拝啓……。
前略……。
お元気ですか?
……。
それも何か違う気がする。
いざ書こうと思うと勇気が出なかった。
ゴミ箱は破り捨てた便箋で満杯になっている。眺める度に苛立ちは、ますます募る。
「あぁもう! 鬱陶しいわねっ!」
過去幾度も試みては挫折して、紙屑の量に比例して鬱憤だけが溜まっていく。
納得のいく成果を得られないまま今日も、もう寝ようと決めた。
努力で補えないものを数えたら手の指じゃ足りないけれど、高望みしても切りが無い。
それに私より強い人はいるけれど、私のいる学校よりも戦車の強いところはなかった。
無愛想とよく言われるが、ここは女子校だし。
可愛いと得。それは真理ではあるけれど、共学校に比べれば恩恵にそれほど差異はないと思う、たぶん。
こんな感じで前向きに数え直せば、大概のことは目を瞑れた。
身悶えするような絶望には、今のところ特に縁がない。
ただし不幸とは呼べないまでも、どう背伸びしても覆せない事象はある。
その最たるものが出生年だろう。
他の運動系と同じく、上級生とは、崇め奉られるものである。
心から信奉したくなる先輩もいないではないが多くは扱いを疎かにすると、後々良くない事が起こるから仕方なしにというものであった。
常態からして煩わしいのに、それをさらに助長する懸案事項が黒森峰には存在する。
機甲科の正副隊長を、最上級生を飛び越して2年と1年が務めるという、
我が校のみならず他校を含めても、類例をおよそ聞かない異常な事態が生じているのだ。
青春が一番輝きを放つ3年間を戦車道に明け暮れた対価として、ようやく雲上人としての振る舞いを許されると思った矢先に、この始末である。
下級生時代に虐げられた鬱憤を、晴らす機会に恵まれなかったのは運がなかったとしか称しようがない。
まぁ損しかないのは気の毒だなと、少しは思う。
だが実際には波風が穏やかになるまでに、少なくない月日を経ていた。
こんな小咄程度で済ませていられるのは代償をすでに支払った後だからだ。
異を唱えた者達は、すでに戦車道など辞めている。
私の知る先輩も何人かはいなくなってしまった。
今残る3年生は基本、現体制に従順で表立って声を出すような覇気ある者はいない。
代わりに表立つ場でなければ、何を言おうが許されると錯誤する者はいたが。
戦車戦はとかく経費を食い潰す。
ボールとグラウンドがあれば足るような競技に比べれば運を掴むことは容易ではなかった。
練習試合一戦するのにも並ならぬ予算が投じられているのだ。
一度しくじれば即座に切り捨てられる。どれほど実績ある選手だろうと例外はない。
実力主義と片付け済ますには、あまりにも冷徹である。
全国大会県予選がついに始まり、今年の編成は例年になく厳格に神経質に行われていた。
今年優勝すれば前人未踏の10連覇。
そんな神懸かり的な偉業が出場選手すべての双肩に掛かっているのだ。
誰しもが血眼になって練習に励んでいた。
栄光を掴みたい一心で。
転げ落ちたくない恐怖感で、それは互いに表裏を成す。
全国大会初戦から出場する10両は百戦錬磨の精鋭で固められている。
その中でもティーガーⅠ搭乗員と言えばエリート中のエリート。
黒森峰において最も強き者だけが乗ることを許されていた。
そして、その虎を駆るのは言うまでもなく、あの姉妹である。
片方は当然ながら黒森峰女学園機甲科隊長を務める西住まほ。
そして、もう1人は、あの子。
実力に異議を唱える者などいない。
2人は誰よりも勇ましく、いかなる時もその判断は冷静で正しかった。
全国大会に向けての前哨戦、九州地区予選突破を疑う者は誰もいない。
誰も……。
「余裕だな、逸見。戦闘中に余計な考え事とはな」
「えっ! いえ……申し訳ありません!」
全国大会初戦から準々決勝までの10両は、すべて黒森峰の1軍で占めてられている。
しかし決勝戦となれば最大20両。
この数を補うのには当然、数が揃えばいいというものではない。
今は戦場に立つことのできない2軍にも、高い練度が求められていた。
