亘鵠佑には、肉親がいない。
物心がついた頃には、しゃくなげという児童養護施設で、平凡に、慎ましやかに暮らしていた。肉親こそいないが、幸いにも健やかに真っ直ぐに、優しく穏やかな少年として鵠佑は成長をしていった。
魔術などと言うものとまるで無縁だった彼がカルデアを訪れたのも、しゃくなげの資金難をどうにかしようと、子供なりに考えた末の行動だった。
そもそも、このカルデアで何が行われるのかさえ知らなかった。新薬を試して大金が貰える、治験のアルバイトにも似たようなもの。素直に言えば、その程度の認識でしかなかった。
偶然にも、レイシフトの適性があっただけ。ただ、それだけに過ぎなかった。一般人からの数合わせとして、補欠要員として、何かを成す事もなく役割を終える。本来であれば、それが鵠佑のような人間の物語であり、与えられた
予定と違ったのは、現実だ。運命というものがあるのなら、彼には目に見えない何かが課せられたに違いない。
業火と呪いが渦巻く彼の地で、燃え盛る街の中で、誰に知られる事もなく。
「焦らないで、ゆっくりよ。意識がない今だからこそ、先に処置してしまう必要があります」
地面に倒れ伏した鵠佑の背に右手を添えながら、オルガマリー・アニムスフィアは傍のマシュへと指示を出し、精神集中をするように長い睫毛を伏せて、ゆっくりと酸素を吸い込んだ。
背面、脊柱からわずかに逸れた肉を裂き、突き刺さっている鉄片。その先端を握り、マシュは伺うようにオルガマリーを見つめた。向けられた視線に気付いたのか、オルガマリーは一瞥をくれると、血が乾き始めた傷口へと指先を触れさせる。
「医療の初歩よ、そのくらいはわかるわね。乱暴に引き抜いたら、傷が大きく開いてしまう。痛みは伴うけれど、意識がないから好都合と考えて……少しずつ、わたしの治癒に合わせなさい」
あごを引くようにして頷くマシュの頬を、珠のような汗がひと筋、流れ落ちた。オルガマリーの合図に従い、鵠佑の身体に突き刺さった異物を引く手に力を込める。
燃え盛る炎に包まれたこの街で、示し合わせたように三人が合流できたのは、全くの偶然だった。
偶発的なレイシフトにこそ成功したものの、鵠佑は未だ意識が戻らず、動かす事もままならない。背部に負った傷と、多量の失血のせいだ。素人目に見ても、このままでは長くはもたない事が容易に想像できた。
生身の人間を求めて集まる骸骨を打ち倒し、彼をひとりで守っていたのがマシュだった。人では実現し得ない戦闘力と、その身を包む鎧を一瞥して──マシュがデミ・サーヴァントへと変貌を遂げた──状況を察し、鵠佑の応急処置に踏み切ったのは、オルガマリーだ。
如何な経緯があったとしても、サーヴァントにマスターが要るという事実は覆しようがない。
数合わせの一般人であったとしても、マスターはマスター。マシュの活動を継続するためには、この男を死なせるわけにはいかない。判断を下すまでは、露ほども時間は要らなかった。
紡ぐ言の葉は、密やかな声で、どこか歌うようにさえ感じられるもの。
臓物に至るほどの傷を受けながら、生者として辛うじて踏み止まった肉体を、修復する。血管を癒着させ、筋肉の断裂を紡ぎ直し、砕けた骨を繋ぎ直す。肉体の治癒も物体の修復も、オルガマリーほどの魔術師にとっては大差のない事だった。
引き抜いた血まみれの鉄片を、マシュが放り投げる。からからと甲高い音を立てて、かつてはコフィンの表層だったものの残骸は、煤に汚れたアスファルトの上を転がっていった。
「これで、命は取り止めたわね。契約者が生きている以上は、あなたがサーヴァントとして活動するのに問題はないはずよ」
ひとまずの応急処置を終えて、意識が戻らない鵠佑と、彼に付き添うマシュを交互に見やりながら、オルガマリーは震える拳を握り締めた。
たったひとりのマスターを助けたところで、デミ・サーヴァントがいると言えども、眼前の地獄のような光景は微塵も変わらない。カルデアは、どうなっているのか。こんな時に、レフ・ライノールは何処に行ってしまったのか。
爪を噛みそうになるのを堪え、オルガマリーはゆっくりと深呼吸を繰り返す。偉大なアニムスフィアの当主として、カルデアの所長として、醜態を晒すわけにはいかない。ましてや一般人などが付け入る隙を見せては、ならない。
