※この作品はR-18です。

孤独の吸血姫   作:凰太郎

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~第三幕~
醒める夢 Chapter.1


 

【挿絵表示】

 

「何処だ! いったい何処に!」

 胸中を焦燥(しょうそう)一色(いっしょく)に染(そ)め、カリナは城内を駆け巡った!

 迷宮の如き造(つく)りが煩(わずら)わしい。

 彼女にしては珍しくも、ありのままの自分を露呈(ろてい)していた。

 それも無理はない。

 彼女が〝彼(・)女(・)〟たるアイデンティティーが、見失われていたのだから。

 それだけを必死に捜し求め、彼女は駆け続けていた!

 霊気に満ち溢れた広い魔城内を、ただひたすらに……。

「何処にいるんだ! レマリアァァァアアッ!」

 慟哭(どうこく)とすら思える悲痛な叫びが、閑寂(かんじゃく)とした大回廊(だいかいろう)に響き渡った。

 

 

 

 天空の闇を舐(な)める紅蓮(ぐれん)の焔(ほのお)!

 ロンドン塔の城壁周囲を、大規模な朱舌(しゅぜつ)が取り囲む!

 その勢いは鎮(しず)まる兆(きざ)しすら無い!

 ただひたすらに灼熱(しゃくねつ)は宴(うたげ)を踊り狂っていた!

 城壁へと押し寄せる夥(おびただ)しい数の死体──即(すなわ)ち〈ゾンビ〉の群(むれ)である!

 謎の軍勢による夜襲(やしゅう)は、虚(きょ)を突いた利(り)のままに展開していた!

「クソッタレ! 何なんだ、コイツ等(ら)は!」群がる屍兵(しへい)を破壊し続け、アーノルドが苛(いら)立(だ)つ。「捌(さば)いても捌(さば)いても減りゃしない。それどころか怯(ひる)む気配すらねぇぜ!」

 防衛部隊を率(ひき)いて出陣したものの、予想以上に面倒な敵であった。

 加えて、戦場の条件も悪い。

 城門は南方角に当たり、表通りは東西へと伸びる。

 横たわるテムズ川に沿(そ)った形だ。道幅(みちはば)はそれなりだが、乱戦に適したほど広いとは言い難(がた)い。

 そんな路上を、蠢(うごめ)く黒波(くろなみ)が埋め尽くしていた。敵勢は両側から押し寄せて来ている。物量押しの挟撃(きょうげき)だ。

 結果として〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉は、城門前に固まる陣型を余儀(よぎ)なく強(し)いられていた。

「このままじゃ圧倒的な敵数(てきかず)に消耗していくばかりだぜ! バリケード代わりの人身御供(ひとみごくう)に過ぎねぇ!」

「焦(あせ)られるな! アーノルド殿!」

 背後からの檄(げき)が平常心を促(うなが)す。

 東側の敵を相手取る吸血騎士──ジル・ド・レ卿だ。西側を受け持つアーノルドとは背中合わせとなる。

「単にタフネスさの底値が高いだけだ。個(・)としては、たいした〈怪物〉ではない」

 騎士の剛剣(ごうけん)が敵兵の頭を破断(はだん)した。

 が、倒れた死体はゆるりと起き上がり、何事も無かったかのように戦線復帰を果(は)たしてしまう。

「頭を破壊しても死なぬ……か。どうやらデッドとは勝手が違う」

「敵一体を沈黙させるのに、こちらは二人殺(や)られる! 割が合わねぇ!」

「致(いた)し方(かた)あるまい。我等と同じ〈不死者〉ではあるが、小奴等(こやつら)には自我が欠落しているようだ。つまり〝死〟や〝痛み〟を恐れない。玉砕(ぎょくさい)前提(ぜんてい)の捨(す)て駒(ごま)戦法は、物量押しに相性が良過ぎるのだ」

