※この作品はR-18です。

雷命の造娘   作:凰太郎

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ありがとう Chapter.3

 

【挿絵表示】

 

 独白吐露を終えたサン・ジェルマン卿は、覚えた疲労感のままに虚空へと意識を逃した。

「──そして、墓荒らしも厭(いと)わぬ卑しい身と堕ちた。その時には〝ヨハン・コンラッド・ディッペル〟と名乗ったがね」

「また偽名を?」

 戦乙女(ヴァルキューレ)の質問に、サン・ジェルマン卿は渇いた微笑(びしょう)で答える。

「在城者が墓暴きなどをしていると知れたら〝フランケンシュタイン〟の名に泥を塗る形になる。いや、或(ある)いは逃げ(・・)かも知れんな……忌まわしき罪を犯す己(おの)が業(ごう)から目を逸(そ)らす為(ため)の。どちらにせよ〝死臭(ししゅう)塗(まみ)れの実験〟へと明け暮れたのは事実だ。そして、その実験に費やした年月の中には〝フォン・フェルシェア〟という助手もいた」

「誰です?」

「ヨーゼフ・メンゲレの師──即(すなわ)ち、ウォルフガング・ゲルハルトに〝生命創造〟の盲信を伝承した人物だ」

「ッ!」

 息を呑むブリュンヒルド!

 思いもよらない因縁であった!

 まさか、このような形で〝生命創造の狂気〟が繋(つな)がっていようとは!

「分かるかい? ブリュンヒルド嬢? 私は〝大罪〟に祝福されし存在なのだよ。神に望まれずして生まれ落ちた〝命(・)〟──親友と想い人の生死を玩(もてあそ)ぶ狂人──ナチスドイツの狂気理念を後押しした人物──そして、ウォルフガング・ゲルハルトの遠因的祖師でもあるのさ」

 あまりに凄惨な経緯に、重い間が刻まれる。 

 雷雨は止(や)まない。

 あの日と同じように……。

 程無くして沈黙破りに開口(かいこう)したのは、ヘルであった。

「それで? あの〈娘(・)〉は、いつ完成(・・)したのだ?」

「肉体そのもの(・・・・)は闇暦(あんれき)初期(・・)に完成している。だが、彼(かのじよ)が〈生命〉を得たのは比較的最近の事だ」

「何故だ?」

「かつて親友(フォン)が主張の根としたように、物質的な〈生命〉の根源は〈電気(・・)〉だ。しかし〈娘(ドルター)〉は〝再生死体〟──云(い)わば、生の理(ことわり)から除外された存在。細胞レベルから全身を再活性化させるには、実験レベルのガルバーニュ電流では全然足りなかったのだよ。それを為(な)すには、膨大な電圧を必要とする」

「成程、そのため(・・・・)……か」

 雷(いかずち)を吸収還元する機械装置を、意味深に眺めるヘル。

(膨大な雷(かみなり)パワーそのものを、その身へと宿す為(ため)の装置──だが、それ(・・)は大自然のパワーそのもの(・・・・・・・・・・・)を内包させるという事と同義だ。なればこそ、兄上(フェンリル)と互角以上に渡り合える潜在戦闘力も頷ける)

 ヘルの黙考を余所(よそ)に、サン・ジェルマン卿は続ける。

「だが、仮に落雷を流し込んでも、それだけで再生するとは限らない。そこ(・・)は賭けの領域だ。実際〈娘(かのじょ)〉の再生には試行と失敗を繰り返した。かなりの歳月を……ね。それだけ〈生命創造〉は難業という事だ。だからこそ、独自に研究考察を重ねていたのだよ。それは皮肉にも、私自身が〈死〉を探究した理論と、彼──フォン・フランケンシュタイン──が探究した〈生〉の理論を融合させる作業だった。即(すなわ)ち『生と死の両立論』だ。どちらかだけが成立していても、それは〈生命の真理〉に辿り着ける論ではない。生死とは二極一対にして表裏一体なのだから……。冥女帝たる君(きみ)ならば解るだろう? ヘル?」

