カーマの追撃を躱し、あるいは弾き返しての反撃を試み、そこでどうしても一歩が遅れる。ままならない状況に、アルトリアは忌々しげな表情を隠せず歯噛みしていた。
カーマとアルトリアの力量差というよりも、その戦い方が、マスターとの関係性が、そのまま戦局に影響を及ぼしている。
己のマスターをカーマの攻撃から護り、そして相手のマスターを殺傷してはならないアルトリア。対して、積極的に立香を狙い、必要とあらば己がマスターの傍に退いて相手の攻撃そのものを不発へ追い込むカーマ。この状態で有利に立ち回れる理由が、アルトリアにあるはずもない。
「卑怯だなんて、言いませんよねぇ? 私たち、聖杯戦争の敵同士ですもの。相手のマスターを狙うなんて、基本のキってものですから」
嘲笑うように嘯くカーマを、立香もアルトリアも睨み付けるしかできない。彼女の言葉は、忌々しいが道理なのだ。制限をかけて戦っているのは、自分たち。相手と同じに立ち回れば、互角と言わずともここまで苦戦する事はなかったはずだ。
ふたりの視線を感じ取ったのか、カーマのマスターの唇が、ほんの小さく揺れた。己がサーヴァントに何かを言おうとする、動き。それを察したかのように、カーマは主の背後に隠れ、両手で優しくその肩を抱く。
「もう直ぐですよー、マスターさん。このふたりは、私がちゃーんと倒してあげます。八つも聖杯があったなら、
茶化すような、軽い調子。甘えたような、ねっとりとした声色。耳朶に唇を寄せて、優しく一度、啄む仕草。それでいて、意味深に囁く声は底冷えするほどに冷たく、悍ましさを滲ませていた。まるで、穢れた本性を見せ付けて、ふたりを煽るかのように。
激情に駆られそうになった立香を制したのは、アルトリアだ。挑発に乗ってはいけないと、自らを盾にする事で、その背中で主に示す。にたにたと笑うカーマではなく、視線を泳がせる少女へと、立香は怒りではなく問いをぶつけた。
「君は、それで良いの? そんな風に、サーヴァントに盾にされて……そんなヤツを、信じられるの?」
彼女たちの間には、立香の知らない絆があるのかもしれない。それでも、道具のように扱われるマスターを見ていると胸が痛んだ。長い旅路の中でサーヴァントとの信頼を育んで、それを何より大切にしてきた立香にとって、この光景はあまりに異質なものだったのだ。
カーマは、笑う。立香のその問いを、踏み躙って掻き消すように。少女の瞳は忙しなく揺れて、指先が震えているのが見て取れた。怯えている、押し潰されそうになっている、そういう人の反応に見えて立香は切なげに表情を歪める。
「わたしは、……わたしは、もう、誰も守ってくれないから! わたしは、自分でなんとかしないといけないの! カーマだけが、こんなわたしを許してくれる! カーマだけが、こんなわたしを愛してくれるのよ!」
だが、それでも。あのマスターにとって、カーマという存在は絶対だった。絆や信頼とは違う、もっと異様な何か。その正体は掴めずとも、話が通じない事だけは理解できてしまった。立香の内心を悟ったように、女神は笑う。蠱惑的で攻撃的なその笑みに、蛇のようだと、そんな思いが浮かんでは消える。
「マスター、合図をしたらラムレイに飛び乗って欲しい。このままでは、こちらが消耗するばかりだ」
潜めた声でのやり取りは、至極短い刹那。少女がカーマの言葉を信じるように、立香はアルトリアの言葉に絶大な信頼を置いていた。こくりと一度、首肯。注視してもわからないほどに小さく、アルトリアが笑ったように見えた。
天を衝くように掲げる槍を、ぎちりと握り締める手指。巻き起こる突風が、土煙を舞いあげて無数の礫を散弾のように周囲に散らす。慌てて顔を覆う、カーマのマスター。そして、そんな主の黒髪を撫で梳きながら、良いんですかとカーマが笑う。