「基礎能力では我々〈吸血鬼〉の方が、圧倒的に勝(まさ)っているのにか?」

「小奴等(こやつら)に相対(あいたい)して、我等〈吸血鬼〉は生前の精神性を色濃く維持している。つまり〝焦燥〟や〝動揺〟といった感情が、未(いま)だに涌(わ)くという事。衛兵達の志気にも影響は出よう。そうした精神面の脆(もろ)さが、劣勢(れっせい)を招(まね)く要因ともなっているのだ」

「ハッ! そんな腑甲斐(ふがい)無(な)さで、よくも〈闇暦大戦(ダークネス・ロンド)〉へ参戦しようとなんざ考えたもんだぜ」

 アーノルドの凡庸魔剣(ぼんようまけん)が、敵の眉間(みけん)を貫(つらぬ)いた!

 無論、成果はない。

「……クソッタレ」

 見渡す限り、死体だらけであった──動くも動かざるも隔(へだ)たりなく。

 彼等〈吸血鬼〉の存在そのものも、例外にない。

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)に展開するは、血の謝肉祭(しゃにくさい)。

 エリザベート・バートリーの謀反(むほん)から、僅(わず)か三日後の凶事(きょうじ)であった。

 

 

 

 城郭(じょうかく)の頂(いただき)から戦況を見据える白き麗影(れいえい)──カーミラ・カルンスタインの姿だ。眼下の混戦を観察する表情は渋い。

 防壁を吹き登る熱風が強烈な異臭を運んだ。血(ち)飛沫(しぶき)の鉄分臭と戦火の焦(こげ)臭(くさ)さが混じり合ったものだ。

「不快ね。まるで〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉を思い出させる」想起(そうき)される回顧(かいこ)を疎(うと)む。「ねえ、メアリー? あの時よりも、ゾンビの数が増えていなくて?」

 脇(わき)に並び添(そ)う真紅のドレスが、形式的な恐縮で答えた。

「そのようですね。カリナ殿の教示(きょうじ)を考慮すれば、あの時の三倍はいるかと」

「凡(およ)そ一八〇体ってとこ? 僅(わず)か三日程度で、そんなに増えるものかしら?」

「あの後、私なりに〈ゾンビ〉の文献(ぶんけん)を調べました。どうやらネックとなるのは、甦生呪術に要する儀式時間だけのようです。魔術精通者であれば、三日は充分過ぎるかと」

「肝(きも)である〝死(・)体(・)〟は?」

「大前提として〈デッド〉化していない〝純粋な死体〟に限るようですが……その気になれば、いくらでも調達できましょう」

 メアリーの見解に眉(まゆ)を曇らせた。平静を装(よそお)った言い回しではあったが、明らかな含(ふく)みがある。

「それって、まさか?」

「恐れながら、居住区の人間達を虐殺(ぎゃくさつ)した可能性も……」

 カーミラは強く唇を噛んだ。望まざるべき返答でありながらも、予想通りの示唆(しさ)に。

 居住区画の煉獄(れんごく)は、まだ生々しく胸中に刻まれている。

(なまじいエリザベートと対峙(たいじ)しただけに、彼女の謀反(むほん)が核(かく)だと思い込んでいた──それは迂闊(うかつ)な短絡(たんらく)だったわね。傀儡(かいらい)の裏には〝黒(・)幕(・)〟たる存在が別にいる。となれば、その目的は違っても当然なのだから)

 カリナが追求し、エリザベートが言い遺(のこ)した〈魔女〉の名前が思い出された。

「ドロテア……か」

 

 

 

 如何(いか)に不死身の〈吸血鬼〉といえども、今回の持久戦は些(いささ)か不利な状況にある。

 敵軍先陣へと深く切り込んだジル・ド・レも、さすがに焦(あせ)りを覚えていた。

(アーノルド・パウルが苛(いら)立(だ)つのも無理はない。こうも不死身では……)

 先程、彼自身が口にした通りであった。物量押しの戦術は、ゾンビ兵に相性が良過ぎる。況(ま)して自我が欠落しているが故(ゆえ)に、玉砕(ぎょくさい)前提(ぜんてい)の捨(す)て駒(ごま)扱いを物ともしない。

 剛剣の一突きが、まとめて二体の頭部を破砕した!