「……ああ」

 然(さ)もあらん……と、冥女帝(ヘル)は含(ふく)んだ。

 仮に〈神々〉であっても〝生死の真理〟を完全に解き明かす事など不可能であろう。

 それは〈冥女帝〉たる自分とて例外に無い。

 ただ司る(・・)だけだ。

 その絶大な真理を〈人間〉如(ごと)きが掌握しようとする……。

 逞(たくま)しい傲慢(ごうまん)さであった。

 苦笑(にがわら)うしかない。

「せめて『Fの書』さえあれば……それ(・・)を具(つぶさ)に纏(まと)めた手記があれば〈娘(ドルター)〉の再生率は格段に上昇するのだが…………」

 誰に言うとでもなく虚空を仰ぐサン・ジェルマン卿。

 それに対する返答ではあるまいが、ようやくにしてブリュンヒルドも口(くち)を開いた。

「なるほど……事情は分かりました」

 深い一呼吸(ひとこきゅう)に、気持ちの整理を落ち着かせる。

 と、毅然(きぜん)たる美貌を上げ、込み上げる怒り任せに大罪人(エゴイスト)を糾弾(きゅうだん)した!

「サン・ジェルマン伯爵……貴方(あなた)は最悪です! 生命(いのち)を弄(もてあそ)び、魂を愚弄し、死神との盟約に溺れた赦(ゆる)されざる悪徳者! 神への謀反者です!」

「ああ、その通りだ……弁明はしない」

 浴びせられる謗(そし)りを無抵抗に受け入れる。

 それが贖罪(しょくざい)になるとは思ってなどいないが……。

「ですが……」ブリュンヒルドの抑揚が一転して儚(はかな)い愁(うれ)いを帯びた。「貴方(あなた)は〈彼女(・・)〉の創造主(ちち)なのです……間違いなく。ならば、責任(・・)を負いなさい。この世へ生み落とした責任を……」

 淡い哀しみを含(ふく)み、ブリュンヒルドは一冊の手帳を取り出した。

 それは〈娘(・)〉から取り上げた〈禁忌の書物〉であった。

「それは『Fの書』!」

「……御返しします」

「何故、君(きみ)がそれ(・・)を?」

「彼女が大事に持っていた物です。それを没収しました」

「……彼(かのじよ)は、コレ(・・)を?」

「読んでいません。いえ、まだ読解力が付く前に、私が取り上げました」

「……そうか」

 軽い安堵を浮かべる。

 その様(さま)を窺(うかが)い見て、ブリュンヒルドは確信するのだ──彼には、まだ救いがある。

 ウォルフガング・ゲルハルトにも、ロキにも、欠落していた感情がある。

 それは〈愛情〉だ……と。

 なればこそ、一縷(いちる)の望みを託してもいいだろう。

「コレ(・・)があれば、おそらく彼女の再生確率は上がるのでしょう? 何故ならば、この書こそが彼女を造り出したバイブル(・・・・・・・・・・・・)なのですから」

「ああ。この書こそは、私の──いや、私(・)とフォン(・・・)の研究成果にして集大成だ。私と彼の叡知が合わされば、如何(いか)なる難関とて不可能など無い」

 斯(か)くして、禁断の書物は主(あるじ)の手元へ戻ったのである。

 血塗られた業(ごう)に染められた手に……。

 それを手放す際、ブリュンヒルドは強い目力(めぢから)を込めて誓約を課す。

「ですが、ひとつだけ約束して下さい。この一件が片付いた際には、この禁書を──」

「──約束しよう。永遠に葬り去ると……史実の闇に!」

 確固たる意志が返す。

 それが信用に足ると思えばこそ、戦乙女(ヴァルキューレ)は握る力(ちから)を潮の流れと引いた。

「彼女(・・)は、コレ(・・)を『絵本』の類(たぐい)だと思っていたようです」

「……そうか」

「……残酷な『絵本』です」

「ああ、紡がれるのは『救いの無い御伽話(フェアリーテール)』だ」

 

 

 

 

