いつもと変わらない日常の筈だった。敵船との戦闘だって1番隊が担当じゃないから、隊長でも無い私は大人しく航海日誌書いたりしてた訳で……なのに、気付いてしまった。
ずっと認めないで来た真実に。何年も恋人として同室な訳だし、いつこうなってもおかしくは無かったけど、海賊船である以上飛んだり跳ねたりは当たり前で……生活リズムだって見張りもある以上は不規則。
そんな中でまず出来る筈ないと思ってたし、出来ても勝手に流れると思ってた。だから、気にしてなかったけれど……。
この場合誰に言うのが正しいのか。
とりあえずエースは無い。暴れなくなったけど、それだけで、まだまだ隊長への推薦話も出てない状態の弟に話してどうなるのか。
サッチは食事の事もあるから話すべきか。でもサッチは……本来賢いし強いのに、酒飲んだ時とか、日常的な所は単なるお調子者。
ある意味真面目な姿だけ見たら、1番親父様と近いのがサッチなのに。親父様もサッチも知将系だもの。
でも、普段は明るいお馬鹿な隊長として皆を見守っているサッチにも、そんな負担はかけられない。明るくてお馬鹿だからって事で、簡単に口を割れる存在という立場から色々動いてるのに、それを邪魔出来ない。
なら……イゾウ?
ダメだわ。ハルタに話して2人でマルコをイビる姿しか浮かばない!
それに……私もつい最近知ったけど、イゾウも私を好きなんだと言う話だもの。好きな相手が他の男の子供宿してるとか、聞きたくないだろうと思う。
なら、ヤッパリ親父様かな。でも話したら、降りろと言われるかな……。
それなら、実家まで送ってくれたりしないかな……。優しいから、それくらいはしてくれるかな……。
不安になって異様な脈打ち方をする胸を抑えた所で、声が掛かった。
「ナミ?どうしたよぃ!?」
「……珈琲飲んだら、胃に重かったみたい。暫く飲み物焙じ茶にするわ」
「夜更かしばかりしてるからだろぃ。ここ半月程は俺の手伝いを終えてからも、ずっと何か書いてたからねぃ」
「だって、立ち寄った島にだけ伝わる伝承の話とか聞いたら……。それを少し、現代でもわかりやすいように直すだけで本になるのよ!それがいざとなった時には使える予備費になる事考えたら、書いておきたいじゃない」
マルコはそんな私の言い分に呆れを隠さない。自分だって親父様とモビーを含む家族が大好きな癖に。
「親父に酒を貢いだりも出来るしねぃ?」
親父様の好きな酒を見つけると買い占めてしまう私の悪い癖は、今も昔も変わってない。それについては1回の宴で1本しか渡してないのに、どうしてそんなに嫌味を言われるのか。
そうか!マルコも親父様に何かあげたいのに、思いつかないのね!
