そんな馬鹿なと、洗面台に顔を突っ込んだ状態で私の脳は活動を停止しかけている。気を付けて、薬も飲んで来たのに、どうして……と。
半年程前に薬を切らして、買いに行かなきゃと言った私にレイさんが少し見た目は違うが同じ物だと言って薬をくれて……なのに、そうだ、もう4ヶ月来てない。でも、どうして?
だって薬は飲み続けていたのよ……?
今の立場は良く言って〝恋人〟で、普通なら愛人か囲い者。それも何も返せずにただ護られてる訳だから、居候みたいな扱いかもしれない。
そんな中で、あんなにも美しい妻がいる人にこんな事言える筈も無いから……。でも、どうしたら良いんだろう。
どうして、どうしたら、何故、そんな言葉ばかりが脳内に駆け巡り身動きが取れない。今、誰もいなくてよかった。
誰かがいたら、狂ってた気がする。縋って、泣き叫んでいた気がする。
何とか落ち着いた体調に合わせて、深く息を吐き出してからゆっくりと立ち上がり、春の間に収穫しておいた蒲公英の様子を見に行く。お茶にするのにも、薬にするのにも使えそうな、良い状態を保っているのを確認して、お湯を沸かしてる間にそれをお茶に出来るように処理していく。
湧いたお湯で入れた蒲公英茶をキッチンで飲みながら、窓の外に視線を向ける。晴れ渡る空が見えて、深く息を吐き出せば心が鎮まるのが解った。
狼狽えても、嘆いても現実は変わらない。今目の前にある変わらない現実を受け入れないで、この先どうやってこの子を守って行くつもりなのか。
薬が効かなかった理由とか、そんなのは今度でいいのよ。今大切なのはそれじゃ無い。
この子を産むのか、殺すのか。その為に今私はどうするべきなのか。
大切なのはこれだけ。他は何も今考える必要は無い。
最初の問いに関しては悩むまでもないわ。私は……宿ったからには必ず守り産み育てると決めていたのだから。
その理由としては、レイさんの子だと言うのは勿論だけど、この子には何も罪がないから。だけどそうなると、このままここにいていいのかとかの話になる。
お世話になりっぱなしで、産み育てる権利があるのかって事に。それに、医学知識のある人が近くにいなければ、命を産むと言う事は容易くない。
勿論地球の病院に入院してたってリスクはあるのだから、何も知識も経験もない私1人で、この世界で確実に産めるのかって言われたら……危険過ぎる。なら、誰を頼れる?
シャンクス達は海賊で、船にいるから却下。迷惑をこれ以上は……かけられないというのもあるわ。
なら、クロッカスさんかなと考えて、ラブーンも居るしと思ってもあの場所は色々な人が通過する場所だから、危険。この子は冥王レイリーの子供なんだから。
となれば……ドクターかな。となれば、実家に帰るのが安全だろうか。
他には今思い浮かぶ人がいない。ふぅと息を吐き出して善は急げと荷物を纏めあげたところで、ドアが開いた。
動物達が騒がなかったから、レイさんだと思って振り向けば、驚いたような顔で立ち尽くしている姿が目に飛び込んできた。
「ナミ、どこかへ行くのかな?」
「何かあった時の為に、逃げられる準備してただけよ」
咄嗟に、偽った。言えば甘やかされるのが、分かりきってるから。
私は迷惑かけるつもりも、負担になるつもりもないのよ。大丈夫、いつものようにレイさんを見送ってから、私も旅立てばいいだけなのだから。
「ナミ、何を隠してるのかな?」
「……なんの事?」
「……これでも、人生経験は年齢に応じただけあるのでね、ナミの嘘は解る。どこかへ行こうとしていたね」
そう言って距離を詰めて来るレイさんは微かに覇気を纏っていて、どうやらお怒りらしいと解る。掴まれた腕が、僅かに痛みを訴えるけど、力加減されてるのは分かる。
だってレイさんが本気なら、私の四肢を砕く事は容易いもの。1人でも体が鈍らない程度には修行してるし、動物達と戯れてもいるけど、レイさんに敵うべくも無い。
それでも、話せない事は話せないのよ。そう思って、真っ直ぐにレイさんの瞳を見据える。
「そうね、レイさんの言ってる事は正しいわ。でも、レイさんも分かってる筈よ。こういう時の私が〝絶対に口を割らない〟事は」
「……白髭の元へでも行くつもりかい?居場所も知らないというのに」
「白髭?」
なんで、白髭?