 西瓜(すいか)の如く弾け散る!

 当然、意味など無い。首無し死体として復活するだけだ。 

「下等(かとう)故(ゆえ)に上位を下(くだ)す……か。皮肉な下克上(げこくじょう)だな」

 浅く自嘲(じちょう)を浮かべる。

 頭では理解していながらも、対デッド戦のノウハウが自然と滲(にじ)み出てしまう。体に染(し)み着いた〈戦士〉としての習性であった。

(確かにゾンビ共のタフな性質は厄介だ。さりとも我(わ)が軍の兵が不慣れな点も、劣勢要因としては大きかろう──実戦経験の不足だ。所詮(しょせん)、近代吸血鬼(モダン・ヴァンパイア)は戦(いくさ)の世(よ)を知らぬ。安寧(あんねい)世代の緩(ゆる)さよ)

 内政面では一目(いちもく)の価値を尊重(そんちょう)してきたが、前線に於(お)いては軟弱な有象無象(うぞうむぞう)に過ぎない。

(斯様(かよう)な組織実態では〈闇暦大戦(ダークネス・ロンド)〉へ参戦したところで底(そこ)は見えておるな)

 歯(は)痒(がゆ)い。

 数世紀の間、摂理(せつり)に反(はん)して生き長らえた。

 それもこれも抱(いだ)く理想へと邁進(まいしん)すればこそだ。

 理想──いや、待て。

 理想とは何だ?

 そもそも何(・)を追い求めていたのだ?

 取り留めもなく涌いた自問に戸惑(とまど)う。

 と、混戦の渦中(かちゅう)で見知った顔を見つけた。

 深々と被(かぶ)った漆黒の長外套(ローブ)姿。まるで様子を窺(うかが)うかのように、城壁裾(すそ)へと佇(たたず)む男。

 疑心(ぎしん)誘発(ゆうはつ)の忠臣(ちゅうしん)に他ならない。

「プレラーティか?」

 死体を捌(さば)きながら確認する。

「ジル・ド・レ様、機(き)が訪(おとず)れました」

「機(き)だと? 何を言っておるのだ!」

 意味不明な訊(と)い掛(か)けを拾いつつ、数体の敵兵を纏(まと)めて破壊した!

「斯様(かよう)な謎掛(なぞか)けを戯(たわむ)れる暇(ひま)があれば、我(わ)が片腕として加勢(かせい)せぬか!」

「……機(き)が訪(おとず)れたのでございます」

「だから、何を──」

 叱責(しっせき)する中で、違和感(いわかん)を覚えるジル・ド・レ。

 混戦状況そのものは変わらない。

 しかし、黒集(くろだか)りに空間が拓(ひら)いていくではないか。群(むら)がるゾンビ達が緩慢(かんまん)的な動きに退(しりぞ)いていったのだ。ジル・ド・レの周囲に限り……。

「こ……これは?」

「機(き)が訪(おとず)れたのでございます」

 暗い瞳が淡々(たんたん)と促(うなが)す。

 直感、ジル・ド・レは悟(さと)った。

 ゾンビ共の撤退は、この男の術だと。

 黒魔術によって排除したわけではない。そうした術に不可欠な動作を振舞(ふるま)ってはいなかった。

 ともすれば、絶対的な支配権の行使(こうし)とさえ思える。

 根拠も証拠も無い確信だ。

 だがしかし……。

(否(いな)、それ以外にも不自然さはあったではないか!)

 ジルは訝(いぶか)しんだ洞察(どうさつ)に睨(にら)む。

(そもそも、この男は何故(なにゆえ)襲われずに居(い)たのか?)

