※この作品はR-18です。

Fate/Grand Order SCB   作:しゃくなげ

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第15話

 人理継続保障機関フィニス・カルデア、医務室。第二特異点──永続狂気帝国セプテム、定礎復元より二日後。

 

 カルデアの医務室は、いつだって静かなものだった。魔術的なリソースの節約をせねばならない余程の事態でもない限り、治療魔術を用いた方が確実であるのだから長居は無用となる。それよりも、限られた人員でやりくりせねばならない問題の方が重視されるのは当然の事だ。

 結果として、消毒薬の匂いに包まれたその部屋は、無人である事の方が多い。故に、寝台が使用されている今の状況は、特例に等しいものだった。身体の各所を包帯で巻かれ、重症の様相で寝かされて、鵠佑は居心地が悪そうに視線を右往左往させる。

 

「ドクター、こんなにしなくても、大丈夫だと思うんですよ」

 

「だめだめ、君、どうせまた訓練するって言い出すつもりだろう? ボクにはわかってるんだぞ、鵠佑くん。ひとつ仕事をやり終えたなら、きっちり休むのが大人の姿さ」

 

 自分は休んでいないくせにと、そんな鵠佑の呟きは黙殺された。ゴム手袋を外してゴミ箱へと放りながら、ロマニは椅子の背もたれに胸を預けるようにして、鵠佑へと視線を向けてから笑顔を見せた。

 第二特異点の修復が成されて、四十八時間が経過した。レフ・ライノールが変生した魔神柱は、竜の魔女たるジャンヌ・ダルクの手によって討ち倒され、カルデアはここに来て初めての勝利を手にしたと言えた。

 冷えた炭酸飲料をグラスに注ぎ、上体を起こした鵠佑へと手渡すロマニ。不思議そうな顔でそれを受け取った少年へ、ロマニは手にしたグラスを打ち付けてやる。かちんと、澄んだ硬質な音が一度だけ響いた。

 

「まずは、お祝いさ。君の勝利と、それから生還に。……今まで、こういう事をできなかったしね。本当に、君はよくやってくれてるよ。カルデアを代表して、なんて言うと仰々しいけれど……ありがとう、鵠佑くん」

 

「あ、……いえ、そんな。むしろ、皆さんが助けてくれるからですよ」

 

 その言葉を遮って、ロマニはいいのさと笑った。ひと口、ふた口。グラスの中身を飲み込んで、炭酸の刺激に少しだけ眉を寄せながら、多少演技がかった仕草で一気に残りを飲み干した。くすと失笑した後に、鵠佑もそれに倣う。一気飲みは、少年の方がずっと巧かった。

 胸を張っていいんだと、囁くような、穏やかなロマニの声。面と向かって褒められるのに慣れていないのか、鵠佑は言葉少なに俯いて、頬を上気させる。それからひと拍の間をおいて、はいと静かに頷いた。視線はもう逃げようとせずに、ロマニの瞳を真っ直ぐに見つめていた。

 会話が始まるのは、程なくして。どちらかと言えば、鵠佑が話してロマニが聞くのがいつものふたりの在り方だ。カウンセリングの意味もある以上、少年の言葉を数多く拾い上げるのだから自然な成り行きではある。ただ、今日はそういうものではなく、ロマニ自身が話したいという風だった。

 いつもと同じように取り留めなく、いつもと話者だけが変わっているやり取り。鵠佑がロマニの事を知ったのは、この時が初めてだったようにも思う。医学生時代の話を聞くと、鵠佑は目を丸くして、苦労人ですねと感心してばかりだった。

 そんなロマニの個人的な話を聞くにつれて、漠然としたままではあるものの、鵠佑にも目の前の人が抱いている思いがどんなものか掴め始めた。それに従って、グラスの底を見やる回数が、少しずつ増えていく。若干の気恥ずかしさにも似た、落ち着かなさがあった。

 

「意外と共通点があると思わないかい、ボクたち。周りの事ならたくさん話せるのに、自分の事になると、話せる事が少ない。……ボクもまあ、色々と事情があってね。親しい人も、家族もいなくてさ。君と違って、友人もほとんど」

 

 そう言って、ロマニは肩を竦めるおどけた仕草を見せる。考え込むふりをしながら、カルデアの中に少しだけだよと付け加えた。鵠佑も天井を仰いで、ううんと小さな声を漏らす。長めの睫毛を伏せると、少し置いてから眉尻を下げた。

