バスは57号線を阿蘇の麓へと走る。
車内は木漏れ日の気まぐれな明滅で、水面の様に揺らいで見えた。
暗がりに差す光の筋が宙を漂う埃を照らす。
空気は無色なふりをして濁っている。
現実においては、掛け値無しに透明なものなんてない。
この教科もそうだ。
乙女のたしなみなんてお題目を付けてはいるが、これで何の礼儀作法が学べるものか。
こいつが教えてくれるのはもっと、人間の根源に関わる欲望だ。
譲り合いとか優しさだとか、汝、隣人を愛せとかいう争いを忌避する教義は後々に人類が身に付けたものであって、猿と大差なく樹上で暮らしていた時代には存在しなかった。
しかしながら地に降り言葉を生み出し文明を築いた今も、人は本能に抗えない。
この鋼の乗り物も、元は農耕機だったと聞く。
だが不可逆的な進化を遂げた鉄塊には、もう他の目的は果たせない。
これは決して畑を耕す道具ではない。
本能を、忠実に発揮することに最適化したもの、それが戦車である。
食料を奪いに来るものを追い払え。
殲滅。
根絶やし。
生存圏の脅威を払拭するためには、相手を屠れ。
殺られる前に、殺れ。
そのために砲身は備わっている。
わざわざ棍棒で殴りに行くよりも、なんと効率的なことか。
これが人類の叡智だ。
だから、これに乗るのなら、相手を思いやる必要なんてない。
強い者が生き残る。ただそれだけ。
私は3年間を観客席から仲間達を応援するために、この高校へ入ったのではない。
優勝旗を自分の手で掲げるためだ。
在籍したという事実だけを思い出にするつもりはない。
いかに素早く、いかに多くの相手を、誰よりも上手く。
そのために練習を重ねた。誰にも負けないために努力をした。
そうだ、これは闘争なのだ。
餌にありつけた獣だけが生き残る。そういう戦いだ。
だから勝てばいい。勝てばいいのだ。
勝てば。
勝てばいい。
……勝たなきゃ。
今日こそは勝たなければ。
サスが路面のギャップを吸収しきれずに、ふいにバスは大きく縦揺れをした。
「おおっと」
隣の席で居眠りをしていた装填手の下田奈緒が目を覚ます。
「あ? 着いた?」
「まだ着いてないわよ」
セメント工場のサイロが見える。
大津CCまで、道はあと10分くらいだろうか。
「なんだ、エリカ。お前もしかして緊張してんの?」
「そりゃするでしょうが……」
新人戦に向けての強化演習。
表向きはそうなっているが今回はただの紅白戦ではない。
相手は全員が強豪黒森峰で3年も戦車に乗っていたやつらだ。
1年以上戦車に乗っている人間をかき集めて、かろうじて2小隊規模になった私達とは
練度も場数も違う。結果を想像すれば緊張しないはずがない。
「しょうがないじゃん、こうなっちゃったらさぁ。華麗に咲いて花と散ろうぜ」
「散ったらだめでしょうが!」
下田はいつも、緊張からほど遠いところを生きていた。
本当にお気楽なやつ。
「だぁーって俺、装填手だからさぁ! ……敵さんの姿が見えるでもなし。どこへ向かうかは俺の意志は関係ない。タンク次第だもんなぁ」
突然彼女が聞き慣れない低さの声で呟く。
高校で出会ってチームになってまだ日は浅いけれど、それでも初めて見る表情をしていた。
弱音ではない。それは目の力が否定している。
諦観。
万物流転が世の理なら逆らっても仕方ない。在るがままを受け入れる。
弱いから吠える。強ければ力を行使したくなる。
そういう持たぬが故、持つが故の脆さを超越した深遠を宿した瞳。
