※この作品はR-18です。

Fate/Grand Order SCB   作:しゃくなげ

22 / 25
第22話

 幾つの部屋を逃げ惑ったのか、幾つの壁を破壊したのか、いつから追跡者の姿が見えなくなったのか。そのどれもが思い出せず、そして同時に、そのどれもが思い出す意味のない事柄だった。迷宮のような地下施設の、何処か。現状から把握できる事実は、そこにいるという程度の情報でしかない。

 結果だけを見れば、逃げ果せたという点だけが、鵠佑の置かれた状況の全てだ。被弾によって損傷した肉体をスクロールで修復し、失った血液を造血剤で補充する。そうすれば、また走れる。死にさえしなければ戦えるという状況は、幸運なのか、不運なのか。どちらでも良いと考えるのを止めて、壁を支えに立ち上がる。

 ジャンヌは何も言わず、手を貸す事もない。互いの間に生まれた亀裂が、その大きさを増しているような感覚はある。だからと言って、何をすれば良いのか。それが、鵠佑にはわからなかった。

 文字の通りに身を裂かれた痛みと貧血の息苦しさに、少年の呼吸は未だ浅く荒い。ただ、前に進まなくてはならないという強い思いが、理由のわからない意志だけが、鵠佑の足を突き動かす。この特異点の修正をするのだという、強い使命感が今の全てだった。それにジャンヌが苛立ちを覚えているのはわかっていても、どうしたら良いのか、それが鵠佑にはわからなかった。

 歪であると、間違っていると、共に特異点へ赴いたレオナルド・ダ・ヴィンチから判じられた事を鵠佑は知らない。己の歪みを知らないまま、その歪みを走り続ける。あるいは、それこそ物語の主人公で在り続けるために、歪みを認識しないようにされているのかもしれない。その答えは何処にもないし、今更どうにかできるものでもない。亘鵠佑には、前進を止める選択肢が用意されていない。彼は、何処まで行ってもそういうモノとして存在し続ける。それを忌々しく思うのは、きっと、この世で彼女だけなのだろう。

 

「待たせてごめん、もう動けるよ」

 

 深呼吸を一度終えて、鵠佑はまた、いつものように動こうとする。特異点の修正をして、未来を人類の手に取り戻すために。湧き上がる怒りの正体も確かめぬまま、ジャンヌはようやく、重たく閉ざしていた口を開いた。

 

「何故。ここには他の連中もいるのだし、任せておけばいいでしょう」

 

 それは素直な疑問でもあるし、確かめるための言葉でもある。

 キャメロットでレオナルドが語った内容を、ジャンヌだけは知っていた。マスターから拒まれている以上、傍にいても仕方がない。そんな思いで、鵠佑の近くを離れていたが故の事だった。

 そして今、彼が何であったのかを知るのも、ジャンヌだけとなっている。カルデアとの通信は一向に回復せず、この特異点で起こっている出来事を知る術は、ない。皮肉なものだと内心で漏らしながら、ジャンヌは真っ直ぐに、鵠佑の瞳を覗き込む。

 

「そういうわけには、いかないよ。ぼくだってここにいるんだ、それなら、ぼくも戦わなきゃいけない」

 

 何もなければ、鵠佑の言葉は、責任感が根底にあるものだと思えたろう。だが、しかし、今となってはわからない。ジャンヌが復讐者たれと産み落とされて、憎悪の炎で己の心を焼き尽くすのと同じ事ではないのか。主人公たれと産み落とされたならば、物語を止める道など、この少年は選べない。自分の意思であるのか、それとも役割の決めた意思であるのか、それすら知らぬままに歩み続ける。

 何もかもが、癪に障る。言葉も思想も生き方も、何もかもが癪に障る。まるで同じモノだというのに、理解ができずに苛立ちが募る。ぎりと奥歯を噛み締める音が、ジャンヌの内に小さく響いた。

 

「そういうわけには、いかない……? はっ、自分の意思でもないくせに、戦うなどと。貴方は贋作、偽物、紛い物。その意志も、その志も、その心も、所詮は役割だからのものでしょう。戦う理由なんて、お前はひとつも持っていない!」

 