 

「友人って、ちゃんと考えると難しいですよね。例えば、学校のクラスメイトは友達だけど、ぼくがこの、カルデアにいる事を知ってる人は誰もいない。夏休みのアルバイトに出た事を知ってる人も、いないんじゃないかな」

 

 それは、ロマニがカルデアに持つ友人とは、きっと付き合いの深さが違うと鵠佑は思う。彼の友人と同等の存在がいるかと考えて、誰の顔も思い付かなかった。それが少しだけ寂しくも感じて、困ったような笑みに変わる。

 亘鵠佑には、生涯の友と呼べる人はいない。人付き合いを厭う性質ではないし、友人のために何かをする事を厭う性質でもない。ただ、友と考えた時に思い描く誰も彼もが、今このカルデアに残された人たちほどに濃密な付き合いをしてきたと言い切る事ができなかった。

 

「だから、カルデアの外に友達がいないって部分も、きっと似てますよ。……似たもの同士かあ、なるほどなあ。うん、変な共通点だけど、嬉しいです」

 

「いやいや、そこは喜ぶところじゃないってば! 君って時々こう、ズレてるというか……天然とか言われた事、あるんじゃないか?」

 

 ロマニの指摘に、僅かな沈黙。思い当たる節があるのかと察するも、鵠佑はそんな事はないと言い切った。にまにまと悪い笑みを浮かべてその話題を掘り下げようと目論むロマニに、飲み物の追加を要求して回避を試みる。暫しのじゃれ合いは、年齢の差を忘れるような、子供めいた光景だったろう。

 椅子から身を起こすと、空のグラスを受け取って、ロマニは追加のソーダを注ぐ。泡が弾けるささやかな音と、レモンの匂い。半ばまでを満たす頃合いで、鵠佑の名前を呼んだ。今はまだ、テーブルの方を向いたまま。背中に聞こえた返事に、言葉を選ぶ。

 

「彼(・)女(・)について、何かわかった事はあったかい」

 

 その問いが、何に対してのものなのかは言わずとも知れた。竜の魔女、エクストラクラス、アヴェンジャー。存在し得ないはずの、召喚し得ないはずの、オルレアンに消えたもうひとりのジャンヌ・ダルク。

 オルタナティブと命名された存在を、カルデアの誰もが持て余していた。会話に応じる様子は見せず、自ら何かを語る事もない。ただ、召喚に応じたサーヴァントとして、鵠佑と共に戦う事は拒まない。事実、魔神柱を討ち倒すためには、彼女の宝具による大火力が必要不可欠だった。

 ロマニがこの話題を口にするまでに時間をおいたのには、理由があった。ひとつは、鵠佑とジャンヌの関係性が良好とは呼べない事だ。どの英霊にも分け隔てなく接すると目されていた少年は、オルレアンの記憶が故か、黒い聖女を拒んでいるように見受けられた。

 ジャンヌもまた同様に、己がマスターと接しようとする様子はない。両者の間に存在する溝は、異様なほどに大きく、深い。現に鵠佑は、ロマニの本題がそれであると知った途端に、視線を落としてしまうほどだった。

 

「……何も、わかりません。何を話したら良いかも、わかりませんし……だめなんです、どうしても。あの人の顔も、あの人の宝具も、見ているだけで……胸が、苦しくなって」

 

 もうひとつの慎重にならざるを得なかった理由は、セプテムでジャンヌを召喚してから再び開いたらしい、鵠佑の心の傷だ。オルレアンで最後に見た、火に焚べられて燃え上がる彼女の姿を克服するなど、十七歳の少年にはそう簡単にできるものではない。

 グラスを渡そうと、ロマニはようやく振り返る。胸を押さえる手が震えているのを見落とすほど、節穴でもない。だからと言って、ここで切り上げるわけにもいかない。大人の勝手な都合だと胸中で唾棄しながら、それでもロマニは鵠佑を見つめる。

 

「……辛いとは、わかっている。けれど、彼女の力は、きっとこの人理修復において鍵になる。悪い言葉だけれど、君には、あのジャンヌを扱いこなして欲しいと言うのが、カルデアを代表しての言葉になる」

 

