※この作品はR-18です。

Fate/Grand Order SCB   作:しゃくなげ

23 / 25
第23話

 カーマの苛立ちは、氷が溶けるように緩やかに、しかし確実に募っていた。ラムレイの機動力を持ってして、壁や家屋を打ち崩しながら、足を止める事のない一撃離脱。それに加え、立香を共に乗馬させる事で、アルトリアは自身の弱点を確実に防護している。

 マスターを盾にされたとしても、次の機会を狙えば良い。己が主を狙われさえしなければ、状況を互角へ持ち込むのは難しくない。あの男が、バーサーカーのマスターがふたりの前に現れなければ、こうもいかなかったのだろう。態勢を立て直し、仕切り直しに持ち込まれた事が、カーマにとって最大の痛手だった。

 

「くっ……いい加減、飽き飽きです。気乗りしないんですけど、少しだけ、見せてあげますよ」

 

 どうなっても、知りませんから。囁く声と共に、カーマは柔らかく艶めいた唇を舌の先で舐め濡らす。手にした弓に矢をつがえ、宝具の真名を解き放たんと。

 狙いは、霊核。それとも、マスター。どちらにしようかな、などと、戯れめいた言葉遊びを交えつつ、きりきりと音を立てて引き絞る弦。アサシンのクラスとは裏腹の、至極正道な、弓手の構え。頤から落ちた汗の滴が、乳房に垂れて、流れて落ちる。肌を伝う感覚に、甘い吐息が唇の端から漏れた。

 その一撃は、恋慕の情を呼び起こす、愛を齎らす一矢のはずだった。されどそれは、射られた者が死ななければの話でしかない。カーマの魔力に満ち満ちた宝具としての一撃は、人の身には耐え切れず、エーテル体にとっても劇毒に等しい。いらっしゃいと唇だけで囁いて、カーマはにたりと、いつものように嘲る笑みを浮かべる。

 一矢、一撃を加えてやれば、死に至ろうと生き延びようと、十分に過ぎる隙が生じる。恋や愛といった感情は、時に身を焼き滅ぼすものだから、度し難い。不快そうに鼻を鳴らして、カーマは闇をかける黒い鎧へ、その心臓へと狙いを定めた。

 雷鳴にも似た雄叫びが轟いたのは、その矢が放たれる、まさに刹那。頭上を見上げた両者の視界には、巨大な雄牛。低く豪快なその声は、天から降り注ぐかのようだった。

 

「AAAALaLaLaLaLaie!」

 

「なんっ……なんですか、これはっ!」

 

 堪らず、カーマは退いた。解放しかけた宝具も収め、巨大な戦車に轢き潰されないように、己がマスターの傍らへ。厳しい顔をした益荒男は、獰猛な、それでいて愉快そうな笑みを浮かべて両手をあげる。胸を張って天を仰ぎ、高らかに宣言するように。

 

「双方、剣を収めよ。王の御前であるぞ!」

 

「王様、待って、王様! だめです、そういうのじゃないですから!」

 

 ひとつ演説でもしてくれようと目論んでいたイスカンダルは、足元からの呼びかけに頭を掻いてため息を漏らす。しかしなあと言ったところで、だめですからと念押しをされて、二度目のため息を盛大に吐き出した。

 イスカンダルの傍には、カーマとアルトリア、そしてそのマスターの様子を伺う少女の姿がひとつ。両者に怪我人が出ていない事を把握して、彼女は安堵したように胸を撫で下ろしていた。

 

「…………下らない。興が削がれました、帰りましょうマスターさん。こういう空気を読まない馬鹿、大嫌いなんです、私」

 

 吐き捨てるカーマは、今までの笑みが嘘のように、氷の如き冷たい無表情。己が主を抱きあげて、地を蹴り、闇へと紛れて消えて行く。次は容赦しませんからと、そんなひと言をアルトリアに残して。

 

「ぬぅむ……アサシンの気配遮断か、見事なものよ。さて、ならば槍兵、貴様に問おう。此度の戦い、実に天晴れな益荒男ぶりであった。どうだ貴様、余の軍門に──」

 

