IS地雷小説 作:ごごごー
「……山田先生?」
ガクガクブルブル。畜男の眼前で身体をかき抱く女に擬音をつけるならこれ以上相応しい四文字は無いだろう。学園で生活してる間にも同じような姿を何度か見かけたことがある。
山田真耶。IS学園で教鞭を執る教師の一人。畜男のクラスでもあった1-1では副担任としてそのドジな性格も相まって生徒から人気のある先生だ。特徴は緑のショートカットにいつもかけているメガネと、あと誰も口には出さないが人並み外れた大きな胸が何よりの印象を与える。
背後から近づいてきたのが学園の教師だったことに気づいた畜男はへたり込んだ真耶とイスを見比べて慌てて弁明を始めた。
「や、山田先生? あの、おれ、すいません。まさか先生だと思わなくて……」
「い、イスは……?」
「戻しました!」
幸いにも盾として活躍することはなかったイスは元の位置に戻されていた。
それを聞いた真耶は涙目になりながらもよろよろと立ち上がった。
「いいい厳羅くん……? 人に向かって無闇にイスなんて振り回したらだめですよぉ!」
「いや、その、こんなところに先生がいるなんて思わなくて……」
「こんなところ……? そういえばここは夢の世界じゃ……?」
キョロキョロと能天気に視線をあちらこちらと忙しなく動かすいつものワンピース姿の真耶。どうやらここを夢の中だと思っているらしい。畜男は静かに真耶を見つめている。。
畜男の視線に気づいた真耶は、右手の親指と人差し指を頬へ近づけていく。
「――痛っ。……あの厳羅くん、もしかしてですけど……夢じゃ、ないんですか……?」
「……恐らくは」
「……ふぇ」
不安げな瞳には夢だと言ってほしいと訴えかけてくるが、ここで嘘をついてもどうせ時間が経てばどの道気づくだろうと考えた畜男は誤魔化すのをやめた。
純粋にも夢だと信じ切っていた真耶の垂れた目尻に雫が溜まっていく。起床すれば元の世界に戻ると思っていた場所が現実のものと知り、一気に不安が押し寄せてきたのだろう。今にも声に出して泣いてしまいそうだ。厳羅は慌ててフォローに回った。
「あ、あの、俺、先生が来てくれてすごい心強いです」
「……ぐすっ」
「さっきまで一人で途方に暮れてて……。その、山田先生が居てくれてよかったなーとか、思ってます……」
「……」
「だから、あー、その、なんていうか……」
「そう、ですよね。先生ですからしっかりしなきゃ、ですよね!」
どうやら厳羅の必死のフォローは成功したらしく、真耶の不安は鳴りを潜めたようだ。立場的には真耶が慌てず落ち着いて厳羅を冷静にさせなければならないはずなのだが、それを口にすれば真耶が落ち込むのは火を見るより明らかだと理解していた厳羅は、間違っても口走らぬよう努めて静観を決め込んだ。
「ところで、厳羅くんはここがどこだか知っているんですか? こんなところと言っていましたけど」
「あーいや、俺も知らないです。目覚めたらここに居て……」
「目覚めたら、ですか。私と一緒ですね……。何か手がかりになるような物とかは……」
「残念ながら……でも、どうして山田先生まで監禁されてるんでしょう。俺を誘拐するのはまだしも……」
「確かに……あっ」
真耶はしまったと、バツの悪そうな顔で厳羅を見た。仮にも教職に就く者が生徒である厳羅が誘拐されることを肯定する物言い。そんな意図は無かったとはいえ配慮に欠けていた。
「す、すみません。私、そんなつもりじゃ……」
「いえ、次から気をつけてくれればいいので……」
「すみません……」
瞳を涙に潤ませ全力で頭を下げる真耶。畜男はさも気にも留めていないといった顔をしているが、内心それどころではなかった。勢いよく身体を上下させたことにより揺れる豊かな双丘。男の夢とロマンが詰まっているとも言われているソレは、摩耶クラスのものとなるとそれはそれはよく弾む。学園では他の女子がいる手前、盗み見ることもままならなかったが今は幸運、ではなく、不幸にも二人きり。
本体の動きが停止してなお身勝手に揺れ続ける極上の二つの塊、畜男はこれ幸いと全神経を視覚に集中させ記憶に焼き付ける。これからどうなることかと若干ナイーブになっていたが、束の間の幸福に畜男は感謝した。
