消えた過去からこんにちは 作:雪解けの宵王
「にこにこ」
「ど、どうする? 祈ちゃん……」
「どうするって言われても……」
微笑みを自らの口から擬音で表現する彩乃お姉ちゃん。そんな超ご機嫌なお姉ちゃんに連れられて、僕たちは出てきたカフェとは違うカフェに連行されていた。
「あ、あの、ご家族とは良かったんですか?」
「ママのこと? うん、後で合流するって言ったら許してくれたからねー」
何とか彩乃お姉ちゃんを引き剥がすために、祈ちゃんはお姉ちゃんと一緒に来ていたお母さんのことを指摘する。しかし、それを予想していたのか、お姉ちゃんは既に対策を施していたらしい。絶対に逃がすつもりはないという顔に、祈ちゃんは諦念を込めた溜め息を零した。
「それで、光ちゃんと祈ちゃんは何してたの?」
「くぅ……」
意地悪な笑顔で彩乃お姉ちゃんは紡ぐ。答えなんて分かっているというのはその表情を見れば明白だ。僕たちの口から言わせて辱めるのが目的なんだろう。
「い、行きましょう光明君」
「あっ、ごめんごめん、ごめんってばぁ」
明らかに弄る空気に耐えかねて、祈ちゃんは僕の手を引いて立ち上がる。耳まで真っ赤な彼女の即撤退に、お姉ちゃんは笑顔を崩さないままに謝りながら、祈ちゃんに縋り付いて引き止めた。
「二人だけで仲良くしてて羨ましいなぁって思ったらつい、ね?」
「はぁ……次同じことしたらホラー動画送り付けますからね」
「それはやめてぇ!」
去ろうとする祈ちゃんに、お姉ちゃんは誠心誠意謝る。謝罪を受け取ったのか、祈ちゃんは座り直したようだ。強烈なカウンターを残したような気がするけど、多分気のせいだろう。
「光ちゃんたちはこれからどうするの?」
「昼食も食べたし、今からは僕の服を買いに行く予定だよ」
「み、光明君、ちょっと」
弄るのは止めたみたいで、彩乃お姉ちゃんは僕たちにそう尋ねてくる。僕がそれに正直に答えると、祈ちゃんは焦ったような声で僕の言葉を咎めた。何かまずいことでも言っただろうか。
「へー……ねぇねぇ祈ちゃん」
「だ、ダメですっ。今は、光明君と私の……で、デート中ですからっ」
再びお姉ちゃんの顔が揶揄いの色を帯びる。そう思ったのも束の間、祈ちゃんは僕の腕に抱き着きながらそう宣言した。なるほど、男と女が二人きりで出掛けている今の状況は確かにデートと言えるかもしれない。遅ればせながらその事実に気が付いて、僕は自分の体温が上がったような気がした。
「えぇー、私も光ちゃんのお洋服選びたいよぅ!」
「だ、ダメなものはダメです!」
「それだけ! お洋服選び終わったら大人しく帰るからぁ!」
なんて、僕が一人でドギマギしている間にも話は進む。子供みたいに駄々を捏ねる彩乃お姉ちゃんと、それを死守する祈ちゃん。
「ほら、お姉ちゃんはお店で騒がないの」
「ぶー……光ちゃん、祈ちゃんが虐めるぅ……」
「人聞きの悪いことを言わないでください。人のデートに割り込もうとする方がいけないんですよ」
揺れる紫の頭を優しく撫でる。そうすると、お姉ちゃんはすぐに大人しくなって甘え始めた。この人は昔からそうだったけど、今もこういうところは変わってないらしい。
「いいもん、後ろから勝手に着いて行くから」
「祈ちゃん、多分これ見つかった時点で負けだったと思うよ」
「むぐぐ……はぁ……」
いつまでも根負けしない彩乃お姉ちゃんを見て、僕はこっちが折れた方が早いことを祈ちゃんに伝える。それを何となく分かっていたのか、祈ちゃんもだいぶ不満そうにしながらもそれを了承した。重なる溜め息もそろそろ十に達しそうだ。
「むふふ、それじゃあ行こーか」
途端に元気になった彩乃お姉ちゃんに仕切られて、僕たちは次の目的地へと出発する。祈ちゃんの手を繋ぎ取って歩き出すと、彼女の溜め息はピタリと止まった。
