※この作品はR-18です。

少女の名は逸見エリカ   作:愛田誠

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タイガートラック

平年並みの気温と画面向こうの気象予報士が言っていた。

見上げた陽光も昨日と大して変わらない暑さ。

だが心臓は、来る未来を予感して早く、強く脈を打つ。

起きるのが苦手なあの子もそそくさと部屋を出て、先に登校してしまったようだ。

今日は決勝戦。

そんな特別な日。

朝のコーヒーだって熊本市内からわざわざ足を伸ばして買ったケニア産を選んだ。

昨日までとは景色がまったく違う一日が、これから始まるのだ。

 

けれど違いがよく分からない。

豆ではなく、この心臓の鼓動は緊張なのか。浮ついているのか。

境界線の引けないままにキャニスターに手を入れると計量スプーンから豆が一つ、こぼれてシンクに転がり落ちた。

もったいないのでそのまま口に放り込んで囓る。

 

あ……。

 

しまった。

いつもの癖で……まさか見られてないでしょうね?

 

「コーヒー豆というのは、そのまま食べてもよいものなのか?」

「ぶぇっ?! えっ……いえ、まぁ食べれますけど、美味しいわけでは……」

ああああ。

やはり見られていた。

あまりにも、いつもと勝手が違う朝。

粗めに挽こうと調整したらミルはいつも以上に抵抗を見せ、ハンドルから何度も手がすっぽ抜ける。

中焙煎で豆が固いからか?いや、違うわね……。

問題はどう考えても訪問者のせい。

そりゃ憧れの人を初めて自室にお招きしたのだ。緊張しないわけがない。

ただ用事があるのは勿論、私じゃなくて妹にだったようだが。

「そうか、みほはもう学校へ向かったのだな」

朝起きると、すでにみほの姿は消えていた。

「あっ、はい。たぶん。あ、あとこれ。よろしければどうぞ」

「ん。すまないな、逸見」

艱難辛苦を乗り越えて、どうにかコーヒーを煎れるまで辿り着く。

今までの人生で最も近い距離から、あらためて御尊顔を拝する。

西住まほ。

黒森峰女学院機甲科隊長。私が最も尊敬する人。

「あの子も……みほもコーヒーは飲むのか?」

「あ、いえ。あまり喜ばれないですかね。飲みたいと言ってくることは稀で」

「そうか、もったいないな。こんなにおいしいのに」

 

ああ。

これは夢か?隊長が、思い焦がれていた人が褒めてくれた……。

頬をつねるわけにはいかないので、こっそりと足の指でじゃんけんを始める。

グー、パー。

チョキ、はできなかった。

いずれにしても脳の指令通りに指は動いた。どうやら夢ではないようだ。

「ふふ、そう固くなるな。楽にしてくれて構わない。ここはお前の部屋だろう?」

「うぇっ! あ、いえ。あっ、はい」

別にそわそわしていたわけではないんだけど……。

でも省みれば挙動不審以外の何者でもなかった。

ドアを開けたら隊長がいたときから、なんせずっとそわそわしっぱなしなのだから。

 

「ふぅ。ありがとう。多忙の時に長居をしてすまない。ご馳走になった。

 それではみほには伝えておいてくれ」

「は、はい! 分かりました!」

朝早くから隊長が私の、いや、私達の部屋を訪れた理由はこうだった。

まずは新人戦の勝利を期待している。

そして見事優勝した暁には、みほに伝えたいことがある、と。

そりゃそうよね。当たり前とはいえ、それはそれで寂しさもある。まさか私に用事があるわけがない。

「そうだ、逸見。頼みがある」

「ひゃっ、はい! なんでしょうか」

沈んでいるところで急に声をかけられるから、声が上擦ってしまった。

「先程の件だが、みほと一緒にお前も来い。共に話を聞いて貰いたい」

「えっ? あっ、はい!」

「それと私にも、一粒貰えないか?」

流れる会話は、ここで途切れた。

一瞬、何のことだか分からなかった。

隊長の指差す先を探すと、そこにあったのはアルミの袋だった。

「えっ? 私も? って……えっ? 隊長も、食べるん…ですか?」

「ああ、興味があるんだ。駄目か?」

「いいえ! そんな! 駄目だなんて」

慌ててスプーンで掬い、隊長に差し出す。

「ふふ。こんなにはさすがに食べきれないな」

「うあっ! そ、そうですよね。すみません。じゃあ、これを」

一番粒が大きく形もよいものを選び、差し出された手の上にそっと置く。

指先が、ほんの一瞬、隊長の手の平に触れた。

「うん。ありがとう。まるでブタみたいな形をしているな」

「あっ、そうですね。言われてみれば」

ブタ。

当然、カツにすると旨い動物のことではない。熊本の方言で意味は宝貝。

そうか。

この戦場の女王にも、貝殻を集めて遊ぶような年頃があったんだな。

「意外か? 私にだって子供時代くらいあるぞ」

「……はい?」

いけない。思いっきり顔に出てたみたい。

「え? いえ! そんなことは別に!」

「ふふ、冗談だ。妹を頼む。健闘を祈っているぞ」

「は! はい!」

 

隊長が去った後、私も登校の準備をするが心のざわめきが一向に収まらず、ボタンを掛け違えて略帽を忘れ、寮を出る準備だけで時間を随分浪費した。

唐突に豆をくれなんていうから慌ててしまったが、それよりも大事なことが先にあった。

 

……私も、隊長室に呼ばれたんだ。

 

この新人戦の後に、みほは全国大会に向けて原隊に復帰する。

彼女は本来、ティーガーⅠ217号車の車長を務めている。

みほの在るべき場所、そこは戦車道のエース集団。

黒森峰機甲科の一軍。

そして、みほに伝えられる内容は容易に想像がついた。

大会を間近に控えて、まだ決まっていないものが一つだけあるのだ。

昨年、先任の先輩が卒業してからは、ずっと空白だった役職。

 

副隊長である。

 

みほが、みほがついに……。

そして西住姉妹が指揮する黒森峰。それはまさに西住流の精神が形になったものだ。

胸が熱くなる。はやる心を抑えられない。

冷静さを取り戻そうと記憶を呼び覚ます。

そうだ。ここはまだ道程に過ぎない。浮かれている場合ではないのだ。

なぜなら隊長は、勝ったらと言っていた。

今はまだ、新人戦の結果次第で容易く変わってしまうような。

未来図と言うより、霞みたいなものなのだ。

そのまま幻で終わるかもしれない。

いや、こんな所で足止めを食って、何が将来の機甲科隊長だ。

たかだか他所の1年相手に負ける者が全国に舞台を移して勝利など得られるものか。

私は、私達は必ず勝つ。

そうだ。まずは勝利を。

戦いの獣が食む肉はそれ以外にない。それ以外を決して望まない。

黒森峰は常在戦場。いかなる時も他校に遅れなど取るわけにいかない。

波立つ心がようやく凪となる。もう大丈夫。

 

気が静まりジャケットを着替え終えると、どうでもいいことも思い出した。

あることに気付く。

そう言えば、あのとき触れた西住隊長の手は冷たかった。

不思議だ。

全然違うのね、妹と。

 

 

「やっと見つけたわ。貴方どこ行ってたのよ」

「うぅ……お、おはよう、エリカさん……」

大矢野原へ向かう群衆の中で、ようやく目当ての人間を見つける。

今、ここに至るまで、どこで何をしていたんだか。

まさか試合に出ない気なのではと勘ぐってしまうくらい巧妙に姿を隠していた。

まったく意味の分からない事を。

どうせバスで、私は貴方の隣に座るのに。

 

「何の連絡もなしに勝手に登校しちゃうし。探してもどこにもいないし。あんたねぇ」

「うぅ……ご、ごめんなさい」

「もういいわ。怒ってないわよ。心配したってだけだから」

「う、うん。ごめんね?」

なんだろう? 怒られて萎んでるわけではないみたい。それとなく話題を変える。

「それより朝、貴方が学校行った後に西住隊長が来たわよ」

「えっ? お姉ちゃんが? そうなんだ……」

あまり食いつきは良くない。

そう言えば最近は顔を合わせることは、ほとんどないと言っていたな。

姉妹揃ってお互いに忙しい身だ。仕方のないことだろう。

「それで今日の試合に勝ったら、貴方に大事な話があるって隊」

 

 

「だっ! 大事な話っ!?」

 

 

「なんだ? みほちゃん。どうした」

「急に後ろから大声出さないでよ。びっくりしたわ」

いや、隣にいた私もびっくりしたわよ。

「あっ! ご、ごめんなさい!」

「みほ、どうしたの? ほんとに。」

「だ、だって……エリカさんが急に真面目な顔するから……」

「だってさ。エリカは顔が怖いからだめなのよ」

「そうだよ。いつもみたいに、はぁ、なんでFuryはシャーマンの映画なんだろう。ブラピ様はどうしてドイツ戦車に乗って下さらないのかしらって乙女の顔してろよ」

「そんな顔したことないでしょうが!」

「……えっ。エリカさんのタイプって……そう、なの?」

「何コロっと騙されてるのよ! 別に好きでも嫌いでもないわよ!」

「あっ、そうなんだ!えへへ」

本当に表情が毎秒変化する。お姉さんとは大分違う。

「真面目に聞いて。みほ、これはね。貴方と私の未来にとって大事なことなの。だから、今日よ。今日の試合は絶対に勝つわよ。」

「あっ……はい! あ、あの……よ、ろしくお願いします……」

最後の方はだんだん小さくなっていってよく聞こえなかったけど、よろしくって言ったんでしょうね、たぶん。

 