「と、とにかく出口を見つけなきゃですよね……。これからどうしましょうか……」
「…………」
「厳羅くん……?」
真耶は返事のない厳羅を見てやはり自分の無神経な発言で怒らせてしまったと後悔を重ねる。しかし実際は、
(しばらく夜のお供には困らなそうだな……ここから出られたらの話だが。……それにしてもすごかった。ありがたや)
口を引き結び真面目な表情をしながら先程の光景を反芻してるだけの下衆である。克明に刻み込まれた記憶に欠落や脚色はないかの確認作業を終えた畜男は、ようやく表情の曇っていく真耶に気づいた。
「……ん? ああ、これから、これからですよね。やっぱり出口を探すしか無いんじゃないんですかね。ここが日本かどうかもわからないわけですし」
「ええっ!? さすがにそれは……、だって私、昨日の10頃に寝て今さっき起きたばかりですよ? 海外に誘拐するには時間が……」
「確かに就寝時間内に済ませるならそうですけど、薬か何らかの装置で今まで眠らされていた可能性もあるんじゃないですか?」
「あ……。じゃ、じゃあ! 時計か窓の景色から判断すれば……!」
真耶の良案とでも言いたげな顔色を見て、畜男はまさかと思いつつ口を挟む。
「あの、山田先生。ここに来る前に居た部屋を調べたりは……?」
「ほぇ? えと、あの……お恥ずかしながら……」
「…………」
気まずそうに言葉を濁す真耶。予想していた答えに沈黙でしか答えられない畜男は、この冷静沈着という言葉を知らなそうなそそっかしい教師が、この空間で自分と邂逅するまで夢の世界に居ると信じ込んでいたのを思い出した。知らない部屋で目覚めた真耶がキョロキョロと寝ぼけた思考のまま、いい加減に部屋を見やりあくびでもしながら変な夢だなあと目をこすり部屋を出てきたのが用意に想像できる。
「……一応、自分が見た限りですけど時計や窓なんかの外界の情報がわかるものは見当たりませんでした」
「すみませんすみません。誘拐されたかもしれないのに呑気に夢の中だと思ってすみません……」
「いえ、もしかしたら山田先生の部屋には窓がある可能性もあるので……」
そこまで言いかけて畜男は不可解な引っ掛かりを感じた。
(山田先生は一体どこからこの部屋にやってきた?)
部屋から大広間へ移り、くまなくとまでは言わないが視覚で確認できる場所はだいたい調べた。そこから得た情報では自分が目覚めた個室を除くと扉らしき造形物は無かったはず。最初からこの大広間に放置されていたのかとも考えたが真耶は畜男の『山田先生の部屋』という発言に異を唱えていない。つまり畜男と同じように個室から出てきたと判断して良いはず。
(まあ、訊けばいいか)
どこか見落としがあったのだろうと、畜男は己の観察力の鈍さを発生した疑問への句点として、大人しく真耶にどの辺りに自分の部屋があったのか尋ね、そして、帰ってきた答えに愕然とした。
いや、正確には答えではない。言葉では信じきれなかった畜男が、その光景を自らの双眼で証明し愕然としたのだ。
「私の部屋ですか? 私の部屋はあっちの壁にある
そう言って指で示す。
繰り返すがこの大広間は奇妙な構造をしている。立体的な図説であれば十字に切られた球体の四分の一、L字に切り取られた部分というのが最も適している。つまりこの空間に壁と言えるような面はLの形を見て分かる通り二つしかない。今立っている床と、畜男が最初に居た個室へのドアのある壁だけだ。畜男は真っ先にその広い壁に外へと繋がっている扉がないか探し、そして落胆したはずなのだ。
真耶のたおやかな指先が導く先は間違いなくその壁だった。
(一番右……? そもそもそっちの壁にはなん……に……も……)
もしこれで扉が一つならば畜男は自分の眼が節穴だったと結論づけることもできただろう。
しかし現実として白い壁には畜男の居た部屋の扉を中心に左右に4つずつ、数にして9枚。間違えようもないほどの数の同じ扉が均等に整列していた。
「な……あ……っ!」
