※この作品はR-18です。

孤独の吸血姫   作:凰太郎

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白と黒の調べ Chapter.6

 

【挿絵表示】

 

 紫翼(しよく)は墜(お)ちた。

 宛(さなが)ら、天界から追放された堕天使(ルシフェル)の如く。

 否(いな)、そんなに尊厳(そんげん)めいたものではないだろう。

 単に闇空(あんくう)から滑(すべ)り落ちる投棄物(とうきぶつ)だ。

 地表へと叩(たた)きつけられた衝撃に、夥(おびただ)しい土煙(つちけむり)が渦(うず)の幕(まく)と広がる。

 その渦中(かちゅう)で鳴った骨身(ほねみ)が潰(つぶ)れる不快音は、爆発的な轟音(ごうおん)で掻(か)き消された。

「が……は…………」

 地面を抉(えぐ)るクレーターの中央で、起点たるエリザベートが瀕死(ひんし)の苦悶(くもん)を吐く。

 半身(はんしん)をめり込ませた彼女を核として、無数の罅(ひび)が力強(ちからづよ)く放射状に伸びていた。

 墜落衝撃(ついらくしょうげき)の凄(すさ)まじさが察(さっ)せるというものだ。

 全身が砕骨(さいこつ)しているのが自覚できた。

 内蔵も殆(ほとん)ど破裂している事だろう。

 にも関わらず、彼女は死んではいない。

 虫の息ながらも息絶えてはいない。

 ここに於(お)いて〈不死者(ノスフェラトゥ)〉の特性が恨めしかった。

 死なぬとは言ってもダメージはある。

 現状、小指ひとつ動かせなかった。

 明らかな致命傷(ちめいしょう)過多(かた)だ。

 さりとも棺(ひつぎ)で再生休眠していれば、数日で復活できるだろう。

 それが〈吸血鬼〉の特性だ。

 しかしながら、それが叶うはずもない。

 むざむざと敵が見逃すはずもないのだから……。

 気配を感じた。

 異なる方向から、ふたつだ。

 ひとつは、自身が転落した上空からフワリと柔らかく舞い降りて来た。

 もうひとつは、コツリコツリと冷たい足音を響かせ歩いて来る。

 それらが誰かは言うまでもない。白と黒だ。

「エリザベート……」

 視野の外からカーミラが呼び掛けてくる。

 温厚な口振りからは、明らかな哀れみが汲(く)めた。

 未(いま)だ朽(く)ちぬ自尊心(じそんしん)には屈辱的(くつじょくてき)だ。

 言葉交(か)わす宿敵(しゅくてき)を睨(にら)みたくもあったが、瀕死(ひんし)の身体(からだ)では生憎(あいにく)と首を動かす事も叶わぬ。

「いまにして思えば、露骨(ろこつ)に悟(さと)れる手数(てかず)は誘(さそ)うための揚動(ようどう)であったか」

「ええ。貴女(あなた)が推察した通り、わたしは左腕を負傷していた。その時点で、左腕は餌(エサ)と割り切ったのよ」

「何故(なにゆえ)、詰(つ)めは借り物で? 愛用の茨鞭(いばらむち)ではなく……」

「密着体勢では鞭(むち)なんて使えないわ」

「成程(なるほど)……最初から連携(れんけい)の奇策(きさく)有(あ)りきであったか」

「まさか? カリナの助太刀(すけだち)は咄嗟(とっさ)の判断よ」

「何?」

「ああ、思いつきで投げてやっただけだ」

 醒(さ)めた口調は、カリナ・ノヴェールのものであった。

「カーミラがキサマを縫(ぬ)い付けた時点で、何を姦計(かんけい)しているかは大方(おおかた)察(さっ)しがついたからな」

「あら、以心伝心(いしんでんしん)ね。察(さっ)してくれて嬉(うれ)しいわ」

「ぬかせよ。どうせ最初(ハナ)から、己(おのれ)の右腕を杭(くい)とするつもりだっただろう」

 愛らしい白の微笑(ほほえ)みを、黒が無愛想(ぶあいそう)に避(か)わす。

「もっとも、アレ(・・)を使いこなせるかは賭(か)けだったがな」

 挑発めいて含(ふく)み笑(わら)うカリナ。

 その品定(しなさだ)めに似(に)た視線が、カーミラには意地悪くも思えた。

