消えた過去からこんにちは 作:雪解けの宵王
Prologue -二度目の初めまして-
やっと見つけたあの日の憧憬。もう会えないと思っていたのに、あなたはこうしてまた私の前に現れてくれた。逸る心臓の音よりも遅い足取りで一歩、二歩と距離を詰めると、やがて手を伸ばせば届く場所まで辿り着いて。そこで、私は────
────灰の中に沈んでいた意識が覚める。瞼はまだ開いていなくて真っ暗だけど、差す光から察するに幸いまだ太陽は高い位置にある時間らしい。心地好くてつい居眠りしてしまったけれど、ここに来てからそんなに時間は経っていないようだ。
「あ……」
引越し準備の疲れも出たのだろう。そう適当に結論付けてから瞼を開くと、目の前には幻想的な光景が広がっていた。顔の横まで垂れる見惚れるような銀糸と、その奥から覗く息を呑むような美貌。その熱を孕んだ視線と目が合えば、何やら僕が僕でないような気さえしてくる。
「綺麗……」
あまりにも現実離れした光景だ。どうやら僕はまだ夢の中にいるらしい。
「ん……」
嬉しそうな声を漏らす彼女は、藤棚のように垂れる髪に触れる僕を真似して、僕の頬を優しく撫でる。触れる指先から伝わる感覚は酷く朧気だ。ただ、それはしっかりとそこにあった。その外部的な刺激で訪れる急な現実感に、僕の頭はこれ以上ないぐらいスッキリとしてくる。そう、夢の中ではありえないほどに。
「つ、つかぬことを、お伺いしますが……」
「はい、どうかしましたか?」
嫌な予感が背中を奔る。それも、何かとんでもないことをやらかしてしまったのではないのかという特大の予感が。小首を傾げる少女の頭の動きに合わせて、透き通るような銀髪が僕の頬を擽ったような気がした。そこから沸き立つ感覚は更なる現実感を僕に与えてくれる。
「ここって、夢の中ですか……?」
乾燥で張り付く喉から零れる、希望に縋るような一言。多分、それを口にした僕の口元は引き攣っていただろう。
「いえ、しっかり現実ですよ。おはようございます」
返ってきた言葉は欠片も残さず希望を打ち砕く。でも、少女が浮かべた笑顔は不思議と輝いていた。
「お、おはようございます……」
辛うじて返せた挨拶の言葉に少女はにこりと笑う。桜のさざめきに何故か失態を笑われたような心地を覚えた。
昼下がりに果たした奇妙な出会い。きっと、ここから僕の物語は再開した。
「み……
何故か覆い被さったままの彼女からの問い。それは僕の心を揺さぶるのに十分だった。だって、それは僕の名前──正確には旧姓だけど──だから。普通は初対面の少女の口から出てくるものではない。
「僕のことをご存じで?」
動くに動けないので宝石みたいに綺麗な瞳を見上げながら、僕は銀髪の女の子にそう訊いてみる。
「覚えて、ないんですか?」
そうして返ってくるのは、彼女の寂しそうな問いだ。失くしてはいけないものを失くしてしまったような心地に、重いものが心に圧し掛かってくる気がした。そう、僕は何も覚えていない。だからこそ、今此処にいるのだから。
「覚えていないというよりは、思い出せないんです」
「……?」
彼女が腰を下ろすことでお腹にかかる圧力を感じながら、僕は静かにそう紡ぐ。僕のことを知っている人と会えたら言おうと決めていた言葉に、悲しそうな色は戸惑いと疑問で染められた。
「記憶が無いんです。二年ほど前に目覚めた時より、以前の記憶が」
混線していた表情が、今度は驚愕一色に変化する。
記憶の果てに映る真っ白な天井。それが今の僕の始まりだ。それより前のことは何一つとして思い出せない。当然、不思議な
「だから、ごめんなさい。あなたのことは、覚えていません」
きっと彼女にとっては残酷な宣告だっただろう。あんなに嬉しそうに笑って再会を喜んでくれていたんだから。
肩に添えられた彼女の腕にぎゅっと力が籠められる。申し訳なさが胸に溢れて、熱い何かがこみ上がってくる気がした。
「本当に……覚えてないんですね」
確認するような彼女の言葉に、僕は無言で肯定する。それをしっかり見届けた彼女は悲痛な表情を浮かべて、それから儚げに笑った。
「それなら、今はこれだけで我慢します」
「何を────」
俯く視線とかち合って、一息の内に距離を詰められる。正しく息を呑むような一瞬でできたことは、何か柔らかいものが僕の唇を塞いだのを認識することだけだった。
「んむ……ちゅっ♡」
「んっ!? ぷぁ……っ」
思わず目を閉じることも忘れて、うっとりした表情のまま僕にキスした少女の顔をまじまじと見つめる。至近距離で見る
「今のが……私の、ハジメテです……♡」
瑞々しい唇を指でなぞって、名も知らぬ少女は蠱惑的に微笑む。影のかかった顔は何処か淫靡に彩られていた。
いったい、過去の僕は彼女に何をしたのだろうか。ただ、それだけが混乱した僕の頭の中をぐるぐると渦巻いた。
「大事な約束を忘れたのは、これで許してあげます」
「約束……?」
意地悪に笑う彼女は、そう満足気に言い切る。記憶の無い僕にはそれが何なのか分からなかったけれど。でも、きっと大切なことだったのだろう。彼女がファーストキスを賭けるぐらいには。
「私をこんな風に変えてしまった、大事な約束です」
それは思い出さなくてはならないものだ。
「思い出して、みせますね」
そのために、僕は鈴ヶ丘に帰ってきたのだから。それが僕に残された唯一のもの。
熱い顔のまま、僕は目の前の少女に笑顔を向ける。返ってくる表情はとても嬉しそう。
「はいっ」
花が咲くような笑顔を浮かべて、彼女は再び僕へと降りてくる。密着して組み付いてくる少女を、僕は静かに抱き返した。不思議と、これがしっくりくるような気がして。まるで、これが自然な形だと心が訴えてくるような気分だ。心の上では初めましてのはずなのに。
「ところで、お名前をお聞きしても?」
とはいえ、約束を交わしたという少女の名前を僕はまだ知らない。甘えるように擦り付く彼女を僕は引き剥がした。他人な気はしないけれど、このままでは他人行儀なままだ。
「不知火、祈です」
やっと聞けた少女の名前。その響きはストンと胸に落ちた気がする。やっぱり、何処かで会ったことがあるんだろう。霞がかった記憶にノイズが走った気がした。
「僕は
芽生えた違和感は飲み込んで、僕も彼女へと自己紹介する。二度目の初めましては二人の笑顔で始まった。
誰も書かないなら俺が行くしかないじゃない。そういう精神性が大事なのだと思う。というわけで花咲二次小説。