見慣れたゲートを通り抜けて、車は試合会場に到着した。

駐車場を大きく旋回した後に仮設指揮所前にバスは停車し、降車の指示の下に選手達は席を立ち歩み始める。

降りる順番を待つ間、私はみんなの横顔を眺めていた。怯えている者は一人もいない。

そうだ。

私達の願い。欲しいものはただ一つ。それは皆、同じなのだ。私達も、当然相手も。

悔いの残らない試合なんて綺麗事を満たす条件はたった一つ。

勝利、それだけだ。獣性の渇きを潤すものはそれしかない。

チームメイトを誇らしく見送り、最後に残された一年チームの正副隊長である私達。

席を立とうと肘掛けに置いた手が、ふいに温もりに包まれた。

触れ合う手。

重ねてきたのは、みほの方からだった。

いつもは私がどこに行くにも貴方の手を引っ張っていた。

でも、それは日常でだけ。

戦車を駆る戦場において貴方は、私が心から信頼する人。

私を導いてくれる人。

手の向きを変えて、彼女の指の隙間に指を潜らせて、そっと置かれた手を強く握り返す。

「私達は負けないわよ」

「うん……。私も、絶対勝つから」

そう。

西住隊長になくて、みほにあるものと言えば一番は笑った顔じゃないかしら。

 

 

 

「やぁやぁどうも! 天草入鹿魚国際高校機甲科隊長の一年、安田悠と申します!」

初対面で失礼だけど相手校の隊長は、随分と軽薄そうな感じがした。

なんでも入鹿魚国際高校は学校自体も新しく、戦車道も今年から始めたとのことである。

だから新人戦だけでなく機甲科全体を指揮するのが弱冠一年、この安田という子だ。

決勝戦までの編成はスコアラーからはパンター主体との報告を受けている。

あの傑作中戦車を揃えられるのだから、それなりに活動費も潤沢にあるのだろう。

決勝戦まで勝ち上がって来たのは決してまぐれではあるまい。

 

決勝戦の舞台は、黒森峰の練習でも今大会でも何度も通った大矢野原演習場。

使用する車両は一個中隊規模の十二両で重量制限は無し。

予選中は60分だった制限時間を延長し、120分で行われる。

時間切れの場合は残存車両の多い方を勝ちとする殲滅戦。

相手にとって不足はない。ようやく待ち望んだ戦力らしい戦力と対峙する。

我が黒森峰も、私の搭乗するティーガーⅡとⅣ号戦車/70(V)偵察小隊の三両を除けば、

残りの八両はパンターである。戦車の数と性能で言えば、ほぼ互角。

やっと真剣勝負ができるわけだ。胸が高鳴る。

後は試合開始の合図を待つのみだった。

 

……。

それにしたって……。

「おたくの副隊長さん、遅いわね」

礼に始まり、礼に終わる戦車道。開始は正副隊長の挨拶から始まる。

だが、なぜか。入鹿魚の副隊長が一向に姿を現さない。

「いやぁ! すみません! なんせ天下の黒森峰と戦うわけですから! 気合いを入れて来るとは言ってましたけども!」

はぁ。

気合いったって、別に顔を合わせてよろしくと言うだけなのに一体……。

「おっと、お待たせしました! うちの副隊長の入場です!」

「え? どこ?」

「入場ってなんだよ」

促されて向けた視線の先、確かにこちらへ歩いて来る人間が、いるにはいるんだが……。

 

えっと、真っ赤なガウンで背の高い……。

いや……あの出で立ちは生徒ではないだろう、さすがに。

仮に顧問だとしたって派手過ぎるけど……。

 

「い、一般関係者の方は、し、試合会場から退出して下さい! 試合がもう始まるんです!」

「強情なジャッジさんですね。私は選手ですよ」

「えっ? 貴方、高校生なの?」

「さっきからそう言っているじゃないですか」

その奇抜な服装をした自称高校生はジャッジを引きずりながら列の中に加わった。

「え? えっと……あ、そうなの? この子が? あ、そ、それでは両校、隊長副隊長は前へ!」

でかい。

2mはあるんじゃないかってくらい、でかい。

バレー部なら分かる。女子でもこのくらい大きい子がいないわけではない。

それよりすごいのは横幅だ。

それも太っているのではなく全体的に筋肉質でがっしりとしていて、意味と意図の不明な装いを差し引いても、とても同い年の女子高生とは思えない。

「えっと、一同! 礼!」

「よろしくお願いします!」

その子は声もやっぱり大きくて、あらゆるものが一際目立っていた。

「よ、よろしくお願いします」

「そ、それでは各選手は移動を開始して下さい」

滞りながらも本試合がどうにか始まりそう。

「貴方が黒森峰の西住さんですか」

しかし遅刻してきた入鹿魚国際の一人仮装大会と、その集団に呼び止められる。

「あ、はい。あの、その格好は一体……」

「ああ! すいません! うちは元々制服がない学校なものですから! タンクジャケットだけはお揃いで作るには作ったんですけど、こいつはこの体格でしょう? 発注したXXLも小さくて着れないと言い出す始末で!」

「あれは安田君が私の話をちゃんと聞いてくれなかったせいですよ」

「え? じゃあ何? その服、私物なの?」

「はい。赤は私の魂の色です。それにしても……貴方のように愛くるしい方が……。これはいつでもお嫁に行けますね……」

「えっ? はい?」

「えええええっっと! そろそろ戻らんと、なぁ武藤!」

「安田君、私のことはムタと呼んで下さいとあれほど。まぁ、いいです。もう試合を始めなければいけません。林さん! 征矢さん!」

「はっ!」

「……ここに控えております」

「例の物を」

「はい」

呼ばれた生徒が取り出したものは水のペットボトルと、えっと? なんだろう?

見たことあるような、ないような機械。

「ラジカセじゃん。懐かしすぎだろ。爺ちゃん家で見たわ」

あー、ラジカセ。聞いたことはある。昭和の時代に流通していた音楽再生機。

私は音楽なんてネットくらいでしか聞いたことないけど。

寮でスピーカー使うわけにもいかないし。

でもカセットテープなるメディアが最近流行ってるとは聞いたことがある。

これがそうなのか?

「流して下さい」

「はっ!」

「えっ? 今度はなんなの?」

するとスピーカーからは琴だろうか三味線だろうか。

和楽器で奏でられる不穏な雰囲気漂う拍子。そして、まったくよく分からない音楽が始まる。

「えっ? 何これ。今こんなこと必要なの?」

「……っ! これは」

黒森峰側で唯一反応したのは砲手の入部裕美だけだった。

「えっ? 知っているの? 裕美」

「……間違いない。……MUTA院殿」

「だから、それが一体何なのよ!」

説明が説明の体を成していない。

一人ハロウィンの方もペットボトルの水を口に含み、瞑想に耽っていたかと思えば苦悶の表情を浮かべ、喉を押さえつけ始める。

苦しげに蠢き、そして唐突に、さながらイルカのごとく空に向かって水を吹き出した。

「いよぅーう!」

「ほっ!」

「うわっ! 汚っ!」

「ちょっと! 飛んできた! 飛んできた!」

「……見事な完コピ」

「なんなのよ! あんたのところってこんなのばっかりなの!?」

「いやぁ! 個人だけを見て全体を決めつけるのはよくないと思いますよ!」

「アイ……キル……ユー……」

「いや、何で急に片言で英語喋ってるの!?」

「知らんのか? 魔界の住人はアメリカ生活が長かったので英語しか喋れないのだぞ」

「いやいやいや! さっきまで普通に喋ってたじゃない!」

「……エリカ、これは仕方のないことなの。……諦めて」

「なんで貴方まで納得してんのよ! 裕美はっ!」

「いやぁ! はっはっは! じゃあまぁお互いに頑張りましょう! 時間が押してますので早く早く! それでは皆さん、良い試合にしましょうね! ではでは!」

「無駄な足止めしてたのはそっちでしょうが!」

一体何なんだ? 本当にどいつもこいつも。

まともな試合をさせなさいよ!

「なんなのよまったく! 行くわよ、みほ!」

「えっ? あっ、うん。そうだね」

「結局決勝戦もこんなんじゃやる意味なんてないわ!とっとと勝って帰るわよ!」

「あっ、うーん……。うん、そうだよね」

急ぎ開始地点へと向かう。こんな戦車道を舐めた連中に負けるわけにいかない。

120分制限ですって? そんな時間は必要ないわ。30分で片を付けてやる。

どうせここには戦車を隠す森もない。

殲滅戦だし、裏をかいてフラッグを狙う戦いとは戦法も異なる。

私達は黒森峰だ。根幹にあるのは西住流の戦い方。前進こそが勝利の要。

「と、取り敢えずラングを先行させて様子を見ましょう」

「まだるっこしいわね! ここはパンツァーカイルで完膚なきまでに叩き潰してやるわ! 先頭は私のティーガーⅡが務める! いいわね!?」

「えぇ……? うーん……確かに遮蔽物の少ないフィールドだから。正攻法もありと言えばありだけど……」

「何よ? 一体何が心配なわけ?」

「ええと、あんなに大きな人。どんな戦車に乗るんだろうなって」

 

 

 

「準備に時間を取り過ぎだ馬鹿! 危うくペナルティを科せられるところだったぞ!」

「でもやり過ぎだとは言わないんですね、安田君」

「当たり前だ! 相手は、あの憎き黒森峰……勝つためなら何でもやってやる。春に受けた屈辱はここで晴らす!」

「また、その話ですか? それって別に黒森峰が悪いわけでは」

「うるさい! とにかく! 私達は勝つんだ! 勝って伝説を作るんだ!」

「うん、それには賛同します。伝説……いい響きです」

「ならばムタ! お前には働いて貰うぞ。お前の腕には期待している」

「はい、分りました。伝説、私達で作りましょうね」

 