「光明君にはこっちの方が……」
「祈ちゃんやるねぇ……でも、こっちも可愛いんじゃない?」
「いえいえ、やっぱりかっこよさを引き出してこそですから」
あれほど彩乃お姉ちゃんの同行を嫌がっていた祈ちゃんだったけど、いざ僕の服選びが始まると、お姉ちゃんと白熱した談義を始めることとなる。それに釣られてお姉ちゃんの方もノリノリになると、必然的に僕の服を買う話なのに僕が蚊帳の外になってしまった。二人が楽しそうなのでいいんだけど、少しだけ寂しい。
「ふ、二人とも、そんなにたくさんは買えないからね」
ただ、どんどん増えていく服を見て僕は何となく危機感を覚える。流石にそこまでお財布に余裕があるわけではない。釘を差しておかないと際限なく増えていきそうだ。
「それはそうだけど……」
「ねぇ、お姉ちゃんが買ってあげるから、もう少しだけ増やしてもいい?」
「それは悪いよ、お姉ちゃん」
案の定、似合うと判断したものを片っ端から追加していくつもりだったようで、祈ちゃんと彩乃お姉ちゃんは残念そうな顔を見せる。ちゃんと言っておいて良かった。お姉ちゃんはそれでも食い下がってくるので、しっかりと断っておく。効果は薄そうだけど。
「そこで甘えるほどろくでなしじゃないから、ね?」
「はーい……」
厚意にかまけて女の子にお金を出させるような人にはしないで欲しい。そういう風にお願いすると、お姉ちゃんも渋々だけど引き下がってくれた。二対一の勝負は何とかこちらが勝ったようだ。
「じゃあ、私はこれとこれを」
「お姉ちゃんはこれ着て欲しいなっ」
「わ、分かった、試着してくるね」
そうすると、二人が持っていた数着の衣服をぐいっと押し付けられる。短いファッションショーが幕を開けた。
「はぁ、はぁ……つ、疲れた……」
試着と最終的に選んだ服の購入を終えて、僕たちは今休憩スペースのベンチに腰掛けている。立て続けの着替えがあそこまで疲れるものだとは知らず、体力がない僕はもうへとへとだ。
ちなみに、彩乃お姉ちゃんは服選びで満足したのか、あの後本当に帰っていった。
「ごめんね、ちょっと熱が入りすぎて……」
「いいよ、僕のためだったんでしょ?」
疲労困憊の僕を見て、祈ちゃんは申し訳なさそうな顔をする。でも、僕のためを思っての行動に水を差すほど狭量ではないつもりだ。流石に度を過ぎるようなら止めに入るけれども。
「この後はどうする?まだ行きたいところとか……」
「今日一緒に行きたかったところはこれだけだけど……」
息も整えて祈ちゃんに一つ問う。返ってくるのは、一先ずやりたいことは成し遂げたという言葉だ。でも、祈ちゃんの表情は少し寂しそう。
「それなら……もう少し一緒に見て回ろうか。まだ色々あるし……それに、その、デートだし」
「うんっ」
時間はまだ有り余っている。祈ちゃんと一緒に過ごす時間は終わらない。ちょっと恥ずかしかったけど、今度は自分から祈ちゃんを誘ってみた。一歩踏み込んだ報酬はとびきりの祈ちゃんの笑顔だ。晴天の空を思わせるほどに明るい笑顔はきっと僕だけに向いている。そう考えると、不自然なほどに身体が熱くなった気がした。
今の僕は多分とても贅沢だ。
「それじゃあ、行こっか」
立ち上がり、祈ちゃんの手を取る。デートだって言うのなら多分これが正しいから。男女のアレコレについては全然分からないけど、今はその感覚に従うことにした。
満面の笑みの祈ちゃんは差し出された手を迷わず握る。触れるほのかな柔らかさに、僕はどことなく安心感を覚えた。
「あ……」
「ん、どうかした? 祈ちゃん」
