※この作品はR-18です。

雷命の造娘   作:凰太郎

1 / 26
~序幕~
アワレナムスメ


 

【挿絵表示】

 

 ──闇暦(あんれき)二八年、ドイツ・ダルムシュタット。

 ドイツ中央に位置するこの街の郊外には、蒼い霊気に祝福された城影(じょうえい)が聳(そび)えている。南へ五キロ程(ほど)離れた丘陵(きゅうりょう)に在るそれは、忌(い)むべき奇怪城として人々を畏怖させ続けていた。

 その名を〝フランケンシュタイン城〟と云(い)う。

 名門貴族〝フォン・フランケンシュタイン〟によって築かれた名城を一転して呪われた城へと貶(おとし)めたのは、旧暦中世に居城した錬金科学者〝ヨハン・コンラッド・ディッペル〟の影であろう。彼は解剖学へ先駆的に傾倒しており、夜毎(よごと)に死体泥棒を犯しては怪しげな実験を繰り返した。その奇異性が居城の心象へと直結し、今日(こんにち)に至(いた)る。

 一説では錬金術の秘奥技(ひおうぎ)たる〈人造生命体(ホムンクルス)〉を生み出す為(ため)に、科学的アプローチを模索(もさく)していたという噂もある。

 そして、その試(こころ)みは成功した……とも。

 いずれにしても真偽(しんぎ)を知る者など、もはや存在しない。

 

 

 雷雨が激しく地表を叩きつけ、煩(わずら)わしい泥濘(でいねい)を生む。

 城の窓は過剰に洗われ、覗(のぞ)けるはずの外界をぼやけさせた。

 唯一(ゆいいつ)はっきりと認識できるのは、慢性的な暗黒の空──そして、黄色い単眼で下界を見据える漆黒の月。

 理不尽で異様な現世(げんせ)魔界(まかい)だ。

 それでも〈娘(・)〉は、眺め続ける。

 飽きる事無く、ただ虚(うつ)ろな眼差(まなざ)しで……。

 外界には〝変化(・・)〟が在る。

 自然が生み、生命(いのち)が育(はぐく)み、感情が動かす〝変化(・・)〟が。

 それは〝城〟の中には無いものだ。

 知らず知らずの内に焦(こ)がれた。

 その世界に受け入れられてみたいと思うようになった。

 未知なる外界には〝何〟があるのか──まったく見当も付かない。

 好奇心が疼(うず)く。

 否(いな)、好奇心ではない。

 これは〝寂しさ(・・・)〟だ。

 自分の存在を閉鎖された城に於(お)いて、長らく苛(さいな)んできた虚無感(きょむかん)だ。

 鳥や樹々や草花は、きっと優しく自分を迎え入れてくれるだろう──淡い期待だけが募(つの)る。

 自分を愛してくれるのならば、この容赦ない雷雨が相手でも構わない。

 自分(・・)が存在しない世界は、もう嫌だった。

 雷鳴が轟(とどろ)く!

 冷酷な稲光(いなびかり)が、彼女の顔を窓へと曝(さら)け映(うつ)した!

 手入れなく荒れた黒い長髪に、何処か儚(はかな)げな眼差(まなざ)し。通った鼻筋に、精気無き青い唇(くちびる)。

 そして、顔半分を分(わ)け隔(へだ)てる縫合(ほうごう)の痕跡(こんせき)──右(みぎ)頭頂(とうちょう)から袈裟掛(けさが)けに刻まれた針痕(はりあと)。右目周辺は頬(ほほ)に掛けて醜(みにく)く爛(ただ)れ、眼球も剥(む)き出(だ)しの状態に近かった。その部位に皮膚は無い。筋肉繊維が生々(なまなま)しくも痛々(いたいた)しく露出していた。生気(せいき)薄くも美貌を刻む左(ひだり)顔面(がんめん)との対比が、ますます無情に醜(みにく)さを演出する。

「ヴァァァアアーーーーーーッ!」

 声にならない悲鳴を吠(ほ)えた!

 おぞましく醜怪(しゅうかい)な〈怪物(・・)〉を拒絶し、その顔を覆(おお)って蹲(うずく)まる。二メートル弱の巨体は、赤子のように怯(おび)え屈(かが)んだ。

 この顔は何だ?

 この身体(からだ)は何だ?

 四肢(しし)も……胴体も……総てを縫合(ほうごう)で繋(つな)ぎ纏(まと)められたちぐはぐさ(・・・・・)は!

 嗚呼、この世の物とは思えぬグロテスクさ!

 身の毛もよだつ奇怪な外見!

 二度と見るのも御免であった!

 それが己(おのれ)だと自認(じにん)する度(たび)に、彼女の心は八つ裂き刑に弄(もてあそ)ばれる。

 こんな化け物(・・・)が、誰かに受け入れて貰えるはずがない!

 樹々のざわめきは沈黙し、草花は枯れ果て、鳥は遠く飛び去るだろう!

 憐(あわ)れな〈娘(・)〉は苦しみ嘆(なげ)いた。

 この慟哭(どうこく)が幾度目(いくどめ)か数えるのも疲れ果てる程(ほど)に……。

 

 

「〈娘(ドルター)〉! どうした!」

 厚い樫の扉を乱暴に開け破り、城の主(あるじ)が駆け入って来た!