 何故、こんなにも、こだわるのか。ジャンヌにその理由は、わからない。それでも心のあるままに、叫び、吼えて、責め立てる。嫌だと拒まれ口論になっても、今更、止める事などできなかった。

 この贋作が動くのを、何としてでも止めてしまいたい。いっそ殺してしまってでも、動かぬようにしてしまいたい。理解のできない激情のままに、その息の根を止められたなら、いっそ楽になるのだろうか。渦巻く思考に困惑しながら、一歩、己が主へと歩み寄る。腰の剣に手をかけるのと、背後から声をかけられたのは、同時だったと言っても良いだろう。

 

「や、はじめまして。取り込み中に悪いんだけれど、少し、僕の相手をしてくれるかな。そんなに時間は取らせないから、大丈夫」

 

 振り返った、すぐ眼前。奈落のような黒い瞳が、ジャンヌのそれを見つめていた。鵠佑の叫びを聞くよりも先、噴き出す怒りに任せて力を解き放とうとして、激しい痛みと衝撃に、空気を吐き出す音が口の端から溢れた。

 それこそ、ワイヤーで引かれたように、大袈裟な勢いでジャンヌの身体が後方へと吹き飛ぶ。壁に叩き付けられて、ずるりと床に落ちるまで、一秒かそこら。眼前で起こったそれを処理しきれずに、鵠佑の脳は僅かな空白で右往左往していた。

 

「……ふむん。八極拳も、慣れるとやり易いね。ああ、大丈夫、君には用がないから。君のサーヴァント、まだ立てるでしょう?」

 

 男の声は、穏やかに、軽い。その足元に刻まれた破壊の痕跡を見て、鵠佑は立香の言葉を思い出す。

 李書文がいるかもしれないと、立香は言った。自分のカルデアで召喚しているから、その痕跡は何度も見ていると。この男は、そ(・)ん(・)な(・)立(・)香(・)が(・)誤(・)認(・)す(・)る(・)よ(・)う(・)な(・)ものなのか。背中を流れ落ちる汗の冷たさに、鳥肌が立つ。唇も口内もからからに乾いて、心臓が早鐘を打って警告していた。

 

「こ、の……っ……!」

 

 瓦礫をふるい落としながら、ジャンヌは緩慢な動作で立ち上がる。双眸に宿る炎は、憎悪と憤怒の入り混じったもの。眼前の存在を、殺さねばならないと認識した時の瞳だった。

 これが、カーマによる襲撃ならば、良かった。鵠佑は今、はっきりと、心の中で意識した。これがサーヴァント同士の戦いならば、それを言わなくて済む。だと、言うのに。

 

「キャスター、もう一度やってみる。彼女のタイプは、二番と三番、八番だけで良い。防御のタイミングは君が判断して良いよ」

 

 彼は、サーヴァントを連れている。つまりはマスターであり、どれだけ強くとも人間だった。立香とも変わらないし、自分を襲う兵隊とも変わらない。どれだけ善意と優しさがあったとしても、どれだけ悪意と殺意があったとしても、どれだけ恐ろしいものだとしても、人間なのだ。

 

「──、……だめだ」

 

 故に、鵠佑は言(・)う(・)し(・)か(・)な(・)い(・)。

 

 それが主人公というものなのか、それとも別の要因なのか、最早、鵠佑自身にもわからない。恐怖と混乱で鈍っていても、そこだけは、譲らなかった。否、厳密に言うのならば、譲る事が許されなかった。

 亘鵠佑には、人間を殺す事ができない。それが、どれだけ自分にとって危険なものであっても、そういう風にはできていない。だから鵠佑は、震える声で告げる。ジャンヌを生贄に捧げてでも、その選択肢を選ばされた。

 

「……なるほど、ああ、君がオブジェクトってやつなんだね。うん、わかった、ありがとう。反撃してこないなら、こっちとしては凄く助かるんだ。サーヴァント壊し方の勉強を、させて貰うね」

 

 膝を狙う蹴りは、甲冑の留め具を砕く音を響かせる。顔面への一撃を防ごうとした両腕は、弾き飛ばされ護りが崩れる。隙間を縫って水月を穿つ拳は、ジャンヌの上体をふたつに折るほどにめり込んだ。