「そんな事したら、私のマスターさんが大怪我しちゃうかもしれないのに。ランサーさん、本当に大丈夫なんですかぁ?」
嘲笑へのアルトリアの返答は、ラムレイの嘶き。礼装によって強化された脚力で地面を蹴ると、立香はアルトリアの腰に腕を回しながら叫ぶ。良いよと告げるその声は、己が従者への合図か、それともカーマの問いへの立香なりの返答なのか。
「勘違いしないで貰おうか、カーマ。貴女のマスターは傷付けない、私は、我がマスターの道を切り拓く!」
巻き起こる風は螺旋となりて、馬上槍を覆い隠すほどの竜巻と化す。限定的な魔力放出による、立香の他には誰の知る事もない、彼女の有するもうひとつの宝具。纏いし風の塊を解き放ち、薙ぎ払いながらアルトリアが叫ぶ。彼女の背にしがみ付く立香だけが、その名を『
「──っ!」
カーマがヴァジュラを投擲するも、遅い。アルトリアは眼前の敵ではなく、行手を阻む家屋へ向けてその一撃を解き放ち、同時にラムレイが力強く地を蹴った。風のように軽やかな走り出しは、疾風のように鋭さを増し、突風のように猛々しくなっていく。
カーマにとって最大の盾が己のマスターであるのなら、カーマにとって最大の足枷もまた、己のマスターである。痩せ細った身体は、触れれば折れてしまいそうな印象に違いなく、力強く駆ける術を失っていた。ましてや、ラムレイの走りに追い付くなど不可能と言って相違ない。
自分ひとりならば追い付けるが、そうなっては絶対的な有利を楽しむ事ができない。その嗜虐心が、決定的な差になった。瞬きひとつの間に離れていくアルトリアの姿に忌々しげな表情を見せて、カーマは少女の身体を姫抱きに持ちあげた。
「飛ばしますよ、マスターさん。逃げられるのは癪ですから、落ちないでくださいね?」
カーマが、駆ける。夜の闇を引き裂いて、逃げた獲物を追いかけて。解き放たれた矢のように、破壊の跡を一直線に。
その様相を、立香は見ていた。息を潜めて気配を殺し、ただ物陰に佇んだまま。アルトリアも同様に、己が主の傍で、駆け抜けるカーマを見据えていた。姿が見えなくなってから、ようやく思い出したように、立香が肺の中身を吐き出して項垂れる。緊張したと、そんな呟きが風に流れて消えて行った。
そして、そこにはもうひとり。カルデアの制服に身を包んだ男の姿があった。がっしりとした体格に、伸び放題の色褪せた白髪。あごや口元を覆うように整えられた豊かな髭も含めて、立香や他のマスターとは、明らかに毛色の違う
「音無しに、見えない体。隠形の初歩的な魔術だが、使えるようになると便利なものだな」
ふむと小さく呟きながら、男は一歩を踏み出して、アルトリアから距離を取る。警戒や敵対のそれではなく、向かい合って話をするための位置取りをするように。がつ、がつ、と間を置いて聞こえる異質な足音に立香が目をやると、男は笑って下衣の裾を捲りあげ、右の義足を見せ付けた。
「事故に遭ってね、間に合わせだからあまり上手く走れない。さて……まずは、感謝するよ。私のような得体の知れない男を信じてくれて」
静かで、穏やかな声だった。前髪で左目を隠した様相は、マシュのそれを思わせる。見つめられる右目は、老いた鹿のような落ち着きを宿すもの。少なくとも、聖杯を巡って他者と争い合うような人間には見えないというのが、立香の抱いた最初の印象だ。
男の礼に、アルトリアも立香も、声を揃えて感謝の言葉を返す。思わず重なった返答に、男は小さく笑って頷いた。仲が良いのだねと、そんなひと言を添えて。
カーマからの追撃を、どう振り切るか。思案に走るアルトリアの直感は、この男との邂逅を手繰り寄せた。互いの素性は知らずとも、男は何を言うでもなく、姿を隠す魔術を用いてふたりの事を匿った。鮮やかな手付きと同時に、神霊の目を欺き通したその手腕が、彼の魔術師としての力量を物語っていた。
