敵サーヴァントの攻撃が苛烈さを増していると、他の誰でもないマシュ自身が実感していた。
躍り掛かって一撃を放ち、反撃を受ける前に離脱する。機動力に物を言わせての、執拗なまでの強襲。防ぎ受け止めこそするものの、マシュの体力は確実に消耗していく。
マスターを持たない、残滓に過ぎないシャドウサーヴァント故に宝具の展開こそないものの、気質の差が大き過ぎた。
生物を殺傷する行為への、他者を傷つける行為への躊躇の有無。マシュの美徳であるそれは、この極限状況においては足枷となり、弱味となる。それを理解しながらも、未だ、少女の心は折れなかった。
「所長の準備が、もうすぐ終わるから。そうしたら、全力で相手を押し込んで欲しい」
マスターからの言葉は、交戦時の金属音の中でも鮮明に聞き取れた。そして、その命令があるから、ひとりではないとわかるから、マシュの膝はどんな猛攻を前にしても崩れなかった。
肩が上がり、肺腑が焼け付くように痛むけれど。盾が重たく、掌が刺すように痛むけれど。剥き出しの殺意や敵意に、気を抜くと竦みそうになるけれど。
痛みを味わっても、恐怖を味わっても、へたり込むことはしなかった。
自分が折れたら、人が死ぬ。目の前で、誰かの命が消し去られてしまう。それは、とても恐ろしい事に思えた。そして同時に、この手でその恐ろしい事を防げるのが、何故か嬉しく誇らしかった。
「止めます、止めますっ! シールドエフェクト、発揮します!」
あと、三十秒だけ。それだけ、頑張ろう。悲鳴をあげる身体に言い聞かせて、両足に力を込める。マスターからの指示を受けて、襲いかかる影へと、重たい盾を叩きつけた。
あと、十五秒。震える指先に言い聞かせて、支えとなる両手に力を込める。身体ごと全てを持っていかれそうな慣性を無理やりにねじ伏せて、振り抜いた盾を叫びと共に担ぎ上げる。
あと、十秒。躱された一撃に合わせての反撃を、踏み止まって耐える。装甲から伝わる衝撃が、身体を砕くように駆け抜けていく。
あと、五秒だけ。身を守る亀のようだとしても、歯を食いしばって。盾面を滑らせるように力を逃し、押し込まれないように踏ん張る事だけは忘れずに。
あと、一秒なら。限界を訴える肉体を叱咤して、マシュは立つ。大声で叫んだ経験などなかった少女は、知らず知らずのうちに雄叫びをあげていた。
三十秒も耐え切れたのだから、同じだけ頑張れる。奥歯を噛み締めると同時、影が両腕の短刀を振るい、鎧に守られていない皮膚がざくりと裂けた。
赤い血潮が飛び散って、アスファルトに花が咲く。それでも、身を裂かれる痛みでさえも、マシュの動きは止まらない。どころか、コンクリートを踏み抜く一歩には、先程以上の力がこもっていた。
「シールダー、令呪を以って命ずる!」
高く響く声が、少女の背中を強く押す。狭まっていた視野が開け、疲労感が霧散していく感覚。マシュ・キリエライトとしてではなく、デミ・サーヴァントとして、シールダーとしての彼女に命じるマスターの言葉。
莫大な魔力が流れ込んでいると気付くことはなかったものの、思考がただひとつの目的へと研ぎ澄まされて、視線はただ一点だけを見つめていた。
その声に応えるように、渾身の力を込めて身体ごとサーヴァントへとぶち当たる。あれだけ重たかった盾が羽毛のように軽く、意のままに動いてくれる。マシュの心からは、強大な敵への恐れもまた、消えていた。
「やああぁぁっ!」
大振りに振り下ろした大盾を打ち付け、敵の動きを止める。防がざるを得ない一撃を防がせながら、その踏み込みを殺さずに重心を低く移しての肉薄。