 その逃げ口をひとつ褒め、イスカンダルが振り返る。そこにいたはずの槍兵は、忽然と、風のように消えていた。帰っちゃいましたと報告をする少女を見下ろして、一拍。にかりと笑うと、騎兵らしく鞭をかけ、再び征服王は戦車を走らせ宙へと駆けた。

 

「まあ、なに、ならば次の機会を待つとするか! ふふん、いやはや……やはりこの、戦さ場の空気というのは、実に胸が踊るものよなぁ!」

 

 あとには、何も残らない。嵐のように現れて、風と共に去っていく。カーマとアルトリアの激戦の痕跡と、イスカンダルの蹂躙の軌跡。粉砕された家屋の瓦礫で溢れたそこは、最早、元の面影すら残していない有様だった。

 

 

 

「うん、だめだね、降参だ」

 

 二千と三十八。加減をしているとは言えど、ヘラクレスの反撃を掻い潜りながら撃ち込まれた打撃の数は、その効果をまるで見せぬままだった。

 キルケーが前に出ようとするものの、男はそれを片手で制した。無意味だよと、淡々とした言葉で付け加える。

 

「それ、いいなあ。素直に羨ましい、装備が万全でも殺し切れないや。君を殺害する他に、攻略の手立てがないね。だから、降参」

 

 一回くらいは殺せるかなと思ったけれど。そう嘯いた男は、振り下ろされる斧剣の鋒を躱して、割れた窓の縁へと飛び退った。更なる追撃を避けながら、瓦礫で埋め尽くされた廊下を滑るように駆けていく。

 その後ろ姿を見遣りながら、ヘラクレスへと感謝を述べて、大英雄の主は吐息を漏らす。今回ばかりは自身のサーヴァントの相性と、何よりあの男の行動原理が、マスターの殺害になかった事が幸運だった。ヘラクレスの宝具が『 十二の試練(ゴッドハンド)』でなければ、互いに無傷で戦いを終える事など不可能だったに違いない。

 

「感謝するよ、ヘラクレス。君が私の英霊で、本当に良かった」

 

 巌のような巨躯は、言葉を持たぬ故に主のそれには無言のまま。それでも、ヘラクレスのマスターに残された右目には、その口角が持ちあがっていたように見えた。

 

 その一方で、キルケーは不安げに、駆ける男へと視線を向けて問いかける。無事なのか、怪我はないか、あれで本当に良かったのか。投げかけられる彼女の問いは、心から、自らの主を案じるものだ。対する男は問題ないよと、いつもと変わらぬ調子で応じた。

 

「あのヘラクレスは、普通のそれとは違う。ああいうものが出てきた場合は、僕の力じゃどうにもならない。こういう相性問題は、昔からあった事だしね」

 

 その時は、打倒し得るサーヴァントをぶつければ良い。そう結んで、キャスターの主は無人の街へと舞い戻る。各地で起こった激闘の後にも目を向けず、己が塒へと足を向けて、躊躇う事もなく踏み出した。

 

「ある程度までのサーヴァントを、きちんと殺害する。僕が身に付けたいのは、それだよ。どのサーヴァントにも勝てるような力なんて必要ない。クリプターの裏をかければ、やれる事はそれだけ増えていくからさ」

 

 キルケーは、知っている。彼の興味は一戦ごとの、個々の勝敗にはまるでない。最終的に勝つために、常日頃から切れる手札を集めたい。ただ、それだけなのだ。

 カルデアでの戦闘訓練も、特異点での戦いも、異聞帯での争いも。どれもこれもが、自身の手札を増やして補強し、最後に勝てば、それで良い。そういう男であるからこそ、彼の世界は未だに消えず、尚も貪欲に生きている。

 そんな主を見つめたまま、キルケーはひとり、複雑な胸中を忘れるように男の背中へと飛び乗った。私が君を支えるからと、囁くような言葉を、添えて。

 

「マスター、そろそろ、魔力が切れてしまうだろう? あそこに戻ったら、少し、休憩をしようじゃないか」

 

 

 

