消えた過去からこんにちは 作:雪解けの宵王
「光明君、おはよう」
「お、おはよう祈ちゃん……」
今日は四月の十五日。天気は相も変わらず綺麗に晴れていた。春の空の蒼がよく目に刺さる。まぁ、洗濯物があるので天気が良いのは良いことだ。
そんな日和の空の下。僕の家の玄関の前にはにこやかに挨拶する祈ちゃんがいて、僕はだいぶ気まずくなりながら言葉を返す。今しがた彼女の下着を干してきたとこなのだから意識するのも無理はない。そう心の中で言い訳しても、申し訳なさと恥ずかしさが勝ってしまった。
「あーっと、その……」
祈ちゃんが微笑み僕が言い淀む、玄関先での奇妙な遣り取り。それは昨日祈ちゃんが帰ってからの出来事が起因している。早い話、何故か祈ちゃんのパンツが僕のベッドの中から出てきたのだ。祈ちゃんをベッドに運ぶ時にちらりと見えた桃色の正体が、乱れた布団を直している最中に突然出て来た時はびっくりし過ぎて口から心臓が飛び出るかと思った。
そして、どうするのが正解かも分からず混乱した頭で祈ちゃんに直接電話した結果、明日の放課後に取りに来るから洗っておいて欲しいとお願いされて今朝の状況に繋がっている。今はノーパンですよと電話越しに囁かれた時は不覚にもドキっとしてしまったけど、異性の幼馴染の下着を洗うなんてことをいったい誰が想像するのか。色々と気を遣い過ぎて朝から精神が擦り減ってしまった気分だ。
「使ってくれた?」
「使うって……何に?」
「それはもちろんナニ……何でもないよ」
報告しない訳にもいかず何と言ったものかと思案していると、何時の間にか近付いていた祈ちゃんが耳元で一言。問いの意味が分からずに首を傾げると、祈ちゃんは少し不満そうにしながら離れていった。下着を使うって、履く以外に何かあるのだろうか。まさか女装趣味だと思われたのかな。いくら女顔でもそれはない。
「光明君、遅刻する前に行こっ」
「あぁ、うん、分かった」
結局祈ちゃんの言いたいことは分からなかったけど、僕たちはゆっくりと通学路を歩き出す。ふわりと吹く春風が頬を擽った。
「皆、おはよー」
「おはよう霊君」
予鈴が鳴る頃に祈ちゃんと別れてから教室に入ると、僕はクラスメイトの皆に挨拶する。皆と仲良くするためにどうしたらいいか考えてみたのだけど、僕が思いついたのはこれだけだった。
挨拶はコミュニケーションの基本とは誰が言ったか。とりあえず、扉の近くにいた人たちは挨拶を返してくれたので良かった。安堵で思わず顔が綻ぶ。
「とったぁぁぁぁぁぁ!!!」
何故か道すがら何人かに頭を撫でられてから席に着いて準備をしていると、ドタバタと騒がしい足音に続いて教室のドアが勢いよく開け放たれる。突然の騒音に驚いて発生源に目を向けると、そこには何故か金髪の女の子の胸に頭から突っ込む遊君の姿が。…………いったい何が?