地面を蹴ったブーツの底面が、アスファルトを踏み砕く感触。夜空を謳うオルガマリーの詠唱が、後方から聞こえた気がした。
伸び上がる勢いを重ね、今一度。最初は防がれた攻撃も、手順を踏んで、相手の防御を打ち崩して叩き込んでやる。重たい感触を弾き飛ばすのと、諦観の声が耳に届いたのは、全くの同時だった。
「ああ……しくじりました、ね……」
誰にも届かないはずのかすれた声は、確かに、マシュの耳に届いていた。困惑するのは、瞬きひとつも挟めない、一瞬。盾に隠れてこそいたが、相手が見ているものが何かは知れた。
崩れた教会の、屋根上。聖印として掲げられていた十字架が、重力に引かれるままに、落ちる。ぞぶり、とも、ぐしゃり、とも。およそ、人生の中では聞かぬような音を立てて。
大盾を構えたままの、マシュの正面。地面に突き刺さるようにして、墓標の如き巨大な銀十字がそこにあった。
影のサーヴァントの姿は、既になく。ただ、夜の闇に還るように。黒い粒子が風に舞い、流れて、溶けて、消えていった。
オルガマリーの魔弾は寸分の狂いもなく、銀十字の土台を撃ち抜いた。
マシュの猛攻は逃げ出す事も許さず、敵を着弾地点へと押し込んだ。
銀十字に貫かれたサーヴァントは、一度大きく身を跳ねさせてから脱力し、塵となって消えていった。
訪れた静寂を最初に破ったのは、マシュの鎧が軋む音。張り詰めていた糸が切れたように傾いだ身体を、慌てて駆け寄った鵠佑が抱き支えた。
「すみません、先輩……なんだか、今になって腰が……」
眉尻を落として、ため息混じりにマシュが漏らす。鎧で守り切れていない肌に刻まれた、数え切れないほどの傷痕を見て、鵠佑の表情が切なげに歪む。
不思議そうに見上げるマシュの視線に気付いて、鵠佑は笑顔を浮かべた。
「ありがとう。マシュのお陰で、ぼくも所長も生きてる。……あはは、参ったな。もっともっと感謝しているのに、言葉が出ないや」
ふっと柔らかな笑みを浮かべて、マシュもそれに応じるように頷く。ちゃんとわかっています、そう言外に添えるようにして。
やや遅れて駆け付けたオルガマリーが、マシュの活躍を讃えながら、その身に負った傷を見て眉根を寄せる。治療をすると短く告げ、慣れた様子で魔術回路を励起させた。
逆再生のように閉じていく傷口を見て、鵠佑は声を上げて驚いた。まるで子供のような反応に、オルガマリーはため息を、マシュは小さな笑いをそれぞれ返した。
「これで良いわ、問題はないはずよ。酷く痛むようなら、すぐに報告しなさい。……ああ、それから。よくやりました、マシュ・キリエライト。カルデア所長として、今回の戦闘におけるあなたの活躍、誇らしく思うわ」
手当を終えると、オルガマリーは咳払いをひとつ挟んでから、形式張った言い回しでマシュへ賛辞を贈った。言い終えるなりふいと視線を逸らし、そのまま調査の続行を命じる。
最初こそ驚きに目を見開いていたものの、マシュの口元は柔く綻んで、視線だけを彼女のマスターへと向けていた。
ごく僅かな逡巡を挟んで。親指を立て、鵠佑は笑った。ジェスチャーの意味は万国共通なのか、マシュもまたはにかみながらその仕草を真似てみせる。
「褒められたね、マシュ」
「はい、褒めていただけました。あの、ええと……言葉にするのが難しいのですが、こう、胸のあたりがふわふわとしています!」
屈託のない笑顔を見せるマシュに、鵠佑が頷きを返そうとした、その時だった。ノイズ混じりではあるが、緊迫感に満ちたロマニの声が、三人の空気を一変させる。最初に声を荒げたのは、オルガマリーだった。
ふざけないで、と。叫ぶかのように訴える声は恐怖に震え、血の気が失せた顔は紙のように白い。震える拳を握り締めて、泣き声になりつつあるそれでオルガマリーが叫ぶ。