 

 

大矢野原は広いため信号雷は使えない。開始の合図は無線によって各校に伝えられる。

「西住さん、ゴーサインです」

『では試合開始です。ラング小隊は先行して下さい。残りの車両はシュペルリングチームを先頭に戦闘縦隊。それでは皆さん、怪我のないように。Panzer vor!』

全車両のマフラーから一斉に白煙が上がった。

平手打ちにも似たアフターファイヤーのパン! という渇いた音が数度響いた後に駆動音は滑らかな律動を奏でる。

マイバッハエンジンの音圧が上昇するに連れて、履帯はゆっくりと回転を始めた。

無限軌道の行路は戦車が破壊されない限り、どこまでも伸びていく。

その道を進みきった先に栄光はある。

私達は今日も当然のように勝ちに行く。

勝つ意志の下に、戦車群は縦隊でフィールドを進む。

「……珍しい。……みほさんが西住流の戦い方をしてる」

「これまでの入鹿魚国際の戦法は全部、馬鹿正直に正面からの殴り合いよ。相手にはパンターがあるし。今回も同様の戦法で来るだろうってのが彼女の予想よ」

「殴り合いじゃあ、うちだって負けてねぇぞ」

「でも、それじゃあもっと火力を集中できる横隊なり梯隊の方がいいんじゃない?」

「まぁそこは、大矢野原は広いから。横っ腹や背中を取られない様に万が一ってことじゃないかしら? いずれにしてもラングの報告待ちね」

相手が何に乗るかだなんて、何故にそんなに気にかかるのかしら。

報告では決勝戦までずっとパンターのゴリ押しだった学校だ。他の車両があるようでもないし。

だが漠然とした不安と言えども、払拭できるほど明確な判断材料もない。

それに戦場の嗅覚に関しては、みほの事は全面的に信頼をしている。

彼女がどうしてもそう考えるのなら、反対するのではなく協力するのが私の立場である。

ここは決勝戦。相手も決して弱くはない。何か奥の手が、もしかしたらあるのかも。

勝ちを確信して盲目になるよりは疑心暗鬼で心配性くらいが、ちょうどいい。

 

だが、そんな憂いは偵察からの馬鹿げた無線で霧散した。

 

『こちらシュペヒト。敵車両発見。Ⅲ号三両、パンター六両。横隊で西に向かい前進中……あー、すみません。こちらも見つかってしまいました。交戦始まります』

『フント、了解。可能な限り戦闘は避けて下さい。足止めではなく、敵を引き付けつつ後退して下さい。こちらへの敵車両の誘導を、お願いします』

 

「はあああぁ……」

「んだよ。でっけぇ溜め息だな」

「だって……いきなり、ほぼ全軍じゃない。それが考えもなしに、いきなり突撃仕掛けて来てんのよ?」

脱力しない方が無理だ。はっきり言って頭が痛い。

ラング一個小隊相手に全軍を晒しちゃって、リスク管理も何もあったもんじゃない。

対してこちらは主力をどんな陣形で、どこから攻めるかを自由に選択できる。

主導権は楽々と黒森峰側に転がり込んで来た。どうも過剰評価だったようだ。

つまり相手は戦車性能と、たまたま運に恵まれて決勝戦までやって来てしまった。

そんな程度の学校だったって事だろう。

これは本当に30分で終わる可能性すらある。

『相手がそのつもりなら、こちらも受けて立ちます。各車、縦隊から左斜行隊に展開して下さい。敵主力を一気に叩きます』

足の遅いティーガーⅡは最後尾である。早いとこ砲弾を撃ち込みたい。

だがそれは戦場の興奮ではなく、早く帰りたいという消極的願いによるものだった。

『シュペルリングより各車。2時方向に敵車両発見』

『了解しました。パンター正面装甲に対しての有効距離は1kmです。このまま前進します』

パンター対パンター。互いに同じ性能の戦車戦。

7.5cm70口径砲は100mm鋼板も紙のように貫くが、特徴である55度も傾斜角の付いた前面装甲はただの鋼板以上に強固なものとなっている。

性能が同じなら、後は練度と数の問題だ。

近距離での格闘戦となれば、最後に物を言うのは操縦手の腕前である。

車両数は僅差でも、練習の厚みなら私達には確固たる自負がある。

「西住さん。残り距離1.3km……1.25km……」

『目標2時、敵先頭車両、中隊集中、止まれ! 撃てー!』

圧倒的な質量が整然と降り注ぎ、先頭を走る敵パンターは被弾、沈黙する。

まずは一両。

だが敵は怯まず前進を続ける。ならば応えてやらねばなるまい。

黒森峰を相手にするとは、こういうことよ。

『敵の勢いを止めます。各個に砲撃を開始して下さい』

続いてⅢ号一両、パンター二両を撃破。

高々10分ほどの間に敵戦力の三分の一を削いだ。

ようやく慌てふためきながら敵は後退を始める。判断が遅い!

『追撃を開始します! 前進! 中隊、楔隊形へ!』

「あっと言う暇もやらねー! 最短終了記録を打ち立てて試合に花を添えてやんよ!」

正直こうなったら、それもちょっと興味ある。

まったく、とんだ勘違いだったわね。これで今年も優勝は私達、黒森。

 

 

 

優勢を確信した瞬間に突如、聞き慣れない風切音に襲われた。

 

 

 

間を置かずに轟音が鼓膜を揺さぶる。

「なっ!? 何よ今の!」

前方で味方のパンターが白煙を吹き始めた。

前進をしていたはずの車両が、進行方向をそれて斜め横を向いている。

まさかパンターが吹っ飛んだとでも!?

『中隊、停止!』

パンツァーカイルの成り損ないの縦隊で戦車は止まる。

続いてラングが一両。これは聞き慣れたパンターの砲撃だ。

後退していた入鹿魚国際が再び、今度は私達の右側面に向かって前進を始める。

「なっ! 急に元気を取り戻したわね!」

『各車、後退して下さい! 全速でここを離脱します! 急いで!』

「えっ? 何で後退なんか……うわっ!」

再び風切音が鳴り響く。

さながら、まるで悪魔の笛のごとく不快さをまとい次々と味方車輌を屠る砲声。

次は私達の目の前にいたフォーレンチームのパンターから火花が吹き上がる

金属が抉られ、ひしゃげる破壊音がティーガーⅡの車体をも揺らす。

まずい。

チームが、私達、黒森峰が……動揺している!?

後退するにも、すでに隊列の体を成していなかった。

下がる戦車同士が車体をぶつける。

無理矢理に方向転換をしようと側面を晒す者には、容赦なく敵の砲弾が浴びせられた。

先程までのワンサイドゲームがまったく立場が変わってしまった。

これでは蹂躙されているのは、私達の方ではないか。

『落ち着いて後退して下さい! 側面を敵に向けては駄目です!』

「側面を向けるなったって! 横からパンターが! うわぁ!」

続いてギラッフェチームのパンター。

シュペヒトチームのラング。

カルプチームのパンター。

クラーニヒチームのラング。

偵察小隊が、全滅した。

『後退です! 後退を最優先に! 下がることだけに集中して!』

みほの悲痛な叫びも虚しく、瞬時にしてパンター四両、ラング三両が行動不能となる。

「そんな! そんな馬鹿なことが……うわああっ!」

車体が激しく鳴動した。ティーガーⅡも被弾する。

 

「……ヒット。再装填急いで下さい」

「武藤さ……いや、ムタ。さっきからなんか無線が鳴ってますけど」

「敵を全部やっつけるのが先です。二人より三人で、その方が早いですから。それより再装填を。そろそろ射程外になります」

 

「まだ動く! 有効弾は貰っちゃいないわ! 由貴! 前進して! 私達に効かないんなら私達が盾にならないと、みんなが!」

『各車、後退を急いで! 殿はグラウフクスが務めます!』

 

悪夢の時間は過ぎ去った。

謎の攻撃が届かなくなった頃には、敵パンターも追うことを辞めていた。

十二両の中隊が七両撃破され残り五両。

敵はまだ八両残っている。戦車性能が同じなら……勝負を決めるのは練度と……。

もう一つは、数……。

 

信じられないが、これが現実。

黒森峰機甲科が、たかが今年から戦車道を始めた学校に追い込まれている。

無線も沈黙したままとなった。

みほに、あのみほに次の手がないと言うのか。

士気に暗雲の垂れ込める中を続け様に、私達はもう一つ信じられない連絡をジャッジから受けることになる。

 

 

『あっ、やっと出た。おい、ムタ! なぜ追撃しない! あと1歩のところで敵を逃がしてしまったじゃないか!』

『それは言ったじゃないですか、安田君。この戦車は砲を固定せずに無理に動くと照準が壊れるんですよ。それにもう一つ問題があります。弾がなくなりました』

『はぁああああ!? 馬っ鹿野郎! 最終戦で弾切れを起こすやつがあるかあ!』

『それも安田君言ってましたよね? 伝説作ろうぜって。敵が十二両なら十二発で仕留めろ。そうすれば伝説になるって。私はそんなの反対したのに、安田君はいつも強引だから』

『うるっさいわ! 予備は……予備はどこかにはあるんでしょうね!』

『一応、こうなるだろうって思いましたのでⅢ号さんに間借りさせて貰ってます』

『ならば補給させなさい! さっさとしろ!』

『その間に敵が攻めてきたらどうします?』

『そうならないように……。そうだな、えーと。そうだ! 閃いたぞ! 時間稼ぎと、あわよくば伝説が作れる一石二鳥の方法を! 特使だ! 黒森峰に停戦の特使を送れ!』

 

