※この作品はR-18です。

雷命の造娘   作:凰太郎

2 / 26
~第一幕~
ともだち Chapter.1


 

【挿絵表示】

 

 闇暦(あんれき)二九年──。

 昼の陽射(ひざ)しも慢性的な黒雲に遮蔽(しゃへい)され、曇天(どんてん)の如き淡い光源にしかならない。

 日中は黒月(こくげつ)の発光も鎮静化する。

 ダルムシュタッドの町外れに在(あ)る老人の家では、今日も美しく澄んだ音色が奏でられていた。

 ヴァイオリンの調(しら)べだ。

 質素な木造(もくぞう)家屋(かおく)を繁(しげ)り囲う木々は魔樹(まじゅ)のシルエットと化して情景の仄暗(ほのぐら)さへ溶け込み、その根元を縫うように小川がせせらぐ。山から涌き出る清水(しみず)のせいか、幸(さいわ)いにも魔気(ダークエーテル)に毒されてはいない。健常体の水だ。

 家屋(かおく)からは仄(ほの)かな温かさが洩(も)れ、奏(かな)でる弦(げん)が唄(うた)と流れ漂う。

 慢性的な闇が染め上げる現世魔界に於(お)いて、それは不釣り合いな叙情ではある。

 さりながら、その旋律は浄化のような安らぎを周囲に拡散した。

 この音色にたゆとう間だけは、不思議と心に情景が広がった。

 見た事すら無い情景が……。

 青は澄み、緑は萌え、風はそよぎ、鳥は囀(さえ)ずる──その夢想の中では〈娘(・)〉も万物(ばんぶつ)に受け入れられていた。

 やがて終幕を迎える、かけがえの無い時間……。

 寂しくも満ち足りた想いを抱(いだ)いて〈娘(・)〉は夢から醒(さ)める。

 目の前に居る奏者──ロッキングチェアに座る盲目の老人は暖炉の暖かさに揺れつつ、愛用のヴァイオリンを静かに膝元へと置いた。

「ありがとう」

 心から惜しみ無い拍手を送り〈娘(・)〉は感謝の意を示した。

 満足そうな温顔で応え、老人は席を立つ。

 覚束無(おぼつかな)い足下を気遣い、すぐさま〈娘(・)〉は寄り添った。

 そろりそろりと安全を確保しながら、食卓へと誘導する。

「続きは、また明日な……」

「うん」

 質素な樫卓(かしたく)へと相席する。

 二人だけが共有する独演会(リサイタル)ではあるが〈娘(・)〉は待ち遠しくて仕方なかった。

「それはそうと、娘さん? お前さんが来て何日になるかの?」

 マグカップのミルクを飲みながら、老人が切り出した。

「半年以上になる」と、答えて〈娘(・)〉はハッと思い至る。「迷惑か?」

「まさか?」老人は白長い顎(あご)髭(ひげ)を撫でながら、優しい苦笑で否定した。「ワシは息子を亡くして以来、何もかもが嫌になってな──だから、こうして隠頓生活(いんとんせいかつ)なんぞしておるんじゃが──来る日も来る日も孤独での。そこへお前さんが迷い混んだ。人知れず納屋(なや)なんぞに住み着いていたもんだから、そりゃ最初は驚いたが、話してみればなかなか誠実で聡明じゃないか。だとすれば、信用に足る人物──無断で納屋(なや)へと隠れ住んでいたのは、何か止(や)むに止(や)まれぬ事情があるのだろう──そう思えばこそ、ワシは〝オマエさん〟を受け入れたんじゃよ」

「ありがとう」

「それに、娘さんや? オマエさんには行く所なぞ無いのじゃろう?」

「うん、無い」

「だったら、ずっと此処に居(お)ればいい。ここまで一緒に暮らしとったら、そりゃお前さん〝家族〟だろうさ?」

「そうか、ありがとう」

 優しい皺(しわ)が「うんうん」と頷(うなず)く。

 この〈娘(・)〉の受け答えには、感情的な機微(きび)が窺(うかが)えなかった。

 というよりは、些(いささ)か欠落していると言った方が正しいか。

 然(さ)れど、悪意皆無な誠実さを感受させる。

 だからこそ、盲目の老人は満足そうな笑みで受け入れるのであった。

 それは、おそらく〝子供のような無垢な心〟故(ゆえ)の非礼とも思えるから……。

 一方で〈娘(・)〉にしても、この老人は稀有(けう)な理解者であった。

 彼は、あれこれと詮索する事をしなかった。

 だからこそ名前を追求される事も無く、そのまま〝娘さん〟で通っている。

 そして──幸か不幸か──盲目であった事から、彼女の醜怪な容姿を見られる心配が無い。

 長く伸ばした前髪を垂らして醜い右顔面を覆い隠してはいたが、それでも一目見れば異様さに気付いたであろう。襤褸(ボロ)の長外套(ローブ)だけは纏(まと)っているものの、全身を繋(つな)ぎ留(と)める縫合(ほうごう)痕(あと)は隠しようもない。何よりも、この巨躯だ──彷徨(ほうこう)の中で学んだが、普通の女性(・・・・・)は、こんなに大きくない。