 どうやら階下にて、獣の悲鳴を聞き付けたらしい。

 三〇代前半といった男性だ。

 真っ直ぐな意志力を宿したコバルトブルーの慧眼(けいがん)に、くっきりと通った高い鼻筋──シャープに整った顔立ちは気品と精悍さを共存させ、若獅子の貫禄さえ感受させる。

 紺色のスーツ姿は各所にきらびやかな貴金属の装飾が眩(まばゆ)く、彼が時代錯誤な爵位にある事を主張していた。

 彼は蹲(うずく)る〈娘(・)〉に寄り添い、穏やかな抑揚で宥(なだ)める。

「大丈夫、落ち着くんだ〈娘(ドルター)〉……」

「ぅ……ぁ……〝ざ(・)……じぇるま(・・・・)〟……?」

 残酷さの拒絶に怯えていた〈娘(・)〉は、ようやく落ち着きを取り戻した。

 保護者の名を呼ぶ発声は、耳障(みみざわ)りに歪(ひず)んでいる。

「そうだ、私は〝サン・ジェルマン〟だ。解るな?」

「ぁ……ぁ……」

 何度も大きく頷(うなず)き続けた。

 サン・ジェルマン卿は〈娘(・)〉を置(お)いて立ち上がると、事態把握に室内を展望する。

 何があったのか(・・・・・・・)は、大方(おおかた)の察(さ)っしはつくが……。

(……やはりな)

 窓のカーテンが開いていた。

 外界を切望し、己(おのれ)に失望する──幾度(いくど)となく繰り返された哀れな葛藤だ。

 しかし……。

(間隔が早くなっている)

 二週間が十日になり、十日が一週間──そして、現在では二日間隔だ。

(それだけ外界への関心が強まっているという事か……一度、納得させた方がいいかもしれないな)

 深刻な面持(おもも)ちのサン・ジェルマン卿を仰ぎ見つめ、〈娘(・)〉は闇が彩(いろど)る窓を一生懸命に指し示した。

 そこには〈おぞましい怪物(じぶん)〉がいる……と。

「ぁ……ぁ……」

 伝えるだけの言葉は紡(つむ)げない。

 その様(さま)は健気(けなげ)ながらも薄気味悪く映った。

 さりとも、サン・ジェルマン卿は、そうは思わない。

 この〈娘(・)〉は、無二の存在であった。

 この〈娘(・)〉は、愛(あい)すべき対象であった。

 まるで我が子を慈(いつく)しむかのような笑(え)みを飾り、サン・ジェルマン卿は優しく諭(さと)す。

「〈娘(ドルター)〉、まずは座ろうか」

 樫席へと促(うなが)す。

「ぁ……ぅ……ぁ」

 〈娘(・)〉は、まだ状況を伝えようと悪戦苦闘(ジェスチャー)を続けている。卿の言葉が耳に入っていない様子だった。

「座りなさい(セッツディッチ)! 座るんだ(セッツディッチ)! 〈娘(ドルター)〉!」

 多少、語気を強めた。

 だがしかし、彼としては叱ったつもりはない。

 これは躾(しつけ)にも似た強要である。

 保護者の意向を感じとり、ようやく〈娘(・)〉は従順に腰掛ける。巨躯に見合うだけの緩慢な動作であった。

 サン・ジェルマン卿は〈娘(・)〉の両肩を押さえ、目線を合わせた正視に懇々(こんこん)と語り聞かせる。

「いいかい〈娘(ドルター)〉? 外の世界(・・・・)は、とても怖い所なんだよ……君(きみ)にとってはね」

「ぅ……ぁ……ごば……い?」

「そうだ。とても怖く、恐ろしく、残酷で、苦しい世界なのさ」

「……ざ……ごぐ……」

 言葉の意味は理解できている。

 ただ、自身が紡(つむ)げないだけだ。

「君(・)は、この城から出てはいけない……出るべきではない(・・・・・・・・)んだ。何故なら、残酷な運命が君(きみ)を殺してしまうから」

「ごろ……ず……?」

 生(・)と死(・)──。

 慈愛(・・)と殺意(・・)──。

 そして、創造(・・)と破壊(・・)────。

 知っている。

 いずれも本から学習した。

 されども、それが如何(いか)なるものかは、漠然としか分からない。

 まだ実感を伴(ともな)わない概念を、頭の中で噛み砕く。

 奇怪な美貌が刻む沈思。

 ややあって〈娘(・)〉が理解したと感じたか──サン・ジェルマン卿は力(ちから)を抜いた微笑(ほほえ)みを飾り、舞台役者の如く両腕を広げて室内を見渡した。

「だが、この城に居れば何の心配もない。君(きみ)は護られる。此処は君の為の世界(・・・・・・)なのだからね」

 高らかなる誇示。

「ぅ……ぁ……」

 その背後にて〈娘(・)〉が嫌々と首を振る姿は、不幸にも彼の視界には入らなかった。

 納得できない想いを訴えようとするも、それは叶わない。

 サン・ジェルマン卿の言葉は理解できても、サン・ジェルマン卿に心情を伝える事はできない。

 もどかしく口惜(くちお)しい主従関係であった。

 

 

(繋(つな)ぎ止めておくのも限界かもしれないな)

 うねる石造りの階段を下(くだ)りながら、サン・ジェルマンは懸念(けねん)を噛んだ。

(彼(かのじよ)の知性──いや、或(ある)いは心(・)か──それ(・・)は日に日に成長している。著(いちじる)しい程(ほど)に……)

 壁掛けの燭台(しょくだい)が灯火(ともしび)を息吹(いぶ)かせ、白亜の石壁を趣(おもむき)のある橙色(だいだい)へと染めあげる。それは温かくも冷たい心象であり、呼応して小躍りするサン・ジェルマン卿の陰影は嘲(あざけ)る幽鬼(ゆうき)にも映った。はたして、それは彼の心底に眠る罪悪感の具現化なのだろうか。

 黙想に階段を抜けると、暖炉が盛る応接間へと向かう。

 現状(いま)は接客の続きを演じなければならない。

 

 

 サン・ジェルマン卿が去ると、部屋は再び閑寂(かんじゃく)とした霊気に支配された。

 ポツンと置かれた〈娘(・)〉は、虚(うつろ)に室内を見渡す。

 仄暗(ほのぐら)いランタンの灯火(ともしび)が、不規則な呼吸に物品(ぶっぴん)の影を〈妖精(コボルト)〉の如く暴れさせた。されど、それらは何かを起こすわけでもなく、音ひとつ立てはしないが……。

 灯(あか)りの勢いは小さく、室内の蒼さを呑み返すには貧弱であった。石壁の冷気と霊気は滞(とどこお)る。部屋の片隅に飾られた蜘蛛の巣が、自分以外の〈生命(せいめい)〉を感受させる唯一の装飾だ。