若干の間をおいて、マスターの意識が戻った事をマシュが弾んだ声で報告する。それがきっかけとなって、とめどなく溢れ出る思考と感情をオルガマリーは爆発の寸前で辛うじて押し留めた。
やるべき事は、まだ山積みなのだ。霊脈を見つけてのベースキャンプの作成、カルデアとの通信、並びに状況の把握。そして何よりこの特異点の調査。
唯一の手駒が魔術師ですらないという点では不安を覚えたが、オルガマリーの表情はもう既に、少女のものから所長のそれへと戻っていた。
「無事に意識も覚醒したようね、良いでしょう。人理継続保障機関フィニス・カルデア所長として、オルガマリー・アニムスフィアが命じます。亘鵠佑、ここからはわたしの指示に従いなさい」
魔術の知識をまるで持たない以上、鵠佑はベースキャンプの作成を傍で見守るしかなかった。目の前で交わされるやり取りの半分も理解できないまま、時折マシュの問いかけに頷くのが関の山だ。
手持ち無沙汰の時間を使って自分たちの身に起こった事を考えてはみたものの、すぐにそれを現実のものと受け入れるのは、平凡な世界に生きていた鵠佑には難しい問題だった。それでも、周囲の光景が、これは現実なのだと言葉なく語っている。
マシュが冬木と呼ぶこの街は、鵠佑の良く知る日本の何処かだと言うのに、燃え尽き死に絶えてしまった地獄のような光景だった。漂う風にさえ死臭が満ちて、清浄な空気など消え失せてしまったかのように、酷く重たい。
悪いものに中てられたのか、軽い目眩を覚えた鵠佑は自らの膝に手を当てて体重を支える。ロマニとの通信を終えたオルガマリーがその様を見て、額に手を当てながら盛大なため息を漏らす。
「補給物資の中に造血剤があります、今すぐ使用しておきなさい。ロマニのバイタルチェックも聞いていなかったでしょう、貴方。自分の置かれた状況を正しく把握するのは、マスター以前に人間として当然の行為よ」
失血死しなかった事だけは、不幸中の幸い。目覚めてから何度も聞かされた言葉をまたしても投げかけられて、今までと同様に、鵠佑は眉尻を落としながら頷いた。
「すみません……まだ少し、気分が優れなくて」
「ああ、もういいわ。そういう事を言う暇があるなら、まずは行動しなさい。低級な怪物と言えど、対応する知識も抵抗する力もない人間を殺すなんて容易いのよ」
呆れ混じりで叱責しながらも、オルガマリーは補給物資から取り出した無針注射を手に、視線の動きで袖を捲るように促した。鵠佑も察したように、上腕部を晒す。薬液を射出する鋭い音は、消音器をつけた拳銃にも似ていた。
「それは一般的な造血剤とは違って、君が失った血液を合成する魔術的な治療薬だ。どれだけ出血していても、死にさえしなければ直ぐに動けるようになるだろう。こちらで血液量の増加も確認できた、すぐに効いてくるはずだよ」
ホログラムのロマニが割り込んだと思えば、オルガマリーに睨み付けられて両掌を見せる降参のジェスチャーで消えていく。短時間であれば通信もできるようになったと言っていたのを、鵠佑はその時になって思い出した。
解説通りの効能は、十分にあるのだろう。貧血に似た具合の悪さが一気に解消されるのを感じて、鵠佑は額の汗を拭う。力が入りきらなかった手足の末端まで、しっかりと動かせるのを実感した。
「あの、ええと……助かりました。ありがとうございます、所長。もう、動けそうです」
そうと短く返すと、オルガマリーは鵠佑に背を向けて歩み出す。鵠佑が慌ててついて行くと、自分たちの向かう先から、周囲の状況を探っていたマシュが戻って来る所だった。
突風めいた素早さと、鉄塊めいた重さ。踏み込みは鋭く、打ち込みは強く。重厚な大盾を振るう姿は、竜巻を思わせる荒々しさに溢れている。
スケルトンとの戦いで目の当たりにした、サーヴァントという存在の凄まじさ。そのどれもが、鵠佑の認識するマシュ・キリエライトとは似ても似つかないものだった。
敵性生物を発見しては、マシュに戦いを任せ、鵠佑とオルガマリーは後方で待機する。時折指示を出す真似事こそすれど、鵠佑の一番の役割はいつの間にかついてきたフォウを抱いて、怪我の原因から遠ざける事だった。
「戦闘終了です、所長、先輩。おふたりとも、お怪我はありませんか?」