 フランケンシュタイン城から逃走して一年弱──。

 彼女は自分の居場所(・・・・・・)を見つけていた。

 それは危(あや)うげな脆(もろ)さにある居場所ではあったが、この世で無二の居られる場所(・・・・・・)だ。

 老人が分け与えてくれたパンを受け取る。質素ながらも二人の昼飯だ。

「パン……おいしい……」

 大事そうに一口食べると、自覚無き実感を小さく漏らし呟いた。

 焦げた厚皮はボロボロと固かったが、それでも〈娘(・)〉には充分な御馳走であった。

 木の実よりはマシだ。あれ(・・)は集めるのに時間が掛かる。

「アンファーレン」

「うん? 何じゃね?」

「ありがとう」

 素直な感情を現す。

 この老人から教わった〝優しさ〟に感謝する言葉──大好きな言葉であった。

 ややあって、不意に玄関の樫戸(かしど)が開く。

 予期せぬ来客の反応を警戒して〈娘(・)〉は身を隠すように縮こまった。外套衣(がいとうい)の襟(えり)をフードと被り、奇怪な素性を隠蔽しようと試みる。

 自衛手段だ。

 彼女の姿を見た者は例外無く恐れおののき、そして、拒絶と加虐心に任せて迫害した。

 此処へと辿り着くまで、幾度となく〈娘(・)〉が体験した教訓である。

「おじいちゃん、いるでしょ?」

 幼女の声であった。

 ひとまずの安心を得た〈娘(・)〉は警戒心を解(と)く。

 扉を開けて入って来たのは、愛らしい少女であった。まだ九才だ。

 幼き身を軟らかな彩りに飾るピンク色のチャイルドドレス。赤いバケット帽からは、金髪のおさげ(・・・)が溢(こぼ)れる。腕に通す愛用のバスケットケースは、母親に手作りしてもらったお気に入りだ。

「あ、やっぱりお姉ちゃんもいた」

「うん、いた」

 素直な鸚鵡(おうむ)返(がえ)しを返事とする。

「何じゃ? マリーよ、また一人(ひとり)で来たのかい?」

 出迎えようとする老体を気遣いに制して〈娘(・)〉は代役と席を立った。

 相手が幼い少女であるせいか、玄関先で並ぶと彼女の巨体が際立つ。

 マリーは〈娘(・)〉の顔を見上げ、ニカッと嬉しそうに歯を見せた。それに応えて〈娘(・)〉も微かに微笑(びしょう)を含む。

 まだ感情の表現が上手く出来ない……だから、これが精一杯の〝友情の証(あかし)〟であった。

「マリー、一人(ひとり)で来た?」

 先刻の老人の言葉を、そのまま繰り返す。

「そうよ?」

 幼さ故(ゆえ)に好奇心が先立ったのか、この少女は初見から〈娘(・)〉に怯えなかった。

 或(ある)いは、アンファーレン老人から受け継いだおおらかな気質かもしれない。

 いずれにしろ〈娘(・)〉の奇異性を百も承知で接してくれる〝かけがえのない友達〟であった。

 来客であるはずの少女が、主導権を持って〈娘(・)〉の手を引く。

 こうして、いつもの三人(・・・・・・)が食卓を囲んだ。

「ああ、また何もしないパン(・・・・・・・)だわ」

 質素な食事を見て、マリーが呆(あき)れた。

「マリー、パンは何かをしてくれている」

「え?」

「私のお腹を満たしてくれている」

 的外れな〈娘(・)〉の返答に、マリーは大人びた溜(た)め息(いき)で更(さら)に呆(あき)れる。

「そうじゃないのよ、お姉ちゃん。わたしが言っているのは、何の味付けもしてない(・・・・・・・・・・)って事なんですからね?」

「そうか、ありがとう」

「何を『ありがとう』なの?」

「教えてくれた」

 暫(しばら)くの間を置いて、少女は困惑の嘆息(たんそく)に沈んだ。

 このお姉さんの事は大好きだが、どうにも常識がズレている。下手をしたら、自分よりも知識が無いのかもしれない──そう感じた時から、マリーは自発的に〝教育係〟を意識していた。