「あと、二騎の反応ですって? 令呪まで切って倒したのよ、今、たった今! 頑張っただけじゃない、結果だって出したの! 褒めてよ、ねえ、使えるものをなんだって使って、三人がかりで必死になってようやく一騎を倒したばかりなのよ!」
それは、怒りというよりも嘆きだと鵠佑は思った。あまりの剣幕にマシュがたじろぎ、助けを求めるように視線を泳がせる。ホログラムのロマニは頭を抱えながら、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「嘘でもなければ、たちの悪い冗談でもない。こちらで確認したのは、二騎のサーヴァント反応が君たちの所へ向かっているという事実だ。もうこれ以上の交戦は必要ない、出来る限り即急に、そこから離れるんだ!」
行こう。そう静かにマシュに呼びかけて、鵠佑はオルガマリーの元へと歩み寄る。不安げな面持ちで、マシュは物言わずにふたりの様子を見つめていた。
徐々に乱れる通信に、ロマニの名を叫びながら罵倒の言葉を浴びせかけるも、現状は決して変わらない。わかっているからこそ、オルガマリーは今度こそ、立ち尽くした。
親指の爪を噛む姿は、カルデアの所長ではなく、追い詰められたひとりの少女のそれだ。周囲を見渡しても、武器になるものは残されていない。身を隠す場所も、逃げるための乗り物も、力ない少女を助ける一切が存在しない。
小さく震えるオルガマリーの肩を、鵠佑がそうと叩く。大袈裟なほどに身体を震わせて、オルガマリーは見開いた双眸を向けるように振り返った。
「逃げましょう、所長。追いつかれるかもしれないけど、何もしないよりは良いと思います。……このままだと、皆、死んじゃいます」
思わず右手を振りかぶり、やや置いて、吐息と共に下ろしていく。ここで叩いても、何の解決にもならない事を理解しているのもある。
だが、それ以上に。目の前の少年もまた、迫り来るモノに怯えているという事を、オルガマリー自身が理解したからだ。
自嘲めいた笑いが漏れたのは、無知な一般人が気遣おうとするほどの無様を見せてしまった、弱い己を自覚したが故。律しなくてはと頭では理解するものの、溢れてしまった感情はそう簡単に切り替えられるわけもなかった。
「そうね……ええ、それしかないものね。どうせ、誰も助けになんて来ないのですし」
やがて鵠佑の言葉に力なく首肯すると、差し伸べられた手を取りはせず、オルガマリーは先ほどの戦いで割れたアスファルトを踏み締める。
その、踏み出した一歩を縫い留めるかの如く。ここから先へは行かせないと告げるようにして、弾丸めいた黒い短刀が音もなく突き立てられていた。
頭上を仰いだものの、見えるのはぽっかりと空いた底なし穴のような暗い夜空だけ。周囲に視線を走らせても捉えられるものはなく、燃え盛る街の残骸があるばかり。
それでも、ここに何かがいるという点に関しては、間違いようがなかった。知らず知らずのうちに三人は身を寄せ合い、互いに背中を預けて襲撃に備えようと試みる。
無慈悲に投擲される黒塗りの刃が、そんな精一杯の反抗を嘲笑った。鈍い激突音と衝撃を残して、マシュの盾に火花と残響を刻み込む。慌てて構え直したその肩口を、ぞぶりと深く、第二の刃が抉り穿った。
「い、あ……ッ! 所長、マスター、ご無事ですか!」
激痛を押して、マシュはふたりの無事を問う。返事がある事に安堵しながらも、思考はぐるぐると渦を巻く。何をすれば良いのか、何処を探せば良いのか、答えのない自問自答はまるで迷路のようだった。
