消えた過去からこんにちは 作:雪解けの宵王
「遊っ、遊起きろ!」
休み時間になって、隣の席の眠っている男の子を背が高い男の子が起こそうとする。強めの剣幕に何事かと視線を集めていた。かく言う僕もそれを見ていたのだけれども。
「なんだよアクター……俺の安眠を邪魔するなよな……」
「それどころじゃないんだよ、ほら!」
実に眠たそうな声を上げて、遊と呼ばれた黒髪の男の子はのそりと身を起こす。アクターと呼ばれた茶髪のイケメンは黒髪の男の子に気怠げに返されるが、それでも焦る様子を変えることはなかった。そんな彼は何故か今僕の方を指さしている。突然のことに姿勢を正していると、眠気眼とばっちり目が合った。
「え、えっと……?」
「…………アクター、俺はまだ夢の世界にいるようだ」
数秒無言で見つめ合う。教室中の音も止まっていた。そして、事態に追いついてない僕が首を傾げるのとほぼ同時に、こちらを見ていた男の子は妙なことを言い始める。寝起きで頭が働いていないのかな。
「
だけど、続く言葉は無視できなかった。ミツ。それは僕のことを言っているのだろうか。信じられないようなものを見る顔をしているが、こっちだって色々信じられない想いだ。まさかすぐにまた僕を知っている──かもしれない人と再会して、何故か僕が死んでいた扱いを受けているのだから。
「み、光、だよな? 神司、光明」
「い、今は霊ですけど……はい、多分、あなたが知っている人物で間違いないと思います」
まだここでは口にしていない旧姓を言い当てられる。今度はこっちが目を剥く番だった。同年代が相手でも慣れてしまった敬語──やっぱり今の僕には高校生は大人に見えるからつい出てしまう──で返しながら、僕は彼の返答を待つ。僕の知り合いであることが確定的になった相手の言葉を。
「ち、ちょっと、いいか!?」
「へ? あ、うわっ!」
「お、おい! 遊!」
と思えば、何故か彼は僕の手を掴んで教室の外へと連れ出した。慌てて茶髪の人も僕たちを追いかける。誘拐、の二字が誰かしらの口から溢れた教室から、僕は無理やり連れていかれてしまった。
「あ、あの……?」
人気も少ない階段下へと抵抗できないままに連れられて、僕は困惑の声を上げる。懐かしい再会にしても反応が少し過剰な気がした。
いや、死んだことになってたのなら、驚かれるのは当然なのかな。とにかく状況が分からない。
「光、覚えてないのか? お、俺だよ、遊真だよっ」
「遊、待て、落ち着け」
焦った表情で詰め寄る男の子──遊真君を、追いついた茶髪の男の子が止める。鬼気迫る雰囲気で怖かったので正直助かった。
「お前はさっき寝てたから知らないけど、光は今記憶喪失なんだよ」
「記憶、喪失……?」
僕が自己紹介の時に言っていたことを、僕を庇うように位置取る彼が遊真君に伝える。それを聞く遊真君の顔から色が落ちた。
「お、起きたのは二年前ぐらいなんですけど、それより前の記憶が無くて……だから、二人のことは、その、覚えてないです」
これだけ僕のことで取り乱す二人に申し訳なくて、僕は言葉に詰まりながらそう補足する。大事な人を忘れたままでいるのは相手も自分も辛い。
「な、なので、良ければ二人と僕の関係を教えてくれませんか?」
呆然と立ち尽くす遊真君を見て、僕は一言。何をするにしても、これが無ければ始まらない気がして。
「……俺は花咲遊真。お前の、光の幼馴染だった」
「俺は芥川翔太。右に同じく、光の幼馴染だ」
一拍、二拍間を置いて遊真君は名乗る。それに続いて翔太君も名乗りを上げた。幼馴染。素敵な三文字の響きだ。でも、僕はそれを覚えていない。
「光、お、俺……」
重苦しい雰囲気の中、遊真君の言葉を遮るように鐘の音が鳴る。これは確か予鈴だったか。口を開いたまま、彼は固まってしまった。
「聞きたいことは多分お互いに沢山あるでしょう。改めて時間を作って話しませんか?」
「……分かった」
「そう、だな。それなら昼休みにでも」