1年ながらに出場機会を得て、私が任されたのは乗り慣れたティーガーⅡ。
しかし搭乗員構成は大きく変えられており、操縦手、砲手、他2役も務めるのは3年生。
車長だけがすげ替えられて、私はこのチームに属することとなった。
グラウフクスチームからは私の他には唯一、操縦手の内山由貴がⅢ号戦車で出場する。
風当たりなど覚悟の上だった。だが、それでも想像以上に現実は難解である。
「よりにもよって貴方が新車長とはね……。初めまして、逸見エリカさん。操縦手の石光麻奈美です。私達のチームコードはヴィッケ。貴方は覚えてないかも知れないけれど、大津カントリークラブではお世話になったわね」
あの時の私がやったのは苦し紛れの挑発だった。
けれども、まんまと乗せられたヴィッケチームのパンターは走行不能となり、3年生チームの綻びは、そこから始まったと言っても過言ではない。
そして当時の車長は、すぐに更迭されたと聞いた。
誰が悪いわけでもない。
勝負とはそういうものだ。
優勝以外のものは、たとえ準優勝だろうが世間の記憶には残らない。
だからと言って、そこに辿り着くまでに払った労苦を誰が笑えるだろうか。
少なくとも当事者である私には不可能だ。
3年間を戦車に明け暮れた、その事実には胸を張れと叫びたい。
だからと言って、いくら声を荒らげようと誰にも届かない
ヴィッケの車長も無能だったわけではない。
けれども結果とは否応なしに突きつけられるもので、こちらの意など汲んではくれない。
希望や願いなど、簡単に吐き捨てられる。
因縁浅からぬ3年チームの中に放り込まれはしたが、私に恨みを言う者はいなかった。
むしろ皆、私には親切にしてくれた。だからこそ余計に自分の技量不足が腹立たしい。
「判断が遅い!」
「す、すみません……」
「逸見……私達はただ勝てばいいってものではないの。隊列一つにしても、ただ強い戦車が並んで走っているわけではないわ。空手の形みたいなものよ。戦車道の精神、それを蔑ろにしては絶対にいけないの。これは競技であって戦争ではないのだから。言いたくはないけれど、みほさんのやり方は亜流よ。あれは西住流ではないわ」
「おいおい、麻奈美。師範代のご息女にその言い草はないだろう……?」
「いえ、車長の私が、私が不甲斐ないばかりに……すみません……」
「真似たところで貴方は決して強くはなれないわ。それだけは分かって、逸見」
西住流は勝利こそが至上。前進はその要。
どこよりも鍛錬に重きを置きながら、他校の努力は一切をあざ笑うかのように、あらゆるものをねじ伏せる火力、何ものをも跳ね返す装甲。
勝つべくして勝つ。それが西住流、それが黒森峰女学園なのだ。
確かにみほは劣勢を覆すことには長けている。戦況の優劣を作戦によって操れる。
言うなればゲリラ戦は得意だった。
彼女との共闘を重ねる中で、逃げるふりとやられたふりが上達した私には、西住流は久しく忘れていた思想と言える。
「まだよ。まだ足りないわ。甘えを捨てなさい。作戦に頼りすぎなのよ。上手くやれば勝てる、だなんて奢りの最たるものだわ。事態が好転するのを待てば勝てるほど戦車道は簡単ではない事は肝に銘じて」
3年生と同じ車輌に乗って、置いて行かれないようにするのがやっとだった。
けれども苦しいとは思わない。
優しい叱咤の中にも、厳格な再教育の中にも一つだけ、たった一つの切実な想いが込められていることは痛いほどに察せられた。
「別に貴方の能力を疑っているわけではないわ。悔しいけれど私達がまともに公式戦に出れたのは3年生が引退してからよ。貴方のように1年で全国大会の、このティーガーⅡの車長が任されるなんて、そんな栄誉を私達のチームは誰も経験していない。だから貴方にとって、この扱いは不服かもしれない。けれど、どうか分かって欲しい。貴方にはこの全国大会はただの1歩かも知れない。だけど…。私達にはもう、来年なんて、ないのよ」
口を開けば皆、今年でついに10連覇だなんて軽々しく言う。