肩越しに振り返りつつ大盾を担ぎ直して、マシュは同伴者の無事を問うた。オルガマリーも鵠佑も変わらぬタイミングで頷き、あるいは言葉で返答する。砕かれ散ったスケルトンの残骸は、塵となって夜の闇に溶けていった。
「問題ないわ、見ている限りではあなたの方も上々ね。最初はどうなる事かと思ったけれど、これなら特異点の調査も直ぐに終わらせられるかしら」
三人が調査を始めた冬木の地は、やはり人の姿が見えない、既に死に絶えた地だった。街並みは燃え盛り、建物は崩れ落ちて、照らし出される陰影が不気味さを増している。
それは信者に救いを授ける教会でも、やはり変わりがなかった。傾いた支柱が漆喰の壁を突き破り、崩落した瓦礫が枯れた芝生を踏み躙って、目も当てられぬほど痛々しい崩壊の様相がそこにあった。憩いの象徴であろう屋根上の十字架が、虚しさばかりを漂わせていた。
散策をしても人間と出会う事はなく、遭遇するのはオルガマリー曰く低級な怪物であるスケルトンばかり。敵性を見せる在り方からして、仮に火災の生存者がいたとしても、彼らがこの怪物に襲われる事は疑いようがなかった。
オルガマリーは、かつてこの地で行われた聖杯戦争が特異点の原因だろうと判じて、冬木の調査を当面の目的と定めた。連戦をしても余裕のあるマシュを見て、その指針が上方修正されるまでに、さほど時間は要さなかったが。
「置いてけぼりって顔ね、鵠佑。別にそれで良いのよ、貴方は最初から数合わせ、三流の人員なのだから。戦闘はマシュに、調査はわたしに任せて、この子の魔力リソースとして付いてくれば良いの」
「なるほど、乾電池みたいなもの、ですね。すみません、おふたりに任せっ放しで……ぼくにも手伝えそうな事があったら、いつでも言ってくださいね」
その返答に言葉を詰まらせた後、調子が狂うとオルガマリーは独りごちる。不思議そうな顔をする鵠佑に半目を向け、彼女は疲れたように言い放った。
「察しが悪いわね、貴方。嫌味を言われた事くらい、すぐに理解しなさいよ」
「所長、マスターはわたしとの契約で多くの負担がかかっていると、ドクターも仰っていましたので……」
ストレートに言われて、鵠佑は眉尻を落とし、困ったように笑った。対照的に片眉を吊り上げ、苛立ちを表情に乗せるのはオルガマリーだ。空気が悪くなるのを止めようと、マシュがふたりの間に入り込む。
鼻を鳴らして踵を返し、オルガマリーはふたりへと背を向ける。一方のマシュは鵠佑に申し訳なさそうな顔を向けながら、内緒話をするように声を潜めて耳打ちをした。
「すみません、先輩……オルガマリー所長も、悪意があるわけではないんです。戦場などの非日常におけるストレスが原因で、警戒心が増しているだけかと思われます」
わたしも勉強しただけなのでそれしか言えませんが、と付け加えつつ、マシュは両者へ交互に視線を送る。緩衝材になろうとしつつも、どう取り持ったら良いのかまではわかっていない様子だった。
「ああ、うん、それはなんとなくわかるよ。ああいう子、見た事があるんだ。もう少し一緒にいたら、友達にもなれると思う。いや、でも、所長がぼくを受け入れてくれるかなぁ……」
フォウを抱いたままで、鵠佑は率直な感想を口にする。余裕がない人というのがオルガマリーに対する鵠佑の印象であり、しゃくなげでもその手の子供は見かけてきた。
時間をかければ仲良くなれると思うのは鵠佑自身の人生観だったが、魔術師というものを知らない以上、最終的に言葉尻はやや控えめなものに修正される事となった。それでも、マシュにとっては胸を撫で下ろすに十分な答えだったようだ。
「それは、安心しました。所長が行動指針を決定し、先輩が交戦時の指示を出す。現状の作戦行動は極めて順調なので、わたしとしても今のまま特異点の調査を終えたいと思っています」
ふたりの会話をモニタリングしていたという通信越しのロマニもまた、オルガマリーを悪人ではあると称したが、彼女なりの事情があるという点も伝えてくれる。
境遇の一端を知れた程度ながら、元々悪感情が薄かった事も相まって、鵠佑は変わらずオルガマリーとの関係好転を期待していると、改めて口にする。チームの空中分解というマシュの心配は杞憂となっていった。
