※この作品はR-18です。

Fate/Grand Order SCB   作:しゃくなげ

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特異点F


F
第1話


 酷い痛みと耳鳴りがして、亘(わたり)鵠佑(こうすけ)の意識は泥濘めいた混濁から回復した。それから大きく一度だけ咳き込み、口内に広がる血の味にやっと意識が向かう。

 先ほどまでの記憶を辿ってみても、まるで思い出せそうにない。何が起こったのかはわからなかったが、周囲の様相を見るに、推察する事は簡単だった。

 肌を刺すような熱と、視界を遮る黒煙。破壊された管制室は映画で見た光景にも似て、まるで現実感がない。ただ、身体中を走る痛みが、これは現実なのだと否が応でも理解を強いる。

 真っ先に思い描いたのは、爆弾だった。少しでも煙を防ごうと口元を掌で覆って立ち上がると、鵠佑は無数の亀裂が刻まれた床を踏み締めた。

 

「誰か……誰か、いませんか……!」

 

 身動ぎをするだけで、刺すような痛みが背中に走った。激痛にうめき声が漏れたが、このまま倒れるよりはと、笑う膝を無理やりに動かして歩みを進める。左脚を持ち上げられずに引きずってしまうのも、気にならなかった。

 抉れ、捻れ、崩壊したそこには、ついさっきまで誰が立っていたのかも思い出せない。ペンキのように壁に付着している液体、あちこちの床に転がっている、カルデア職員の制服を着た何か。

 それらの、視界に入った物たちの正体に気付いた時、鵠佑は言葉の通りに頭を殴られたような感情の波に襲われた。

 

「そ、んな……君、ねえ、君……!」

 

 呼びかけたところで、返事はない。広がっていく赤茶けた水溜りに、天井か何かの破片が落ちて波紋を刻んだ。何があろうと彼がもう動かないのは、ひと目見ただけで判断できた。

 見渡しても、叫んでも、応えてくれる者はいない。あるのはただ、無慈悲な暴力の痕跡と、死の気配だけ。管制室は、ほんの刹那の出来事で、地獄を思わせる様相へと変貌していた。

 ただひとり。夥しい数の亡骸を前にして、たったひとり、生き残った。それが、鵠佑の置かれた状況だった。

 

「隔壁閉鎖まで あと 四十秒 中央管制室に残っている職員は──」

 

 回復し始めた聴覚が合成音声のアナウンスを拾ったものの、当然と言うべきか、この状況を打破するようなものではなさそうだった。むしろ、この管制室を封鎖する死刑宣告に等しい内容だという事を理解してしまう。

 

「出口、出口……どっちだっけ……っ……、痛、ぁ……」

 

 少しでも生き延びようと足掻いたところで、痛みと息苦しさに、その場にへたり込んでしまいそうになる。指差しの感覚は少しずつ薄れ、視界も狭く暗くなっていた。

 このまま焼け死ぬか、そうでなければ失血死するのかもしれない。先ほどよりもいくらか薄れた背中の痛みを思い出して、鵠佑はおぼろげにそんな想像をしていた。

 最後に会話を交わしたのは、イギリスの少女だった。カルデア全体に、或いは個々に配給された礼装に設置された術式の力で、言語の壁は気にする必要がないのだと教えてくれた。名家のお嬢様だと言外に自慢していたのを、その発言を確かに覚えている。

 その前に話したのは、ドイツの青年だ。魔術師でない鵠佑を、素人だからと笑っていた。日本人の魔術師という人もいた、中国人も、ロシア人も、どこの国かわからない人も。ハーフの子も、何人か見かけたように思う。

 マシュ・キリエライトと名乗ったあの子は、どこの国の人なのだろう。ふと思い出した顔に、疑問がひとつ湧き上がる。小さなリスのような何かを連れた、可愛らしい人だった。

 

「………………、あ」

 

 不意、唐突、突然に。ぼやけ始めた視界の片隅に、あの生き物が入り込む。薄れ始めていた意識が呼び戻されるのを感じ、一歩、鵠佑は足を踏み出した。

 たった今、この脳裏に浮かんだ光景が、走馬灯というものだったのか。痛みに眉を寄せ、顔をしかめながらも、鵠佑は断片めいた光景に必死にしがみついた。そうやって頭を動かしていないと、そのまま思考も肉体も、ここで停止してしまいそうな恐怖があった。

 

「フォウ、フォーウ! フォウ、フォ、フー!」

 

 まるで呼びかけるようなその鳴き声は、道しるべを失った鵠佑を再び歩み出させるのに十分な力を持っていた。自分ひとりではない、生きているものがいる。それだけで、活力が湧いてくるのを感じる。