「ふむ……この状況、軽率に名を名乗るべきではなさそうだから、私は敢えてこう言おう。見ての通りカルデアの……この特異点では、バーサーカーのマスターだ」
語られるその言葉は、半ば、立香が男と出会った時点から想像していたものだった。
少女がそれを見付けたのは、夜の闇に覆われた公園の深部、人も通らぬような片隅にある暗がりだった。
男が、ひとり。英霊が、ひとり。ふたりの間には明かりも会話もなく、黙々と、咀嚼の音が響くだけ。夜見の視覚強化を施したからこそ見付け出せた、獣の塒を思わせる様相だ。
ざくざくと音を立てて男が噛み砕いているものは、軍用の携帯食だった。カルデアで支給されていた、高カロリー高タンパク、それこそ冬山で使用するような類の栄養素の塊だ。それを男は黙々と、封を破いて噛み砕き、嚥下しては次の袋を開けてまた口へと運んでいる。
その姿は、知っていた。男の素性は知らなくとも、黒を基調としたその礼装は、見覚えがある。傍に伴う英霊にも、遠くから覗いていた少女の記憶に一致する顔が確かにあった。
「やあ、こんばんは。ごめんね、今、食事中だから」
男は意外にも敵意を見せず、従者の差し出した麦粥を掬い、次々と喰らって咀嚼する。腹を満たした肉食獣が、ひと時、穏やかになるようなそれだろう。
深呼吸を、一度。念話を用いて、いつでも剣を取れるようにと己が従者に囁きを落とす。こくりと頷く騎士王を見遣ってから、こんばんはと、澄んだ声で言葉を紡いだ。
「ビルから飛び降りてましたよね、さっき。ライダーの宝具に、飛び乗るため?」
「ああ、見ていたのは君だったんだね。うん、失敗したけれどさ。やっぱり、サーヴァントと生身で戦うのって難しいや。オルテナウスなしでの
ついぞ、十数分ばかり前の話を、少女はゆっくりとした口調で問いかける。男はやはり穏やかに、世間話のような、あるいは己の失敗談を語るような軽さで返事をする。キャスターが着地をサポートしたけれど、空を飛べないと難しい。そんな、子供のような結論を添えて。
幾つかの推測は、恐らく正解している。生身で戦いを挑んではいるが、この男は未だ、サーヴァントを相手取るには至っていない。とは言え、殺されずに生きているだけでも、驚異的な話ではある。その立役者は、彼の連れているサーヴァントの尽力が故なのだろう。そこまでは、予想の通りだった。ここから先は、少女にとっても手探りだったが。
「それで今は、彼女の……キルケーの魔力が回復するのを待っている? エンチャントか何かで強化しないと、素手でサーヴァントを倒すなんて試みないですよね」
うん、正解だよ。何事もないかのように肯定しながら、男はバックパックの中を覗き込む。取り出したゆで卵の殻を剥き、消しゴムのような硬さのそれを噛み潰す。美味しくなさそうだと、その様と相対した少女はなんとなしに思った。
取引でもするのかと、セイバーは主に問う。それは無駄だと返すのに、時間は要らなかった。この男は、人というよりも獣に近い。そうしたモノは、尋常の取引など意に介さない。だから、裏切られる事も覚悟をしてと、声に出さない会話は続く。
食事の、合間。男はただ、少女と、彼女が連れた英霊を見つめていた。暗闇の中で爛々と、猫科の動物のように瞳孔を拡大させて。今すぐに飛びかからないのは、やはり、サーヴァントの魔力が問題なのだろう。
「今すぐ戦いを始めても、彼女の魔力が枯渇していては、貴方の望み通りにはならないと思う」
「……ふむん。まあ、一理ある」
今は、お互い別れた方が実りがある。提案を聞く様子をみせた男に、どうかと小首を傾げて尋ねた。慎重に間合いを測るように、近付き過ぎず、遠退き過ぎずに。