「俺は装填手だ。どこへ行くのも、何を撃つのも、口出しするのが俺の役目じゃない。弾の種類を間違えずに、さっさと次が撃てるようにする。それが俺の仕事だ。だから、勝ったら嬉しいけど、何か違うんだよ」
ようやく彼女が従来の明るさを取り戻す。
「尊敬してるんだ、お前らを。勝つたびにかっけぇって。俺のチームはすごいんだって。俺は乗ってるだけなんだ。だから負けても恨まないよ。もう戦車道にも悔いはない」
「何よ、悔いはないって」
「だってお前、この試合、負けたら戦車、辞めるつもりだろ?」
驚きのあまり返答を見失う。
図星だった。
とはいえ誰かに相談した訳でもない。
1人密かに抱き、覚悟していたことなのに。
「……なんで、それを」
「だってお前、いつも1人で泣いてたじゃん」
瞬前まで優れた洞察力に感心をしていたが、今は羞恥が上回る。
「はぁっ! 見てたの!?」
あぁ……無理……。
隣の人間をもう直視できない。こんな場面で、手とは便利なものだ。
こうして両手で顔を覆えば目を合わさずに済む……。
「あ、ごめーん。これ言っちゃダメなやつだったぁ? もしかしてぇ」
指の間から薄目を開けると、下田は芝居っぽく口に手を当てて今にもムフフって擬音が聞こえて来そうな顔をしている。
「あーもう! うっさいわね! 励ましたいのか馬鹿にしたいのかどっちよ!」
左右でワンツーを彼女の肩に決める。
「痛ぇ! いーじゃん戦車辞めたらさぁ習字でもやろうぜ、一緒に。お前が戦車辞めたら、ハイソウデスカって続けるつもりはねぇよ。俺も戦車辞めるから」
「……下田」
「だからさぁ」
それはとても短くて、強い意志の込められた言葉だった。
「勝とうぜ」
「……そうね、絶対勝つわ」
そうよ、辞めるために入ったんじゃないわ。
火力も装甲も戦車とは、そのために先人は設計を施したのだ。
乗員が勝って生き残るために。
ならば戦車乗りの目的も、おおよそ一つしかない。
バスが左折し、木立の中へ入り車内も薄暗くなる。
目的地はすぐそこだ。
もう緊張はない。恐れることは何もない。人の未来を照らすのは陽光ではない。
自分の、意志だ。
「全員、降車!」
上級生の掛け声と共に皆、バスから規則正しく降り素早く等間隔で整列をする。
駐車場には生徒を運んだバスの他にも一足先に車両を運んだ運搬車や戦車道連盟の関係者車輌。
それに野次馬も大勢いる模様で、演習のために貸し切りとはしているが傍から見ればなかなかの混雑ぶりである。
黒森峰の戦車に習ったわけではないだろうがBMWにベンツ、ドイツ車が多い気がする。
あれはマイバッハか、すごいな。
向こうには陸自のHMVとLAVが見える。
今日の審判には大矢野原でお世話になった方も見えているのだろうか。
車や人へ目的もなく視線を巡らせていると、ふいに3年の列にいた山下と目が合った。
そして先に目をそらしたのは彼女の方だった。
私の気迫に気圧された?
……わけないか。
取り立てて注視するものはない。明らかに態度が語っている。
望むところだ。お前には、絶対に負けるものか。
西住まほ隊長による進行の下、審判長や顧問の挨拶が続く。
気持ちはうわの空のまま、心拍数だけが上がる。
いけない。車長は常に冷静に。
焦るな。結果はどうあれ、後悔はしないと決めたのだから。
焦るな。
焦るな。
「では、質問はあるか? ………なければ各チームの隊長、副隊」
「はい!」
ん?