獲物が動けなくなったのを機に、がらりと空気が変わった。襲撃者は姿を見せぬまま、音による撹乱で恐怖を与えるように着地音を轟かせながら、尚も夜闇を縫って飛び回っているように感じられた。
その、証左とばかり。逃げ出そうと重心を移した、ただそれだけで無数の黒刃が四方八方から撃ち込まれる。オルガマリー、マシュ、鵠佑。誰もが立ち竦み、頬を伝う汗すら拭えなかった。
「遅イ 鈍イ アマリニ弱クテ 話ニナラン。私ヒトリデ 十分ダッタカ」
割れて濁った声は、まさに眼前から。周囲へ視線を巡らせていた鵠佑が見たのは、いつの間にそこにいたのか、目と鼻の先に在った無貌の如き髑髏面。
現状の把握、そして理解に至るまで、ひと息すらなかった。予想すらしなかった横殴りの衝撃に襲われて、鵠佑の身体が宙を舞う。
地面に打ち付けられ、車に跳ねられたように転がりながら。鵠佑は、つい今しがたまで立っていた場所で、サーヴァントの一撃を受け止めているマシュの姿を見た。
「やらせません、絶対に……!」
廻る景色の中で、始まる打ち合い。尻餅をついたオルガマリーが後退り、敵の意識を引き寄せるようにマシュが叫び声を上げる。
受け身の要領で地面を打つと、軋む身体を起こして鵠佑は叫んだ。視線はマシュと相対するサーヴァントではなく、彼女の背後へと向いていた。
「ダメだ、そいつじゃない! もうひとりだ、後ろから来てる!」
無力な獲物の、必死の声が届いたのだろう。最初に反応を見せたのは、三人の命を摘み取ろうとする幽鬼どもだった。嘲りの哄笑は、まるで死刑宣告のように轟いた。
前後を取られ、逃げ場はない。盾こそ構えているが、マシュの戦意は萎縮が見て取れるほど。オルガマリーは泣き出しかねない表情で、聞き取れない言葉を呟いている。
立ち上がろうとする鵠佑の指先に触れる、冷たい金属の感触。視線を向けた先には、先ほどオルガマリーが撃ち落とした銀十字の破片がひとつ。
この場において、ただひとつ拾えた小さな武器を手に、笑いそうになる膝を立ち上がらせる。節々が痛んだが、骨が折れている様子はなかった。まだ動けそうだと、鵠佑は他人事のように思った。
犬死するであろう事は、火を見るよりも明らか。だとしても、このまま、目の前で人が殺されるのを見るよりはずっと良い。もしも誰かを助けられるなら──このまま、見ているよりはずっと良い。
「やめとけやめとけ。そういう無鉄砲なガキも嫌いじゃないがね、そこで死んだらお嬢ちゃんが泣いちまうぞ」
不意に背後からかけられる声、ざくりと砂利を踏み締める音。鵠佑が振り返った先には、燃え盛る街を背に、男がひとり。
緩やかな歩み、脱力した空気。ただ、眼光だけが猛禽の如き鋭さを持って、マシュを、彼女を取り囲むサーヴァントを見据えていた。
「彼我の差を理解して、なお他人を助ける為に生命を捨てようと立つか。肝心の坊主自身が弱いってのはどうしようもねえが、見所はある」
杖に刻まれた紋様がルーン文字であると、それを見抜くほどの知識は鵠佑にはない。彼がどれほどに高名な英霊なのか、それを見抜くほどの知識は鵠佑にはない。
それでも、鵠佑はひと目その姿を見た時点から直観していた。この人は──正体も名前も知らぬこの男は、強い、と。
「あの、あなたは、……違う、違いますね、そうじゃない。お願いします、ぼくらを……いいえ、彼女たちを助けてください!」
見ず知らずの誰かに助けを乞う事を、愚かだとは思わなかった。それで彼女たちを助けられるのなら、生命を捨てるよりも確実に思える。
鵠佑の思考は子供じた単純なものだったが、形振りやプライドを持たないからこそ、男もまた楽しげに笑った。下げたままの鵠佑の頭を、掌で一度、軽く触れる。
