そして西住みほさん、お誕生日おめでとうございます
兵は詭道なり。
話半分に知っているだけなのだけど。
砲撃を加えるなら後ろから。
真正面に弾を撃ち込んだって弾かれるだけだし、反撃は受けるし。
バカ正直に戦ったら包囲殲滅されるだけだもの。
戦術とは欺し合いだ。
なるほど、そこまではいい。
しかし戦わずして勝つのが善の善とか説かれても試合をしないわけにはいかないし。
そこで聞いたことがある。
いつか聞かれたことがある。
必勝の秘策みたいなものはないのですか、と。
ならば教えて差し上げましょう。
こう見えても私はその道の家元の娘でして。
よくお母様に言われたものです。
100両の戦車相手に10両で挑んではなりません。
こちらは200両、150両を用意しましょう。
もし数が賄えないのであれば性能のいい戦車で補いましょう。
55口径2.0cm機関砲より71口径8.8cm戦車砲の方が強いのです。
20mmの装甲より100mmある方が堅いのです。
時速20kmの戦車より40kmで走れる戦車の方が先に地の利を得られます。
それから、それから。
はぁ。
あ、はい。
つまりそんなものはないということだ。
あれ? 何でしょう。
釈然としない顔をして。
何か間違ってましたでしょうか?
勝ち負けは大体最初から決まってるわけですね。
うーん、そうですね……。
寡戦の勝利が讃えられるのは普通そんなこと起こるはずがないからですし。
じゃあ私は西住さんには絶対負けませんね。
わっ、すごい自信です。
根拠は一体なんでしょうか。
背は私の方が高いですから。
笑い合う二人。
そんな夢を見たことがある。
実際には大して会話など交わしたことはなかった。
いつも忙しそうだったし。
例えばオレオを貪りながら漫画を読んだり、特に目的もなく買い物に行ってどうでもいいボールペンを買ったりする。
そんな他愛もない日常を過ごす少女として振る舞うことを、環境が許さなかった。
彼女に与えられた課題は、よそ見をしながらこなせるものではなかったのだ。
期待に応える。
すでに彼女は人生の半分を、その使命を果たすために消費していた。
でも不憫だとは思わない。
元々大して関心がなかったから。
本来ならその高みへは他人は這いつくばって努力して、それでも多くは蹴落とされ、ようやく一握りの人間だけが至れる場所なのだ。
生まれによって彼女は私を含め他の誰よりも先を進んでいた。
彼女はむしろ恵まれているはずなのだ。
だから、彼女にも欲しいものがあるなんて想像したこともなかった。
そんな夢を見たことがあります。
青灰の髪のあの人はとにかくスタイルはいいし綺麗だし。
私の知らないこともいっぱい知ってて。
学校の勉強は私なんかよりすごいできるし。
ボクササイズ? って言うなんかすごい習い事してて。
運動もすごいんだよ。
バレーもバスケも上手だし、泳ぐのだって速いし。
話し相手がお姉ちゃんくらいしかいない私と違って友達もいて。
日常でこそ彼女は輝いていた。
戦車しかない私には、その光はとても眩しく見えた。
だから戦車のせいで彼女が泣くのは私も悲しかった。
こんな乗り物があるから彼女はつらい目に遭わなければならない。
それはとてもひどいことだと思った。
でも戦車がない私は透明なのだ。
私は他に何も持たされていなかった。
それに私は外見以外の彼女については、何も知らなかった。
そもそも私は、自分を取り巻く環境に対しても無知で。
西住流。
ここ黒森峰女学園機甲科だけに止まらず、全国に名を轟かす戦車道の流派。
お母さんの背中にくっついて、いろんなところに行った。
私達はどこでも歓迎を受けて、そんな母を私は誇らしく眺めていた。
それは中等部でも一緒で、先生も先輩達も優しくしてくれたよ。
だけど高校に入ると世界は変わった。
ううん、違うかな。
私が何も知らなかっただけなんだと思う。
きっと、世界は変わっていない。
私立中学なんてところが、どれだけ箱庭なのかということを当時の私は考えもしなかった。
高校に入学して戦車道を選択した私が1番最初に掛けられた言葉は隊長の妹だからと言って甘えは許さない、というものだった。
お姉ちゃんといることが甘えだなんて、今まで誰からも言われたことなかったのに。