大事な話と言えど、流石に授業をサボるわけにはいかない。なので、僕は二人にそう提案する。それを受けて、不服そうな──今すぐ訊きたいという気持ちが見て取れる──顔をしていたものの、二人は納得してくれた。ただ、昼休みはまずい。
「ごめんなさい。昼休みは先約があるので、放課後でもいいですか?」
「あぁ」
「俺も大丈夫だ」
祈ちゃんとの約束を反故にするわけにはいかないので、僕はすぐに断りを入れる。もやもやを抱えさせたまま待たせてしまうのは本当に申し訳なかった。
何となく気まずい雰囲気の中、僕たちは教室へと戻っていく。上履きが床を叩く音はやけに静かだった。
「光明君」
「祈ちゃん、待たせちゃった?」
「ううん、大丈夫」
食堂に着くや否や、入口辺りで待っていた祈ちゃんに呼び止められる。どうやら既に来ていたらしい。まぁ、授業時間中も自由に動ける祈ちゃんが先に来ているのは、別に不自然なことでもなかったか。
「授業はどうだった?」
「うん? まぁ、楽しかったよ」
出来上がりつつある列に並びながら、祈ちゃんはそう僕に問う。正直、授業には最低限しか集中できていなかったけど、それを祈ちゃんに言って心配させるのは違う気がした。
「クラスにね、友達だったって人がいたんだ」
「そう、でしたか。……良かったですね」
でも、全部を隠すのも違う。記憶探しを手伝ってくれる祈ちゃんにこれだけは伝えておいた。話題を逸らしたとも言える。
「祈ちゃんは知ってる? 花咲遊真君と、芥川翔太君って言うんだけど」
聞きに徹してくれる祈ちゃんと話しながら料理を待って、出来上がった物を受け取ってから僕たちは食堂の隅の方に腰を下ろす。そのタイミングで僕はふと思い浮かんだ。彼らが幼馴染というのであれば、祈ちゃんも彼らのことを知っているのではないかと。期待を多分に含んだ問いは祈ちゃんへと真っ直ぐ向かう。
「…………聞き覚えはない、と思う」
「そっかぁ」
しかし、期待とは裏腹に祈ちゃんは口に含んでいた日替わりランチを飲み込んでから、数秒思考を挟んでその首を横に振った。どうやらそう上手い話ではないらしい。
「その、女の子もいるの? 幼馴染の人たちの中に」
「んぇ、いや、いなかったよ。二人とも男の子」
黙り込んだ祈ちゃんを見ながら僕はトンカツに手を付ける。揚げたてサクサクだけど少し薄味なそれを味わっていると、今度は祈ちゃんが問いをかける番だった。それに僕は正直に答えていく。二人とも君付けで呼んだからそこは伝わってたと思ってたので、その意図はよく分からなかったけど。
「ふーん……そうなんだ」
「???」
僕の答えを聞いて、祈ちゃんは少しだけ口角を上げた。今の何が彼女の琴線に触れたのだろうか。理由が分からずに僕は首を傾げた。
「そうだ、それでその二人と放課後に話すことになったんだけど……」
今日は一緒に帰れない。暗にそう伝えると、祈ちゃんはもくもくとご飯を食べながら懐からスマホを取り出す。
「それなら、終わるまで時間を潰して待ってるね」
あくまで祈ちゃんは僕と帰るつもりらしい。スマホの液晶をタップしながら、彼女はそう口にした。
「これ、私の番号だから終わったら連絡して」
見せられる画面に映る電話帳のページを見て、僕も遅れてスマホを取り出す。打ち込んでいる最中にちらりと見えた祈ちゃんの顔は何故か微笑んでいた。
「光」
「あぁ、はい、遊真君。何処で話します?」
帰りのホームルームも終えて、すぐに隣の遊真君は立ち上がる。もちろん向かう先は僕だ。それに倣って僕も立ち上がり彼と向かい合った。
「そうだな……中庭でもいいか?」
「僕は構いませんよ。行きましょうか」
問いに対する提案に僕は頷く。少し離れた席の芥川君も合流して、僕たちは中庭へと出発した。
今朝の雰囲気を見ていたからか、クラスメイトたちの視線は少し不安気だ。
「とりあえず、何から話しましょうか」
目的地に辿り着いて手頃なベンチに腰をかけて、僕から一言。移動中も無言で空気が重いことこの上なかったので、会話がしたい割に苦手な僕には少し辛かった。
「起きてからのこと、訊いてもいいか?」