ジャッジから停戦の申し出があったと伝えられた。

前代未聞だ。たかが新人戦で、そんな話聞いたことがない。

勝ちがあれば負けがある。当然のことだ。戦車道には普通、その二択しかない。

「えと、本当なんですか? 入鹿魚国際は引き分けを要求しているって」

「はい。入鹿魚国際の隊長が今こちらに向かっています」

 

「どうする? みほ。まさか応じるわけじゃないわよね?」

「うーん……取り敢えず時間を稼ぎましょう。その間にこちらも戦力の立て直しと、作戦を練り直さなくては……」

憔悴しているのが手に取るように分かる。手が、手が震えているじゃないか。

今までも絶望するような状況はあった。

その都度、皆を奮い立たせてくれたのがみほだった。

だが今回は違う。気丈に振る舞う仕草が痛々しい。

諦めてはいないにせよ、明確な打開策もない。言い表せば視界のない霧の中にいる状況。

真面目に相手の話を聞く気はないが、こちらだってどうしても時間が欲しい。

戦線を再構築するために考えなければならない。

優勝決定戦とは言え、たかが新人戦で使者が出されるなんて有り得ないことではあるが、こちらの窮地には渡りに船と言えた。

 

「そうです! 引き分けでいいんですよ、私達はね。実はねぇ、うちは戦車道の歴史が皆無じゃないですか。なので予備車両がないんですよ。パンターも何両かやられちゃいましたけど、これ全部大事な大事な戦力なんです。当然、戦車道をするからには目前に迫った全国大会にも出たい。そのためには戦力を温存したいんですよ、正直なところ! そりゃあねえ、黒森峰さんみたいに戦車が山ほどあれば気にならないでしょうけども。だから今回は勝ちにはこだわりません! それに勝った負けたとやるよりは、あの黒森峰と互角に戦い! 引き分けとなった! って噂される方が格好良くないですか? ないですか? えっ、そうですか……。いや絶対格好いいですから、その方が! 絶対初出場初対決初引き分けの方が伝説になりますから! だから現状では可動車両数は勝ってる私達ですけれども、そんなトロフィーがどうしても欲しいわけじゃない。私達が欲しいのは伝説です! だから、どうです? 黒森峰さん。ここは引き分けとして下さいませんか?」

 

よく息が続くなと感心はするが、内容についてはまったくもって冗談ではない。

そんなの飲むわけにいくものか。

「ふざけないでよ! そんな気分で戦車やってるわけじゃないのよ、こっちは!」

噛み付いた私に一瞥をくれると、安田の顔から笑みが消えた。

「お前、吠えるのは構わんが、じゃあ勝てるのか? うちに」

「なっ……!」

 

チャラチャラしたやつだなと最初は思った。

特別、感情の込められているわけでもない薄ら笑いが、気味の悪いやつだと思った。

だが本性はこちらなのだろう。

その目は、凍り付くほどに冷たい熱を宿す瞳は、私達と同じ人種。

戦場で生を実感する側の人間の色をしていた。

「別にやってもいいんだぞ? こっちは。じゃあ戦おうじゃないか! 最後の戦車が壊れるまでやり合おう! それで後悔しないならなぁ!」

「くっ……!」

「これ以上、うちも譲歩するつもりはないぞ。やるか? やらんのか? うちの提案を飲むのか! 早く決めろ! 十秒だけ待ってやる! 十! 九! 八!」

相手の勢いに気圧される。

八両対五両の勝負。

その程度の車輌差、当然勝負をするべきだ。

するべきではあるが……展望が開けて来ない。勝つための明確なビジョンが……。

みほも迷っている。元々こういう押してくるタイプには弱い子だ。

それすらも連中の作戦かも知れない。思考する隙間すら与えて来ない。

一体、どうすれば。

 

「待ちな」

 

カウントを遮ったのは意外な人物だった。

「なんだぁ? 貴様ぁ」

「俺か? 俺はただの装填手だよ」

 

「奈緒さん?」

「ちょっと何よ?奈緒」

「エリカ、みほちゃん。早く再開しようぜ。こんなやつの話を聞く必要はねぇよ」

「ほおおおうう? さっすが黒森峰は選手層が厚いねぇ。装填手風情に戦局打開の妙案があるとはなぁ!」

耳障りな甲高い笑い声が響く。

「作戦なんかねぇよ。大体俺は戦車の運用も種類もからっきしだし」

「はぁ? 糞雑魚が。話の腰折りに来ただけならすっこんでろよ」

「あいつはどうした? 来ないじゃないか。こういう場が好きそうな派手な姉ちゃんがよ」

「別に。後方で待機をしているだけだ」

 

「嘘つけ。砲弾の補給してんだろ?」

 

「えっ?」

「は?」

「なぁなななななな! 馬鹿な! んなわけないだろ! 適当なこと抜かすな!」

「へっへ。図星かよ。狼狽え方がハンパねぇな、お前。言ったろう? 俺は装填手だ。戦車の種類なんか、装甲厚も燃費も全長もいまいち覚えてはないけどさ。砲弾の種類なら分かるんだよ」

「んがっ!」

奈緒は芝居掛かった動作で、人差し指を天草高校の隊長へ向けながら語り続けた。

「あれは12.8cmPaK44だろ? そんなもん積んでる戦車は世の中にゃ限られてる。そして12.8cm砲の弾は分離式。さっきやり合って思ったよ。装填が遅すぎるってな。それであの派手好き姉ちゃんだ。でも交渉に来てるのはお前らだけ。その間、何やってる?そりゃあ決まってるよ。来ない理由。来れない理由なんて人手不足以外にはないだろ? せっせと30kgもする砲弾を今頃リレーしてんだろうな。どうよ、この名推理。決まりだよ。あの姉ちゃんが乗ってんだろ? ヤークトティーガーに」

「ヤークトティーガー……! 確かに、そうですね」

「なるほど、それがあんた達の切り札だったってわけね。この決勝戦まで温存して……よくも謀ってくれたわね」

「はああああ!? 勝手に決めんな! 状況証拠だけだろ!」

「お前の態度が答え合わせになってるよ、もう」

「なっ!」

 

ヤークトティーガー。

大戦末期に投入された第三帝国の重駆逐戦車。

搭載された12.8cm55口径砲は、通常の戦車の有効射程距離を遙かに超えて3,000mの長距離から敵車両を破壊するために開発された。

それだけ遠ければ混乱の中で発見できなかったわけだ。

壁を貫通して敵戦車を破壊したという逸話を持つ強力な火砲を与えられてはいるが、鈍重な車体には射程外に逃れた獲物を追いかける走行性能は備わっていない。

追撃をして来なかった理由も頷ける。

「分かりました。黒森峰は、戦います。提案には応じません。各車戦闘準備。乗員再搭乗でき次第、前進を開始します」

「卑怯だぞ! 私達を足止めに使ったな!」

「それはこっちの台詞だよ。入鹿魚国際の隊長さんよ。あともう一つ教えてやろう。勝つ作戦があるのか、ないのかって聞いたよな? 作戦ならあるよ」

「な、なんだと! そんなもんがあるわけない! あるなら言ってみろ!」

 

「あったとして、戦う前に相手に教えるわけねーじゃん! 頭使えよ!」

 

「ぐぬううううう! 貴様ぁ! 絶対! 絶対ボコボコにしてやる! 覚えてろよ! この野郎っ!」

盛大な仕返しを受けて、まさに顔を真っ赤にさせながら様々な罵詈雑言を吐き出しながら走り去って行く入鹿魚の面々。

幾分か気も晴れた。

そして覚悟も決まった。試合は続行。決着が付くまで。

その勝利がどちらに転ぶかは判らないけど、私達は。

「うわはははは! 見たかエリカ! 俺よりもバカがいたぜ!」

「うるさい! その話はもういいわよ! それより言ってたわね。何か作戦、あるんでしょうね?」

「いやぁ……別にないけど……」

「おい!」

「あはは、でもありがとうございました。奈緒さん。相手がヤークトティーガーなら、ラングと同じ。近接戦闘に持ち込めば……」

「でも、あの砲撃をどう避けて近づくか、よね……」

「そうだね。でもこの試合は殲滅戦。いずれにしても倒さなくちゃ……」

ヤークトティーガーは砲塔のない駆逐戦車。

狙いを定めるには砲身を、取り付けられた車体ごと向きを変える必要がある。

目標が遠ければ修正は微差で済む。

接近すればするほど大きく車体を動かさなくてはならなくなる。

近づいてさえしまえば倒すのに難はないが、有効射程3,000mの壁は高い。

こちらの有効弾を撃てる距離のさらに遠くから、あいつらは攻撃できる。

接近すること自体が至難の業だ。

「後ろから押して加速するとかどうよ!」

「一列で走れだなんて、再開して五分で負けるわね。ほんとにあんたは」

「蛇行するだけで回避しきれるとも思えない。何か、何かもっと確実に不規則な動きができるような方法が……」

「ここはシンプルに目くらましの発煙弾を打ち込むとか、どう?」

「それでもやはり、距離があります……差が埋めきれません。それにラングには用意させてありましたけど、パンターには発煙弾は積んでいませんし……」

「うちも煙が出るものはバルサンしかないしなぁ」

真剣な会話に水を差すような。

いや、水を差すというより、なぜ戦場でその単語が飛び出したのか理解ができなかった。

「え? どうでもいいけど、なんでバルサンなんか持って来てんのよ」

「んーまぁ、お守りって言うか、その、なんだ」

「ええええエリちゃん! 奈緒ちゃん! いいい今は戦闘中だから! その話は今は無しにしようよ!」

必死の形相で話を逸らそうとするひより。

「えぇ……? まぁ、いいわ」

どうも聞かない方がよさそうな雰囲気だ。

それよりも今は勝つための策を考えなければ。

「……エリカ」

「裕美、何かいい案でもあるの?」

「……押して駄目なら」

裕美がタンクジャケットの袖を引っ張る。

 