それでも思い直して、今まで以上に真剣に戦車道に接すると誓った。
結果はすぐに表れた。
私は入学して早々に伝統の217号車を任されるようになって、そうして、またみんなが優しくしてくれるのを待った。
だけど、私に声をかけてくれる人なんてほとんどいなかった。
ようやく気付いたんだ。
先輩達が厳しいのは強豪校だからってわけじゃなくて。
私に向けられているこの感情は、悪意なんだってことに。
だったら。
それなら私だって。
何も我慢する必要はないはずだ。
そうじゃなきゃ不公平だ。
それなのに。
誰も彼も私を窘めるばかりで、まるで私が我が儘を言っているみたいに接する。
気付いてるくせに見て見ぬ振りをする。
「だって負けた方がやる決まりだよね? 私達は勝ったんだから。空薬莢集めは3年生にやってもらうから」
「……みほっ!」
最近のお姉ちゃんは昔に比べて、もっとずっと無口になった。
「あまり私を困らせるな……」
怒鳴りつけてくることも減った。
会話を終わらせようとしてるのがすぐ分かる。
私の相手なんか真面目にやってられないってことなのかな。
「お母様も試合を見に来ていたんだぞ」
どうでもいいよ。
だって、どうせろくなこと言われないんだし。
「お前と赤星の車両がクラブハウス前で停車したのを見て帰って行ったがな。……もう一度、その意味をよく考えておけ。薬莢および砲弾の回収はあくまでもお前達1年がやるんだ。分かったな」
ほら、やっぱり。
お説教だよ。私には品格が足りないって言うんでしょ?
ティーガーⅠにパンターの装甲厚頼りのサーチアンドデストロイは良いくせに。
本当、戦車なんて、何も楽しくない。
「オラァ! お前らモタモタすんなよ! 走れ走れぇ!」
「砲弾あれだけ上げ下げして何でそんな元気余ってんの……」
「……無理……吐きそう」
「わぁ! 裕美ちゃん! 大丈夫?」
戦いは終わった。
交戦開始からは、あっけなく終わった練習試合の余韻を噛み締める間もないまま隊員はすべて駆け足との大号令の下、集合場所へと急ぐ。
ふんわりと柔らかい芝生は1歩踏み込む度に凹み、振り返るとエンジンを射貫かれ横たわる我らの戦車から足跡が点々と続いている。
可能であるなら回収車が到着するまで傍にいてあげたかったけど。
ごめんね、ティーガーⅡ。
私の戦車は壊されたけど、でも結果は1年生チームの勝ちだ。
そうだ。
私達は勝ったのよ。
こみ上げる感情が先程から人前という堰を容易に越え氾濫が止まらない。
治水がとりわけできていないのは目だ。
「エリカぁ! おっまえもいつまでもメソメソしてんじゃねーよ! 走れ!」
「うるさいわね……なんなの貴方? 体育教師にでもなったつもり?」
「こうして見ると可愛いのに口は相変わらずね」
「……もうだめ……私を置いて先に行って……後から必ず向かうから」
「裕美ちゃん、そう言って真っ先にバス行って寝てるつもりでしょ」
タンクジャケットの袖が堅すぎるから擦り過ぎた目元がヒリヒリする。
まぁでも、今回ばかりはどうでもいい。
どうせ気にしたところで今さら、目なんか真っ赤なんだろうし。
それに今は、この涙は隠さなくていいんだ。
私が泣いていても誰も心配する者はいない。
歯痒さや憤りなんて微塵もなかった。
うれしくて泣くなんて、いつ以来だろう。
きっとそんな特別なことではなかったはずなのに。
思い出せないくらい長いこと、そんな感情からは遠ざかっていた。
「でも明日から大変ね」
「そうねぇ……きっと忙しくなるんじゃない?」
まずは県連盟による理事長杯。
2,3年は夏の全国大会に照準を合わせてお留守なので各校も代々1年が出てこれを競う。
インハイの注力に比べたら見劣りはするけれど、こちらも我が校は連勝記録を更新中だし。
今年も、去年と同じ”西住”が出る。そう容易く負けが許される大会ではない。
でも、自惚れじゃないけど。
いや、自惚れかも知れないけど。
きっと勝てるわよ、私達なら。
あの子が隊長なら。
未来がどうかなんて知らない。分からないものをどうにかしようなんて思わない。
それでも暗中模索の日々にはもう別れを告げた。
私の道には灯火が付いた。
暗がりを優しく照らす光。私は真っ直ぐそこだけを見て進むわ。
