最後の食器を片付けた時、ヤカンがシュンッと鳴いた。それに合わせてサイフォンとティーポットを用意して、それぞれ準備を進めて行く。
ロビンちゃんは珈琲、ナミさんは紅茶を好むけど……そう思って横目で確認したのは小さな箱。これは水中花のようにポットの中で花開く茉莉花茶で、珈琲でも紅茶でも無いが、二人に喜ばれる気がした。
その為に購入したこれは、二人が揃ってる時に用意して花が開くのを楽しんでもらいたい。だから今回は、今朝ナミさんから渡された蜜柑で作ったケーキと一緒に、いつもの珈琲と紅茶を持って行こうと足を進める。
野郎共の分は、キッチンのテーブルに山積みして来たので問題は無い。飲み物は、冷蔵庫から麦茶でも出して置けば充分だろう。
「ロビンちゃん、こちら本日のデザートです。バニラアイスも添えさせて頂きました。……野郎共には内緒ですよ?」
「ふふ、わかってるわ。そう言えばナミはさっきアクアリウムに向かったから、新曲が完成したのかも知れないわよ」
俺が確認するより早くナミさんの居場所を教えてくれるロビンちゃんにありがとうございますと笑って歩き出す。するといつものようにルフィが〝俺の分のおやつは!?〟なんて言うからキッチンにあるから野郎共は勝手に食えと叫ぶように伝えた。
それにより何処で聞いていたのか、我先にと駆け出す野郎共に肩を落としつつも、やはりそんな反応が嬉しいのだから俺も損な性格だ。そうして自嘲しつつも、俺は愛しのナミさんの元へと足を進めていた。
アクアリウムに到着すると、丁度ナミさんが鍵盤に指を触れさせた所で、待つまでもなく優しい顔で音を奏で始めた。実際、ナミさんの演奏するそれは初めて聞く物で……でもなァ。
続く歌詞が今回は看過出来そうにねェよ。言葉に出さずに煙草に火を付ける事で、俺的には無言の抗議だ。
伝わらないとわかっちゃいるけどさ。どうしてこうも、ナミさんは自己評価が低いのだろうか。
愛しい人の歌うそれが、哀しみと後悔に満ちている事がどれ程の苦しみか……。ナミさんを必要としないなんて選択肢が、俺に存在する筈もねェのに。
そっとデザートのセットを置いて、歌い終えたナミさんに足を向ける。演奏も終えたナミさんが立ち上がるのと同時にその細い身体を抱き締めれば恐ろしく柔らかく、温かい。
ふわりと香るそれは、今朝もその身で蜜柑を獲てきたからだろうか。それとも、ナミさんはやはり妖精なのかな。
「必要としてる」
貴女が居ない世界なんて、無価値に思える程に……貴女だけを必要としています。そんな想いを込めて言った俺に、ナミさんは笑顔を向けてくれた。
蜜柑の花を思わせる優しい笑顔。俺だけの天使。
「うん、ありがとう。私も防災の日は必要だと思うわ」
……待ってくれ、頼む。今俺は、ちゃんと正しい言語で会話ができているだろうか。
何の話ですかと問うべきなのか、それとも俺が何か話を聞きそびれていたのか。そんな葛藤を知らずにナミさんは小首を傾げるから、とりあえず可愛いなと思うのと同時に無意識でその唇へと俺の唇は吸い寄せられて行く。
「それも必要でしょうけれど……今は……」
少しだけ、俺に付き合ってください。俺の方こそ、ナミさんに必要とされないのならば、無いのと同じなんですよ。
そんな言葉を紡ぎながら重ねた唇は、妙に甘い。まだ、デザートは食べても居ない筈なのに不思議なもんだ。
甘いナミさんの喘ぎを聞きながら、俺の方がデザートを堪能させてもらう。結果として、紅茶が冷めちまったのは申し訳ないけれど……。
そうして怒るかと思っていたのに、優しく微笑みながらケーキありがとうと笑うナミさんに完全敗北しながら、味について聞いてみる。すると幸せそうに笑って感想をくれるから、俺はもう天にも登る気持ちだ。
果物の味をシッカリと生かしたデザートを喜ぶナミさんに、もっと喜んで欲しいからと、可能な限り皮もピールとして保管してる。その真実を告げたら、ナミさんはまた笑ってくれるだろうか。
「あのね……相談したい事があるの」
「先程の防災の日とか言ってたやつですか?」
俺の問い掛けにうんと頷いたナミさんは、嬉しそうにケーキを口に運ぶ。その行為が……食ってるだけのそれが、やけにエロく見える。
いや、性交渉と飲食行為は生物学的にも近いものだとは知ってるけど。でもなァ……この、ある意味清浄すぎる存在にそんな劣情をいつも抱いてる俺って、どっかおかしいんじゃ無いだろうか。
「いつも船の上に居るじゃない。私達」
「そうですね」
