれた。そして舌がすくい上げられて、舌の裏側をなぞられたとき、私の意識はハッと現実へと浮上した。
目覚めたばかりの私にディープキスを敢行している日菜に驚いて、私は文字通り飛び起きた。その拍子に口端からは唾液がこぼれ、私は反射的に手の甲で唾液を拭う。
「え? なに? あなた、なにをしているの?」
「おねーちゃんがなかなか起きないから」
「起こし方ならもっといろいろあるでしょう!?」
悪びれた様子のない日菜に呆れ、私は深く息を吐いた。そうして自分がパジャマに着替えていることに気づく。どころか、窓の外は夜の帳が降りようとしている真っ最中。そもそも私が目覚めたのは、私自身の部屋であった。頭の中の混乱は、そのまま定まらない視線という形で表れた。
身体を起こした日菜が、落ち着くように私に声をかけてくる。
「おねーちゃんの制服なら、あたしのシーツと一緒に洗濯して、もう乾いてるころじゃないかな。そのときにおねーちゃんの身体拭いて、パジャマに着替えさせて、おねーちゃんの部屋まで運んできたの」
「時間は? いま何時なの?」
「あー、えっと、大体十七時くらい。朝のあと眠ってから、今までぐっすりだったね。……あ! 学校は気にしなくていいよ! どうせ昨日のうちからおねーちゃんを学校を行かせるつもりなんてなかったから。昨日、おねーちゃん具合悪そうっておかーさんに言っておいて、今日も起きれないみたいって伝えれば、おかーさんから学校に休む連絡してもらえたし。あたしがおねーちゃんの看病するってゴネ続けたら、渋々あたしも休んでいいことになったし」
「───待って。母さんってば、病身の娘の顔も見ずに仕事に行ったの?」
「そこは仮病なんてするわけがないっていう日頃のおねーちゃんの行いと、あたしの交渉術の賜物かな」
「ああ。もういいわ」
ふふん、と日菜は得意気に胸を張っているが、相当鬱陶しく母さんに絡んでいったのだろう。おねーちゃんを看病するのはあたしの役目だから、今日おねーちゃんと顔を合わせていいのもあたしだけ、とかなんとか謎理論を振りかざし、母さんを押し留めている姿が目に浮かんだ。
本当に重病そうなら日菜も形振り構わないだろうと考え、今日のところは様子見ということで雑な対応を母さんにされた気がする。結果的に仮病で学校をサボっているのだから、悪いのはこちら、というか日菜だろう。無用な心配をかけて少し心苦しいが、あとで気分は良くなったとフォローの連絡を入れておこう。
「Roselia関連もとりあえずリサちーに連絡しておけば、あとはまあ、上手いことやってくれるよね!」
「たしかに今井さんなら、そういう気配りはしっかりしているけれど……」
そちらにも、あとでお礼というか、お詫びをしなくてはいけないだろう。
なんだか段々頭が痛くなってきた。つい、眉間を揉むような仕草をしてしまう。
「あとね」
「まだなにかあるの?」
「うん。これはあたしのミスで、おねーちゃんに謝らなくちゃいけないことなんだけど、その、チョーカーをキツく絞めすぎてたみたいで、痕が残っちゃった」
「え?」
「ごめんなさい!」
咄嗟に、自分の喉元を手で触れた。日菜にそう言われても、痛みなどは感じない。指先からは柔らかな布地を触った感触が伝わってくる。
「いまは軟膏塗って包帯巻いてるから、あんまり触らないでね」
たしなめるように日菜が言う。さすがにこれは怒られると覚悟しているのか、さっきまでの元気の良さは消えて、しゅんと項垂れてしまっている。
たしかに、これは面倒くさい。痣を見られるわけにはいかないが、かと言って包帯まで隠す術はない。親や学校、友人たちへボロを出さないで済む設定を考えなければならないなんて、非常に面倒くさい。もう日菜と喧嘩したことにするのが一番楽そうとすら思ってしまう。半分真実であることには違いないのだし。