「違うよぃ」
何も言ってないのに、何故か思考を読まれてデコピンを食らう。酷い仕打ちに潤んだ瞳を向ければ、マルコが息を飲んだ。
相変わらずマルコはこの顔に弱いらしい。
「ナミが忙しくしてるから、ご無沙汰だってのに……。体調が悪いんじゃ無けりゃ、寝かせないところだよぃ?」
「ごめんね、胃痛で苦しんでるのを相手に出来ないでしょ」
笑えばマルコが私の額にそっと触れる。それから少し心配そうに顔を覗き込んでくる。
「少し微熱もあるねぃ。今日は早めに休めよ」
「駄目よ。今日はエースと組手の約束があるもの」
「それこそ駄目だろぃ。体調悪いなら許可出来ねェよぃ。エースはナミには常に全力だからねぃ……」
呆れと疲れを滲ませたマルコには、本当に申し訳無いと思う。子供の頃勝てなかったからか、エースは私に今更勝とうとしてくるのだ。
本気でやってると言っても、嘘だと言って攻撃の手を緩めないエースに、何度も危険な目に遭わされてきた。その度にマルコやイゾウ、時にはサッチが止めてくれるけど……。
何故かフォッサさん達には本気でやってやれと言われてしまい、止めてもらえない。あれか、末っ子が可愛いのかな。
「ナミは身内に甘いから、攻撃する時力をセーブしてるからねぃ。エースにしたら、悔しいんだろうと思うけどな」
そんな事してる自覚は無いので直せません。これは親父様にも呆れられた。
だけど、マルコやイゾウ、サッチとやってもセーブしてるらしいから、もうどうにもならねェなと親父様から匙を投げられてるのだ。実際敵との戦いだって、仲間が怪我させられたのを見たりしない限り、気絶させて終わらせるから能力値未知数とか言われてる。
誰かが怪我をした後の私は鬼神らしいけど、特に何かを変えてるつもりは無いのよね。それでも、約束だからと私が笑えば、マルコはわかったよぃと困ったような顔で笑ってくれた。
「いつも、ごめんね」
「ナミをエースが本気にさせるのはなかなか難しいだろうけど、いつかはと俺も期待してるんだよぃ」
「……なんで?」
「敵船との戦いでは、ゆっくり本気のナミを見られねェからな。同じ隊だからこそ、俺には他に見ないと不味い事もある。そういう意味では、他の隊の隊長達やエースだけが見てるのも狡いと思わねェか?」
「私には自覚ないんだってば……」
そこが怖い所だよぃとマルコは笑う。私は悪阻のせいで食べられないのを、胃痛のせいという事にして、昼を適当に済ませると、夕方までは部屋にこもって書類仕事を行う。
……マルコに言えば、迷惑をかける気がして、これ以上の負担はかけたくなくて何も言えない訳だけど。それが今度は、マルコを傷つけやしないかとも考える。
話せば十中八九下船の命令が出る。それが理由も含めて分かるから、だから……色々言い訳しても、結局は親父様とマルコには言いたくないんだ。
最低だ、私。私のエゴでこの子を危険に晒してる。
離れたくない。でも、ナースの人達は誰かと恋人になると、その人と共に降りる。
だから……隊長とは付き合えない。それは暗黙の了解で、それでも付き合うならば、子供ができた時は1人で降りると分かっているのに。
……私には、そんな覚悟が出来てなかった。ずっと、そばに居られると何故か思い込んでいたのよ。
1人で、降りて育てる。それが当然の選択なのに……マルコと、離れたくない。
書類仕事を何も考えずに終わらせて、そっと短剣を抜き出す。もう、人生の半分は共に過ごして来た短剣は、それでも、刃こぼれひとつ無い。
夕日を反射する短剣を眺めていたら、エースが飛び込んで来た。
「ナミ組手の……って、何してんだ?」
「……刃こぼれとか無いか確認してたのよ。私の命かかってるんだもん」
「……それで戦ってくれた事ないよな」
私は短剣を片付けながらエースに視線を向ける。
「エースが船の上で能力使えないのに、私がこれ使う訳にはいかないわよ。それに、これで戦ったら……殺しちゃうもの」
海楼石よ?って笑えばゲェっと騒ぐエースに小さく笑う。高ェだろソレと無邪気に言ったエースが、そのまま当然のように言う。