「あぁっ!」

「……トリッキーな動きができれば何でもいいんでしょ? ……試してみる価値はあると思う」

「なるほど。それなら攪乱できるかも知れない……。あ、そうだ。折角なのでそれも使ってみましょう」

「ふふふ、みほ。ようやく生き生きとして来たわね」

「えっ? そうかな? うん、だって今日負けるわけにはいかないから。勝とう、みんな! 名付けて、くるくる作戦です!」

「……待って。作戦の基礎を提案したのは私。……だから、今回は私に名前を付けさせて……だめ?」

「あ、はい。構いませんけど」

「なんかもっとマシな名前が付くなら何でもいいわよ。裕美、お願い」

「えぇ? そんな、私だって真面目に考えてるんだよ」

「……ごめんなさい。……でも、この作戦はね。とある勇気ある搭乗員からヒントを得たものだから……その作品に敬意を表して、こう名付けたい」

 

名付けて、シュバルツグライフ作戦。

 

「……どう?」

 

「かっこいい……っ!」

「いいじゃん!」

「いい名前じゃない!」

「わー! なんかすごい相手を混乱させれそう!」

「うーん、なんかちょっと物々しいかも」

「うるさいわね! これよ、これ! 作戦名ってのはこういうものよ! あんたはよく聞いときなさい!」

「えぇ……? そ、そうかなぁ?」

 

腹は決まった。早速準備に取りかかる。

引き分けですって? 私の辞書にそんなものはないわ。

パンター前面装甲の傾斜角だって、ティーガーⅡの8.8cm71口径だって。

相手のヤークトティーガーだって。

兵器は相手に勝るために開発されたのだ。

勝つための装備、勝つための火力、それを駆使しておいて勝負事を放棄するなんて。

そんなものは黒森峰だろうが、新参だろうが、戦車道だろうが関係ない。

闘争心は人間の鏡なのだ。戦車はただの道具でしかない。

 

西住隊長は言っていた。

この試合に勝ったならば、あらためて話がある、と。

憧れの先輩に背を向けて生きるわけにいかない。

高みへ辿り着く前に目を逸らしてしまうのなら、ここに立っている意味がない。

結局、意地の張り合いでしかないのよ。

諦めてしまえる程度のものに入れ物なんか必要ない。

私の大切なものを仕舞い込む宝石箱。

黒森峰、ティーガーⅡ、1年のみんな、チームのみんな。そして、みほ。

それ自体がまばゆい輝きを放つ、価値ある装飾を施している。

この箱に何を入れようか、私は何を手にすることができるのか。

宝探しはまだ始まったばかり。そうよ。

探すのも、見つけたものを磨くのも、この大切な器を活かすのも、曇らせて輝きを損ねるのも。

 

すべては自らの選択次第だ。

 

 

 

「くそくそくそ糞が! おい! ムタ! 弾の補給は済んだのか!」

「えっ? 思ったより戻りが早いですね。まだ20発くらいしか積めてませんけど」

「遅いんだよ! もういい! 交代だ! ヤークトティーガーの周りはⅢ号で固めろ! 護衛に当たっていた車輌も含めて、すべてのパンターは私に続け! 相手はたった5両! 包囲して一気に息の根を止めてやる! 待ってろ黒森峰!」

「また積年の恨み、ですか」

「そうだとも! ペーパーテスト風情で私の入学を拒んだこと! この生涯一度たりとて忘れたことのない辱め! 今度は貴様らに味合わせる番だ! ……あらゆることを後悔させてやる。春の恥辱はここですすぐ! 行くぞ!」

「だから安田君、受験に落ちたからって逆恨みはだめですよ。あとパンターの速度には私達追いつけませんから包囲にならな……あー、やっぱり聞いてないですね」

 

再び砲弾が交錯する。

車両性能が同じなら勝敗を左右する要素は、数と練度。

数が同じなら勝負は、練度の差で決まる。

 

 

『ちっきしょおおおおおおおお! 糞が糞が! 撤退だ! ヤークトティーガーと合流する!』

「5対5でうちらに勝とうなんて甘いわね!」

「オラオラァ! 自慢のヤクティーはどこだゴッルァ!」

『シュペルリングより敵パンター、一両撃破』

『フントより各車、敵が後退を始めました。遠距離からの砲撃に注意して下さい。相手の有効射程内に入る前に、何としてでも数を減らしておきます。目標正面、先頭敵車両、班集中行進射、撃てー!』

『こちらカッツェ! 敵パンター撃破! 戦果、一!』

「よし! これで相手は残り六両! 差を縮めたわ!」

『可能な限り敵車両の影に入り、射界を遮って下さい! ヤークトティーガーに機敏な動きはできませんから! 場所さえ特定できれば、あとはそこに向かって進むだけです!』

当然、接敵する間に撃破される恐れはあった。

パンターの装甲など容易く貫通する威力を備えた砲である。

それに装填速度が遅いことは事実だが、まだ正確な所要時間を掴んでいない。

次弾が放たれる最短時間は何分なのか。

判断をするのに少なくとも二発は耐えなければならない。

そして二発も食らって、なお耐えうる可能性のある戦車は今、黒森峰側にはたった一両しかない。

「由貴、仕事よ。私達のティーガーⅡはみんなの盾にならなければならない。速度を上げて、最前列へ。そしてもう一つ、私達が壊れるわけにはいかないの。だから、ヤークトティーガーからの攻撃は有効弾とならない様に可能な限り避けて。お願い、貴方を信じているわ」

「盾にはなるけど弾には当たるなって無茶苦茶な命令をするわね! でも、分かったわ、車長さん」

 

「それと、ひより。貴方の席からが一番見栄えがいいと思うから、例の物は首尾良く頼むわよ」

「責任重大だね。頑張るよ!」

 

「奈緒」

「何だよ、あらたまって」

「さっきはありがと。やっぱり貴方も黒森峰に必要な人間ね。頼りにしてるわ」

「んだよ、ばか。やめろよ……」

 

「そして裕美。私達の運命は砲手の貴方に託すわ。よろしくね」

「……任せて」

 

敵パンター群は本格的に散開を始めた。

つまり、そろそろだ。

広がった視界の、その先3,000m。

そこに敵がいる。

『それでは、グラウフクスさん。お願いします。赤星班は停車、準備を進めて下さい。急いで』

「後ろのみんなの用意が整うまで、ゆっくりよ。ゆっくり……」

 

その瞬間また、あの不快な風切音が鳴る。

「来た!」

操縦手の内山由貴が瞬時にハンドルを切った。

砲塔左側面に着弾し、傾斜角度で弾かれ閃光は横へ流れ去る。

衝撃で車体が激しく振動する。雷鳴にも似た轟音が車内の空気を揺らした。

「うおおおお! 怖えええええ!」

「まだよ! ティーガーⅡの正面装甲ならまだ耐えれる!」

前進しなければ敵を、ヤークトティーガーを捕らえられない。

だが距離を縮めた分だけ受ける火砲の威力は増していく。

ティーガーⅡの正面装甲は150mm。

スペック上では2,000mまでならば12.8cm55口径砲を弾き返せる。

だが、その先は未知の領域だ。

「大丈夫。ゆっくりよ……ゆっくり」

後ろのパンターのみんなを守らなくては。

交戦中の安全はカーボン加工された車内にのみ限られる。

仲間達は今、作戦を実行に移すため降車して車外で作業中なのだ。

命をかけて、皆で勝ちに行く。

それが私達、黒森峰女学園、いや、西住みほの戦い方なのよ。

 

再び砲塔付近に着弾し、車体が激しく鳴動する。

弾道は先程とほぼ変わりがない。

撃ったら移動する。そんなの操縦の基礎だが、そんなことも知らないのか?

いや、違う。

あいつらも勝負に賭けているんだ。

勝負の分かれ目は懐に入られるかどうかなのは、私達と同じくらい敵だって承知している。

その前に仕留められる自信があるのだ、敵の砲手には。

腹は立つけど確かに今、有利なのは入鹿魚国際の方である。

「2発目までの時間は50秒くらいか? 遭遇したときより遅くなってる気がするな」

「奈緒の言葉を信じるなら、弾の補給でバテたのかしら」

気持ちは分かる。

勝ちたいのだ、向こうだって。

例え疲労で倒れそうでも、12.8cm砲の砲弾がいくら重くても、切り札は自分達だという想いが彼女達を戦場に立たせている。

それは、こっちだって同じだ!

「……エリカ。そろそろ2,000mになる。……この先は危険」

「まだよ! まだフントからの報告がない! このまま進むわ!」

まだか。

フントからの無線はまだか。

みほ……お願い早く!