 空の手が、拳を握る。やるせない思いをぶつけようとするように、掌に爪が食い込むほどに。切なげに眉を寄せながら、ロマニは吐き出すように言った上で、寝台から自分を見上げる少年に頭を下げた。

 

「できる事なら、ボクがどうにかしてあげたい。いいや、本当なら、ボクがどうにかしてあげるべきだというのにね。……情けない大人で、本当にすまない」

 

 サーヴァントとマスターの関係は、周囲の人間が介入できるほど容易なものではない。だからこそ、歯痒かった。ロマニにできる事は、言葉をかけるだけだ。君ならできる、どうにかやってくれないか。そうやって、無責任に少年を焚き付けて、トラウマの具現めいた存在と向き合わせる。そんな自分に嫌気が差すのは、これが初めてではない。

 不意に、頭を上げてくださいと、困ったように鵠佑が言う。ロマニの視界に、眉を下げた少年が、それでも笑いかけていた。

 

 

 

 氏名:亘鵠佑

 国籍:日本

 年齢:十七歳

 性別:男性

 

 セプテムにて召喚したアヴェンジャーについて、本レポートではこれ以降、ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕と定義する。

 また、同サーヴァントの略称として、本レポートではこれ以降、ジャンヌ・オルタと定義する。

 

 ジャンヌ・オルタとの関係について。

 現時点では、関係は劣悪と言わざるを得ない。オルレアンにおいての敵対関係が原因というよりは、魔神柱とジャンヌ・ダルクの戦いを思い出す事こそが原因だと考えられる。

 こうした書き方は好ましくないが、ジャンヌ・ダルクに対しての彼の個人的な好意、有り体に言えば恋愛感情があった事が大きなトラウマとなっているのは、レポート番号十六で記した通りである。ジャンヌ・オルタに対する態度は、あの戦いで何もできなかった自分への罪悪感が形となったものだろうか?

 先日の医務室での会話以降、私の言葉を守ってくれているのか、彼は自らジャンヌ・オルタと会話をしようと試みている。ただ、ジャンヌ・オルタがそれに応える事はないため、現状で関係の改善は難しいと思われる。

 

 どうにかして、私もジャンヌ・オルタと接触を試みようと思う。本レポートを電子データとして保存した後に、彼女と会話をする予定である。

 

 

 

 人理継続保障機関フィニス・カルデア、トレーニング施設近接の空き部屋。午前九時、五十八分。

 

 ロマニが机の上に広げたレポートを読み返すのは、これで実に六度目だった。腕時計へ視線を落として、現在時刻を確認する。約束の時間まで、残り二分を切った。柄でもなく緊張をしていると自覚できるほどに、心臓の鼓動は喧しい。

 それもそうかと呟いて、ロマニは椅子の背もたれへと身を預ける。元々無人の空き部屋は、彼の他には誰もいない。ロマニが使用している家具の類も、居住用のユニットであればどの部屋にも備え付けられたものに過ぎない。部屋の主が戻る事も、誰かが訪れる事もない。正真正銘、ただのひとり。

 そんな状況で、マスターも伴わずにサーヴァントと接触を試みるのだから、心中穏やかでないのは当然と言える。我が事ながら馬鹿な事を考えたものだと、机に突っ伏したまま、ロマニは呻くように言葉を漏らした。

 不意に、ノックの音が二度。椅子から飛び上がるほどに驚いたものの、ロマニは落ち着き払った声で入室を促した。

 

「どうぞ、開いているよ」

 

 滑らかな作動音と共に、ドアがスライドする。具足が床に擦れる重たい足音を立てながら、ジャンヌは緩やかに、そしてひとつの言葉も発せずにその姿を現した。霊体化すらしない彼女に面食らったものの、ロマニは片手で向かいの椅子を示してやる。

 黄金色の冷たい瞳が椅子を一瞥しただけで、ジャンヌは言葉で応える事も、身動きすらも見せなかった。威圧感こそないものの、そこに見えるのは明らかな拒絶の意思だ。弱ったように眉尻を落として、ロマニがため息を漏らした。

 

「……ええと、座ってくれても、座らなくても、どちらでも。こちらの用件としては昨日伝えた通りで、少し、君と話をしたいんだけれど……構わないかな?」

 