どういう思考を持つ相手なのか、それを確かめておきたい。危険な相手だとセイバーは難色を示したが、少女の意思は変わらなかった。いざという時は護ってと事もなさげに言われては、さしもの騎士王も頷く他に道はない。故に、この場で一番神経を張り詰めているのは、他ならぬ彼であっただろう。
「でも……せっかくだから、話くらいはしてみたいの。どうして貴方は、サーヴァントと自ら戦うのか。彼女が信頼できない、という訳ではないんでしょう?」
問いかけながら、今度はキルケーへと視線を送る。少女を見やる魔女の双眸は、友好的なものではなかった。即座に立ち上がるでもなく、だからと言って呪文の詠唱もない。この距離でセイバーを相手取るのは賢くない、ただそれだけが原因だろう。
問答は、少女と男の間だけで往復する。己への質問を重ねる少女に、男は指に付いた粉を舐め取りながら、不思議な事を聞くねと漏らした。
「そりゃあ、僕ひとりでもサーヴァントを殺害できるようにならないと、やっていけないからさ。終局特異点でマシュが死んでから、自分の身は自分で守っているからね。……君は、何年の何日から来た?」
問われる言葉に、少女は困惑した表情を見せた。やや置いて、最後に見たカレンダーの日付を思い出す。
「二〇十七年の、十一月十日です」
「ああ、それならゲーティアも?」
ええと頷きながら、拭い去れない違和感に思考が鈍る。それと同時に、おぼろげながら見え隠れする何かがある。何処か、頭の片隅で、納得している自分がいる事に少女自身が気付いていた。
男は、言った。マシュが死んでからと。確かに彼女は一度、その生命を失った。けれど、その後で、彼女は。
「…………あ、……」
「恐らく、そうだ。君が今、頭で考えている通りだよ。僕はね、キャスパリーグに認められなかった。プライミッツ・マーダーと言うべきかな? 終局特異点において、アレは第四の
淡々と語られるのは、少女の歩んだ軌跡にとても似ている、それでいて何かが違う人理修復の物語の一端。夢物語の英雄譚にも似た話を聞かされて、混乱こそすれど、納得はできた。何故、マシュが生き返ったのか。あの奇跡を起こしてくれたのは、誰だったのか。埋まらなかったパズルのピースが埋まるように、決して知り得ない、知るはずのない知識を、少女は確かに手に入れた。
そして同時に理解する。語られる内容が真実ならば、あの生物の性質が
「……もしかして、聖杯は、そのために? マシュを、生き返らせるため? だから、他のマスターを手にかけても、手に入れる必要がある?」
「いや、違うよ。あの娘を生き返らせた所で、戦力としては期待できないんだ。だから僕は、自分の肉体を強化するつもりでいる。僕がひとりで戦えるようになれば、それで汎人類史は生き残れるからね」
男の語る言葉の一部は、少女には未だ理解ができない。それでも、わかった事がひとつはある。この男の旅路は、未だ、終わってなどいない。人理を修復しても尚、力を欲する理由があるのだ。それが自身にも降りかかる未来なのか、それとも彼だけが背負っているものなのかはわからない。見ている景色が異なり過ぎて、男の真意を読み取れない。
別れは、遭遇と同様に呆気ない。僕はもう少し休んで行くから、キャスターの魔力が戻り次第、また会おう。そう言って、男は笑った。敵対者とは思えない、楽しげな笑みと共に。きっとそれは真実で、戦う力が戻り次第、彼は誰かを襲いに行くのだろう。それを止める手立ては、未だない。彼をこの場で殺せば良いと、そう思えるような話でもなかった。理由はわからなくとも、男と幾つかの言葉を交わした少女はそう直感したのだ。