船に居ないのは戦ってる時位なものですね。普通に買出しだけして、帰って来るなんて経験した覚えが有りませんよ……とは、心中で。
「陸の上なら、何でもないような事でも、船の上では判断1つ間違えただけで、簡単に災害とか窮地とかになるのよね」
「間違いないですね」
「そこで!防災の日なのよ!」
「……防災意識を高めようって?この船の、このメンバーで?……難しい上に無意味な気がしませんか?」
俺の言葉にナミさんはウー……と唸る。その様子が可愛いと言ったら、怒って飛び込んできてくれないかな。
そうしたら腕に閉じ込めて、そのまま押し倒すのに。駄目なら、全身撫で回すくらいでやめておきますけど。
「でもね、緊急時の食事についてはサンジ君としっかり話し合っておきたいのよ。防災グッズ系はフランキーに相談して作って貰うとしても、ルフィなんてそれを使って大惨事を招きそうだもの」
その言葉を否定できなくて、俺は確かにと頷く事で正気に返る。そうしなければ、真剣に話してるナミさんを襲いそうだった。
そもそも、こんなにも可愛くて美しい人が実在するのがおかしいんだ。この人はやはり人ではなく、天使か女神に違いない。
白がここまで似合う人が、他に存在しないのが何よりの証拠だ。そんな事を考えてる俺の目の前で、紅茶を飲んでホッと息を吐き出したナミさんは、真っ直ぐに見詰めて来た。
「私も通常の料理とか、陸でのサバイバル料理はある程度知ってるけど、今回のこれは保存食をどうやって確保しておくかって事が急務の課題だと思うの。食材さえあれば、サンジ君なら何でも作れるでしょ」
絶対的な信頼に、俺は恋情とは異なる胸の高鳴りを感じる。そんな事を言われたら、期待に応えない訳には行かなくなっちまう。
罪な人だ。無意識で俺をたらしこんで、誘惑し続けるのだから。
「そうですね。見た時勝手に食べようって気にならない物がそうなると最適ですが……」
「ルフィの場合、イナゴの佃煮とかも喜びそうだし、寧ろ私とサンジ君が耐えられないものね」
「……何ですか、その、嫌な予感しかない名前の佃煮は」
「その名の通り、田んぼとかによく居る虫のイナゴを佃煮にした物よ。美味しいらしいけど、私はそれを食べるくらいなら餓死する事を選ぶわ」
そう言って身を震わせるナミさんに、その気持ちは分かると密かに頷く。俺もナミさんも、虫は大嫌いである。
そうして話し合った結果、とりあえずフランキーも巻き込んで魚の缶詰めを作るのはどうかと言う話に落ち着いた。魚も取れる時は多く取れすぎるので、それを圧力鍋を用いて無水調理した上で、真空になるようにして缶に詰めれば長持ちするだろうと言う話だ。
「水煮……ならぬ、酒煮にしたら発酵食品だから腐らない筈だわ。冷蔵庫保管でも1週間は持つものだから、真空に出来るなら数ヶ月とか、上手くしたら数年持つと思うのよね」
「火を通せばアルコールは飛びますから水と大差ないですからね。問題は酒に塩分等も含まれるので、調味料を調整する必要があると言う程度ですか」
「そうね。でも、煮る前に味見するのは厳禁よ。アルコールがあるから味が変わっちゃうもの。その味を信じたら完成した時大惨事だわ」
そうして話していたらいつの間にかナミさんはケーキを最後の1口にしていて、そのスポンジの欠片が胸元にポロリと落ちたのが見えた。慌てて指で取ろうとするそれを制して、唇で直接それを貰えば真っ赤になったナミさんについ、意地悪したくなる。
大切な話し合いは区切りになったし、この後フランキーにナミさんを取られちまうなら……その前に少しくらい〝俺との時間〟を作って貰っても許されるだろう。愛しくも愛らしい恋人は、俺の変化にあわあわしているけど……逃がしてやるつもりは無い。
「ナミ……俺にも、デザートを楽しませてくれるか?」
「さ、んじく……っ!?」
「熟れた蜜柑が目の前にあるのに、お預けなんて……言わないだろ」
拒む事を知らないナミにそっと言い寄る俺は、きっと優しくなんてないだろう。でも、防災の日なんて物があるなら……俺という危険物に対応できるようにするのが、ナミにとって1番重要なんじゃないだろうか。
勿論……それを教えてやるつもりは無い。さて、この可愛い蜜柑をどう調理しようか?
俺はコック。最高の食材があるのならば、最高に美味しくしてみせるよ。
薄皮を優しく剥くように、その衣服を剥いて素肌に触れた時、恥ずかしそうに微笑むナミに、俺の心はまた強く縛られた。今日もやっぱり、俺の周りは笑顔と愛で満ちてる。