※この作品はR-18です。

雷命の造娘   作:凰太郎

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~終幕~
雷命の造娘


 

【挿絵表示】

 

 闇暦(あんれき)三〇年──。

 

 ダルムシュタッドの境界線に、不穏な敵意が構えていた。

 陣取る軍勢から生気(・・)が感受出来ないのは、はたして自我(・・)が欠落しているからであろう。

 かといって〈デッド〉でない。

 それは戦旗の紋章を見れば、容易に看破可能だ。

 自(みずか)らの尾を銜(くわ)えた円環体勢の蛇は〈ウロボロス〉と呼ばれる意匠──〝再生と破滅〟の暗喩(メタファ)であると同時に〝真理探究〟の象徴として〈錬金術師〉達から崇められているシンボルであった。その背景に描かれているのは、一輪の薔薇の花。

「クリスチャン・ローゼンクロイツと、その軍勢〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉か」

 領主〈冥女帝(ヘル)〉は、金網越しの外敵を見据えて呟いた。

「どう見ます? 敵戦力は?」

 並び立つ側近・戦乙女(ブリュンヒルド)が訊(たず)ねる。

 自軍の兵力を改めて見渡せば〈冥骸戦士(スケルトン)〉や〈冥府魔犬(ガルム)〉といった魔物の軍勢。総て〈冥女帝(ヘル)〉の権限によって使役されし者達だが、見た目の禍々(まがまが)しさには〈神界の戦士〉として気後(きおく)れするしかない。

 ヘルが分析を紡ぐ。

「敵兵は〈人造生命体(ホムンクルス)〉──個々の能力的には敵で無いにせよ、如何(いかん)せん数は多いな」

「それ以前に、ゾッとしませんよ……あの顔は」

「〈悪神(ロキ)〉でない分、マシ(・・)であろう?」

 並ぶ兵士は、総て見知った顔であった。

 サン・ジェルマン伯爵──ハリー・クラーヴァル──ヨハン・コンラッド・ディッペル──はてさて、どう呼ぼうか──ブリュンヒルドは淡い苦笑に美貌を伏せる。

 敵陣の中で見知った醜怪(しゅうかい)を見つけた。

 せむし男(・・・・)だ。

「どうやらアレ(・・)の手引きらしいな」

「通じていた?」

「いいや、その場その場の日寄見に取り入っただけであろう。本当に〝人間(・・)〟というものは……」

 卑しくも逞しい。

 もはや憤(いきどお)りも憐れみも涌かない。

 ただ苦笑(にがわら)いに呆(あき)れるだけだ。

 やがて敵兵の陣形が左右に割れ、モーゼの如(ごと)く渡る姿が現れた。

 赤い長外套(ローブ)を纏(まと)った長髭(ながひげ)の怪老だ。

 とは言え遠目にも判るが、ガタイ(・・・)は引き締まった筋肉質に屈強である。

 その物々しい重鎮さから何者(・・)かは察せた。

 だから〈領主(ヘル)〉も席を立つ。

 金網越しに対峙する両者。

 太い鷲鼻に、深く沈んだ攻撃的な慧眼(けいがん)。

 繁る髭(ひげ)や眉に埋もれた顔立ちのせいか、恰(あたか)も梟(フクロウ)を想起(そうき)させる猛禽的(もうきんてき)な心象であった。

 老齢には不自然な程(ほど)隆々と引き締まった肉体は、はたして魔導実験の恩恵であろうか。

「貴様が、この街の〈領主〉か?」

 重々しい低音が訊(たず)ねる。

「如何(いか)にも」

 黒き聡明は臆する事も無く真っ向から答えた。

「ヨハン・コンラッド・ディッペル──いや、サン(・・)・ジェルマン(・・・・・)が遺したという『Fの書』とやらは何処だ」

「もはや焚書だ。現存せぬ」

「そうか……ならば、もうひとつの目的(・・・・・・・・)だけは遂行しておくとしようか」

 赤き長外套(ローブ)を翻(ひるがえ)し、老賢者が猛り名乗る!

「我(われ)こそは〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉総帥〝クリスチャン・ローゼンクロイツ〟也(なり)! 此度(こたび)〈錬金術〉の威光を以(もっ)て、この地〈ダルムシュタッド〉を我が〈領地〉と下(くだ)そうぞ!」

「〈錬金術(かがく)〉……か」

 憂いた自嘲を染める冥女帝(ヘル)。

 

 ──やがて〈科学〉は〈神〉さえも凌駕(りょうが)する。

 

 幾度となく聞いた言葉だ。

 それは先の内戦に於(お)いて、身に染みた立証でもあった。

 だが……はたして下される(・・・・)のは〈神〉だけであろうか?

 勢い止まらぬうねり(・・・)は悲劇を孕(はら)む怒濤(どとう)と化して、総てを呑み潰すのではあるまいか?