「応。頼み方をわかってるじゃねえか、それでいい。そうやって真っ直ぐ見つめられると、英雄ってのは子供を助けてやりたくなるってもんだ」
言うままに、一歩。鵠佑を背に、男はゆるりと踏み出した。得物の杖を掲げ、石突きを打つ音を響かせる。澄んだ音は心地良く、死地という事実を忘れさせるようでさえあった。
マシュに襲い掛かる寸前だった二騎のサーヴァントもまた、その音に吸い寄せられたように、闖入者へと釘付けになっていた。男と知古であったらしい片割れが、何事かを問いかける。涼しい顔をして、男はそれを受け流して笑っていた。
「──ansuz!」
機が生まれ、マシュは立て直しのために後退を試みる。逃すまいと投擲された短刀を、赤い流星が焼き払った。その一撃が、男の放った火球であると、強化された動体視力が辛うじて捉えられる攻防。
最大の脅威は、彼にある。敵対者たるサーヴァントもそれを認め、マシュへの追撃を止めて男へと向き直る。張り詰めていく空気が、否が応でも激戦を予感させた。
機勢の平衡が失われる、その寸前。完全な均衡が生まれた故の、水を打ったような静けさ。誰もが迂闊に動けず、だからこそ呼び水を求める刹那。不敵な笑みをひとつ浮かべて、男が高らかに名乗りを上げた。
「キャスター、クー・フーリン。仮契約の立場だが、今は坊主のサーヴァントとして戦おう」
クー・フーリン。アイルランド地方に名高い、ケルト神話の大英雄。その名を知らない鵠佑にも、彼の戦いがどれだけ見事なものであるかは見て取れた。
追い切れない程の速度で駆け巡る髑髏面のサーヴァントを、火球を用いて巧みに食い止め、機動力という長所を奪い去っていく。投擲される黒刃を紙一重で躱しながら、時に大胆に踏み込み、拳を用いて打撃を放つ。
「そうら、よッ!」
腹部を打ち抜く感触はなく、柳枝を思わせる髑髏面の体術に受け流されるばかり。舌打ちをひとつ挟みつつ、クー・フーリンは飛び退る隙を火球で狙い撃つ。目まぐるしい応酬は、遠近共に隙のない、熟達した戦士の戦いだ。
「邪魔ヲスルカ キャスター……!」
忌々しげに声を漏らす髑髏面の様子を伺う一方で、クー・フーリンはマシュの名を呼ぶ。背後から襲い掛かる片割れの一撃を、大盾が受け止める重たい音が轟いた。
長大な薙刀は、発泡スチロールのように地面を砕く力を有していたが、それすらマシュの盾は防ぎ切った。足首までをも大地に沈めながら、重厚な盾は傷ひとつ付かず、重たい一撃を耐え抜いた。
「おうおう、良いぞお嬢ちゃん。地力じゃアンタもコイツらも大差はねぇ、気合の勝負ってもんだ!」
戦いの最中でも平時の如く笑ってみせるクー・フーリンの姿は、争いを楽しんでいるようですらあった。
こういうのは、負けると受け入れたら負けなのさ。そんな言葉を投げかけて、槍持ちのサーヴァントへと肉薄するクー・フーリン。その姿は、さながら獲物を追い詰める猟犬のようだった。屈強な肉体へと掌をあてがい、聞き慣れない言語で何かを紡ぐ。
掌が、爆発したように見えた。弾丸のように撃ち出していた火球を、掌中に留めて打ち付けたのだと、そこまで見抜くほど鵠佑の目はまだ育っていない。わかるのは、爆炎で抉り取られた槍持ちの胴体から推測できる、今の一撃の破壊力だけだ。
離れている鵠佑の肌をも焦がす灼熱を浴びて、とうとう槍持ちが膝を突いた。その隙を見逃さず、マシュが追い討ちをかける。分厚い盾が鈍器へと変貌し、槍持ちの顎を打ち砕く痛々しい音が響いた。
「オオ……ア……! 聖杯……聖杯、ヲ……!」