 これらの状況を客観的に分析すれば──この軍勢(ゾンビ)を率(ひき)いていたのは、プレラーティ自身という可能性が高い!

「プレラーティ! キサマ、一体(いったい)?」

「私は従者(じゅうしゃ)──貴方(あなた)様(さま)の願いを叶えるべく付(つ)き添(そ)い続けた影(・)でございます」

「ワシの……願い?」

 正視に睨(にら)み据(す)えた魔術師の目が爛々(らんらん)と赤い照(て)りを帯(お)びる。

 吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)たる自分ですら不気味な禍々(まがまが)しさを感じた。

 呑(の)まれるような赤い闇──自我も意識も思考も何もかもが、混沌と攪拌(かくはん)されて境界線を無くしていく。

 宛(さなが)ら、彼等〈吸血鬼〉の常套(じょうとう)手段ある〈催眠術〉を連想させた。

 が、その魔力の源泉は、もっと根深く感じられる。魔界の深淵(しんえん)から湧き出るようなパワーソースだ。

 つまりは、単なる精神技巧(ぎこう)ではない。

 そうした分析観を抱(いだ)きつつも、ジルは次第に己を見失っていった。

 夢遊のように全てを受け入れ、誘惑の声へと歩み寄る──全てを受け入れ? 何を?

 何一(ひと)つ確かな情報も無いというのに?

 この男は何者だ?

 目的は?

 何故、自分を誘(いざな)う?

 そして、己(おのれ)は──ジル・ド・レ自身は何(・)を求めてきたというのだ?

 明答など見えない。

 見えぬまま、ジルは受け入れつつあった。

 やがて並び立った主人と従者(じゅうしゃ)は、そのまま屍群(しぐん)陣営の奥深くへと呑(の)まれ去る。

 背後から投げ掛けられるのは、部下の制止と断末魔──赤(あか)飛沫(しぶき)の悲鳴──骨身(ほねみ)が潰(つぶ)され果てる醜音(しゅうおん)。

 それらを手向(たむ)けと浴び、吸血騎士は決別の歩(あゆみ)を刻む。

 もはや戦況の行く末(すえ)など、どうでもいい。

 これから満を持して刻むべきは、ジル・ド・レ自身の足跡(そくせき)なのだから。

 

 

 

「随分(ずいぶん)と大掛かりな人形劇ね」

 辟易(へきえき)とする気持ちを押し殺して、カーミラは思索を巡らせていた。

(ゾンビ自身は単なる労働力……自己判断力や知恵なんかは持ち合わせていない。つまり攻城戦を指揮している黒(・)幕(・)が近場(ちかば)にいるという事)

 未(いま)だ見ぬ〈魔女〉の存在が憎々しい。

 主人を捨て駒とした外道(げどう)。これだけの兵力を水面下で整えていた狡猾(こうかつ)な策士。

「メアリー、此処数日で襲撃被害に遭(あ)ったと思われる居住区画は?」

「それはまだ調査していませんが……なにより、居住区の実態調査はコンスタンスではないので」

「大至急調べて下さい。必要とあれば、貴女(あなた)自(みずか)らが城外へ赴(おもむ)いても構いません」

「この状況下で戦場を離れろ……と?」

「構いません。わたしからの勅命(ちょくめい)です」

 カーミラの瞳には毅然(きぜん)たる意志が宿っていた。

 それを汲(く)むが故(ゆえ)に、メアリーも素直に殉(じゅん)ずる。

 背後で一礼を払うと、彼女は紅い蝙蝠(こうもり)へと変化した。

 居住区の方角へと飛び去る知獣(ちじゅう)を見送り、少女城主が瞳を上げる。

 と、はたして忌(い)むべき敵は、そ(・)こ(・)に存在していた!

 黒月の巨眼を後(うし)ろ盾(だて)に浮遊する人影!