 予想通りの展開ではあった。結局ジャンヌはセプテムでの召喚以降、カルデアの誰とも接触をしないままでいる。サーヴァントたちが好むシミュレータでの訓練はおろか、食事や会話といったおよそ人間らしい活動を拒んでいるようですらあった。

 居心地の悪さを誤魔化そうとロマニが明るい声で名を呼んだところで、返答はない。ただ、踵を返して部屋を出ない点だけが気になった。完全に拒絶するならば、そもそも呼び出しに応じる必要はないはずだ。少なからず、こちらの接触を受け入れるだけの何かはある。それが、この短い時間で導き出したロマニの答えだった。

 怯んではならない。自分自身に言い聞かせ、ロマニは真っ直ぐにジャンヌを見据える。鵠佑だって、こうして彼女と相対しているのだ。そう思えば、怖いからと逃げ出す気にはならなかった。震えそうになる拳を、深呼吸で抑え込む。埋まらない距離は、自分で埋めて行くしかないのだ。

 

「鵠佑くんは、無茶なトレーニングを自分自身に課している。今までも無理はしがちだったけれど、最近のは特にね。まるで、自分の中にある色々なものを擦り潰して、他人のために走る燃料に変えているようだ。……ボクは、その。君に、その理由があるのではないかと考えた。いや、君が悪いと言うつもりはないけれどね」

 

 考えながら選んだ言葉も、ジャンヌの反応を引き出すには至らない。だが一方で、激昂させる事も、背を向けられる事もなかった。そこに僅かばかりの安堵を覚えつつ、ロマニはゆっくりと言葉を探していく。彼女を御すための実力を、そういうものを求めているのではないか。金の瞳を見つめながら、静かに問を投げかける。

 ジャンヌは何を答える事もなく、ただ、笑った。笑顔ではない。獣が牙を剥くような、敵対的な、攻撃的な。あるいは、嘲笑の類だったのかもしれない。鼻を鳴らす小さな音は、甲冑の擦れ合うそれを除いて、唯一彼女が発した音だ。その真意を掴みかねて、ロマニはまた口を噤む。

 実際の所、ロマニの中でも、自身の仮説に自信が持てないままだった。本当にこのジャンヌを御すためであれば、彼の性格ならば、もっと多くの人に助言を求めているはずだという思いがある。自分の力を高めるだけに必死になるような子ではない。それがわかっているから、納得がいかない。

 

「彼が、君の力に振り回されているような様子は、管制室で確認している限りでは見当たらない。君が、鵠佑くんには御し切れないような力を奮っている形跡もない。……さっきの反応は、ボクの言葉が間違いだと、そう指摘しているんだね?」

 

 ジャンヌは、決して答えない。そう理解した上で、ロマニは問いかける。注意深く、表情の微細な変化さえ見落とさないように。そして同時に、思案する。この違和感の正体を見つけるために。そんなロマニを嘲笑うように、時間だけが、いつもの通りに過ぎていった。それに気付かされたのは、机の上のタイマーが電子音を奏でて喚き始めたからだ。

 時計の針は、十時十分を指し示している。ジャンヌは無言で背を向けて、無慈悲に一歩を踏み出した。十分だけで良いから。昨夜のひと言を、何処までも忠実に守るように。そんな彼女の姿に、存外真面目なのだなと、呑気な感想を抱いてしまっていた。

 待ってくれと呼びかけて、止める。ジャンヌは、確かにこちらの要求を受け入れてくれた。そこに更なる要求を重ねるのは良くないと、駆け引きではない、良心の部分が告げていた。緩やかにひとつ、息を吐く。それから、ロマニは一度だけ、彼女の名を呼んだ。

 

「君の協力に感謝するよ、今日は、どうもありがとう……ジャンヌ」

 

 具足の音が、止まる。振り返ったジャンヌの瞳は、底冷えするような冷たさと、射殺すような鋭さを宿していた。

 

 

 

 ぐったりと項垂れたロマニの耳に、再び届くノックの音。入室を促しながら時計を確認すると、時計の長身は文字盤を半周した所だった。扉がスライドする作動音を伴って、大きく深呼吸を繰り返すロマニと相対したのは風魔小太郎だった。