 

「か、は……っ! この、調子に乗って……!」

 

 握った拳を振るいかけて、主の言葉が鎖のような戒めとなった。途中で止まるジャンヌの拳を、受け流すと同時、甲冑の隙間を突き破って肩を穿つ貫手の刺突。上がらなくなった腕を捨て、片手で護ろうと試みても、一手が遅れる。喉を潰すような掌打に、呼吸を求める苦悶の呻きが漏れた。側頭部への蹴りと、下顎を跳ね上げる肘。身体を支え、伏す事だけは拒むように。この旗を振るえば殺せる、それだけで殺せるのに、殺せない。耳を穿つ中指、あばらの隙間へ、下腹部、脊椎、延髄眼球眉間人中、正中線を尽く。

 肉体を破壊されていく中で、ジャンヌは鵠佑の言葉を守った。何故かを自分でも知らぬまま、怨嗟の旗を握り締め、血を吐きながらも、耐えた。一撃一撃が意識を削り、痛みを持って身体を砕く。霞んでいく視界と意識の片隅で、それでもジャンヌは、しがみ付くように二本の足で立ち続ける。

 止めなければならないと、頭ではわかっている。目の前で行われている事が、とても酷い事なのだと、それは理解をしている。だというのに、身体も頭も、動かない。怯えて竦んでしまっているのか、それとも、最初から思考を止めてしまっているのか。鵠佑には、その判断ができるだけの余裕はなかった。

 やめてと、掠れた声で請う。悍ましいほどに冷静に、冷酷に、機械的に、ジャンヌを壊そうとする男に向かって。されど声は届かずに、打撃の音に掻き消された。

 自分の間違いを、突き付けられるようだった。痛む胸は苦しさを増して、いつからなのかもわからないまま、涙が溢れて頬を伝う。こんなものは見たくないと、そう叫んでも届かない。人間に危害を加えてはならない、そう宿命付けられた役割が、この局面で、初めて鵠佑に牙を剥いた。

 

「──その辺りで、止めてあげてくれないか」

 

 地獄のような光景の中でかけられた声は、聞いた事のない大人のもの。霊核を穿たんと放たれた一撃が、その寸前でぴたりと止まる。遅れて身を貫いた衝撃に、傷だらけのジャンヌの身体が宙を舞って床へと落ちた。慌てて令呪の一画を用い、鵠佑は砕かれた霊基を修復する。

 

「ああ、ええと……うん、覚えているよ。外にいる時に、僕を見ていたマスターだね。君の得にはならないと思うのだけれど、それでも止めるのかな?」

 

 男は、唐突な乱入者を見遣りながら問う。対する彼は、ゆるりと一度、頷いた。ジャンヌを抱き起す鵠佑に、行きなさいとひと言を添えて。

 

「そうだな、私は損得で動いていないから、止めるよ。……亘鵠佑くん、私も、はじめましてだね。君の友(・)人(・)から、頼まれた。──友達を助けてください、とね」

 

 その言葉は、鵠佑の預かり知らぬ所で交わされた、ひとつの依頼。名前を聞かずとも、思い当たる顔はすぐに浮かんだ。目許を一度拭ってから、肩を貸すようにジャンヌを支えて、鵠佑はふたりの男に背を向ける。

 追いかけようとする捕食者を見据えたまま、男は静かに立ちはだかる。その背後に現れた、巌のような巨躯を従えて。

 

「ヘラクレス……! なるほど、君は、ヘラクレスのマスターかぁ……!」

 

 捕食者の興味は、新たな目標へと移り変わる。どうすればいいかなと、独り言を漏らしながら攻略の術を考える、子供のようなその顔。恐ろしいマスターがいたものだと、ヘラクレスを見遣りつつ、その主は首を振った。

 

「……すまないね、バーサーカー。子供を傷付けたくないのは、私の我儘だ。けれど、私は敢えて、その我儘を言おう。──どうか、耐えて欲しい」

 

 部屋を離れた鵠佑の耳に、そんな言葉と共に、あの嫌な破壊の音が再び聞こえ始めた。

 