 

『グラウフクスさん! 準備が整いました! 行きます! シュバルツグライフ作戦、開始です!』

「よし、ひより! 準備して! 次の攻撃を受けたら――」

 

その瞬間であった。

 

今までで最も強烈な炸裂音が車中を支配し、鼓膜から他一切の音が遮断される。

着弾の強い衝撃に車体が包まれる。

 

言葉をつなぐより先に、ティーガーⅡは敵の砲撃を受けて。

 

停止した。

 

 

『ヒット。ティーガーⅡを仕留めました』

『よくやった! ティーガーⅡが煙を噴いてやがる! 伝説だ! 私達はティーガーⅡを正面から仕留めた史上初の戦車乗りになった!』

『はぁ、そうですね、確かに。伝説……ふふ、まず一つ作りましたね』

『残りはパンター5両! ふははははははは! 勝てる! 黒森峰に勝てるぞ!』

パンターの前面装甲なら2,000m先からでも抜ける。砲弾も30発は積み込んだ。

逆にパンターが有効弾を放つには100m未満まで接近しなければならない。

勝つための条件。

だが条件としてはあまりにも一方的な隔たりが双方の間にはあった。

『安田君、油断は禁物ですよ。まぁ、気持ちは分かりますけど』

『ふん! 側面ならⅢ号を盾に置いている! 不意打ちは不可能! こちらは近づく前に一発当てればいいんだ! 打倒黒森峰を誓って、たった100日! 正確には101日と15時間と28分! ふぅははははははははは! 強い! 私達は強い!!』

『私、安田君のそういうところ好きですよ。でも喜び合うのはもう少し後にします。敵パンター、視認しました』

 

 

 

『それでは小梅さん、お願いします』

『了解、シュペルリング前進します。よろしくお願いします!』

『了解、イーゲル前進します!』

 

『パンターめ! 仲良く揃ってお出ましか! ムタ! 後は任せたぞ!』

『分かりました、安田君。任せて下さい。絶対に、必ず入鹿魚国際を勝利に導いてみせます。護衛、よろしくお願いします』

照準器を覗き込むと視界は大幅に狭まったが、心は落ち着く。

彼女の見慣れた世界には、いつもレティクルが表示されていた。

「それでは参ります。鶴田さん、操縦よろしく。装填の方も、皆さんよろしくお願いしますね」

安田君はあの通り変な人だし大言壮語もすごいけど、絶対に他人の夢を笑わなかった。

小学校からずっと、からかいの対象になっていた私の女の子離れしたフィジカルも、乙女のたしなみを見事身に付けて立派な花嫁になるという私の夢も、全部あの人は肯定し、そして褒めてくれた。

貴方は私の大切な親友。

Talk the talk ,Walk the walk。

ですので黒森峰の皆さんには申し訳ないけれど、この試合は勝たせて貰います。

 

 

『こちらフント。先行するシュペルリング、イーゲル班へ。車体の動きを注視して下さい。車体の微動が終わったら弾はいつ飛んできてもおかしくないですから』

『りょ、了解!』

正直3kmも先の物が少し動いただとか、止まっただとかなんて分かるはずもない。

それでも、私だって黒森峰の一員だから。

「ちょっと! 小梅さん! 危ないよ!」

「……分かるけど今、不利なのは私達だから。無茶は分かってるけど」

ハッチから半身を乗り出して震える手で双眼鏡を掴む。

まだだ……まだヤークトティーガーの履帯は動いてる。

エリカさんからの報告では次弾が飛んで来るまでの間隔は50秒ほど。

そして今の距離ならば秒速1,000mで飛ぶ物体でも、まだこちらに到達するには3秒はある。

あとはパンター前面装甲の傾斜角を信じて。

少しでも接触面をずらせたなら有効弾とはならず受け流すことができるはず。

あとは、あとはタイミングだけ。

履帯が止まった。砲身は……上に動いて……。

「今です! 全速後退!」

先を進むイーゲルとシュペルリングは同時に急停止をし、そのまま後退する。

瞬きほどの時すら置かずにヤークトティーガーより砲弾は放たれた。

 

「……ヒット……? いえ、外し、ました。すみません、装填急いで下さい」

今まで同じ呼吸で真正面を捉えていたのだが、相手の幸運が上回ったか?

いや、違う。

こちらのタイミングが読まれたにしろ、制動時間が短すぎる。

最終戦ともなればギアの負担もやむ無しと、高負荷な操縦をしているのか。

いずれにしろ懐に潜り込まれる前に動きを止めねば。

「すみません。装填時間を短縮して下さい。急いで」

「ムタさん! 右からも敵パンターが!」

「……仕方ありません。そちらは安田君に任せましょう」

 

『全部ちゃっちゃとやれんのか!』

『さすがにそれは無理です。我が儘を言い、申し訳ありません』

『くそう! しょうがない! 敵右翼のパンター2両に攻撃開始!』

取り敢えず先に現れた左の2両は私の分担だ。必ず仕留めてみせる。

敵車両の砲塔上に人影を確認した。

なるほど、目視でこちらの砲撃を読んでいるのか。

交戦中に特殊装甲から身を乗り出す勇気。さすが、さすが黒森峰女学園。

ですが危険だからと言って、こちらも手は抜きませんよ。

「ぜぇぜぇ……装填完了!」

「感謝します」

射撃は困難になる。弾の消費も増えるかも知れない。

だがこちらも技術で劣るわけにはいかない。

 

 

赤星の持つ双眼鏡の先、ヤークトティーガーの履帯はまだ動いてる……。

車体が止まったら、次に砲身の動きを……。

だが赤星の予測に反して、突如砲身の口が閃光を放つ。

「……っ! 全速前進!」

前を進むイーゲルチームを狙った砲弾は今、赤星の乗る車両に向かって発射された。

虚を突かれ慌てて車内に潜り込む。

赤星の視界が車外の景色から鋼鉄の箱の中に移り変わると同時に、搭乗するパンター車内は鼓膜が破れんばかりの轟音に覆われた。

 

 

「……ヒット。……いえ! そんなまさか! 再装填急いで!」

ここまでティーガーⅡ以外の車両はすべて一撃で仕留めていた。

それが立て続けに二度も外れた。なぜ!?

車体の動きと同時に砲身も調整するという難度の高い砲撃を試みた結果、精度が落ちてしまったのだろうか?

可能性は充分考えられるが、何かが違う。判然としない違和感を色濃く感じる。

傍らにある双眼鏡を掴むと、武藤も交戦中だというのに臆しもせずハッチを開ける。

先程からパンターの動きが妙だ。連携が取れすぎている。

等間隔で離れることもなく、しかもさっきの動きはどう考えてもおかしい。

一瞬、パンターは車体の向きとは明らかに違う方向に動いた。

強いて言うならドリフトのような横滑り。

摩擦係数の少ないアスファルトやコンクリートの路面なら分かる。だがここは草原だ。

しかも間合いを計るように速度は微速を保って前進していた戦車が、助走も無しにそんな挙動できるはずがない。

レンズ越しに相手を凝視すると戦車と戦車の間で、何かが光った。あれは……?

 

「ワイヤー!?」

 

戦車と戦車の間をワイヤーで繋いでいる。

そうか! 一両だけの速度ではない。戦車を繋ぐことにより二両分の力で。

奇妙な急加速急制動はそのためか!

「ふふふふふ! おもしろい! おもしろ過ぎますよ黒森峰! 愛してます! この感情、まさに戦車道LOVEですよ!」

「おお! ムタさんのテンションがMAXに!」

「おいおい、終わったわ相手」

観測をしている車両を攻撃したのが間違いでした。そうと分かれば次は外しません。

二台同時に動くのに、念力か理力で通じているのでなければ、必ず無線交信のタイムラグはある。

もう一度、次は観測とは別の車両に打ち込めば避ける暇はない。

魔法はこれで最後です。閃光の魔術はそもそも私の十八番ですし。

「これで! 最後……」

狙いを定めペダルを踏んだ瞬間。

 

戦闘室は大きく揺れた。

 

弾道は小さく弧を描いて届くことなく、まったく別の場所に着弾し土煙だけ虚しく上げる。

撃ったのは目の前の標的ではなく、遅れて現れた右からの二両の、いずれか。

ヤークトティーガーの砲身が備え付けられた戦闘室の前面装甲は厚さ250mm。

こんな距離ではいくらパンターの強力な主砲だとて有効弾にはならない。

しかしなるほど、要は弾に当たらなければいいのは相手の方こそ理解の上だろう。

こちらの照準を阻害する方法は、砲弾を避ける綱渡りだけではない。

『安田君、パンターを黙らせて下さい。攻撃に邪魔されて弾が当たりません』

『よし! 分かった! 全速前進だ! 右翼パンターを追え!』

 

 

「みほさん! 敵パンターがこちらに向かって前進して来ます!」

『仕方ありません。ティーガーⅡを置いて後退します。カッツェチームも続いて下さい』

後は、後はもう一度。

一度だけでいい。私達に幸運が訪れんことを。

 

 

「隊長……? なんか変なんですが……?」

「なんだ? 変ってなんだ?」

「いやぁ……よく分からないです……。ティーガーⅡがさっきより大きく見える気がして……」

「あほか! ティーガーⅡなら真っ先に葬ったろ! 試合に集中しろ! それよりもパンター二両が逃げるぞ! これは殲滅戦だ! 完膚なきまでに叩きのめしてやる! お前ら! 時代の女神は入鹿魚国際に微笑んでいるぞ!」

 

 

 

 

 

 

「……エリカ、敵パンターがこちらに向かって来る」

「由貴、排ガスが出ないように、止めて」

「まさか……バレたの?」

「そうじゃないことを祈るわ」

敵パンター群は、みほの乗る隊長車フントとカッツェチームの車両を追いかけて横を通り過ぎて行った。

「ふう、やれやれ」

「うおおお……怖えええ……」

 

ヤークトティーガーからの着弾を機に、通信手真上のハッチにバルサンを置いた。

外見だけならティーガーⅡは、砲撃で破壊され煙を上げているように見えただろう。

相手が判定装置の確認を怠っているのは、先程から追撃がないことが証左。

どうやら偽装工作は奇跡的にも成功したようだ。

 

「後は……ヤークトティーガーの側面さえ見えたら……」

側面装甲ならば厚さはたった80mm。

ティーガーⅡのアハトアハトなら、この距離なら余裕で貫ける。

だが、まだだ。

まだ相手の角度が足りない。

『こちらグラウフクス。まだ側面が見えません。小梅さん、お願い』

『りょ、了解! もう1度行きます!』

問題はそれだけではない。

「Ⅲ号が邪魔ね……」

ヤークトティーガーの弱点である側面にはⅢ号戦車が陣取っている。

これをどうにか、退かさなければ。

「奈緒、装填はどのくらいあれば可能?」

「25秒……いや、18秒」

結局、賭けだ。結果は運次第。

「裕美、お願い」

「……Ⅲ号を仕留めてから、間髪入れずにヤークトティーガーを止める。……そうね?」

「理解が早くて助かるわ。けど……」

「……できるか、できないかじゃない。……やらなければ負ける。……だから答えは一つしかない、そうでしょ?エリカ」

「そうね、その通りよ」

バルサンの煙など、とっくに切れている。

種も仕掛けも失われ、状態は白日の下に晒されている。

チャンスは限られ、しかも条件は悪い。それでも、やるしかない。

「貴方に全部任せるわ。頼んだわよ」

 

 

 

黒森峰のパンターめ! やけに素直に逃げるじゃないか。

そうか! 入鹿魚国際に! この私という存在にようやく気付き、恐怖したか!