けれども10連覇の未来図を描いて戦場に立つ夢想家なんていない。いるわけない。
先輩達が必死になる訳はもっと単純で明快なのだ。
この大会が高校生活最後になる。ただそれだけ。
そして、それは他の何よりも優先されるべきことでもあった。
戦車道全国大会、九州地区予選大会最終日。
全国の切符は当然のごとく我が黒森峰が手にする。
誰もが信じて疑わない。
誰しもが、そう装っていた。
2軍の私達は今日も練習に駆り出されている。
そろそろ大矢野原での結果が出る。
「いい加減、貴方達も乗車する準備をしたらどうなの?」
「いいじゃない、麻奈美さん」
「そうさ、模擬戦ったって相手も試合結果を待ってるんだから。別にそんなに急ぐことはないよ」
「はぁ……まったく。どうせ勝つに決まっているのだから。こんな待機時間は無駄なだけでしょうに」
誰も同じことを思っている。
思いつつも、それが叶うかどうかは確信が持てなかった。
1軍のエース達は空の向こうで戦っている。
しかし、ここにいる居残り組も努力を怠ったから待機しているのではない。
結果というのは概ね無情なものなのだ。運命は移ろいやすい。
欺かれる事に慣れた身には、全国大会出場を既定路線とは言い切れない不安は常にあった。
負の疑心は胸の中に居座って、棘となって心に刺さり、いつまでも痛む。
例えば人間、背丈は誰でも違う。
しかし160cmと159cmの人間が一望できる世界に、差があるわけではない。
だが試合となれば判別がつかない微細な差でも採点は下される。
今ここに集っている者達は僅差に苦汁を舐めた者達ばかりなのだ。
揺るがし難い全国大会出場確定の一報が来るまで、誰もが固唾を呑んで待っている。
「あっ!来た!」
誰かの携帯が鳴る。
「黒森峰……優勝……全国大会出場だ!」
「やったあ!」
「……当然よ。当たり前のことだわ。さぁ、練習再開よ。車長、命令をして」
「あっ、はい! ティーガーⅡ! 各員乗車開始!」
進む姿は乱れ無し。車体を駆け上がる姿すらも美しく。
『さぁ、これから忙しくなるぞ! 準決勝、そして決勝戦まで出番はないかも知れないけど遊んでる暇はない。隊長達の足を引っ張らないようにしなくちゃな! では各車両、状況開始!』
『了解! 状況、開始します!』
みほ達と戦う場所は違うけども、見上げればきっと空は同じ澄んだ色をしているはず。
同じ空の下で、私達は今日も練習に明け暮れる。
戦車道の夏はこれから始まるのだ。
「では、石光先輩。戦車前進。お願いします」
「了解……。戦車……前進」
命令は復唱された。
しかしティーガーⅡは進まなかった。
「石光先輩?」
「ねぇ、麻奈美さん?」
「どうしたんだ?麻奈美」
「……ごめんなさい。ごめん……私」
「……大丈夫です。大丈夫ですよ。すみません。無線を……」
『こちらヴィッケ、申し訳ありませんが一時戦線離脱の許可願います』
『了解、そんなには待てないぞ。よろしく』
「ごめん……私……私のせいで……私は、心のどこかで、もう試合には出られないんじゃないかって……ごめん、ごめんなさい……」
「大丈夫、大丈夫ですよ。石光先輩」
「そうだよ、麻奈美。大丈夫。泣き止むまで待つよ」
それからすぐに学園艦はみほを乗せて東へ向かった。
おめでとう、と伝える機会もないままに。
部屋に帰って来なくなった彼女に手紙を書こうと決めたのは、もっと前からだった。
1軍は黒石原や鹿北GC、熊本城南ゴルフ倶楽部を点々としていたため、お互いに顔を合わせなくなってから、もう随分と経つ。
そして挑戦しては頓挫して、時間は大分過ぎてしまった。
机に向かって、これで何度目だろうか。
だが今日ならば、ようやく書ける気がする。
見栄ばかり張って、背伸びばかりしようとしていた自分を恥ずかしく思う。
憚ることなく嗚咽を漏らす先輩を目の当たりにして、自分を繕うのは辞めようと決めた。
気持ちに修飾なんて施すもんじゃない。あの子に伝えたいことだけをしたためよう。
文章の巧拙は分からないけれど、便箋を埋めるのは意外なほど簡単だった。