 アーチャーと共に去っていく、少年の後ろ姿を見ていた。交渉は無事に終了し、彼は共闘を受け入れた。十二分の収穫を手に、少女はひとり、上機嫌に鼻歌を歌う。

 高層ビルの屋上からは、造られた箱庭の街が見渡せる。夜空の星々も人々の営みも見えないのはいささか情緒に欠けていたが、それはそれと割り切って、このひと時を気ままに過ごす。傍に佇む騎士王は、そんな主を呼び止めた。かつんと一度、床を打つ靴の音。振り返った少女の顔は、自信と気力に満ちていた。

 

「良いのかい、マスター。聖杯を破壊する、その行為の意味は君もわかっているはずだ」

 

 君にも、あれを必要とする理由があるだろう。言葉を最後までは紡がずに、視線に思いを乗せて、セイバーは少女の瞳を見つめる。そうですねと、全ての問いに対する肯定をしながら、くるりとその場で踵を返し、彼女は従者に背を向ける。

 穏やかな声が、闇に流れて消えていく。言葉にこそしないものの、少女が決戦前夜に見せるこの澄み切った表情を、セイバーは美しいと感じていた。それを知ってか知らずか、騎士王の主は何処か彼方を、澄んだ瞳で見つめている。何ひとつの迷いなく、何ひとつの気負いもない。

 少女のカルデアには、数多の英霊が召喚されている。そして、その全ての戦力を維持するだけの魔力となれば、人の身に宿る事など有り得ない莫大な量を求められる。

 無論、それは少女に限った話ではない。この特異点に集ったマスターであれば、誰であっても、カルデアからの魔力供給を礎としてサーヴァントを現界させるものである。ただ、彼女の召喚した英霊たちが、多量の魔力を要求する者ばかりであったという話だ。

 

「もったいないって言ったら、それはまあ、もったいないですよ。けれどほら、それはそれ、これはこれです。魔力のリソースが必要なのは、うちに限った話でもないですからね」

 

 聖杯がひとつ手に入るだけで当分のリソース問題を解消できるのは、確かに事実だ。殊更、複数の大英雄を擁する少女であれば、特異点の聖杯はひとつでも多く確保したいというのが本心である事に変わりはない。それでも、少女の決断は早かった。

 特異点の根底と、その解消の推察。解を導き出すには、バーサーカーのマスター、そしてアーチャーのマスター、両者の協力が不可欠だった。三者の仮定は互いに重なり、聖杯を破壊する事による特異点の解消という結論に到達するまで、意見がぶつかり合う事もなかった。残された問題は、誰(・)が(・)、ど(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)し(・)て(・)実行するかという点だけだ。

 手を挙げることに、少女は微塵の躊躇も見せなかった。アーチャーの宝具では、バーサーカーの宝具では、聖杯を砕くには向いていない。己のセイバーの聖剣であれば、きっと、誰よりも適任だろう。

 少女の提案は道理であるが、同時にそれは、最も危険な役割を買って出たという事でもある。財団からすれば、八つの聖杯は亘鵠佑を、そして七人のマスターを繫ぎ止める楔石だ。それを破壊する存在は、真っ先に排除するべき障害となる。少女にとっては得のない、貧乏くじといっても相違ない内容だった。

 

「だって、美しくないじゃないですか、こんな戦い。カルデアのマスターたちが殺し合うなんて、美しいとは言えないんです。私はやっぱり、どんなに陳腐だったとしても……人が手を取り合って笑える、美しい未来が見たい。そのためだったら、この役割を受ける意味もあるかなあって」

 

 そう言って、少女はやはり、笑った。数々の特異点を修正して、世界を救った、人類最後のマスターとして。やはりその顔は美しいと、セイバーは最後まで言葉にせずに、柔らかな笑みを彼女へ向ける。

 

「ああ──うん、そうだね。僕も、そんな美しい未来が見たい。この戦いに終止符を打つために、君の気高い覚悟のために、君が目指す未来のために」

 

 そして何より君のために、この身はひと振りの剣となろう。騎士の誓いを受け止めて、少女は頷き、親しげに彼の名を呼んだ。誰にも聞かれぬその場所で、ただひと言を、密やかに。

 

 

 

 

 

 燻る熱が腹の奥、腰の裏を焼いている。息が乱れて呼吸が弾んで、声が勝手に裏返る。それを堪えようとしても、触れられるだけで、唇を閉じていられない。

 