事前のブリーフィングで詳細な説明がされているので、本来ならば儀礼的でしかない質疑の時間に挙手する者がいる。
我らが1年生チーム隊長、西住みほだった。
「……なんだ? 西住」
隠す努力皆無の不機嫌そうな顔をして、西住隊長が自分と同じ姓を呼んだことにどこからともなく失笑が漏れる。
一方の妹は全く臆することもなく、場にそぐわない何故今頃になって聞くのかという内容を繰り出す。
「えーと、今回の演習場の範囲を確認させて下さい」
今回の演習場である阿蘇山大津カントリークラブは、国道57号からクラブハウスに至る私道と延長にあるコース管理道路によって南西から北にかけて明確に境界線がある。
東端に関してはアウトコース2番ホールから9番ホールまでのOBラインを外周とする。
地図にすると、形はまるで卵のようだった。
立体的に見ると北東9番ホールの標高300mを頂端とし、南の境界である国道57号線に向かって標高220mまでなだらかな下りが続く起伏に富んだ丘陵コースである。
3年山下がこの地で勝率9割を誇るのは、この高低差に拠るところも大きい。
もっとも標高の高い東側8番ティーグランドからは西の平地は、ほぼ丸見えなのだ。
敵からの発見を逃れるには南端11番を大きく迂回するくらいしかない。
OBゾーンのブッシュを巧みに利用し西から逆に東の高所を抑えることも、運用次第で可能ではあるが初期配置の比重は大きい。
そして今回の演習も開始地点は、3年生チームが東側、1年は西側の配置となる。
こちらは行動に制約がある。
いかに死角を突いて後背を取るか。常にその問題が付きまとう。
だが高所を陣取られたからといって、勝機がないわけではない。
全車両の裏をかく必要はないのだ。
今回の試合形式はフラッグ戦である。ならばフラッグ車の1両だけを狙えばいい。
「質問は以上か? ……では正副隊長は前へ!」
西住まほ先輩の凜とした声が響き渡る。
「……エリカ。呼ばれてるけど」
いけない。何も聞いてはいなかった。
砲手の入部裕美に促されて前へ進む。
この1歩さえ間違えなければ、後は大丈夫。
よし、手と足は別々に動かした。
初体験に近い緊張にぎくしゃくとしながら足元から視線を上げると、少し先に、みほがいた。
彼女に遅れまいと歩を早める。この時、奇妙な錯覚を覚えた。
だが今はそれの名前を探している時ではない。
不思議な高ぶりを胸にしまい込み横列の立ち位置を揃え、そこであらためて3年生チームと対面する。
敵の大将はもちろん山下文代。
交わす言葉もなければ目線も合わせることもない。
お互い無言のまま対峙する。
「一同、礼!」
ジャッジの一声に、全選手が頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
真っ先に反応したのは、みほだった。
「よろしくお願いします」
各々が、みほに続いて礼をする。
挨拶を交わしただけの数十秒。
顔を上げたときには、すでに相手の山下は踵を返して歩み始めていた。
だが呆気なく終わった束の間の時間は、全てを変える。
もう後戻りはできない。
去り行く3年生チームの背中を寸刻眺めた後、私もみほも歩き出す。
咆哮のごとく発した先程の礼から、彼女もまた無言であった。
それぞれの収まるべき場所へ。主を待つ戦車の下へ向かう。
頑張りましょう。
よろしく頼むわね。
何でもよかったがその類いの言葉を投げかけようと再び、みほの背中を見る。
だが、声が出ない。
また緊張か? いや、そうではない。
気分は高揚している。怯えなど感じない。
理由は、彼女の背中にあった。
整列から挨拶、歩の進め方に至るまで。
西住みほの背は、とても同学年とは思えない威厳を放っていた。
名前のない違和感の正体。
今度は鮮明に、来るべき理想の姿を、命名された幻が眼前を覆う。
彼女の背中は白昼夢のようでいて、約束された光景のようでもある。
