蒸し暑さで少しだけ隙間を作った窓から、吹き込む風の音。
今夜は静寂には程遠い。
夕暮れ時、コンビニを往復する道中では運良く静まっていた雨声も宵が深まると共に再び勢いを取り戻していた。
すでに消灯時間は過ぎている。
見慣れたはずの机や変な熊も、暗がりのため輪郭が朧気となっている中で、彼女の顔だけは枕元に置かれた光源に照らされてはっきりとしている。
私は懐中電灯の明かり越しに、模様も無くただ単純に淡い緑色のカーテンがゆっくりと、そして途切れることなく揺れるのを眺めていた。
日付が変わった深夜。私はまだ眠らずにいる。
眠れない理由は二つ。
一つは目の前にある明かり。
私は常夜灯、いわゆるオレンジの豆電球も消さないと気が済まない派なので、より強烈な光を放つファルタのLED電灯なんか気に障ってとても寝付けそうもない。
そして一番の理由はなにより、この手だ。
23時までに明かりは消すという寮の規則を遵守してはいるが、ただ室内灯を消しただけの空間で、まだ私は自分の寝床にはいない。
そもそも横にすらなっていない。
今、私がいるのはベッドの端で、この場所の先には彼女の手がある。
存在を確かめるように、いつまでも強く握り返してくる手。
その手の相手に何度目かの問いかけをする。
「……ねぇ、みほ、寝たの?」
「……うん」
寝てないじゃない。
「早く寝なさいよ」
「……ごめんね」
同じやり取りをあれからずっと繰り返している。
落ち着かせようと握りしめた手をそのままに、洗面所で顔だけ拭いて部屋へと急いだ。
誰ともすれ違うこともなく、無言のまま自室に着いてようやく気付く。
つないだ手を一度も洗っていなかったことに。
ほどいた指の間で、乾きかけた彼女の血と涙。
指を開くと血糊の固化した部分が皮膚に伸ばされ、ひび割れ細かく砕けて床へと舞った。
嗅覚を侵略する惨めで陰惨な鉄の臭い。
だが私まで泣くわけにはいかない。
結局使うことのなかった私のバスタオルを水道で濡らして互いの手を拭く。
汚れたTシャツを着替えさせ布団に寝かしつける。
赤く腫れた傷を冷やすために緩めに絞ったタオルを頬へ添える。
すべきことを詰め込んで絶え間なく動いていれば、私も忘れられそうな気がしたのだ。
更衣室を出て、手を引いて廊下を歩いているときには、
すでに彼女も嗚咽は止まり、表情は重いなりにも平静を取り戻しているように見えた。
彼女には早く忘れるように言い諭し、自分にはこれは悪い夢だと言い聞かせ二人とも自らのベッドに戻る。
おやすみ。
これで後味の最悪な一日が終わるはずだった。
部屋の明かりを消して、しばらくすると泣き声がする。
声を掛けても彼女は同じ言葉を繰り返すばかり。
ごめんなさい、ごめんなさい……。
十分ほど経過しただろうか。
謝罪だけでは、貴方の気持ちがわからない。
謝るのではなく何をしたいのか聞かせて欲しいと伝えるとようやく教えてくれた。
エリカさん、暗闇が怖い、と。
「うわっ、まぶしいよ」
「悪かったわね。こんなのしかないのよ」
彼女のベッド脇に座り込み、枕元に電灯を置いて再び彼女の手を握る。
私の睡眠時間などいくらでも犠牲にしてくれて構わない、それでみほが安心するのなら。
だが夜は長い。
いや、記憶に扉をするには、費やせる時間はあまりにも短かった。
元よりこんな姿勢で安眠など期待しようもないけれど、それよりも眠れずにいたのは
無理もないがみほの方だった。
瞼の重みに漫然とする私の手の甲を時折、彼女は親指の腹で撫でてくる。
私がやり返すまで止まらない、まるで合い言葉のように。
今、彼女をつなぎ止めているのは、このこそばゆい意思疎通だけなのだと思えば決して苦ではない。
むしろ優越感すら感じる。
彼女を介抱しているのは姉である西住隊長でもなく、この私なのだから。
今のみほに頼れる人間は、私の他に誰もいない。
ただ寂しかった。
この世で彼女以上に寂しい生き物が、他にいるだろうか。
だから精一杯、応えてあげなければ。それが私の役目であり償いだから。
けっして優しいわけじゃない。この行いは逃避なのだ。
私はみほに酷いことをしている。