なんだ、やればできるじゃない。
後はこれを投函するのみだ。明日の休日、朝一番にしよう。
今日はこれで、おやすみ。
「ただいま! エリカさん!」
「……はい?」
部屋のドアを開けるとみほがいた。
手紙を書こうと夜更かしした影響で起きるのが遅くなった。
気がつけば太陽は正中を、とうに過ぎていた。
だからって、何でお前がいるんだ。
「すごいね! やっぱりヘリは速いね!」
「あ……うん。お帰りなさい……」
「うん! ただいま! やっと会えたよ!」
抱きついて来たみほの頭を撫でながら心中は複雑だった。
昨晩までの私の苦労は一体……。
「あっ! そうだ! 私、せっかくだからエリカさんのコーヒーが飲みたいな!」
「……珍しいわね。でも貴方みたいなお子ちゃまに味が分かるのかしら?」
「えー! ひどいよ!」
わざとらしく頬を膨らませて見せる仕草に、笑わずにはいられなかった。
まぁ、いっか。
手紙はまた今度、書いて出せばいいのだ。
「はいはい、いいわよ。お疲れ様。重役を見事果たした副隊長殿だもの。労わないといけないわね。じゃあそこで待ってなさい」
「うん! あと、砂糖はいっぱい入れてね?」
それをコーヒーと呼んでいいものか。
ま、嗜好は人それぞれだ。今日は特に咎めず許してあげるわ。
早速ミルを取り出して、そうだ、今回はプレスで煎れてみよう。
まずはお湯を沸かさなくては。
「あっ、そうだ! エリカさん、お土産があるんだけど、置いとくね」
「あぁ、悪いわね。ありがと。適当に机にでも置いといて」
計量スプーンで豆を掬う。
電気ポットから湯の沸く音が聞こえ始めた。
そして、そこでようやく何かに気付く。
ん?
机……だと……?
「あああああああああああ! ちょっと待って! みほ!」
「エリカさん……これ……私宛の手紙だ! うわあ! ありがとう! 読んでいい?」
「ちょっと! やめてよ! お願いだから!」
「ええ? だってどうせ読むんだもん。いいでしょ!」
「せめて私のいないところで読んでよ!」
「だーめ。その申請は却下です!えー……まずは、みほ、全国大会出場おめでとう」
「ちょっと! 音読はお願いだから! せめてそれだけはやめて!」
――みほ、全国大会出場おめでとう。
ルームメイトとして貴方の活躍を誇りに思います。
今はまだティーガーⅠに乗る貴方の姿は見れないけれど
準決勝が来たら、貴方に追いつけるから。
だからどうかそれまで待っていて下さい。
でもよく考えれば準決勝に行けるかどうかは貴方達次第でしたね。
思えば、戦車に関してはいつも貴方に頼ってばかりでした。
今回も勝手を言わせて貰えば、私を準決勝まで連れて行って欲しい。
貴方と同じ場所で戦いたい。
貴方の背中を守るのは私の役目でありたい。
そう素直に言えるまでに随分無駄な時間を費やしてしまいました。
本当は中等部の頃から貴方のことを知っていました。
知ってはいたけれど、その頃は話す機会もあまりありませんでした。
高校に進学して、貴方と話ができるのは、まるで夢のようです。
お互いにつらい事もあるけれど、戦車道を続けてよかった。
私は心からそう思っています。
だから、より一層、会えない今がもどかしく感じます。
今すぐ会いたいって言ったら、貴方は飛んで来そうだから、
それはあえて言いません。どうせ私達はいつも一緒なんですから。
雲を見ても星を眺めても、いつも貴方のことを考えています。
離れていようがきっと同じ光景を見ているのだろうと。
私はもっと貴方の近くで同じ風景を見てみたいです。
戦車だけでなく、いろんな所を貴方と二人で。
みほに会えて本当によかった。
それでは怪我のないように頑張って下さい。
再び会えるときを楽しみにしています。
私の大好きなみほへ
「……うん。帰って来たよ。エリカさん」
苦笑するしかない。
私ってなんでこうも、間が悪いんだろう。
「……おかえり。ずっと会いたかったわ、みほ」
この瞬間をずっと待ち焦がれていた。
そう、なぜなら話したいことはいっぱいあるのだ。