なぜならきっと、その光はこれからもっと強く輝くはずなのだから。
まぁ、そんな簡単にいいことばかりなはずもないけど。
「もうやだこんなのおおおおお!!」
「いいから黙って拾いなさいよ……」
「大体この申告合ってんの? 前みたいに鉛筆転がして適当な数字書いてないでしょうね」
集合場所に辿り着いた私達を待っていたものは、原形を留めていないバスと、今にも泣き出しそうな小梅のチームと、負けたのにどうしちゃったのって思うくらいご機嫌な山下と。
対照的に、勝ちチームの隊長だというのにまったく笑顔のないみほだった。
天気が下り坂だという理由で閉会の挨拶はそこそこに、
整列をした途端に回れ右で私達1年はコースの清掃に駆り出される。
この金食い虫の競技は1試合に出るゴミの量も半端じゃない。
民間のゴルフコースである以上、今日が終われば明日から通常営業をするのだし、
十数年来の好意を鉛害という仇で返すわけにもいかないし。
とは言うものの小一時間で終わる生易しい作業ではないのよね。
戦車砲ならまだいい。
砲弾も薬莢もぱっと見て、すぐ分かる大きさをしている。
しかし8mmモーゼル弾なんてどうしろって言うのよ。
そもそも何でMG撃ってんの?嫌がらせとしか思えない。
曇天はいよいよ雨粒を落とし始めたと言うのにレインコートの支給もないし。
「大体、薬莢集めなんて負けた方のやることじゃねーか! なんでうちらが!」
「……忘れたの? 今日の相手」
「3年がやるわけないでしょうが。ほらほら、口より手」
「ここはこんなもんでしょ。じゃあ次のホール、先に行ってるから」
「あー! エリカお前そんなこと言ってサボるんじゃねーぞ!」
「はいはい、じゃあね」
後の細々とした物を同僚に押し付けて目的の場所へと向かう。
私には探し物があった。略帽だ。どこで落としたかは見当が付く。
私達が最後に戦った場所、1番ホールのセカンド付近。
それに帽子の他にも、もう一度見たかったのだ。
私達のすべてを預けたティーガーⅡを。
「……もうさすがに回収されたか」
10番ホールOBゾーンの林を抜けると、すでに戦車はなかった。
私達が倒した2両のパンターも運び終えた後のようだ。
まるで何もなかったみたい。
弾痕も弾丸もなくコースは概ね元の形に戻されている。
所々剥がれた芝面が発見できなければ夢でしたと言われても納得したかもしれない。
牽引の際に整備班が掃除もしてくれたのだろうか、ご苦労様、ありがとう。
探し物もするべき仕事も無くしたので、ここを走り抜けるときに考えたことを実行する。
芝生って草原とも違って固さがなく、まるで地面じゃないみたい。
短く刈り取られ、丁寧に手入れのされたフェアウェイはまるで絨毯のようだなって。
欲求のままに寝転んで大きく息を吸い込んで、目を閉じる。
気のせいだろうけど、草と土の他に少しだけ硝煙の匂いを感じた。
結果として本当にサボることになったけど、このままみんなを待つことにしよう。
しばらくして、草を踏む足音が聞こえた。
「そんな大足広げて寝ていると風邪を引くわよ」
「うぇっ!?」
跳ね起きて声の主を確認する。現れたのはチームメイトではなく山下だった。
「えっ? 3年生のバスってもうとっくに出たんじゃあ? あっ、いえ、お疲れ様でした!」
「ふふ、私達はここへはパンターで来てたのよ。まぁ個人的な我が儘だけど操縦の確認と暖気も兼ねて、ね」
そうか、そんな手もあったか。
いやでもティーガーⅡじゃ無理だわ、かろうじてパンターだから許された行為だ。
足は遅いし対向車の邪魔にもなるデカブツ重戦車が走れば国道は大渋滞になる。
「私達はいつでも帰れるから、その前に直接落とし物を持ち主に返そうと思って」
差し出されたのは私の略帽だった。
「んあ、あ、ありがとうございます……」
正直、戸惑う。
こんなやつではなかった。
閉会のときにも思ったが、試合前が嘘のようにこの上級生はなぜか上機嫌だった。
「あとね、貴方に一つ聞きたいことがあったのよ」
「えっ? はぁ? 私に、ですか?」
ああ、もう!
急に質問を投げかけられたので間抜けな反応をしてしまう。
イニシアティブをさっきから山下に握られっぱなしだ。
「貴方は黒森峰で強くなって何になりたいの?」
はぁ?