「あはは、順調ならいいんだけれどさ。指示なんて言っても、後ろが危ない、とかそのくらいだからなあ。マシュがほとんど自分で判断してくれるから、ぼくなんて離れて見てるばかりだよ」
支給された礼装が動体視力を強化しているお陰で、素人の目でもサーヴァントの動きを捉えるのが叶うものの、それだけだと鵠佑は首を振る。抱き締める力を緩められ、フォウは拘束が解けたようにその腕を駆け上った。
「それで良いのよ、一人称視点で見えないものを補い、声をかけるだけで十二分。基本的に、サーヴァントだって人間という殻からは抜け出せないの、必ず死角は存在するわ。それからマシュ、怪我してるわよ。治療してあげるから、来なさい」
機嫌を持ち直したらしいオルガマリーが再び会話に加わりながら、マシュの怪我に右手を添えた。歌声のような詠唱と共に流血は収まり、傷口が逆再生のように閉じていく。
鵠佑の肩で毛づくろいをしていたフォウが、何かを伝えようと大声で鳴き始めたのはその時だった。
「フォウ、フー! フォウ、フォーウ!」
「──マスター、逃げてッ!」
頭上でかすかに聞こえた鎖の音に、マシュが大盾を構えて天を仰ぐ。反応の遅れたオルガマリーを抱いて、力任せに地面を蹴って鵠佑が飛び退る。直後、コンクリートを粉砕して、鉄杭めいた短剣がそこに突き刺さっていた。
冷たい金属音を立てて、蛇のように鎖がうねる。人間が有する能力では知覚すら叶わないであろう一撃を躱し、女性を抱えながら、瞬きひとつの合間に距離を取る。自分の身体とは思えない動きに面食らう鵠佑の表情を見て、オルガマリーは不敵に笑った。
「わたしのカルデアを舐めないで、一般人。サーヴァントという強力無比な兵器を運用できる以上、作戦行動に支障が出る最大の要因は未熟な兵隊なの。だからこそ、貴方のような凡夫が足枷にならないよう、礼装が身体能力を補助しているの。もしかして貴方、単なる制服だなんて思っていたのかしら?」
高笑いでもしかねない勢いで、オルガマリーが一気にまくし立てる。そんな彼女の姿が、鵠佑にはさながら新しいおもちゃを自慢する子供のように見えて、不思議と穏やかな気持ちになっていた。
それも、地を穿つ短剣を楔として降り立った影を見るまでは、だったが。
「いや、そんなドヤ顔してる場合じゃないよマリー! どういう事だ、サーヴァント反応があるだなんて聞いてないぞ!」
ロマニの慌てふためく声と、ジリジリと後退して敵サーヴァントとの間合いを図るマシュ。抱えていたオルガマリーを地面に下ろすと、鵠佑は息をひとつ吐き、影へと向き直った。
吹き抜ける風は相変わらず生ぬるく、肌にまとわりつくような粘りを感じさせる嫌なものだと、マシュは自分でも驚くほど素直に不快感を覚えていた。
眼前に降り立った女性の影は、輪郭がぼんやりと浮かび上がる程度のおぼろげな姿で、ともすればゴーストの類と見分けがつかない。早鐘のように警笛を鳴らす心臓を、深い深呼吸で鎮める。
聖杯戦争の行われた土地、主を持たないサーヴァント。ロマニの推理は聞こえていても、そこに意識を割く余裕はマシュにはなかった。
鎖の冷たく擦れ合う音が、マシュの耳に届く。影が視界から消えたのは、その、まさにひと呼吸も置かぬ一瞬の出来事だった。
「──ッ、上……!」
辛うじて追えた軌跡に従って、大盾を頭上に掲げた。ほぼ同時に、激突音と衝撃がマシュを襲う。今まで受け止めてきたどの攻撃よりも重たく、強い。ブーツの踵がアスファルトを砕き、破砕音と共にソールが地面にめり込んだ。
盾上へと着地したサーヴァントは、敵の得物を砕けぬと悟るが早いか、足場を蹴り抜き宙へと舞った。鎖の音が、今一度。奥歯を噛み締め、マシュは逃げる影を追う。否、追おうとした。
「違うマシュ、もう後ろから来てる!」
不意に届いたマスターの声に目を見開き、背後を大盾で薙ぐ。強い衝撃を感じたものの、鎖に繋がれた短剣は夜の闇に火花を散らし主人の手元へと引き戻された。
たたらを踏みながら、マシュは肺の中身を吐き出して、大地へ降り立つ影を見つめた。サーヴァントは言葉を発する事もなく、地を這う蛇のように低い姿勢で、牙に見立てるかの如く短剣を構え直していた。
