消えた過去からこんにちは 作:雪解けの宵王
「そういえば、何でこんな所で寝ていたの?」
僕の身体から降りてもらって隣に腰掛けた祈ちゃんは、ふと思い出したようにそんなことを崩した口調で訊いてくる。咲き乱れる桜を背景にした彼女は、何だかとても絵になるような気がした。って、今はそうじゃなくて。
「午前中に引っ越し作業も終わって暇だったから、気分転換にふらふら散歩してたんだけど……山登ったら疲れちゃって」
休憩がてら横になってたらそのまま寝てしまった。そう口にすると、祈ちゃんは呆れたような心配するような複雑な表情を見せる。口元はマフラーで隠れて見えないが、目は口ほどに物を言うのだ。
「そういう祈ちゃんの方は何で此処に?」
苦笑いのままでは何となく気まずくなって、僕はそう訊き返した。迷い込んだ僕が言うのも何であるが、この場所は山の中でもそれなりに奥まった所に存在している。今彼女が着ている制服姿のまま訪れるには、結構場違いな場所と言えるだろう。靴もローファーのままだし。
「少し身体を動かしたい気分だったから」
そう答えながら、祈ちゃんは指抜きグローブを嵌めた右手を握り込む。身体を動かすのにまだ慣れていない──半分ぐらいはそのための散歩だった──僕としては、その少し自信あり気な表情が眩しく映った。
「嗜む程度だけど、空手をやってたんだ」
「空手かぁ。カッコいいね」
羨むような視線を送っていたからだろうか。祈ちゃんは自慢げな表情を携えて僕にそう言ってくる。湧き上がるのは素直な賞賛だ。格闘技は男の子の憧れなのだから。
「少し見てみる?」
その混じりっ気のない誉め言葉を受けた祈ちゃんは、そう言いながら立ち上がる。見ずとも分かるぐらいに機嫌を良くする彼女は、全身が視界にすっぽり収まるぐらい距離を取ると、僕へとちらりと視線を送った。僕はそれを居住まいを正してからしっかりと注目する。
「はっ! ふっ!」
「おぉ……」
メリハリのある素早い動と静の繰り返し。制服が素早く翻る音が何度も響く中、祈ちゃんは真剣な顔付きで型に決められた──であろう──動きを僕に見せてくれる。気合いの入った声と共に放たれるのは、あまり格闘技に明るくない僕でも分かる正拳突きや、やや複雑な動きを織り交ぜた武芸の数々だ。その素人目で見ても何となく凄さが分かる動きに、僕は無意識のうちに感嘆の息を漏らしていた。
「ふぅ……型はこんな感じかな」
「凄いね祈ちゃん。思わず見惚れちゃった」
しばらくそれが続いたかと思うと、一通りの型を終えた祈ちゃんは構えを解く。これは思わぬところで良いものを見せてもらった気分だ。パチパチと手を打ち合わせて拍手を送ると、祈ちゃんの顔は更に機嫌良くなっていった。実は割と単純な質なのだろうか。単純な反応を見せている僕が言えたことではないけど。
「ふふ、あっちではよくお世話になったからね。これを、見せればっ! 大抵の場合は……」
「あっ」
まさに気分は有頂天といったところだろう。少し気になる身の上話をしながら、祈ちゃんはボクシングのシャドウのように、虚空に向かって技を披露していく。上半身の動きが主であった型とは違い、今見せているのはすらりとした綺麗な脚も大胆に使ったそれだ。
風を切る音が鳴るほどに素早い脚捌き。実用的というより魅せるような脚技は、彼女が履く短いスカートを容易くはためかせる。そして、ため息が出るほどに鮮やかな後ろ回し蹴りを披露した瞬間それは起きた。祈ちゃんの消え行く語尾に僕の間の抜けた声が重なる。
「……み、見ました?」
「…………ごめんなさい」
数瞬遅れて、今日一番の身のこなしで祈ちゃんは風で裏返ったスカートを抑えた。さっきまでドヤ顔に等しい表情を浮かべていた顔は、清々しいほどに真っ赤だ。震える声で問われる言葉に、僕は素直に謝罪を口にする。なぜなら、可愛らしいフリルの白を見てしまったから。
「ど、どうだった?」
しかし、続く祈ちゃんの言葉に僕は混乱する。どうでしたか。それは何に対する問いであろうか。熱を帯びた頭は予想外の質問に大混乱を巻き起こした。
「え、えっと、淀みのない動きがすごい綺麗で……」