 濡れた舌が汗ばむ肌をなぞるだけで、腰から脊柱を這いあがる、悪寒にも似た感覚。勝手に背中が反り返り、身体を腕に囚われた。

 

 ああ、本当に、本当に、悔しいなあ。

 

 溶けそうになる、何もかも。腰が浮いているような、これは、くせになる心地良さだ。何もかもが、溶けて流れていくようで、ひどく悲しい。

 

 肌を、噛まれる。鎖骨に前歯が沈む、硬い感触。びり、と電流でも走ったように、肩から指先までが痺れた。息が、乱れて、止まらない。

 

 差し出した舌を吸われ、奪われる。私の体液も、私の魔力も。この身が貪られたその果てには、いったい、何が残っているのだろう。

 

 耳殻を舐める音に、頭が痺れて思考が止まる。勝手に涙が溢れて流れ、視界までも霞んでしまう。囁かれるその言葉に、この顔は、嬉しそうに笑ってしまう。

 

 ねえ、マスター。

 

 君はいつも、こうして愛を囁いてくれる。私はそれが嬉しくて、そして悲しくて堪らない。

 

 君が私を見る目は、まるで、餌を見る肉食昆虫のようだ。私だけじゃない、あの娘の事だって、君はいつも、そんな目で見ていた。

 

 ああ、悔しいなあ。本当に、本当に、悔しいなあ。

 

 君の心は、きっと、何処にもないってわかっているのに……それでも、乙女のように胸が鳴るよ。

 

 ねえ、マスター。

 

 私は、私は、君を──嗚呼、本当に、悔しい、なあ……。

 

 

 

 

 

 カーマがその日の寝床に選んだのは、戦域とならなかった丘の上にある邸宅だった。街の建造物を再現するだけに留まらず、家具や調度品までもが用意されていたのは、彼女のマスターにとっては幸運な事この上なかった。

 柔らかな寝台に身を預け、少女は母を呼ぶ幼子のように、涙声でサーヴァントの名を繰り返す。それに応えるようにして、きしりと小さく軋む音が、一度。艶やかな肌を曝け出し、女神はシーツの海に紋様を刻んだ。

 口付けは、深く。睫毛を伏せて溺れるように、舌を絡ませ、唾液を混ぜる。体液交換による魔力供給の必要はないが、その行為は止められない。痩せ細った腕を首に絡ませて、少女は束の間、このひと時だけの悦楽に耽る。礼装の留め具を外す音が、シーツの擦れるそれに重なった。

 

「大丈夫ですよ、マスターさん。怖い事も、嫌な事も、みーんな忘れてください。真白になった世界の事なんて、考えたって仕方ありません。あの娘の事だって、貴女に責任なんてありませんからね」

 

 豊かな乳房を押し当てると、汗ばんだ肌を擦り合わせながら、カーマは笑う。柔らかな肉が形を歪め、硬い芯が触れ合う度に、どちらからともなく吐息が漏れた。

 この心地良さは麻薬だと、理性がある頃の少女は多少の怯えをみせた。忘れてはならない事さえも、全て飲み込んで押し流す。津波のようなそれは、溺れてはならないもののはずだった。それでも、禁忌であったとしても、失い過ぎて空っぽになった少女には、それしか縋るものがない。カーマであれば、何もかもを忘れさせて、愛してくれる。快楽と忘却は、依存に。依存は、いつしか盲信に移り変わる。

 喘ぐように、浅く、短い呼吸を繰り返す。酸素を求める少女の唇を塞ぎ、糸を引く唾液を舌を伝わせて流し込む。細い喉が脈打つ様を、カーマは指を触れさせて確かめ、愉しんだ。とろりと濡れた瞳を見遣り、艶やかな黒髪を撫で、痩せた身体へと指を触れさせる。己の痕跡が其処彼処に刻まれた、鬱血と歯形に彩られた白い肌。あばらが浮くほどに痩せ細った身体をこそ、カーマは愛しげに抱き己の汗を塗り込むように身を重ねた。

 