これから何度も仲間を率いて、この子は前線に赴くようになるだろう。
思わずにはいられなかった。
この子が隊長って、結構似合ってんじゃないの。
試合開始の礼も早々に開始地点へと向かう。
見るべきものは見た。
あとは3年という月日の重みを示すのみ。
敬愛する西住まほの妹、そして存在が許されない逸見エリカという女。
対極となる二人との一瞬の会遇。
だが感傷に浸る暇など許されない。すでに勝負は始まっていた。
挨拶などどうでもいいのだ。あの時間、一番大切なことは確認である。
相手チームの人員構成、そこから使用される車両を推測し作戦の修正すべき箇所を洗い出し、さらに精度を高めていく。
握手や余計な言葉はいらない。
まずは、この違和感の理由を探らなければ。
「おかしいですね、山下さん」
「そうね、変だわ」
「乗員4人のチームが2組も……」
戦車を動かす人数は車体の大きさ、割り振る役割の煩雑さで決まる。
Ⅲ号もパンターも、戦車を動かすには車長を含め人員5名を必要とした。
そもそも乗員4名の戦車は、この黒森峰にはⅣ号駆逐戦車/70(V)ラングしかない。
ラングの重量は25.8トン。
火砲は強力だが砲塔装置を廃し、簡略化したためⅢ号戦車に次いで軽い。
殴り合いには不向きな駆逐戦車を使用してまで削りたかった重量は、一体何に費やされるのか。
思い当たる理由は、一つあった。
それは他でもない。相手の指揮官は西住みほだという事実。
普段から上級生に混じり鍛錬を積む彼女が乗るのは、代々受け継がれた車体番号217。
「……近付かないと無理ね」
そうでなければ。
我々3年生チームの主力であるⅤ号パンターの7.5cm砲では1,000m以内まで接近しなければ、厚さ100mmの前面装甲は撃ち抜けない。
確信する。
それが彼女達の切り札だ。
「あの子は、西住みほはティーガーⅠで来るわ」
西住みほを知る者一同の顔が強張る。
山下は慰めるように、子をあやすように優しく笑う。
「大丈夫よ。例えあの子が車長でも、その周りは1年なのよ。普段の試合とは違う」
そうだ、砲手も操縦手も所詮は1年。彼女の才能にしてみれば囚人を括る重石に等しい。
その覆し難い事実を前にようやく同僚達も安堵の笑みを浮かべる。
「あら、恐れることも大切よ。人間は臆病であるほど生き残るため、より最良の策を講じるのだから。我々が捨てるべきは驕りと油断……」
皆が息を呑む。
山下が呼吸を整えた後、隊員達を見渡す。
「それでは、全車。指示あるまで程好く緊張をすること。試合が始まったなら、最後の車両に白旗が上がるまで絶対に手を緩めないこと」
そして略帽を、被り直した。
「これは教育です。我々の志す戦車道を後輩達に示して差し上げましょう。黒森峰は各人が戦車道の模範たることを期待します」
山下の檄を合図に搭乗が開始される。乱れぬ均一な動作はまるで演舞のようだ。
発動機が一斉に始動し、マイバッハ12気筒エンジンが唸りと共に白煙を吹く。
もう蟻を踏み潰すことにも一切躊躇しない。
さぁ、来なさい。西住みほ。
一方の西側開始地点から東を望むと、山嶺は校舎から眺めるよりも雄々しく在る。
ここは阿蘇が、とても近い。
あの方角のどこかに、敵フラッグ車がいる。
こちらからも視認できないなら条件は対等だ。精々慌てるがいい。
私にとって戦車の車内は落ち着く場所だった。
それは胎児の頃、耳にした母親の心音に似ているからだろうか。
同時に、頭は冷めているのに今までになく強い鼓動を感じる。
何故これほどまでに心が滾るのだろうか。
それは心臓と内燃機関の律動が、同調しているからで間違いない。
エンジンこそ、私の命。
ガソリンこそ、私の血
無限軌道こそ、私の足。
暖気なら済んだ。
あとはギアを入れるだけ。
『あーあー、テスト。テストです。各車状況を報告して下さい』
各車両が、みほの点呼に応じる。