 煉瓦道は煙雨に霞み、体温を蝕む雨は勢いに痛い。

 大雨が叩きつける大通りに、街人達は集められていた。

 街路中央を埋める黒集(くろだか)りは皆一様に怯え、身を寄せ会うかのように固まっている。

 女子供も関係無い。

 老若男女も関係無い。

 無差別且(か)つ問答無用に狩り集められた捕虜達であった。

 ロキによる強制だ。

 拒否といった選択肢など存在しない。

 愚かにも相手の正体(・・・・・)を見極める前に幾人(いくにん)かが抵抗を試みたが、総て些末(さまつ)な煩(わずら)いとばかりに破壊(・・)された……指先一本で。

 その絶対無敵の暴力を目(ま)の当(あ)たりにすれば、何人(なんぴと)であっても恐怖に心折れるのは当たり前であろう。

「イヒヒヒヒッ……旦那さん? 言われた通り、この界隈の住人は全員集めやしたぜ? もう家屋には人(ひと)っ子(こ)一人(ひとり)居ませんや」

 手揉みに御機嫌を窺(うかが)うアイゴール。

「ああ、御苦労だったな」

 素振りもニヤケ面(ヅラ)もイヤらしいが、ロキにしてみれば満足な下僕だ。

 その醜い風貌と性根は救(すく)い難(がた)く、だからこそ〝珍品〟を所有している満足感がある。

 何よりもコイツ(・・・)は従順であった。

 圧倒的な神力(ちから)に怯え、気に入られる事による保身へと安心し、ひたすらに媚びへつらう事しか出来ない。

 その征服欲が満足を覚えさせる。

 望んだものだ。

 娘(ヘル)にも息子(フェンリル)にも怪物(・・)にも拒絶された欲望だ。

 良い拾い物をしたものである。

 出会い頭の非礼はチャラ(・・・)にしてやろう。

「それにしても、ウジャウジャと気持ち悪ィな? 蟻の巣をほじくり返した気分だぜ……」

 寄り添い怯える群集を疎(うと)み、ロキは辟易(へきえき)と蔑視(べっし)を流す。

 神話の時代、それほど人間は多くなかった。

 それが永き封印の間、世を埋め尽くす程(ほど)に人口(じんこう)は増殖している。

 闇暦(あんれき)時代(じだい)に突入する契機となった史上最大の災厄〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉によって間引きされたとは言え、その数はまだまだ多い。

 生命力(いのち)そのものは脆弱ながらも、その爆発的な繁殖力は煩(わずら)わしい特性である。

 だからこそ悪神(ロキ)にとっては虫ケラ(・・・)としか映らなかった。

 蝿やゴキブリと同じ害虫と変わらぬ、汚らわしくも無価値な存在でしか無い。

「で、旦那さん? コイツらを、どうするおつもりで?」

「餌(・)だよ」

「餌?」

「ああ、ひとつは〝オレに楯突いたヤツラへの餌〟──もうひとつは……」

 ロキが思索に言い渋った時であった。

「この悪魔め!」

「あん?」

 怯え固まる群集の中から一人(ひとり)の男が罵詈を吐いた!

「いいか! この街には〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が在(い)るんだぞ! 貴様のような何処の馬の骨とも知れぬ〈怪物(・・)〉が暴虐を働こうとも、必ずや神の鉄槌(てっつい)が──」

「これ(・・)か?」

 男の額にトンッと指を当てて神力を注ぐと、肉風船が赤飛沫(あかしぶき)と脳脂(のうし)を散らして破裂する!

「ヘッ……神の鉄槌(・・・・)ってヤツだ」

「ひぃぃ……」「あ……ああ……」

 ざわめきに増長する恐怖!

