サッチの用意してくれたスープが目の前に置かれた瞬間、吐き気がした。変な脂汗まで出て、私は無言で立ち上がると洗面台迄かけて行く。
そんな私を心配そうにサッチが見送ってくれているのは気付いてるけど、今は何も言えない。口を開くのは、今は自殺行為だと言うのは理解してるから。
洗面台で嘔吐く私は、その段になって漸く理解した。いや、認めないで来た現実に向き合う事を余儀なくされたと言うべきかも知れないけど。
だってね、エースが隊長に選抜されたのよ。という事は、もう少ししたらサッチが殺されてしまう危険性があるのに、どうしてこのタイミングなの?
認めたくなかった。私は、身を挺してでもサッチを守ろうって決めてたのに……貴方がいたら、それが出来ない。
私は、貴方を見捨てられない。誰よりも愛する人なのに、その人の1部を持ってる貴方だから……私は……。
母親になると強くなり、女は弱いと聞いた事がある。でも、私は母親となりたくなくて逃げて来たの。
だからなのかな。今、私は怖くて震えてる。
何処が強いのか。私は……弱くなってしまった。
「……ナミ、大丈夫か。マルコ呼ぶか?」
「サッチ……」
「……どうした?ゆっくりでいい。話してみろ」
「サッチ、私……」
言葉を口しようとして、声が出なくなる。サッチにも、未来が見えるなんて私は教えてない。
サッチの優しい笑顔に、泣きそうになる。今、甘える事も告げる事も私には出来ない。
「ん?」
「具合悪いみたい」
私の言葉にそうだろうな、自覚も無かったかと言いながらサッチは軽々と私を抱き上げた。それに抱きつこうとしたけど、動いた事でまた気持ちが悪くなり、そのままぐったりとすればサッチが1瞬その顔を歪めた。
「少し、そのままでいろよ。マルコ呼んでやるから」
「やだ」
「は?」
「呼ばないで。女の子特有のものだから、大丈夫よ。恥ずかしいから騒がないで」
咄嗟に隠した私に、サッチはそうなのかと言いながら、それでも部屋に運んでくれる。ベッドに降ろされると同時に、たまにはゆっくり休んどけなんて言われてそれに頷けば、優しく頭を撫でられた。
それが妙に気持ちよくて、微睡むように目を閉じればそっと触れる程度のキスをしてくれた。それからそっと私に布団をかけて、サッチは動き出す。
「サッチ……」
「ん?どうした?」
「ありがとう、愛してるわ」
「……ナミ、弱ってんなァ。今日はいい子に寝てろよ」
心配そうなサッチのそれに笑えば、心配そうに私を見てからサッチも笑ってくれた。部屋を出て行くサッチを見送り、私はベッドから降りると机に向かう。
サッチに、手紙を残そうとペンを手に文字を書く。そして、親父様とマルコにも。
これできっと、サッチは死ななくて済む。私は、この子を無事に産んでから……きっと帰るから。
ティーチのいるこの船で、サッチを案じながら産むなんて私には出来ないから。サッチ……ゴメンね、愛してるから離れるわ。
1緒に甲板で寝ていた所をハルタに写されていた写真が机の上に飾られていて、それにそっと手を伸ばす。最低限必要な物の他は荷物にしかならないのに、どうしても持って行きたくて……。
そっと写真立てを手にして、胸に抱き締めてから手荷物にそれを入れる。それから部屋を出るとそこにはハルタがいて、不思議そうに私を見る。
「あれ?ナミ体調悪くて寝てるって聞いたけど」
「エースに緊急で直させないといけない書類があるのよ。それに親父様に報告入れないと不味い事もあって……それだけやったら、少しサッチに飲み物でも入れてもらってから休むわ」
「エースかァ。あいつ書類仕事ホント駄目だよね。分かった。今度シバいとく」
明るく笑うその顔は子供のようだけど、軽くシバけるだけの実力があるのだから恐ろしい。年齢不詳な人物の1人よねと心から思いつつ、慌てて待ったをかけた。