 やあと片手を上げて声をかけるロマニと、それに一礼をしてから返答する小太郎。こうしてふたりで話すのは初めてだねとロマニが笑みを向けると、小太郎はこくりと頷きながら、対面の椅子へおずおずと着席した。その反応だけで、針の筵に放り込まれたような心地から解放されたように感じる。思わず目頭を押さえるロマニに、小太郎は慌てて無事を問うた。

 

「いやすまない、うん、なんでもないよ大丈夫。さっきまで、心をズタズタに引き裂かれていただけなんだ。……ちょっと愚痴を漏らしてもいい? いや時間を取らせておいて申し訳ないんだけれど、誰かに聞いて欲しくてさあ!」

 

 かくして始まるやり取りは、ロマニの質問ではなく、ジャンヌとの会話がどれだけ恐ろしかったのか、生きた心地がしなかったという暴露である。小太郎は時に相槌を打ちながらうんうんと根気強く話を聞いて、時に涙を拭う手拭いを差し出してやる。人の優しさは良いものだと、そんな言葉が締め括りであった。

 その一方で、辛い時間から立ち直ってしまえば、ロマニの仕事は的確だった。サーヴァントの目から見た、マスターに対する忌憚ない意見を。そう請われてしまえば、小太郎もまた真顔になって言葉を紡ぐ。別段、彼に限った話ではなく、その後に続いた牛若丸も胤舜も、誰もが口を揃えて答えてくれた。

 亘鵠佑には、マスターとしての実力はない。ただ、それでも人として信頼に足る優しさと、直向きに前に進もうとする強い意志の持ち主である。もっと率直に言うのなら良い子だと、胤舜は笑って付け加えた。

 小太郎は言う。この主は、忍を扱うには優し過ぎる。道具として使い潰し、不要になれば切り捨てる。そういう冷酷さがないから、きっと強い主にはなれぬだろうと。そして、だからこそ、そういう人だからこそ。風魔一族の頭領として、彼のような主を助けたいと笑っていた。

 牛若丸は朗らかに笑う。かの主は、人を殺すには優し過ぎる。首級を欲せず人死を悼み、そこに敵味方の区別なし。そうした戦さ人としての貪欲さに欠けるから、まず強い主にはなれぬだろうと。けれど、だからこそ、そういう人だからこそ。共に戦い彼を助けて、そんな優しい主に褒められるのは、とても良い心地だと語っていた。

 宝蔵院胤舜は、他のふたりとは異なって、返答までに暫しの黙考を要した。確かに良い子ではあるが、心配な面がちらほらあると。それはきっと、僧侶たる彼だけが行き着く心配だったのであろう。ロマニもまた、胤舜の言葉を気にかけて、更に深く問おうとする。そうさなあと、緩い調子で胤舜はまた、言葉を選ぶように眉を寄せた。

 

「あの子はな、少しばかり……うむ、言ってしまえば釣り合いが取れておらぬのだ。お主らも、理解はしているだろう? 誰かのためにという思いが、少しばかり強過ぎるのやも知れぬなあ」

 

 嗚呼、やはり。内心で漏らしながら、それは自分も感じていた事だと、ロマニは胤舜の言を首肯する。だからと言って、周りが言っても聞かないだろうとも。俯くロマニが見やるのは、己がレポートの記述内容。胤舜のそれと良く似た、少年への懸念点。思い当たる原因があまりに多くて、どれと断定する事もできなかった。

 それだけを見れば、美徳に見えようと胤舜は言う。されど、己を投げ捨てる利他心は、修行と悟りの果ての果て、最後に行き着く真理であるとも。あのような少年が、生来に持ち得るものではないのだと、形の良い頤(おとがい)をなぞりながら呟いた。

 

「旅を重ねて多くの見聞を広め、数多の人に会うてその言に触れ、齢にして七十や八十を超えて。特定の誰かひとりではない、人類そのものを愛するようになったからこその利他心であろう。だが、あの子は……我がマスターは、そうした心に行き着く、その過程が未だない。ないはずだのに、なあ」

 

 その行動を見ていれば、何故か彼の行動原理は利他心である。それが酷く歪に見えて、それがあまりに異質に見えて、心配になると胤舜は結んだ。ロマニもまた、その言葉に同意を示す。

 ジャンヌを除いて、サーヴァントと鵠佑の関係は良好だ。だが、それが知れた一方で、彼の抱える精神的な問題も浮き彫りになった。確かに喜びもしたが、それ以上に不安の方がずっと根深い。