『緊張しますよね。私もしています。本作戦の成功は、皆さんがどれだけ敵を引き付けられるか。これに懸かっています。ですので攻めるだけではなく不利になったら退いて下さい。撃破するだけが全てではありません。分散させることにも意味があります』
みほが大きく息継ぎをする。
『本当の目的は敵フラッグ車を孤立させること。そこに勝機はあります。だから無理はしないこと。そして絶対に諦めないこと。私達は必ず勝ちます。各員、自分を信じて下さい。私は皆さんを信じます』
「おっしゃ勝つぞおおおおおお!」
「……ようやく動態目標が撃てるのね」
「ええ、そうよ。いくらでも弾を撃ち込んでやりなさい!」
「ちょ、ちょっとみんな静かにしてあげて」
通信手の三浦ひよりの指差す方向には、操縦手の内山由貴が焦燥しきった顔でハンドルを握りしめている。
腕輪の呪いを受けたファーヴニルもかくやと言わんばかりの、ちょっと年頃の乙女がしてはいけない表情をしていた。
「ああもう! うるさい! イライラする!」
「なんだぁ? 由貴。お前も緊張してんのか?」
「由貴ちゃん、先週からずっとこんな調子なんだよ」
「……まぁ無理もないわ」
「お? なんだ? クールビューティースナイパーの入部さんが人の気持ちを理解するなんて高等テクを持っていたとは。ははーん……じゃあ、さてはあの日だな?」
「……あんたホント馬鹿ね」
「奈緒、降りて。轢くから」
「わぁ……冗談だよ内山さん……」
「ちょっと、由貴。今になってまさかどこか具合が悪いなんて言わないわよね。ホントどうしたのよ」
「エリカ、先に言っておくわ。私、平らなところ以外は絶対に走らないから。この大一番でスタックして白旗だなんてことになったら……貴方を殺して私も死ぬわ」
「ちょっと由貴ちゃん! 冗談の顔してないよ!」
「……こんなデカブツの転換訓練がたったの1週間じゃね」
「こんな油臭い箱の中じゃなきゃ熱い愛の告白なんだけどなぁ」
「今さら弱音を吐かないでよ! だってもう始まるのよ!?」
私の言葉通り、その瞬間はすぐに訪れた。
風切り音を伴って高く煙が上昇して行く。
長く尾を引いた白線の先端で信号雷が爆ぜた。
銃声にも似た試合開始の狼煙が上がる。
『それでは各車、移動を開始して下さい。Panzer vor!』
ああ! 言わんこっちゃない!
「なるべく平らな所を進むから。ほらほら、南よ、南」
「あーもう、帰りたいマジで!」
金属が激しく擦れる音がする。芝面は履帯によって剥がされ黒い地肌を晒す。
左輪だけが激しく動いて車体は旋回し、南を向いた。
進むその先は地獄か、それとも。
戦車は戦車兵の墓となる、と歌にある。
残念ながら現代の戦車道における戦いは、特殊カーボン装甲により乗員の生命は100%保証されている。
私はまた、この車両を降りて明日に向き合わなければならない。
未来はどうなるか。不安がないと言えば嘘になる。
だが今はただ、もっとこいつらと一緒に戦いたい。
胸に満ちるのはそんな単純な想いだ。
ふと右手の震えに気付く。それを隠すように左手を滑らせ、指を組み合わせる。
あたかも、それは祈りの手のようでもある。
いいや、私は神には頼らない。
信じるのは……。
今までは、自分だった。自分だけだった。
いつしか頼る仲間が増えた。私と共に戦ってくれる友達ができた。
私は、みんなを信じるわ。
「山下さん、開始です」
「そのようね」
短く息を吸い込む。
『それではⅢ号フラッグ車チームは9番にて待機。他は前進。Ⅲ号リーリエチームは8番で観測に当たること。くれぐれも敵に見つからないように気をつけて。Ⅲ号トゥルペチームは7番ティーから8時の方向へ前進。敵にはⅣ号駆逐戦車があります。砲の威力はパンターと同じよ。待ち伏せには注意して。むやみに側面を晒さないように。残りのパンター、ディステル、ヴィッケ両チームは私に続いて。7.5cmならティーガーⅠの装甲でも十分に抜けます。おそらく相手は正面ではなくセオリー通り南から来るでしょう。パンターの足で、11番の森に隠れる前に、これを叩きます』