「辞めて、いじめないで」
「ナミは優しいなァ。……まァナミが言うから許してあげるけど、それは特別なんだよ?だから、早くその顔色治して、また小説書いてよ。楽しみにしてるからさ」
「えぇ、また書くわね」
色々落ち着いたら書くから、嘘ではないわ。そう思いながら笑ってその場を去った私は、エースの部屋に向かいその部屋のドアを叩く。
中から出て来たエースに書類の訂正を指示してから買い出し船を海に降ろして、それに飛乗る。1度だけモビーを見て、私はクリマタクトで船ごと姿を隠してから、海流に乗り先へと進む。
……何処へ、行こう。ベルメールさんの所へ帰れば即座に見付かるだろうし、クロッカスさんの所に行くのもまた、同じ。
シャンクスも船だから頼れないし、ローちゃんとは正式には面識無いし……やっぱり船だわ。……頼れる相手は無し、か。
そう思った時船の揺れに耐えられずに、私は船の中で意識を失う事となった。意識を取り戻した時には、私の手を握ってサッチがベッドの横で座ったまま眠っていて、部屋の隅では椅子に座ったまま眠るマルコと、床で丸くなって寝てるエースが見えた。
何がどうなってるのかと思って体を起こしたら、サッチが目覚めて泣きそうな顔で私を抱き締めた。それを突き放して逃げないといけないと思うのに、どうしてかな……この温もりにずっと包まれていたいと思ってしまうの。
このままではいられないのに、サッチを守らなきゃいけないのに……。どうして私は、この腕から離れられないんだろう。
「ナミ……俺を、置いて行くなよ。守るから、生きて、ナミもコイツも守るから……側にいてくれ」
「っ!サッチ……!」
上手く言葉を口にする事も出来ない私を、サッチは強く抱き締めてくれる。優しく労わるように背を撫でながら、サッチは笑う。
だって、大切な家族を私は犯人として名を上げた。それなのに後から入った私のそれをサッチは、疑いもせずに受け容れてくれてるのだと分かる。
「1人で抱えんな。俺の命も、宿った命も、親父や兄弟の心まで抱えて……独りでどうするつもりだったんだ。こんな体調で……こんなに全力で見聞色の覇気を使ったのは初めてだったよ」
「ごめ……なさ……っ」
「女の子特有……か。確かに、命を宿せるのは女だけだよな」
サッチの優しい声に、涙が溢れて止まらない。だってね、私はサッチに生きていて欲しいの。
それでも私はこの子に、逢いたい。私は、我儘だから何も諦めたくないの……!
「俺にも、コイツと会わせてくれよ。俺とナミの子供だろ」
「っ……!ち、がったら、どうするのよ!私が浮気したから逃げ出したのかも知れないじゃない」
強がって言ってみても、サッチは少しも動じない。それどころか楽しそうにしている。
泣いてばかりの私を、優しく見詰めて微笑む。その眼差しに愛情が見える程。
「ナミが……俺以外に望んで抱かれるか。馬鹿が。俺の教えたとおりに反応する体で、他の男の癖なんか無い体で……そんな事言っても無駄だぜ」
「サッチ……!」
「俺の傍で、産んでくれるな」
既に、質問ですら無い。サッチの決定に、私は逆らう言葉を持たなかった。
途中から目覚めていたのに、何も言えずに2人がずっと見守ってくれていたなんて事に、私は気付く事さえできなかった。まだ起きていない未来を変える為に、彼等が全力でフォローしてくれるなんて事は、私はこの時まだ知らなかったのだ。
愛しい人の腕の中で、大切な人達に守られながら、新たな命を慈しむ。絵に描いたような奇跡に満ち溢れた幸福な時間が、まるで当然のように流れ始めた。
私が守りたい命は、皆も守りたいと願ってくれる命だったと知る。1人で多くの命を抱え込もうとするなと笑う兄達と父に、泣き笑いを浮かべて私は愛しい命を1つも取りこぼさない未来を掴もうと、足掻き始めた。