第18話
特異点の発生を意味するアラートが、早朝からけたたましく鳴り響いた。キャメロットの特異点を修正してから、まだ三日。予測されていた第七特異点の特定よりもずっと早い召集に、嫌な予感を覚えながら廊下を駆ける。
管制室に到着すると、険しい表情のドクターがカルデアスの表示を見つめていた。マシュの姿を探したけれど、到着が遅れているらしい。最下位にならなかった事にほっとしたのは……あの娘には、黙っておこうと思った。
「ドクター、おはよう。特異点、思ったよりも早く見つかったね」
「ああ、うん……いや、今回のは、普段の特異点とは違うみたいなんだ。座標は北米、ただし以前の第五特異点とは異なる反応だ」
モニターに表示される世界地図が、滑らかに拡大されていく。算出された日付は──二〇一五年、七月三十日。いったい何の偶然なのか、人理焼却の前日だった。
ドクターが、黙ってこちらに視線を向ける。言いたい事は理解できたから、頷きを返した。背後の扉が開いたのは、ちょうどその時だ。
「すみません、遅くなりました! マシュ・キリエライト、二分遅刻での到着です!」
「おはよう、マシュ。それじゃ、早速ブリーフィングだ。ふたりとも、まずはこれを確認して欲しい」
ドクターから手渡されたタブレットには、今回の作戦要項が記されている。中身を頭に叩き込む作業も、もう、すっかり慣れてしまった。マシュもそれは同様で、時折、要点についての確認をする程度。最初のレイシフトに比べたら、お互いに驚くほどに進歩したと自分でも感じた。
「見ての通り、今回は時代が異質だ。この現代に、それも人理焼却の前日に、特異点が発生するような事態は考えられない。こちらも同時作業で可能な限りの調査はするけれど、現地での情報は可能な限りフィードバックして欲しい」
頷き、返事をして、礼装の最終確認。わからない事が多くても、やらなければならない。だから尻込みする事もなくなった、ように思う。
「準備が整い次第、レイシフトを開始する。メンバーの選出は、いつも通りで良いのかな」
こういう時のドクターは、心強い。いつものふにゃっとした表情が何処かに隠れて、仕事中の男の横顔が見える。お願いしますと返事をしながら、コフィンの中へと身を委ねた。
滑らかな作動音を伴って、外界との境界線が敷かれていく。オペレーターに読み上げられていく工程が、シールドで遮られて聞こえなくなった。瞼を閉じて、ゆっくりと深呼吸。大丈夫、問題ない、今日も絶好調。そうやって、自分自身に言い聞かせた。
「これよりカルデアは、北米に発生した未知の特異点へのレイシフトを敢行する。現状では特異点の情報は何もかもが不明だ。慣れて来た頃かもしれないけれど、各員、気を引き締めて事に当たって欲しい」
コフィンの中に、ドクターからの通信が届く。管制室の中央を、最後に顔を見ようとしたけれど、機械に阻まれてだめだった。だからその分、精一杯に力を込めて、わかりましたと返事をしておく。そんなに大声だったのか、ダ・ヴィンチちゃんの含み笑いが聞こえた。
「サーヴァント、転送用の霊基圧縮を開始。セイバー、ディルムッド・オディナ。アーチャー、ロビンフッド。ランサー、アルトリア・ペンドラゴン。オールグリーン、霊子変換開始します!」
読み上げられる名前は、誰もが皆、伝説や御伽噺の名だたる英雄ばかり。声は届かなかったとしても、よろしくと、そのひと言を胸の中で呟いた。どんな特異点であったとしても、皆の力を合わせれば、乗り越えられない事なんかない。
隣のコフィンへ視線を向けると、マシュと目があった。少しだけ、照れたような笑いが漏れてしまう。それを誤魔化すようにして、片手を小さく振ってみる。反応は、唇の動きから察するに……だめですよ、かな。
「シールダー、マシュ・キリエライト。マスター、藤丸立香。共にオールグリーン、作業進捗に問題なし。ロマニ・アーキマン司令代理、行けます!」
さあ、行こう。魔術王の企みを、全部全部、やっつけよう。
目も眩むような閃光に耐えるため、瞼を閉じる。それと同時に、眠りに落ちるみたいに、意識がぷつんと闇の中へ沈んでいった。
結論から言えば、藤丸立香のレイシフトは成功した。だが、その他のメンバーはどうかと問えば、否と答えざるを得ない。立香が目を開けた時、そこにマシュ・キリエライトの姿はなく、英霊たちの姿もない。
「立香、ご無事ですか。……どうやら、他の者はレイシフトに失敗したように見受けられます。私が周囲を警戒しますので、貴方はカルデアへの連絡を」