今さら、何を言って……。
「ほら、うちって隊長を2年生がやっているでしょう?それにも……いろいろあったのだけど……結果は上手く回っているわ。あの子は責任感が強いし、才能もある上に努力家だから。資質は申し分ないのよ。それでもね、2年のあの子が隊長をやっているのはね」
あの子が西住だからよ、と山下は言った。
分かる。分かり過ぎる話だわ。
けれど私は中学からここにいたのよ。大概の物は、見た。
高校での再会を心待ちにしていた先輩も何人かはすでに辞めた後だった。
「だから、ね。逸見さん。貴方に才能がないから諦めろとは……言わないけれど……。西住まほが卒業した後の隊長も、きっと西住になるわ。貴方と……同級生の……」
私は中学の校舎にU-14強化選手として西住まほの横断幕が掛かっているのを、
いつも誇らしく眺めながら登校をしていた。
理想だから。目標だから。
直接の当事者じゃないから。
高校になると黒森峰にはジュニア強化選手級が全国から集まって来ていて、特待生という称号、ただの入学の経緯だけではもう特別とは呼べなくなっていた。
だが、そこでも西住まほだけは本物だった。
隣の学び舎で無邪気に喜ぶ幼い私はまだ気付かなかったのだ。
贋作の悲劇を、偽物と呼ばれることの残酷さを。
過去がどんなに優れていようとも、心打ちひしがれた者が拠り所とする最後の糸は必ずしも善意ではないことを。
西住だから優遇されている?
西住じゃなかったら隊長になんかなれなかった?
分からない。
分からないから、という事実だけを希望にして縋る者達によって。
西住だから。
その名はいつの間にか、蔑称にすげ替えられていた。
内実は私にでも察しが付くくらい隠されもせず垂れ流されている。
でも多分、山下は勘違いをしている。
「私も西住隊長を目指して黒森峰機甲科に入りました。今さら自分の気持ちを偽るつもりはありません。勝つためには強く、誰よりも強くあるからこそ隊長なのだと」
だーかーらー、話は最後まで聞いて欲しいわね。
そんな顔しないでよ。
先輩。
「誰よりも強い者が隊長になるべきです! もし自分の代で該当する者がいなければ私が黒森峰を指揮します! ……けれど正直、今回の作戦は全部西住さんが立てたものだし、私には駐車場を横切って敵陣地をショートカットするなんて思いつかなかったし。西住さんは強いです」
ずっと一番を目指していた。
今でも、そうだ。
「……もし私がこのまま彼女に追いつけなかったら、隊長は西住さん、えーっと、みほさんがするべきだし、彼女が隊長になったら私は全力で助けたいです」
ポディウムの天辺ではない。
ずっと隣にいて、一番頼れる人間に。
そんなのもいいんじゃないか。
それが正答だったかどうかは、彼女の顔を見れば判別はついた。
この心配屋が私に冷たかった理由も、なんとなく理解できた。
「……ありがとう……逸見さん。私は貴方に謝らなければいけないわ。今までの事と、もっと早く貴方の考えを聞かなかった事を……。ごめんなさいね」
「いえ、あの、いいんです」
何も考えずに窓を眺めてただけで怒ってるのかと問われたこともある身だ。
誤解には慣れてるわ。
「……それより伺いたいんですが、なんでそんなに西住隊長を庇うのですか?」
山下先輩だって3年だ。
後輩に隊長を取られたし、補佐はしてるけど明確に役職があるわけじゃない。
現に長いこと未定となっている副隊長は今も空席のままである。
何の見返りもないのに、なんでそんなに挺身的なのか。
それだけは私にはさっぱり分からなかった。
当の先輩はまったく予想外の質問だったようで、呆気にとられて、
しばらく無言だったのだが。
「……ふふ、うふふふふふ」
「あ? あの、何かそんなおかしな質問だったでしょうか?」
無言だった時間に大幅な反比例をして笑い続けた。
「ふふ……ごめんなさい……。それにしたって、貴方は随分と野暮な質問をするわね」
「はぁ……や、野暮ですか……?」
「だってそんなの、惚れた弱みに決まっているでしょう?」
突然吹いた風のせいか、先輩は目を伏せた。
私はますます混乱するだけだった。
はぁ?
回答になってないし。何をそんな適当を言って。
煙に巻かなければいけないようなよっぽど深刻な問題でもあるの?