 樫製の長卓が幾(いく)つも並び置かれ、その上には何やら書かれたメモやノートが乱雑に放置されている。

 文字を読めるまでには学習していたが、まだ単純な文章までだ。記載されている文面は複雑過ぎる。読み解く事などできない。

 だが、描かれている図が人間の部位である事は大凡(おおよそ)見当着いた。それらを指して、具(つぶさ)に注意項目が書き殴られている。

 試験管や薬瓶といった実験器具が卓上に並ぶ。それらが何なのか〈娘(・)〉には分からなかったが、久しく使われていない事は明らかであった。とはいえ、使い掛けの片鱗は窺(うかが)える。道具の持ち主は、失踪直前まで実験を繰り返していたのであろう──何の実験かは皆目検討も着かないが。

 やがて〈娘(・)〉は立ち上がり、のそりのそりと部屋の一角へと向かった。

 壁際に据えられたくすんだ大きな木板。馬車の荷台から車輪を外したかのような粗雑な作りであった。要所には厚みある黒金具が強度の補強としてあり、見た目の襤褸(ボロ)さに反して頑丈な代物だ。とりわけ拘束(こうそく)用の鉄枷(てつかせ)は、如何物(いかもの)的な印象を強調する。

 それを中核として大掛かりで怪しげな機械が壁と囲い、木板に取り付けられた機械部品類と配線で繋(つな)がっていた。避雷針から吸収した電気を変換し、木台上の対象へと供給する超高圧変電装置(ハイヴォルトコンプレッサー)である。

 それが〈娘(・)〉の寝床……そして、この世で最初に目覚めた場所であった。

 寝台に横になると、頸動脈(けいどうみゃく)付近の丸頭ボルトを少しだけ引き出し、超高圧変電装置(ハイヴォルトコンプレッサー)の配線と繋(つな)いだ。

 今宵(こよい)は雷雨が激しい。

 数ヶ月分の糧(かて)を蓄電(ちくでん)するには事欠かさない。

 

 

 

「御待たせしました、ミスター・ゲルハルト」

 何事も無かったかのように抑揚を偽装(ぎそう)するサン・ジェルマン卿。

 暖炉が熱を奏でる応接間はビロードの赤絨毯(あかじゅうたん)が敷かれ、格調高い意匠を施(ほどこ)した調度品をアクセントと彩(いろど)っていた。歓待の華と憩(いこ)わせるのは、人間臭い生活臭と無駄な絢爛(けんらん)さ。

 豪奢(ごうしゃ)なロングソファーにて待っていた来客(らいきゃく)は、睨(ね)め付(つ)けているかのような上目遣(うわめづか)いで若き城主の挙動を観察した。そもそも陰気な容姿のせいか、物言わずとも責め立てているかのような気難(きむずか)しい印象を抱(いだ)かせる。

 年齢は四〇代後半か。

 薄い髪量をオールバックに流し、卵形の細面(ほそおもて)は険(けわ)しさに頬(ほほ)が痩(こ)けていた。そこに落(お)ち窪(くぼ)んだ大きな目は疎(うと)むかのように瞼(まぶた)が垂れ、相手の本質を値踏みしようとする陰湿な気質を感受させる。幅薄くも高い鼻筋が、そうした神経質な印象を助長していた。

 カーキ色の軍服姿が物語る通り、彼はダルムシュタットを防衛する〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉の将校である。

 名を〝ウォルフガング・ゲルハルト〟という。

 彼の背後には、規律然と立つ二名の護衛兵。

 全身を固める特殊装備は、宛(さなが)ら『SF作品』に登場する〈近未来戦士(サイボーグ)〉を彷彿(ほうふつ)させた。魔界と化(か)した闇暦(あんれき)世界には不釣り合いな異質感だ。

 頭部には完全密封(フルフェイス)型ヘルメット。その為(ため)、表情や素顔を窺(うかが)う事は出来ない。

 口部(マスク)から生え伸びる呼吸用ホースは、胸部の生体維持装置(バイタルシステム)へと繋(つな)がっていた。毒ガスは疎(おろ)か、世界に蔓延(まんえん)する魔気(ダークエーテル)さえも遮蔽(しゃへい)する脅威の科学技術(テクノロジー)である。

「先程の雄叫びは?」

 二人分のブランデーを用意するサン・ジェルマン卿の背中へ、暗い声音が問い掛ける。

「獣(・)ですよ」

「獣?」

「ええ、己(おの)が衝動を持て余す飢えた獣(・・・・)──それだけです」

「フン……冥府魔犬(ガルム)でも飼っているのかね?」

 自分と客人のグラスを卓上へと置き、サン・ジェルマン卿は談義の席へと着いた。

 腹を探り会う接待に平然を繕(つくろ)い、彼は嘯(うそぶ)く。

「この闇暦(あんれき)では、何時(いつ)如何(いか)なる状況が襲ってくるか判らない……護身用ですよ」

「我々(われわれ)〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が信用には当たらない……と?」

 ウォルフガングは背後の科学武装兵士(ウィッセンチャフト・ソルダット)を一瞥(いちべつ)し、暗黙の誇示を臭わせた。

「まさか?」燻(くゆ)らすグラスの変化を眺め、サン・ジェルマン卿は武勇を讃(たた)える。「先代領主〈冥女帝(ヘル)〉を下(くだ)し、その領有権を人間の掌中(て)へと奪還した……その戦果に敬意を表しこそすれ、懸念を抱く事などありませんよ」