「たぶん、こんなことだと思ったの。だから、コレを持ってきてあげたのよ?」そう言って、バスケットケースから幾(いく)つかの瓶詰(びんづ)めを取り出す。「はい、イチゴジャムとピクルス……それから、すこしだけど蒸し鶏(チキン)も」

「いちごじゃむ……」

 初めて見る物体を、まじまじと〈娘(・)〉は凝視(ぎょうし)した。赤いグチャグチャが瓶(びん)に圧迫される見栄(みば)えは〈娘(・)〉の目にはグロテスクにも映る。

「なあ、マリー?」アンファーレン老人は微(かす)かに困惑を込めて口を開いた。「来てくれるのは有り難いが、一人(ひとり)で来るのは、もう止(や)めておくれ?  可愛い孫娘が危険に晒(さら)されると思うと、ワシは心配で心配で……」

「デッドのこと?」祖父の心配とは裏腹に、少女は涼しい態度で食事の準備を進める。「だいじょうぶよ、おじいちゃん。このまちには〝兵隊さん〟がいるから、デッドなんかこないもの」

「……〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉か。しかしのう?」

 釈然(しゃくぜん)としない様子(ようす)で白い顎(あご)髭(ひげ)を撫(な)でた。

 この世に『完璧(・・)』などというものは無い。万(まん)ヶ一(いち)という事もある。

 人生の深みにそれ(・・)を知ればこそ、老人は懸念(けねん)を拭(ぬぐ)えないのだ。

「私が着いていく」

 唐突に〈娘(・)〉が宣言した。

 瓶詰(びんづ)めジャムへの好奇心は逸(そ)らさぬまま。

「ついていく……って、お姉ちゃんが、わたしをおくってくれるの?」

「うん」

 赤い瓶(びん)には見入る。

「かえりはいいけど、くるときは?」

「呼べばいい。聞こえる」

「きこえないわよ! おうちまで一〇分もかかるのよ?」

「大丈夫。聞こえる」

「きこえませんよーだ!」

「聞こえる。マリーの声だから」

 実際〈娘(・)〉は、嘘をついていない。

 彼女の聴覚は常人レベルを遥(はる)かに超えているのだから。

 ただし、万事を集音していては精神的に保(も)たない。

 そんな状態になれば、常時に於(お)いて大騒音に煩(わずら)わされる事になるだろう。心休まる瞬間とて無い。

 だから〈娘(・)〉は関心事以外に、この超聴覚は使わなかった。

 生体的なスイッチのオンオフである。

 だが、マリーとアンファーレン老人は〈娘(・)〉にとって〝かけがえのないともだち〟だ。

 だからこそ、常にオンとしても良い──そう判断した。

「じゃあ、わたしがピンチのときも、お姉ちゃんがたすけにきてくれるの?」

「うん、行く」

 ジッとイチゴジャムを見据えながら言う。

「……そっか」

 マリーは何故だか嬉しくなって、パンを大きく頬張(ほおば)った。イチゴジャムの芳醇(ほうじゅん)な甘味(あまみ)が口の中で熟(う)れる。

 幼い少女(レディー)なりの照れ隠しだ。

「……マリー?」

 ようやく〈娘(・)〉は目線を上げ、真顔で〝ともだち〟を正視した。

「なあに? お姉ちゃん?」

 食べる手を休めずに、マリーが応える。

「いちごじゃむは、何(・)の内臓?」

 口に含んだミルクを思わず噴き出すアンファーレン。

 あまりに突飛でグロテスクな発想に、少女は顔をしかめるしかなかった。

 せっかくの食欲も減退したが、食卓は大笑いに包まれる。

 ただ一人(ひとり)の朴念仁(ぼくねんじん)を措(お)いて……。

 

 

 

 慢性的な黒雲に覆われている闇暦(あんれき)だが、一応は昼夜(ちゅうや)の区切りが存在する。

 陽光は闇の層に遮られて弱体化するものの判別可能だ。

 日中は曇天(どんてん)宛(さなが)らの薄暗さになるし、夕暮れは短く黄昏を染めるのだから。そして、夜ともなれば、黒月(こくげつ)は自(みずか)らの周囲に白き月光を吐く。