 せめて、この戦いが終わった頃には。世界が元に戻った頃には、彼には笑顔で日常に戻って欲しい。変哲のない少年を、こんな事に付き合わせてしまっているからこそ、ロマニの願いは強くなる。しかし、その願いに反しての現実は、この、これだ。

 人理焼却という異変が、人理修復のこの旅路が、彼をそう変えてしまってのか。それとも、胤舜でさえ尋常でないと見る精神性が、生来のものなのか。そのどちらであったとしても、救いと言える何かがあって欲しい。

 祈る神も持たなかったが、ロマニは祈った。この物語の終わりには、世界に平和が訪れる頃には、彼に優しい結末が訪れるようにと。

 

 

 

 会話ログ番号、五十五。第三特異点──封鎖終局四海オケアノス。

 

「……なるほど、筋は通っている。確かにかのヘラクレスであろうと、触れてしまえばどうしようもない。うん、僕は乗った。全額、君の健脚に賭けるとしよう」

 

「しかし……乗った私が言うのもなんだが、汝の役割、人の身には厳しいものではないか? ヘラクレスから女神を抱えて逃げ回るなど、常人の考えではあるまいよ。その豪胆さは、悪くはないがな」

 

「小太郎くんが援護してくれますし、ぼくは大丈夫です。それに、ひとりでも多くのサーヴァントを残しておきたいんです。……一番大変なのは、ヘラクレスと真正面からぶつかるマシュですから」

 

「わたしは平気です、問題ありません。マスターの立てた作戦を、必ず成功させてみせます。……ところで、ドクター。先ほどから沈黙を守っていますが、聞いていますか?」

 

「もちろん、話は聞いていたよ。危険な作戦だが、今は時間もない。ボクも賛成だ」

 

 

 

 氏名:亘鵠佑

 国籍:日本

 年齢:十七歳

 性別:男性

 

 オケアノスでの戦いにおいて、彼の提案した作戦は、果たして正常だったのか。一度綻びを見出してしまうと、何もかもが異質に見える。サーヴァントへの強い信頼が故だと言えば、道理ではある。あのヘラクレスを打倒するには、彼も生命を賭す必要があった。それは、疑いようがない事実だろう。

 けれど、そうであって欲しくはない。そんなに簡単に、自身の生命を賭け金として欲しくない。そう思ってしまう私がいるのも、また、変えようのない事実だ。

 どうしてなのかと考えてみれば、どうしようもないほどに、醜い自分の顔が垣間見える。きっと私が彼を追い込んだのだと、心の奥底で自責の念に駆られている。本当に必要なのは、それではない。誰が悪いかなど明白なのだ、追求しなくてもわかっている。

 自分が、彼に何をしてあげられるのか。考えるべきはそれなのだ。

 

 

 

 会話ログ番号、六十三。第四特異点──死界魔霧都市ロンドン。

 

「……今夜のお礼は、言っておきたいんだ。……君がいなかったら、間違いなく、ぼくはあ(・)の(・)子(・)に殺されていたと思ってる。そうだね、だから……君に助けられたよ、ありがとう」

 

「………………そうね。子供を殺すのは嫌だって、顔に書いていましたから」

 

「……そうだね、苦手だ。そうしなければならなくても、判断が鈍る。……遅れる、の方が正しいかな」

 

「興味がありません、どちらでも良いわ。召喚され、契約した以上は、戦う事が私の役目ですから」

 

「………………君は、」

 

「明日も早いのですし、寝なさい。魔霧は未だ晴れないのだから、交戦中に不調そうにされても目障りです」

 

 

 

 氏名:亘鵠佑

 国籍:日本

 年齢:十七歳

 性別:男性

 

 ロンドンでの戦いにおいて、ジャンヌ・オルタと彼が、初めて会話を交わしていた。内容としては至極短い、ひと言ふた言の質問と返答だ。作戦の可否を問い、それに応じる。関係として見れば未だに良好とは言えないが、歩み寄っているのは事実と言えよう。

 その一方で、いつかのジャンヌ・オルタとの会話を思い出す。過剰なトレーニングも変わらずに、その原因も不明のままだった。だが、今回のふたりのやり取りを確認すると、ひとつの仮説に行き当たる。彼こそが、ジャンヌ・オルタとの戦いを拒んでいるのではないだろうか?