そんな遊君に遅れて山下先生や翔君たちもずらずらと教室へと入ってくる。叫ぶ先生の声を合図に、今日も学校は始まった。
「光明君」
「んぉ、祈ちゃん迎えに来てくれたの?」
午前の授業も終えてすぐのこと。ここ数日ですっかり耳に馴染んだ声が耳朶を打つ。振り返ればいつの間にか祈ちゃんがそこにいて、食堂に行こうとしていた僕は驚いてしまった。
「うん、購買で買っておいたから食べに行こう?」
「あ、えっ、買ってきてくれたの?」
祈ちゃんが鞄から出すパン類の数々を見てから、僕は手にしていたお弁当箱に目を落とす。被っちゃったなぁ。今朝のうちに言っておけば良かった。
「んー、とりあえず行こうか。食堂?」
「ううん、他に良い場所を知ってるからそこに」
多すぎる昼ご飯をどうするかは後で考えることにする。そう決めて立ち上がると、僕は祈ちゃんの後を追い始めた。
「光、食堂行こうぜ」
「あ、翔君。ごめんね、お昼はもう祈ちゃんと食べる約束があって……」
そこへやってきた翔君も僕へ誘いをかける。気軽に話しかけてくれる彼に感謝をしつつも、僕は泣く泣く断りを入れた。知らないであろう名前を出しながら、僕は立ち止まってくれてる祈ちゃんに視線を向ける。
「そういうわけですので、では」
「あぁ、えっと、先に言っておけば良かったね。一緒にお昼はまた今度」
「お、おう、気を付けてな」
冷たく一言だけ残してそそくさと行こうとする祈ちゃんを追うために、僕は翔君にそう残して教室を後にした。そういえば、遊君はどうしたんだろう。
「祈ちゃん、ダメだよ」
「……負けてはいけない気がしてつい」
「何の勝負なのさ」
すぐに追いついて祈ちゃんに苦言を呈する。祈ちゃんも自覚はあるようで、ぷいっとそっぽを向きながらそんなことを口にした。今の一瞬で何を争っていたのだろうか。訊いても教えてはくれなさそうだ。
「それより、光明君が持ってるそれは?」
「これ? お弁当だよお弁当」
明後日の方を向いていた祈ちゃんはこちらに視線を戻すと、僕が大事に抱えている包みに目を向ける。隠す理由も無いのでその正体を教えると、祈ちゃんもさっきの僕みたいな反応を見せた。
「ごめんね、朝のうちに言ってれば良かった」
「ううん、勝手に買ってきたのは私だから」
僕の謝罪に祈ちゃんは首を振る。何か今日は謝ってばかりだ。
「……余った分は後で考えるとして、一先ず食べちゃおっか」
「そうだね」
そうこうしているうちに目的地に着いたようで、祈ちゃんは木陰にゆっくりと腰掛ける。確かに、そよ風が吹いていて心地良い環境だ。そう思いながら祈ちゃんに倣って僕も芝の上に腰を下ろした。
「っ!?」
「光明君?」
そして、油断していた僕は祈ちゃんが体育座りすることで顕になるパンツも真正面から見てしまう。慌てて目を逸らす僕に、祈ちゃんは不思議そうな顔をした。
「い、祈ちゃん、見えてる」
「あ……光明君のえっち……♡」
視線を戻さないようにしながらの指摘に、祈ちゃんは蠱惑的に囁く。顔が熱い。
「見たいならいいんだよ」
「祈ちゃんっ」
「ふふ、冗談です」
姿勢を変える気配を感じず、僕はふざけている気配の祈ちゃんに抗議の声を上げる。願いは思いの外すんなり通じて、祈ちゃんは微笑みながら足を畳んでくれたようだ。そう音で判断してから僕は彼女に向き直る。もう、外じゃダメって言ったのに。
「今日のはどうかな♡」
「い、言わなきゃダメ……?」
「女の子の下着を見たんだから、ね?」
隣り合う僕に身体を寄せて、祈ちゃんは耳元でそう囁く。今日の祈ちゃんは何だか凄くイジワルだ。赤い顔の僕を見て完全に楽しんでいた。
「なら、昨日と一昨日のも含めて、どれが一番好きだったかだけでも」
「あぅ…………き、今日の……」