意味が分からない。
しかし事の真意を改めて問い質そうにも、再び開かれた先輩の目は、嘘を言っているようではなかった。
理解に及んだ振りをすべきか分からんと素直に言うべきか、一方的にこちらだけが気まずい気分になっているところに助け船が現れる。
「あっ! おーい! エリカー! もういいってよー!」
「エリちゃんお疲れ様ー! バス来たってー!」
隣のホールからようやくチームメイト達が現れる。
「……人が増えたわね。作業も終わりのようだから私も帰るわ」
結局、疑問は解決されていないが引き留めてまで知りたいわけでもない。
「おっ、お、お疲れ様でした」
慣れた仲間と一緒にいる方がよっぽど心は安らぐ。
去って行った山下とは入れ違いにチームメイトの2人が駆け付ける。
「おい! 大丈夫か? なんかされてないか?」
「はぁ? なんなのよ?」
「奈緒ちゃんは心配してたんだよ。エリちゃんが3年生に絡まれてるんじゃないかって。ほら、だって山下先輩でしょ? さっきの」
「あぁ……まぁ、何にもなかったわよ。次も頑張れだってさ」
「なんだぁ、そっかぁ」
「んだよおおおお! パンターがそっち走ってくの見たから俺はてっきり轢かれてるか榴弾でも打ち込まれてるかと思って!」
「そんなわけないでしょうが!!」
何だかよくわからないテンションを諫めるにも私の心配をしていたと聞いて、それ以上強く言えなくなってしまった。
絡んできてるのは明らかにアンタの方なんだけどね。
ずっと何事も1人でするのが好きだった。
ただの分担をお願いしてるのに債権者のごとく振る舞われるのは癪だし、こちらの求めに対して5点のものを1等賞だと誇示してくる輩はもっと腹立たしい。
大体のことは自分でやった方が早かった。
でも今は違う。
団体戦だから、なんて表層だけのものではない。
連帯感、でもない。
別に何かものすごい高尚な目的を目指してるわけじゃないし。
ただ、一緒にいて楽しい。
そう思える人間と過ごす時間がいかに愛おしいか。
友達。
仲間。
まぁ、呼び方は何でもいいわ。
どうせそんな台詞、
照れくさくて本人に言えるわけないんだし。
駐車場に戻る頃には雨はすっかり雫が音を立てるようになっていた。
髪が頬にへばりつく。
濡れて纏まり、鋭利となった先端が目に当たるのもたまらなく鬱陶しい。
だが日本の西の外れは5月にしてすでに寒さはなく、それに作業に従事するため取り残された1年の誰もが勝利に沸き、笑顔だった。
ごく数人を除いて。
周りから健闘を讃えられるたびに小梅のチームは縮こまっている。
まぁバスを壊した張本人だし。いや、この場合は幇助犯って呼ぶのだろうか。
命令は確かにあったのだし。問題なのはその命令を下した方だった。
閉会の頃にはすでに笑う感情を忘れたようであったが、雨に濡れ尚更近寄り難く、沈痛な空気を纏っていた。
今回同乗したラングの仲間ですらもう話しかけることを諦めているようである。
衣服の吸水限界でも試しているのか。雨粒にされるがまま無抵抗で立っていた。
そんな調子なので到着したバスは定員上限まで詰め込まれるも、誰もが彼女を避けるので、結局ルームメイトで副隊長を務めた私が強制的に隣へ座ることとなった。
それでも副座席に座るよりはいいか。
あれは車長のイスと大差ないから、もう勘弁して欲しいし。
だからって何も話すことなんて浮かばない。
今はただ、とりあえずお腹が空いたから……。
あっ、そうだ。
食べ物で思い付いた。こういう祝いの席で人はどうするのかを。
ただ、きっかけがない。
どうしたものか考えあぐねていると、おそらく察してやってはいないだろうけど前の席に座る奈緒が話しかけて来た。
握っているマイクを差し出しながら。
「なぁ、エリカ。せっかくだしさぁ、なんか一発挨拶でもしたらどうだ?」
「そうよ。せっかくなんだから歌でも唄ってみたらどう?」
「はぁ? なんでそんなことしなきゃならないわけ?」
「そりゃあ、お前! うちらは3年に勝ったんだぜ? そして次は1年で公式戦やるんだし」
「その時はまた貴方、副隊長やるんでしょ? 隊員同士の結束ってやつを深めましょうよ」
「あんたら、ただ楽しみたいだけでしょ……」
ちらりと後ろを見ると、言葉を待つ無数の視線がこちらを向いている。
はぁ? なんで期待をされてるわけ?
「じゃあいいよぅ、もう。みほちゃんに頼むわ、みほちゃんに」
は?