「ほおら、気持ちいい。こうして触ると、蕩けて、濡れて、みんな忘れてしまえるでしょう? 良いんですよ、マスターさん。何もかもから目を背けて、耳を塞いで、私だけに溺れていても。私は、そんな貴女を、愛して甘やかしてあげますからね」

 

 この女神にとっては、それが、全てだった。いたいけな少女が己に溺れて、全てを投げ出すその様を愉しむためなら、何だって望みは叶えてやった。人理焼却も異聞帯も、全ては戯言、下らぬ事だと投げ捨てた。

 ぬるりと濡れた裡へ、埋まる指。子犬のような声をあげて、少女の思考がカーマの指で塗り潰される。ほおらと甘く囁く声に、締め付け、全てを忘れてしまう。

 大切な何かが、あったはず。失ってしまった何かが、あったはず。忘れてしまった誰かが、あったはず。儚げに浮かべたその笑みを、優しかったその瞳を、消えてしまった名前を思い出そうとして、今日もまた、塗り潰されて消えていく。

 

「いいんですよ、マスターさん。貴女は被害者なんですから、いいんです。怪(悪)物(役)になるいつかの日が、今日だっただけなんです。今でも貴女は、ちゃーんと、被害者なんですから」

 

 熱に浮かされたような声をあげ、体液をどろりと掻き出されながら、少女の意識はまた、愛欲の波に流されていった。

 

 

 

 冬木の地であれば、大空洞のあった地点が、彼らの最終防衛線だった。安置された八つの聖杯は、何も言わずに、ただそこに在るがまま。防護ガラスの中で、時を待つように、淡い輝きを放っている。

 定時確認を済ませると、仮説の休憩所へと戻りながら、男は太い首をゆっくりと回した。交代要員に声をかけて、ひと言ふた言、雑談を交わす。またなと投げ合う言葉が実現するかは、男にはわからない。超能力者でも、魔術師でも、未来視の魔眼持ちでもない。ただの、人殺しに精通した兵隊でしかない男には。

 施設内に放送が響き渡ったのは、今から二十三分前の事だ。少年の声は、その若々しさからは想像できないほどに聡明で、そして力強い言葉を語る。この地における、全ての元凶がここにある。聖杯を破壊する事で、彼らは元の世界へ戻れると、自信に満ちた演説だった。良いリーダーになるだろうと、他人事のように思うほどに。

 休憩所には、数名の部下の姿があった。立ち上がり、敬礼をするその様を見て、片手で座れのジェスチャーを返す。椅子を引く音は、一糸乱れずに一度だけ響いた。

 

「ああ、良い良い、休めるうちに休んでおけ。これからはサーヴァント戦だぞ、人間相手の楽な戦闘は忘れろよ」

 

 部下の返答を聞きながら、男は軍服のポケットを漁る。くしゃくしゃに潰れた紙箱の中には、よれた紙巻が二本。手首のスナップで取り出し、咥え、葉巻が恋しいと愚痴を漏らす。ひとりの部下がライターの火を差し出し、男もそれを受け入れた。

 

「そもそも、アベンジャーズってのが良くねえよな。主人公(ヒーロー)を集めて世界を救う、だろ? そりゃあ、主人公(ヒーロー)が集まったらこうなるさ。顔も知らないけれどよ、自分と同じ立場の奴を助けようって、そういう奴が出るのは当然だ。俺がスーパーヒーローなら、そうする」

 

 俺たちは、とどのつまり、何処まで行っても悪役だ。快活そうな笑い声に、男の部下たちも違いないと頷き、楽しげに笑った。

 ぢりと空気の焦げる音、強くなる紙巻の紅色。灰を足元に落としながら、吸い込んだ紫煙を堪能して、ゆっくりと吐き出す。最後の一服だなと、そんな思いが何処かにあった。

 

「隊長は、ここの前はどちらに? 海兵隊か、そうでなければデルタですか」

 

「いや、女王陛下の陸軍さ。若い頃は、キリングハウスで駆け回っていたよ」

 