「フン……民話(フォークテール)の遺物など、人類が探究蓄積してきた叡智〈科学〉の前には迷信時代の俗害でしかない」

「そして、やがて〈科学〉は総てを凌駕(りょうが)する……と?」

「そうだ」

「〝生(・)〟と〝死(・)〟さえも?」

「例え〈神(・)〉でさえも……だ」

 ウォルフガングが自尊に息巻いた。

 その様(さま)に重ねて、サン・ジェルマンは思うのだ──その先(・・・)に何(・)があるのだ──と。

 永き歳月に噛み締めてきた虚(むな)しさを、彼は呑(の)み殺(ころ)す。

 悟られてはならない。

「それで? 今宵(こよい)は如何(いか)なる御用件を?」

「……何度も言わせるな。『Fの書』だ」

 寸分(すんぶん)違(たが)わず予想通りの追及が向けられた。

 毎夜のようにウォルフガングが来城する理由は、他に無い。

 だからこそ、サン・ジェルマン卿の返事も変わらなかった。

「以前から御話ししてますが、アレ(・・)はただの迷信──都市伝説というやつです。実存すらしていませんよ」

「私を見くびるなよ、ハリー(・・・)・クラーヴァル(・・・・・・)!」

 呪怨を込めたかのような上目遣(うわめづか)いが、相手の名前(・・・・・)を口(くち)にする。

 ウォルフガングは知らなかった。

 自身の眼前に居る相手が、史実上に暗躍した〈伝説の怪紳士〉たる〝サン・ジェルマン伯爵〟だとは……。

 否(いな)、ウォルフガングだけではない。

 彼の正体を知る人間(・・)など一人(ひとり)としていない。

 仮に看破する者がいたとしたら、それは〈魔〉に属する者──〈怪物〉だ。

「既(すで)に我々(われわれ)は、確信を得ているのだ! かつて旧暦中世に居城した錬金科学者〝ヨハン・コンラッド・ディッペル〟は〈人造生命体〉の創造に成功し、その詳細を手記に纏(まと)めた──それこそが、我々(われわれ)の追い求める『Fの書』だ! そして、それ(・・)は、この城に有る! 必ずな!」

「ですから、それは俗信だと──」

「いいや、有る! 何故なら、彼(か)の〝フォン・フェルシェア〟は、此処で人体実験のノウハウを独学したのだからな!」

「──!」

 動揺に息を呑(の)む!

「だが、如何(いか)にフォン・フェルシェアとはいえ、まったくの独学であれほどの才を開花できたか? 否(いな)! そこには『Fの書』があったはずだ! それを秘匿(ひとく)の教書(きょうしょ)として、彼は非凡なる生体実験知識を培(つちか)ったのだ!」

(侮(あなど)っていた……まさか〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉の情報分析力が……いや『Fの書』への執念が、これほどとは)

 フォン・フェルシェアは、旧暦に実在した遺伝学者である。

 ベルリンに設立された〈カイザー・ウィルヘルム研究所〉の所長であり、第二次世界大戦に於(お)いて悪名高き〈ナチス〉の生体実験施設〈アウシュビッツ強制収容所〉の確立に一役買った人物である。

 フェルシェアは「ゲルマン民族以外は劣性種族であり、下等な家畜同然である」という信憑性(しんぴょうせい)皆無(かいむ)な偏見(へんけん)学説(がくせつ)『アーリア・ゲルマン民族至上主義』に心酔し、非人道(ひじんどう)的所業(しょぎょう)にもユダヤ人逹を〝臨床実験動物(モルモット)〟として扱った。

 それは〈ナチス〉が──あの史上最悪の独裁者〝アドルフ・ヒトラー〟が──掲(かか)げる理念と合致(がっち)するものであり、ともすれば両組織が結託へと至(いた)ったのは当然と言える。

 そして、その狂気的理念は愛(まな)弟子(でし)たる〝ヨーゼフ・メンゲレ〟へと色濃く受け継がれ、彼を〝アウシュビッツの死の天使〟と呼ばれるまでの狂人医学者(マッド・サイエンティスト)に育(そだ)て上げたのだ。

 だからこそ、サン・ジェルマンは、改めて静かなる決意を固める。

(忌まわしい……人類が繰り返してはならない汚点……いや、絶対に繰り返させてはならない(・・・・・・・・・・・・・・・)!)

 それは、贖罪(しょくざい)と弾劾(だんがい)を内包した義務感(・・・)であった。

「どうした? 顔色が悪いぞ?」サン・ジェルマン卿──ハリー・クラーヴァルの機微を嗅ぎ取り、ウォルフガングは畳(たた)み掛ける。「或(ある)いは、貴様が持っているのではあるまいな?」

「仮に、そうだとして──仮に私が所有していたとしても、それ(・・)が陽(ひ)の目(め)を見る事は無いでしょう」

「何?」

「何故なら、私自身が焚書(たきしょ)と裁(さば)くからです」

「き……貴様?」

 驚愕に席を立つウォルフガング!

 悲願たる秘宝を脅迫材料と取られ、その形勢は逆転した!

 が──「御安心を。私が所有していれば(・・・・・・・)……の話ですよ」──クラーヴァルは余裕然とした微笑(びしょう)を浮かべ、現存の可能性を否定した。

 

 

 

 今宵(こよい)の対立も、平行線のまま幕を閉じた。

 ハリー・クラーヴァルは形式的な礼節に準じて、ウォルフガングを玄関まで見送る。

 城門前に停車してあったのは、武骨な重チタン鋼を誇る車輌であった。車高は三メートル弱といったところか。鈍く反射する鋼色が、頑強な装甲の厚さを物語る。形状的にはキャンピングカーと酷似しているものの、兵士達を収容する後部コンテナは物々しくも大きい。

「やはり雨脚が強いようですね」

 クラーヴァルは闇空(やみぞら)を仰ぎ眺めた。

 雨雲さえも押し退けて存在を誇示するのは、巨大な単眼を核とした黒き月──。

 白い環光で地上を照らす黒き月──。

 黄色く淀んだ単眼は、威圧感に彼を見つめ返してくる。

「ミスター・ゲルハルト、くれぐれも帰路は御気を付けて……。この雷雨では視界が悪い。加えて、泥濘(ぬかる)んだ足場では、万ヶ一遭遇(・・)した場合は厄介ですから」

 護送車に乗り込まんとトレンチコートを羽織る来客へ、一応の老婆心を添えた。

「フン……〈デッド〉の心配か」軽んじて鼻を鳴らす。「何の為(ため)の〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉だと思っている? そもそもは、デッド駆逐を第一目的に造られた兵士逹だぞ?」