そう思ってたのが顔に出たのか、レイさんは怪訝そうな顔で私を見てから、頭を押さえた。どうやら新聞に何か、私が飛び出す危険性のある事が載ってたらしい。
そうなると、時期を考えて白髭のワードから予測できるのは……。
「エースが……スペード海賊団が白髭に壊滅させられたから?」
「知っていたか。それでないとすると……何が?」
「言わないわよ。例え拷問されてもね」
ふふんと笑えばレイさんは天井を見上げて、何かを考えるようにその瞳を閉ざした。私の頑固さは筋金入りだとレイさんもとうに分かってるから、頭を悩ませてるのだというのは気付いてるのよ。
「……なら、私に満足できなくなったか?」
「レイさん以上の男なんか、この世界のどの海に行ってもいやしないわ。私は……もうレイさんしか見えないもの」
……女としての私は、ね。
でも、今は私にも守るべき大切な命がある。母として見るならば、せめて1人で歩けるようになってくれるまでは、レイさんとは会えない。
離れるしか、無いのよ。大切だから……愛してるからこそ。
互いに1歩も引かぬと言わんばかりに睨み合い、先にその視線から逃れたのは結果的には私だった。目眩がして体が傾ぐ。
咄嗟に受身を取る私を軽々と支えてくれたレイさんは、少しばかり呆れた様子を見せた。
「そんな体調で海に出るつもりだったのかね?」
「……海は、私の居場所よ。どんな体調でも、問題無いわ」
眼を伏せていても駄目なくらいクラクラしてると言うのに、口だけは生意気に動く自分が少し悲しい。その時レイさんが私を抱き上げてベッドへ移動させているのがわかり、情けないような嬉しいような複雑な気持ちになる。
結局、迷惑かけちゃってる……。
「……ナミ、少し休んでいなさい。いい子だから」
「レイさん、ありがとう。そうするわ」
そのまま気が付いた時には眠っていたようで、目を覚ますと辺りは薄暗く……いや、深夜でもここまで暗くはならないだろう程に暗い。どうしたのかと体を起こそうとして、まだ目眩が残っていると気付く。
仕方なくその体制で少し目眩が落ち着くのを待ち、それからゆっくりと体を動かしていく。辺りをゆっくりと見てみれば明らかに目張りされているらしいとわかり、何事かと思いつつも、ゆったりとした動作で立ち上がる。
窓に近付く為に数歩歩いた所で、足が進まなくなりまさかと思ってみるとロープの様な物で足がベッドと繋がれているのが見えた。鎖の音に怯えるから、ロープを使ったのだろうとは分かるけど……レイさん、本気なのね。
私は仕方無くベッドに戻ると、とりあえず目眩が落ち着くのを待って脱出しようと決める。こうなれば、私とレイさんの知恵と我慢比べだわ。
その時レイさんが入って来て私がベッドに寝ているのを確認すると、そっと近付いてきた。そんなレイさんに私は呆れを隠さないで声を掛ける。
「レイさん……何考えてるのよ」
「体調が悪いのにも関わらず飛び出そうとする無謀な子は、閉じ込めるしかないだろう。……私は本気でナミを愛しているし、手放すつもりは無いからね」
「レイさん、私は永遠にレイさんのものよ。だから……」
言葉の途中でレイさんの唇が降ってくる。それは触れるようなもので、決して官能的なそれでは無かったけど……。
「レイさん、狡い」
その感情を、触れるだけの口付けで伝えて来た男に、私は何も言えなくされる。寂しいと、苦しいと、不安だと、伝えられては離れるなんて出来なくなるじゃない。
「狡い男は、嫌いかね?」
「レイさんじゃ無ければ、嫌いよ。でも……」
今度は私から、その唇に触れるような口付けをする。レイさんを愛してると、それだけをただ伝えたくて。
それからすぐに唇を離した私に、レイさんは狡いのはどちらだかと嘯く。それでも動くと目眩が再発する為すぐにベッドに身を預けてしまう私を見て、レイさんは仕方ないなと言って絞ったタオルを持ってきてくれる。
「……いつから、そんな体調だったのかは、聞いても大丈夫かな?」
「今朝から突然よ。だから、隠してた訳じゃないの」
「……成程、わかった。そういう事か」
「え?」
レイさんの納得したような言葉で嫌な予感がして顔を向けると目眩が襲って来て、その勢いで迫り上がる物を堪える。それを見てレイさんが小さくすまなかったと呟いた。
「薬が仕事をしなかったのではなく、私がビタミン剤に入れ替えたんだよ。まさかこれ程早く宿るとは思わなかったが」
「レイさん!?」
何を、言ってるの?