 その使役主たる〝人間(・・)〟でさえも……。

 落とし児たる〈娘(かのじょ)〉を想起(そうき)すると、そう思うのだ……。

 

 開戦直前の邂逅(かいこう)を終えると、領主(ヘル)は自陣へと戻って来た。

 視線のみで出迎えたブリュンヒルドが訊(と)う。

「今日の予定(・・)は?」

「ブレッド家(け)のアルフレッド老人だ」

「パン屋の?」

「ああ」

「残念ですね……職人技だっただけに」

「死期到来までは、まだ日が在る。それまでには馳走になろうか」

 乾いた微笑(びしょう)を交わす二人。

 実のところ、領民達は長らく誤解していた。

 領主〈冥女帝(ヘル)〉の糧(かて)は〈死〉ではない。それでは〈怪物(・・)〉だ。

 彼女の糧(かて)は〈畏敬〉である。

 それこそ〈神〉らしい糧(かて)だ。

 ヘルが選定した対象は、常に〝死期の運命が近付いた者〟だけである。

 そうした領民を城へと招き、手厚くもてなし、心穏やかに逝けるように計らっていたに過ぎない。それこそ、現世に思い残す事が無いように……。

 無論、悪徳の類(たぐい)もいたが、そうした連中でさえ死期が近付くに連れて憐(あわ)れなほど怯(おび)え、己(おのれ)の半生を嘆き悔いた。

 〈死(・)〉という支配力には万人が無力であった。

 だから、彼女(ヘル)は慈悲による改心を免罪符と授け、安楽なる〈死(・)〉を約束した。

 そうした経緯(いきさつ)があればこそ、逝く者は皆、最期の最期には〈冥女帝(ヘル)〉へと感謝の念を抱(いだ)くのだ。

 その想い(・・)こそが、ヘルの糧(かて)なのである。

 心優しい女神──。

 人間に情愛を注げる人外──。

 そして、理不尽にも忌避される存在────。

 そうした意味では、彼女もまた〈娘(・)〉と同じであったと言えるだろう。

「さて、では私も役目(・・)を果たしますか……」

 壮麗の戦乙女(ヴァルキューレ)は、腰鞘(こしさや)から〈魔剣(グラム)〉を引き抜いた。

 守ろう……彼女(とも)から受け継いだ守るべきもの(・・・・・・)を!

 彼女(とも)が焦がれたこの世界(・・・・)を!

 その想いあらばこそ、自己への鼓舞(こぶ)に凛然と名乗るのだ!

「我が名はブリュンヒルド! この〈ダルムシュタッド〉の守人(もりびと)! 誇り高き〈戦乙女(ヴァルキューレ)〉の名に於いて、貴公の悪行を裁く!」

 

 

 森の奥深くに墓が在る。

 ひっそりと人知れずに作られた墓が在る。

 小さな墓だ。

 墓標は無い。

 埋葬されし者に対して些(いささ)か窮屈であろうが、彼女(・・)の事を愁えば仕方の無い事だ。

 下手に目立っては、また街人達から迫害の憂き目に遭う。

 死んでからも忌まれては、それこそ哀し過ぎるというもの。

 だから、ブリュンヒルドとヘルは、質素極まりない簡易的な墓地とした。

 せめてもの手向けは、慕っていた老人の家から近くに定めたという事か。

 心ばかりの野摘みが献花に置かれていた。

 まだ然程(さほど)の時間は経ってはいない。

 墓前に残る小さな足跡から誰か(・・)は判る。

 参拝者は限られていた。

 幼女と戦士と女神だけだ。

 他にはいない。

 それでも動物達は何か(・・)を感受するのか、まるで水飲み場へ憩うかのように日々数匹が集っていた。

 だから、寂しくはないだろう。

 ポツリポツリと雨粒が降ってきた。

 次第に、それは情景演出と化ける。

 泥濘(ぬかる)みを生む煙雨は、周囲から生命の気配を退かせた。

 

 そんな閑寂とした墓を、黄色い単眼は見定めていた。

 闇暦(あんれき)世界を眺めると同時に、この地も確実に見定めていた。

 長い月日を飽きる事なく……。

 基(もと)より〝年〟も〝月〟も無い。

 コイツ(・・・)にしてみれば〝一瞬〟だ。

 

 ──惜しい。

 

 ようやくにして意志が蠢(うごめ)いた。

 

 ──失うには惜しい。

 

 あの〈娘(・)〉は、間違いなく唯一無二だ。

 なればこそ、惜しい。

 人間(・・)にとっても──怪物(・・)にとっても──そして〈神(・)〉にとっても異端(・・)な存在。

 忌避(きひ)される存在──。

 疎(うと)まれるべき存在────。

 小奴(こやつ)は如何(いか)なる混沌(・・)を生むのであろうか?

 

 ──嗚呼、実に惜しい。

 

 欲望への陶酔に黄色い単眼が歪む。

 それは先見に描く戦乱(みらい)への喜悦であろうか。

 そして〈黒月(こくげつ)〉は決断した。

 

 雷鳴が轟く!

 稲光が柱と叩き落ちる!

 ただの落雷ではない!

 それは〈黒月(こくげつ)〉自身が放つ比類無き魔雷(まらい)だ!

 魔王から覚醒の鞭打ちを受け、生命(いのち)の拳が大地を砕き割った!

 高々と凱旋を猛るかの如く!

「ォォォオオオオオーーーーーーッ! ウォォォォォオオオオオオオオオオーーーーーーッ!」

 絡み濡れる黒髪を振り乱し、奇怪なる醜美(しゅうび)は吼える!

 雷天へ向けた産声を!

 

 憐れな〈娘(・)〉……。

 死ねない〈娘(・)〉……。

 果てぬ地獄を生き抜く宿命(さだめ)を課せられた〈娘(・)〉…………。

 

 

 彼女の名は──────。

 

 

 

[完]

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