 気持ちを切り替えた少女盟主は、再びエリザベートへと関心を移す。

「エリザベート・バートリー──貴女(あなた)は軽視(けいし)できない切れ者。わたしは常々(つねづね)、そう思っていたわ」

「……随分(ずいぶん)と買(か)い被(かぶ)ってくれたものだな」

「真性の武闘派であるジル・ド・レ卿には、武力面では及(およ)ばないでしょう。けれど、メアリー一世と五分に渡り合えるだけの実力と知慮(ちりょ)を内包(ないほう)している。そんな好敵手(こうてきしゅ)を相手取るには、虚(きょ)を突く奇策(きさく)が必要だと判断したの」

「好敵手(こうてきしゅ)……か」

 宿敵(しゅくてき)が無作為(むさくい)に発した言葉を拾い、強く噛み絞める。

 エリザベートにしてみれば、カーミラ・カルンスタインは徹底的に疎(うと)むべき仇(あだ)に過ぎない。

 だが、カーミラの方は、そんな自分を尊重すべき〝個(・)〟として見ていたという事だ。

(……器(うつわ)が違(ちご)うたか)

 認めざる得(え)ない──遅過(おそす)ぎではあったが。

 妖妃(ようき)が永(なが)らく抱(いだ)いていた野心は、いま此処に潰(つい)えた。

 もはや未練(みれん)すら無意味だ。

「さあ、殺すがいい。覚悟はできている」

「殺すのは構わんが、その前に訊(き)いておきたい事がある」

 カリナが尋問(じんもん)を向ける。

 その声音(こわね)は、あくまでも冷淡であった。

「訊(き)きたい事だと?」

「キサマは先程(さきほど)〝ドロテア(・・・・)〟と叫んでいたな。察(さっ)するに従者(じゅうしゃ)の名だろうが、何者だ?」

「クックックッ……そんな事か」

「ああ、そんな事だ」

 互(たが)いに交(か)わす乾(かわ)いた探(さぐ)り笑(わら)い。

 ややあって、エリザベートは素直に語り出した。

 このような結末になっては、私事(しじ)情報を隠匿(いんとく)する事に意味など無い。

 何よりも、自分を見捨てた裏切り者へと一矢(いっし)報(むく)いたい思いもあった。

「アレ(・・)は生前からの従者(じゅうしゃ)よ。黒魔術の師事(しじ)がために、我(われ)が雇(やと)うた。我(われ)を〈吸血鬼〉へと誘(いざな)った者でもある。以来、ヤツは我(われ)の片腕として付き従(したが)った。もっとも、最後には見限ったらしいが」

「そいつ自身は〈吸血鬼〉ではないのか?」

「違うな。ヤツは〈魔女〉──即(すなわ)ち、大別(たいべつ)的には〈人間(・・)〉だ。ただし、その実力は本物だがな」

「〈魔女〉……か」

 推察するに、今回の謀反(むほん)騒動には大きく一枚噛んでいる──下手(へた)をすれば黒幕(・・)だ。

 エリザベート自身に野心があったにせよ、それを賢(さか)しく利用したに過ぎないのだろう。

 利害(りがい)合致(がっち)や忠誠心があれば、主人の勝負所で雲隠れなどしない。

 そう確信を抱(いだ)きながらも、カリナは口(くち)にせず伏(ふ)せた。

 眼前(がんぜん)で絶(た)えようとしている敗者に対する、せめてもの手向(たむ)けであった。

 各人の黙考が、暫(しば)しの静寂を生(う)む。

 それを緩(ゆる)やかに破(やぶ)ったのは、諭(さと)すように柔和(にゅうわ)な抑揚(よくよう)であった。

 カーミラ・カルンスタインである。

「ねえ、エリザベート? もう一度やり直せないものかしら?」

「……何?」

「確かに思想や理念で、わたしやメアリーの対極(たいきょく)にあるかもしれない。けれど、貴女(あなた)ほど有能な人材は惜(お)しいと思うのよ。だって、そうでしょう? なあなあと同調しただけのぬるま湯では、更(さら)なる意識向上は望めないもの。そうした見地(けんち)も、また一石(いっせき)を投(とう)じる貴重(きちょう)な意見。最近は殊更(ことさら)にそう考えるようになったわ」