 従って、少なくとも現状は夕刻だ。

 街へと続く丘陵(きゅうりょう)の野道を、大きな人影と小さな人影が連(つ)れ添(そ)って歩いた。

「ねえ、お姉ちゃん?」マリーが見上げて言う。「お姉ちゃんは、どうして街に来たがらないの?」

 優しい困惑を浮かべ〈娘(・)〉は答えた。

「私は行ってはいけない……嫌われる」

「そんなことないわ! 街の人達は、みんな優しいのよ?」

「そうだな……優しい人達だ」

 それは知っていた。

 実際に幾度(いくど)かは、街へと忍び込んだ事もある。

 物影に隠れて羨望(せんぼう)に観察した光景は、彼等の長閑(のどか)な善良さを〈娘(・)〉に示してくれた。

 石畳(いしだたみ)の広場では社交の雑談が笑みに交わされ、子供達は溌剌(はつらつ)とした元気で遊び駆け回る。

 坂道に立ち往生する荷馬車が在れば通りすがりが力添(ちからぞ)えをし、杖つく老人には周囲が気遣(きづか)った。

 何処かの誰かが困れば、何処かの誰かが手を貸す──そんな人達だ。

 強く憧(あこが)れた。

 眩(まぶ)しさに惹(ひ)かれた。

 だからこそ〈娘(・)〉は思う──自分は介入してはいけない……と。

 それは、きっとこの世界(・・・・)を壊してしまう事になるから……。

 

 かつて、サン・ジェルマンは言った──「外の世界(・・・・)は、とても怖い所なんだよ……君(きみ)にとってはね。とても怖く、恐ろしく、残酷で、苦しい世界なのさ。君(・)は、この城から出てはいけない……出るべきではない(・・・・・・・・)んだ」と。

 

 その言葉の意味を、現在(いま)の〈娘(・)〉は理解する事が出来た。

 

 罵倒(ばとう)に投げつけられる石礫(いしつぶて)──容赦なく殴りつける硬い棒──幾度(いくど)痛みを味わったかは数えていない……。

 心の痛みを……。

 普段は優しい人々も、一度(ひとたび)〈娘(・)〉の醜怪(しゅうかい)さを見れば豹変するのだ。

 それでも〝人間(ひと)〟を憎めなかった。

 憎めない自分が恨めしくさえ思えた。

 憐(あわ)れであった。

 だから〈娘(・)〉は泣いた。

 毎日……毎日…………。

 ひたすらに慟哭(どうこく)した……。

 

 然(さ)れど、現在(いま)は違う。

 自分の掌(てのひら)には持て余す小さな手の温(ぬく)もり──それが心の痕(きずあと)を埋めてくれるから。

「……マリー」

「なに? お姉ちゃん?」

「私が怖くない?」 

「顔のこと?」

「うん」

 長い前髪を垂らしたところで、完全に隠し通せるはずもない。せいぜい遠目か一見(いちげん)程度にしか通用しない小細工だ。

 当然ながら、マリーは〈娘(・)〉の右顔面を朧気(おぼろげ)に見ている。

 その醜怪さを……。

 さすがに剥(む)き出(だ)した眼球までは見えていないだろうが……。

「こわいわよ?」

 屈託(くったく)なく答えた。

「そうか」

 当然の返答とばかりに〈娘(・)〉は受け入れる。

「こわいに決まっているじゃない。顔だけじゃなく、体もキズだらけだもん。最初に見たときは〈デッド〉かと思ったわ」

「うん、ごめん」

 何故か謝っていた。

「でも、しかたないわよ? だって、それだけの大ケガをしたんでしょう?」

「……うん」

 この子と初めて出会った時に〈娘(・)〉は嘘(・)をついていた。

 厳密にはアンファーレン老が取(と)り繕(つくろ)った方便(ほうべん)なのだが……。

 致(いた)し方(かた)ない選択とはいえ、その負(お)い目(め)は心苦しかった。

 正直、嘘(・)は嫌いである。

 たぶん、それは〝罪〟であり、この苦しさ(・・・)は〝罰〟だ。

「それにね? わたし、お姉ちゃん好きだもん」

 またも屈託(くったく)なく言う。

 それは〈娘(・)〉にとって、予想外の言葉であった。

「怖いのに?」

 戸惑(とまど)いを抱(いだ)いて訊(たず)ねる。

「うん、やさしいから」

「そうか」

 何故だろう……胸が温かく、そして苦しかった。

 けれども、この苦しみは辛(つら)くない。

 これまで味わった〝寒い苦しみ〟とは違う。

 それを人間(ひと)は〝愛情〟と呼ぶ事を〈娘(・)〉はまだ知らない……。

「マリー」

「なに? さっきから?」

「ありがとう」

 心から涌き出る想いそのままに〈娘(・)〉は微笑(ほほえ)みを捧げた。

 小さなともだちは暫(しばら)く不思議そうに見つめていたが……やがて温かな笑顔を与えてくれた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。