「追えええええ! 敵を逃がすな!」

「あのう。隊長?」

「んも! なんだよ! しつこいな!」

「やっぱり何か変ですよ。さっきティーガーⅡの横を抜けるとき、ちらっと見ただけなんで、よく分からないですけど……。白旗が揚がってなかったような……」

「んなわけあるかぁ! ノイローゼか馬鹿野郎!」

「いや……でも……」

「あーもう、うるさいな! 無線繋げ!」

『パンター各車に告ぐ! 敵パンターの追撃はあと10分間だけ行う。どうせ車両数判定でうちらの勝ちだ。むしろ無理に戦いを仕掛けて、こちらの数が減ったら元も子もない。深追いはするなよ。どうせこれは殲滅戦。逃げたところで勝ち目はないのは黒森峰が一番身に染みてるだろう。放って置いても、どうせまた戻ってくる』

そうしなければ、黒森峰は負けるのだからな!

無理にでも交戦しなければ、残存車両数での判定負けは決定事項。

『再び現れたところを全力で叩く! それまで無理はするなよ。追撃は後10分までだ、以上!』

まぁ10分もすれば武藤もさっきの二両を屠ってる。

 

進路指導の担当教師も塾講師も、模試の結果さえもが私を欺いた。

お前は努力家だって囃し立てておきながら、いざ、事が起きれば努力不足だと?

手の平ってこう返されるのかって、まるで他人事のように聞いていたよ。

気付いたら周りは、黒森峰を落ちた私を蔑む者ばかりだった。

だが武藤だけは、あいつだけは私から離れて行かなかった。

頼むぞ!

 

 

頼んだよ、武藤。

 

 

「きゃああああああ!」

車両間の距離が縮まると共にヤークトティーガーの砲撃速度が飛躍的に上がっている。

相手もここが勝負所と読んだらしい。

故障の頻発する操縦系への労りが窺える緩やかな動きから、一転して急旋回の連続。

どれだけ配慮をしようとも、弾が当たればどうせ戦車は壊れる。

破壊される前に、何を成すのか。

入鹿魚側の行動原理に込められたものは、撃ち漏らすまいとする強い意志である。

「……っ! 左!」

左方向へフルスロットルで前進。すでに事細かに指示を伝えることすらままならない。

赤星が双眼鏡を覗く度に目に入る、こちらに向けられた長く大きな砲身。

それは、まるで獲物を食らわんとする肉食獣の顎を想わせる。

『小梅さん! もう少し! あと少しで側面が捉えられる! 頑張って!』

『わ、分かりまし……ひゃああ!』

すんでのところで有効弾とはならず、再び砲弾は傾斜装甲に流された。

シュペルリングもイーゲルも、砲塔および車体表面は弾痕で凸凹だらけ。

だがヤークトティーガーの車体は、作戦開始前に比べれば大きく右に傾けられている。

あと少しで、グラウフクスに対して真横を向く。

ティーガーⅡ砲手の裕美はガンスコープに接した片目のみを開けたまま微動だにせず、その視線はすでに、ヤークトティーガーの車体後部を睨み続けていた。

「……あと少し」

もうほんの少しだけ。跳弾とならず確実に撃破できる角度まで残りわずか。

 

緊張ですり切れそうな車内に、その無線は届いた。

「…っ! エリちゃん大変! 入鹿魚のパンターが戻って来る!」

「まさか!? バレたの!?」

「ちぃっ! ここまでね! エリカ、ティーガーⅡを動かすわよ!」

 

「……だめ」

 

「ちょっと! 裕美! 後ろからパンターが来てるんだって!」

どんなに堅いと呼ばれる戦車でも、装甲の防御はあくまで前方からの攻撃を防ぐだけのものでありティーガーⅡも例外ではない。

今、私達は砲弾一発で白旗が揚がってしまう無防備な後方を敵に晒している。

「……行進間射撃じゃ100%の自信がない。……どうせ今からじゃ逃げ切れない。……ここで、もし撃ち損じたら、何もできないまま挟撃されて終わってしまう。……それだけは絶対にイヤ。……由貴、エリカ、お願い」

「裕美……」

「由貴。悪い、頼むよ」

「はぁ? まるで私が我が儘言ってるみたいに言わないでよ! 判断は……車長、エリカに任せるわ」

「分かった……。ひより、フントに繋いで」

 

『みほ? 少しだけ時間を頂戴。ヤークトティーガーだけは何としてでも止めるから。あとの残りのパンターは』

息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

身勝手な言葉と同時に。

 

『悪いけど……お願い。勝手なことを言うけど、頼りにしてる。それじゃあ、よろしく』

 

『グラウフクスより、シュペルリングへ。私達の後方、視認できる距離に敵パンターが迫ってる。次が最後のチャンスよ。もう一度だけお願い』

『了解……。分かりました! イーゲルチームさん、行きますよ!』

ワイヤー……ワイヤーはまだ生きてる。もう一度、もう一度、陽動を仕掛けなきゃ。

「イーゲルさん! もっと前へ!」

先程から足回りに高負荷を強いている。

それでもやらなければ。どれだけ細くても糸の繋がる限り、絶対諦めない。

それに、これはエレファントの自重も保持できる特殊鋼の牽引ワイヤーだ。

簡単に切れるものか。

「うおおおりゃあああああ! ……あっ?」

破裂音と共に先行するイーゲルとの距離が広がる。

ワイヤー!? ワイヤーは……切れてないけれども牽引フックが壊れた!

『いけない! イーゲルさん、避けて!』

赤星の無線が届くよりも先に破裂音が響き、イーゲルチームパンターの砲塔上部に備え付けられた判定装置が白旗を掲示した。

 

「ヒット……。ようやく一両。残りも一両」

魔法は解けた。

後は、目の前のもう一両を屠るのみ。

 

「まずい! どうしよう小梅さん!」

「……よ」

「えっ?」

「私達がやらなきゃ黒森峰は負けちゃう! とにかく前進よ!」

私だってリトルリーグから戦車に乗っていたんだ。

私だって戦車道を好きでやってる一員だ!

「こんちくしょおおおおおおおおおおお!」

 

「ムタさん! 敵パンターが近づいて来る! 早く!」

「仲間をやられて破れかぶれですか。よくぞここまで耐えましたね。褒めて差し上げます。

 ですが冷静さを欠けば、そこで戦闘は終わ」

パンターと違い耳慣れぬ砲音が響き、至近距離の爆発が会話を遮った。

「どわっ! な、なんだ今の!」

『こ、こちらⅢ号! どこからか攻撃を受け……嘘でしょ…!? ティーガーⅡ! ティーガーⅡが生きてるっ!』

「なんですって!?」

 

『はあああああああ? なんだと!』

「あーほら、やっぱ言ったじゃないですか隊長」

『パンター全車! 戻れ戻れ! ムタ達をを守るんだ!』

 

「そうはさせません!」

やっと、やっと言ってくれた。

悪いけど、お願いって。

ずっと待ってたよ。

エリカさんは何でも自分でやろうとするけど。

私は、私はいつでもエリカさんのお手伝いをするから。

だから、もっと頼って欲しい。

私にできることなら、何でもする。

優しい貴方のために。

 

「くそおおお! 邪魔するな黒森峰えええ!」

 

「これ以上、ここから先には進ませない!」

 

 

『はぁ? ティーガーⅡが生きてんの!?』

「いた! 本当だ動いてる!」

「やっばい! 撃って! 早く!」

 

「……由貴、ごめん。動かして。……Ⅲ号が邪魔で側面が捉え切れない」

「由貴! 回り込んで!」

「しょうがないわね! ほら、どうぞ! 後は任せたわ!」

「よし! 停車、撃て!」

 

「ムタ! やばい! やばいって!」

「鶴田さん、ごめんなさい。車体は正面のパンターに向けて下さい。パンターは必ず止めるって、私は安田君と約束したので」

「ああもう! しょうがないな!」

 

「小梅さん! 来るよ!」

「よし! 回避! 左!」

 

幾重もの砲音が交錯する。

意地もあった。けれども矜持だとか威信だとか、自分の殻の内側だけで済む話ではない。

それ以上に重いものを背負っている。

約束をしたのだ。

視界の先にいる相手。こいつだけはやっつけると。

あの子に嘘をつくわけにはいかない。

約束は必ず守る。乙女のたしなみだとか教養だとか関係ない。

そうすべきものでしょ、仲間ってものは。

 

『黒森峰女学園ティーガーⅡ! 走行不能!』

 

「あー! ちっくしょう! やられたわね!」

「……ごめん。由貴」

「ふふふ、いいのよ。相変わらずいい腕ね!」

 

『天草入鹿魚国際ヤークトティーガー! 走行不能!』

 