 攻撃的な睨(にら)み付(つ)けに対して、クラーヴァルは優雅な一礼で謝罪の意を示す。

「失礼致しました。若輩者(じゃくはいもの)の無知なる非礼と、どうか御容赦を……」

「……フン」

 不機嫌さを置き土産に、ウォルフガングは去って行った。

 無論〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が護衛に就いている以上、何の心配も無いだろう。

 叩きつける煙雨(えんう)で霞(かす)む情景に、物々しい車輌が遠ざかって行く。

 それを黙想に見送ると、今一度(いまいちど)黒月(こくげつ)を仰ぎ眺めた。

 地上を見据える巨大な単眼が、実際に彼(・)を見定めているかは判らない。

 その視界は、闇暦(あんれき)世界全土を捉(とら)えているのだから……。

 さりながら、サン・ジェルマンは自(みずか)らが標的とされているかのように感じるのだ。

 己(おのれ)の心底(しんてい)に隠し殺した咎(とが)を看破(かんぱ)されているかのように……。

「罪……か」

 吐露にも似た呟きを噛み締め、彼は踵(きびす)を返した。

 

 

 

「ハリー・クラーヴァルめ……喰えぬヤツだ」荒れた路面に激しく揺らされる助手席で、ウォルフガングは憤慨(ふんがい)を吐き散らした。「ヤツは絶対に『Fの書』を所有している。縦(よ)しんば、そうでなくとも在処(ありか)は知っているはずなのだ」

 同意を期待して運転席へと視線を送るも、この兵士逹にそれだけの器量が有るはずもない。ただ黙々と指令をこなすだけの木偶(デク)だ。

 晴れぬ不快に、雨粒が狂い殴る車窓を眺めた。

 フラトレーションを解消する術(すべ)は、結局自分で探り当てるしかない。

(それにしても、あの若僧は何者なのだ?)

 常々(つねづね)抱(いだ)いていた疑問が、頭の中を廻(めぐ)った。

(ある日、突然に現(あらわ)れ、あの〝フランケンシュタイン城〟へと住み着いた。爵位とて怪(あや)しいものだ。だが『Fの書』に携わっているのは明らか……)

 滑(すべ)る景色は全(すべ)てを暗色(ダークトーン)に呑み、目まぐるしく過ぎる樹林(じゅりん)のシルエットを〝魔物の宴(うたげ)〟と摩(す)り替(か)える。

 地表には墨色(すみいろ)のドライアイスが漂(ただよ)い、タイヤの位置まで車体を纏(まと)わり呑んでいた。

 闇暦(あんれき)全土に蔓延(まんえん)する〝漆黒(しっこく)の魔気(まき)〟──〈ダークエーテル〉だ。

 その中を拓(ひら)き進む車輌は、まるで大海を航行する水陸両用車にも映る。

(……いったい何者だ? 何を目的としている?)

 思索に集中する最中(さなか)、不意に車輌が急停止した!

「うおっ? 何だ? 何事だ?」

 コンソールへと突っ伏しそうになる体勢を保(も)ち直(なお)し、状況報告を求める。

 が、やはり兵士(ソルダット)は答えない。

 無表情なフルヘルメットは、機能停止でもしたかのように正面を見据えているだけだ。

 訝(いぶか)しんで目線を追う。

 左右には深緑と染まる雑木群が壁と繁(しげ)り、蒼い闇と同化していた。その中央を剥き出しの土肌が道程(どうてい)と伸びている──現在走行してる泥濘(ぬかる)んだ路(みち)だ。

 ヘッドライトが照らし浮かばせる範囲は僅(わず)か数メートル程度しかなく、白い光に解放された空間には降(ふ)り注(そそ)ぐ大粒が周囲よりも力強(ちからづよ)く視認できた。

 そこに、男(・)はいた。

 まるで自殺志願者のように車輌の前へと立ち尽くし、その進路を妨害している。

 顔は暗がりでよく確かめる事は出来なかったが、白光(びゃっこう)に曝(さら)された衣服は襤褸(ボロ)雑巾を彷彿させる汚れ具合であった。

 フラフラと不安定な体幹(たいかん)に揺れ、虚脱的に身を委ねる様は宛(さなが)ら不器用な案山子(かかし)か。

 この男が何者か──ウォルフガングには、迷いもせず看破できた。

 否(いな)、彼でなくとも判るだろう……闇暦(あんれき)に生きる者ならば!

「フン……デッドか」

 魔界の黒霧〈ダークエーテル〉は、死体の脳へと干渉して〈生ける屍(デッド)〉と再活動させる性質を宿す。

 無作為無尽蔵に増産される〈デッド〉には、自我も心も欠損している。

 捕食本能のみに動かされるまま人間を襲い喰らう食人屍(しょくじんき)であった。

 そして、襲われた者も〈デッド〉の仲間入りをしてしまう……。

 生存者を常時脅(おびや)かす〝負(ふ)の連鎖(サイクル)〟が、闇暦(あんれき)の自然摂理として構築されていた。

 だがしかし、それは一般人(・・・)に限った話ではあるが……。

 次第に屍(デッド)の頭数が増えていく。

 繁(しげ)みから、或(ある)いは暗がりから、ゾロゾロと姿を現(あらわ)した。あれよあれよと十人強まで膨(ふく)れ上がり、ウォルフガングが乗る装甲車を取り囲む。

 はたしてアイドリングの音が呼び寄せたか……それともヘッドライトの明かりか……いずれにせよ生者(せいじゃ)の痕跡(こんせき)が呼び水になったのは間違いない。

「……排除(はいじょ)しろ」

 コンソールのマイクを手に取ると、ウォルフガングは冷徹に命令を吐き捨てた。

 それは後部コンテナで待機状態にあった〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉の武装兵士(ソルダット)逹へと伝(つた)わる。

 ──ヴォン!

 ゴーグルの奥で一斉(いっせい)に点(とも)る赤い目!

 彼等は座していたわけではない。

 各固が直立型調整庫(ハンガードック)へとフックされ、宙吊り体勢のまま休眠待機していた。

 そして、上官命令によって再起動(リブート)した彼等は、その指令を実行すべく解放(ロールアウト)された。

 コンテナ最後尾の扉が、軋む駆動音を鳴いて左右に開く。冷却ガスが白い靄(もや)と垂れ流され、地表の黒霧(こくむ)と取っ組み合いを始めた。

 降り立つ科学武装兵士(ウィッセンチャフト・ソルダット)達は機械的に標的(ターゲット)を見定め、同時に喰屍(デッド)達は獲物を捕捉する。

 前哨(ぜんしょう)も無く始まる交戦!