「はい、構いませんよ」
尋ねる遊真君の声に僕は肯定する。そのために来たのだから、断る理由は無かった。
「特にこれと言って変わったことはありませんでしたけど────」
ゆっくりと語り始める。目覚める以前のことが思い出せなくなっていたこと。長い間寝ていたからリハビリが大変だったこと。気付けば受験生で、寝ている間にやり損ねていた勉強を必死でやったこと。ようやく今の生活に慣れてきた矢先、世話をしてくれていたお婆ちゃんが亡くなったこと。それから、僕は
唯一記憶にある肉親の話をしている時は少しだけ泣きそうになった。上を向いて涙を誤魔化してから、僕は自分の語りを終える。横の二人の顔は俯いていてよく見えなかった。
「光……俺、俺……っ!」
泣きそうな顔で遊真君は声を漏らす。何かに怯えるような、懺悔するような……僕への贖罪の意思が溢れていた。きっと、事故に関して何か知っているのだろう。
「大丈夫、遊真君は……悪くないから」
「でもっ、俺のせいでお前とアイツはっ!」
自分のせいで何かが起きてしまった。僕に読み取れるのはそこまでだ。でもきっと、遊真君が悪いんじゃない。それは何となく分かった気がした。
「そんな顔してる人が、酷いことしたわけないじゃん」
「ぅあ、光っ、ごめん……本当にごめん……っ」
隣の遊真君の肩に腕を回して、僕は慰めるようにそう言う。彼ごと身体を揺らしながら、心の底から懺悔する彼を赦すように。何もかも分からないけど、僕の中の何かはそうしろと囁いてきた。漏れ出す嗚咽はしばらく続く。その間、僕はずっと遊真君の肩を優しく叩き続けた。
「かっこわりーとこ見せちまった」
「ううん、大丈夫」
少しして、遊真君は鼻を啜りながら笑う。子供みたいに泣いていた遊真君に、僕の口調は崩れていた。幼馴染なんだからやっぱり笑っていて欲しい。
「赦してくれて、ありがとう」
「多分、最初から怒ってなかったと思うよ」
ハニカミながらの一言に僕は笑って返す。ずっと、僕が事故にあった時からずっと気にしていたんだろう。憑き物が落ちたような顔をする彼の姿は何処か晴れやかだった。涙ぐんだ芥川君も、それを見て笑っている。良かった、ようやく皆笑顔になった。
「記憶、取り戻せるといいな」
「うん、頑張る。頑張ってみる」
少しの沈黙。それを経てから遊真君が感慨深そうに口にする。本当に、早く思い出したい。祈ちゃんのことも、二人のことも。死んだ両親のことも、他のことも全部。
「それなら、俺たちも手伝うよ」
「そうだぜ、親友なんだから頼ってくれ」
先の長さに大きく息を吐く僕に、二人は笑って肩に手を置く。頼もしい感触に、それが何でも助けてくれるような気がして────
────ふと、脳裏に過る。
「光、ど、どうした?」
「何処か具合でも悪いのか?」
二人の声で旅に出ていた意識が戻る。目の前の四つの宝石は心配そうな色をしていた。揺らされて消えた遠い思い出。でも、それは虚空じゃなくて胸の内へと収まったみたいだ。
「大丈夫。ありがとう、遊君、翔君」
心配させないように笑顔を心がけながら二人を呼ぶ。思い出した二人の呼び名を。
「い、今のって……み、光、まさか……」
「記憶が戻ったのか!?」
突然呼ばれた、今の僕が知るはずのない渾名。それを聞いて遊君と翔君は目を剥いて驚いてくれた。思い出したのは二人と一緒に山へと冒険に繰り出す記憶だ。大きな桜が見える、あの山へ。
「良かった! 良かったなぁ!」
「は、ははっ! はははっ!」
「ちょっ、二人ともっ」
声に涙を滲ませて、二人は笑いながら僕を揉みくちゃにしてくる。ガクガクと揺らされるのが少し痛くて、でもとても嬉しかった。僕も釣られて笑ってしまう。
また一歩、踏み出せた。たとえそれが小さくても、確かな一歩であることに変わりはない。日が傾き始めた空の下、僕たちは疲れ果てるまで笑い合った。何かが欠けているのを心の隅で感じながら。
書き方一つで心理状態やら何やらを表現できるので、会話部分は結構仕込むの楽しいですね。