エースが隊長になる事がほぼ確定した。そうなればもう少しするとサッチが襲撃される。
そんな時に……嘘、でしょう?
どうしてもの時には、身を呈してでも守ると決めて、覚悟してきたのに……。でも思い返してみれば、欠片も気が付かなかった訳じゃない。
確かに重だるいなって日も多かったと思う。でも、早いけど更年期障害とかかなって思ったりしてたし、元々気圧の変化とかに弱い方だし……。
船旅で、気圧の変化が激しいのに加えて、有り得ない様な運動量だから、ホルモンバランスが崩れてるのは間違いなかった。そうやって考えていけば、正解に辿り着けないのも無理は無かったと主張してみても、本当は分かってたのだ。
認めたくなくて、現実から目を反らしていた。だって、それが本当ならばいくら優しい彼等でも、私をこの船に居させてはくれなくなると分かっているから。
……帰れる場所は無い。もう、ここの他は何処にも居場所なんて無い。
海軍の裏切り者となっている私には、今行ける場所は皆無なのよ。私の性格を知っている海兵の人達が、ベルメールさん達の所を見張らせてないとは考えられないし、私が他に頼れるのは全員海賊で……全員船で生活してる。
安全に、この子と逢う為にはどうしたらいいの?
その時食事の途中で姿を消した私を心配してくれる声が聞こえて、私は平気なフリをする。……お願い、もう少しだけ時間をください。
「心配かけてごめんなさい。軽い胃痙攣みたい」
「ほら、親父が無理させるからこうなるんだよぃ」
「……昨夜はそんなに激しくしてねェぞ」
「体格差考えて、連日抱くのは辞めてやれよぃ」
独創的な髪が言葉に合わせるようにへにょんとしたのを眺めながら、今日は飲み物だけにしておきたいわと笑えばサッチが笑って請け負ってくれる。マルコも少し心配そうな顔はしたけど、それだけ。
でも、何故かニューゲートは何かを探るように私を見ているから、ニッコリと笑って今夜は無理よと囁いてみる。それにニューゲートは、病人を抱く趣味はねェと言って頭を撫でてくれるからお礼を言いつつも、クスクスと笑って部屋に戻る。
部屋に戻りドアを閉めれば、いくつもの案が浮かんでは消えて行く。でも今の私には、ここの他に居場所も逃げ場所も無い現実が目の前に迫っている。
頼れる人もいない。でも、ここに居たら迷惑になるし、ニューゲートの大切な島に匿って貰うなんて事も出来ない。
ニューゲートは隠してるつもりみたいだけど、私はいつも郵便を使ってるから、たまにニューゲートが自分の持ち金の全てを送ってる所くらいは、ちゃんと把握してる。匿名で送ってるそれが大切な故郷へのものだと知ったのは、マルコからの情報だったけれど。
敵として出逢った私を、隊長達が調べない筈もなく、海軍に所属するには早すぎる年齢であった事を不審に思い調べたらしい私の過去。それにより、気持ちは分かるんじゃないかと、浮気じゃないのだと必死に言ってくれたのはニューゲートを守ろうとする心からだと気付いてる。
息子達に愛されているニューゲートは、確かに強くて優しい父親だけど……だからこそ、負担にはなれない。この船の人達は親父の子供ならばと、知ればきっと全力で守ろうとしてくれるだろうと思う。
だからこそ、私はここにいちゃいけない。私のせいで誰かが傷つくなんて事だけは、許されないもの。
だから私は、普段通りの様相で手紙を1通引き出しに隠して出て来た。甲板で騒ぐエースに、遊んでばっかりいないで書類出せー!と声をかけて、笑う皆を眺める。
それからマルコに終わった書類を届けて、少し書類について話をする。そうしていつも通りを装いつつ、出来る事を何か1つでもしてから旅立つと決めていた。
夕方になって、見張りの人達が交代するタイミングで私は小船に乗り込み船ごとクリマタクトで姿を隠す。そのままとりあえず近くの島に行こうと船を動かして、夜闇に紛れて海を渡る。
頼れる人は居なくても、手配書が回っていても、人のいない島ならば生き抜ける。私は、この子を無事に産み育てると決めてしまったもの。
出産に関する本を明日にでもクーちゃんに頼もうと思いながら、森の入口付近の木に登る。夜知らない土地の森の中を歩くなんてそんな危険は犯せないし、浜辺等から見える所にいてはこの髪の色で海軍に見つかってしまう。
木の上というのは、安全な場所だったりするのよね。そう思って少し体から力を抜く。
こっそり持ち出したニューゲートの上着をよいせと取り出して、それに包まれば無駄に暖かい。それに……安心する。
ニューゲート、怒るかな。でも、私は誰にも傷付いて欲しくないし、この子にも会いたいから……ごめんね。
「……そこにいるのは分かっている。無駄な抵抗は辞めて、すぐに出て来い!」
ウトウトし始めたその瞬間に聞こえて来た、立てこもり犯に言うかのような文言に私はビクリとする。だって、それは……上着の本来の持ち主の声だったから。
「すぐに出て来るなら、叱らねェが……引きずり出してからなら、お説教じゃすまねェぞ、ナミ!」
空気がビリビリと揺れる。気配を消しても見聞色の覇気があるからニューゲートから隠れてなんて居られないのはわかってるけど、でも……。