 その畏怖を一身に浴び、ロキは悠然と毒突いた。

 が、そうした負の連鎖に在っても屈せぬ強い意思がひとつ。

 それは幼くも真っ直ぐな純心──マリーであった。

 

 

 

 

 遠くに感じた神力(しんりょく)に、冥女帝(ヘル)の眉尻がピクリと反応を示す。

「……来たか」

 確信に漏らす呟(つぶや)き。

 改めて再生作業に取り掛かったサン・ジェルマン卿の様子を見れば、未(いま)だ悪戦苦闘の要領は拭えない。

 落雷を流し込む度(たび)に〈娘(・)〉の肢体は激しく波打ったが、はたして先刻までと何が違うのかも定かに無かった。

 無論、素人目に看破出来る類(たぐい)の仕事ではないが……。

(いや、好転はしているのであろう。ブリュンヒルドが手渡した書が何(・)かは知らぬが、どうやら切り札のようであったからな。だが……)

 時間は、まだまだ掛かる──それは傍目(はため)にも明らかであった。

 最悪の場合、総てが徒労で終わる可能性も有り得るだろう。

 一方で、ブリュンヒルドは城内探索から帰って来る気配が無かった。

 当然だ。

 来るべき最終決戦へ向けて武装を整えるという目的であったが、はたして悪神(ロキ)に通用するだけの武具が人間界(・・・)に在るはずも無い。

(……いや、これで良かったのであろう)

 内なる決意を固めると、ヘルは気付かれぬように退室した。

 朱が躍り息吹く階段を下る。

 薄暗い石段は、まるで重圧の奈落に導くかの如(ごと)く陰鬱(いんうつ)であった。

 そうした想いの総てを受け止め、ヘルは黙々と下る。

(兄上(フェンリル)と対等に渡り合った〈娘(・)〉が復活すれば、万にひとつの勝率も期待出来ただろう。ブリュンヒルドの武具が万全であれば、連携策を考じる事も出来た。しかし現状では、どちらも叶わぬ……無い物ねだりだ)

 浮かべる自嘲は諦めの心情にも似ていた。

 やがて、ヘルは凛然たる顔を上げる。

 その瞳は不思議と晴れやかささえも帯びた印象に在った。

(ならば、私(わたし)自(みずか)らが赴(おもむ)くより他は無いだろう)

 無意味な暴虐から民を護らねばならぬ。

 殺戮の毒牙から民を救わねばならぬ。

 自分は〈冥女帝(ヘル)〉──この〈ダルムシュタッド〉の領主(・・)だ。

 心に定めた〈敵(・)〉を、もはや〈父(・)〉とは思うまい。

 愁(うれ)う慕情は、既(すで)に忘却へと捨て去った。

 軋み開く正面玄関を抜けると、雷雨轟く闇天が舞台と出迎える。

 闘いの舞台だ。

 己(おのれ)が己(おのれ)で在る為(ため)の……。

 と、眼前に広がる暗い情景に違和感を感じ、ヘルは怪訝(けげん)に目を凝らした。

 数平方メートルにも広がる城門内の庭は粘りつく泥濘(ぬかる)みに浸(ひた)され、城壁越しに見える樹々は魔界の使者と囃(はや)し立(た)てる。

 冷たい雨が作り出した情景は、ひたすらに暗色で彩られた虚無感の箱庭だ。

 そんな荒々しい野外に佇んで待っていたのは、見覚えのあるシルエットであった。

「ブリュンヒルド?」

 一瞬の雷光が、鎧装束を克明に浮かび上がらせる。

 容赦無い雨に打ち付けられ続け、頭からずぶ濡れとなっていた。

 然(さ)れど向けられた美貌は、薫風のように爽やかな慈しみで微笑(ほほえ)む。

「……独(ひと)りで何処へ行こうというのです?」

「見掛けぬと思うたが……何故、此処に?」

「たぶん、貴女(あなた)と同じですよ」

 近くに見れば聖鎧(せいがい)の破損は修復しきっていない。

「その武装で出るつもりか?」

 ヘルの指摘に、困ったように苦笑(にがわら)う。

「仕方ありませんよ。基(もと)より〈戦乙女(ヴァルキューレ)〉の武装は、神力の結晶具現です。時間を掛ければ完全修復します──体力や英気の回復と比例して。ですが、先の戦闘から時間が経っていませんからね。況(ま)してや、受けたダメージは大き過ぎた……」