ひどく、とても、後味の悪い出会いであった。調べるものはないと公園を後にしながら、少女はひとり、胸の中でため息を漏らした。
時間は、藤丸立香とバーサーカーのマスターとの出会いから少し遡る。
正体不明の敵からの襲撃を切り抜けた、エミヤとその主たる少年と。このふたりの前に現れた男こそが、バーサーカーのマスターであった。
警戒するエミヤに対して、男は静かに首を揺らし、子供に手をあげるつもりはないと言う。その言葉を信頼すべきか悩みながらも、結局、両者は物陰で言葉を交わし、互いの情報を交換する道を選んだ。
少年は、この特異点の異様さを、そして亘鵠佑という名の存在についての情報を。男は、少年たちを襲撃した部隊の規模や行動を、そしてこの特異点に集められたマスターたちの様相を。それぞれの情報を精査しながら、男を値踏みするのはエミヤの役割であった。そして、弓手の下した結論は、信頼に足るというそれだ。
サーヴァントを出そうともせずに、男はただ、静かな声で語るばかりだ。それが油断を誘う作戦なのか、キャスターを使役していた男のようにマスターが戦える性質なのか。それらの懸念を抱きながらも、エミヤは己がマスターの慧眼を信じた。
この少年が、男の人柄を信頼している。ならば、己の役割は、それが間違いだった時に主を助ける事だ。人理修復の旅路を終えて、彼も随分と成長した。いつまでも子守をすべきではあるまいと、そんな弓手の内心は、誰にも知られず密やかなままだ。
「私はこの通りの有様だからね、君たちのように駆け回り、派手に戦える身体でもない。故にこうして、姿を隠して少しずつ、この特異点の調査をするよ」
共に戦わないかと尋ねる少年に、男は口角をあげて、柔らかな調子で申し出を辞退する。片足は義足、前髪に隠されていた左目は、義眼。足手まといにしかならないからと、男は申し訳なさそうに、困ったように笑うばかりだった。それから少し考え込むように、革手袋で包まれた指先で顎髭に触れる。
セイバーと、ランサー。この二騎のマスターであれば、信頼ができそうだと男は告げる。どちらも善良な人に見えたと、そのひと言を付け加えて。
「亘鵠佑との合流は、危険かもしれない。彼の人柄ではなく、ここの……ああ、それだ。機動部隊とやらが、付かず離れず見張りを続けているようだった。彼を信頼するのは間違いではないが、不要な戦闘に巻き込まれかねない」
淡々と、事実だけを告げてから、男は最後に少年と、その背後に付き従うエミヤを交互に見遣る。残された右目は、鈍色の、優しげな光を湛えていた。
「キャスターのマスターは……君たちは、もう出会っているか。もうひと組、消去法でクラスはアサシン、カーマのマスターは危険な雰囲気だった。ライダーは……まあ、放っておいても問題はない、頭上のアレに籠城している。手出しこそできないが、私には普通の少女に見えたよ、彼女は」
指差した先には、ビルの合間を縫うようにして、駆け回る戦車があった。エミヤの瞳は真っ直ぐに、逞しい肉体を誇る騎兵の姿を見つめる。そして、その傍に隠れるようにしてしゃがみ込む少女の姿も。
男の情報を基に、少年は従者を見遣る。己がサーヴァントへ、次の目的を示そうと、強い意志を瞳に宿して。エミヤもまた、不敵な笑みを口元に浮かべ、いつでも出られると頷きを返した。
「我々は、セイバーのマスターへの接触を試みます。ご迷惑でなければ、ランサーのマスターにも、こちらの存在を伝えて頂けないでしょうか。……この特異点では、きっと。戦いたくない者たちは、自分と同じ意志を持つのが誰なのか、早いうちに知っておいた方が良い」
任されようと男は頷き、がつ、がつ、と義足が故の足音を響かせて、伝令役を引き受けた。夜の闇に紛れて隠れ、藤丸立香を探して回る。そうして行き着いたのが、現在だ。