 部下たちの間にあったざわめきは、男が素性を明かした事への驚きが故だ。この財団に雇われてから、目覚ましい活躍を見せてきた彼の正体を、誰ひとりとして知るものはなかった。聞いた所で答えはなく、長年、その正体は賭けの対象となったものだった。唐突な回答に、嘘だろうと、また笑い声があがる。

 

「英国人なのに、好物はコーヒーとチーズバーガー? 英国人は、紅茶とスコーンだと思っていました」

 

 大勢の笑い声が、部屋に響く。ビールだって好きだろうと、好みの指摘に反論をしながら、男もまた楽しげに笑った。吸いしろのなくなった紙巻を床に捨て、ブーツの底で揉み潰す。部屋に集った精鋭たちを見渡すと、ふっと一度、吐息を逃した。

 

「さあて、仕事の時間だ。ひよっこ共に、大人の意地ってやつを見せてやれ。アーチャーの狙撃による援護と、セイバーの突貫が奴らの策だ。バーサーカーは放っておけ、俺たちの火力じゃどうにもならん。オメガ部隊が、ブリーチャーを終了させれば俺たちの勝ち。間に合わずに聖杯を破壊されれば、俺たちの負けだ」

 

 男の言葉に、その場の全員が口を揃えて全く同じ返答をする。国籍も、人種も、かつて所属していた部隊も、まるで異なる寄せ集め。それでも彼らは今日まで、多くのオブジェクトの封じ込めに、あるいはその終了に貢献してきた。最早、家族にも近しい、ひとつの巨大な群体だ。

 その誰もが、思考を共有しているように理解していた。特異点と化した事を知らずとも、この世界はもう既に、おかしくなってしまっている。彼らを全員殺したとして、世界は救われないかもしれない。それでも、任務は任務だ。この聖杯を護るのが、世界を救う鍵になる。そう信じて、男たちは銃を取る。

 誰も彼もが、戦う理由を胸に抱き、戦場へと踏み出していく。数多の思惑が入り混じる、特異点の終着点。

 決戦の時は、もう、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 街道を抜け、大橋を渡り、見覚えのある道をただひたすらに駆け抜けた。共に走るジャンヌの姿はなく、今や、丸腰の子供に他ならない。それでも鵠佑は、足を止めようとはしなかった。

 冬木の特異点を思い出し、自分の成すべき事を成す。ひとりで歩き出した無力な少年を導くように、施設の中に放送が響き渡ったのは少しばかり前の事だ。大空洞のあったあの場所に、この特異点でも、やはり聖杯が眠っている。それを破壊する事で、特異点を霧散させるのだと、名も知らない誰かは言っていた。

 ならば、自分のやるべき事は決まっている。たとえ、どれだけ無力であったとしても、何かの役に立ちたい。そう願う心が、本物なのか。それとも、役割として与えられたものなのか。足が止まりそうになるその疑問を、鵠佑は意識の片隅へと押しやって走った。

 考えたって始まらない、自分にできる何かをして、それから考えればいい。己にそう言い聞かせ、鵠佑は闇を縫って駆け抜ける。背後を振り返る事はしない。ただ、物陰を選び、建物の中を抜けて、拙い策を講じながら。

 追跡されているのが、感覚でわかる。ジャンヌの姿が見えない事を警戒しているのか、幾らか距離は置いているものの、決して振り切る事はできなかった。軍人というものの恐ろしさを、この時、鵠佑は初めて正しく認識した。

 走り続けているせいで、肺が焼け付くように痛む。心臓は胸を突き上げるように脈動し、とっくに限界を超えていると悲痛なほどに訴えている。足は重く力が抜けて、倒れてしまいそうになる。けれど、そこで止まれば終わりだと、鵠佑自身が知っていた。

 汗が目に入り、視界が塞がる痛みでさえも、うなじに感じる悪寒と比べれば優しいものだった。ちりちりと焼けるような冷たさが、どれだけ逃げても離れない。膨れあがる恐怖心が、肉体疲労の苦痛で紛れる事だけが救いだった。

 暗い山が、視界に入る。柳洞寺の複製品を仰ぐ交差点で、鵠佑の身体は唐突に、力を失ったように倒れ込みアスファルトを転がった。

 痛みは身体中からやってきて、何が起きたか理解できない。地面に広がる血溜まりは、右の膝から溢れていた。銃弾に抉られた傷口を見て、ようやく激しい痛みに悲鳴を漏らす。礼装のポケットからは、最後のスクロールが覗いていた。