 距離にして約二〇メートル先──黒い長外套(ローブ)を靡(なび)かせ、戦火の頭上に滞空(たいくう)している!

 一瞬、エリザベートの亡霊かとも思った。

 だがしかし、それは有り得ぬ話だ。呪われたる魔物と堕落した〈吸血鬼〉の魂は、霊界の理(ことわり)から除外排斥されているのだから。故(ゆえ)に〝再生〟こそすれ〝輪廻転生(リィンカーネーション)〟などしない。況(ま)してや〈幽霊〉などになるはずがない。

「まさか……あ(・)れ(・)は?」

『ああ、私が〝ドロテア〟さ』

 カーミラの推察に影が答える。肉声ではない。低く静かな囁(ささや)き声を聞き取るには、互いの距離が離れ過ぎている。当然ながら〈魔術〉による無声(テレパシー)会話だ。

「満を辞(じ)して〝黒幕〟自(みずか)らの御登場かしら?」

 思念を返す。

『黒幕? クックックッ……』

「あら、何か可笑(おか)しくて?」

『クックックッ……我(われ)は露(つゆ)払(はら)いに過ぎん。イギリス全土を掌中(しょうちゅう)に収(おさ)めるためのな』

「やはり、本(・)隊(・)は別に控(ひか)えているって事ね。或(ある)いは〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉同様に、未(いま)だ母国で胎動中(たいどうちゅう)なのかしら?」

『……何?』

「敵対勢力の本格的侵攻ならば、全面攻撃を打ってくるでしょうからね。けれど、エリザベートの謀反(むほん)を唆(そそのか)した暗躍に、夜闇(よやみ)に紛(まぎ)れた消耗品による奇襲──あまりにも小規模で場当(ばあ)たり的過ぎる」

『…………』

「背後にいるのは、エジプト? イタリア? それとも、まさかフランスかしら? どちらにせよ〈魔女の勢力〉なのでしょう?」

『……よく喋(しゃべ)る』

 ドロテアの声音(こわね)から抑揚(よくよう)が消えた。それは情報隠匿(じょうほういんとく)を再意識した証拠である。

(これ以上は語らず……か。誘導尋問(ゆうどうじんもん)は失敗みたいね)

 詳細看破(しょうさいかんぱ)を突きつける事で動揺を誘(さそ)ってみたが、結果として裏目(うらめ)に出たようだ。逆に警戒心を誘発し、これ以上の聞き出しは望(のぞ)み薄(うす)となってしまった。

(けれど、それは当たらずとも遠からずって事を語っているようなものよ……魔女ドロテア!)

 互いに出方を窺(うかが)う反目(はんもく)が続く。

 ややあって、浮遊する影が揺らいだ。

 魔女が消え去るのを察知し、カーミラが制止を叫ぶ!

「御待ちなさい! 魔女ドロテア!」

 しかし対応は紙一重で遅く、その幻姿(げんし)は霞(かすみ)と消えた。

『カーミラ・カルンスタイン、キサマ達〈吸血鬼〉の軍勢は今宵(こよい)滅びる。ロンドンの領有権(りょうゆうけん)は、我等の掌中(しょうちゅう)に……』

 置き土産(みやげ)の声が拡散して響く。

「虚(むな)しい支配権なんて、どうでも良くってよ」カーミラは虚空(こくう)を睨(にら)み据(す)え、忌々(いまいま)しく本音を吐き捨てていた。「けれど、貴女(あなた)を許す気は無いわ。自(みずか)らの姦計(かんけい)のために忠義(ちゅうぎ)を吐(は)き捨てる──わたしの最(もっと)も嫌う人種ですもの」

 静かなる敵意に、エリザベートの哀れさを愁(うれ)える。心より信頼を置いていた腹心(ふくしん)に裏切られ、道化(どうけ)と堕(お)ちた哀れさを……。

 それは、如何(いか)に絶望的な惨(みじ)めさであっただろうか。あのような無慈悲な姦計(かんけい)を、繰り返させてはならない。

 総(すべ)ての元凶(げんきょう)は、あの〈魔女〉だ!