それでも尚、槍持ちは手を伸ばす。指先が粒子のように崩れ去り、末端から崩壊が始まって尚、最後に相対した獲物を仕留めんと。
「ダメだね、させねぇよ」
そして、クー・フーリンもまた、槍持ちの介錯に動いていた。物質として顕現する力を失い始めた腕を、手にした杖で容易く砕き、業火を用いて荼毘に付す。響き渡るのは、末期の声。槍持ちの断末魔は、弱々しく消えていった。
情勢が傾き、風向きが変わる。土壇場での加勢を得た事で、鵠佑たちの勝利は目前へと迫っていた。一対二から二対二へ、そして二対一へと移りゆく戦力。目前に迫っていた死の恐怖が、ほんの少しだけ、遠ざかった気がした。
忌々しげな髑髏面の呪詛を聞きながら、鵠佑はオルガマリーの元へと急ぐ。へたり込んだままの彼女に手を貸して、その身を力強く抱き起こした。
「所長、オルガマリー所長! 大丈夫ですよ、これなら、きっと大丈夫です。ぼくたち、きっと帰れますよ!」
それまで呆然としていたオルガマリーの瞳にも、光が徐々に戻っていく。希望が見えた事で、生きる活力を取り戻したかのように。
これが、仮にマシュならば。サーヴァントとの交戦を実際に経験したマシュならば、そんな隙は晒さなかっただろう。
鵠佑もオルガマリーも、マスターとしては素人に過ぎない。身を守る術も知らず、サーヴァントとの戦闘における危険区域の見分けもついていない。
暗殺者たる髑髏面からしてみれば、鴨を撃つよりも、余程容易い存在だったろう。故に、だかこそ、つまりは。敵の人員を減らすならば、
「まずいぞお嬢ちゃん、行け! 野郎、マスターに狙いを変えやがった!」
当然の如く、いち早く察したのはクー・フーリンだった。マスターを守れとマシュに命じ、後押しするように火球を放つ。風除けの加護でも受けているのか、その一撃は髑髏面の跳躍ひとつで容易く躱される結果となった。
間に合わせるには、いささか遠い。ルーン魔術による肉体強化で跳んだとしても、あと半歩足りない。髑髏面の方が、先にマスターたちを手にかける。だからこそ、彼らに近かったマシュに任せると、判断を下した。
なにより、マスターを守る力もないサーヴァントなら、どうせ彼らは長くない。両者の動きを見定めながら、クー・フーリンはゆるりと一度、ため息めいた吐息を漏らした。
「守ってみせろよ、
聞こえていようと聞こえていまいと、別段構わないという風に、クー・フーリンはひとりで嘯く。これまでの戦いから察するに、あの小娘は宝具を使いこなせていない。
事情はあろうが、関係はなし。ここでも使いこなせなければ、そのまま誰かが確実に死ぬ。ただ、それだけの事だ。
冷酷とも取れるクー・フーリンの思考は、現実主義者の一面が故のものだろう。あるいは、ともすると。試練を与える事で、若者たちを導かんとする師としての意識なのやもしれない。
そのどちらが正解だったとしても、所詮は些事だ。他人事めいた思案を挟みながら、クー・フーリンは密やかに、マシュの背中に言葉を贈る。
「思いっきり頑張りな、お嬢ちゃん。格好良い所を、マスターにしっかり見せてやれよ」
クー・フーリンの声に押されるがまま、マシュは駆けた。崩れた電柱を蹴り、あるいは頭上の電線を駆け、空を翔ぶように突き進む髑髏面を、ただひたすらに追いかけて。
胸中に湧き上がる予感は一歩ごとに膨れ上がり、それ故に心が身体を突き動かした。壁も床もを駆け抜ける影からは、決して視線を逸らさずに。最短距離を最速で、脇目も振らずに駆け抜ける。
ブーツのソールが地面を削り飛ばして、巻き上げる土埃。振り回されそうになる身体を、大盾を突き立てる事で強引に制動し、守るべき人たちを背中に隠す。頭上の髑髏面はもう既に、左右の十指に黒刃を挟み、投擲の構えを取っていた。