奈緒……あんただって分かるでしょうが。
さすがに俯いて無言を貫いていた隣の人間も驚いたようだ。
動揺したのか、横髪が少し揺れた。
はぁ……。
「マイク、よこしなさいよ」
振り返り膝を座席に乗せ背もたれから半身を出し、戦友達を見渡せる位置につく。
柄じゃないけどまぁ、今日は私も気分がいいし。
「あーあー……今日はみんな、お疲」
「……逸見さん」
沈黙を貫いていた彼女が、ようやく口を開いた。
閉会式が終わってから始めて交わした声。
彼女は、申し訳ない、と言うよりは何かに怯えているような顔をしている。
本当に不思議な子。
3年と戦うと言い出したのも作戦立案も指揮も全部彼女が行って、宣言通り私達に勝利をもたらした。
彼女こそ本物のエースだ。
それなのに普段の何気ない彼女は、なぜこんなにも戦車が、闘争が似合わないんだろう。
「大丈夫ですよ」
貴方にできないこと。
やらせたくないことは全部、私が請け負うわ。
言外にそういう意味を込めて、私は彼女に微笑みかけた。
だって私は副隊長なんだから、雑用は私の仕事なのよ、きっと。
「じゃあ! 今日はみんなお疲れ様! 帰ったらゆっくり休んで、明日からまた練習よ。そしたら、すぐに県理事長杯がある。私達の初めての戦車道公式戦になるわ。余所の学校だって、みんな、こいつを狙ってる。でも私達は! 今日みたいに! 絶対負けない! ”ケンカは堂々と買うもの”だから!」
車内に突き上げられた沢山の拳。
そして歓声。
うれしかったときは大声で叫ぶべきだ。
そんな当たり前のことに気付かないなんて私もまだまだね。
「……ねぇ、逸見さん」
「はい? なんです?」
「……ケンカは堂々と売るもの、だよ」
「えっ? あれ? そうでしたっけ」
「まだまだ鍛錬が足りてないですね」
「そうですね、帰ったら復習しましょうか」
「……はい!」
ようやく笑う感情を彼女は取り戻したようだ。
ルームメイトですから、押さえるところは分かってたわ。
あの、よく分からない熊に今は感謝する。
正確な歌詞なんて、さすがに知らなかったけど。
「あー、みほちゃんがやっと笑ったぜ」
「整ってるなーって思ってたけど笑うとやっぱ可愛いわね」
「えぇっ? あ、はい……」
奈緒と由貴が茶化すものだから彼女は赤面して再び俯いてしまう。
「ちょっと、あんたらさっきから、そのみほちゃんってなんなのよ」
「だって馴れ馴れしいとか、いまさらそんな隔てる用もないじゃない? 私達は同じ1年なんだし」
「そーだよ! うちらもう友達じゃん!」
「と……友達……?」
「ト……トモダチぃ?」
そんな感情が何で湧くのか。
西住みほは、あの西住隊長の妹で西住流家元という由緒正しい生まれの。「大体エリカぁ、お前が一番よそよそしいんだよ。ルームメイトだろ? 何ヶ月経っても西住さん西住さんってさぁ。呼んでやれよ、名前で」
「なっ……!」
「エリカ……さん……」
「……はい?」
「そうだね、そうだよね、エリカ……さん」
「ほら、副隊長。呼ばれてるわよ」
「わ、私ね、上級生とは、よく話す機会はあるんだけど、あ、あんまり同い年の人達とお話したことなくて……。でも、えっと、やっぱり……友達って欲しかったし……」
最後の方は消え入って何を言ってるかさっぱり聞こえなかった。
けれど彼女が望むことは理解できた。
何事もファーストインプレッションて大事でしょ。
私から見た彼女はどう考えてもエリートで、良家のお嬢様だった。
そんな境遇なんだもの、寂しくなんてないんだと思ってた。
仕方のないことなんだろうって。
それよりも私は品格とか立ち振る舞いばかりを気にしていた。
西住に媚びを売る金魚のフンだと扱われるのだけは、なんとしても避けたかったし。
距離をいかに保つかだけを考えていて。
でも本当はやっぱり、恥ずかしかったのよ。
ママを母さんって呼ぶようになるのとは、これはまたハードルが違う話だし。
でも、ここで逃したら、この先の関係も絶対に何も変わらないだろう。
それに私もなりたいか、なりたくないかで言えば、なりたかった。
「み、みほさん……」
「あっ! はい、何ですか!」
「え? いや、呼べと言われたから呼んだだけで……」
「……あっ、うん」