 絶対に討(う)たねばならない!

 次なる〝エリザベート〟を生み出さないためにも!

 と、背後に何者かの気配を感じた。

 重々しい男性の声が、彼女へと呼び掛ける。

「カーミラ様」

「ジル・ド・レ卿?」こうした戦況には頼もしい人材であった。「丁度良かった。折り入って御願いがあるの。しばらく、わたしに代わって戦局の指示を──」

 そう告げて振り返ると同時に、腹部で熱さが燃える。

「……え?」

 状況が呑み込めず、カーミラは確認の視線を落とした。

 彼女の腹部を貫(つらぬ)く簡易魔剣(かんいまけん)!

「珍しくも虚(きょ)を突かれましたな。この目まぐるしい乱戦下では、無理からぬ事ではありましょうが」

 力強く刃(やいば)を捻込(ねじこ)む!

 それは宛(さなが)ら、エリザベートの仇討(あだう)ちにも思えた。

「かふっ!」

 白が赤を噴(ふ)く!

「所詮(しょせん)、貴女(あなた)は浮き世離れ。戦(いくさ)には疎(うと)過(す)ぎる」

「ジル……ド……?」

「いま一度、生まれ変わらねばならぬのです──このロンドンも──我等〈不死十字軍(ノスフェラン・クロイツ)〉も──そして、私自身も────」

 魔剣に断腸(だんちょう)の念(ねん)を込めるジル!

「っああ!」

 可憐が鮮やかに生命(いのち)を吐(は)く!

 理不尽な餞別(せんべつ)を引き抜かれると、麗しき少女吸血姫(きゅうけつき)は自(みずか)らの血溜(ちだ)まりへと崩れ倒れた。

 まるで、冷たい眠りへと落ちるかのように……。

 

 

 

 本格的な戦ともなれば、来賓(らいひん)や使用人たる〈吸血鬼〉の出る幕はない。率直に言えば〝役立たず〟だ。

 ジョン・ジョージ・ヘイとペーター・キュルテンによる合同部隊の任務は、そうした輩(やから)を保護する役目にあった。

 狼狽(ろうばい)に踊る来賓(らいひん)達が、速やかに安全な場所へと誘導される。具体的には屍棺安置室(しかんあんちしつ)や血液貯蔵室(けつえきちょぞうしつ)等だ。こうした部屋は総じて地下に設(もう)けられているため、緊急避難壕(きんきゅうひなんごう)としての側面も補(おぎな)っている。

 慌ただしい誘導を終えると、ジョンは一階へと登った。正面大回廊へと続く通路だ。固(もと)より深い霊気を漂わせる情景が、更(さら)に拍車を掛けた蒼い虚構(きょこう)へと染まっている。

 城内には、人の──否(いな)〈吸血鬼〉の姿気配(すがたけはい)は全く無い。避難するか戦地へ赴(おもむ)くか……その二択だ。

 手近な窓から外を眺めると、城壁の向こうには朱宴(しゅえん)が鮮(あざ)やかだった。

 加勢できぬ弱さが歯痒(はがゆ)い。だが、自分達は戦火が鎮まるのを待つしかなかった。

「とりあえず全員避難させたな」

 背後からの声に振り向く。遅ればせながら登ってきたペーターだ。

「非戦闘的なボク達には適した任務だね」

 軽く自嘲を含むと、ジョンは視線を城外へと戻す。

 ペーターも、それを追った。

「ジル・ド・レ卿とアーノルドに任せるしかないさ」

 と、ペーターは異変を感じる。

「な……何だ?」

 俄(にわか)に血相(けっそう)が変わった。

 ジョンは、まだ気付かない。 

「どうしたんだい?」

 声も届いていないかのように、ペーターは睨み据えている。どうやら焦点は城門だ。

 釈然としないままそれに倣(なら)い、ようやくジョンも驚愕(きょうがく)を漏(も)らした!