この世界でもっとも悲しい人間が彼女なら、一番醜い生き物は恐らく私。
絶対に悟られてはいけない夜以上の暗闇を胸に仕舞い込み、彼女が寝静まるのを待つ。
慈しみ以外の黒い感情が曝け出されるのが怖かった。
寝言で口走ってしまわないか想像すると、たまらない恐怖を感じた。
だから私は彼女が寝るのを見守っている。
いよいよ指の動きも収まり、彼女の瞳が閉じられたのを最後の気力で確認すると、私は足を少しだけ楽な形にして意識が遠のくがままに身を委ねた。
ようやく今日という日が終わる。
「……痛い」
快眠とは無縁の朝は、無茶な体勢が原因の筋肉の強張りから始まる。
伸ばしたままの腕が痛い。背中も首筋も痛い。
覚悟はしていたけれど予想を遙かに超えて動くのがつらい。
痛む首を回して時計を見ても溜め息が漏れるだけ。
短針は無機質に、全然寝られなかったという事実を表示していた。
それでも体を張っただけの対価は得られたようである。
体を起こし覗き込むと、みほは安らかな寝息を立てていた。
よかった。心からそう思う。
起こすことは躊躇われるが、就眠が遅れた分だけ余裕は消費されている。
登校するなら、そろそろ部屋を出る準備を進めなければならない。
登校するのなら。
握り続けていた手が強張る。
体に触れようとして伸ばした逆の手は空に浮いたまま止まった。
私は……一体。
「……エリカさん」
停止したままどれくらい経ったのか。
最後まで態度の定まらなかった私に、みほは優しく声をかけてくる。
私はどこまでも卑怯だ。
だから私に笑いかけないで、お願い。
暗鬱な心の塊を無理矢理押し込み、私もようやく覚悟を決める。
「ほら、大丈夫? そろそろ点呼だから」
「あっ……うん」
ゆっくりと起き上がる彼女の姿は昨日よりも痛々しく目に映った。
これからどんな顔をして皆に会えば、いや、皆に会わなければならないのか。
想像だけでも病みそうになる。
顔を上げる途中で添えたタオルが重々しく頬から肩へ、胸へと転がり落ちていく。
叩かれた箇所の変色は、一晩冷やしていた効果はそれなりにあったようで、よほど注視しない限りは目立たない程度に治まっている。
それだけは幸いだった。これなら大丈夫。
……大丈夫?
何が?
その問いは、あえて黙殺する。
今しなければならないことは学校に行き、滞りなく普段の生活を続けることだ。
日常という演目を踊りきることなのだ。
時間は差し迫っていた。早朝の点呼がもうすぐ始まる。
緩慢な動きのみほを急かし、着替えを手伝う。
ろくに乾かしもせず寝かしつけたお陰で寝癖だらけのみほの長い髪を、多少なりにも見栄えよくなるように整える。
後はドアを開けるだけだった。
だがそこで、それまで従順だったみほが初めて抵抗する素振りを見せた。
何も言いはしないが自ら進もうとはせず、部屋から出るのを拒む。
「ほら! もたもたしてると点呼が……」
理由も気持ちもとっくにわかっている。
それでも私は無視するしかなかった。
硬直するみほの手を掴んで強引に外へ出ようとした、その時。
「……ううううぇえ」
すかさず彼女を抱きとめる。
鼻をつく酸臭。夕食はすでに腸へと送られて、胃液だけの嘔吐。
激しく咳き込みながら彼女は、昨夜と同じ台詞をまた繰り返し始める。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
「……大丈夫。私は着替えればいいだけだから。大丈夫だから」
やがて私の手をゆっくりと振り払い、自分の吐瀉物で汚した人の服を堅く握りしめながら、
静かに体を遠ざける。その距離が私の服を引っ張る形となった。
「……ちょっと、みほ。Tシャツ伸びちゃう」
俯いたままなので表情はわからない。
しかし、こんなときにする顔なんて一つしかないだろう。そして絞り出すように告げる。
「……私、学校には行きたくないよ」
当たり前の言葉。
いくらでも想像できたことである。
しかし実際に目の前で言われると、交戦中の車内よりも体が震える。
だが、想像できたからこそ、私は返答も用意をしていた。
みほの肩を掴み、再び私の方へ近づける。
「……じゃあ戦車道も辞める?」
