それから俺は阿部の元へ何度も通った。何も連絡してないのに至極当然、といった顔つきで阿部はベンチに座って俺を待ってくれいていた。しこたまやり合ったあと居酒屋で呑んで朝になったら二人で何処かに遊びに出かける。それだけの奇妙な関係が何ヶ月も続いた。しかしある時から阿部がパタリと来なくなってしまった。最初は体調でも崩したのかと思った俺も二週間程毎日行って一度も居ないというのはおかしいと感じ、阿部が仕事をしている工場へ出向いた。
「阿部?あいつなら二週間前辞めていったよ」
エンジンを弄りながら答えた初老の整備工の言葉に俺は耳を疑った。
「ワシはここの社長なんだが二週間前の朝、新聞受けに辞表と手切れ金を包んだ封筒が入っていてね。どうやら噂によると駆け落ちらしい。この頃なんだかミスが多くてなんかおかしいと思ってたが」
「阿部さんが駆け落ちだと。冗談でしょう」
思わず俺は相手の襟を掴んで引き寄せてしまった。
「はっ、離せえええ」
「すいません」
俺は手を離した。阿部が駆け落ちだと。誰と。彼に会いに行った時俺以外の奴がことは一度もなかったはずだ。何回も行っているからその駆け落ちた相手と逢瀬している時がなったはずはない。
「仕事はできる奴だったんだがね。なんだか男と遊んでるっていう噂も聞いたことあるしな。たまに変な事することもあったから他の社員は寧ろ喜んでいるみたいだがねぇ。いきなり人手が減ったから迷惑してるとこなんだよ全く」
俺の耳に社長の言葉は届いていなかった。ただその時は駆け落ち相手を恨んだ。阿部は俺のものだ、お前なんか釣り合わわない。
殺してやる…
「ところでお前さん一体何者なんだね。ひょっとして借金取りか?うちに払える金はないぞ」
俺は我に返った。
「いえ、彼は中学校の同級生でしてここに勤めてると聞いて会いに来たのですが」
咄嗟に俺は用意してあった嘘をついた。
「まっ、見つけたらワシにも教えてくれ。こっちも話したいことが色々あるんだ」
社長は溜息をつくと再びエンジンに向き直った。
俺はそれからというもの暇さえあれば各地のハッテン場を巡って阿部を探した。彼ならそこに来るという確信があったし、そうでなくともそこにあるコミュニティから何かしらの情報を得られる可能性もあったからだ。しかし俺の努力も虚しくなんの成果も得られなかった。
いつしか阿部のことを諦めた俺は彼のことを忘れることにした。世の中は広い。他にも俺を受け入れてくれる人はいるはずだ。
ある日、俺は出張を言い渡され新潟にでかけた。といっても会社の研修に参加することだけが目的だったのでほとんどが自由時間で実質的には旅行みたいなものだった。出張の最終日、昼飯を食い終えたあと俺はキャリーバックを伴って街をぶらぶらしていた。土産も買って特にやることも無いのでカフェでも行って時間を潰そうと思っていた時だ、俺の目に一人の学生が映った。そいつは公園の掲示板にもたれかかって何やらキョロキョロと周りを見渡していた。気になった俺は声をかけることにした。
「なあ君」
「なんでしょうか」
学生はほっそりしていて格好良いというよりむしろ可愛い顔つきをしていた。
「何をしているんだい」
「いえちょっと……」
そのセリフを聞いて俺はこいつはホモなんじゃないかという疑問が生まれた。
「俺でいいならやらないか?」
「えっ…いいんですか」
やはりこの学生はホモだったようだ。
流石にまだ成人してもない奴をトイレでというのはまずいと思ってホテルに入った。さっきチェックアウトしていったやつが男の連れを連れてきたんだ。フロントの人はたいそうびっくりしただろう。
「君、名前はなんて言うんだ?」
「道下正樹と言います。お兄さんは」
「兄さんなんてよせよ。俺は日高良司だ」
「じゃあ日高さん。脱ぎますね……」