突風のように駆けつけたマシュを見て、鵠佑もまた、自分たちの置かれた状況を理解した。オルガマリーが息を飲む音で、彼女もまた、自分と同じものを見ているのだと知る。己が迂闊を悔いる間さえなく、ただ、マシュの声だけが聞こえた。
「所長、先輩! 守ります、わたしが、守りますから!」
髑髏面の手から放たれた黒刃が、風を切る。せめてオルガマリーを背後に隠そうと、鵠佑が半歩を踏み出した所で、右手の甲に刻まれた紋様が熱く疼くのを感じた。
自らの手元へと視線を移した鵠佑の目に、淡い令呪の輝きが映る。何かが起ころうとしている。この紋様で繋がれた、ひとりの少女の身に、何かが。
弾丸以上の速度で迫る殺意を前にした鵠佑の目には、自分たちを守ろうとするマシュの小さな背中に、細い手足に、眩い紫電が走ったように見えた。
煌めくような閃光が、鵠佑の網膜を焼いた。渦巻く魔力の奔流が形を成し、大盾を中心に展開する。冷たく澄んだ清浄な空気を伴って、生み出された光の壁が、髑髏面の刃を中空に縫い止めていた。
「────ッ!」
声にならないマシュの叫び声が、確かに鵠佑の耳に聞こえた。彼女が何を成したのかは理解できなくとも、彼女が何をしようとしたのかは理解できる。
人を。誰かの生命を、誰かの明日を、その身を盾に守っている。がむしゃらに、無我夢中で、必死になって。
守護者として立つ少女の姿は、守られている者の瞳には、何処までも気高く美しく見える。その時、正しく鵠佑は、自らが契約したデミ・サーヴァントの勇姿に見とれていた。
「──合格だ、良くやった。あとは任せておきな、お嬢ちゃん」
髑髏面へと追いついたクー・フーリンが、マシュへと告げる。投擲を終えて、舌打ちをしながら着地するその背中へと、オークの杖を突きつけながら。
詠唱は、一度。夜空に展開される魔法陣には、輝く数多のルーン文字。魔力の流れを感知したのか、後方を振り返る髑髏面。焚火の、木々を燃やす時の、独特の匂いが立ち込める。
「泥に飲まれて、目玉も臓腑も腐っちまった。そんな無様、オタクも晒していたくはないだろ?」
夜の闇が、赤く染まって暴かれていく。クー・フーリンの杖に従って、魔法陣を扉代わりに現れた、それは。燃え盛る炎に包まれたそれは、巨人の
森が焼けるかのような灼熱の塊が、拳を握る。髑髏面は佇んだまま、何を言うでもなく、まるで受け入れるようにそこにいた。
振るわれる巨人の拳に、髑髏面の身体は木の葉のように吹き飛んで、展開されたままの光の壁へと打ち付けられた。振り下ろされる鉄槌の如き一撃を受け止めても、尚、マシュの支える盾は崩れない。
猛火に包まれ燃え尽きて、塵へと消えていく黒い肢体。消え去っていく頭部から、髑髏の面が剥がれて落ちて、砕けて割れた。
全てを見届けた所で、鵠佑の膝から力が抜けた。よろめき、尻餅をつくようにしてその場へとへたり込む。それに続いたのは、マシュだった。鎧を軋ませながら、鵠佑以上の勢いで、亀裂の走ったアスファルトへと座り込む。
「ちょっと、ふたりとも大丈夫なの?」
「なーに心配すんな、初めて宝具を使った反動だろうさ。いやいやしかし、坊主もお嬢ちゃんも良くやったじゃねえか、上出来だ」
ふたり揃って地べたに座って、虚空を見つめて呼吸を整えるその姿は、全力疾走でもしたかのような様相だった。慌ててオルガマリーが声をかけ、クー・フーリンが高らかに笑う。
焼けるような匂いも、炎を纏った巨人の腕も、眩い光の壁すらも。気付いた時には消え失せて、後にはただ、静寂だけが残されていた。