肩に乗せた両手越しに、彼女の体が跳ねたのが伝わった。
ここに至っても、彼女が戦車乗りだったことに安堵する。
即座に頷いてハイ辞めますとは言い出さなかったことに。
酷い話だ。
これから伝えるのも予め取り繕っていた言葉、創作の産物。
それをただ教科書の音読のように声にしてみせるだけ。
しかし、それでも彼女には戦車道を辞めたいなどとは考えて欲しくなかった。
「ねぇ……みほ、聞いて。私もね、諦めようと思った。昨日の試合で負けたら、もう戦車なんて辞めようと思ってたのよ。でも勝ったわ。勝ったから続ける。貴方のせいでまた私は戦車に乗らなきゃならないわ」
貴方のせいと言われたことにか、彼女は驚きの表情で顔を上げた。
「貴方はずっと戦車に乗ってきたんでしょう?友達も作れず、運動も勉強もいまいちだけど戦車があれば大丈夫だって。……わかるわ、だって。私だって戦車道をやりたいから黒森峰を選んだんだもの。それを一度は放り投げようとしたけれど、また私は掴むことができた」
息を呑む。
私は。
私という人間は。
「みほがいてくれたからよ。だからもう離したくない。自分から捨てたりしない。貴方と一緒に戦って私は楽しかった。もう自分の気持ちに背を向けないって決めた。だから、勝手に辞めるなんて許さないから。その代わり……には、ならないかも知れないけど、ずっと貴方の傍にいるわ。今度は絶対に目を離さない。どこにだって付いて行ってあげる。貴方が嫌だと言わない限り、一人にはもうさせない。それじゃあ、ダメかしら?」
彼女の返答を待つ。
みほが喋り出すまでには、思ったよりも時間はかからなかった。
向き合ったまま逸らすこともなく真意を探ろうと覗き込んでくる瞳には、いつか見た光が蓄えられていた。
「なん……で?」
「なんでこんな思いをしてまで学校行かなきゃいけないか?そうね……でもこういうのは」
彼女が首を横に振る。
答えて欲しいのはそういうことではないらしい。
「じゃなくて……なんで私に……そんな……エリカさんまで……」
「あぁ、難しいことなんて何もないわ。私も戦車しかない同類だから。貴方は私なのよ。戦車で一番になるのが中学の頃から夢だった。でも私には無理だって悟った。けれどみほがいてくれて、私と同じ学年にいてくれて、そして私のために戦ってくれて本当に感謝してる。私には貴方が必要なの、みほ」
それに学校には行った方がいいわ。こういうのって効いてると思わせたら、相手は余計に付け上がるから、と経験談も添える。
「あと相手は一人だったんでしょ? 」
首を小さく縦に振る。
頭を上下左右に振るからせっかく整えた髪が乱れる。
長い髪の奥で輝く彼女の目。いつか見た光。
闘う獣の眼。脆く儚い体に宿る鋼鉄の魂。
私はいつでも貴方の背中を押してあげる。
だから、みほは、私も含めて汚いものは見ずに前だけを見ていて。
「だったらそいつに負けるわけにはいかないでしょ」
今度の肯定は、ゆっくりと穏やかで、それでいて大きな動作だった。
「じゃあ私、着替えて……? ちょっと」
みほはまだ私の服を離していなかった。
「……約束だよ」
「約束するわ。貴方は私が守る」
今度こそドアノブが回せる。
廊下に見慣れた顔がすでに並んでいた。
「遅いぞ! 西住! 逸見!」
「すみませんでした」
「ご……ごめんなさい」
「それで? 気分が悪いから今日は休むだと?」
「うん、あ、はい。そうです……」
「まったく。昨日の今日だぞ。勝って浮かれて夜更かしでもしたか? 戦車道は遊びじゃないのだぞ。わかっているのか?」
「あら、隊長。そんな言い方はないじゃないですか。見たところ妹さん、本当に具合が悪そうですし」
「……・山下さんまで」
「いずれにしても無理強いをして怪我でもされたら困ります。新人戦はすぐそこですし。私からもお願いしますわ、許してあげてください。西住隊長」
「……黒森峰には体調管理もろくにできないやつが乗れるほど、車両と燃料を持て余しているわけではない。わかったから今日はもう帰れ」
「はい……失礼します」
「私は彼女を送り届けたらまた戻ります」
「そうか。迷惑をかけるな、すまない。逸見」