 それは、対怪物戦に特化した〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉の虐殺劇でもあった!

 ゴーグルの紅眼(あかめ)から照射される赤外線が屍(しかばね)の眉間に糸を繋(つな)ぎ、拳の甲に仕込まれた内蔵銃が弾ける火花に貫(つらぬ)く!

 如何(いか)に〝動く死体(デッド)〟とはいえ、存在の要(かなめ)たる死脳(しのう)を破壊されては活動停止に陥(おちい)らざる得ない。

 火花と銃声と硝煙臭(しょうえんしゅう)──。

 そして、血飛沫(ちしぶき)────。

 それだけが繰り返される。

 助手席で事態収束を待つウォルフガングは、やがて沈静化した環境音に煙草(タバコ)を消した。圧勝を確信しているからこその余裕であった。

 車外へと降り立つと、周囲を展望して戦況を把握する。

 万(まん)ヶ一(いち)に備えた事後警戒に佇(たたず)む自軍兵士達と、頭部を撃ち抜かれて転がる死体達──。

 予想通りの戦果は、取り立てて関心を抱(いだ)く程(ほど)でもない。

 と、不意に繁(しげ)みがざわめいた!

 低木を掻き分けて現れたのは、少年……のデッド!

「フン……大方、家族ぐるみでデッドに襲われたか」

 先刻と現在の状況を統合的な判断材料として、そう結論着く。瞬間的な演繹能力(えんえきのうりょく)の高さは、彼の頭脳明晰さを立証するものであった。

「カアッ!」

 口腔(こうこう)を開いた少年が、ウォルフガング目掛けて飛び掛かって来た!

 鼬(いたち)の如(ごと)き跳躍と素早さは、小柄な体躯(たいく)が為(な)せる態(わざ)だ!

 しかし、ウォルフガングは平然を崩さない。

 対処法は、既(すで)に叩き込んである。

 手近な科学武装兵士(ウィッセンチャフト・ソルダット)の赤外線(せきがいせん)照準(サイト)が、少年のこめかみ(・・・・)と繋(つな)がる!

 手首甲部の内蔵小径銃が火を吹いた!

 が──「何っ?」──攻撃が外(はず)れた!

 跳躍の慣性に標的(こめかみ)は弾道(だんどう)を通過し、その銃弾は後ろ髪を掠(かす)めるのみ!

 それはウォルフガング自身が招いた誤算!

 子供故(ゆえ)の小柄さ……素早さ……そして、反射神経の高さ…………そうした条件(データ)は、兵士達へ与えていない!

 対象指定としてあったのは〝成人男性〟のみ!

 完全に予測外(イレギュラー)の事態であった!

「クッ?」

 懷(ふところ)の携帯拳銃を取り出そうとするも、もう遅い!

 小さな肉食獣は、既(すで)にウォルフガングへと飛びついていた!

「ガアァァッ!」

「うおおっ?」

 身動きが儘(まま)ならない!

 噛まれないように顎下(あごした)へと腕を捩(ね)じ込(こ)み、必死に押し返すだけで精一杯であった!

「何をしている(・・・・・・)! 撃ち殺せ(・・・・)ーーーーっ!」

 棒立ちに対応を見せない兵士へと、戦慄(せんりつ)とも怒号(どごう)とも取れる命令を叫んだ!

 生者(せいじゃ)の肉を喰(く)い千切(ちぎ)らんと、目と鼻の先で死顎(あぎと)が暴れる!

「カアァァァーーッ!」

「うおおぉぉぉーーーーっ?」

 弾け飛ぶ血飛沫(ちしぶき)!

 ウォルフガングの……ではない。

 少年デッドの物である。

 間一髪で、科学武装兵士(ウィッセンチャフト・ソルダット)の射撃対応が間にあった。

 組み付いた事で座標が固定されたのが項を奏(そう)した形である。

 まさに『九死に一生』であった。

「ハァ……ハァ……ハァ…………」

 粗(あら)げた心拍を喘(あえ)ぎ整(ととの)える。

 さすがに生きた心地がしなかった。

 脂汗(あぶらあせ)を拭(ぬぐ)いつつ、地面へと転がる死体を見遣(みや)る。

 こめかみを撃ち抜かれたそれ(・・)は、路傍(ろぼう)に転がる野良犬の死骸と同じに過ぎない。先刻の野獣然とした狂暴性など微塵も感じられなかった。

 徐々に取り戻した生(せい)の実感が、沸々(ふつふつ)とした憤慨(ふんがい)へと転化していく。

「この……死体風情(ふぜい)がぁぁぁーーっ!」

 懷(ふところ)の携帯拳銃を乱暴に抜き出すと、物言わぬ無抵抗へと狂ったように発砲した!

 幾度(いくど)も! 幾度(いくど)も!

 装填した弾丸が尽きるまで!

 カチリカチリと引き金が空鳴(からな)きすると、ようやくウォルフガングは激昂(げっこう)を自覚に鎮めた。

「……クソ餓鬼(ガキ)が!」

 亡骸(なきがら)の腹を蹴り上げて締(し)め括(くく)りとする。

 車輌へと戻る足取りの中で、彼は改めて野望を噛み締めた。

「見ていろよ〈怪物〉共! この世界を征するべきは、我等(われら)〈人間(・・)〉……我(わ)が〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉なのだ!」

 

 

 