 無論、確証はない。ただ、このふたりの間に感じる壁は、どちらかと言えば彼が作っているようにも見えるのだ。他者を拒むような人物には見えない彼が、何故、ジャンヌ・オルタに対してはそうするのか。こうして考えた所で、答えは出ない。それこそ、当人に聞いてみるしかないだろう。

 

 

 

 人理継続保障機関フィニス・カルデア、英霊召喚室。第五特異点──北欧神話大戦イ・プルーリバス・ウナム、定礎復元より四日後。

 

 カルデアの魔力リソースに多少の余裕が生まれるようになったのは、ここ最近の事だ。セプテムにおけるジャンヌの召喚を除いて、鵠佑の召喚が成功する確率はやはり低いままだった。

 カルデアにとって幸いだったのは、旅の中で鵠佑の戦闘経験が蓄積され、各地で召喚された英霊たちと力を合わせれば現状の戦力でもどうにか戦闘を継続できる目処が立った事だろう。それは同時に、鵠佑が感じている重圧が、幾分か和らいだ事も意味している。

 レオナルドの生成する呼符にしても、かなりの量のリソースを必要とした。無闇に作成するわけにもいかず、特異点で発見した──魔獣の肝や、ゴーレムの核のような──魔術触媒となり得るものを、少しずつ収集してはその作成に充てている。端的に言ってしまえば、自転車操業に等しい有り様が現実だった。

 多量の物資を投入して博打をするよりも、例えば傷を治療するためのスクロールや、緊急時の魔力補給に使う薬液の生成へと、決して多くない物資は回される事となる。英霊が召喚できなくても辛いだけだが、鵠佑が死ねば人理は終わる。ならば、彼を生き存えさせるための、手堅い方向へ舵を切るのは当然の考えであった。

 そんな中で、戦闘が巧みになったという事は、素直に喜ばしい事であった。大きな怪我を負わなければスクロールも節約できるし、魔力配分を意識できれば補充液も節約できる。最初こそ、持ち込んだ装備を使い尽くした上に傷だらけで帰還していた少年は、少しずつではあるものの、マスターとして戦う術を身に付けつつあった。それを喜ばしいと感じて良いものか、ロマニは最後まで結論を出す事はできなかったが。

 

「それじゃあ、やってみよう。久しぶりだけれど、緊張してるかい?」

 

 レオナルドの問いかけに、鵠佑はいつも通り、笑顔で頷いてみせた。オーケーと鼻歌まじりに呟くと、背後のロマニへ振り返ってレオナルドが親指を見せる。鵠佑もまた、ゆっくりとした深呼吸の後、掌中の呼符を掲げた。

 周囲のオペレータが、召喚シーケンスの進行を読み上げる声。それにかき消されないように、力強く声を張り、少年が呪文を紡ぐ。諸々を切り詰めて、三つの特異点で集めた資材でようやく作り出せた、たったの一枚。無駄にはしませんからと笑っていたその顔を、ロマニはひとり思い出す。

 部屋に満ちるオゾン臭が、濃さを増したように感じる。ちりちりとうなじを這い回る、静電気にも似た感覚。久しぶりに感じた、召喚室での、この空気。気を抜くとぶれそうになる意識を集中させて、鵠佑は力を込めて呼符を強く握り締めた。掌に感じる金属質のそれが、ほのかに熱を帯びていた。

 

 来る。

 

 理由はわからなくても、鵠佑の中に確信はあった。眩い閃光に視界を焼かれながら、何も見えない真白の闇の中で、最後の一節を詠み上げる。オペレータの誰かが叫んだ声が、水中で聞こえる音のように、揺れて濁って耳に届いた。

 肌を、身体を突き抜けるような、不思議な感覚に襲われる。鵠佑の視界が元に戻る頃には、召喚サークルの中心に、女がひとり佇んでいた。艶やかな笑みは、誰に向けられたものなのか。すうと息を吸い込んで、彼女は高らかに名乗りをあげる。

 

「ご用とあらば即参上! 貴方の頼れる巫女狐、キャスター降臨っ! です!」

 

 高すぎるテンションに、召喚室の面々が誰しも言葉を失う中で、彼女──玉藻の前は、くるりと一度、その場でやたらと優雅に回転してみせた。

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