「は、はい! それでは失礼します!」
放課後、練習前のミーティングに顔だけ出すと、みほの気力はそこで尽きた。
私と同じく彼女もろくに寝ていないわけだし。
普段から運動をしている私に比べたら、外見通り年相応のか弱い女子なのだ。
限界だったのだろう。
隊長達に早退を申し出た後、みほを寮へ送り届ける。
約束をしておきながら早速一人にしてしまうことを詫びると、
彼女は笑いながら大丈夫だと言った。
彼女が笑顔を取り戻したお陰で、私も救われた気分がした。
正確には、錯覚をした。
学校へと戻り、寝違えた各部の痛みに耐えながら練習に取り組む。
今日ばかりはチームのみんなの足を引っ張って申し訳なかったけど仕方ない。
許して欲しい。理由はあるんだから。
理由はある。
だが、誰にも言えない秘密。
幸いにも彼女のことは誰もがただの寝不足か何かで疲れてるだけだと思ったようだ。
そもそも昨日の試合に至るまで、間近で見た者も話した者も大していない。
一年の中でみほは浮いた存在だったので、私が黙っていればそれで済んだ。
みほを、西住をよく知っている、とある聡い人間を除いて。
「逸見、待ちなさい」
私も限界を迎えており、早々に帰ろうと思っていたところを呼び止められる。
山下先輩だった。
促されて、人気の少ない倉庫の陰に連れて行かれる。
質問されることなんて一つしかない。
「みほさんは大丈夫なの?」
「えっ? あぁ、多分試合前の夜からあまり寝てないようでしたので。疲労が溜まっていたのだと思います。そう本人も言っていました。それでは、お先に失礼します」
「待ちなさい、貴方! いいわ……私の質問が間違っていたわね。みほさんに何があったの?」
反応が遅れた。
もう答え合わせをしたも同然だった。
「……知りません」
「それは本心なの? 本当に聞いていないの? それとも隠してるの? どちらなのか答えなさい、逸見」
「言えません」
「ふざけないで! 答えなさい!」
うるさい。
うるさい。
うるさい!
人の気持ちも知らないで!
だったら言ってやるわ、この野郎。
「こちらの敵か味方かわからない人間には言えません!」
「……っ!」
睨み合ったまま沈黙が続く。
目の前の人間にこれ以上何か言われたら、うっかり手を出してしまいかねないくらいの泡立ち沸騰する怒りを抑えるのに精一杯だった。
余裕なんてない。
だから意図していたわけではないが、先に折れたのは先輩の方だった。
「……この学校はお嬢様ばかりだから誰も気付かないかも知れないけど、私の育った町はね、そんなに綺麗でもなかったから。私だって喧嘩もしたからわかるわ。みほさんのあれはそういう傷よ。それに貴方も少しは考えなさい。私が何か知っている側の人間だったなら、いちいち貴方なんかに詰問などしないわ。今回の件、私はまったく知らないの。だから説明をしなさい! これは貴方が隠して解決する問題なの?貴方に彼女が救えるの!?」
やっぱり私はこの人が……。
「じゃあ言いましょうか? 彼女は昨夜、風呂場で殴られました。相手は一人だったようです。闇討ちだったので顔はわかりません。だから実際に一人だったのかも本当はわかりません。人払いのために外で待機をしていた仲間がいたかも知れない。これは明らかに暴力事件です! 学校に、PTAに、教育委員会に! 警察に通報したっていい! 彼女を守るために犯人探しをしてやる! 十連覇がどうなろうと関係ない! 知ったこっちゃないわ! 黒森峰の機甲科がなくなったって構わない!」
押し黙る山下に、最後の言葉を続けた。
私は。
私という人間は。
本当に最低だ。
「……そう言えば、満足してくれますか? まさに山下先輩の言う通り、私では解決できませんよ。でもそれは先輩も同じでしょ? 偉そうに。事が公になれば全国大会、出場は辞退する羽目になるかも知れない。あの子のおうちは有名だものね。それで良ければ協力していただけますか? 今すぐ隊長と話がしたいって言えば一緒に付いて来てくれますか? ……彼女はそれを望んでいないのよ。これは私でも貴方でもない。西住さんの問題です。だからお願いです。偽善者ぶらずに、どうか忘れてください」