でもその面倒くささをすべて含めて、まあいっか、と私は考えられるようになっていた。
日菜に向かって手をのばす。折檻されるとでも思ったのか、日菜は固く目を閉じて身を強張らせてしまった。そんな日菜の頭にぽんと手を載せて、私は優しく頭を撫でた。
「ありがとう。私が眠ったあとに、身の回りのことをすべて片付けてくれたのね」
「うん。そう、だけど……怒ってないの?」
「怒っているかと言われれば、怒っていると思うわよ。でも今はそれ以上に気分がいいの。あなたと少しでも仲を深めることができて、嬉しいのよ」
偽らざる心を明かす。真綿に水が染み込むように、日菜の顔色に喜色が滲んでくる。喜びがひとつの臨界点を超えたのか、日菜は勢いよく私に抱きついてきた。それを私は受け止める。つい苦笑を漏らしてしまうが、私は日菜を抱きしめ返す。
「おねーちゃん、お願いがあるんだけど。この怪我の治療、これからもあたしがやっていい?」
「珍しく殊勝ね。別に責任なんて感じなくていいのよ? 元を正せば私のせいでもあるのだし、このくらいの手間なら日菜にやってもらうほどでもないわ」
「ううん、そうじゃなくて」
一度言葉を切った日菜は、顔を私の喉元に寄せて、包帯が巻かれている箇所に口づけを落とした。
「この痣を見てると、あたしがおねーちゃんに絶対取れない首輪を嵌めたみたいで、正直ちょっと興奮する」
「やめなさい」
ぺしっと、私は日菜の頭をはたいた。
「あなたね、ただでさえ私たちは人よりもリスクが大きいんだから、倒錯的な趣味に走り過ぎるのはあまり歓迎できることじゃないわ。そうしなければ性的欲求を満たせられないわけでもないんだから、もっと健全な範疇に収めなさい」
「えー? でも大好きな人を傷つけたり傷つけられたりした痕って、なんだか特別な感じがしない?」
「だから、特別さを感じたいのならもっと他に方法があるでしょう」
「たとえば?」
「そうね……。結婚指輪とか。あれって世界に唯一人しかいない自分のパートナーを示すものでしょ」
「えっ!? おねーちゃん、そういうの着けてくれるの!?」
顔を上げた日菜はキラキラと目を輝かせている。これ以上日菜の性癖を歪めてしまうくらいなら、お揃いのアクセサリーを着けるなんて可愛いものだ。それに私自身、日菜とならそういうことをやってもいいと思えるようになっていた。
指輪でもネックレスでもイヤリングでも、なんでもいい。そういう特別さの共有に憧れがないと言えば嘘になる。
けれど、特別に固執したいのであれば───
「翡翠がいいわ。質やサイズを考慮しないなら、たぶん高校生でも手が届くものはあると思うし。日菜と揃えるなら、翡翠がいい」
「──────え? けど、それ、ずっと前に、傷つきやすいとか言ってたよね……?」
「日菜」
日菜の顔を包むように、私は両手を日菜の頬に添えた。額がこつんとぶつかるまで顔を近づけて、私と同じ翡翠色をした瞳を覗き込む。
「翡翠はね、靭性がとても強いのよ。靭性というのは破壊されにくい性質のこと。たしかに翡翠はモース硬度が低くて傷つきやすい。些細なことでも傷が残ってどんどん見てくれが悪くなるかもしれない。けれど、翡翠は決して砕けない」
目前で、日菜の目が見開く。
「今まで散々傷つけて、傷つけられてきたのに、相手のことを自分以上に大切に想っている。決して壊れないつながりが、私たちの間にはある。なら、私とあなたって、翡翠みたいな関係でしょ」
目に涙を浮かべながら、こくこくと日菜は頷く。言葉にできない想いを伝えるように、日菜は私にキスをした。
あたたかな想いが、唇を介して私の中に広がっていく。
「あたしも、翡翠がいい。絶対、買いに行こう」
「ええ。約束よ」
願わくば。死がふたりを分かつまで、この関係が壊れませんよう。
そう祈りながら、私は日菜と、翡翠色をした契りを交わした。