ただひとり、黒い甲冑に身を包んだ槍兵──アルトリア・ペンドラゴンを除いて。
彼女の存在があるだけで、立香の緊張は随分と和らいだ。それだけ、共に人理修復の旅を乗り越えて来たアルトリアへの信頼があるからだ。
「ありがとう、アルトリア。……ドクター、聞こえますか。ダ・ヴィンチちゃん、聞こえますか」
思い付く限りにオペレーターの名を呼んでも、返事はない。ノイズすら聞こえずに、通信機器は何もかもが、死んだように静まり返っている。だめそうだと首を振る仕草に、アルトリアの双眸が細まった。
ここに来て、不安こそあれども、立香の足は止まらない。立ち止まるばかりでは何も好転しないと、それを知っているように。周囲の光景に意識を裂く余裕ができた事で、立香はようやく、ここが夜更の街の中らしいと認識した。立ち並ぶビルは電気が消えて、やはり何処も、死んだように静まり返っている。遠くに見える大橋が、何処となく、冬木の地を思わせた。
そうして、最後に頭上を見上げた事で、この特異点が見知らぬ街だという認識が改められた。
「……嘘。天井がある」
頭上に星々はない。ビルを内包し得る、更に高い天井と、壁と。この街が、何かの建造物の中に建てられたものだと理解するまで、幾ばくかの時間を要した。それほどまでに、目の前の光景は現実味が薄過ぎた。
「実験都市のようなものでしょうか。冷戦の時代には、核兵器の威力を調査するため、似たような施設があったと……カルデアのデータベースで見た記憶があります」
一方のアルトリアは、淡々と冷静に、考え得る可能性を提示する。興味がないのではなく、マスターの混乱を治めるための、とりあえずの結論だ。正誤の確認よりも行動をすべきだと、おぼろげな直感が告げていた。
それよりと、アルトリアは言葉を続ける。馬上から見下ろすその表情は、怪訝そうに歪められていた。立香は一度頷いて、無言のままに続きを促す。周囲をもう一度見回してから、アルトリアの視線は、何処か彼方へと向けられた。
「
その言葉の異常性は、他ならぬ立香が知っている。ひとつの特異点に、八つの聖杯。元からあったものなのか、魔術王によって持ち込まれたものなのか。そのどちらであったとしても、この特異点は異質に過ぎる。
「こんな、現代の、何処かで……八個の聖杯だなんて。……ああ、もう。カルデアに連絡できたら、すぐにでも報告するのに!」
口惜しげに漏らすも、そこで立香は気持ちを切り替える。くよくよしていても仕方がないと、アルトリアの黄金の瞳を見上げた。涼やかな笑みが、騎士王の口元にほのりと浮かぶ。
行きましょうと、アルトリアは言った。己が主の意志を汲み、前進あるのみとラムレイの脇腹を蹴ってやる。主を置き去りにせぬように、それでいて、敵の視線を引くように。
この身はマシュのように、護りに特化した霊基ではない。セイバーのクラスとして召喚された時のように、小回りの効く霊基ではない。故に、アルトリアは先陣を行く。己を餌に喰らい付かせて、敵を殲滅すれば良い。マスターが無傷のままに敵を蹴散らせば、それで全く良いのだ。
異変は、即座に訪れる。うなじが焼けるような、ひりつく感覚。戦場の空気が、目の前の其処にある。主の敵を見出したアルトリアの表情が、氷のような、能面のような冷たさを帯びた。
ガラスの割れる、儚げな音。アルトリアが右手のビルへとラムレイの鼻先を向けるのと同時、二階の窓が砕けて吹き飛び、煌く粒子のように地面へと降り注ぐ。馬上槍の鋒を突き付け、ひと呼吸。砲弾のように飛び掛かる影へと、渾身の力を用いた一撃を突き出した。
「マスター、お退きを! 此奴、サーヴァントです!」
自然とアルトリアは、主を名ではなく役割で呼んでいた。主がその意図を察してくれるかはわからなくとも、自分自身でその理由を理解していなくとも、そうすべきだと霊基そのものが訴えているようだった。
放った突きを寸前で避け、敵が吼えた。甲冑に叩き付けられたものは、
「こいつ、オルレアンの……!」
追い付いた立香の声は、驚愕と緊張に染まっている。睨め付けるような冷たい視線は、アルトリアから立香へと。口の端を持ち上げる、牙を剥くような歪な笑顔。相手が何をするかを見抜いたアルトリアが、身を挺して立香を庇おうと、馬上から飛び降りた。
「喰らえっ!」
舌打ちを、一度。あれの炎は、霊基を焦がす。焼かれながらの反撃は、一撃で霊核を砕かねばならない。瞬時に思考を終わらせて、その瞬間を迎えるように心を決める。アルトリアの耳に聞き慣れない少年の叫び声が響いたのは、その時だった。