 

 

 銃声は、止まない。

 歩けるようになれば、ジャンヌは鵠佑の支えを払い、率先して前を行く。キャスターのマスターから逃げられたと思った矢先に、再び兵隊たちによる襲撃が再開されて、ふたりは行くあてもなく彷徨うように、蜘蛛の巣の如く伸びる廊下をひたすらに逃げ惑った。

 交戦を禁じられたジャンヌは、射殺すような瞳を向けながら、鵠佑の言葉を未だ守り続けている。結果として銃弾を受けた鵠佑の身体が、傷付き、裂けて、赤い色に染まっていく。ジャンヌに許された事と言えば、その弾丸を旗で薙ぎ、甲冑で弾き、愚かな主を護るだけ。鵠佑は視線を合わせる事もなく、時折咳き込みながら、赤い雫を溢しながら、無意味に傷ばかりを背負っていた。

 榴弾の爆風に飛ばされそうになる身体を掴み、ジャンヌは無数の飛翔片から鵠佑を護ろうと、手近な部屋の扉を力任せに蹴り破った。開いた部屋へと主を押し込み、己もまたそれに続く。振り返ったジャンヌのひと睨みで、部屋に面した廊下を紅蓮の炎が覆った。

 これで、時間は稼げるだろう。連中の方がこの施設には詳しいが、こちらは壁を突き破り、勝手に道を作ればいい。消化剤なぞでは消える事のない炎を防壁に、次の部屋へと壁や扉を粉砕しながら突き進む。主も従者も、先のような乱暴な逃げ方しか知らないし、浅い経験の上では新しい手段を思い付く事もなかった。

 

「何故。どうして。こんな事が、何になるというの。殺せば良いのに、何故逃げるの。人間の都合で創られて、今度は人間の都合で殺されそうになっている。あの獣(マスター)はまだしも、この組織の連中を、どうしてお前は許すの。私はそれが、理解できない。私はそれが、納得できない!」

 

 金属製のコンテナに、拳を打ち付ける轟音。ぎりと奥歯を噛み締めて、ジャンヌはまた、踏み出した。邪魔をする者は、何処にもいない。水を刺される事もない。所々が破けた礼装の胸ぐらを掴むと、傷だらけの身体を持ちあげ、歪んだコンテナへと叩き付けた。

 

「何故、どうして、何のために! お前も私も、他人の願いが形を成した、ただそれだけの贋作(そんざい)でしょう! だのにどうして、お前は奴らを許そうとする! 私はそれが、我慢ならない!」

 

 ジャンヌは、怒り、憤り、心のままに叫んだ。その怒りの原因は、自らを傷付けられた事ではない。自らと同様の贋作が、壊れながらも人間のために、己が憎む存在のために、尚も動こうとする事への怒りであった。

 あるいは、人はその感情を、義憤と呼ぶのかもしれない。ジャンヌの心はささくれだったようにじくじくと、酷い痛みに晒されている。その心を感じているのか、見つめ返す鵠佑の表情もまた、泣き出しそうな子供のそれだった。

 

「だって、ぼく……人間が、好きなんだもん」

 

 震えた声で、絞り出すように小さな、とても小さなひと言。今の地獄だけでなく、今までの全てを見返して、ようやく鵠佑は長い疑問の答えを出した。あまりに小さくささやかな、ただそれだけの、儚く消えそうな本心を。

 

 人の優しさに育てられ、人の生み出した物語に憧れて、正義の味方の夢をみた。

 

 故に、たとえこの種に迫害されて、殺意と銃を向けられようとも、結局は人を愛している。夢と希望を与えてくれた、人類種を救いたい。人に良く似た贋作は、人類種に憧れて、また同様に敬愛を抱く。だから、故に、亘鵠佑には人間を殺せない。

 

「ふざけるな! 私が、お前に力をやる! 私が、お前に正義をやる! 報復し、復讐し、奴らに報いを与える力を! 不当な暴力への、正当な報復を! だから殺せ、お前の敵を! 報いを! そう、報いを! 人間どもに、私と共に、奴らに報いを与えなさい!」

 