そして、言い淀む僕に提案された妥協案。再会した日みたいに感想を言うよりかはマシだったので、僕は小さな小さな声でそれを祈ちゃんに伝える。でも自分の好みをさらけ出すのも十分恥ずかしかった。脳裏には今見えた青の花柄が過る。
というか、僕は今のところ毎日祈ちゃんのパンツを見てしまっているのか。それに気付くとよく分からない感覚が胸を支配した気がした。
「えへへ、光明君はこういうのが好きなんだ」
「も、もう、祈ちゃんっ! 怒るよっ!」
延々と揶揄いは続いていく。流石にもう恥ずかしさも限界で、僕は思わず祈ちゃんに叫んだ。くすくすと笑う祈ちゃんは鞄からパンを取り出す。やっと尋問から解放されたみたいだ。身体の熱を逃がすように僕は大きく溜息を吐いた。
「それ、光明君が作ったの?」
「うん、そうだよ」
袋を開ける祈ちゃんを横目に、僕は自前の弁当の包みを解いていく。そうして現れるのは可愛らしいサイズの弁当箱だった。それを見る祈ちゃんは興味津々でそう尋ねてくる。
「味付けの問題でご飯は自分で作らないとちょっとね」
そう言いながら、僕は昨日の残りの唐揚げに手を付ける。しっかり効かせた味が舌を通じて、僕の脳を満足させてくれた。
「一つ、もらってもいい?」
「いいけど、多分味が濃いと思うよ」
舌鼓を打つ僕を見て、祈ちゃんは今一度僕へと身を乗り出してくる。あげるのは全然構わないのだけれど、僕専用の味付けになった食べ物が口に合うのかはかなり疑問であった。
「あー……んっ」
「どう?」
そう前置きしても、祈ちゃんは口を開けたまま動かない。食べさせた方が早そうなので僕は祈ちゃんにあーんで食べさせてあげると、味の感想を訊いてみる。表情を見る限り訊くまでもなかったようだけど。
「あはは、やっぱり濃かったか」
「結構強い味付けが好みなんだね……」
口元を手で抑えて祈ちゃんはそう口にする。まぁ、料理を楽しみたいのであれば、僕はこれぐらいじゃないと満足できないのは確かだ。
「でも、よく味わえばちゃんと美味しいよ」
「ふふ、ありがと」
何度も咀嚼してからようやく唐揚げを食べ終えて、祈ちゃんは味の感想を一言。一般には濃すぎる味付けという自覚はあるけど、そこらへんのバランスは僕もちゃんとしているので問題はない。塩分の問題なんかもあるのでそんな頻繁に作れるものではないけど。
「も、もう少しもらってもいい?」
「欲しがりさん、はいっ」
そんなことを考えていると、祈ちゃんはもう一度オネダリしてくる。気に入ってもらえたのは嬉しいけど、あいにく唐揚げはもう品切れだ。なので、今度は卵焼きを箸で摘んで祈ちゃんの口へと運んで────
「あむっ」
それは見知らぬ何者かに横から強奪される。視線を送ればそこには制服を着崩した紫色の髪の女の人がいた。
「え、だっ、何ですかっ!?」
視界の外から現れた闖入者に、僕は思わず声を上げる。顔同士が間近に迫っていた祈ちゃんもそれは同様だった。
「むぐむぐ……ん、くっ。うーん、お姉さんはもう少し薄めの味の方が好みかなぁ」
しかし、その女の人は卵焼きを食べ終えると、何故か品評を始める。凄い自由奔放な人だ。せいいっぱい心の中で良いように表現しつつも、僕は普通に引いていた。
「……何してるんですか玖音さん」
「えへ、ごめんね祈ちゃん」
卵焼きを盗られた祈ちゃんは不機嫌そうに女の人の名前を呼ぶ。お互いを呼びながら受け答えする二人を見るに、どうやら知り合いだったらしい。
「光明くんも久しぶり。元気そうで良かった」
そして、どうやら彼女は僕とも知り合いらしい。にこやかに話しかけてくれる姿はそうとしか判断できなかった。
この日、僕は不思議な人と再会を果たす。
まだ劇中経過日数が三日目という事実。もう九話目なんですけどもね。とはいえ、序章は準備もとい顔合わせとかの面が強いので時間がかかるのも仕方がないのである。