途切れることなく流暢に、命令を達する。
フラッグ車は間違いなく西住みほのティーガーⅠ。
大戦中、連合国軍を大いに震え上がらせた傑作重戦車。
相手にするには恐ろしいが、かといってこちらにも手段がないわけではない。
連合国軍のM4中戦車にはなかった強力な火砲がパンターには備わっているのだ。
そして、人をしてパンターこそ最強の戦車と言わしめる走破性。
走行性能に関して言えばパンターはティーガーを遥かに凌駕する。
総重量200トン制限のこの試合、重戦車というジョーカーは1枚限り。
それさえ止めてしまえば、あとはワンサイドゲーム。
毒針を抜いた蜂など、恐れることなく指で押し潰せる。
まほには悪いけど、この試合は私の方に分があるわ。
いくら車長が神憑っていようと、その手足となるのは経験不足の1年生達。
こちらには戦車の性能を余すことなく引き出せる最高の技能を持った部下がいる。
負ける要素などない。
私は勝つ。
私は後輩の貴方をずっと見続けていた。
時には反発もした。それでも貴方はやはり最高の隊長だったわ。
卒業の年、最後の全国大会くらい、他の誰にも譲ることなく、貴方の隣で栄光を分かち合いたい。
貴方には黙っていたけど、私は結構欲深い方なの。
副隊長になるのは私よ。
いずれ訪れる喧騒を前に、それぞれの思惑を孕みながら行軍が続く。
戦場は未だ沈黙に覆われていた。
フラッグ車はどこか。敵はどこから来るのか。
或いは目の前の林に潜み、すでに砲口をこちらに向けているかも知れない。
みほのすることは一つ。
6両編成程度では目と、引き金を引く指を両方こなさなければならない。
こういうときこそ予定は淡々と進めるものだ。
「みほさん、待機地点に到達しました」
「分かりました。それでは予定通り、お願いします」
「了解しました!」
無線を抱えた隊員が1人、ハッチを開け外へ飛び出した。
「さすがに5名で乗るには狭い戦車でしたね」
「そうですね、あとは報告を待つだけ……。ハーゼさんチーム現在地を知らせて下さい」
『こちらⅣ号駆逐戦車ハーゼ、14番ティーに到達しました』
『了解、そこで待機して下さい。交戦は可能な限り避けて。ラングは特に多対一の戦闘に向いていませんから。背面を取った場合のみ車長の判断に任せて発砲を許可します。ただし1発撃ったら速やかに後退して下さい』
『こちらⅢ号カッツェ。フラッグ車、グラウフクスに先行し13番グリーン到達しました』
『了解、引き続き警戒をして下さい。グラウフクスさんチーム、現在地を知らせて下さい』
「グラウフクスって言ったよね? よ、呼ばれた!」
「13番、あー……前方に池を確認。グリーンまでは、うーん……あと10分くらい? ほらほら、ひより。隊長に報告して」
「う、うん。こちらグラウフクス。ただ今13番の――」
その瞬間、怒声が私達の無線を上書きした。
『こちらカッツェ! パンターです! パンターが3両こちらに向かって来ます!』
会敵の数分前。
『リーリエより通信。13番池の近くで車影を確認。おそらくⅢ号』
「あら、随分と北から来るわね」
「どうしますか? 山下さん」
「そのまま真っ直ぐ9番まで行くつもりかしら?……まさかね。さすがにそれはないにせよ、どこかで止めなければ遭遇戦になる可能性もある」
いずれにしても火力不足のⅢ号である。
前線を張る役目を任されたわけでもあるまい。
だとすれば偵察。ここで敵の目を削ぐのも良いかも知れない。
1両毎戦力を削いでいけば、いずれフラッグ車にも辿り着く。
「いいわ。パンターはそのまま前進。報告のあったⅢ号を叩きます。ティーガーⅠもいずれそこに来るわ。各車、索敵は怠らないように」
開始より15分ほどの時を経て、初めて互いが車両を目視する。
ギャラルホルンは鳴った。
闘いの獣を、野に放て。