そう言って彼は服を脱ぎはじめた。お世辞にも逞しいとはいえないがこれはこれで良いところもある。
俺も服を脱いだ。ハンガーに背広とズボンをかけ、シャツと下着は放っておいた。
「うわっ」
突然道下くんが声をあげた。
「どうした。隠しカメラでも置いてあったのか」
「いいえ。なんといいますかモノがめちゃくちゃ大きかったので…」
彼の視線を俺は股間に感じた。そうだった。俺は阿部に出会って忘れていた。俺が避けられていたということを。
「俺は受けが専門なんだ。気にしないでくれ」
流石に学生相手に喧嘩を売っても仕方がないので俺は受けにまわることにした。今までも受けばかりやってきたのだしテクニックにも自信がある。
「いえ、僕の彼氏も日高さんほどではないですけど大きいので大丈夫です」
「お前、彼氏がいるのによく俺とヤろうなんて思ったな」
「だって彼、浮気性でしょっちゅうほかの男捕まえくるんですよ。僕だってやってもいいと思って」
「それは大変だな」
付き合っているとそんな問題も出てくるのだな。そういえば俺の弟も昔彼女が浮気してたのどうのこうの言ってた時もあったな。やはり独身は気楽なのだなと実感した。
「でも、根はいい漢なんです。僕が両親と揉めていた時も救ってくれたし、僕と一緒に逃げてくれた」
逃げてくれた?どういうことなのだろう。普通なら一緒に談判してくれるとか相談に乗ってくれるとかだろう。逃げる?
「駆け落ちって言ったらわかりやすいですかね。それで……」
「ひょっとして君の彼氏って阿部高和って男か?」
「そうですけど……」
こいつか。その瞬間俺の頭から真っ先に湧き出てきたのは怒り、そして行き場のない破壊的欲求だった。
「お前か。俺から阿部を奪ったのは」
それからあとの記憶はない。ただ奴を縛って滅茶苦茶に犯したことは覚えている。シーツを汚す汚物と体液、そして血。俺が正気に戻った時には奴は気を飛ばしていた。そして俺は自分のやった事の重大さに気づき、慌ててホテルを後にした。
翌日の新聞には何も載っていなかった。しばらく俺は罪悪感と後悔に苛まれ警察が来たら自首しようと自宅に篭っていた。
しかし誰も玄関のドアを叩く者はおらず、数ヶ月会社を休んだ俺は皮肉にも出張先であった新潟にある支社に飛ばされることとなった。どうせ東京の本社への勤務もいつかは終わるだろうと思っていたが、こんなに早くなるとはこれも運命というやつだろう。俺は甘んじて辞令を受け新潟へ飛んだ。
それから一年後の冬。ついぞ俺の元へ警官は訪ねてこなかった。
商店街にジングルベルが轟く中、俺は帰路に着いていた。別に今日は特別な日ではない。俺は独りだ。
表通りを避けるように歩いているとあの因縁のホテルの前に来てしまった。ホテルはずっと同じく何食わぬ顔でそこに建っており、時折男女2人組が光に吸い寄せられる蛾の様にガラスドアの向こうに消えてゆく。
「普通はそうだよな。やっぱり俺は独りだ」
ふとホテルの前の車道と歩道の間にある花壇から声が聞こえた。
レンガ造りの花壇に腰かえていたのはみすぼらしい男だった。ボロボロの作業着に黒く汚れた軍手とマフラー、煙草の火が無精髭を醜く照らしていた。
「祇園精舎の鐘の声。盛者必衰を表す、か。上手くいったものだな。まあこの場合は寺でなく教会の鐘か」
ブツブツと呟く声に俺は聞き覚えがあった。ただ、こんな掠れたような声ではないが。
「自惚れと自己陶酔の結果。当然の報いってやつかな。ハハハハハハ」
高笑いを始めた男の顔が街灯に照らされた。その顔に俺は見覚えがある。
「もしかしてお前、阿部か?」
「そうだがなんで俺の名前を……」
彼は立ち上がろうとしたようだったがすぐに崩れ落ちた。
「大丈夫か」
慌てて支える。その時彼は俺の方を向いた。
「良司……なんでこんなところに……」
阿部高和との再会だった。