驚愕に潰れた声とともに目は見開かれ、身体は未知の現象に本能が後ずさる。もし一人ならば無様に尻もちをついてこの自然的でも科学的でもない、扉が増殖するという超常的な恐怖体験に泣き出しても不思議ではなかった。
「どうか、しましたか……?」
ただ事ではない反応をみせる畜男に真耶が小首を傾げた。何をそんな驚くことがある? そんな表情をした真耶に畜男はやはりこの現象は自分が壁から最後に眼を離した、カウンターに向かったそれ以降に起こった現象だと確信した。
「いえ……その……」
「……?」
畜男はありのままを伝えるべきか迷った。この空間はどこかおかしい。ありえない現象を体験したと真耶に伝えるべきかどうか。いや、理性の部分は伝えるべきだと少しの逡巡もなく声高に叫んでいる。
だが、何かが畜男をためらわせる。明らかに伝えるべきだ。正気を疑われるかもしれない。しかし断じて胸の内に収めておくべきではない異常だ。何かが起こってからでは遅い。
今まで生きてきた中で培われた、倫理だとか常識だとか人道なんかの人を構成する所が最大限の警報を鳴らしている。だが――
『私はあなたの味方』
わかっていた。なにが自分をここまで躊躇わせるのか。引き止めるのか。
真耶から声をかけられる直前、カウンターにあったモニターに浮かんでいた言葉のせいだ。聞くに値しないあの言葉が、呪詛のように畜男の精神を犯し判断を惑わせる。
伝えるか、噤むか。口をまごつかせる畜男に真耶の疑念はますます深みを増していく。
「……何でも、ありません」
形容し難い懊悩の末、畜男が下した決断は自分でも説明できない。言ったところで呆れられるか狂人とみなされるだけだと、自分に言い聞かせるのが精一杯だった。
「それで山田先生の部屋を調べるんですよね。行きましょう」
「え、あ、は、はい!」
足早に件の扉へ向かう畜男の後を真耶が慌てて追いかける。
結局、真耶の部屋が畜男の部屋と全く同一だったのは、心ここにあらずであった畜男にも薄々予想していた事だった。
「中央のは厳羅くんの部屋でしたよね? じゃあ他の7枚の扉に期待するしかないんでしょうか……?」
「いや、期待はしないほうが良さそうじゃないですか? どれも均一に並んでいますしきっと中も似たような構造だと思いますよ」
「はあ、やっぱりそうですよね……」
「まあ。だからといって調べないという選択肢は現状では選びようもないんですけど。次は山田先生の隣の部屋を見てみましょうか」
部屋の視察を終えた二人は予感していた落胆を口にしながら元の大広間に戻った。ここまで均一に並び畜男と真耶の部屋までに3枚の扉を挟んでいながらお互いの部屋は全く同じ構造をしていた事を考えると、真耶側の部屋はもちろん反対の四枚も徒労に終わる予感を二人はひしひしと感じていた。
『…………』
孤独では無くなった喜びを忘れたように二人から声が途切れる。今、着手しようとしている手がかりはそれ以外目ぼしい箇所が無いが故の義務的な処理だ。調べ終え何か見つからなかった場合、脱出への望みが絶たれる可能性が高い。
重くなっていく脚を動かし次の扉へ向かおうとした時だ。事態が露にも考えていなかった進展の様相をみせたのは。
ガチャリ。
その音が響いたと同時、真耶と畜男が固まった。呼吸も、思考も、動作は言うまでもなく。それはなんてことはないただの扉が開く音。それも今まさに調べようと話していた扉だ。何が二人をそうまでさせたのか。簡単だ。扉の前にいた畜男はまだドアノブに指先一つ触れていなかったのだから。
ドアノブが独りでに傾げられ開かれた扉の隙間が大きくなっていく。
(中に人が――)
真耶という前例があったのにも関わらず畜男は他の部屋にも人がいる可能性を無意識の内に排除していたのを今になって気づく。だが、もう遅い。
心の準備という言葉すら考える間を与えず、開かれていく扉をただただ眺めることしかできない二人。呼吸を忘れ身体も凍った。もしこの扉の先の住人が敵ならば、扉の前にいる畜男が真っ先に襲われ後ろに居る真耶もなすがままだっただろう。
しかし、幸いにもその運命は訪れなかった。
最初に思考が再稼働したのは以外にも真耶で、扉の先を視て驚きの声を上げた。
「――織斑先生!?」