サーヴァント戦はまだ早い。ロマニの言葉を思い出し、それを意志の力で打ち消す。逃げ出せるような状況じゃない、ここで逃げればふたりが死ぬ。言わずとも理解し得る事実が、マシュの意識から逃亡の二文字を消し去った。
「うわあああぁぁぁッ!」
大声で叫ぶのは、恐怖に飲まれないようにするためだった。物言わぬ敵対者は、静かに、音もなく襲いかかる。長い髪が舞い上がり、空気が裂ける音がマシュの耳に届いた。
最初の、一歩。コンクリートを踏み砕き、推進力を生み出すための楔となる軸足。次いだ、二歩。地を蹴り抜いた少女の肉体を、滑空砲めいた加速力で突き動かす送り足。
構えた盾を突き出すように、体重を乗せての、力任せの体当たり。弾き飛ばせると信じた渾身の一撃は、大木にぶち当たったような手応えに息を呑む結果へと変わり、マシュの眉が驚愕に歪んだ。
「ッ……! まだ、それならこれでっ!」
呼気を一度、鋭く。打撃部位を狭め、薙ぎ払うように縁を。衝撃自体は伝わっている、吹き飛ばされまいと踏み止まって、反撃が遅いのがその証拠。
判断に要した時間は、秒にも満たない。形の良い頤を目掛けての一撃は、これまでマシュが聞いた事のあるどれよりも暴力的な音を伴うものだった。
サーヴァント同士の攻防が、いかなるものか。実際に目の当たりにするまで想像もできなかったが、直視してもやはり幻想めいた光景に中てられて、鵠佑の意識は何処かへと流されていた。
魔術礼装によって動体視力が強化されている事で、ようやく視認するに至る超高速の攻防。コンクリートが砕け飛び、爆炎めいた火花が舞い散る様は、幼い頃に見たテレビのヒーロー番組を思わせる。
あれはあくまで作り物の闘争だったし、戦っていたのはとても強い人だった。けれど、目の前で戦っているのは、見知った小柄な女の子だ。
ごく僅かな回想から現実に呼び戻された鵠佑は、背後でマシュを見守るオルガマリーへと振り返った。自分にも何か、できる事があるはずだ。その意思を感じ取ったのか、彼女もまた鋭い眼差しを鵠佑へと返す。
「目を逸らさないで、状況を把握して。パスの通ったサーヴァントへの指示は、どんなに拙い言語中枢の持ち主であっても魔術礼装が最適化するわ。だから、俯瞰でしっかりと戦局を見定めるの。マスターの戦いは、そこからよ」
力強く、そして従順に返事をする鵠佑の声を聞いて、オルガマリーの口角が密やかに持ち上がる。
カルデアの礼装が、どれだけ優れているものか。無知な一般人が相手では誉れにはならないが、それでも自分が生み出した装備の価値を見せつけるのは、オルガマリーにとっては心地が良いことだった。
「打撃は通っていても、決定打に欠けるわね。マシュの兵装、そしてサーヴァントとしてのクラス……どちらも、守りに特化している。このままだと、いたずらにこちらの体力を消耗することになるわ」
語れる内容は教科書通りの陳腐なものだと、オルガマリーは内心で自嘲した。それでも、何も考えずにいるよりはずっと良いと思案を巡らせた。あるいは、巡らせるしかなかった、というべきかもしれない。
この冬木から、生きてカルデアに戻るため。人類が最も頼るべき武器が、知恵なのだ。自分自身に言い聞かせ、生きる意志を奮い立たせる。
「結論から言うと、わたしたちも戦闘に参加します。マシュに注意を向けさせて、死角から不意打ちするのよ。魔術での攻撃が通じるなら、楽なのだけれど……」
何をすれば、良いか。激突音は鳴り止まず、それも少しずつ強さを増していく。防戦に徹し始めたマシュの様相に焦燥を募らせるオルガマリーへ、鵠佑が頭上を指差して問うた。
「あれを落下させるのは、どうですか? こう、魔術で土台の部分を壊して、とか」
崩れかけた教会の屋根上、聖堂教会の掲げる大十字。銀製の聖印を目視すると、自然と笑いが漏れた。この、誰の目もない特異点だからこそ可能な提案への失笑だった。
「そうね……悪くないわよ、その発想。目測だけれど、あの銀十字なら質量ざっと三百キログラムは下らないでしょう。身構えているならまだしも、頭上から直撃させてやれば、いけるかもしれない」
不敵な笑みを崩さぬまま、オルガマリーはカルデアとの通信回線を開く。彼女の提案する作戦を聞かされた、ノイズ混じりのロマニの顔が驚愕に染まるまで、さほど時間はかからなかった。