 値踏み視線で、ヘルはブリュンヒルドの出で立ちを改めて眺めた。

 聖鎧(せいがい)以上に気になるのは、完膚無きまでに砕け折れた円錐槍(ランス)の方だ。

 彼女が手にしていた円錐槍(ランス)は、愛用のそれ(・・)ではない。

「……その槍は?」

「城から拝借しました。無いよりはマシですから」

「相手は悪神(ロキ)だぞ? 通用すると?」

「〈神力(しんりょく)〉を注げば、足止め程度なら」そして、決意の瞳に念を押す。「胆(・)は貴女(あなた)ですよ……冥女帝(ヘル)! 私に通用する武具は無く、現状(いま)は〈娘(かのじょ)〉もいない。悪神(ロキ)への切り札は、貴女(あなた)しかいないのです!」

「フッ……重責だな」

 自嘲に眼差(まなざ)しを伏せると、後れ毛が色香に零(こぼ)れた。

 

 

 

 

 

 

「何が〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉だ? もういねぇ(・・・)よ。何せ、オレ様が壊滅させたんだからな……ヒャハハハハハッ!」

「フォ……〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉が?」

「そ……そんな?」

「終わりだ……この街の平和な時は、もう終わりだ……」

「これで、この街も他国と同じだ……」

 ロキの声高な嘲笑に、街人達の失意は絶望へと色を変えていく。その伝染が悪神には何とも心地良い。

 もう〈怪物〉から自分達を保護してくれる存在はいない。

 その事実がもたらす無力な絶望感は、依存対象の喪失がもたらすものであった。それだけダルムシュタッドの人々にとって〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉は、大きい後ろ楯だったのである。

 

 人々は、次第に〈完璧なる軍隊(フォルコメン・アルメーコーア)〉へと依存すらしていくだろう。『自分達は、この軍隊に守ってもらっているから大丈夫だ。否(いな)、守ってもらわねば生きていけない』と──それは、かつてサン・ジェルマン伯爵が指摘した通りの有様であった。

 

 そんな失望の渦中から、あざとくも一人(ひとり)だけ血相を変えて悪神(ロキ)へと縋(すが)り出る者がいた。

「オ……オレは貴方(あなた)に忠誠を誓います!」

 一部の街人には知った顔である。パレードの日に、マリーへと難癖を向けた破落戸(ゴロツキ)だ。ハリー・クラーヴァルとブリュンヒルドから手痛い制裁を加えられた男である。

「あん? 何だ? テメェ?」

「で……ですから、オレは貴方様(あなたさま)へ忠誠を誓います! 手となり足となり御役に立ちます! どうか御仕(おつか)えさせて下さい!」

「ふぅん?」醒めた邪視が値踏みに見定める。「テメェ、家族(・・)は?」

「お……おります。ス……スペインの方に……あ……そ……そうです! そうですとも! 私には大切な家族(・・・・・)がおります! 仲睦(なかむつ)まじい家族が、私の帰りを待っています!」

「ふぅん?」

「私が無事に生きているとなれば、家族もどんなに喜ぶか……偉大なる貴方様(あなたさま)への感謝も尽きぬ事でしょう! きっと家族一丸となって、貴方様(あなたさま)への信仰と畏敬も忘れません! ですから何卒(なにとぞ)、寛大なる御慈悲を! その為(ため)なら、この身を捧げる事も厭(いと)わぬ覚悟です!」