咄嗟にレイさんを震える手で掴み、ゆっくりと顔をあげれば申し訳なさそうな顔をされてしまった。それでも、理由が分からない。
「……ナミを誰にも取られたく無くてね、子供がいればここから動けなくなるだろうと思ったのだが、それが理由で飛び出そうとされるとは考えていなかった」
「……馬鹿ね、私はずっとレイさんの「愛人として囲われているつもりだとでも言ったら、いくら私でも……流石に怒るよ」」
なら、なんて言えばいいのよ。私の存在は、それでしょう?
無言で見詰める私をレイさんは優しく横たえて、そっと労わるように頭を撫でてくれる。それが妙に気持ち良くて、ホッと息を吐きながら力を抜けば小さく笑われてしまう。
「……ナミは私の至宝だ。それだと言うのに、狙われる事が多過ぎる上に、生きているからね……どうにか縛り付けてしまえないかと考えたのだよ」
「シャッキーさんの気持ち、考えてあげてよ。私、シャッキーさんを悲しませたくないわ」
「ここに来てまだシャッキーか。実は1番手強い敵は、アイツかな?」
そう言って笑ったレイさんは、静かな声で勝手な事をした事は謝ると言ってくれる。それでも、そばにいてくれとも。
縋るような声音で哀願されて、どうして否と言えるだろう。私はただ、迷惑をかけたくなかっただけだと言うのに。
「なら、医者だけはどうにか手配してよ。私には出産の経験なんか無いんだから」
「それは、そうだな。すぐに対応しよう」
「シャッキーさんに、嫌われたくないな……」
「恐らく知られたら、私が半殺しにされるだろうと思うがね。シャッキーはナミの性格を、知ってるからな」
困ったように笑ってるけど、きっと反省なんかしてないとも分かる。だいたいこの体はまだ16歳なのに、なんて事を。
基本的には20~24歳位での初産が1番体への負荷が少ないとされているというのに。そう思うのに、本気で怒れないのだから、私も随分駄目な奴だと思う。
「レイさん、愛してるわ」
「……手を出せない時にそういう事を言うのか。卑怯者め」
「レイさんへのお仕置きよ。この体への負担を少しは考えて、反省しなさい」
「……全く、ナミには敵わないな」
そう言って笑ったレイさんが、それから可能な限り私の側で2年ほど過ごしてくれる事を、この時の私は知らなかった。それでも私は、なかなか解いてもらえない拘束の中にあって尚、誰よりも幸せだと胸を張って言える。
この子と共に、レイさんの側で生きていたいと……心から思えるのだから。
これにて現時点での妊娠作品は完了です。
リクエストを頂いた時点での時間軸での妊娠していた場合を想定したパラレルの為、その後に話が追加されていると噛み合わない内容となっている場合が多くございます。
今後もリクエストがあれば追加で書かせて頂きますが、同じキャラクターで、同じシリーズの話は書きませんので、そこはご了承ください。
誰かの話を追加で書いた時は、ここにまた作品が追加挿入されます。ご理解の程宜しくお願い致します。