「くっ! パンターはっ?」

「……黒森峰のパンターは……未だ健在です」

「そ、んな……。私、安田……君に……」

 

 

ヤークトティーガー喪失の報告は直後に、移動中の車中へもたらされた。

「あああああああああああああああああああああああああああ!」

「ヤークトティーガーが……そんな……」

「糞が糞が! ……特使だ……もう一度特使を出せ!」

 

相変わらずやることが予想を超えて来る学校だな。

ここまで突き抜ければ素直に感心すらしてしまう。

「さて、今度はなんでしょうか?」

「言ったろうが! うちには予備車両なんてもんはないんだよ! 虎の子のヤークトティーガーまで壊しやがって!」

「虎だけに?」

「やかましいわ! 試合時間は残り30分を切ってる! 車両数で言えば、未だ有利なのはうちだ!……だが、もう貴重な戦車を壊されるわけにはいかん。引き分けだ……引き分けで手打ちにしろ」

「そうはいきません」

「……くっそ! ……じゃあ棄権だ! 今回は貴様らに勝ちは譲ってやる! それで文句はないだろ!」

「そういうことではないんです」

「はあああ!? そっちの勝ちでいいって言ってんだろうが! それ以上に何を望むんだよ!」

「まだ戦車は動くじゃないですか。私は勝利が欲しいのではありません。私達が欲しいもの、それは……より完全な勝利です」

「…っ!? はぁ!?」

「現状では劣勢なのは私達です。だから戦わせて下さい。最後に残る戦車がどちらなのか。それが決着です。残り20分にすべてを賭けます。私が望むのは妥協ではなく、試合の続行です」

「……ふ、ふざけ……」

交渉は当然のことながら互いの同意の上で成り立つ。

私達がNoと言えば、その意志決定は優先される。

私達の願いは、たった一つの明確な答え。

どちらが強いか、はっきりさせよう。ただそれだけなのだ。

 

 

「黒森峰を相手にするということは、こういうことなんですよ」

 

「……そ、そんな」

へたり込んだ安田を天草の仲間達が引きずって行く。

「言うようになったわね。みほ」

「え? 欲張りだったかな? でも、私、勝ちたい」

「貴方にすべて任せるわ、隊長……! そういうことだから。貴方も頼んだわよ! 小梅!」

「ひぃええ! わ、私ですか!?」

残存車両は3対4。

相手の一両はⅢ号戦車だから数は、ほぼ互角。

それならば、勝敗を分けるもの練度だけ。

 

私達が強い理由は、頑固だからよ。

勝ちたい。勝ちたい。だから練習もする。

戦車が山ほどあるから強いんじゃない。

勝利のために嘔吐するくらい走り込んで、翌朝腕が上がらないくらい砲弾を持ち運んで。

負ければ、人生全部を否定されたくらいに泣きたくなる。

こだわりを言い換えたものが、私達の名前となっているのだ。

 

それが黒森峰女学園機甲科だ。

 

 

 

『試合終了! 黒森峰女学園チームの勝利!』

 

 

 

 

「……もう泣くなよ、武藤」

「……」

「あの、隊長。客人が……」

「んだよ……。敗戦校に用事なんて物好きなやつは誰だ」

短く切り揃えた黒髪。冷徹な光を湛えた鋭い眼差し。

何よりもその客人の着ていたのは黒森峰の制服だった。

「貴方が入鹿魚国際機甲科の隊長か? 先程の戦い、結果はともあれ見事だった」

「あぁ? ……うおあっ! お、おま……あ、貴方は……」

その顔はTVでも、入試パンフレットでも何度も見た顔だった。

「んだぁ、お前。勝者の余裕か? 黒森峰が何の用だ!」

「ば、馬鹿! やめろ!」

この人は学校は違えど、ずっと私の目標だった人だ。

「忙しいところ済まないな。君に渡したいものがある」

「あっ……はい!」

受け取った封筒の表には日本戦車道連盟の文字が記入されている。

「えっと、これは……?」

「補助金の申請要項だ。必要箇所に記入をしておいてくれ。修理費くらいは出るだろう」

「うおっ! マジっすか!?」

「やった! やったよ隊長!」

「う……あ、え……?でも……」

「車両は必ず間に合わせて全国大会予選には出場して欲しい。次は、私が君と戦いたいのだ。頼む」

「うぇっ? 黒森峰で予選で戦うって……あんたが指揮を、って……えええええ!」

「あほか! むしろお前ら何で知らんのだ! この人は!」

「いいんだ。また会える時を楽しみにしている」

 

 

「随分と酔狂なことをなさるんですね、隊長殿」

「からかわないで下さい、山下さん。戦車道に関わる学校ならどこでも受けられる制度を、ただ教えただけです」

「ふふ、そうね。でも分かるわ。私も見ていて楽しかった」

「勝負は娯楽ではありません。ただ結果が明らかになるのみですよ」

「素直じゃないわね、ほんとに」

 

 

「おい、武藤。帰るぞ」

「……」

「大の女がメソメソすんなあ! 私達はまだ戦車道をするんだ! そのためにはお前の力が必要なんだ……。ついてこい! 我が天草入鹿魚国際は初出場で、あの常勝黒森峰をここまで追い詰めた! 胸を張れ!」

「……はい、安田君」

 

先に車両が破壊された私達ティーガーⅡチームは一足先に閉会式場で彼女の戻りを待つ。

隊員は駆け足で集合。

草原の向こうから、走る彼女の姿を確認する。

エリカさん。

エリカさん。

何度も私の名前を呼んでいた。

聞こえてるわ。

私なら、ここにいる。

「……っ! エリカさん!」

「うわっ! みほ、重い……」

「やった! やったよ! エリカさん! 私達勝ったよ!」

「ええ! そうね!」

抱きつく彼女を剥がし、視線を合わせる。抱擁の最中じゃ表情が見えないから。

貴方の顔が見たかった。

長い栗色の髪。

大きな瞳。

綻んだ顔は、相変わらず戦車を率いる者には見えない幼さを宿していた。

「私、勝ちたかった……」

「そうね、私も。そして勝ったわ。みほ」

肩口を掴んで腕の長さに離した距離を、今度は私の方から縮める。

些か乱暴な気もしたが、昂ぶりが抑えられない。

手は添えず、握りこぶしにして背中へと回し、そのまま強く抱きしめる。

「痛いよ、エリカさん」

「うるさい。あんた重いのよ。さっきのお返し」

「ひどいな、そんな体重変わらないよ?」

「失礼ね。あんたみたいなぷよぷよと私が同じはずないでしょうが」

「えー? ひどい!」

抗議のため、みほが腕を振りほどくと二人の間に再び距離ができた。

顔を合わせ、またお互いの瞳を見つめる。

そして、どちらともなく笑った。

 

「よくやった、お前達」

「……西住隊長!」

「あっ……お姉ちゃん」

「エリカには伝えてあったのだが、みほ。あらためてお前に話がある。戻ったら隊長室まで来てくれ。エリカ、お前もだぞ」

「あっ! ハイ!」

「では、後ほど会おう」

 

私達は、優勝した。

これが新しい一歩となる。私だけの歩みではない。

みほの、黒森峰の進む道に道標ができた瞬間だった。

これで彼女は、みほは晴れて黒森峰の……。

 

 

「えっ……? 話って」

 

 

「ん? バスで言ったじゃない。勝ったら隊長が話があるって」

 

「えっ……? 話ってそういう……? エリカさんの話じゃ……なくて?」

「何でよ。私じゃないわ、これは貴方の話なのよ」

「……か」

「みほ? 何? どうしたの?」

「エリカさんのバカああああああああああああ!」

 

 

勝利の条件。

それは車両数と練度。

付け加えるなら勇敢な理性とでも言おうか。

作戦は、あくまでも予定だ。

過程の中で、いくらでも形相を変える。

情報を分析し、正しく判断をして軌道修正する。

臆病なだけでなく、攻めるべき時は逃さず攻める。

退くべき時は無理せず後退する。

そのために不可欠なのが、やはり理性。

私達は優勝した。

やはり西住みほ。彼女の資質は本物だ。

戦車に乗った彼女は誰よりも理知的で、飽くなき勝利への情熱は絶えることなく、私達を理想の結果へと導いてくれる。

彼女こそ真の戦車乗りだ。

 

だが、戦車から降りた彼女は相変わらず謎が多かった。

 

試合中が嘘のように理性とかけ離れて怒り散らす彼女を何とか車に乗せ、謝り倒して、ご機嫌を直して貰うのは、また別の話。

 

 

 

 

「ちなみに、何でバルサンなんか積んでたのよ」

「え? ああ……今回俺達が乗ったティーガーⅡって2号車じゃん?1号車は前の練習試合で壊れてレストア中だしな。んでまぁ、この戦車はさ、使い勝手がいまいち悪いから2号車は倉庫の奥にいた訳よ。それで……」

奈緒が遠い目をした。

「冬眠って知ってるよな?普通、熊とかさぁ、するじゃん。冬に眠るじゃん?昆虫もするんだよ……。俺とひよりでさ、受領に行ってブルーシート引っ剥がして、じゃあ中の様子も見てみるかってハッチを開けて中を覗いたらさ……床一面に……生きてるものも死骸も含めて……冬眠のために入り込んだカメムシがびっしり……足の踏み場もなく……」

 

うん、聞かなきゃよかった。

 

「あ、ちなみに中は半分物置きみたいになっててさぁ。掃除用だか何だか、雑巾入れた段ボール積んであって。いやぁ、思ったよ。生ゴミだけじゃないんだなぁって……。ゴキブリって布も食って繁殖するんだね……。バルサンはそっち用だぞ」

 

「あああああああああ! もう! 焚いてよ、今すぐ!」

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