あれから、ウィンドウショッピングという名目でショッピングモール内を練り歩き、僕たちは会話に花を咲かせながら色々見て回ることになる。本屋に寄って祈ちゃんの趣味の話をしたり、ペットショップに入れば猫を飼いたいなんて話で盛り上がったり。服を買いに行った時とは違って主に話ばかりしていたけれど、おかげで祈ちゃんの色んな側面を知ることはできた。刻まれた新しい思い出は、こんなにも温かい。
そんな風にデートを改めて楽しんで、そろそろ帰ろうかという折、ふいに祈ちゃんが立ち止まる。繋がれた手で引き止められて振り返ると、そこには何かに視線を向ける祈ちゃんの姿があった。
「ゲームセンター……気になる?」
「あ、えと……」
女の子が興味を持つには少し変わっている。そういうのとは違う戸惑いを醸し出した気がした。何となくそれが気になって、僕は祈ちゃんの手を引いて煌びやかな光を覗かせる区画へと入っていく。祈ちゃんの抵抗は無かった。
「うーん、いつ来ても凄いところだ」
そこかしこの筐体から鳴り響く、行く人々の興味を引くための耳を劈くような音の数々。昨日も耳にしたそれに掻き消されるように、僕は小さく口の中で言葉を転がす。視覚で、聴覚で人を刺激するここは、僕には少し情報量が多すぎた。
「何かやってみたいものはある?」
「あの、その……」
空間を支配する音に負けないように、僕は祈ちゃんに話しかける。だけど、祈ちゃんは先程までとは一転して物凄く大人しい。そのおどおどした様子は、何となく記憶の中の祈ちゃんと似ている気がした。
そんな彼女の手を引いて、僕はゲームセンターの中を進み始めるけど────
────ふと、脳裏を過る。
「……あっちで、遊んでみよっか」
「あ……っ」
緩んだ手を繋ぎ直して、記憶に重ねて一言。それだけで祈ちゃんは分かってくれたみたいだ。驚きで目を見開いたまま、彼女はこちらを見ている。そして、くしゃりと表情が崩れて、祈ちゃんは僕の腕に縋り付いた。
「みつ、あきくんっ」
「ここに、一緒に来たことがあったんだね」
「うん、うん……っ!」
思い出したのは、祈ちゃんとこの場所に来た時の記憶だ。それは僕たちよりも大人な誰かに連れられて遊びに来て、つまらなさそうにしてた祈ちゃんを誘って一緒に遊んだ記憶。そこで僕は────
「はい、祈ちゃん」
内装もゲームもすっかり変わったこの場所で、あの日の光景を再現する。昨日遊君に見せてもらったテクニックで、あの日よりも手こずることなく取ったそれを、僕は再び祈ちゃんに手渡した。涙ぐむ祈ちゃんは素直に受け取ってくれる。
時間も、ぬいぐるみも、僕たち自身も何もかも違うけど、これが僕たちの始まりだった。初めて出会った祈ちゃんとの一番最初の思い出。
「ありがとう……っ」
笑ったまま泣いて、祈ちゃんは同じ言葉を紡ぐ。幼い照れ隠しと、泣き笑う今の祈ちゃんが重なった。それはノイズがかかった光景の中での一幕だ。
この後僕はどうしたんだっけ。
「えへへ……」
ぬいぐるみを大事そうに抱える祈ちゃん。それを見ていると、今はこっちを優先したい気持ちで満たされていく。
記憶よりも大事なもの。思い出したい気持ちは変わらなくても、天秤を揺るがすような想いはきっともう芽生えている。笑顔になってくれた祈ちゃんを見ていると、僕は素直にそう思えた。この大きな感情にまだ名前はないけれど。言える確かなことは、これが悪いものではないということだけだ。
「祈ちゃん、帰ろっか」
「んっ」
そう呼びかければ祈ちゃんは素直に甘えてくる。分かりやすいぐらい情熱的な感情をぶつけられて、僕の方まで熱かった。同じだけの想いを僕も抱えられるだろうか。
思い出したことで、一つまた祈ちゃんに近付いたからかな。今は祈ちゃんとのことを考えてしまう。それは多分、ぬいぐるみごと密着してくるご機嫌な祈ちゃんの感触も多分関係していた。
祈ちゃんがちゃんとデートって言ってなかったから、普通に彩乃お姉ちゃんも誘っちゃう悪い光明君。