 小動物だと言うのに、フォウは炎や煙を恐れるそぶりも見せず、時折背後を振り返り立ち止まっては、おぼつかない足取りの鵠佑を管制室の中央へと誘っていく。そこに横たわる人影を見つけて、鵠佑は少し前に覚えたばかりの名を口にした。

 

「マシュ!」

 

 悲惨な光景だった。

 

 有るべきはずのものはなく、中身がこぼれ落ちている。無意識のうちに、その詳細を理解するのを拒むほどの有様だった。

 必死に名を呼びながら傍へ座り込むと、鵠佑はマシュの身体に積もっている瓦礫の破片を除けようと手を伸ばし、そこで自分自身も血まみれである事に気付く。管制室の状況を鑑みれば、当然と言えば当然だ、生きているだけでも奇跡に違いない。

 

「も、……助かりません、から。……せんぱいは、はやく、逃げないと……」

 

 細く弱々しい声で言いながら、マシュは長い睫毛を伏せた。緩く息を吐き出すと、小さく咳を漏らす。もう助からない、そう告げる彼女の言葉が事実だと理解するに余りある様相だった。

 

「だめだよ、そんなの出来ないよ! きっと、きっと助かるから……!」

 

 こんな時に、何を言えばいいのかわからない。彼女が助かるはずがないのは、火を見るよりも明らか。助けるどころか、元気付けてあげられる言葉も、安心させてあげられる言葉も出て来ない。

 焦燥感ばかりが膨れ上がり、行き場をなくした感情が涙になって頬を伝う。それを止める事もできないまま、大丈夫だから、と繰り返すしかなかった。

 そんな鵠佑を見上げて、小さく、注視しても見落とすほどに小さく、マシュは笑った。涙に濡れた頬を撫でようと、緩慢な動きで、それでも精一杯に右手を伸ばした。

 

「……先輩、優しい人、ですね。……そんなに、泣かないで、くだ、さい」

 

 この人は、誰かの為に、心から涙を流せる人だ。そういう人と最期に出会えた事と、それを喜ぶ自分自身の心を感じて、マシュはただただ嬉しいと素直に思っていた。

 隔壁が閉まる、機械の駆動音がふたりの後方から聞こえる。響き渡るアナウンスは、カルデアスの異変を伝え、絶望的な言葉を読み上げていた。

 

「カルデアスが、赤い……」

 

 鵠佑が見上げた先には、真紅に染まった球体が鎮座していた。それが何を意味するのかは理解できなくとも、先ほど受けた所長の解説と、何より先のアナウンスでおおよその推察はできる。

 

「レイシフト 定員に 達していません。該当マスターを検索中──」

 

 合成音声はもう既に、次の事柄の連絡へと移っていた。ここに至って、鵠佑は何が行われているのかを考えるのをやめた。もっと気にすべき事が、目の前にある。

 

「…………隔壁、が」

 

「大丈夫だから、気にしないで。ずっと、一緒にいるから」

 

 発した声は穏やかで、鵠佑自身が驚くほどに落ち着き払ったものだった。ひび割れた眼鏡の向こう側で、マシュが驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと瞼を閉じていく。

 弱々しいながらも、彼女が笑顔を浮かべていたように感じ、自然と鵠佑の表情も柔らかくほころんだ。気付かぬうちに、流れる涙は止まっていた。

 

「…………あの………………せん、ぱい」

 

 かぼそい、掠れてしまったマシュの声。命の火が、もう尽きようとしている。それがわかるから、鵠佑もまた、彼女の言葉に耳を澄ませた。

 

「手を、握ってもらって、いいですか?」

 

 交わすような言葉はなく、無言のまま。冷たくなり始めた手で、鵠佑は真っ白な少女の手を握った。決して放してしまわぬように、出来る限りに強く。その感触に安堵したのか、マシュの指先から力が抜けていくのを感じた。

 アナウンスの合成音声が、なにかの秒読みを開始する。その言葉を理解する知識も、意識を保ち続ける力も、もう鵠佑には残っていなかった。

 

「………………、なって、みたかったなあ」

 

 緩やかに肺の中身を吐き出して、鵠佑は長いため息に言葉を添える。幼い頃の夢を、今更になって思い出した。困ったような笑みは、誰にも見られていないままのはずだ。

 

「全行程 完了。ファーストオーダー 実証を 開始 します」

 

 冷たいアナウンスを聞きながら、鵠佑の意識はぷっつりと、闇に落ちるような錯覚と共に断ち切られた。

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