 

「う、う……っ……! は、ぁ……!」

 

 痛みと恐怖に叫びそうになるのを、腕を噛んで堪える。涙が自然と流れて落ちるのも気にならなかった。地面を這って、前へ。鵠佑は尚も、そこへ行こうと必死に足掻く。迫り来る軍靴の音を聞きながら、振り返ろうとはしなかった。

 スクロールを使っても、このままだと、すぐに撃たれる。どうすれば逃げられるか、どうすれば進めるのか。鵠佑の頭は、必死に思考を繰り返した。だが、答えが出るか否かと、その必死さは関係がない。足音は鵠佑の背後で止まり、低い男の声が響く。

 

「緊急連絡、オメガよりゼータへ。我、ブリーチャーを確保。繰り返す、我、ブリーチャーを確保。もう時間がない、これよりこの場で終了する。以上」

 

 滑らかな、作動音。銃の知識がない鵠佑にも、それが何を意味するものかは理解できた。弾丸を発射できるようにする、標的を撃つための、準備の音だ。

 助けも赦しも、鵠佑は求めなかった。これから死ぬとわかった所で、胸に浮かんだのはふたつ。途中で止められてしまう悔しさと、彼(・)女(・)に対する、何かの思い。それがきちんとした形になるまでは、時間が足りなかった。

 ああ、これで、終わるのか。そんな思いは、不意の怒号に掻き消された。

 

「銃を、下ろせ。子供に、銃を向けるんじゃあない!」

 

 がつ、がつ、と。特徴的な間を置いた、義足の足音を聞くのは二度目だ。巌の如き巨躯を従え、男はひとり、歩みを進める。見上げる鵠佑を護るよう、兵士たちの前へと身を差し出して、未だ銃を構える彼らを見遣る。

 

「断る。邪魔をするならば、貴方も終了しなければならない。退いてくれないか、カルデアのマスター。そ(・)れ(・)は、ここで始末しなくてはならないものなのだ」

 

 だめだと、ならぬと、男は告げる。ヘラクレスへの警戒から、兵士たちは動けない。その隙を使って、最後のスクロールが鵠佑の傷を修復させる。立ちあがる鵠佑を見ぬままに、バーサーカーのマスターは、深みのある低い声で、二度目になるねと呟いた。

 

「ここは私に任せて、行きなさい。君が本当に行くべき所へ、成すべき事を成すために」

 

 ありがとうございますと、たくさんの感情を込めた言葉を残して、少年は駆け出した。追おうとする兵士たちを遮るのは、分厚く重たい斧剣の刀身。ヘラクレスは物を言わず、ただ、放たれる時を待っていた。

 男は魔術師でもあったが、それ以上に、カルデアに勤める医者でもあった。拠点においてはロマニと共に怪我人を治療し、そして、自身もレイシフトへの適性を持つ彼は、軍医としてはこれ以上にない逸材だった。あの爆発事故で多くの生命を失いながらも、彼のカルデアは人理を修復し、世界に平和をもたらした──そのはずだった。

 二〇十七年、十二月三十一日。最初の爆発事故を、遥かに上回る生命が散った。殺戮猟兵の手によって、若いスタッフが次々と、銃弾に撃たれて血の海に沈んだ。先生(ドクター)と、男のあだ名を口にして、必死に助けを乞いながら、力尽きた者たちがいた。男の右足と左目もまた、神(・)父(・)によって破壊された。その日、彼の親しんだフィニス・カルデアは崩壊し、今に至る。だからこそ、男はそれが許せない。子供に向けられた銃口が、生命を奪うその光景が、何より許せぬものだった。

 

「ここから先へ行くのならば、相応の覚悟をして貰う。私もヘラクレスも、お前たちを通しはしない。……生命は奪いたくない、奪うつもりも毛頭ないが──相応の覚悟を、して貰おう」

 

 ヘラクレスの咆哮が、大気を、大地を震撼させる。男の背負った罪に応え、その贖罪を支えるように。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。