男の語る情報は、時間と共に精度を増して、少しずつこの特異点の正体を浮き彫りにしていく。SCPとは何なのか、財団とは何なのか、亘鵠佑とは何なのか。ひとつひとつを聞かされて、立香の表情は険しいものに変わっていく。アルトリアもまた、鵠佑の正体を聞かされて複雑な顔を見せた。
「彼らは彼らで、カルデアのように人知れず世界を護っていたのだろう。そして──如何なる手段を用いたのかは知らないが──この財団は、人理焼却の未来を……人類の滅亡を、知った。知ってしまったのだろう、二〇十五年の七月三十一日に、それが起こってしまう事を」
そこに行き着くまでに、どんな物語があったのかは、誰にもわからない。そう前置きをした上で、男は立香を真っ直ぐに見つめて言葉を選ぶように黙り込む。それは、僅かな時間だ。推測自体は既に終え、目の前の子供が、それを受け止められるかを見定めているようだった。
財団の管理を逃れた鵠佑が、カルデアへと参画する。そしてその直後に、それは起こった。ならば、因果関係を疑うのも当然であったかもしれない。故に、財団は考えた。その結論へと、行き着いてしまった。
亘鵠佑の抹殺で、
「そこから先は、試行錯誤を繰り返したのだろう。彼らはそれこそ、手段を選ばなかった。平行世界の財団と連絡を取る術を確立し、主人公の役割を持った存在を討ち果たす術を模索した。物語が続いている間は、主人公は死ぬ事がない。それならば、物語を終わらせるか……もしくは、亘鵠佑を主人公でなくせばいい、と。そういう考えに、行き着いてしまったのだろう」
聖杯へと手が届いた財団は、全部で八つ。八人のマスターが、それぞれ人理修復を行い、あるいは終えた世界の財団たち。その全てが、同座標、同時刻において聖杯を使用した結末が、この、これだった。聖杯を軸に発生した特異点が重なり合って、互いの世界の壁が曖昧になった複合特異点。
この特異点は、そういうものではないだろうかと、男はそこで、語る言葉にひとつの区切りを挟んだ。アベンジャーズ計画という、性質の悪い冗談めいた、
彼らもまた、この世界を救おうと必死なのだ。巧妙に姿を隠し通した魔術王に、人理焼却が起こる以前から行き着くなど、不可能でしかない。それが叶うならば、カルデアだって事前に手を打っていたはずだ。目に見えている特異点を解消した自分たちと、目に見えているSCPの抹殺を行なっている彼らと。両者の違いなど、微々たるものだという事を、立香は確かに理解していた。
「さて……私の話は、これで終わりだ。次は、君の話を聞かせてくれるかな。大切な話が、あるだろう?」
男の物言いに、立香は最初、何の事か理解ができずに固まった。話せるような事なんて、これっぽっちも持っていない。そう言おうとした所で、アルトリアに呼びかけられた。穏やかなその笑みを見上げる立香に、騎士王は柔らかな声で教えてくれた。立香が男に話すべき事が何なのか、男の真意を見抜いたように。
「──どうか、お願いします」
「ああ、任された」
やり取りは、短い。男は現れた時と同様に、闇の中へと消えて行く。その背中を見送って、立香はゆるりと踵を返した。
視線の先には、女神の姿。殺意と悪意をないまぜにした、邪悪の化身にも似た姿。住宅街から抜けた先、大通りの中央で、主をひとり伴って。愛の女神はひたひたと、忍び寄るように歩みを進める。
「本当に、目障りなんですから。探し回ったんですよ、あちこちを。こんな所に隠れているなんて、正直、驚きました。……今のも、また別のマスターなんですね。もう、次から次に出て来て、本当に心の底から目障りです」
立香のかけ声に、アルトリアが前へ出る。両者の二度目の激突の幕は、今まさにあがろうとしていた。