「そんな短剣貰えるなんてナミは愛されてんな!すっげェ金額なんだろ海楼石ってだけでさ。それを剣に加工してあるんなら想像したくもねェよ」
「……確かに、甘やかされてるわね」
ベックを思い出して頷くと、エースは明るく笑う。
「ま、恋人なんだし当然かもな!」
その言葉に私はへ?っと言って立ち止まる。それにエースも合わせて立ち止まると、なんだ?なんて言うけど。
「これは、兄みたいに思ってる人が……餞別にくれたのよ。マルコからじゃないわ」
「……え!?だって、昔はそんなもん持ってなかっただろ!?クリマタクトだけだったじゃねェか!」
エースの大声に人が集まる。それに溜息を落として、細かい事気にしないのよと笑いながら甲板へ向かう。
けれども気にしない事は出来なかったらしく、到着した甲板にいたマルコにエースが飛び付く。
「マルコ!ナミが浮気してるぞ!」
……何がどうなってそうなった。
「有り得ねェよぃ。毎晩俺と寝てて……どうやって浮気すんだよぃ」
マルコの疲れたようなそれに、私も頷く。それからマルコが少し考えるようにしてから、私に笑いかける。
その真っ黒な笑顔に癒される。その時点で私は相当おかしい。
「……ナミが浮気って話しなら、随分前にサッチが同じ鳥のクーちゃんがライバルだろとか言って俺に沈められた事があったが……エースもその口か?」
「ちっげェよ!俺が言ってんのは短剣の話だよ!」
「……あァ、兄貴から貰ったってやつだろぃ。その〝兄貴〟には俺も何だかんだと世話になってるから、構わねェよぃ。そういう意味では、クリマタクトの方が嫌だねぃ」
「……なんか、ごめんね、マルコ」
「ナミは変なのに好かれるねぃ」
そう言って笑ったマルコは優しい。だから私も笑顔で、なら変人筆頭はマルコねと笑う。
そんなじゃれ合いの後でエースは素手、私はクリマタクトで戦う。ひょいひょいと躱すのは、得意だ。
躱すだけならいいけど、攻撃に転換するの苦手なのよねと思った時に、エースの蹴りが腹部に来たのを感じて……頭が白くなった。気が付いた時にはエースが吹っ飛んで船縁を破壊しながら海へ落ちていく所で、あっ……と声を出して固まってしまった。
「……ナミ、どうしたよぃ?」
「なんか、無意識で……自分でも何が何だか……」
「体調悪かったから、加減できなかったのかも知れねェな」
マルコがそう言って笑ったのに、私は本当は分かってた。無意識で、庇ったんだって。
……駄目だわ。逃げられない。
見捨てられないし、産みたいのなら、早く、言わなきゃ……。甘えてなんて、居られない。
「ごめん、用事思い出したから、親父様の所へ行くわね」
「あァ、わかった。って、親父への用事だけは忘れるなよぃ」
「人間だもの、忘れる事もあるわよ。人間とは忘却の生き物なりってね!」
私は今、ちゃんと笑えてる?
フラフラしながら私は親父様の部屋に向かう。ドアをノックすれば親父様の声が聞こえた。
「ナミよ。入っていい?」
「あァ、どうした?」
入室の許可が貰えたので入ってから、後ろ手にドアを閉める。そして、親父様を見詰める。
親父様はその瞬間、その空気を変えた。……本当に賢い人だと思う。
「親父様……ごめん、なさい」
「エースを船から落とした事で謝ってるって言うなら、笑い飛ばしてやるが……違ェな?」
疑問形ではあるけど、確信を持って聞いてくる。私はそれに頷いて……そっと腹部に手を当てる。
「ここに、大切な人が……出来たの。だから……っ」
「……マルコは、知ってるのか」
泣きそうになるのを耐えながら首を横に振ると、親父様は私を手招く。それに従うと優しく持ち上げてくれて、膝の上に乗った私を抱き締めてくれる。
……そのまま親父様の胸に縋るように涙を流す私を、落ち着くまで親父様は撫で続けてくれた。
「……マルコとも話をして、それから決定になるが。本来なら、ナミを下船させるしかねェこたァ分かるな?」
私が落ち着くのを待ってそう言ってくれたので、私は頷く。
「だから、その可能性を無視してて……でも、さっき気付いてしまって。このままだと、迷惑にしか……」