「なんなの? この空気」
「さぁ? 知らね。んじゃ俺寝るから着いたら起こして……」
それからの彼女は、もう俯きはしなかった。
顔を上げ窓をずっと眺めている。
憂いは払拭されたようではあるが、沈黙は変わらず続く。
何を話せばいいのかは相変わらず分からなかったのだ。
やっぱり話すきっかけが。
……また、言い訳をしてるわ、私。
決めた。
したいことをやるわ。やりたいように、やる。
手荷物の中からタオルを取り出し、彼女の頭にかけた。
「あっ、ごめん!」
突然の不意打ちに彼女はことさら大きく驚く。
「ずぶ濡れですよ、みほさん」
「あっ、そうだね、へへへ、ごめんね?」
「私はいいんですけど、風邪引きますよ」
「帰ったらまずはお風呂かなぁ」
「じゃあ私はコンビニに行きますから」
「あ、いいな。何を買うの?」
「……ケーキを買おうと思って。……この、今日の記念に2人分。消灯の前に一緒に食べませんか?」
「あっ……うん!」
簡単なものだ。やっぱり人心の掌握に有効なのはスィーツよ。
意外なほどに呆気ない。
なんで今まで、こうしなかったのだろう。
私もなりたかったのだ、彼女と友達に。
バスが学校に到着して、まずは拾い集めた砲弾や薬莢を所定の場所に廃棄。
それから私も一緒に行くって嘆願したら、これは不許可だった。
こういうのはサプライズが大事なんだって。
それよりみほさんはお風呂に入って体を温めろってエリカさんが。
エリカさん。
エリカさん。
すごい不思議。
同じ人を呼ぶのに、なんでこんなにも世界が変わるのだろう。
エリカさんと別れて先に寮へと向かう。
何を買って来てくれるのだろう? 楽しみで仕方ない。
寮へ着く頃にはもう空はすっかり暗くなっていた。
門限、大丈夫かな?
濡れた衣類を脱ぎ捨てて開放感に浸る。
どうにか今日も勝てた。
南から進行すれば恐らくフラッグは北に退くだろうから、でも偵察がフラッグ車を発見するのがもっと遅れていたら。
別働隊は、フラッグもティーガーⅡもきっと各個撃破の餌食になっていた。
今日は運が良かった。
運任せの戦いをしているようではだめだ。
もっとちゃんとした作戦を。
ああ、もう今日は、いいや……。
ご飯の時間の前に少し眠ろう……。
それからお風呂……に……。
携帯の着信音で目を覚ました。
どれくらい時間が経ったのだろう?
時計を確認すると幸い、浅い眠りだったようだ。
相手はルームメイトの、エリカさん。
『もしもし? あっ、ごめんなさい。ちょっと遅くなりますから、ご飯は先に食べて下さい。確か今日は何も当番はなかったですよね? だから私は今日は食堂では食べませんから』
『あっ、うん。気をつけてね?』
門限まではまだ少し猶予があった。じゃあ先にご飯を頂きましょうか。
電話を切ると再び私は走り出した。
何で今日に限って近所のコンビニにケーキがないのよ!
おいしくご飯を頂いた後、まだエリカさんは帰っていなかった。
あぁ……門限……大丈夫かな? マジノ線は無事突破できたかな?
とりあえずお風呂に行こう。
「おい、お前」
「……はい」
「あら? 貴方、逸見じゃない」
「……」
めんどくさい。
なんでまた今日に限って当直が勤勉なやつなんだろう。
難攻不落の黒森峰機甲科女子寮、その鉄の掟である門限。
だが無敵の兵器が無いように物事に真の意味で完璧はない。必ず穴がある。
うら若き乙女達を侵入者から守るべく無駄に高い寮の壁も、たまたま知ったパルクールのHow to動画から習得した自慢のウォールクライムアップの技術をもってすれば天辺にほら、手が届いて、あとは体を持ち上げるだけなんだけど。
巡回が来てれば話は別なわけで。
「こんな時間に何をしてたのかしら?」
「……ケーキを買って、食べようかな、と」
「じゃあ正門から普通に入れよ」
「はい、気をつけます。すみませ……えっ?」
「早く行けよ」
「今日だけだからね、次はないわよ」
どこかで会った事があると思ったら1人は山下先輩チームの確か、通信手だったか。
「あっ、ありがとうございます!」
突破に最も困難が予想された箇所はケーキを探す時間の半分以下で通り抜けられた。
もしかしたら今日ってとてつもないラッキーデーなのか?