 応接間へと差し掛かったと同時に、サン・ジェルマンは気配(・・)を感じた。

 誰も居なくなったはずの室内からだ。

 人間(・・)のものではない。

 独特の淀(よど)んだ瘴気(しょうき)が、それを裏付けている。

 警戒心を抱(いだ)きつつ扉を開くと、久しく会わなかった顔見知りが居た。

「ィェッヘッヘッ……よう、お久しぶりだな? サン(・・)・ジェルマン伯爵(・・・・・・・)殿?」

 みすぼらしく痩(や)せた黒人紳士だ。

 黒いジャケット姿に、黒い山高帽子。卑(いや)しく笑う口角(こうかく)には銜(くわ)え葉巻(はまき)が紫煙(しえん)を炙(あぶ)す。

 家具の価値など些末(さまつ)とばかりにテーブルへと足を投げ出し、我が物顔でソファに寝寛(ねくつろ)いでいた。城主に断りも無く、酒も飲み放題だ。

「……ゲデか」

 呆(あき)れとも諦(あきら)めとも取れる嘆息(たんそく)を吐いて、サン・ジェルマンは正面ソファへと相席した。

 客人から(・・・・)差し出されたグラスを受け取る。

「ワインも有るが?」

「ケッ! 葡萄ジュース(・・・・・・)なんざ要(い)らねぇよ!」

 高貴と卑俗(ひぞく)という両極端な性格に在りながらも、両者は旧知であった。

 決して友人(・・)ではないが……。

「何時(いつ)、ドイツへ?」

「数時間前さな。ま、オレ様には〝時間〟も〝距離〟も関係無ぇけどよ……ィェッヘッヘッ」

 独特の笑い方を濁声(だみごえ)が刻む。

 彼自身が言う通り〝時間〟と〝距離〟は無意味な制約だった。

 この品性下劣な男は〝ブードゥー教〟の〈死神〉──世界中何処であろうと〈死〉の臭いを嗅ぎ付けては現(あらわ)れ、そして〈死〉を糧(かて)と満喫(まんきつ)しては去って行く。彷徨(ほうこう)の疫病神(やくびょうがみ)である。

「それで? わざわざ懐かしんで来たわけではないようだが?」

「まぁな」

 相槌(あいづち)も漫(そぞ)ろに、グラスのウィスキーを呷(あお)った。

 と、死神(ゲデ)の性質を想起(そうき)したサン・ジェルマン卿は、懸念(けねん)に眉(まゆ)を潜(ひそ)める。

「まさか! 君(きみ)が訪れたのは?」 

「ィェッヘッヘッ……そう警戒しなさんなよ? 別にドイツを餌場(・・)にしようってんじゃねぇ。ま、それも一興(いっきょう)だが……残念ながら、オレ様はロンドンに赴(おもむ)なきゃならねぇのよ」

「ロンドン?」

 予想外の返答に、内心ホッとした。

 ゲデにしてみれば、そうした忌避感(きひかん)もお見通しだが……。

 品行方正ぶった詭弁者(ジェントルマン)に疎(うと)まれるのも、これまた心地いい。

 肴(さかな)のナッツへと手を伸ばし、死神は続ける。

「どうやら吸血鬼共が新興勢力を立ち上げようって動きがあってな、その下調べってトコだ」

「そこで、また混乱(こんらん)を引き起こそうと?」

「ィェッヘッヘッ……刈り取る(・・・・)のは、まだまだ先さな。充分熟(う)れてくれなきゃ旨(うま)くもねぇしな。今回は下調べだよ」ウイスキーの酒瓶を取ると、主人の承諾など得る気も無いままに二杯目を注いだ。「しかし、超科学の軍隊(・・・・・・)……ねぇ? オレ様に言わせりゃあ『カルト魔術』も『科学盲信(もうしん)』も同じ。違いが解らねぇやな……ィェッヘッヘッ」

 皮肉な指摘に同感を噛みなからも、サン・ジェルマン卿はそれを示す事をしなかった。

 この男とは距離を置きたい本音もあったが、何よりも彼自身がそうした文明の恩恵(・・・・・・・・・)に肖(あやか)る人間(・・)だからであろう。他人事(ひとごと)ではない。

 落とす眼差(まなざ)しにグラスの氷を遊ばせ、サン・ジェルマン卿は話題の進展を促(うなが)した。

「それで? 此処へ来た本題は?」

「邪険だねぇ? そんなに早く帰ってもらいてぇのかよ?」ニタリと歪(ゆが)んで茶化(ちゃか)す。「既知(ダチ)として警告に来てやったんだよ。近ぇ内にドイツ……殊(こと)に、このダルムシュタッドは荒れるぜぇ?」

「……何?」

 ピクリと反応した機微を嗅ぎ取り、ゲデは軽い悦を味わう。

「どうやら〈ロキ〉の野郎が、何かを画策(かくさく)してやがる……ま、何か(・・)は知らねぇがな? あの野郎が姦計(かんけい)しているならロクな事じゃあるめぇよ……ィェッヘッヘッ」

「馬鹿な!」

 サン・ジェルマン卿は戦慄に立ちあがった!

「ロキは幽閉されているはずだ。やがて訪れる〈神々の黄昏(ラグナロク)〉まで、何処かの洞窟へと……」

 北欧神話に名高い悪神〈ロキ〉──そもそもは北欧の神々〈アース神族〉と敵対する種族〈霜の巨人〉に属する者でありながら、狡猾(こうかつ)に取り入って神々の仲間入りを果たした異端である。

 その性根は邪悪。

 目の前に座る死神(・・)と負けず劣らずの〝悪徳の申し子〟である。

「へっ……〈神々の黄昏(ラグナロク)〉だぁ? そんなモン来るはずァねぇだろ」

 ブードゥー教の死神が嘲(あざけ)た。

 北欧神話に於(お)いて、神々の終末戦争は事前に決定されている──その結末までも。

 最高神〈オーディン〉が『未来予知の目』を所有するが故(ゆえ)だ。

 即(すなわ)ち、発端から末路に至るまで万事(ばんじ)が〝運命〟であり、言い換えるならば『運命の消化試合』とも表現できる。

 それが〈神々の黄昏(ラグナロク)〉と呼ばれる終末戦争だ。

 北欧神話が他の神話群と一線を画する特色である。

「御存知の通り、現在(いま)は闇暦(あんれき)だ。旧暦ならいざ知らず、この現世魔界で〈終末世界観〉もクソもあるかよ。キリストも仏陀(ブッダ)も匙(さじ)投げ、大天使(ミカエル)も弥勒菩薩(みろく)とやらも出る幕は無ぇよ。在るのは忌み呪われた〈怪物(・・)〉だけさ……ィェッヘッヘッ」