「……まるで準備してきたかのようによく喋ったわね。……しかも先輩を捕まえて一方的に悪者みたいに」
「繰り返すようですが、彼女は望んでいないんです」
狼狽と怒気が入り混じる表情。
こんな顔を昨日の試合でさせてやりたかった、なんて呑気に私は考えていた。
「いいでしょう……わかったわ……。このことは内密に。ただ彼女が被害を受けた事実がある以上、無条件で看過はできない。これから新人戦に備えるのでしょう? 今までみほさんは上級生と共に行動をしていたけれど、これからは一年の中だけで練習に取り組むように隊長には私が進言するわ」
「ありがとうございます、先輩」
「……貴方、本当に腹の立つ女ね。最後に言わせて貰うけど、人を悪者呼ばわりする前に、ご自身の胸に手を当てて聞いてみることを勧めるわ。戦車道と彼女を天秤にかけて、戦車を取ったのは私より”貴方の方が先”でしょ? 偽善者さん」
あぁ、やっぱり、こいつのこと嫌いだわ。
言うだけ言い、聞くだけ聞いた。
私は会釈すらせずにその場を後にする。
何も言い返さなかった。
沈黙が答えだ。
そうよ。
あのとき真っ先に考えたことは、戦車道がどうなるのか、だった。
私は、この世で一番醜い生き物。
良い友達なんかじゃない。
私じゃない他の誰かが最初に彼女を見つけたなら、もっと上手に解決したのだろうか。
知らない。
そんな、もしかしてを問い続けても何も変わりはしない。
後ろめたさが心に刺さるわけでもない。
それだと悩める私が善人になってしまう。
私は彼女を誘導した、明確に、自分の意思で。
手を差し伸べる振りをして、もう片方の手では降りかかる火の粉を必死で払っていた。
困る。
私は戦車を続けたいのに困る。
死に物狂いで考えを巡らせた思考の根幹。偽らざる本心が占める割合。
みほの気持ちよりも、自分の都合の方が上回っていた。
私はあの子を尊敬している、同じ戦車乗りとして。
それなのになぜ。
気付いたのが、なぜ私なの。
なぜ彼女を救う役目を任されたのが私なのか。
だから、これは罰なのだ。
神様辺りに自分本位で他人を欺いて生きろって言われてるに違いない。
不意に背後から車のクラクションが、けたたましく鳴らされる。
考えに耽っていたら、いつの間にか歩道ではなくとんでもない所を歩いていた。
そうよ。
これは罰なのよ。惨めに苛まされて生きろって。
だって罪の重さで言えば、本当なら、さっき轢かれて死んでなきゃおかしいもの。
「おかえり、エリカさん」
彼女の笑顔が私を傷つける。だが甘んじて受け入れなければならない。
「えと、ごめんなさい。その……昨日、エリカさんが買って来てくれたケーキをね? 部屋に着いて食べたの。それでね? 待ちくたびれちゃって眠っちゃって。起きたらお腹が空いて。ぼーっとしてたらケーキがあったなぁって思って。だから、その、エリカさんの分だったケーキ、わざとじゃないんだけど……」
「いいのよ、そんなこと……」
謝らなければならないのは本当は私の方なのに。
彼女の手を掴む。
そのまま引き寄せて、髪を掻き上げて頬の傷を確認する。
見えないと思えば、見えない。
そんな安直な、曖昧な基準なんて通用するわけないじゃないか。
ばれないだろうと高を括って他人の目線への考慮もおざなりになって。
山下にあらためて指摘されるまで自分の気持ちすら欺していた。
「……痛かったでしょうに。……怖かったでしょうに。」
ごめんなさい。
それなのに私は貴方を利用した。
許して。
続けるべき言葉には口を閉ざす。
告白などできない。
私は自分に都合のいい台詞しかもう吐けない。
「……貴方は私が守るわ」
安心した彼女が顔を綻ばせる。
それは間違いなく、この世で最も美しくて尊いもの。
私が一生で償うには重い荷。
だがずっと背負い続ける。
ずっと貴方の傍にいるとの決意に偽りはない。
罪滅ぼしや庇護欲というより、独占欲に近いなと自分で自分を笑った。
おかしな話だ。ろくなもんじゃない。
それでも嘘ではない。
この世で一番貴方に冷たいのは私なんだから。
だったら。
それなら他の何者からも、絶対に私は貴方を守ってみせるわ。