早速、彼女にメールを。
返事はすぐに来た。
門限を過ぎてしばらく経った後、ようやくエリカさんから連絡が来た。
どうやら無事にアルデンヌの森を通過したみたい。
そうそう。
私は早くお風呂に行かないと。
風邪は引かないようにって約束したから。
浴室は携帯の持ち込み禁止だから、しっかりタオルで隠して、と。
私が部屋に着いた時には、みほの姿はなかった。
体を温めろって言ったから、お風呂かしら。
学校に帰ってからはすれ違いばかりだ。
備え付けの小さな冷蔵庫にようやく手に入れたケーキをしまい込む。
牛乳パックが邪魔だったので一気にあおり片付ける。
私の制服もそれなりに不快な湿り気を帯びていたから、すぐに着替える事にした。
ついでだから私も入浴しておこうか。
タオルと着替えを用意して、と。
メールの着信がした。
あの子……風呂場でそんな堂々と携帯使って……。
エリカさんもお風呂どうですか?だって。
今までは互いがパーソナルスペースに立ち入らないようにしていたわね。
エリカと呼ばれるのも初めてなんだけど、お風呂に誘われたのも初めてだった。
ええ、喜んでお供しますよ、隊長。
えへへ。
たまにTVを一緒に見たくらいで。
一緒の部屋にいたのに、ずっと遠かったね。
お互いになるべく干渉しないように、邪魔をしてはならない。
守るべき秩序の1ページ目はそんな感じだった。他にすべき事はあったのに。
仲良くしよう。やっと今日から始まる。
賑やかだった浴室はいつの間にか無人となり、更衣室のドライヤーは独占し放題だ。
運がいい、というか珍しい。今までこんなことはなかった。
先に上がってますってメールしようと思って携帯を取り出す。
私はすっかり舞い上がっていた。
完全に油断していた。
急に携帯の画面が明るさを増す。
いや、違う。周りが暗くなったのだ。更衣室の電気が、消えた。
「……あ、あれ?」
どうしたんだろう?と思っていると、足跡が聞こえた。
床を乱暴に踏み付ける音。
誰かが走って来る音。
そして次に来たのは、激しく熱い頬の痛みだった。
お風呂へと向かう廊下で再び携帯が鳴る。
いけない。マナーモードにするのを忘れてたわ。
それにしたって今度はメールじゃなくて通話か。
どれだけ自由なの?あの子。他に誰もいないのかしら。
まぁ出ない理由もないので通話ボタンを押す。
「みほさん?いくら何でも風呂場で携帯は……」
浴場への携帯の持ち込みは禁止。
同じくらい有名な規則に廊下を走るなというものがある。
私は夢中で走った。
みほのいる浴場に向かって。
電話の向こうの彼女は、すすり泣いていたのだ。
誰ともすれ違うこともなく、駆け込んだ更衣室は黒く塗りつぶされている。
そこは闇に支配されていた。
「みほさん! みほさん!」
叫びながら室内灯の電源を探す。荒く壁を叩きながら歩き回る。
しばらくすると指先がスイッチカバーに触れた。
再び灯された明かりの下で小さく脆く、震えながら座り込む彼女を見つけた。
赤く内出血をした右頬。
鼻からの血は止まりきっておらず、涙と血を拭った両手が触れる床、Tシャツに赤い染み跡を明瞭に残す。
「みほさん? みほさん? ね? みほ? みほ! ……大丈夫よ、もう大丈夫だから。……大丈夫だから。私だから、エリカよ。分かるわよね?」
「……ごめんね、服、汚れちゃうよ」
「……謝らないで……みほは何も悪くないんだから」
戦車道って楽しいものだと思ってた。
だから高校も続けようと決めた。
でも、さすが黒森峰。
高校に入って私を待っていたのは厳しくてつらいことばかり。
それでも山があるなら必ず頂上もある。
登った者だけが得る権利、そこから一望した景色はさぞかし綺麗なんだろうなって。
ばっかじゃないの。
自分に腹が立つ。
呑気な自分に無性に腹が立った。
美しさを美しいままに留めたいなら、写真や絵に任せればいい。
綺麗なものが欲しくて戦車に乗るやつはいない。
ここはそういう、獣の檻だ。
泣くみほの背中を摩る。
彼女の震えが少しでも早く治まるように力を込めて、強く抱きしめて。
私はもう泣かない。
悔しくて、悲しくて泣くなんて、心の敗北だ。
私はもうこんなことで泣きはしない。
だから、あらためて決意をした。
私はこの時、決めたんだ。
私はもっと強くなる。
誰よりも強くなって私は”私の隊長”を護ると。