 嘘である。

 大嘘である。

 この男には家族などいない──いや、正確には〝いた(・・)〟と言うべきか。

 年老いた母と妻……そして、六歳の息子だ。

 しかし、逃げ回るには足手まといと捨てて来た。

 その数秒後には、無数の〈デッド〉に歓迎されていたのを見届けている。

 今頃は、とっくに仲間入りだ。

「な……何なら忠誠の証に、コイツらを痛めつけてやりましょうか! いや、御望みなら処分してさえみせますとも!」

「ほぅ?」悪神(かみ)の蔑(さげす)みが目を細める。「ま、いいだろ。オマエみたいなヤツァ嫌いじゃねぇ。じゃあ、せいぜい役立ってもらうとするか」

「は……はい! 有難うございます!」

 晴れやかな安堵に染まる笑顔。

 嗚呼、命拾いをしたぜ──と。

「この恥知らずが!」

「人間のクズだわ!」

 背後から浴びせられる罵倒(ばとう)にも苛立(いらだ)ちは無い。

 むしろ絶対的な優越感を以(もっ)て見下すのだ。

 ほざくな、器量無しのマヌケ共──と。

「弱虫!」

「……あ?」

 ふてぶてしい神経を逆撫でしたのは、意外にもシンプルな罵詈(ばり)であった。

 子供である。

 群衆の中から勇気を以(もっ)て射抜いたのは、一人(ひとり)の幼女である。

 それを視認した途端(とたん)、破落戸(ゴロツキ)の表層心理に張った平静の氷盤はミシミシと憤怒に崩れ出した!

 見覚えのある子供だ!

 いや、忘れようものか!

 コイツ(・・・)のせいで、往来にて赤っ恥を掻かされたのだから!

 勇気ある幼女──マリーは叱責を続ける!

「あなたは弱虫(・・)だわ! 乱暴されるのが怖いからって街の人達を犠牲にして、自分だけ助かろうと悪い人(・・・)の子分になるなんて! 弱虫(・・)よ!」

「このクソガキーーッ!」

「きゃ!」

 髪の毛を鷲掴(わしづか)みに引き摺り出すと、崇拝神(ロキ)への捧げ物とばかりに投げ棄てた!

「テメェ! 誰(・)に向かって物を言ってやがる! 痛い目を見ねぇと分からねぇか!」

 虎の威を借るハイエナが暴力をチラつかせて威嚇するも、凛とした幼い瞳は決して屈しない!

 そこには巌(がん)とした信条があるからだ!

「あなた達なんか、きっと〝お姉ちゃん〟がやっつけてくれる! そうよ……そうだわ! 〝お姉ちゃん〟よ! 兵隊さん(・・・・)なんかじゃない! 〝お姉ちゃん〟なら、みんな(・・・)を守ってくれるわ!」

「お姉ちゃん(・・・・・)だァ? この間の銀髪女か! ソイツは何処にいる? ああっ?」

「ブリュド(・・・・)じゃないわ! 〝お姉ちゃん(・・・・・)〟よ!」

「だから! ソイツは何処にいるってんだよ!」

「あぐっ!」

 苛立ち任せに再び髪を鷲掴(わしづか)みにすると、無慈悲に捻(ひね)り上(あ)げた!

「ナメてんじゃねぇぞ! クソガキが!」

 苦悶を浮かべる童顔に、威圧を孕(はら)んだ野卑(やひ)面(ヅラ)が睨(ね)め付(つ)ける!

 そんな安っぽい忠誠(イジメ)を醒めた冷蔑(れいべつ)に流し、ロキは辟易(へきえき)とした心情を咬む──「どっちがガキ(・・)だよ」と。

 だが、それ以上に気になる事がある。

 この子供の主張だ。

 ここまで屈せぬほど無垢な心酔は、いったい何処から来るのか……いや、そもそも、これほどまでに強い信頼を植え付けるとは何者(・・)なのだ?

(お姉ちゃん(・・・・・)……ねぇ?)

 ふと脳裏に浮かんだのは、あの〈女怪物(・・・)〉の存在。

(いや、有り得ねぇか。ヤツ(・・)は死んだ(・・・)。何よりも〈怪物(・・)〉と〝人間〟が相容(あいい)れるはずも無ぇ)

 ロキが黙想を巡らせる中、不意に静かなる凄味が耳に届く。

「……その子から手を放せ」

 待ちわびた期待に、悪神の口角(こうかく)がニィと上がった。

 仰ぎ見る闇空に立つのは、二人の女性のシルエット──〈戦乙女(ブリュンヒルド)〉と〈冥女帝(ヘル)〉であった!

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