「城門が……揺れ軋(きし)んでいるっ?」

 外側からの大きな圧力だ!

 それはつまり、敵勢が押し寄せているという事実に他(ほか)ならない!

「殺(や)られたっていうのか? ジル卿とアーノルドが……我(わ)が軍きっての防波堤(ぼうはてい)が?」

「僕にしても俄(にわか)には信(しん)じ難(がた)いよ。けれど、これは紛(まぎ)れもなく現実──有無(うむ)を云(い)わさずね」

「クソッ! どうすればいい!」

「まだ現在(いま)は巨大閂(かんぬき)が耐えているけど、それも僅(わず)かな猶予(ゆうよ)でしかないだろうね」

「実戦部隊は総(すべ)て迎撃(げいげき)に出たんだぞ! 応戦できる兵力なんか残っちゃいない!」

 加熱するペーターに反して、ジョンは沈着冷静を保(たも)っていた。口元に手を添えて黙々と思索する姿は、まだ希望を捨てていない。

「おい、ジョン?」

「我々は、戦闘能力で〝吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)〟に劣(おと)る──傭兵経験者のアーノルドは別としても。つまり、それさえ補(おぎな)えれば応戦する事も可能なはず」

「だろうさ。けど、現実的に無理な話だ。いまから訓練でも重ねるってのか?」

「待ち給(たま)えよ。僕は『我(・)々(・)には応戦手段が無い』と言ったのさ──つまり僕と君に限った話だ」

 城門を警戒に睨(にら)み続け、ペーターが焦(じ)れる。

「正直、話が見えないな。手短(てみじか)に要点だけを言ってくれ」

 その時、威勢(いせい)猛々(たけだけ)しい勧告が告(つげ)げられた!

 城門の外からだ!

「聞けぃ! 残留兵共(ざんりゅうへいども)!」

 気迫だけで通る叫び声!

 聞き覚えを抱き、二人は顔を見合わせる!

「この声は……ジル・ド・レ卿か!」

「貴様等(きさまら)の主君(しゅくん)カーミラ・カルンスタインは、既(すで)に我(わ)が刃(やいば)に倒れている! 防衛線たるアーノルド・パウルも、我(われ)が屠(ほふ)った!」

 ようやく合点(がてん)がいった。

 この急変した劣勢(れっせい)は、ジル・ド・レ卿が寝返(ねがえ)ったが故(ゆえ)なのだ!

 理由は判らない。

 が、突破された防衛線が、その事実を立証している!

「速やかに降伏し、我が軍門へと下(くだ)れ! 一時間だけ猶予(ゆうよ)を与えてやる! よく考え、賢い選択をするがいい!」

 そう言い残して、気配は消えた。夢幻(ゆめまぼろし)であったかのように鎮まる城門。

 訪れた静寂の中で、ペーターが嘆息(たんそく)混(ま)じりに零(こぼ)した。

「やれやれ……カーミラ様が倒され、アーノルドも死んだ──何よりも主戦力であるジル卿が寝返った以上、我々には打つ手は無いぜ?」

「仮(かり)にカーミラ様が殺(や)られたのだとしても、我々には匹敵する一騎当千(いっきとうせん)がいる」

 思いの外(ほか)、ジョンは涼しい。

「そいつは〝ブラッディ・メアリー〟の事か?」

「いいや」

「もしかして、ドラキュラ伯爵なんて言うつもりじゃないだろうな? 確かに〈伝説の吸血王〉かもしれないが、来城した事すら無いんだぜ?」

「いいや」妙案(みょうあん)を含(ふく)んだ微笑(びしょう)を携(たずさ)え、ジョンは明答する。「カリナ・ノヴェールさ」

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