 述(の)べつつ見遣(みや)る相手は、近況で一番の不穏分子(ふおんぶんし)。

「……私を見るな」

 意味深(いみしん)な視線に気付いたカリナは、不貞(ふて)気味に顔を逸(そ)らした。

「敢(あ)えて〝毒(・)〟となれ……と?」

「言葉は悪いけれど」

「……どこまでもアマいな、カーミラ・カルンスタイン」

 なけなしの反骨(はんこつ)で悪態(あくたい)をつきながらも、いまのエリザベートには温情(おんじょう)が痛かった。

 身中(しんちゅう)の虫ですら蟲毒(こどく)と受け入れる器量(きりょう)は、エリザベート自身には無い。

 彼女の根底(こんてい)を成(な)す自尊心と憎悪──それを軟化(なんか)させていく慈母(じぼ)的な安らぎ──そして、そんな心情変化を頑(がん)として認ようとしない拒絶と敵意。

 それらが混然(こんぜん)となって、彼女の情緒(じょうちょ)を攪拌(かくはん)する。

 短い沈思(ちんし)の後、敗将は決断を呟く。

「…………行け……捨て置け」

「エリザベート?」

「謀反者(むほんもの)と裁(さば)く気も無ければ、我(わ)が軍門(ぐんもん)に下(くだ)る気も無いと言う……そんな生殺(なまごろ)しの晒(さら)し者にするぐらいなら、せめて無価値な屍(しかばね)と捨て置け」

 次期盟主の野望は潰(つい)えたとしても、己(おのれ)の軌跡(きせき)を否定する気など無い。

 それでは、心底(しんてい)から醜(みにく)過(す)ぎる。

 謀反者(むほんもの)の意地を逸早(いちはや)く察(さっ)したのは、孤高を我(わ)が身と知るカリナであった。

 だからこそ、黒の魔姫(まき)は無関心を装(よそお)って踵(きびす)を返す。

「……行くぞ」

「カリナ?」

 あまりに淡泊な対応に戸惑(とまど)うカーミラ。

 既(すで)に足早(あしばや)く先行した黒(くろ)外套(マント)を後追(あとお)いに駆け、白の吸血姫(きゅうけつき)は酌量(しゃくりょう)を訴(うった)えた。

「待って、カリナ! あのまま放置していては、エリザベートは……」

「最悪、朽(く)ちるだろうな」

 懸命(けんめい)に訴(うった)える顔すら見ず、カリナは黙々と歩き続ける。

「棺(ひつぎ)で再生休眠を採(と)れば復活もできようが、床土(とこつち)すら無い野外放置では再生能力の発現は芳(かんば)しくない。総(すべ)ては負傷程度と個人の魔力にもよるが、あの具合(ぐあい)では……な」

「それが分かっていて、何故?」

「分かった上でヤツは選択した。本人が下(くだ)した決断に、我等(われら)がとやかく言う筋(すじ)はあるまいよ」

「けれど!」

 諦(あきら)めの悪い温情を一瞥(いちべつ)し、カリナは冷たい言葉に突き放した。

「オマエの甘言(かんげん)に乗るような恥(し)れ者(もの)なら、私が斬り捨てている」

 どこか寂しさを孕(はら)んだ口調に、カーミラは思い出す。

 望めど叶(かな)わず死んでいった連中の無念を腐(くさ)るほど見てきた──かつて、カリナが吐露(とろ)した言葉だ。

 故(ゆえ)に、それ以上は食い下がるのをやめた。

 現状に於(お)いて誰よりもエリザベートの心境を理解しているのは、幾多(いくた)の〝死(・)〟を見てきたカリナ自身なのだから。

 後(うし)ろ髪を引かれる思いであったが、二人の吸血姫(きゅうけつき)達も、また誇(ほこ)り高き選択を下(くだ)したのである。

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