 反吐が出ると、そう呟いた低い声は、ジャンヌのそれだ。甘っちょろい夢物語を口にするなと、贋作同士が故の、同族嫌悪に似た何か。人間を憎むために産み落とされた、ジャンヌ・ダルクの紛い物。人類種を憎む事が、ただひとつの存在意義。

 かたや、人間を救う者。かたや、人間を滅ぼす者。決定的に相容れない、贋作ふたりの姿があった。

 

「……それで、いいさ。馬鹿げていても、構わない。ぼくは、報復をしない。人間に復讐なんか、する必要はない。ぼくが倒すべき敵は、魔術王だけなんだ!」

 

 ジャンヌの双眸が見開かれ、遊び飽きた人形を放り捨てる子供のように、鵠佑の身体を投げ飛ばす。壁面を陥没させるほどの衝撃に、床へと落ちた鵠佑は、涙も唾液も垂れ流し、痛みに咽びのたうち回る。息を荒げたジャンヌの前で、それでも、小さな手は治癒のスクロールを握り締めていた。

 

「ぼくは、……たくさんの人に、生かされてきた。カルデアの皆や、しゃくなげの皆や、学校も、街も、名前も知らない人もいる。それだけじゃない、あの報告書にも書いてあった。ぼくを助けてくれて、殺されてしまった人もいる。だから、ぼくは、皆に恩を返すんだ。受けた恩を、返しにいくんだ。この特異点も修正して、人理焼却を、防ぐんだ……!」

 

 床を舐め、這い蹲って、傷だらけになりながら。鵠佑は尚も二本の足で立ち上がり、ジャンヌを真正面から睨み返す。その姿を見せ付けられて、狂おしいほどの怒りが湧き起こり、そしてすぐに消えていく。

 

「……ぼくたち、似た者同士なのに、そこだけが違うんだね。君は人を憎んで、ぼくは人を愛してる。……ああ、だから、ぼくは君が嫌いだったんだ。勝手に嫌って拒絶して、君が望まない事をたくさんさせてきた」

 

 自身を正しく認識して思い返せば、理由は確かにあったのだ。人を愛しているからこそ、贋作の彼女には、最初から愛を抱かなかった。他とは違う何かを感じて、それを厭い、受け入れきれずに拒絶した。その事実をふと見つめて、鵠佑の表情が、寂しげに笑うそれへと変わった。

 彼女は、自分に歩み寄ってくれていた。言葉こそは交わさなかったが、自分の望みを叶えてくれた。魔神柱を討ち倒し、何をされても人を殺さず、壊されながらも耐え抜いた。そんな彼女に対して、自分は、いったい何をしてきたのだろう。振り返れば、見えるものはあまりに酷い、自分自身。それを認識したからこそ、鵠佑の中にあった、ジャンヌへの嫌悪は消えていた。取り返しが付かなくなった、今の今に至って、ようやく。

 

「ぼくは、君に対して……何もかもが、とても、とても身勝手だった。本当にごめんよ、ジャンヌ。今まで付き合ってくれて、本当にありがとう」

 

 罪悪感は、消えない。だからせめて、これ以上は頼らぬようにしようと決めた。一歩、離れるように退く歩み。初めて呼んだその名前に、鵠佑自身も驚くほどの、言葉にできない美しさを感じながら、少年はひとり踵を返すと、部屋の扉へと駆け出した。

 できる事なら、もう少しだけ、人を殺すのは待って欲しい。この期に及んで尚もまた、甘っちょろい願いを最後に残して。

 開閉の音は、一度だけ。振り返る事もせず、立ち止まる事もなく。死地へと向かって、たったひとつの武器(サーヴァント)すら手放して、愚かな子供は駆けて行く。

 

 ひとり残されたジャンヌは、自身が想像していたよりも惑わなかった。むしろ、理由がわかってしまえば、何という事もない。怒りが消えて失せた今、主の言葉を、ひとり胸の内で噛み締めていた。

 

「……ああ、だから、私はお前に苛立ったのね。人間への憎悪に染まった私でも、贋作人間が相手なら、憎む理由もないってわけ。だから、苛立つ程度で終わったの。……本当に、酷く、不愉快ですこと」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。