また泣きそうになった私を親父様は、困った奴だと笑いながら抱き締めてくれる。その時帰らない私を心配したのかマルコが入って来て……私は親父様にしがみついた。
そんな私にマルコと親父様は少し困った顔で互いを見ているらしい気配を感じたけど、今だけは幼い子供に戻らせて欲しい。そう思った直後、親父様の気配が剣呑なものに変わった。
「マルコ、いい所に来た」
「親父?」
親父様がマルコにだけ、覇気を向けているのが分かる。私は慌てて顔を上げたけど、親父様は私の背を優しく撫でるだけで終わらせる。
「……マルコ、お前ェ……ナミを、手放せるか」
「親父、分かりきった事、聞くなぃ。手放せる筈……ねェだろぃ」
「……もし、下船させると言ったらマルコはどうする」
「伝染病にでもなったってんじゃなけりゃ、俺は親父が相手でも賛成しかねるよぃ」
マルコの気配が珍しい位に尖ってる。それにビクリと私の体が震えると、親父様が宥めるように背中を軽く叩いた。
それにホッとした私は、成り行きを黙って見ているしかない。どちらにしても、私に決定権などないのだから。
「……伝染病以外で、降ろすと言ったら、マルコはどうする。お前も降りるか?」
マルコが息を飲んだ。親父様が冗談で聞いてる訳じゃないと、マルコは即座に察知したらしい。
それから私には永遠にも思えるような長い沈黙の後で、マルコが言った。
「そうだねぃ。降りるだろうなぃ」
「……え?」
思わず、声が出た。だってマルコの1番は親父様で、次が家族で、私はその次で……そう言う話になってた筈で……。
「……こんな、1人でなんでも背負い込む上に、自己犠牲精神の塊で、その癖プライドばっかり人1倍強いから、泣ける相手も殆どいないような……こんな可愛い奴、1人に出来ねェよぃ。この船は親父がいる。だがナミには、俺しかいないからなぃ」
その言葉だけで、もう充分だと思えた。もう、1人でもやって行けるって思えてしまう程の威力を持つ言葉。
その時親父様が大袈裟に溜息を落として、大声で言った。
「……マルコが降りるとなりゃ大変な事だ!それじゃァ仕方ねェ!ナミの事は船医でもあるマルコ、お前に1任する!戦わせるな、守り切れ!」
「は?」
マルコの惚けたような声が聞こえた直後に、親父様が宴だァ!と叫んだ。何事かと集まる人達の前で、親父様は笑う。
「マルコ、父親になる感想を頼んだぜ」
「……まさか、ナミ!?」
「言えなくて、ごめん、なさい」
「そこじゃねェよぃ。分かっててエースと手合わせしたのかよぃ!?お前ェと子供に何かあったら……どうするつもりだったんだ!!」
「ごめん、なさい……」
小さくなる私に親父様は笑う。俺も親父からおじいちゃんに変更かと、優しく。
私はそんな親父様を見上げる。
「産んでも、ここにいても、いいの?」
「あァ、お前ェは降ろす訳に行かねェからな」
「ありがとう!」
そう言って泣きながら親父様に抱きつけば、マルコが後ろでそれは俺に言ってからやるべき事だろぃと項垂れた。宝玉は狙われてるからなと小さく囁いた親父様に、私がハッと顔を上げれば、最初から下船はさせるつもりなんかなかったと茶目っ気たっぷりに笑われてしまった。
それを見て、私は泣き笑いになる。そんな私をマルコが手招くから、親父様から離れてマルコに抱き着く。
「マルコから、離れたくなくて……言い出せなかったの」
「……っ!本当に、ナミには適わねェ」
そう言ってマルコは、泣いてばかりの私の涙を指で拭う。その手が優しくて、私は恵まれてると痛感する。
それから親父様に酒を貢いでいれば、子供が出来ても船を降ろされないという謎の噂が飛び交う事になったのは、余談である。マルコの居ない時は親父様の部屋に残されると言う最強の布陣で、私が守られる事になるなんて、この時は知らなかった。
けど……幸福は、実は見えるものなのだと言う事を、私は初めて知ったのだった。下船は必要無いと甘やかしてくれる家族に守られ、私は幸福の中で微睡むように笑っている。