「そっちではなくて、その……し、下着の方……♡」
テンパる頭は咄嗟にさっき見せてくれた空手の技について褒めそやす。何も考えずに出てきた言葉だけど、だからこそそこに嘘は無かった。けれども、それは祈ちゃんが望む言葉ではなかったらしい。嬉しそうな色を声に宿らせながらも、彼女は更なる言葉を催促してくる。向けられる瞳はあくまで真っ直ぐだ。
「あの……えと……か、可愛かったです……」
「そ、そうですか。それなら、良かった……」
見逃してくれそうにないと観念して、僕は
「……んっ」
尋常ではないぐらい気まずい空気が場を支配する。隣に座り直した祈ちゃんの、妙に色っぽくなった息遣いが耳に入ると、跳ねるように鳴る心臓が余計に早くなっていく気がした。こういう時、対人経験がほとんどない僕にはどうしていいのか分からない。
「もっと、見てもいいんだよ……?」
磁石の同極が合わさるように、祈ちゃんの顔を見れない時間が続く。かと思えば、祈ちゃんは突然そんなことを言って、僕は驚いて隣の彼女の顔に視線を送った。そうして見えるのは、嘘も揶揄いも感じられない純粋な熱で彩られた表情だ。
「ごくっ……」
興味がないと言えば嘘になる。それはそうだ。僕だって健全な男なのだし、そういうことにも興味がある年頃なのだから。スカートの端を摘まむ指先と、引き締まった瑞々しいふとももに視線は自然と吸い寄せられていく。
生唾を飲み込む様子を見られて、祈ちゃんの色がもっと濃くなっていくのが分かった気がした。
「……だ、ダメだよ、外でそんなはしたないことしたら」
それでも、たっぷり葛藤してから僕は誘惑を振り切る。人気が無いとはいえ外であることには変わりはない。何より、いくら分かりやすく好意を寄せられていようとも、僕が
「それなら、外じゃないならいいの……?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
ずいっと顔を寄せて、祈ちゃんはそう囁いてくる。耳を擽るようなお誘いはなおも続くらしい。喜色が乗せられた声に僕の意志は簡単に揺らいだ。
「ふふ、分かってる。やっぱり優しいね、光明君は」
「もう……」
しかし、にこりと笑う祈ちゃんは突然僕から距離を取って座り直す。ホッと安堵の息を吐くのと同時に、少しだけ残念な気持ちが溢れた。何だか翻弄されてばかりだ。
そこでふと気付く。今、
「ひょっとして、昔は下の名前で呼び合ってたりした?」
沈黙に差し込むあまりにも強引な話題転換。強く感じる自分の熱を誤魔化しながらのそれに、祈ちゃんはキョトンとした顔を見せる。どうやら今のは無意識だったらしい。遅れて僕の名前を呼んでいたことに気が付いて、今度はハッとした顔を見せてくれた。
「そう、だね。み、光明君とは、名前で呼び合う仲、でした……っ」
数秒を経てから返ってくるのはそんな言葉。はにかむ祈ちゃんから零れる声はとても嬉しそうだ。
────ふと、脳裏を過る。
「公園……」
「へ?」
無意識の内に溢れた言葉に、祈ちゃんは再び豆鉄砲を食らったような顔をする。今度こそ何の脈絡も無い言葉なので、それもそのはずだ。不意に頭に浮かんだ光景を口にしただけだから。
「噴水のある公園で……泣いてる女の子が、いた」
ぽつり、ぽつりと言葉を続ける。今まで何も思い出すことはなかったのに、突如降って湧いた記憶。この二年間で幼子との関わりはないはずだけど、僕の脳裏に映るそれには泣いている小さな銀髪の女の子が登場していた。そう、まるでその子は────
「知ってるよ、その公園」
思考を横切るように祈ちゃんの言葉が差し込まれる。自然と空を見ていた顔は、引き寄せられるように祈ちゃんの顔へと向けられた。見えた色はとても鮮やかで、宝石のように輝いている。
「行ってみる?」
「うん、お願いしてもいい?」
問いかけには間を置かずに頷いた。手を引かれる勢いのまま僕は立ち上がる。繋がれた手は離れないように強く握られて、僕らは桜が咲き誇る此処を後にした。
記憶を失くすことで初手好感度がヤバい女を演出する。ホントに過去に何やらかしたんだこの男。