「しかし、オーディンの未来予知は絶対のはず……」

「そんなモン(・・・・・)に依存するからさね。未来なんざ手繰(たぐ)りきれない糸の束だ。何か(・・)の拍子で歯車なんざ簡単に狂っちまう。オーディンが見てるのは、その一本に過ぎねぇのさ。そもそも、こんな未来(・・・・・)を、誰が予見した? ああ、確か終末預言者(ノストラダムス)がいたか。尤(もっと)も、そいつに耳を傾けなかった結果、闇暦(あんれき)世界が顕現したんだがな。一九九九年七の月にな……ィェッヘッヘッ」

 眼前へと持ち上げたウイスキー越しに、死神は万事(ばんじ)を見透(みす)かすかのような目を覗かせる。

「人間(テメエら)が何をしたか……心当りは、あるだろうよ?」

 深淵(しんえん)を想起(そうき)させる瞳力(どうりょく)──普段のおどけ(・・・)からは見せない深い闇だ。

「……〈冥女帝(ヘル)〉か」

 先代領主〈冥女帝(ヘル)〉──北欧神話に於(お)ける〈冥界の女神〉である。

 そして〝悪神(ロキ)〟の娘でもあった。

「娘の仇討(あだう)ち……か」

「ィェッヘッヘッ……あの野郎(ロキ)が〝父娘(おやこ)愛〟なんて安っぽい情で動くたァ思えねぇよ。目的は『闇暦(あんれき)の覇権』さね。だが、事を起こす口実(こうじつ)としちゃあ充分だ」

 重い沈黙が刻まれる。

 ややあってゲデは再び道化(どうけ)を装(よそお)い、辛辣(しんらつ)な讒言(ざんげん)に纏(まと)めた。

「ま、どちらにせよ神界の奴等は現世に介入できねぇ。何せ〈黒月(アイツ)〉が強力な負念で遮(さえぎ)ってるからな。ロキにしてみれば好機(チャンス)だよ……ィェッヘッヘッ」

 サン・ジェルマン卿はドサリと腰を下ろす。

「ロキが復活すれば、おそらく多くの犠牲が……」

「だろうな。ロキが動いて、平穏無事で終わるワケは無ぇ。何せ、あの野郎は〝世(よ)を疎(うと)み、世(よ)に疎(うと)まれる忌(い)み児(ご)〟だ。世(よ)が混沌と嘆(なげ)きに包まれれば包まれる程(ほど)、ヤツの喜びと達成感は満たされる。況(ま)してや、現在(いま)は人間側も〈軍隊〉──確か〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉とか言ったか──を持ってやがるからな。火種は充分だ。陰惨な混沌は免(まぬが)れめぇよ。羨(うらや)ましいねぇ? ロンドン行きを取り止めてぇぐらいだ……ィェッヘッヘッ」

 最低な下劣ぶりを置(お)き土産(みやげ)と吐き、ゲデは満足気(まんぞくげ)に席を立つ。

 どうやら、そろそろ旅立つ気になったらしい。

 山高帽子を身嗜(みだしな)みと被(かぶ)り、ステッキを回し遊びながら窓際へと歩き出す。

「それにしても意外だな」

 サン・ジェルマン卿の言葉に、窓際で立ち止まった。

「あ? 何がよ?」

「何故、こうも貴重な情報を? 君は、てっきり悪神(ロキ)とは馬が合う(・・・・)ものだと思っていたが?」

「冗談よせやィ? あの野郎なんざ大っ嫌いだよ!」

「ほう?」

「キャラが被って(・・・・・・・)やがる……ィェッヘッヘッ!」

 サン・ジェルマン卿は乾いた苦笑を返答とする。

 どこまでが本気か分からない──つくづつ食えぬ男(・・・・)だ。

「ま、あの野郎よりもイケ好かねぇモンもあるがな」

「何だね?」

「そいつぁ〝絶対(ぜってぇ)死なねぇヤツ(・・・・・・)〟だよ。不死の男(サン・ジェルマン)さんよォ? ィェッヘッヘッ!」

「ッ?」

「何をしても死なねぇ存在(・・・・・・)──自然の摂理からも魔の理(ことわり)からも外(はず)れた異端(いたん)──実に怖ぇ(・・)ねぇ? ィェッヘッヘッ……ィェッヘッヘッヘッヘッ……」

 下卑(げび)た嘲笑を置き土産(みやげ)と木霊(こだま)させ、死神は黒く霧散して去った。

「ゲデめ、私の過去(・・・・)を軽く覗いた(・・・)な」

 立て続いた緊迫から解放され、疲労感のままに深く背凭(せもた)れる。

 仰ぐシャンデリアに放心を乗せ、孤独な想いを無意識に吐露した。

「私は……どうしたら償(つぐな)える…………」

 込み上げる感情を堪(こら)えつつも、彼は涙を流せなかった。

 悲しみと後悔と懺悔──それを抱(かか)え生きる事が自(みずか)らに課した罰(・)だと知るから……。

 雷雨が騒ぐ。激しく責め立てるかの如く。

 静まり返った広い部屋は、それを無遠慮に響かせ続けた。

 それは、彼を〈咎人(とがびと)〉と糾弾(きゅうだん)する刑罰であった…………。

 

 

 

 

 落雷の怒号を子守唄と身を委ねて〈娘(・)〉は夢幻(むげん)をたゆとう。

 

 ──彼女(かれ)に会いたい……。

 

 その想いが、日々募(つの)る。

 

 ──彼(かのじよ)を護らなければ……。

 

 その意志が、現状に焦燥を抱かせた。

 

 ──彼女(かれ)とは……彼(かのじよ)とは誰だ(・・)?

 

 奇妙だった。

 見知らぬ相手に、強く呼ばれている(・・・・・・)感覚だった。

 その不可解な感覚を〈娘(・)〉の心は持て余し続けた。

 

 

 忌(い)むべき〈娘(・)〉──。

 憐れな〈娘(・)〉──。

 彼女に〝名前〟など無い。

 ただ〈娘(ドルター)〉という名詞で識別される存在……。

 されど、それ(・・)は名前(・・)ではない…………。

 存在(じぶん)の意味すら見つけられない現状では、まだ〝名前〟を求める事すらおこがましい。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。