知られるのが怖い。反応が怖い。
そういう事なら頑張って1人で生き抜けと言って貰えるとは、どうしても思えなくて……。でも、喜んでも貰えない気がして……。
私は勝手に流れ落ちる涙を拭う事も出来ずに、木の上で上着の中に蹲る。既に私は、巨大な卵みたいになってると思う。
「……何してんだ、こんな所で」
呆れたような、労る様な声が聞こえて、でも反応出来ない私をニューゲートはそっと枝ごと腕に抱えてしまう。上着を奪われないように内側から握りしめると、上着の上から私の頭を撫でてくれる。
「……ナミ、お前ェ、家出するのは許してやるが、それは叱られねェ為か?……こら、卵!答えろ」
「叱らない?怒らない?」
「俺の所から家出しといて、俺のコートに包まるとはどういう了見だ。ンな可愛い事されて叱れるか、馬鹿が……」
上着を奪われないように袖から顔を出してみれば、ニューゲートが吹き出した。そして、優しい顔で、同時に寂しそうに言う。
「卵から子猫が顔を出したか。……なァナミ、何があったか、話しちゃくれねェか?」
「……大切な、人が、出来たの」
私の言葉に暫し黙ったニューゲートは、そうかと言って頷くと当然のように歩き出した。それに慌てて顔を見上げるけど、ニューゲートは少し緊張した様子で真っ直ぐに近くに泊められていたモビーに向かって歩いている。
「ニューゲート!?」
「帰るぞ」
「だって、でも……!」
「不安にさせて……悪かったな。大丈夫だ、その分は俺が叱られてやる」
どういう事かと思ったら、モビーに素早く帰ったニューゲートが宣言する。それは、ある意味で私が1番恐れていた事。
「俺の我儘を聞いてく「駄目!」」
咄嗟に叫んでニューゲートの唇を自分の唇で塞ぐ。……腕が出せなかったからよ、咄嗟にキスしたのは、本当に、それだけ。
そんな私にニューゲートはスっと瞳を細めると、どういう事だとその視線で問い掛けてくる。それに私はニューゲートの上着を、よいせっと着直してから答える。
「駄目よ。皆に負担はかけられない。迷惑かけたくなくて、出て行ったの。だから、探さないでって書いたでしょ?」
「あのな……惚れてる相手が突然〝数年で帰ります。探さないでください〟とか書いたら探すだろうが!」
「だって、理由書いたら追いかけてくるでしょ!?」
「当たり前だ。アホンダラァ!」
「だから、書かなかったのよ!皆、知ったら無理してでも私を守ろうとする。そうなったら、それで誰かが傷付いたりしたら、私……」
涙が落ちる。どうしてこんなに、私泣いてばっかりなんだろう。
グスグスと泣く私にニューゲートは計算じゃねェところが厄介だよと言ってから、そっと抱き締めてくれる。その腕が優しくて、だから思わず縋り付いてしまう。
「ナミが、俺の〝家族〟を大切に想ってくれてるのはよく分かったが……逆ならどうする?」
「逆?」
意味が分からなくて首を傾げる私に、ニューゲートは優しく笑う。そして、その大きな指で私の涙を拭う。
「この中の誰かが、人に言えないような理由で、自分がいたら狙われるから1人で旅に出ますって言ったら、どう思う?」
「それは……!」
「同じ事だ。ナミはもう、立派な家族で……俺の最愛の女で……こいつの、母親だろう?」
「……っ!ニューゲート……」
「守らせろ。それにな……俺にも、ソイツと会う権利はあると思うぜ?」
悪戯に笑うニューゲートに抱き着くと、背後からざわめきが聞こえてきて、直後に歓声が上がる。混乱してる私にマルコが寄ってきて、デコピンして来る。
……地味に、痛い。
「馬鹿なお袋で困るよぃ。親父のコート着てる姿は明らかに親父大好きな娘にしか見えねェがなぃ」
「本当になァ……。それにあんなに慌ててる親父久々に見たぜ、俺は」
マルコの言葉にサッチが続くと、ハルタさんがニンマリと笑って口を開く。その瞬間珍しくニューゲートが慌てた様子を見せた。
「今すぐ〝ナミ〟の所へ船を回せ!だもんな。何処だよそれって話でさ」
「辞めねェかお前ェら!誰しも時には……!」
「親父も……ナミが関わる事だけは人並みだな。……なァおっ母さん、親父を泣かせないでやっておくれよ。親父はこれで結構、寂しがり屋だからね」
「イゾウさん……」
「てめェら……いい加減に……!」
ニューゲートがその腕を震わせるから、そんなニューゲートの首に腕を回してそっと抱き着く。その瞬間、ニューゲートが動きを止めた。
「本当に、迷惑にならない?それなら、私、産みたい……ニューゲートとこの子を、逢わせたいわ」
「……馬鹿が……離れるな。俺を誰だと思ってる。自分の妻子くらい、守り切ってやるさ」
「妻子って……?」
「ナミと、コイツに決まってんだろうが。……ナミは俺の、幼妻だ」
私は涙を止める事も出来ないで、ただニューゲートにしがみつく。その背後で式だけでも挙げさせとくかなんて会話がなされている事に、私は気付けなかった。
当人達の知らぬ所で、天下の白髭を倒せるのは、オレンジ色の子猫のような天使だけだと明るい笑い声が響いていた。